2016/6/18, Sat.

 何度か覚めて空気の暑さを感じながらも、寝床に貼り付いたままにするすると時が流れていき、定かに気づいたのはちょうど正午になる頃合いだった。睡眠時間が一〇時間に達したのは久しぶりのことだろう。両親は、父親の兄の墓を参りに揃って千葉に出かけていた。長寝で固まった腰や背をさすりながらうごめいていると、インターフォンが鳴ったので、急いで床を抜けた。まだ眠気の欠片が引っ掛かっているような頭で上に行き、出るとやたらと声の大きい宅配員だった。簡易印鑑を用紙に押して、母親宛の袋を受け取り、居間のテーブルの上に置いておいてから、顔を洗った。眠っているあいだに頭蓋内の部品の位置が誤ってずらされたような、配線が組み替えられたような軽い頭痛を感じる。台所の鍋には前夜の味噌汁が一杯分、残っていた。炊飯器のなかは空である。いまから炊くのも面倒、おかずを新たに作るのも面倒なので、冷蔵庫から、これも前夜の残りであるマカロニを取りだして温め、味噌汁とゆで卵とともに食べた。居間の空気は明らかにここ数日来で最も熱されており、気温計は三二度を指していた。一時頃になってから下階に行き、なんとなく隣室に入って弦の錆びついたギターを弄った。近くの棚に、コレクターズエディション版二枚組であるDr. Feelgood『Down By The Jetty』のCD帯があった。このアルバムは確かずっと以前に一度聞いたが、その後コンピューターを移行したか何かでライブラリから消えていたので、もう一度聞いてみるかとディスクを探して、自室に持って行った。それから蕎麦茶を持ってきて、裸の上半身に汗をかきながら飲みつつ、前日の新聞から記事を写した。それでDr. Feelgood『Down By The Jetty』をインポートしつつ、Wilko Johnsonについて検索してみると、以前調べた時には、末期癌であることが判明して余命も少ないが、延命治療はせずにRoger Daltreyとレコーディングをしながら最期の時を過ごす、という話だったのだが、ところがその癌を克服したとあって驚いた。どうも初めの所見に間違いがあったか何かで、実際には治療可能な病だったらしく、手術も成功したと言う。それはよかったではないかとしばらくWilko Johnsonの動画を視聴するのに時間を使ってしまい、二時半頃になってからベッドに転がって、この日の新聞を読んだ。そして三時である。肌着を上半身に戻して上に行き、風呂を洗いに浴室に入ると熱が籠っていて、ブラシを持って前かがみになりながら、まるで吐き気のしてくるような暑さだなと思った。それからベランダの洗濯物を取りこみ、タオルを畳むと、アイロンを掛けるためにまた肌着を脱ぎ、シャツ三枚の皺を処理した。そうして一度部屋に戻り、寝起きには怠った瞑想をした。三時二九分から三八分まで枕の上で目を閉じているそのあいだ、何かを背負っているように鈍い温もりが背に貼り付いて、汗がうっすらと滲んでいるのが、窓から緩く入って気遣わしげに触れてくる風の感触でわかった。それから外着に着替えるのだが、この気温では下半身もよほど暑いだろうと、薄い生地でチェック柄のズボンを昨秋ぶりに取りだした。それを履いて裾を少々捲り、荷物を持って上に行き、靴下を履いた。実に旺盛な夏の暑さのなかを徒歩で行く気力はなかったので、最寄り駅を取ることにした。居間の隅に張り付けてある時刻表を見るとまだ時間があったので、ソファに就いてレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅱ』を出した。しかしページをひらいてすぐに、米を研いでおくのだったと思いだしたので、台所に立って釜を洗って、ざるを使って四合半をなおざりに研ぎ、釜に入れて炊飯器にセットしておいた。それから腹にものを入れておこうと冷蔵庫をあけ、木綿豆腐を取った。パックに入れたまま麺つゆを掛けて、口を付けたあとに期限が一日過ぎていることに気づいた。そうしてみるとどことなく、舌の上で崩れた塊の奥から、饐えたような風合いがうっすら香るような気もしたが、たった一日でどうもなるまいと片付けて食し、またほんの少しだけ文字を追ったあと、出発した。もう四時前なので、道には林や家から伸びる、薄く青みがかったような蔭が敷かれている。そのなかを渡っている分には過ごしやすかったが、坂に入って上がっていき、木の下から抜けて通りに出ると、顔に触れるだけで呼吸がしにくくなって心臓の動悸も速まるような陽射しである。駅のホームにも西陽は容易に流れこんで足もとに水溜まりのような薄金色が広がり、屋根はさしたる役を果たしていなかった。草木の緑は映え、線路のレールはおのれを溶かさんばかりに白く発光して空間に皺を付けている、その明るみのなかで、風に飛ばされてきた砂の一粒としか見えないような細かな虫が、かわるがわる宙に軌跡を刻んでいった。暑い、とほとんど無声音のつぶやきが、近くの女性から漏れ聞こえ、その向こうでは髪の薄い中年のサラリーマンが、ハンカチで顔を丹念に拭っていた。電車到着のアナウンスが入ると屋根の下を出て歩きだしたこちらの横を抜かしていく電車のなかは、山帰りの人々が詰まっている。比較的スペースのありそうな箇所から入って、Antonio Sanchez『Live In New York at Jazz Standard』を聞きはじめた。降りると駅が、何だか知らないが仮装した高校生らで狭くなっている。そこに電車から降りていくリュックサックの客たちも加わって、さらに狭くなったなかを先のほうに進んでいき、人の群れから逃れて小学校のほうを眺めた。校舎を抱く裏山の木々が、葉の底まで密に浸潤して空間に溢れださんばかりに鮮やかな、濃い緑色を水のように湛えており、接した空も清澄な青一色に染め抜かれていた。それから来た電車に乗り、席に就いて脚を組みながら瞑目し、アルバムの結びである "Challenge Within" を聞きながら、iPodにはもうこのアルバムと、Bill Evans Trioの例のライブの二つだけ入れておけばそれでいいのではないかと、とは言っても実際にそうはしないのだろうが、しかしそのくらいにすさまじいライブ盤だなと思った。フロントのサックス二本もさることながら、Scott ColleyとAntonio Sanchezが桁外れに素晴らしい。この演奏が録音された二〇〇八年一〇月初旬の夜は、勿論二人ともよほど好調だったには違いないだろうが、本人たちにとってはおそらく奇跡的というほどのものでもないのだろう。仮に毎夜のようにこのようなパフォーマンスを披露しているのだとすれば――そしてきっと、大方その通りなのだろうが――、両人とも紛うことなき化け物であるし、彼らを筆頭としてほかにも似たような魑魅魍魎が夜な夜な多数跋扈しているのだから、ニューヨークという都市はほとんど魔境のような地である。ともかく、この二人が参加している作品は出来る限り集めてみなくてはならないなと思った。到着して降りると、図書館である。陽射しが頭上から斜めに圧を送ってくるのを受けながら歩廊を渡り、入館すると階段を上がって、新着図書を見た。『完訳 ファーブル昆虫記』の一〇巻上があって、手に取っていくらかめくってみると、しっかりとした散文の感触があって、なかなかに面白そうである。戻して窓際に出ると、運良く空席が見つかったのでそこに入った。コンピューターを出して、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』を読みながら準備を待ち、五時頃から書き物に掛かった。流したのは、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』である。前日の分は五時五〇分前に終わり、その頃には音楽は『Definitely Maybe』に移っていた。その後、Dr. Feelgood『Down By The Jetty』に移行させながらこの日の記事も進めて、六時五〇分にはようやく切りが付いた。残り時間は、読書に充てた。寝坊をした日にかえって眠気が湧くのが不思議なのだが、時折り眠くなって目を閉じながら、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』を閉館の八時まで読み、荷物を片付けて席を立った。一つ目のゲートを抜けて、繋ぎの部屋に入った瞬間、空気の丸いような感触に夜気の穏やかさが予感された。もう一つの扉をくぐると実際にその通り、夏らしいぬるい夜で、歩廊に踏みだしながら、マンションの頭上そう遠くないところに満月が浮かんでいるのを眺めていると、後ろから若い女二人の蓮っ葉なような口調で、きれいきれいと言い合うのが聞こえた。月は表面に模様なく、のっぺりと均されて乳白色に満たされている。それを見上げながら駅に渡り、ホームに降りるとAntonio Sanchezのライブ盤を流した。電車に座って瞑目していると半ば眠ったようになって、着くと重い身体を持ちあげて乗り換えた。最寄りで降り、ライブ盤は終わっていたのでAntonio Sanchez『Migration』を聞きながら、夜道を行った。帰宅すると室に帰って服を脱ぎ、瞑想を行った。八時三二分から四三分までの一一分、そうして食事に行き、ベーコンともやしの炒め物を米の上に乗せて、卓に就いた。食っているとそのうち、再送を待っていた宅配便が来て、母親が受け取ってきたのは兄夫婦からの荷物である。翌日が父の日だからだろう、父親宛に送られてきたのを開けると、日本酒一本と靴下二足が入っていた。エイヒレをよく噛んで食べると皿を洗って、入浴した。風呂を出ると一〇時、下着一枚で体重を量ると五三. 七五キロだった。茶を注いで部屋に戻り、武蔵野スイングホールのホームページをひらいた。月に一回くらいは美術館に行きたいし、何かしらのライブも見たいものだ。音楽のほうの欲求はこのホールの催しで満たせばいいのではないかと公演予定を見て、オンライン予約のために新規登録をし、若手のジャズメンたちのライブを三つ選んで、チケット購入の一歩手前まで行ったところで、しかし合わせて一一〇〇〇円か、と指が止まった。彼らもそれぞれ北欧やらニューヨークやらで評判を得ている新進気鋭らしく、興味はあるが、しかしいい加減に金も貯めなくてはならない。そんなことを言いながらもまた、本やCDに使ってしまうのではないかという気もするが、とにかくこの日はひとまず思い留まっておくことにした。その後、一〇時半過ぎから、Dr. Feelgood『Down By The Jetty』を聞きながら英語を読みはじめた。Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraである。初めに一〇ページ分、線を引いた単語を復習しておき、それから新しく読み進めて、相変わらずの牛歩だがともかく一時間ほど費やした。歯を磨いてインターネットを少々散歩したあと、零時半頃からベッドに移って、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』を読みはじめた。あっという間に二時になり、そろそろ眠るべきだと思いながらも、ボロロ族の集団構成と生死観についての分析が面白く、ページを進めて結局二時半を回った。便所に行ってから、二時四一分に就寝前の瞑想を始めた。開けた窓の遠くから川音がさらさらと漂ってくるのが、船の上にいて穏やかな海の鳴りを聞いているような心地を喚起した。呼吸を続けているうちに、普段より随分と長く座っているなと気づいた。おのれの存在がその空間にぴったりと嵌まっているかのようで、非常に心が落ち着いていたので目をひらく気にならず、さらに続けていると、ちぎれた電線がショートして火花を放っているような虫のノイズが時折り立つなかに、きゅきゅきゅ、という、風情のない散文的な声も聞こえた。深夜の三時くらいになると鳴きだす、例の摩擦的な鳥の声である。たった一匹で鳴いているそれがだんだんと遠くなって、ほとんど消えたのを機に目をあけると、三時五分になっていた。ペットボトルの水をごくごくと飲んでからアイマスクを付けて、消灯して横たわった。眠気は容易にはやってこなかった。しかし焦らずに、何度か姿勢を変えながら待っているうちに寝付いた。体感では、おそらく四時もだいぶ近くなっていたのではないかと思う。