●段々と、頭の調子が良くなってきていると思う。気分も比較的明るく、悪くない。昨日は両親と兄夫婦とその赤子と合わせて家族六人でいちご狩りに行き、その後、兄夫婦の宅で寿司など、美味い飯をいただいた。ピアノを弄らせてもらい、ぎこちなくブルース進行を奏でたり、その場で適当にメロディを拵えたりして遊び、楽しかった。赤ん坊とたくさん触れ合うこともできた(ただ、我が姪である彼女がこちらの顔を正面からまともに見つめる時、大体いつもぶすっとしたような顔をするのがちょっと気になりはした。そうしてすぐに顔を背けてしまうのだ。嫌われているのだろうか?)。
●前夜、入浴の際に考えたのだが(と言うよりはやはり、頭が勝手に動いたと言いたくなるのだが――皆さんは何かものを考える時、思考を展開し、組み立てようとする時、自分がそれを定かに統御できているという確信があるのだろうか? 自分はどうもそのあたりの、思考の所有感のようなものが薄く、どうしても頭が自動的に動いているように感じられてしまう)、最近の自分の症状の一つとしては、暴走した相対化=懐疑とでもいうようなものがあった。まず、ヴィパッサナー瞑想や自分自身の生活を習慣的に書き綴る営みによって、こちらは自己自身をかなりの程度客体化してしまったのだと思う。思考が自生的に感じられるのもそのせいかもしれないのだが、その点の真偽は不明としても、この自生的な思考が暴走して、懐疑を差し向ける必要がない事柄に対しても疑いの声を(自動的に)差し挟む、ということが起こったのだ。例えば、ものを食べている時に「美味い」と思ったとする、「美味い」という言葉が脳内に湧いたとする、ところが即座にそれに続けて、「本当にそうか?」というような疑いの言葉までもが湧いてくるのだ。こうして書いてみると滑稽なような、まるで馬鹿げたような話に思えるかもしれないが、自分の感覚や感情に対してまでもそのような疑いがたびたび差し向けられるとなると、自分が今どのように感じているのかが確かでなくなり、自己というものが見失われてしまいかねない。それに対する不安、自分の感情が自分でわからなくなってくる、というような不安があった。
●自分の頭は何故か、懐疑をするべき事柄と、懐疑をするべきでない事柄の区別がつかなくなっていたのだ。「方法的に」ではあるが、すべてを一度疑ってみようとしたデカルトは、自分が狂気に近づいているということを感じなかったのだろうか? 勿論、懐疑の能力は人間においてある程度必要であり、ものを考えるということを自己の営みとすることを選ぶ人間にとっては、重要なものであることは言うまでもない。そうした能力を備えていた点において、自分は明らかに正気だった。ただ、正気があまりに行き過ぎたが故に、それで狂気に接近していたのではないか、という気がする。
●今現在、生活のなかで様々な行動をしながらも、同時に、断片的でまとまりのないようではありながら、はっきりとした言葉で聞こえる脳内の独り言がある状態である。それは、本当は「自生思考」という類のものではなく、自己客体化によって思考が自生的なものとして感じられ、さらにそれが不安神経症の対象になってしまっただけなのかもしれないが、ともかく、またあまり思念が暴走しすぎるのも怖いので(一月四日頃には、言語が常に頭のなかを渦巻いて止まず、目の前の世界の実在感が薄れてくるほどだった)、アリピプラゾールという、自生思考を抑えるらしい薬を今日から飲みはじめたところである。その効果のほどはまだ知れないが、一応このようにして、思考を組み立て、文章化することができており、今、この文章を作りながらも不安はないので、自分の頭は大丈夫だと思う。
●午前、久しぶりにこのようにして文を書く。その後、一〇時頃になって上階へ。母親とともに、雛人形を片付ける。ぼんぼりや男雛、女雛などを古くなった紙で包み、箱に収めて、押入れのなかにしまっておく。それから仏間に掃除機を掛けたり、濡れ雑巾でテーブルを拭いたり、そのほか、段ボールを紐で縛って、家の外の物置に運んでおいたりもする。
●その後、一一時頃になって外へ。母親が、梅の枝を取ると言う。陶芸教室で作ってきた一輪挿しに挿すためである。こちらは先に出て、家の南側に回り、もう枝の両側に花を連ねている白梅の樹を眺めたあと、父親の作った木製の椅子に腰掛ける。陽で温まった椅子が温もっている。じきに母親がやってきて、こちらの横に座る。その後、斜面に生えている紅梅の枝(まだほとんど蕾のままだったが)を鋏で切り取った。
●なかに戻ると、昼食の支度を始めた。前夜に茹でたうどんの残りを、豆苗にブナシメジや鶏肉などと混ぜて、焼きうどんのようにする。やはり残り物のコロッケと、即席の味噌汁を合わせて、もう食事にする。一一時半過ぎだったと思う。
●正午を回って室へ。インターネットを回ったり、日記を読み返したりしたのち、読書。ハンス・エーリヒ・ノサック/香月恵里訳『ブレックヴァルトが死んだ ノサック短篇集』。一時直前から一時間。ノサックのこの短篇集は、面白いのかどうなのかいまいちわかりかねているのだが、「六つのエチュード」のなかの「ペンナイフ」や「汝の敵を殺せ」といった篇には、まったく根拠のない曖昧な連想なのだが、何かカフカを思わせるところがあるような気がする。「観察」や「ある犬の研究」なんかの感触を何となく思い出すようだったのだ。
●二時半ごろから書抜き、南直哉『日常生活のなかの禅』。その後、ベッドで布団を身体に被せながら、ふたたび読書をした。ハンス・エーリヒ・ノサック/香月恵里訳『ブレックヴァルトが死んだ ノサック短篇集』を最後まで読み終える。全体としてやはり、まるでつまらないということはないものの、面白いのかどうなのかよくわからない本だったのだが、それでもノサックはほかの作品も読んでみたい気がする。特に、おそらく一番有名で岩波文庫にも入っている『死神とのインタビュー』は、古井由吉が何かの企画で、気に入りの三冊を選ぶというような時に挙げていたので、重要なのではないか。
●四時半頃になって、やや早い時刻だが、夕食の支度をすることにした。葱を炒めたらどうか、また、鳥のササミが一つだけ残っているので、野菜と合わせてサラダにしたらどうかということを母親から聞いていた。上階に行く前に(……)のブログを覗くと、三月一〇日の記事の冒頭に引かれている斎藤環『生き延びるためのラカン』の記述で、精神病者は「責任のある大人として振る舞うことを要求される場面」、「他者からアイデンティティを問われるような場面」、そうした状況におかれると症状が発現する、という解説があり、それを読んでまた、自分もいずれそうした場面に立ち会って統合失調症を発症してしまうのではないかと不安になった。それで、ちょうどこの日の二度目の服薬に良い時間だったこともあって、薬を飲んで上階に行き、食事の支度を始めた。
●胡瓜をスライスしたり、モヤシを茹でたり、鳥のササミを茹でたりしてサラダ(ほかの具はオレンジ色のピーマンと、ワカメスープの素)を拵えつつ、一方で葱を切り、肉と合わせて炒めて、醤油を少しだけ垂らして味付けとした。汁物としては、玉ねぎの味噌汁を作った。それで時刻は多分、五時半頃ではなかったかと思う。遅れ馳せに、小沢健二『刹那』をラジカセで流しはじめ、食器を洗い、それから台所を離れて、ベランダに出ていた足拭きを取り込み(この時、下方に(……)が見え、互いの存在を認識して何となく会釈するような雰囲気になったので、こんにちはと声を飛ばした)、アイロン掛けをする。
●アイロン掛けをするあいだ、最近の自分の症状について、独り言をかすかに声に出しながら(頭のなかで展開するのに任せているのではなくて、実際に口を動かして発語したほうが考えがまとまる感じがするのだ)考えを巡らせた。まず、殺人妄想のようなものについてはほとんど収まった。それでも例えば、料理をするために包丁を目にすると、それが即座に「殺人」「殺害」という観念と結びついて何がしかのイメージが瞬間的にちらついたりする、ということはあるのだが、これはやはり、要は加害恐怖の一種なのではないかと思う。自分は絶対に人を殺したりはしない、殺したくはないという思いが、不安神経症の性向によって、かえってそれを考えてしまうという方向に転じているということだ。そして、ここで話が込み入ってくるのは、自分においてはこの殺人に対する不安が、「狂い」に対する不安と絡みついているらしいということである。ここで言う「狂い」というのは、物事についての正常な判断力を失い、何かとんでもないことをしでかしてしまう、というような状態として想定されている。そしてさらに、その「狂い」の象徴というか、自分の頭のなかで具体的な病名としてそこに結びつけられているのが、統合失調症であるらしい。勿論自分は、統合失調症患者が必ずしも反社会的な行動を起こすわけではない、と言うか、そのような患者がいたとしてもそれは極々少数だろうということは理解している。しかし、そう理解しながらも、自分の精神のうちで、上のような、殺人―狂い―統合失調症という意味的連関がどうも出来上がってしまっているように思われる(実際、料理のあいだに夕刊を取りに行ったのだが、あるいは午前のうちでニュースで目にしてもいたのだが、女子中学生を誘拐監禁した事件の被告が、統合失調症で責任能力を失っていたと主張しているという情報に接した時(この主張の真偽自体は定かでなく、裁判では退けられたようだが)、自分もいつかそうなってしまうのではないかというような不安が生じた)。まとめると、自分はこの自分自身が、自生思考の行き過ぎによって統合失調症を発症し、自己の定かさと正常な判断能力を失って、例えば殺人のような、取り返しのつかないようなことを行動に移してしまうのではないかと恐れている。
●こうした恐れにはまた、自分の「自動感」も関わってくるのだが、あまりこうしたことを考え、記述するのも良くなさそうなので、今のところはここまでに留めておく。アイロン掛けを終えて下階に戻ってくると、まず、(……)に電話を掛けた。最近はどうしているのだろうと思って、日中、久しぶりに(五年ぶりくらいでないか)メールを送ったのだが、アドレスが変わっていて届かなかった旨が即座に返って来たので、通話を試してみたのだ。予想通りだが、相手は出なかったので、留守番メッセージに対して名を名乗り、久しぶりに顔を合わせて話でもできたらと思っていますなどと言葉を残しておいた。それから日記をここまで記述して、現在、六時四〇分である。今日はこのようにして文を書いてみようという意思が起こったわけだが、明日もそれが生じるかどうかはわからない。あまりまた傾注しすぎても良くないだろう。ゆっくりとやって行きたい。
●その後、小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』を背景にして、運動。そうして歌を歌っていると母親が帰ってきたので、食事へ行く。上階に上がると、母親は既に食事を取りはじめており、こちらが料理をしておいたことについて、ありがとう、助かるよと言ってくれた。皿にそれぞれの品を用意して食事を取るあいだ、テレビは『YOUは何しに日本へ?』である。仕事も何も捨て置いてスペインから日本に家出をしてきたという青年が出演しており、細かな事情は知れなかったが、何もかも嫌になって投げ出してしまいたい、そんな時もあるだろうなと母親と話し合った。八時になると、今度は、糠漬けが好きなドイツ人の女性(しかし出身はリトアニアと言っていたような気がする)が日本に招かれて糠漬けについて学ぶ。傍ら我々は、前日に兄夫婦から貰ったものだが、バターバトラーというフィナンシェを賞味した。食べると母親は早速、(……)にメッセージを送っていた。
●その後、入浴する。出ると九時過ぎだった。母親はまだ炬燵テーブルに就いていた。月曜日は、テレビ東京は異文化交流的な番組を三本続けているようで、今度は、ペルーに暮らしている日本人を訪ねて行く、という番組がやっていた。ソファに就き、母親の肩や背、さらに腰のほうまでを揉みほぐしてやりながら、番組を何となく眺めた。ペルーでは一日の強盗の発生件数が日本の三〇〇倍だとかいう話で、番組で取り上げられた日本人女性が住んでいるのも、山の斜面にテントのような装いの住居が連なるスラム街が間近の、治安の相当に悪い地区らしかった。アリピプラゾール錠を新しく飲みはじめたからなのか、何となく疲れたような、眠いような感じがあった。九時半頃になると下階に下りてきて、ここまで日記を綴った。
●一〇時台でやはりもう眠気があり、さっさと床に就いてしまいたいようだったが、さすがに早いかと思われた。それで歯を磨いたあと、ベッドに横たわったのだが、かと言って本を読む気にもならず、ただうとうととしているうちに一一時が近づいたので、そこで薬を飲んで就床した。
南直哉『日常生活のなかの禅』講談社選書メチエ、二〇〇一年
所有の問題について、道元禅師は、「布施」という行為をめぐってユニークな考えを示している。「布施」は自分の所有物を僧侶や他の人に施して功徳を積むことであるが、禅師は『正法眼蔵』の中で、「布施」についてまったく違うことを言う。
自分の物でなくても、布施を実行することを妨げない道理がある。布施する物が大した物でな(end155)くても気にすることはない。その物が、布施したことによって確実に活かされるべきなのである。仏道は仏道のままに修行されたとき、得られるのだ。仏道を得るとき、仏道がかならず仏道にまかせられて修行されるのである。財物が財物として活かされるときは、その財物がかならず布施されるものとなる。それは自己を自己にほどこし、他己を他己にほどこすことなのである。
ここでは、自分の持ち物を困窮している他人に与えるという意味で「布施」を考えていない。禅師は、「布施」においては、物の所有者が誰であり、誰がそれを受け取るかが問題なのではなく、どこでその物の存在が最も効果的に活かされるかが問題だと言っているのである。飢えた人に食物を施すことが尊いのは、施す人の厚意のゆえではなく、その食物が誰よりも飢えた人の前で存在効果を発揮し、物として活きるからである。
仏教の「布施」は、所有を前提に、持ち物を一部分け与える「慈善」ではなく、「所有」概念の幻想性を乗り超え、その物を成立させる諸関係において、物が存在することの意味と価値を全うさせることなのだ。そのとき、布施する自己は自己として最も充実して現成[げんじょう]し、布施される他者も他者として十全に現前する。
(155~156)
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その正体が絶対に知り得ず、コントロールもできないのに、自己を触発し、自分を生成する何かとしての「非己」。
先述したように、それは具体的には、死、他者、自然として、我々に現成してくる。
「自己」とは、これらを受容し、根拠として生きることである。仏教はそれを説き、勧める。なぜか。理由はない。ただそう決断すべきなのだ。
しかし、それは困難な、苦痛の多い道を行くことである。生に意味や根拠が欠けているにしろ、困難な道を行くには、動機が必要である。それはおそらく理解の対象ではなく、感じ取るものだろう。努力を支えるものがあるとすれば、それは何だろうか。
「法悦」という言葉がある。これはもともと仏教語である。禅門には「法喜禅悦[ほっきぜんえつ]」という言葉もある。仏法や禅の教えに出会って味わう喜悦の気持ちのことである。我々に困難を忍ばせるのは、とき(end244)として我々の生に訪れる、こうした喜悦、喜びであろう。
喜悦は快楽とは違う。快楽はいかなる困難もない、自分の欲望の満足から生じる。喜悦はそうではない。喜悦は困難の存在を前提にする。それを乗り越えたとき、解決できると信じたとき、人は喜ぶのである。喜悦は困難の忌避や排除によるのではない。困難の根本的な受容から生じるのである。
非己の受容は、まさに困難である。しかし、生の喜びは死に発する。死が生に意味と価値を与えるからである。自己の充実は他者との関係の充実である。この関係を編み出すこと自体が自己だからである。人間の可能性は自然に制約される。そこが許された場所だからである。
(244~245)
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非己は絶対に知ることができない。かつ、自己はこの非己に由来する。それが非己の定義である。とすれば、非己との関係は、言語に依存するコミュニケーションを超えている。つまり、相手を理解して、こちらの意志を確定し、意図どおりに操作することが、原理的にできない。(end245)
非己に対しては、理解することも操作することもできない。できるのは対応することである。その対応の最終的な手段は身体である。それ意外の人工的なメディアは、非己を濾過するだけである。だが、それは我々に意図された限りにおいて現前する非己である。ならば、それはもはや非己ではない。非己はどうしようもなく、身体に対して現前する。
非己を到来させ、現前させるメディアは身体である。それが自己のリアリティの基盤なのだ。道元禅師が一貫して「身」を強調し、修行を説くのは、そのためである。
仏道を会得するということは、心をもって得るのか、身をもって得るのか。学問的な宗派でも心身一如と言って、身をもって得るとは言っても、それは心身一如だから、と言う。今、我等の家風は、身心ともに得るのだ。そのうちでも、心で仏法をあれこれ考えている間は、未来永劫得ることはできないだろう。心を放下[ほうげ]して、知識分別を捨てたとき、得るのである。山の花を見て心を明らめ、竹に響く音を聞いて道を悟ったと言っても、なおそれは身によって得たのだ。
我々は、身体に問いかけることを復活させるべきである。身体の対応と反応に注意すべきなのだ。そこに非己の最初の呼びかけがある。ということは、そこに自己の目覚めがある。
老いと病いは死の呼びかけであり、対面の緊張と戸惑いこそ他者の現前であり、その中にひとり立つときの孤独と畏れが、自然の臨在である。すべては、身体が教えるのだ。(end246)
身体の教えを、仏教は作法として示す。非己を「恭敬」する作法こそ、身体の応接の意味を表現するのだ。
なるほど作法は形式である。たとえば食事の前後に手を合わせたところで、何を悟るわけでもないだろう。だが、作法は自覚を促す。自覚するかしないかは、作法の問題ではなく、実行する人の問題であろう。作法において縁起を自覚し続けることが、修行ということなのだ。
このとき、自ら相手の前に立ち、見かえりを求めない奉仕を行うことが、人に対する「恭敬」の作法の究極にあるだろうと、私は考える。それは縁起の教えの最終的理解でもある。非己としての他人、「他者」は、要するに自分の思い通りにならなくて当たり前の存在である。奉仕して見かえりがあるどころか、裏切られることも覚悟の内でなければならない。それでも奉仕を行うことが、非己を非己のままに受容する姿である。それは仏の似姿であろう。しかし、仏の真似をする者は、真似ている限り、仏である。そこに現実の悟りがある。
(245~247)
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生きなければいけない理由はない。生きることを決断するだけである。その生は非己に由来する。矛盾である。しかし、自己はこの矛盾においてその苦しみを、自己の条件として受容するしかない。
意味や価値があるから、生が尊いのではない。その尊厳は、無意味で苦しくとも生きることにある。敬意が払われるべきは根拠なき生なのだ。その敬意はまた、死への、他者への、自然への畏怖であろう。
あえてこの苦を受容する者へ、釈尊は何を言い遺したか。(end250)
さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」と。
(250~251)