2018/8/10, Fri.

  • 夢。蓮實重彦。試験か授業を受けている最中で、それは詩を読むものだった(現実には蓮實重彦が詩の講義をすることなど一度もなかったのだろうが。彼はどこかで、詩に対してはある種の敵意すら感じているとか述べてはいなかったか?)。蓮實が話しかけてきて、ある種類のシャーペンを使うように促してくる(それをこちらは元々持ち合わせていたが、別のペンを使おうとしていたのだ)。蓮實が使っていた(使っている?)のと同じではないが、似たものらしく、普及させたいらしい。場にはもう一人、女子がいて、彼女は蓮實がそうした要求をしてくることに対して辟易しているような感じだった。
  • 七時二五分に起床した。明るい晴れの窺える部屋の空気だった。夢を手帳に記録してから上階に行くと、母親が台所で胡瓜と焼豚を炒めている。こちらはその横を通って洗面所に入り、顔を洗ってから便所に行った。放尿しながら、外でミンミンゼミたちが朝から激しく鳴きしきっているのが聞こえた。洗面所に戻ると髭を剃り、食事の用意をした。今しがた母親が炒めたものに、前夜のゴーヤチャンプルーの残りもの、さらにやはり前夜のネギと椎茸の味噌汁、そうして米は少なめによそった。卓に就いて、新聞をなおざりにめくりながらものを食べる。食後、精神科で貰っている薬とマグネシウムの錠剤を摂取した。
  • 室に戻って、前日の日記を僅かに付け足し、この日の分もここまで書いて八時半である。今日は医者に行く日になっている。
  • 中上健次『岬』の続きを読んだ。一時間ほど読み、一旦中断して何かをしたのだが、何をしたのか覚えていない。その後、洗面所から歯ブラシを持って戻ってくると、部屋のベッドの上に窓に切り取られた陽射しが落ちて、白い矩形が生まれている。そのなかに入ってふたたび本を読んでいると、一〇時を回って、母親がそろそろ行こうと言いに来たのだったと思う。上階に行き、デオドラントシートを一枚取ると、それで腹やら背やら脇の下やらを拭う。服装は、初めは階段口に掛かっていた白い麻のシャツを着ようかと思っていたが、母親がチェックのものはと言うので、そちらにすることにした。先日(……)さんが来た時に頂いたエディ・バウアーのものである。薄青さを基調にして爽やかなそれを身に着け、バッグに本と手帳を入れると上階に行った。
  • 夏休み中の父親も合わせて三人で行くことになっていた。父親の車に乗り込み、出発する。道中のラジオは福田彩乃がゲストに出ており、外でもどこでも物真似の練習をするとか言ったり、聴覚が結構敏感で、耳に入ってくる音によって心地良いとか不快だとか感じることがままあるというような話をしていた。そういった鋭敏な感受性は、世界を十全に感じる能力を失った今のこちらにしてみると羨ましいものである。
  • 駐車場はそこそこ空いていた。車を降り、ビルに入って階段を上って行く。待合室に入ると、先に待っている人たちが三、四人いたようだ。受付に診察券を出して座り、早速中上健次『岬』を読みはじめた。クラシック音楽の静かに掛かるなかで、これといった物音もなく、結構集中して読むことができたと思う。そのおかげか、二二一頁と二二八頁に書抜き箇所を発見した。呼ばれるまでに三〇分ほど待った。名を呼ばれるとはい、と答えて、診察室の戸をノックし、こんにちはと言いながらなかに入る。この一週間、どのように過ごしていたかと訊かれたので、前と変わりはないのだがと置き、飯を作ったり、散歩をしたり、本を読んだりと言った。調子は段々良くなってきていると思うと答え、一時よりも気分が全体的に底上げされたような感じがすると述べた。本に関してはしかし、よく読んではいるものの、内容が十全に頭に入って来るかどうかは覚束ない、と言うか、読んでいても前のように感想が全然湧いてこないのだと話した。(……)全体としてはまずまずと医者は言い、薬も同じままでさらに様子を見ることになった。
  • 礼を言って退出し、会計を済ませ(一四三〇円に対して五〇三〇円を出した)、ビルを抜けると隣の薬局に入った。僅かなあいだだが『岬』を読んで待ち、呼ばれたカウンターにいくと、この日の相手は(……)さんという人である(「(……)」なのか「(……)」なのか不明)。以前から何度か当たったことのある人で、なかなかに愛想の良い職員である。調子はどうかと訊かれたのに、段々良くなってきている気がすると答え、会計をして(七四〇円)局をあとにした。
  • 薬局から道路に出て振り向くと、小学校の校庭が僅かに見える。そこに誰の人影もなく、子どもたちの何の声も伝わって来ないのに、そうか、夏休みかとふと落ちてきた。車に戻る。先日も母親と行った「(……)」で飯を食おうということになった。発車して間もなく、薬局のすぐ傍の公園では紅白帽を被った幼稚園児(だったろうか?)たちがブランコに乗ったりして遊んでいた。角を曲がると、小学校の敷地の端、網の掛かったあたりに雀がいるのが視界の隅に流れる。晴れていて暑いのだが(外気温が三六度になっていると父親は言った)、街道に出たところで見える空には、もくもくと形を膨らませた雲が、南にも東にも生まれており、ことによると雨が来るかもしれないという気配を僅かに感じさせないでもない。それから、街道をまっすぐ走って「(……)」に入った。
  • 街道の交差する角にある店で、窓からは途切れることのない車の流れが見え、労働者たちが昼をさっと手軽に済ませるような風情である。こちらはチキンカツ定食、母親は柚子胡椒と大根おろしの掛かった特殊なチキンカツ定食、父親はロースカツ定食を注文した。カツにソースを掛け、辛子を付し、米と一緒に咀嚼して、それが終わればドレッシングを掛けたキャベツ、そして豚汁と、律儀に一品ずつ食べて行く。母親は食べきれないと言って、カツを二切れこちらに寄越した。先日両親が、ホームに入っている(……)のお婆さん(亡き祖母の姉。九四歳だと言う)のところを尋ねた件に関連して、親族の位置づけについて二、三、尋ねた。まず、(……)さんという人だが、この人は『ゲゲゲの鬼太郎』に出てきそうな顔をしている人で、祖母が入院中に見舞いに来てくれたのをこちらは覚えていたのだが、彼女は(……)さん(祖母の二人目の弟)の奥さんだということだった。それでは(……)のおばさんはと訊くと、こちらは(……)さんという祖父の弟の奥さんである。そのあたりやや混同していたのだったが、それらを除いても、親戚が多すぎて訳がわからないと言わざるを得なかった。
  • 店を出ると、すぐ傍のスーパー「(……)」に移った。入店するとカートを押すのは父親に任せ、こちらは茄子と大根を籠に加えたあと、飲むヨーグルトを取りに行く。二本を抱えてそれから菓子のコーナーをうろついたが、目当てのものがなかったのでそこを出て、持ったものを籠に入れた。ジュースや茶なども買っておいたほうが良いのではという話が出て見回った。こちらは、二〇〇ミリくらいだったか、小さく手頃のサイズの缶のものがあればそれをいくつか買っておけば良いだろうと念頭にあったのだが、見当たらない。それでスプライトのペットボトルを一本入れ、ほかには母親が茶の類を加えていた。その他買ったのは米やバナナやマンゴーなどである。会計を済ませている両親を整理台の近くで待ち、品物の値段読み込みが終わると籠を受け取って、袋にものを詰めた。そうして何袋かになったものを父親と分けて車に運び、後部に載せて乗車した。
  • 曇りと言うほど暗くはないが、雲が空の隙間を閉ざしはじめて、陽の明るさが少し和らいでいた。車中、特に覚えていることはない。家に着くと荷物を運び、玄関の鍵を開けてなかに入った。冷蔵庫にものを入れておき、服を着替えてくると風呂を洗った。洗面所から出てくると、母親が洗濯物の取り込みを始めており、タオルやらパジャマやらが一緒くたにされて床の上に投げ出されていたので、それらを拾い上げ、ソファの上で畳んで整理した。そうして室に戻り、ここまで記すと今は二時過ぎになっている。こうして書いてみると結構書けるという感じもするが、書いていて特に面白いといった感情はない。また、以前よりも記憶を想起する力が衰えているのは確かだと思われる。いまそれなりの分量を書けているのは、まだ体験からさほどの時間が経っていないうちに綴っているからで、以前のように、前日のことを綴る方式では良くも思い出せないのではないかと思う。何というか、記憶に定かな手応えがなく、それぞれの記憶内容と現在との距離がどれも等し並に同じくらいに感じられて希薄だと言うか、実感がないような感じなのだ。
  • 読書に入った。中上健次『岬』を最後まで読み終えると、古谷利裕が論考を書いていたのを覚えていたので、「秋幸は(ほとんど)存在しない—「岬」(中上健次) について」(https://note.mu/furuyatoshihiro/n/n4044c933e871)もそのまま読んだ。評論文を読んでいるあいだは、部分部分を読んでいる時には一応そこで言われていることを、小説内容の記憶とも照らし合わせて理解できているようなのだが、過ぎてみるとうまく内容が頭に残らないというか、論の要約がうまく脳内で整理されて作られないといった感じである。論考を読み終えると四時半だった。Robert Glasper『Covered』を流して僅かに運動をしたり(鬱気にやられてろくに動かず寝転がってばかりいた時期があったために、身体は非常に固くなまっている)『岬』の感想をインターネットで検索したりしてのち、五時半頃になると上階に行った。
  • 母親は既に台所で夕食の支度を始めており、コンロには大根の煮物が掛かっており、いまさらに味噌汁のために大根を細切りにしているところだった。味噌汁用の鍋を火に掛けたあと、母親のあとから台所に立ち、茄子を切り分けた。水に晒した茄子を笊に挙げると、フライパンにオリーブオイルを引いて、チューブのニンニクを落として熱する。そこに茄子を加えて、あまりかき混ぜて炒めることはせずに、しばらくじっと熱してからフライパンを振ることを繰り返した。良い頃合いになって解凍しておいたひき肉も加えると、醤油と砂糖で味付けをして終いである。味噌汁用の大根はまだ柔らかくなっていないようだった。待つ合間に新聞でも読むかというわけで、玄関を出ると、隣家の(……)さんがやって来たところで、暑いねと言い合う。母親を呼んでからこちらはポストの郵便物を取り、台所に戻って新聞の一面を読んだ。日米の貿易協議が始まって、米側が二国間交渉を要求したという記事と、島根原発の三号機が安全審査に掛けられるという記事である。こちらがそうしているあいだ、母親は(……)さんに紫蘇のジュースを振る舞って、玄関口で話をしていた。(……)のお婆さんに会いに行ってきた時のことなどを報告していたようである(九六歳だか九七歳だかの(……)さんは、この(母方の)祖母の姉と面識があるのだ)。(……)さんが去ってからすぐ、インターフォンが鳴って、今度は宅配便が届けられた。山梨の(父方の)祖母が葡萄を送ってくれたのだった。そうしてこちらは味噌汁に味を付け、自室に帰ると、コンピューターを前にした。上昌広「東京医大が「女子差別」を続けた根本原因」、「長崎原爆の日 国連総長初参列「核の惨禍 最後の場所に」」の二記事を読むともう七時である。
  • 食事を取りに行く。茄子の炒めものと大根の煮物を同じ一つの皿によそって電子レンジで熱する。その他サラダや米、味噌汁もよそっているあいだに父親は風呂から出てきていた。酢と大根おろしを混ぜた納豆も用意し、卓に就いて食べはじめた。テレビはニュースを映していて、北関東で豪雨だとか伝えていたと思う。早々とものを食うと薬を飲み、皿洗いを済ませると玄関に直行して散歩に出た。
  • 沢の音は収まっていた。この日も雲は希薄で、星も飛行機の灯りも明瞭だった。歩調がいつもよりも僅かに速めで、足取りが自ずと力強いように、しっかりと地を踏んで蹴るようになっていた。坂を上って行き、裏通りをなだらかに行って街道との交差点に出る。そこから道を渡って、草に接して暗い路地にふたたび入って、人家のあいだを通って行った。風はほとんどなく、腕や背の表面が汗で濡れそぼり、耳を掠める音のなくて自分の足音や虫の声に何も混ざらない。家路を取っている人々とすれ違い、空を見上げて、青さを僅かにはらんだ鈍い色を見た。駅の前を過ぎて街道に沿いながら、以前のように十分にものが感じられないとしても、何だかんだで自分は日記を書けるのではないかと思った。見たもの経験したことをすぐさま言葉に置き換える頭のなかの自動筆記装置のようなものが、変調前より精度は格段に落としながらも、復活しかかっているような兆しが感じられるようだった。表通りには、車に引かれるようにして風があった。浴びながらしばらく行って渡り、また裏に入って坂を下って行く。救急車のサイレンが背後から聞こえてきて、風に吹かれて立つ物音のなかで次第に近くなり、林の向こうに光を灯した車の姿が見えた。この夏は救急車が多い、ほとんど毎日のように聞いた一時期もあったと思いながら角を曲がると、風が強めに流れて、そこの宅の庭木が頭上でばさばさと揺れた。
  • 帰宅するとすぐさま風呂に入った。散歩中にも道の脇から、単調な八分音符の連続で音波を送り続けていた虫の音が、湯のなかにあっても窓から聞こえた。上がって室に戻ると、ちょうど九時から日記を書きはじめた。Robert Glasper『Double-Booked』を聞きながらここまで記して、現在は一〇時前となっている。
  • 日記を書きながら、今日買ってきたスプライトを飲んでおり、ペットボトル一本飲み干してしまったので腹が苦しかった。それで寝床に横になりたくなかったので、インターネットに入って『(……)』の動画を視聴する。二本分見ると一一時、椅子を離れて歯ブラシを取りに行き、歯を磨きながら本を読みはじめた。新たに選んだのは、工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』である。文を書くことの喜びや作家たちへのかつての尊敬の情を半ば忘れてしまっているいま、書くことについて語るフローベールの言葉が、自分のなかで何かしらの触発材料になりはしないかとの考えだった。零時半頃まで読み続けた。フローベールは一〇歳に満たないうちから芝居を書いたり、僅か一五歳で散文作品をいくつも拵えたりしていたらしい。
  • (……)一時に至る直前に、瞑想に入った。瞑想によって感受性の鋭さが戻ってこないかと思うのだが、あまり期待できなさそうである。と言うのも、枕の上に腰掛けて瞑目しじっと呼吸をするという形は以前と同じでも、生まれる感触はまったく違うと言うか、端的に自分の心身に何の変化も現れないのだ。以前は容易に入れていたいわゆる変性意識状態にまったく入れず、したがって脳内物質も分泌されないのだろう、閉じた視界を蠢く光の類も見えない。瞑想によって以前は、耳鳴りを誘うほどの張り詰めた集中力を発揮することもできていたが、いまはそんな感覚を自分のなかに生むことができないのだ。そうした事ごとは、ものを感じられなくなったというこちらの実感と、やはり何かしら関係していることなのだろう。ともかくも一〇分を座って、明かりを落として布団を被った。