2017/12/18, Mon.

 前夜の就床時に三〇分の長きに渡って瞑想を行って(背や脚に汗が湧いてぷつぷつとした刺激を感じるくらいだった)心身を静めてから眠ったはずなのだが、起床は例によって正午を過ぎてしまった。一応、瞑想のために目覚めが軽くなるということはあって、八時頃か早い時間から何度か覚醒があったのだが、やはり身体を起こすことができない。ここを何とか解決しないと、睡眠時間の削減はいつまで経っても望めはしない。起きるとダウンジャケットを羽織って、一二時半前から枕に座った。二〇分を掛けて心身の調子を整えると、上階に行く。
 洗面所で顔を洗い、髪に水をつけて寝癖を押さえておくとともに、嗽をした。(……)新聞からは、「車いす男性射殺に怒り ガザ衝突 イスラエル軍が発砲」と「駆逐「イスラム国」4 過激派 アフリカ侵食 貧困・政情不安 つけ込む」という二つの記事を読んだ。食後、息をついて窓のほうをぼんやりと見やれば、光の豊かな晴れ空の昼であり、山の姿が薄いようになっている。なかに少々、明るめの丹色が疎らに差し込まれている。
 風呂を洗(……)。そのまま洗濯物を取りこんで畳んだあと、下階に帰る。ほとんど間を置くことなく、二時直前から日記を書きはじめた。いい加減、一六日の分を仕上げなくてはという気持ちがあったのだ。一時間半を費やして完成させ、ブログに投稿した(……)運動を行った。tofubeatsの曲が流れるなか、息を長く吐きつつ、自分としては結構念入りに柔軟運動を行ったつもりである。ベッドの上で身体を前に折り曲げながら深呼吸をしていると、いわゆる「インナーマッスル」と呼ばれている深層の筋肉(これが一体どのようなものなのかまったく知らないが)が動くのだと思うが、おそらくそれに連動して上半身の表面に近いほうの肉もそれぞれに蠢くのが良く感じられる。
 そうして上階に上る。ゆで卵と即席の味噌汁を食べていると、インターフォンが鳴る。(……)
 それにしても、(……)の例を見るにつけても、きっと多くの人間の場合、「実存の危機」と呼ばれるような類の事柄が人生のうちで一度は到来してくるのだろうなと思われるものだ。自分の場合は比較的早い時期にそれに遭遇し、一応乗り越えて来たつもりだが、これはおそらく年齢にはあまり関係なく、人によってどんな年代にあっても生じる可能性があるのだろう。これはまた、いわゆる「承認」の問題とも密接に関連しているはずだ。(……)の場合、以前は非常に活発な人で、声も大きく、ともすればがはは、という笑い声の擬音が似合いそうなイメージすら残っており、そのように外向的な性分だったのでやはり多くの人と付き合うあいだにあって居場所を得ていたのだろう。あちらの事情を詳しく知らないのでこれは根拠のない推測でしかないものの、こちらが考えるにおそらく、年寄るにつれて身体の調子も奮わなくなってくる、周りでは死ぬ人も出始める、それまでの仲間との付き合いも薄くなっていく、さらに家庭内ではあまり重んじられている実感が持てず、冷ややかに当たられて孤独を抱える、とそのような要因が重なってどんどん気持ちが暗くなっていったのではないだろうか。それまで多くの人々との付き合いのなかに安住して、そうしたあり方しか知らなかった人間にとって、孤独と疎外のなかに放り込まれれば、それは鬱病(あるいは本人が言うところの「ノイローゼ」)に陥ることだってあっておかしくはない。自分で自分を大部分「承認」できれば話は早いはずだが、多分そうしたことは多くの人間にとっては難事なのだろう。
 そうした話は措いて、(……)を送って帰ってきたあとは、外出の支度を始めた。歯磨きをして服を着替えると、四時五〇分頃に出発した。当然だが、寒い。坂を上って辻まで来ると、ちょうど行商の八百屋のトラックが入ってきたところで、車を停めて降りてきたそちらに挨拶を投げて、ほんの少し言葉を交わしてから過ぎた。街道を行き、裏に入る。道中、特段意識に留まった事柄はないようだ。前日にも考えた「瞬間の芸術作品化」とか、「目撃者の生産」というテーマ周辺の思考を反復して思い巡らせていた。
 (……)
 帰路も特段のことはない。勤務の終わりに、ボランティアとして(……)をちょっと手伝った。こちらとしては(……)の助けになればと思ったのだが、これは時間外勤務(残業)を自ら進んでやったことになり、電通の問題などがあって「働き方改革」とやらがかまびすしい昨今、会社のほうでもそのあたりには敏感になっているだろうから、(……)の立場からすると、かえってありがた迷惑だったかもしれないなと、そのようなことを考えながら帰った。
 着くと着替えてすぐに食事を取る。夕刊から、「「エルサレム首都無効」決議案 エジプト提出 安保理 米の拒否権必至」という記事を読む。そのまま風呂に入る。出ると一〇時前、部屋に戻って瞑想をする。(……)を読み、インターネットを少々回ってから音楽を聞き出す。Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "Detour Ahead (take 2)"、Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』: #5)、THE BLANKEY JET CITY, "僕の心を取り戻すために", "胸がこわれそう", "RAIN DOG"(『LIVE!!!』: #3,#12,#13)、Art Tatum, "Tea For Two", "St. Louis Blues", "Tiger Rag", "Sophisticated Lady", "How High The Moon", "Humoresque", "Someone To Watch Over Me"(『Piano Starts Here / Gene Norman Presents an Art Tatum Concert』: #1-#7)、Bill Evans Trio, "All of You (take 3)"で一時間強。入手したものの耳にできていない音源をがつがつと貪欲に聞いていきたいと思うものだが、まずは最近図書館で借りたものから触れてみようということで、半端に聞いていたArt Tatumのアルバムをもう一度聞きはじめた。冒頭の四曲は一九三三年の音源で、『Piano Starts Here』などというタイトルになっているが、むしろこの時点で既に、ある一つのピアノ演奏の形というものが終わってしまっているのではないかと思われるほどである。音を詰め込みすぎているとか、膨張的に過ぎるとか、きらびやかな駆けくだり/駆けあがりの反復が多すぎて「くどい」とか、そうした感想も諸々生じるのではないかとは思うが、それを含めてもこちらとしてはやはり凄いと言わざるを得ず、この路線ではもうこれ以上先には進めないな、ここから引き返して方向転換を図らなければならないなという地点に多分至っているのではないか(ピアノという楽器に触れた経験がほとんどないので、至極曖昧な印象に過ぎないが)。"Tiger Rag"を聞いているあいだには、ほとんどテーマパーク的な演奏だとの形容/比喩が浮かんだ。音楽を聞きはじめた時には意識に眠気が薄く混ざっていたようだったが、Bill Evans Trioを通過すると頭が晴れてきて、目を閉じて集中しているあいだ、次第に身体も軽くなってきたようで、終わりにもう一度"All of You (take 3)"を聞くと、最初とは格段に違った鮮明さで楽しむことができた。
 音楽を聞くとちょうど零時である。日記を書きはじめる。一二月一七日の分を完成させ、この日の記事も少々記す。そうして一時四五分、読書に入った。三時一五分まで一時間半を過ごして、パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』はこの日、二一八頁から二五一頁まで読んだ。瞑想を一七分間行って就寝である。