2016/7/16, Sat.

 三時過ぎに寝付いたわりには珍しく、八時台の早い頃に一度覚めた。夢をいくつも見た覚えがあり、それを反芻しながらまどろんでいるうちにふたたび意識が途切れて、気付くと九時前である。まどろみを続けていると、インターフォンが鳴ったが、身体を起こす気にならないので出に行かなかった。両親はこの朝から大阪・神戸行、というのは義姉がコンサートで歌うのでそれを見がてら、三連休を利用して遊びに行ったのだ。何でもあちらの親戚たちも集まるとかで、その席にも顔を出すとか何とかいう話である。それで訪問者は何の対応も受けられず、インターフォンが二回鳴ったあと、いないな、とがさつなような男の声がして、それからすぐに人の気配が窓の外、隣家のほうに移り、止めちゃいますけどいいですか、とか言って、九五だか九六だかの隣の老婆が張りのある、まだまだ元気そうな声でそれに答えている。水道工事だろうかと思った。少し前にも一度、工事のために水を流せなくなったことがあったのを思いだし、止まる前に水のいることを済ませようと寝床を抜け、顔を洗って用を足した。それで部屋に戻り、窓際に就いて外の会話を盗み聞きしてみるのだが、事情はよく知れない。どうしたものかと思いながら、一旦上階に行って玄関を出て、ポストをひらくと紙が入っていた。しかしそれは水道工事に関連するものではなく、梅の木のウイルス感染状況を調べるために伺ったが不在だったという通知である。すると、先のインターフォンはこの業者だったのだろうか。しかし家の前には何やら自転車が二台停められており、隣家の前の道路には、白っぽく茶けた色のトラックが荷台に石や砂を積んで佇んでいる。隣家のほうからは、がしゃがしゃと工事らしい音が聞こえる。とりあえず室内に戻り、自室に帰ってひとまず夢を覚えているだけ記録した。

・駅。外国だったのではないか。階段を下りていくと道中に、何か横に広い棚か台のようなものが置かれて邪魔になっている。本来あるべき場所からずれて、飛び出たようになっているらしい。誰も直そうとしないのでこちらが、元の場所かどうかわからないが、壁際のほうに運んでいると、浅黒い肌の初老くらいの男が手伝ってくる。東南アジア系か。英語で拙い会話を試みるがうまくいかない。そのうちに相手が断片的に日本語を喋り出すので、日本語を話せるのではないかと指摘する。そのあたりのやりとりは忘却。
・坂の途中。アコースティックギターを持って座っている。チューニングしていると、一人男が寄ってくる(禿頭だったのではないか)。何か一曲やってくれというようなことを言われる。話しながらチューニングを続ける。いつの間にか空間に対する視点の位置が少々変化しており、場所も坂の途中ではなくなったようで、平坦でわりと広い、室内なのか屋外なのかわからない場所になっている。相手もギターを持っている。県内有数の建設会社に勤めているが、社長か上司だかから、いついつまでには辞めてくれということを言われて、それが定められているらしく、その補償としてこのギターをもらったのだと話す。そうして弾きだすのだが、自分が一曲やるつもりだったこちらは出番を奪われたようで少々面食らう。こちらのすぐ近くに女がおり、自分もあちらも地べたあるいは床に直接座っている。女の向こうには何か大きな屏風のような、いくつかの平面が角度を変えて継ぎ合わされた壁のようなものが立っており、その表面に、ライブイベントのフライヤーのようにいくつもの名前が書かれている。女の顔を見ると、鼻の穴からかすかな毛が出ていて、それが光の加減か何かで霜を被ったように白っぽく見えるのだが、さすがに鼻毛が出ていると指摘するのは憚られる。顔は、特段の美人ではなかった。左手のほうで演奏が続くなか、その女と話していたようだが、じきに、相手が身体を寄せてくる。顔が近くなって、口づけをしてくるのかと思いきや、動きが逸れて身をかがめて猫のように丸まり、こちらの左手を舐めてくる。その舌の温かさに薄くほのかな欲情の気配が身中に漂うが、高まることはない。女が顔を離すと左手はべたべたに濡れているので、相手の服の裾で拭いていいかと訊く(女は、裾の非常に長くゆったりとした服を着ていた)。了承されるので、裾を取って手を拭うが、すると唾液がまるで精液のように布の襞の底に白く濁って溜まる。

 そうすると既に一〇時頃だったはずである。上階に戻って風呂を洗うと、茄子の入ったつゆにうどんを入れて煮こんだ。それができて、丼を食卓に乗せてからふたたび外に出てみると、隣家の駐車場にいた人足と目が合った。こんにちはと互いに挨拶をして、階段を下りて家の前に出ていくと、短髪に白いものが混ざった中年の男は、うるさくてすいませんねと言う。何か、と尋ねると、下水管の詰まりを直しているという話だった。水道は使えるのかと訊くと、お宅のほうは関係ありませんという答えだったので安心して、ご苦労さまですと言って家に戻った。それで食事を取り、一〇時半頃になると皿を洗って下階へ、なぜかギターを弄りたくなって兄の部屋に入り、適当に爪弾いているうちに、驚くべきことに一時間ほど経って時計は一一時半を指している。それから蕎麦茶を淹れ、先日買ったスナック菓子も持って自室に帰った。Richie Kotzen『Break It All Down』を流して口ずさみながら菓子を貪り、インターネットをうろついているとまたもや一時間経って、一二時半を迎えた。それでようやくこの日の新聞を読みはじめた。背景にはJesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』の前夜の続きを流し、それが終わると久しぶりにスガシカオなど掛けて、前日の新聞記事をいくつか写した。身体が固く、首の後ろが特にこごって仕方がなかった。それなので記事を写し終えるとベッドに寝転がって、身体を伸ばしたりしながらスガシカオを口ずさんで二時前、書き物をしようとコンピューターを持って上階に移った。Jim Hall『By Arrangement』を流して打鍵し、一時間と少し過ぎて三時台に入ると、即席の味噌汁を作って、飲みながら前日の記事を完成させた。さらに音楽はJim Hall『Concierto』を続けて、この日の分も打って切りを付けると四時八分である。それから部屋に戻って、メモによるとどうもベッドに転がってごろごろと怠惰な安楽を過ごしたらしい。その後、Stevie Ray VaughanだったりBob Dylanだったりの歌を口ずさんだあと、五時半から書き抜きを始めた。『失われた時を求めて』一巻である。語り手がコンブレーの教会でゲルマント公爵夫人の姿を初めて目撃して幻滅し、しかしそのすぐあとにはまた彼女への崇敬を取り戻す場面などを長々とコンピューターに写し、六時半過ぎにこの本の書き抜きは終了した。ちょうどいい夕刻の時間だと思って、盆の送り火を焚くことにした。麻幹は玄関の鏡のすぐ脇、台の上に用意されてある。袋から乾いた長い茎を抜き取り玄関先に出ると、七時前だが空気には明るさの印象が残って、黄昏時の一歩手前というところだった。林からはヒグラシの鳴きしきる声が響く。麻幹を短く折って水場の前に重ねて置いた。それから居間の隅から過去の新聞紙を持ってきて、火勢の助けになるようにと、細かくちぎってくしゃりと丸めたそれを麻幹の隙間に差し入れたり、周りに配置したりした。そして再度室内に戻り、仏間に入って蠟燭を灯し、線香に火をつけて香炉に立てた。作法など知らないが、出かける前に母親が言っていたところでは、線香につけた火をうつして送り火の火元とするのだ、ということである。しかし、仏壇にあった線香が火を灯しにくいもので、蠟燭の炎に差しこんでも先端に丸く火球が広がらずに白熱して色を変えるだけだったので、これでは火をうつすことはできまいと思って、線香三本とともに簡易着火器具も持って玄関先に戻った。それで新聞紙の端に線香を当ててみたが思った通り容易ではないので、一緒に燃やすということで条件を満たしたと考えることにして線香三本は麻幹の上に置き、着火器具を使って火をつけた。新聞紙を燃やしはじめた火は、まだ規模の小さい初めには、紙に使われているインクの作用か何かなのか、その外縁に美しい緑色を揺らめかせていたが、まもなく火勢が少し意外なほど容易に強まって、旺盛に燃えはじめるとその色は消えて全面が薄朱色に変わった。炎はあちこちから剣のように鋭くその先端を伸ばしては天を指すが、その形は本物の武器のような固さとは無縁で、複雑な曲線を一瞬ごとに柔らかく変じて植物のようにうねり移ろう。その様をしゃがみこんでじっと見つめているうちに、紙も麻もあっという間に燃え尽くして、黒ずんだ炭のなかに燠火が残るのみとなった。細い麻幹のなかには、まるで血管に血液の流れていくのが透けて見えるかのように、時折り紅の色が走ってぼんやりと赤らむ。もう一種類の火の残骸はもっとはっきりとして明るい朱の色だが、その現れはよほど小さく細く、寄生虫か何かのようにして炭の通路をじわじわと渡っていくのだった。最後の色が消えるまでそれを観察したあと、屋内に戻った。食事を取る頃合いである。何を食べるかと思いながら野菜の在庫を探っているうちに、豚汁でも作って米と一緒に食うかと思い付いたが、大根がなかった。玉ねぎと人参はあり、ジャガイモも一つだけだがあるにはある。それならカレーにするかと考えて冷蔵庫を見ると、ルーもあり、冷凍に肉の欠片も二つ、さらにひき肉も一パックあった。大鍋にたくさん作っておいて翌日もそれで凌げば楽だなというわけで、カレーを作ることを決定し、自室に戻ってBGM用に、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』のCDの一枚目を持ってきた。それをラジカセに入れて音楽を流し、肉は電子レンジで解凍させ、野菜をそれぞれ切ってざるに入れた。玉ねぎの猛攻に涙の溢れた目を洗面所で処理してから、肉を切り分け、ひき肉も加えることにして牛乳パックの上に少々加え、ニンニクの欠片と生姜を取りだした。鍋に油を熱して、細かく刻んだニンニクを放りこみ、生姜を半分すり下ろしてかき混ぜたのち、野菜を投入した。我が家の鍋は焦げやすいので弱めの火でしばらく炒めて、肉も加えてさらにしばらく、そして赤みがなくなると、水を注いだ。煮ているあいだに洗い物を片付け、ついでに生ごみもこれ以上出ないからと捨てておくことにした。通常ビニール袋に移し替えてバケツのなかに封じておき、可燃ごみの日に一緒に出すのだが、面倒なので林のほうに設けられている堆肥溜めに捨てれば良かろうと断じて、排水口のごみ受けを取りだした。水気が床に垂れるのを防ぐため水を張った鍋をその下に据えて持ち運び、玄関を出た。既にあたりは黄昏を過ぎて宵に踏みこんだ頃合いで、電灯のない林のほうは闇がわだかまりはじめていた。足もとも定かに見えないそのなかに踏み入り、木枠で囲まれた堆肥溜めのなかにごみをあけ、逆さにしたごみ受けの上から鍋の水を流した。それで室内に戻ってみると見事にごみ受けは綺麗になっていたので満足して戻し、沸騰しはじめた鍋から灰汁を取ると、忘れていた新聞を取りに行った。ポストをひらくと都知事選の通知葉書もあり、夕刊の一面にはトルコでクーデターかとセンセーショナルな話題が伝えられていた。マジかよと驚くようになってなかに戻り、野菜が柔らかくなるのを待ちながら台所に立って新聞を読んだ。おそらくその時点で七時四〇分あたりだったのではないか。それからジャガイモに爪楊枝を刺すと非常に柔らかくなっていたので、カレールーを投入し、溶けるのを待ちながら新聞をちょっと読んではまた投入し、と繰り返した。その後にケチャップを加え、さらに牛乳はと冷蔵庫を探ると、期限が翌日までの二〇〇ミリリットルくらいの瓶が一つあった。牛乳をそのまま飲むのは好まないので、それをすべて加えてしまうと嵩がだいぶ増えて水っぽくなったので、ルーを二つ加えて、味も大して見ずにそれで完成とした。八時一五分かそこらだったと思う。それで大皿に米をよそってカレーを掛け、氷の入れた水を用意して食べはじめた。おかわりをし、さらに三杯目も少なめに補充して腹を膨れさせたあと、食器を片付けると居間に吊るしたまま放置していたタオルを畳んだ。それで自室に帰って九時である。休日の気楽さに任せてだらだらとインターネットを回ったり、歌を歌い狂ったりギターをいじったりして、あっという間に一〇時半、そこからまた書き抜きを始めた。今度は知人のレポートである。Jim Hall『Live at Town Hall』を流して打鍵を進め、一一時半頃終えた。これでようやく書き抜きを待つ文書はなくなり、ノルマを果たして、『ベンヤミン・コレクション1』に打ちこめることになる。しかしその後読書に打ちこむところかまたおのれに怠惰を許して、自慰も済ませたのちに少しだけ本を読み、零時四〇分頃になって湯を浴びに行った。自分一人で風呂を沸かすこともあるまいとシャワーで済ませ、肌着は翌日洗うことにして籠に入れたまま、使った大小のタオル一枚ずつは居間の片隅に吊るしておいた。それでねぐらに帰り、歯磨きをして、二時まで一時間ほど読書をしようとベッドに転がったところが、二時にたどり着く前にいつの間にか意識が途切れた。気づけば四時二〇分である。何ということだと呆れながら便所に用を足しに行った。廊下を渡るあいだ、外からはヒグラシの鳴く声が響いている。部屋に帰って消灯し、カーテンを少しめくってみると、空気は既に明るみはじめて、この朝も曇天のようで色は灰に近いが、青みもかすかに差しこまれていた。窓をちょっと滑らせると、夜明けのヒグラシの声が、細く棚引く紫煙めいて入れ替わり立ち替わりに立って、まるで何か神々しいように輪唱する。窓を閉めるとアイマスクを付けて身を横たえ、眠りに向かった。



 結婚式のミサのとき、教会巡警が身体を動かした拍子に、小祭壇に坐っているブロンドの婦人の姿が見えた。高い鼻と青く鋭い目をした婦人で、すべすべした、新しい、光った、薄紫[モーヴ]色の絹のふわりとしたスカーフをして、鼻のわきにぽつんと小さなおできができていた。ひどく暑がっているように赤い顔をしたその皮膚の表面には、薄められていてほとんど気がつかないけれども、かつて人に見せてもらった肖像と類似の部分が認められたので、またとりわけ私の気づいたこの婦人の顔の特徴が、もしそれを表現しようとすれば、高い鼻、青い目など、かつてペルスピエ医師がゲルマント公爵夫人のことを説明するさいに用いた言葉とまさに同じものになるので、「この女の人はゲルマント夫人によく似ているぞ」と私は考えた。ところでこの婦人がミサに出ていた小祭壇はジルベール・ル・モーヴェのもので、そこにあるのっぺりした墓石は、ハチの巣のように金色に膨張して、その下には昔のブラバン伯爵たちが眠っており、また話によると、そこは(end306)ゲルマント家専用の小祭壇で、同家のだれかが儀式に出るためにコンブレーに来たときに使われるものであるのを私は思い出した。この日、つまりまさしくゲルマント夫人がそこに来ることになっていた当日に、この小祭壇のなかにいて、夫人の肖像に似ている人というのは、どうも一人しかいそうに思われない。つまり、これがあの人なのだ! 私の幻滅は大きかった。その幻滅は、私がゲルマント夫人のことを思い浮かべるときに、他の生きている人びととは別な時代の別な材料でできたものとして、タピスリーやステンドグラスの色を備えた人として考えていたくせに、そのことに全然注意を払わなかったところからきていた。それまで私はただの一度も、彼女が赤い顔をして、サズラ夫人のように薄紫[モーヴ]色のスカーフをしていようとは考えつかなかったし、卵形のその頬の線は家で見かけたいろいろな人のことをすぐに思い出させたので、一つの疑いが私の心をかすめたのである――もっともその疑いはすぐに晴れるのだけれども。すなわちこの婦人は、その発生の原理や彼女を作っているすべての分子において、おそらく実質的にゲルマント公爵夫人ではないのであり、その肉体は、人からゲルマントと呼ばれているその名も知らずに、ある種の女の型に属していて、その型には医者や商人の妻なども含まれているのではないだろうか。「そうなんだ、ゲルマント夫人というのは、そんなものにすぎないんだ!」 注意深く、また驚いた様子で、この像を見つめていた私の顔つきは、そう語っていただろう。もとよりその像は、同じゲルマント夫人という名の下に何度も夢にあらわれたものとは、なんの関係もなかった。なぜなら、夢のなかのように勝手に私が作りあげたものではなくて、ほんの今しがた教会のなかで、(end307)はじめて私の目にとびこんできたものであったから。それは同じ性質のものではなく、一つのシラブルの持つオレンジの色合いがしみこんだイメージのように、思い通りに色をつけられるものでもなくて、きわめて現実的なものなので、鼻のわきで赤くなっている小さなおできに至るまで、すべては、これが生の法則に従属していることを証明しているのであった。ちょうど芝居の大詰めで、単なる幻燈に映しだされた妖精を見ているのではないかと不安になったときに、その妖精の衣裳に皺がよったり、小さな指が震えたりしたために、実は生きた女優が肉体ごとそこにいることが明らかにされるように。
 だが同時に、秀でた鼻と刺すような目によって私の視覚にピンで留められたこのイメージ(おそらく自分の前にあらわれた女性がゲルマント夫人かもしれないということを考える余裕もないうちに、まずこの鼻や目が私の視覚に到達し、そこに最初の刻み目をつけたからだろう)、ごく新しい、とりかえのきかないこのイメージの上に、私は「これがゲルマント夫人だ」という観念を当てはめようとしたが、まるである間隔で離されている二枚の円盤のように、ただこの観念をイメージの前方でぐるぐる動かすことしかできなかった。けれどもあんなにしばしば夢想したこのゲルマント夫人が私の外部に実際に存在していることが分かった今、そのために、彼女は私の想像力に対していっそう大きな力をふるいはじめ、想像力は、期待していたものとまるで違った現実に接して一瞬麻痺したけれども、ふたたびそれに反応して私にこう語りはじめた、「シャルルマーニュ以前から栄光に輝いていたゲルマント家は、家臣に対して生殺与奪の権を握っていた。(end308)ゲルマント公爵夫人はジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの後裔である。彼女はこの土地の者などだれ一人知りはしないし、だれ一人とも知合いになることに同意しないだろう」
 そして――おお、人間の視線の自立の、なんとすばらしいことよ! 視線は人の顔に、非常にゆるく、長く、自由にのびちぢみする紐でつなぎとめられているので、視線だけが顔から遠く離れてさまようことができるのだ――夫人が死んだゲルマント家の人びとの墓の上にある小祭壇のなかで腰を下ろしているあいだに、彼女の視線はあちらこちらをうろつき、柱に沿って上にのぼり、教会の中央広間をさまよう太陽の光のように私の上にもとまりさえしたが、しかしこの太陽の光は、その愛撫を受けた瞬間に、意識のあるものと私に感じられた光だった。一方ゲルマント夫人自身は、まるで見知らぬ人びとに話しかけて遊んでいる自分の子供の大胆ないたずらや無遠慮な振舞いに目をつぶっている母親のように、身じろぎもせずに坐っているので、いったい彼女の手持ち無沙汰な心は、視線のさすらいを肯定しているのか非難しているのか、それを知ることも私には不可能であった。
 充分に夫人のことを観察しないうちに、彼女に席を立たれては一大事だと私は思ったが、それは自分が数年前からぜひとも彼女の姿を見たいものだと考えていたのを思い出したからである。私は彼女から目を離そうとしなかった。まるで私の投げかける視線の一つひとつが、高く秀でた鼻、赤い頬、といった夫人のすべての特徴の思い出をとり出して、それを品物として私のうちに保存しておけるかのように。そうした特徴のそれぞれが、彼女の容貌にかんする、貴重で、正し(end309)く、珍しい情報のように思われたのである。今では、私がもたらしたすべての思考が――またおそらくは、とりわけ自分自身の一番よい部分を保存したいという本能の一形態、つまりたえず人が抱いているあの期待を裏切られたくないという欲望が――夫人の顔を美しいと思わせるようになったので、私はふたたび彼女を(彼女と、それまで思い描いてきたゲルマント公爵夫人とは、同一人物なのだから)、ほかの全人類の外に位置づけたのだった――さきほどは、彼女の身体をただ単にこの目で見たというそのことが、一瞬のあいだ夫人をほかの人間の同類にしてしまったのだが。そして、自分の周囲で、「あの人は、サズラさんの奥さんやヴァントゥイユの娘さんよりおきれいですよ」といったように、ゲルマント夫人をこの人たちと比較できるかのような言葉を聞くと、私は思わずいらだつのであった。そして私の視線は、彼女のブロンドの髪に、青い目に、また襟足に立ちどまって、別の女の顔を思い出させかねない特徴を除き去り、そうやってわざわざ不完全なものにしたこのスケッチを前に、私はこう叫ぶのだった、「なんて美しい人だろう! なんて上品なんだろう! 今ぼくの前にいるのは、まちがいなく、ゲルマント家の誇り高き一婦人、ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの後裔なんだ!」 そして私は一心不乱に自分の注意深い視線で彼女の顔を照らしだし、それをまったくほかから切り離してしまったので、現在、この日の結婚式のことを考えても、夫人と、それから、私があれはゲルマント夫人かとたずねたのに対してそうだと答えた教会巡警以外には、列席者のだれ一人をも思い出すことができない始末である。だが夫人のことはありありと目に浮かぶ。とりわけ風が強く夕立にも見舞われたその日(end310)に、ときどきかっと照りつける太陽で明るくなる聖具室での行列に並んでいた夫人の姿が。その聖具室でゲルマント夫人は、名前さえ知らないコンブレーの人びとに混じっていたのだが、優劣の差は歴然としており、ひときわ高くぬきんでていたので、かえって彼女はまわりの人たちに心からの好意を覚えないわけにはいかなかった。それに彼女は、優美なところとくだけたところを振りまいて、ますます人びとを敬服させようと考えてもいたのである。だから、だれか知合いの人に向けるような明確な意味を持った積極的な視線を投げかけるのではなく、ただぼんやりとした思考が抑えきれない青い光の波となって、たえず自分の前方に流れ出るのに任せており、しかもその光の波が途中で出会うしもじもの者、たえずそれがぶつかるこの人びとに、窮屈な思いをさせたり、彼らを軽蔑しているように見えたりしないようにと心がけていたのであった。私には今でもありありと目に浮かんでくる、絹のふんわりとした薄紫[モーヴ]色のスカーフの上で、彼女の目が示していた静かな驚きの表情が。その目に彼女は、いかにも家臣たちに恐縮しているような、また家臣たちを愛しているような、女領主の少し臆病な微笑をつけ加えていたが、しかしそれは思いきって特定のだれかにほほえむというのではなく、みながそれを分け持てるような微笑だった。この微笑が、ずっと彼女から目を離さなかった私の上に落ちてきた。そのとき私は、ミサの最中に夫人が、ジルベール・ル・モーヴェのステンドグラスを通った太陽の光のような青い視線を私の上にとどめていたことを思い出しながら、こう自分に言い聞かせた、「そうだ、きっとぼくが目にとまったんだ」 私は自分が彼女の気に入られたのだと信じこんだ。彼女は教会を出てからも(end311)また私のことを考えるだろう、ひょっとすると私が原因で、その晩ゲルマントに帰ってからも寂しい気持になるかもしれない。そう考えるやいなや、私はたちまち彼女のことを愛していた。というのも、私たちが一人の女を愛するためには、ちょうとスワン嬢がそうしたと私が思いこんだように、ある場合には女が軽蔑をこめてこちらを眺め、私たちがけっしてこの女をものにできないと考えるだけで充分なのだが、またある場合には、ゲルマント夫人のやったように、女が好意をこめて眺め、こちらは、いつか彼女が自分のものになるかもしれないと考えるだけでも充分なのである。夫人の目はツルニチニチソウのように青くなった。それは絶対に摘むことのできない花であるが、それでも夫人なら私にこれをささげてくれたことだろう。また太陽は、雲に脅かされながら、それでもまだ全力をふるって、広場や聖具室に光を投げかけており、結婚式のためにそこに敷かれた絨毯、その上をゲルマント夫人がほほえみを浮かべながら進んでゆく赤い絨毯に、ゼラニウムの血の色を与え、こうしてこの毛織物に、バラ色のビロードのような肌ざわりを、光の表皮を、またあの華麗さや喜びのなかの一種の愛、一種のまじめなやさしさを、つけ加えるのであった。そしてこのようなものこそ、『ローエングリン』のいくつかのページ、カルパッチョのいくつかの絵を特徴づけており、またこのようなものこそ、ボードレールがラッパの音に甘美なという形容詞を当てはめることができたわけを、理解させるものなのだ。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へⅠ』集英社、一九九六年、306~312)

     *

 この日から、ゲルマントの方へ散歩に行くたびに、自分に文筆の素質がないこと、いずれ有名な作家になるなどという望みをあきらめねばならないことが、以前にもましてどんなに悲しく思(end312)われたことだろう! そのために感じた無念さは、みなと少し離れてひとりで夢想にふけっているときなど、私をひどく苦しめたので、この無念さをもう二度と感じないために私の精神は、苦痛を前にしてみずからに一種の抑制を課し、詩や小説のこと、自分の才能の欠如のためにもう期待できなくなった詩人としての将来のことなどは、いっさい考えるのをやめてしまった。するとそのとき、こういったさまざまの文学的関心とはまるで別のところで、それとはまったく関係なしに、突然、一つの屋根、一個の石の上にきらりと光る太陽の光、ある道から立ち上る香りが、特別な喜びを与えて、私の足をとめさせるのであった。それにまたこういったものは、私の目に見えるものの向こうに何かを隠していて、それをとらえるようにと私に呼びかけており、しかもどんなに努力してもそれを見つけだすことができなかったので、それもまた足をとめさせる原因であた。その何かがこれらのもののなかにあると感じた私は、その場に立ちどまって、身動きもせずにじっと見つめ、匂いをかぎ、思考によって像や香りのかなたに行こうとつとめた。またもし祖父に追いついて、散歩を続けなければならないとしても、目を閉じてそれらをふたたび見つけようとつとめるのだった。私は必死に、屋根の線や石の色合いを正確に思い出そうとした。それらは、なぜか知らないが充満していて、はじけそうであり、それらが単なる蓋がわりになってその下に隠しているものを今にも私たちに引き渡しそうに思われたのである。なるほど失ってしまった希望、いつかは作家か詩人になれるという希望を返してくれるのは、こういった種類の印象ではなかった。なぜならこれらの印象はいつも、知的にはなんの価値もない特殊な対象、い(end313)っさいの抽象的な真実と無縁な対象に結びついていたからである。だが少なくともこれらの印象は、わけも分からぬある喜びを、一種の豊かさとでもいった幻想を私に与え、偉大な文学作品を作りあげようとして哲学的な主題を探し求めるたびごとにかならず感じた憂愁や無力感から、気を紛らせてくれるのだった。けれども、これらの形や匂いや色の印象によって良心に課される義務――その印象の背後に潜んでいるものを見つけようとする義務――は、実にけわしいものなので、私はじきに口実をもうけてその努力をまぬかれ、その苦労を遠ざけてしまう。そんなとき、幸いにも家の者に呼ばれると、私は、今の自分には必要な平静さが欠けているからこのまま探求を続けても効果は上がらないと感じ、また家に帰るまではもうそのことを考えない方がよい、と思うのだった。そこで、一つの形や匂いに包まれたこの未知なるものにこれ以上かかわり合うのをやめてしまう。けれどもそれはさまざまなイメージの被いで保護されているので、ちょうど釣りに行かせてもらった日に、捕った魚をびくに入れて上から草をかぶせ、生きのよさを保ちながら家に持ち帰るように、この未知なるものも生き生きとした姿のまま家に連れて帰れると思って、私はすっかり安心している。ところがいったん帰宅すると別なことを考えてしまい、こうして心のなかには(散歩の途中で摘んだ花とか人にもらった物などが、部屋のなかに積み上げられるように)、光のちらついていた石、屋根、鐘の音、木の葉の匂いなど、さまざまなイメージが積み重ねられることになり、そのイメージの下では予感された現実が、私に充分な意志の力がなかったために、(end314)発見にまで至らずにずっと以前から死んでいるのだった。けれども一度だけ――いつもよりはるかに長引いた散歩の帰りに、日暮れも近づいたころ、嬉しいことに、全速力で馬車を駆ってきたペルスピエ医師に出会い、私たちの姿を見つけた医師がその馬車に乗せてくれた日であるが――私は同じ種類の印象を覚え、しかもそれを放棄せずに少しばかり深めたことがある。私は馭者のそばに乗せられており、馬車は疾風のように走っていた。というのも、コンブレーに帰る前に医師はマルタンヴィル = ル = セックにいる、ある患者の家に寄らねばならなかったからで、私たちはその病人の家の門の前で待つことになっていたのである。ところがある道の曲がり角で、マルタンヴィルの二つの鐘塔を認めたとたん、私はほかのどんな喜びとも似ても似つかぬあの特別な喜びを感じた。二本の鐘塔には沈む陽が当たっており、馬車の動きとうねうねした道のためにその鐘塔は位置を変えるように思われたが、ついでヴィユヴィックの鐘塔があらわれ、それは前の二つの鐘塔と丘一つ谷一つを隔てて、もっと高い遠くの丘の上に立っているのに、まるですぐ近くにあるように見えるのだった。
 (312~315)