2016/11/24, Thu.

 朝になって、布団に入ったまま上体を起こすと、窓の向こうで、数日来の予報通りに雪が降っている。ガラスの左下は結露に覆われてぼやけ、それでなくとも夏に育った朝顔の、萎びた残骸のくっついたままのネットが視線を妨害するが、それでも隙間から、近所の家屋根やら梅の木やらが、既に白く染まっているのが容易に見て取れる。

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 頭を枕に載せたままで、カーテンを開けた窓を凝視すると、何の印もない灰白色の平面が視線を吸いこむが、しばらく見ているとその上に、ほとんど背景と同化した雪片の舞が視認される。それなりの降りのようである。大方は水平寄りにゆっくり流れていくようであるそのなかに、時折り、嵩の大きくて重いのだろう、すっと縦に流れを離れて、孤立して落ちていくものが見られた。

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 ものを食べながら見やる窓は、結露が周縁から黴のように侵蝕して、外部の明確な像を保っているのは真ん中あたりの小さな範囲のみである。ぼやけた部分の向こうには白さが、形を成すことなく曖昧に広がって、そうして窓のほとんど一面が白さで繋がれると、いかにも降雪のなかに閉じこめられているような感じがした。

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 雪はまだ降り続いており、空気はさすがに冷たい。母親が降るもののなかに出ていくのにすぐには続かず、扉を抜けたところの軒下に立って、しばらく降雪を眺めた。緩く角度を作ってゆっくりとした降りの雪片が、あとからあとからやって来て去ったもののあとを継ぎ、宙を埋め続けて流れの途切れる隙もない。そのうちの一つに目を寄せてみれば、無害な虫のようにも見えて、すると途端に、目の前を落ちていく大群が、降っているあいだだけきらめく生命の粒の様相をかすかに帯びる。その網の向こうで、林の木々は黄褐色やら臙脂やらに色付いているが、その上にもまた白さが乗って彩りを差し挟んでいた。玄関から下りる階段は先ほど、母親が片付けたようだが、その上からまた新たに薄く重なって行くものがある。隣家とのあいだにある階段通路を片付けるようにと指示が出ていたので、ジャンパーのフードを被り、箒を持って、隣の老婆の勝手口に続く細い階段に入った。つかまる手すりが大層冷たく、手に痛い。溜まった雪を箒で、脇に寄せると、大方溶けて雪というよりは氷と水になっているので、液体の音が立つ。一段ずつ下って行き、また上がって行くあいだ、フードで区切られた狭い視界の外から、それこそ力尽きた羽虫のような雪の欠片が零れ落ちてきて、地に到ればその小さなもののなかにも厚みがあってそれぞれ特有の形の歪みを持っているようで、一挙にではなくじわじわと、寄り集まったものが少しずつ剝がれていくように、白さが諸所から失われて行き、苔の長く棲みついて同化し、濁ってしまったかのような段に染みこんで、無色になる。それをまた掃いて片寄せながら上がり、道路の脇を歩くと、風がなくとも雪は僅かばかりの気流に乗って、斜めに胸に当たり、またフードに囲まれた顔にも触れたがる。

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 裸になって浴室に入ると、さすがに空気が冷たくて肌が固いようになって、湯のなかにいきなり飛びこむ勇気も出ないから、まずは蓋を開けて両手を突っこんだ。それから膝立ちになって、脚の先からだんだんと湯を掛けて行き、濡れた身体を露出させているとそれがまた寒いので、縁を跨いでゆっくりと浴槽のなかに浸かった。まだ二時半そこらとあって、室は明るい。磨りガラスの窓には勿論白さが宿っているが、そこから入ってくる明るみも、タイルの壁に掛かればくっきりと平坦に白く、そこからさらに湯気の合間に広がって、これほど明るい時間に風呂に入ったことは長くないから、何とはなしに気分が良かった。と言って空気は冷たく、湯のなかに入った下半身は良いが、静止していると、縁に載せた腕から肩までが冷えて敵わない。

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 玄関から出ると、木々の上に溜まった雪から溶けだした水がひっきりなしに落ちて地を打っており、雨音めいた響きがあたりに充満している。時折りそのなかで、枝の上の一団が崩れて、強くざらざらとした音を立てる。その下をくぐっていかなければならず、歩きだしてから傘を持てば良かったと気付いたが、戻るのが面倒に思われて、仕方なしに落ちるものに打たれながら行った。坂に入っても、両側から木が伸びて天を覆っているから、変わらず何かの罰のようにして上から当たられて、スーツのあちこちに水の染みができる。頭上がひらいたところまで行くと、ハンカチを取りだしてそれに押し当て、拭いながら進んだが、そうして水気を吸ったハンカチがまた手に冷たい。坂を抜けるとようやく、ポケットに両手を突っこむことができた。街道の向こうに並ぶ林はやはり、白さを添えられて常にない楚々としたような風情に静まっている。街道に出ると歩道に雪が積もっていて、また手を寒気のなかに出さなければならない。指先をひりつかせながら、先人の開拓したあとを慎重に辿って行くと、下校する中学生たちも仲間と連れ立って、ささやかな非日常の感に陽気になって騒ぎながら、雪の上を帰って行く。一一月に東京で降るのは五四年ぶりと言うが、過去の記憶と思い合わせればそれほどの雪ではなかった。表の歩道も、通った者が多い箇所は既に大方綺麗になって、また沿道の住人が処理したのもあろう、それほど足を煩わせない。強く厚く降って人々をしばらく悩ませた雪の記憶と言えば、二〇一四年の二月七日の、こちらにとっては祖母が死んだその夜から始まったものである。午後八時頃だろうか、九時頃だろうか、まさしく死体を病院から家に運ぶその頃合いから降りだして、道路が凍る前の隙をついて何とか持って来れた形だった。その翌日も、ほとんど一日に渡って降っていた覚えがある。その次の日に、こちらは出かけたが、脚を雪に苦しめられながら行くその道中、あれは日曜日でもあったためだろう、裏通りの家々から住人たちが老いも若きも道に出て、皆でわいわいと話しながら雪を片付けており、普段は白けたような田舎町の空気が、雪降りのおかげでかえって陽気に温もりを帯びていたのを目にしたものだ。そうした記憶を思い返しながら裏に入ると、今回は平日ということもあって、片付けている人影は、ちらほらというほどもないし、そもそも片付けるほどのものは少ないそのなかで、中高生のみが活気づいて帰路を行っている。路上にはそれでも、氷の欠片がまだいくらか、薄く貼り付いて広がっている。目を凝らして、その罠のもっとも薄いところを見極めて通って行くのだが、見通すと先のほうのアスファルトは、濡れた表面に雲の逃げはじめた空の色を映し返して、薄青く発光している。そのなかにぽつぽつひらいている水溜まりは、そのまま鏡で、淡青の合間に降り残しのような雲がうろつく空を、くっきりと取りこんでいる。その発光も鮮やかな像も、近づいて足もとになれば色味を失って暗く沈むのだが、先に視線を転ずれば、また新たな反映が生まれているのだった。

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 電車で帰ろうと駅に入って、自販機でココアを買った。飲みながら線路に向かって立つと、向かいに建設中のホームの土台に雪が積もって、まだ誰にも侵されずに見事に板状に保たれて、二層になったホワイトチョコレートのようである。ココアで温もった息を吐きだせば、宙に生じる石灰色のうねりが頭上の電灯を透かして、少々粉っぽい質感を帯びて、ざらつきを瞬間、空中に忍びこませる。

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 最寄りに降りて、階段を下りると、通路を抜けたほとんどその一歩目から触れんばかりに、あたりには楓が落ちて足もとを埋め尽くしており、和紙の小片を貼り合わせて、視線を滑らせればその行き先が赤と黄と茶の色が不断に移り変わるなかに囚われてしまうような、調和的な抽象画を作ったようになっている。過ぎて入った坂道にも、こちらは楓のものではないが、同じように落ち葉が重なり合ってほとんど隙間もない。上ってきた車のライトがその上を舐める瞬間に、色が露わに湧きあがるが、それが過ぎてしまうと足もとは電灯も届かない暗がりに沈んで、靴が踏むのは影のみである。