2016/9/23, Fri.

 何時頃だったのかは定かでないが早朝に、一度覚めた――明確な胸焼けや不快感はなかったが、仰向けの姿勢で眠っているうちに、胃液が逆流してきて眠りを破られたのではないかという気がした。左向きの姿勢に直って再度寝付き、それから起床までのあいだに、また一、二回覚めたようで、夢を反芻した記憶もあるが、例によってその内容はもはや知れない。最後の覚醒は一〇時ちょうど、軽く、健康的なもので、アイマスクを外して針のぼやけた時計を確認したあとに、目を振って白い窓を眺めているうちに視覚が晴れて、意識も明るくなった。布団を横に剝ぎ、ちょっと脚を刺激してから起きて、便所に行って戻ってくると、瞑想をした。一三分間座り、そうして上階に上がった。母親は、テーブル上に領収書を散らかしながら、家計を計算しているようだった。前日の味噌汁を冷蔵庫から取りだして火に掛け、同じく残り物の野菜炒めも電子レンジで熱して、米をよそった。卓に就くと新聞を読みながら食事を取り、一一時頃になると片付けをして、そば茶を用意した。前日に買ってきたものだろうか、フィナンシェを食べるかと母親が言うので、一つ貰って室に帰り、そば茶を啜りながらインターネットに繰りだした。洋菓子をかじってみると、蜂蜜の風味が香り高く口内に広がって驚かれた。そうしてウェブ各所を見たのち、一一時半過ぎから書き抜きを始めた――読んでいる途中の、マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方Ⅱ』である。この本の返却期日は、九月二九日である。読んだ順番からすれば五巻のほう(もしくは夏目漱石吾輩は猫である』)を先にするはずだが、四巻は書き抜きが返却日に間に合わず既に手もとになく、五巻も一度返してまた借りることになろう。そんななかでこの六巻は幸い、書き抜き箇所が少なそうなので、二度借りなくて済むように、早めに仕事を消化してしまうことにしたのだ。打鍵の共連れになる音楽は、Joshua Redman『Trios Live』を、前夜の続きから流した。そうして四〇分ほどで終えると、Stevie Wonder "Don't You Worry 'Bout A Thing" をリピートさせながらベッドに乗り、柔軟に腕立て伏せ、背筋運動を行った。それからおそらく、風呂を洗いに行ったのだろう、上階に行くと母親が、また雨が降っているとこちらに知らせて、窓を見れば確かに空気が薄白く霧がかっている。浴槽を擦ってから戻ってくると、今度はAhmad Jamal Trio『But Not For Me』を聞きながら、日記の読み返しをした。Ahmad Jamal Trioのこのライブ盤は、前日と同様、残しておくべきか否か判断が付かなかった――読み返しを終えたあと、 "Woody'n You" の途中から次の "What's New" の終わりまで、じっと耳を傾けてみたのだが、独特の質感を持った演奏であることは間違いないものの、自分の好みからしてこの作品を繰り返し聞きたいのかどうかがわからなかったのだ。Ahmad Jamalというピアニストそのもの、そしてその音楽の構成方法には興味を惹かれたものの、自分の関心をより激しく惹き付ける、いわば名盤と言うべき作品はこれではなくほかにあるのではないか、と思われた。同時に、もう少し聞いてみれば感覚を吸い付ける何らかの素晴らしさが発見できるかもしれないという気もしたので、判断は保留として、一曲ずつじっくり聞いてから決めることにした。それから、日本史の勉強に入った。ベッドに寝転がって一問一答を顔の前に掲げ、江戸時代の事項をチェックしていき三五分で切り上げると、食事を取ってから三時間半ほど経って腹が減っていたので、ものを食べに上階へ行った。母親が既に昆布茶風味の野菜スープとチャーハンのおにぎりを作っておいてくれたので、卓に就いて『失われたときを求めて』に目をやりながら、それらを食べた。食器を片付けてから下階に戻り、歯磨きをしつつ英語に三五分ほど触れて三時である。便所に行って廊下を戻ってくると隣室に足が向いて、ギターを爪弾くことになった。ストラップを肩に掛けて立ち、適当にブルース様のフレーズを弾きながら、兄の棚の本を見分した。売っても良いと言われている棚のなかから古本屋に持って行くほどの価値のありそうなものを確認し、それから背の高い棚の前に立った。村上春樹1Q84』がハードカバーで三巻揃っている。そのうちの一つを抜きだして、どんなものかとめくってみたが、字面を眺めてところどころ読んでみてもまずもって会話が多く、その会話も何だか妙な臭みがにおうような雰囲気で、要するにまったくぴんとこなかったので、兄も繰り返し読むほど村上春樹を好んではいないだろうし、これはもう売ってしまって良いのではないかと考えた。それから自室に戻っても、棚の最上部に積んであった『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』をめくってみたのだが、同じように、読みたい気持ちがとんと起こらない。村上春樹はごく単純に興味の対象外、読書の優先順位において上のほうに上がってこない――様々な評判などから形成されたものか、何とはなしにこちらの性に合わなさそうなイメージを持っているのだ。実際どうなのかは勿論、その作品を読んで文章に直接当たってみないとわからないわけだが、そうするほどの関心も起こらない。村上春樹ほどの大きな名前には、小説好きとして一応触れてはおくべきではないかとの思いも過るが、批評家になろうとしているわけでもあるまいし、そうした外面的な事柄に殊更縛られるのも阿呆らしい話だ。ある分野に精通した職業人の広い教養などこちらの目指すところではないと断じ、単なる好事家、アマチュア的な愛好者としておのれの内的な興味関心を従うという姿勢を、これまで通り貫くことに決めて(こうした姿勢は音楽においても同様である)、これらの文庫本も(これももともと兄の部屋にあったもののはずだが)売り払ってしまうことにした。それから三〇分ほど、時間の記録に空白があるのでインターネットを逍遥でもしたらしい。そうして三時四〇分から、Marcos Valle『Vento Sul』(売却と決定した)を流して、書き物に入った。前日のものとこの日のものと、それぞれ三〇分を掛けずに一五〇〇字弱を綴って、四時半を越えたところで中断して出勤の支度を始めた。上階に行って肌着を脱ぎ、大きなデオドラントシートを一枚引きだして、それほど汗ばむような陽気でもなかったが、肌を拭った。そうして室に帰って服を着替え、瞑想をしてから、ふたたび居間に上がった。図書館に返す本――マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方Ⅰ』、ジュリア・アナス/大草輝政訳『プラトン』、J. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』の三冊――を持って出発、ポストから夕刊を取って母親に渡してから、歩き出した。路上は濡れて街灯の光を薄く宿しているなか、雨は降り止んでいたものの、本を剝き出しで運んでいるところにまた落ちてきたらまずいと考えて、傘を持った。街道に出てひらいた道の先、空へと視線を持ち上げると、一面に白さが染み入って、その上をさらに排煙じみた雲がかすかに漂って、夕刻を淀ませている。道路を数珠繋がりのように次々と向かってくる車の隊列は、半数程度、既にライトを灯しながら滑っていた。裏通りに入りながらサルスベリに横目をやると、足もとにはぱらぱらと紅色が零れており、雨に降られた枝先の花は、水気を含んで普段よりも勝ってくしゃりと、力を失って項垂れたようになって、いよいよ色味がすべて剝がされて、木が冬に向かって目立たない装いになるのも近いような風情だった。足音がほとんど立たないほどに柔らかく歩を踏み、雨に降られることもなく、本を左腕に抱えながら鷹揚に通りを進んで、踏切りを越えて図書館に入った。分館は午後五時まで、既に閉館時刻は過ぎているので、入口の脇にある小屋を模したようなブックポストに本を入れておき、道を戻って職場に向かった。駅前ではやはりこの時間になるとぴよぴよと、葉の落ちはじめているイチョウの木に群がって鳥たちが鳴き声を空中に響かせていた。労働から解放されるのは九時四五分かそのくらいになり、退勤すると夜道をまた鷹揚に戻った。途中で雨が降ってきた――降りはじめから粒が大きく、すぐに勢いが強まって頭頂を固い感触で連打するので、黒傘をひらいて残りの道を行った。帰宅すると手を洗い、室に帰って服を着替え、瞑想を行った。僅か二時限、時間にしてたかが四時間程度の労働であっても、それなりに疲れた感じがするものだ。それで七分で瞑想を切りあげて、飯を食いに行った。ナスの炒め物に唐揚げなどをおかずにして米を食っていると、母親が風呂から出てきて、一一時前になると父親も帰ってきた――この日は仕事のあとに、代々木体育館でバスケットボールの試合を見てきたらしい。母親がパソコン教室が難しい、エクセルがどうのこうのと父親に話しているのを拾って、エクセルを使えるからと言って、事務仕事ができるというものでもないだろう、と話した。母親が教室に通いだしたのは、そうしたソフトの使い方を身につけて事務職でも見つけたいという動機からだったのだが、実際に仕事で使うとなると通り一遍のことではなく、ソフトにそれなりに習熟して、それがどのような事柄に役立つのか広く理解していなければならない。母親がそんなレベルまで到達するのはとても無理だろうとこちらは見ていたものの、せっかく取り組みはじめている者のやる気を削いでも、と思って黙っていたのだったが、この日にはもう良いかと思って、先のようなことを指摘したのだ。母親も薄々、自分では無理そうだとわかっていたようで、「脳足りん」じゃ無理だね、と言う。それに緩く肯定しながら、でも、良いじゃないか、とりあえず習っておいて、文字でも打てるようになれば、と返した。いま母親が行っている商工会議所のパソコン教室は、当然ながらマニュアルが固まっており、講師も日毎に変わって、その質も長短あるようである。それで母親は、ほかの教室に移ろうかと携帯電話で調べはじめて、こちらの意見を乞うので、移るのは良いが、その先の指導形態がどういうものなのかよく調べないといけないだろうと、極々基本的なことを告げて、食器を片付けはじめた。父親が風呂に入っていたので室に下りて、待ちながら本を読み、一一時四〇分頃から入浴した。出てきて台所で水を飲むと、流し台に放置された食器が目に入る。ソファに就いて、テレビを見ているのか見ていないのか、視線を伏せるようにしながら歯磨きをしている父親が使ったものだが、大方食器乾燥機に皿が溜まっているのを整理するのが面倒で、そのままにしているのだろう。阿呆らしい、と思い、そのくらいのことならあとで自分がやってやる、と決めて、室に帰った。そうしてふたたび、寝床に転がって脚の張りを和らげながら読み、一時半を回ったところで食器を片付けるために部屋を出た。真っ暗闇の上階に上がって行き、用を足してから、台所の明かりを灯して、甲高い音をなるべく立てないように食器を棚に戻し、放置されたものを洗って乾燥機に収めた。さらに、排水口の物受けから溢れんばかりになっている生ごみも気に掛かって、処理しようと思ったところが、黄色いバケツの蓋を取ってみるともはや満杯である。冷蔵庫に張ってあるごみ収集のカレンダーを調べると、可燃ごみは木曜日、前日に収集だったところが、母親が旅行でいなかったので出さなかったのだ。それ以降は月曜日まで待たねばならず、まだ二日間の距離がある。こんなことなら早めに気づいて始末しておくのだったと悔やみ、ちょっと考えてから、前にもやったように、外の堆肥溜めに捨てに行くことにした。物受けを取り、水を入れた鍋のなかに入れて、音を立てないよう慎重に玄関を開け、深夜二時前の涼しい夜気のなかに出た。空を見ると、東の方角に、下部に弧を描いた半月が雲間から現れて、青白いように光っていた。それで道路を渡り、林に接する敷地の、まったくの暗闇のなかに入っていき、堆肥溜めの前まで来ると、手もとが見えないまま物受けを引っくり返し、その上から鍋の水を注いだ。そうしてなかに戻り、器具を戻すと汚れた手を洗面所でよく洗って、自室に帰った。そうしてふたたび読書に戻って、二時過ぎまで読むと、便所に行ってから瞑想に入った。窓を閉ざしていても、外から秋虫の声がガラスを通過してよく響く。それを聞きながら一一分座り、前日よりも一〇分早く、二時二〇分に消灯した。手をだらりと身体の脇に広げて、静止しながら呼吸を続けているうちに、支障なく眠りに入った。