2016/8/24, Wed.

 目覚ましは例によって六時に仕掛けているのだが、二時に眠ってはやはり睡眠が足りないようで、床に戻るとすぐに起きられずまどろんで六時半を過ぎた。気付いて起きあがり、六時四一分から五〇分まで瞑想をした。蟬の声が遠く、薄いようで、夏の終わりが近づきつつあるらしい。洗面所で顔を洗ってから上階に行くと、母親が既に素麺を煮込んでおいてくれたので、それを熱して、卓に就いた。父親も起きて、便所に籠っている。新聞を読みながら食べていると出てきたので挨拶をし、食器を片付けると自室に帰った。即座に歯磨きをして、大して時間もないが、七時二五分から読書を始めた。山川偉也『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』である。四八分まで読み、時間を手帳に記録しておくと、服を着替えて上へ、便所で腹を軽くしてから出発した。空気は灰色に淀んで薄暗く、さほどではないが雨が降っていたので、傘をひらいて歩いて行った。道中、何かしら印象深いものを見かけた覚えがない、ということは視線を落とし気味に散漫に思考を弄んでいたのだろう。職場に就くとすぐに働きはじめ、一二時半前に退勤した。その頃には雨は止んで、雲がちではあるが薄陽も洩れていた。横断歩道を渡っていると陽射しが急に溢れて目の前の路面が眩く照って、その暑さのなかを歩いて帰る気力がなかったので電車に乗ることにした。駅に入ると五分後に発車だったのでちょうどいいと切符を買い、乗ってしばらく待った。最寄りで降り、坂を下って帰宅である。ネクタイを外してシャツも脱ぐと、ねぐらに帰って下着一枚で転がった。そうしてだらだらしているうちに足りない眠りを補充することにして、目を閉じて呼吸を数えはじめた。すると回数がすぐさまわからなくなって意識が落ち、その後も断続的に一時間眠って、二時になった。空腹が極まって腹がぎゅるぎゅる音を立てていた。上がって行き、兄が義姉と北海道旅行に行った土産が前日届いたなかにレトルトカレーがあったので、二日連続カレーの昼食になるがそれを食うことにして火に掛けた。熱しているあいだに風呂を洗ってしまい、余りのサラダに豆腐を足して卓に並べ、食事を取った。後始末をして室に戻り、だらだらとポルノを見て射精したあと、四時前から書き物である。前日の記事を綴っていると、四時半を迎えたところで料理教室に行っていた母親が帰ってきた。この日はさらに夕方からパソコン教室もあるために、すぐに夕食の準備を始める気配だったので書き物を中断し、手伝いに上がった。ゴーヤ炒めを作ると言う。やたらと大きく太いゴーヤを四分割し、洗いながら中身を取り除いた。さらにピーマンを何個も切り、肉も用意するその合間に、母親は鮭をグリルに仕掛けており、香ばしい匂いが立っている。塩を振って揉んだゴーヤを少々茹でてから、すべて合わせてフライパンで炒めた。塩胡椒をさっと振って完成、下階に帰って、ベッドに仰向いて新聞を読んだ。そうして五時半である。その後隣室でギターを弄っていると、かつて一緒にバンドをやっていたドラマーのことを思いだしたので、コンピューター前に戻るとインターネットを検索した。変わらずまだ活動している。所属しているバンドの音源があったので聞いたあと、書き物に戻って、六時一〇分に前日の分を終えた。Tiziana Ghiglioni『Somebody Special』の続きを聞き終えるとイヤフォンを外して、この日の分も綴って六時四五分である。それからまたインターネットを徘徊して無駄な時間を費やしてしまい、Gabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraを読みはじめるのは七時半になった。寝そべって、擦り切れたようなペーパーバックと辞書とを交互に持ちながら八時一〇分まで英文を追い、そうして飯を食うために部屋を出た。母親がパソコン教室に出かけているので居間は真っ暗であり、カーテンの両側にひらかれたままの南窓が夜を切り取っていたが、空に掛かった薄雲のためその色は淀んでおり、夏の宵にしばしば見られる驚くほどの明るさと緑色の混ざった池のような感じはなかった。ゴーヤ炒めに薄味のタマネギのスープ、あとは鮭をおかずにして米を食べていると、八時半前になって母親が帰宅した。タイピングソフトを買わされたと言って、ディスクの入ったケースを差しだして見せた。最初は安いと思っていたけれど、やっぱり何だか、と洩らす。相手も慈善ではない、商売というわけだ。できるようになるかな、と母親はたびたび不安と疑念を洩らす。パソコン教室に通いはじめたのは、また何かしらの仕事を始めたくて、事務仕事でもやるにはコンピューターの知識がないと駄目だろうということで、ワードやエクセルなどを使えるようになりたいと言うのだが、実のところこちらは、それらのソフトを使いこなすようになる前に挫折するか、あるいは飽きてしまうのではないかという気がしている。本人ももう六〇近くちゃ駄目だねとしばしば後ろ向きなことを口にして揺れているようだし、何というか、動機の部分がこちらには抽象的なように見えてならないのだ。働きたいという願いは正確には、何かしらの生き甲斐のようなものを得たい、家事に占領される牢獄のような生活から逃れたいというようなことで(ほかには、働かざる者食うべからず的な観念による罪悪感のようなものも多少はあるらしく見えるが)、その願いを達成する手段は労働以外にもいくらでもあるはずなのだが、母親はそれしか知らないのだ。要するに母親はここにきておそらく初めて、本格的に生の空虚さというものに直面しているのだと思う。それは労働に復帰したからといって解消されるというような単純なものではないだろうし、また仕事を始めたら始めたで相変わらず母親は不満を洩らすだろう。生に纏わりつく虚しさを解消する、あるいは少なくともそれにうまく折り合いを付けてやっていくには、自身の欲望というものを発見し、それについて知らなくてはならないと自分は経験上思うのだが、内発的で持続的な欲望を幸運にも知ることのできる者はおそらく少数派で、多くの人間は多分、適当に騙し騙しやっていくのだと推測する。母親がこの先、自足に到るか、到らずとも多少はそれに近づくという未来は見えそうもないが、強い欲望――いわゆる生き甲斐というのは持続的かつ能動的な欲望のことではないかと思うのだが――など持たなくともそれなりに幸福を感じながら生きていくこともできるのだろうし、何にも取り組まないよりは自発的に何かに取り組んだほうが良いはずなので、結果としてコンピューターを操る能力が母親に身に付かなくとも、講座に通っているいまの時間が多少の気晴らしにでもなればそれで良いのではないかと考えている――そんな話はともかく、食事を済ませるとすぐに風呂に入り、自室に帰ると瞑想をした。九時四二分から五七分までである。それから歯磨きをしながら娯楽的な動画を閲覧し、またもだらだらと時間を費やしたのち、読書を始めた。一一時半過ぎから二時まで、山川偉也『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』を読み、瞑想をしてから就寝した。