2016/6/30, Thu.

 六時に覚めたのは、母親が部屋に来たからである。存外きちんとした声で、今日は旅行だからと言うのに答えて、また寝付いた。次に覚めると、ちょうど七時になる頃合い、カーテンをひらくと晴れ間があるが、その上に黴のような薄雲が湧いていた。もう起きてしまおうと布団を剝いで、しかし起きあがらずに、村尾誠一著『和歌文学大系25 竹乃里歌』を取ってひらいた。それで読んでいるうちに、布団をまた身体の上に戻してしまって、眠りの誘惑に屈したのがおそらく八時四〇分頃である。それでせっかく早く覚めたのに、一一時四〇分までだらだらと二度目の眠りを過ごして、起きるとその頃には雲が空全体に広がって、光は消えていた。洗面所に行ってきてから枕の上に座るとしかし、窓辺に漂う温もりが感じられた。一一時四八分から一二時二分まで瞑想をし、それから上に行くと、まず真っ先に風呂を洗った。そうして冷蔵庫から、前夜の残り物を取りだしてそれぞれ温め、卓に就いた。新聞が見当たらないので玄関に出ると、台の上に置いてあったが、それは読売のものだけである。前日にはそれに加えて朝日のものもあったのだが、外に出てポストを見てもないので、よくわからない。銀色のポストの蓋を閉じると、後ろから声が掛かって、振り向くと男二人がおり、年嵩のほうが、この先の家で工事をしているものですが、と言った。何かと迷惑を掛けると思いますので、と粗品のタオルを渡してきたのを、礼を言って受け取り、工事というのはどのようなと、特段興味もないのになぜか尋ねると、外壁を塗り替えるのではなく、上から何か貼り付けるとか何とか言っていた気がするが、興味がなかったので忘れてしまった。じゃあ改修なんですね、とわかりきったことを訊くと、相手は聞き取れなかったようで尋ね返してきて、もう一度同じ言葉を口に出すと、控えていた若いほうが、ええリフォームでと、何となく急いでいるように割って入ってきた。上の公園ご存じですか、あそこの家なんかも、と言うのを聞いたあと、ありがとうございますと頭を下げて話を終わらせ、室内に戻った。それでものを食べはじめ、選挙公報を見ながら箸を動かして、食後新聞をひらいて読んだ。閉じた頃には、既に一時間際だったか、それとも針が天頂を過ぎていたはずだ。蕎麦茶を用意して室に運び、インターネットを少々回りながら、Richie Kotzen『Break It All Down』を流して歌った。それから前日の夕刊に、トルコのアタテュルク国際空港でのテロ事件に関連して、同国で近年起こった主要テロの年表が載っていたので、それをコンピューターに写し、さらに続けて書き抜きをした。ロラン・バルト石井洋二郎訳『小説の準備』である。二箇所抜いて、それからレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅰ』にも移って、こちらはノートにメモしたページをすべて終わらせ、すると多分二時を回っていただろうか。それどころか、二時半を過ぎていたのかもしれない。音楽はEnrico Pieranunzi『Live at the Village Vanguard』に移していた。四時に図書館に着けばいいだろうと目途を立てて、歯磨きを済ませて、転がりながら『竹乃里歌』をまた読んだ。それでそのうちに出支度を始めて、制汗剤ペーパーで肌を拭いてきてから、前日に買った淡水色のズボンを早速履くことにして、上は薄桃色のシャツを着た。荷物をまとめてから瞑想をしたのが、三時一三分から二五分までの一二分間である。階段を上がって靴下を履いたところで、そろそろ年金の支払期限が来ているのではないかと室に帰ると、まさしく当日だったので、払うことにして用紙を持ち、預金通帳もポケットに入れた。そうして出発、やや蒸している大気に汗を滲ませながら歩いていき、街道に出るとBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を、 "Simple Twist of Fate" に戻してそこから流しはじめた。街道を歩いていると、下校する高校生たちが裏通りに入っていくのが見えたので、こちらは表を取ることにして歩道を進み、郵便局に寄った。金を下ろして出ると駅まで行き、高校生たちに立ち混じりホームに上がると、ちょうど電車が来た。席に就くと、七月三〇日が友人の結婚式なので、忘れないうちに職場にシフト希望のメールを送り、それから過ぎたばかりの "Tangled Up In Blue" をもう一度頭から掛けて聞いた。そうして降りると、図書館だが、歩廊から館のガラスを見上げて窓際の席を見る限り、どこにも人の足があって空いていなさそうである。中高生がテストの時期である。まあ駄目だろうなと思いながらも一応館に入って、変わりのないCDの新着を確認してから、フロアを上がって図書の新着棚を見た。諸々目新しいものを確認してから窓際に抜けたが、やはり空いていなかったので、便所に寄って放尿してから出口に向かった。出ると、リュックサックから、『失われた時を求めて』の一巻を出して、ブックポストに返却した。期限の七月一〇日までに読める気がしないので、ひとまず返しておいて、後日また借りることにしたのだ。それで歩廊の上に踏みだすと、西空が淡い色に霞んで、というよりはほとんど確かな色味を奪われ味気なく脱色されながらも、空気が籠って、まるで雨でも降っているかのようである。町並みの果てに貼られた山の影も、いまにも剝がれそうに軽い。それを見つつ駅に渡って、通路をたどって反対側に行き、例によってハンバーガーショップに入った。男性店員にジンジャーエールを頼んで金を払うと、横から先日の女性が出てきて、飲み物をトレイ上に置いてこちらに渡して来ながら、このあいだはありがとうございました、と七夕の短冊のことに触れた。いえいえ、と受けて、続けて何を言えばいいのかまったく思い付かなかったので、礼とともに笑って会釈して、席に向かった。コンピューターを出して、すぐに作文を始めたのが、四時半頃だった。音楽は、『Elis Regina In London』から始めて、書いているあいだそのまま下に移行させていき、Elis Regina『Esssa Mulher』、Elizabeth Shepherd『Rewind』、Ella Fitzgerald『Mack The Knife - Ella In Berlin』、Ella Fitzgerald『Newport Jazz Festival Live at Carnegie Hall』と流した。これらのElで始まる三人の女性ボーカルの作品五つのうち、駄作は一つもなく、大傑作とは行かなくとも、どれも聞き返す価値のある盤だと思われた。それで前日の文章を書くのに、人と会って色々と移動した日だからやはり長くなって手こずり、仕上げた頃には七時である。二時間半を書いて記事は七八〇〇字、この日に足したのは六五〇〇字ほどで、すると一時間二六〇〇字ほどの計算だから、もう少し速く書きたいものではある。とはいえ、焦ることもだれることもなく、書けることをわりあい自然に、ただ書けたようではあった。それからこの日の分にも移って七時五〇分、数えてみると意外と三〇〇〇字近くを綴っていた。書き抜きをしたいとレヴィ=ストロース川田順造訳『悲しき熱帯Ⅱ』を持ってきていたが、もはやほとんど八時、帰宅することにした。立ちあがってトレイをボックスの上に置くと、例の女性店員からそのままでと声が掛かったので、礼を言って退店した。駅に入って通路をたどっていき、年金を払いにコンビニに行くために反対側に抜けた。歩廊の上は風がかすかに流れて絹のような柔らかさの感触を肌にもたらし、そのなかにどこか香ばしいような匂いが混じって、ぬるさと涼しさのあわいで揺れる空気が快かった。コンビニに入って、若い女性の店員に支払い用紙を渡し、機械の画面に出た確認の表示を押して、金を払った。退店すると駅に戻って、ホームに下りるとちょうど電車が来たところで、Bob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を流しはじめながら乗り、座席で瞑目して到着を待った。降りても乗り換えはまだ来ていなかったので、ホームの中央付近まで行って『竹乃里歌』を読みながら待ち、来て乗っても読み続けて、最寄りで降りた。若緑やら紫がかったピンク色やらそれぞれカラフルに、大きなスーツケースを持った男女がいて、女性は顔が見えなかったが男二人は白人だった。荷物は重いようで、男は顔を赤くして抱えながら階段を上っていた。駅を出ると音楽を聞きながら、坂を下りて通りを行き、家の玄関の前まで来ると、母親が風呂に入っているらしく、石鹸の香りが鼻に薫った。なかに入って手を洗い、室に帰るとコンピューターを机に据えて、歌を歌いはじめた。Bob Dylanと、その次に久しぶりにthe pillowsを流して、何か抑圧されたものを解き放つが如き勢いで歌うと、九時を迎えた。食事を取るために部屋を出て、旋律を口ずさみながら階段を上っていくと、父親が帰ってきたところだったのでおかえりと言った。それに答えたただいまの声が、疲れの滲んで気落ちしたような鈍い音調だったので、一日働いて疲れて帰ってきたところで息子が苦労も知らぬ気に意気揚々と歌を歌っていたらうんざりすることもあろうかと、静かに黙って控えめに徹することにした。台所に入ると米をよそって、久しぶりに酢入りの納豆も用意し、卵とほうれん草のスープを温め、モヤシと人参の炒め物や鮭をそれぞれ皿に取った。それで新聞をひらきながらものを食べたのだが、テレビの音に邪魔されて大して文字を追うことができなかった。食べ終わる頃には父親が風呂から出た音が聞こえたので、ソファに就いて待ち、入れ替わりに入浴に行った。伸ばし放題だった髭を剃り、上がると一〇時半、蕎麦茶を持って室に帰り、一〇時四〇分からGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらいた。まず復習に一〇ページ、それから前線を進めた。一一時半まで英語に触れて、歯ブラシを取りに行き、戻って口内を掃除しながらインターネットを回っていると、口をゆすいできてからもコンピューター前に留まることになった。一時まで娯楽的な動画を閲覧して、そうしてベッドに移った。『竹乃里歌』を一時間読んでいるあいだ、視線がほとんどページの上に絞られて、また寝転がった姿勢でいるためか、半ば現実感が希薄なようになって、二時になって身体を起こして部屋の内を眺めると眠りから覚めたような感じがした。便所に行ってきてから瞑想、二時九分から二三分まで行って、眠りに向かった。