2016/7/26, Tue.

 九時台のうちに一度覚めたはずだが、身体をベッドに押し付けられて起きあがれないままに時間が過ぎていき、一〇時を過ぎてようやく身体がいくらか動くようになった。ごろごろとうごめいてから一度起きあがってみると、腰やら背やら背面がやたらと凝って固く、すぐにまた倒れこんで再度ごろごろとした。しばらくしてから洗面所に行ってきて、枕の上に戻ると瞑想、一〇時二八分から四〇分までである。それから上がっていくと、母親は仕事に出かけて居間は無人だった。台所に入ると、ピンク色のプラスチック製の箱に弁当が作られており、米に青菜にミートボールなどが詰まっている。ほかに僅かに余っていたスープをよそり、ゆで卵を持ってテーブルに就いた。食事を取っているうちに一一時を過ぎて、皿を片付けてから風呂を洗うと、室に戻って一一時半である。上杉隆などについてインターネットを検索してのち、正午付近から書き物を始めた。労働は三時前から、勉強をする時間を取るために、一時半か四五分には出たいと思っていた。Joe Henry『Scar』の続きを流し、『Tiny Voices』もさらに続けて打鍵をし、一時一〇分頃に前日の記事は終えた。それから歯を磨きながら、浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』を読み、一時半を迎えると口をゆすぎに行って、さらに腕立て伏せを軽くやったのち、上階に行って制汗剤ペーパーで身体を拭った。戻ってくるとワイシャツとスラックスを着こみ、ネクタイも付けた格好でRichie Kotzenの歌を歌い、そうしているともう一時四〇分にもなる。出発の前に瞑想をしていくらか心身の英気を養いたいと、一時四二分から五二分まで枕の上に座って、眠気を少々溶かしてから室を出た。玄関を抜けるとそれなりの降りで、量感のある粒がそれでも斜めに曲がって軒下に入りこみ、押すように目の前に迫っていた。黒傘をひらき、それとポケットの小物以外には身に携えず、軽い身体で歩きはじめた。雨天のために弱い蟬鳴りのなかを上がっていって、街道を渡ると裏通りへ、特に見るものもなく黙々と進んだ。職場に着くと働きはじめて、五時間半ほど過ごして退勤したのは八時である。雨はまだ去っていなかった。およそくだらない仕事であり、できることなら今すぐやめたいと、労働への呪詛を胸中で撒き散らしながら裏通りを歩く。濡れた路上を白線が奥へと伸びていくその先に電灯の白さが落ちて、液体のような光のなかへと突っこんだ線が混ざってかき消されているのは、少し美しかった。帰宅すると居間でもうワイシャツを脱いでしまい、肌着も身から剝ぎ取って洗面所の籠に入れた。手を洗ってからおのれのねぐらに帰り、スラックスも脱いで下着一枚になるとベッドに転がった。しばらく身体を休めてから起きあがって、空腹の身体で瞑想である。八時四五分から五五分まで身体をぐらぐらさせながら座り、それから部屋を出て階段を上った。夕食はミートボールやらゴーヤやら肉やらが雑多に混ざった炒め物、このゴーヤは図書館に行ったら置かれていたのでもらってきたものだと母親は話す。ほかに米と豚汁をよそり、卓に就いて食べはじめながら夕刊を引き寄せ、畳んであったそれをひらくと一面に、例のセンセーショナルな情感を煽る黒地に白抜きの大きな文字で、障害者施設で元職員が刺殺の凶行に及んだことが伝えられており、それを目にした瞬間に顔をしかめるような気分になった。食事を取って室に帰ると一〇時、インターネットに繰りだしてニュースを見たり、都知事選の候補者のホームページを訪れたりしたあと、書き物に掛かった。この日の分の記事である。頭から書いていって、一〇時半になると一度風呂へ行った。出てくると居間は無人になって、オレンジ色の食卓灯のみが灯っていた。一旦ねぐらに帰ってインターネットをちょっと見てから上へ、雨はまだ降っているようで南の窓から響きが洩れてきた。蕎麦茶を注いで体重を量ると五四. 四五キログラム、急須と湯呑みを持って自室へ帰り、一一時半過ぎまでまた打鍵した。そこで中断し、残りは翌日のおのれに任せることにして新聞を読むと零時、続けてGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraをひらき、零時半まで語彙を復習した。その後歯磨きを済ませて、『ベンヤミン・コレクション1』を持ってベッドに移った。二時までは読み、場合によってはさらに三時まで読み続ける気概で横になり、本を掲げたところが、いくらもしないうちに意識を失って、気付けば時計は二時を指している体たらくである。苦々しい思いで、今日はもう仕方がないと、尿意も解消せずに瞑想もせずに、重い身体を布団の内に入れて消灯した。