2019/3/15, Fri.

 一〇時一五分起床。睡眠時間は八時間、小敗北と言ったところか。やはりもう少し眠りを減らしたいとは思う。実のところ毎回、まだ暗いうち、四時やら五時やらに一度目が覚めているので、その時点でもう起きて活動を始めてしまい、足りない眠りはあとで稼ぐようにすれば総計の睡眠時間も少なくなるだろうと思うのだが、なかなかそう起きられないのが現状だ。ダウンジャケットを羽織らず上階へ行き、寝間着からジャージに着替えると、便所で用を足したあと洗面所に入って顔を洗うとともに髪を梳かした。台所には前夜の残り物である鯖と葱のソテーが置かれてあったので、そのうちから鯖を一つ小皿に取り分けて電子レンジで加熱する。米もよそって、貧相だが二品だけの食事を卓に運んで取りはじめた。太陽は旺盛に光を降らし、南窓の向こうでは近所の屋根が真っ白に輝きを纏っているが、気温の体感は思いの外に肌寒く、電気ストーブを点けて足もとに暖風を送らせた。新聞を瞥見しながら鯖をおかずに米を食べ、終えると薬を服用、残りは一回分のみとなっており、今日の午後に医者に行く予定である。それから皿を洗って食器乾燥機を駆動させておき、下階に戻ってくるとダウンジャケットを羽織ってコンピューターを点けた。Twitterを覗いたり、前日の記録をつけたりしたのち、一〇時五〇分から日記を書き出した。さほどの時間も掛からず前日の記事を仕舞え、この日の分もここまで綴って一一時一〇分を迎えている。
 FISHMANS『Oh! Mountain』を今日もまた流しながら、ブログに前日の記事を投稿した。それから久しぶりに過去の日記の読み返し、二〇一六年七月三日、フランツ・カフカの誕生日だと冒頭に書きつけている。酷暑のようで、「部屋に立っているだけで熱が興奮した蜂のように身の周りに群がってくる」と漏らしているが、暑気を「興奮した蜂のように」と喩える比喩はちょっと良かった。ほか、風景描写。

 甘く熟した果物のような、生ぬるい夏の黄昏時である。駅へと階段を上がって、通路の壁の上方にある窓の向こうに目をやると、西のほうでは薄紫が煙り、その右方では、図書館のビルに遮られて定かではないが、細い炎の筋のような夕焼けの色も僅かに見られたようだった。雑多な掲示の紙が張られて味気なくくすんだ壁が左右を囲み、窓はその上端に申し訳程度にしかひらいていないこの通路を通るたびに、やや高い位置にあるのだから全面ガラス張りにすれば良かったのにと思うものだ。ホームに降りると北側に寄って空を見上げた。暮れ方の空に、綿を薄く裂いて配置したような、あるいは水のなかに落とした絵具の一滴を筆で引き広げたかのような淡い雲が棚引いており、青に染まった表面のなかでそれのみが紫とも薔薇色ともつかない微妙な色を帯びていた。

 黄昏が進んで空の青が一層醒め、地上にも同じ色を含んだ半透明の幕が下ろされてあたりは薄暗み、その向こうに立つ小学校の白壁も色に浸かっているように見える。空はそれと比べるとまだ明るみを残して、と言って小学校を抱く丘の際にやっとのことで届いているそれは、西に去っていった光の細った切れ端であり、厚みを失ったその先端に辛うじて触れられているだけの青い空は一枚の紙のようで、その紙の輪郭線は既に黒影と化している木々の冠の連なりによって、誰かがそこに噛み付いて隙間を空けずに何箇所も食いちぎり、その歯型が刻まれたかのようにいびつに波打っているのだった。

 それから音楽の流れるなかで「記憶」記事をぶつぶつと音読する。ソシュール言語学の基礎事項に、中国史あるいは現代史の知識である。後者の情報は、大きな事柄の日付と名前を手帳にメモしながら進めた。柳条湖事件が一九三一年の九月一八日に起こったとか、そういったことである。そうして一二時を回ると切り上げて、上階に行った。前日買ってきた「どん兵衛」の豚葱うどんを食べようかと思っていたのだが、既に母親が冷蔵されていた米と釜に入っていた余りの米を使ってカレーピラフを作っておいてくれたので、大人しくそれを食べることにした。そのほか、サラダやフキノトウの入った味噌汁。フキノトウは家の近間で摘んできたものらしく、汁に口をつけてみると少々苦かったが、なかなか美味く、母親は春の味がすると言って喜んでいた。食べ終えると即座に食器を洗って片付け、テレビの前にシャツが二枚放置されてあったので、アイロン台を出してきて母親のものを食べている炬燵テーブルの端に置き、テレビに目を向けながら皺を処理した。テレビは美容・健康番組を紹介していて、例えば血液中の鉄分の多寡で赤血球の色が変わり、顔や肌の明るさに反映されるのだと、そんなことを解説していた。シャツにアイロンを掛け終わると機器のスイッチを切ってアイロン台を元の場所に戻しておき、自分の臙脂色のシャツを持って下階に下った。部屋の収納にシャツを掛けておくとキーボードに触れて日記を書き足し、一〇分でここまで綴った。医者は三時から、二時頃に出れば充分だろう。医者のあとに立川に出ようか、それとも地元の図書館に行こうか迷っている。
 FISHMANSの"感謝(驚)"の流れるなかで服を着替えた。上はGLOBAL WORKのカラフルなチェック柄のシャツ、これは結構薄手のものだがモッズコートを羽織れば大丈夫だろうと判断した。下はUnited Arrows green label relaxingで買った青灰色のイージー・スリム・パンツ。着替えてモッズコートももう羽織った状態で、テーブル前の椅子に就き、時間が来るまでと斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』を読みはじめた。音楽は止めた。そうして五〇分、二時がやって来るとコンピューターをシャットダウンさせてリュックサックに入れ、その他身支度を済ませて上階に上がった。炬燵に入ってタブレットを弄っていた母親が顔を上げて、もう行くの、と尋ねてくる。Brooks Brothersのハンカチを引き出しから取りながら、医者のあとに立川に行ってくると告げた。FISHMANSのライブ盤が欲しくて、ディスクユニオンに行くつもりだったのだ。そうして出発、道に出て歩いて行くと、道端の雑草が瑞々しい緑色に伸びており、春の気配が漂っている。坂に入ると前日と同じく風が正面から走って来たが、その風は前日よりも首もとに冷たいようだった。上って行って出口に掛かる頃、足下に視線を落とせば、電線や木枝やこちら自身の影と日向とがくっきり分かれて路面に描き出されており、首を巡らせば雲は乏しく、西空に掛かった太陽を遮るものはなくて、まだ当分のあいだは日向が揺らぐことはなさそうだった。街道へ向かい、表に出るとすぐに通りを北側へ渡って、ぬくぬくとした陽射しを背に受けながら歩いて行くのだが、正面から寄せてくる風はやはり清冽で、身体の前と後ろとで違った温度が身に宿る。汗の感触は、昨日よりも薄いようだった。
 裏通りに向けて折れると民家の庭に生えた紅梅の木が二つ、色の淡いものと濃いものと、薄陽を受けながらどちらも風に揺らがず、花を散らしもせずに咲き静まっているその動じない様子からして、今がちょうど力の満ちた、花の盛りのようだった。この日は昨日と違って時間が比較的早いから――と言って一時間も変わらないが――裏通りに下校する高校生やすれ違う小学生らの姿もなく――小学生が帰りはじめることを告げる二時半の時報が途中で流れた――静かななかを黙々と歩いて行く。特段に興味深い事物とも遭遇しなかったようだ。日向が急に薄くなった時間があって、振り仰げば太陽が雲のなかに包まれてあったが、すぐにまた復活した。道中の一軒に生えている白木蓮は、宙を穿たんとばかりに直上に向けて鋭く突き立った枝の、その梢のほうに近い花は既にいくつかひらいていて、黄味を僅かにはらんで人工的なライトのように白く灯っているものの、地上に近いほうはまだ蕾が多かった。青梅坂に掛かると横断歩道の向かいに、小さな女児と祖母らしき女性が立って、あどけない声と老いた声とが何やらやり取りしていると見ているうちに、子ども用の極々小さな自転車に跨った女児は方向を転じてこちらの行く道先へと向かい、緩く坂になった道を自転車に乗って、ペダルを漕ぐのでなくて地面を蹴って進みはじめ、祖母がそれを追いながら、前を見て、前を見て、などと心配そうに忠告していた。そのあとを追っていき、市民会館跡地前に来ると駐車場の隅、停まった車の脇に人足が、ヘルメットに尻を嵌め込んでその上に乗って座りながら煙草を吹かしていた。駅前に出る口の前、コンビニの横でも、何故わざわざそんなところで、しかも身を低くして吸っているのか、コンビニの店員なのだろうか一人の女性が、しゃがみこんだまま煙草を吸っていた。
 青梅駅に着いたのは二時半過ぎだった。改札をくぐり、ホームに上がって先頭に近いほうへと移動する。小学校の校庭には紅白の帽子を被った体操着姿の子どもたちが右往左往しているのが見られ、目が悪くてあまり定かに捉えられなかったがボールらしきものを投げていたり、バットらしきものを振ったりしていたかもしれない。それを見ているうちに電車が入線してきたので振り向き乗って、いつも通り二号車の三人掛けに、リュックサックを下ろして腰掛け、斎藤慶典の本を取り出すと頁に目を落としはじめた。本の端に、窓から射しこんでくる薄陽が掛かる。発車してからも文字を追い続け、河辺に着くと降りて、エスカレーターに乗った。前に立った女性は、色の褪せたようなジージャンを羽織って、黒い靴は下端が少々砂埃に汚れたようになっていた。くしゃみをしながら改札を抜けると、いつも向かう図書館とは反対側に折れ、階段を下りて駅舎を抜ける。ロータリーの周りを回っていると突風が吹きつける。それに髪を乱されながら家並みのあいだを進み、Nクリニックのあるビルに踏み入った。時刻は診察開始の三時直前だったが、階段を上がって行くと、待合室には既に四人の姿があった。電話をしていた受付員の一人に会釈し、リュックサックを座席の端に下ろして財布を取り出し、出てきたもう一人にお願いしますと言って保険証と診察券を差し出した。ほんの少し待って返却された保険証を受け取り、席に腰掛け、斎藤慶典の新書を取り出して読みはじめたが、受付員の電話の会話が、耳に入れるともなく入ってきてそちらに気を取られてなかなか進まない。患者からの要領を得ない相談のような、あるいは雑談のような電話がよく掛かってくるようで、それをいかに巧みに受け流し、通話を終了させるかに心を砕いているようだった(「心を砕いている」は言い過ぎか?)。勿論こちらが聞こえるのは片方のみ、受付員の声だけなのだが、それでも何となくその会話に耳が行って、電話が繋がっているあいだは頁が進まないのだった。BGMは最初、あれは何という曲だったろうか、確か小学校か中学校の音楽の授業で習うか、合奏をやるかしたような覚えがあるが、その曲の、フュージョンめいたギターが旋律を担当したアレンジが掛かっていた。その後はクラシックの類である。先生は三時を五分過ぎてからやって来た。そうして患者が呼ばれはじめ、最初はこちらの右方に座っていた、覇気のない、目の虚ろな亡霊のような顔の若い男性が呼ばれていた(「S」という名字だった)。途中で受付員が、Fさんがどうのこうの、と言ったらしく聞こえた。こちらの名前が聞こえたように思われたのだったが、微かに聞こえた断片から内容を推測するに、どうもFさんの若さが際立つ、といったようなことを言ったのではないかと推し量られ、実際、先の若い男性を除けばこちらのほかに室にいるのは中高年ばかりなのだった。
 じきに何人かの患者がやって来て、多少混みはじめてきた。なかに一人、左右に振れながらゆっくりと歩く恰幅の良い女性――背負った大きなリュックサックについたキーホルダーか何かの飾りが、動きに合わせて音を鳴らす――がやって来たのだが、この人は以前も見かけたことがあった。彼女は今日は父親らしき男性を同伴していたが、この父親が、人相のあまり良くなくて、眼鏡を掛けているのだがヤクザを思わせるようなやや粗暴そうな顔貌の人だった。彼女らがこちらの右方に向き合うようにして座り、こちらは呼ばれると――四時三二分だった――、ちょっと失礼、といったように会釈をしながらそのあいだを通り抜け、扉に近寄ってノックをして、開けるとこんにちはと言いながら診察室に踏み入った。扉を閉め、革張りの椅子に腰掛ける。いつも通り、どうですか、と訊かれるのには、笑いながらまあ、変わらず、と答えた。悪くはないですねと問うので、悪くはないと応じると、にこにこしているから、見たところでも調子がわかるというようなことを医師は言う。外出したり日記を書いたりしていますかと続くのには、していますと力強く答え、ちょっと置いてから、今日もこれから立川に出ようと思っておりますと告げた。元気になってきましたね。もうかなり……(と言葉を考えて)常態に戻ってきたのではないかと思います。一年ぐらい掛かりましたね。そうですね、ちょうど一年くらいでしたね。仕事への復帰は考えているかとの問いには、考えてはいるとひとまずは答えた。しかし続けて、憚りながら――とにやにや笑い――今の生活があまりに楽なもので……と破顔すると、それはそうでしょうねと先生も笑う。それで、今のあいだにしか読めないものを読んでからにしたいなどと思っております……ムージルという作家がいるんですけれど、彼の『特性のない男』という作品がありまして、それが長いものなので、それを読んでからにしようかなどと、甘いことを考えております、まあそのあたりは両親とも話し合って、復帰のタイミングを決めようと思っていますが。どのくらい長いですか。邦訳で六巻ありますね、ハードカバーで。それは長い……ムージル、と言うんですか。ムージル、です。いつ頃の人なんですか。二〇世紀ですよ。翻訳もあるということは、そんなに最近の人ではない。そうですね、一応二〇世紀文学の最高峰とされているんですけれど……(それじゃあ有名なんですね)、いや、そうでもないんです(と笑う)。例えばカフカだったら……。カフカは一九世紀の人ではないんですか。生まれたのは一九世紀ですね(確か一八八三年だったか?)。書いていたのは二〇世紀ですか。一九一四年とかそのあたりではなかったかと思います、一九二四年くらいに亡くなった人なので……カフカなんかと比べると、知名度が低いようです。カフカは誰でも知っていますもんね。あと長いやつだと、プルーストなんかがありますけれど。ああ、そう、プルーストも長いですね――とそんな感じで会話を交わし、今後の方針を尋ねると、薬は保ちつつ、あとはどのように減薬していくかだろうとのことだった。しかしそんなに急いで減らさないほうが良いと思いますね、ということで、今回は変わらず、一日に朝晩二回の処方で四週間分と定まった。ありがとうございますと礼を言って椅子を立ち、扉に近寄るとこれもいつもの習いだが、失礼しますと言って医師のほうに頭をちょっと下げ、それから室を抜けた。本を仕舞い、リュックサックを背負って会計、どうも、ありがとうございましたと礼を言って退室した。階段を下って行き、外に出ると近くの小学校の児童らが下校している途中でわさわさと群れており、なかにけん玉か何かを振り回している姿が見られた。薬局に入り、お薬手帳と処方箋を差し出す。保険証を提示したほうがよろしいですかと尋ねると、そうしてもらえると助かりますとの答えだったので財布から出して渡し、するとお薬手帳に名前を記入していただけませんかと頼まれたのでペンを借りてその通りにした。そうして六一番の紙を受け取って席に就く。最初のうちは局員と高齢の女性がやり取りする声などを背後に聞いていたが、そのうちに本を取り出して読みはじめた。しかしさほどの時間も掛からず呼ばれたと思う。この日の相手はN.Aさんである。ちょっと飄々としたような感じの女性である。この一か月、調子はどうでしたかと問われたのには、調子は良かったです、お蔭様で良くなってきましてと頭を下げた。眠くなるとかそういったこともないですか。大丈夫です。実際、副作用らしいものは特段発現していない(性欲が減じて自慰が全然気持ちよくなくなったくらいではないかと思うが、これは薬の副作用というよりむしろ、原疾患のなせる業ではないかとこちらは推測している。カフェインが利かなくなったこともそのうちの一つだが、病気以来、全体的に心身が鈍化したような感じがあって、当然性感も乏しくなったというわけだ)。それで会計をすると――二〇八〇円。薬代もなかなか馬鹿にならない――その際に、何やら読売新聞をプレゼントするサービスというのをやっているらしくて、受け取りますかと差し出されたが、うちは読売を取っていますと言って断った。薬局で新聞を配るんですかと言うと、今月限りのキャンペーンで、ほかにも色々なところでやっていると思いますよとの答えがあった。なかなか自宅訪問だと取ってくださらない方が多いんじゃないですか。なるほど。それで礼を言って退店し、リュックサックの内に袋を入れて駅に向かった。行きとはルートを変えて、線路脇に出る。西には空とほとんど同化したような雲が湧いており、日向が淡くなっていたが、風は盛らず時間が下っても行きよりも冷たさはないようだった。線路脇に出ると、駅の反対側のマンションの傍、下方は空に溶け込んだ巨大な雲を背景にして、鴉か何かの鳥が一羽ばさばさと翼をはためかせて飛んでおり、こちらの頭上までやって来るのを追う。そうして駅に向かい、階段を上がって通路を行き、改札を抜けてホームに下りた。立川方面行きは発ったばかりである。線路に向かって立ち、立ったまま新書を取り出して読みはじめた。近くには小さな女児と母親の二人連れがいて、次の電車は十両ですとのアナウンスが掛かると女児は、十秒?と言い、十両だよと母親に訂正され、母親は、電車が一二三四五六七八九十、って十個繋がってるの、電車は一両、二両って数えるんだよと子どもに教えていた。やがて来た電車に乗る。先頭車両である。席の端に就いて、本を読みながら到着を待った。道中、先程の女児は、次は羽村です、とか福生です、とかアナウンスが流れるたびに、はむらー、ふっさー、などと復唱していた。彼女はこちらの左方にいたが、反対側、右方の車両の端、優先席にはベビーカーと赤ん坊を伴った母親が乗っていて、赤ん坊は途中で目を覚ましたようでママ、だかまんまだか、母親を意味しているのかご飯を意味しているのか(おそらく前者だろう)、頻りにMの音を大きな声で発していた。途中で乗ってきた高年のサラリーマンらしき男が、姿も見えなかったし声も聞こえなかったが、その優先席の隣に就いたようで、赤ん坊を相手にあやしてやっていたようで、母親と何とかかんとかやり取りをしていた。赤ん坊は一歳ちょっとだと言っていた。
 立川に着いて席を立つと、東京行きだから三番線に着くだろうと思っていたところが実は立川行きで一番線着、それだったら客が皆捌けてから降りたかったのだが、扉の横のボタンを押して、皆と同時に降りることになった。ちょっと脇に引いて手帳に読書時間をメモしながら乗客たちが階段へ向かうのを待ち、その後ろから上がって行く。駅構内に出ると、人波が厚い。今日は金曜日、現在は四時半だから、人々が帰りはじめる時間帯だろうか。改札を抜けるとパンかラスクのような、香ばしいような芳しいような匂いがどこからか漂っていて、鼻を鳴らしながら進むとルミネの横でマロンデニッシュを売る台が出ていたので、香気の出所はここらしかった。人波の一部になりながら広場に出て、エスカレーターを下りて賑やかなビックカメラの前を過ぎ、広い交差点で立ち止まった。こちらのいるのは十字の右下、方角で言っても正面がそのまま北だから南東の一角、そこから斜めに渡った左上、北西の一角に、今まで気づかなくていつからあるのか知れないがセブンイレブンが出来ていた。通りを挟んで向かいのローソンと張り合っている。信号が変わるのを待って通りを渡ると、ディスクユニオンへと階段を上って入店した。まずJ-POPの棚を見るが、目当てのFISHMANSは僅か二枚しかない。Damn. さらに中村佳穂がもしかしてないだろうかと「な」の項も見たが、あるはずがなかった。それから壁際のブラジル音楽の棚をちょっと見分したあと、ジャズに移る。最初に見つけた目ぼしい品はBobo Stenson『Goodbye』で、Paul Motianがドラムスで、しかも九八〇円でわりと安いので、これは買おうかなと思って新着棚の上のほうに取り分けておいた。それからアルファベット順にメジャーな名前ではなく、列の先頭の、現代ジャズがあるあたりを探っていく(棚の下段を見分する時にしゃがんで爪先立ちになると、足の裏に負担が掛かって苦しかった)。そうしてじきに、Darcy James Argueを発見した――しかも二枚、さらには『Brooklyn Babylon』が四八〇円、『Real Enemies』が三八〇円と非常に安い。何故こんなに安いのか知れないがこれは買いだろうということでこの二枚も取り分けておき、その後、フリーの区画が復活していたのでそこをちょっと見たり(と言っても品揃えは非常に薄いが)、後半のアルファベットを端まで探って、あと一つ買おうと思ったのはPaul Bley Trio『Essen 1999』である。これはプライベート盤のCD-Rらしいのだが、Paul BleyPaul Motianでライブで一〇〇〇円となればやはり買わずにはいられないだろう。そのほか、Jimmy Giuffreの一九六一年の録音――ライブかどうかは不明――、これはSteve SwallowとやはりPaul Bleyが共連れだったり、またJason Lindnerのビッグバンドのライブだったりと興味深いものは色々とあったが、そんなに買ってもどうせ聞ききれないし、予算の関係で断念である。会計をする頃には五時四五分が来ていた。二六七九円を払って退店、リュックサックのなかに買ったものを入れると、ふたたび十字路の横断歩道に並んだ。空は色が非常に淡く、白に近くなっていて、少しの偏差もなく広がったそれは晴れ晴れと澄んだ空が暮れて色を剝がされたものなのか、それともいつの間にか全面に雲が湧いていて空に溶け込むようにして覆い尽くしたものなのか、一見して区別がつかない。信号が変わると通りを渡り、フロム中武の前でメイド姿でチラシを配っている女性の横を通り抜け、ビックカメラの前も通って、いつもはPRONTOに行くけれど今日はヤサを変えようということで、北口を出てすぐ横にあるエクセルシオール・カフェに行くことにした。Mさんが東京に来た時、三日目、昭和記念公園に行く前に入った店舗である。入店し、フロアに視線を走らせながら一旦上階に上がったが、上に空きはなさそうだったので下階の奥の丸テーブルの一席に就いた。席の脇には、あれは壁龕と言って良いのだろうか、柱と柱のあいだでちょっと窪んだスペースがあり、そこに抽象画の類が掛かっている。リュックサックを椅子の上に置いておいて、カウンターに注文に行った。アイスココアのMサイズ(四一〇円)。礼を言って品を受け取り、席に戻ると、グラスのてっぺんに盛られた生クリームをすくって一口食べ、その後はストローの先で突いて崩して液体と混ぜ、甘ったるいココアを啜った。そうしてコンピューターを取り出して、日記である。六時直前に打鍵を始めて、途中トイレに行きながら(トイレに行くと周囲の会話や店員の声や作業の音が聞こえなくなるので、BGMがよく耳に通る――この時は、ブラジルめいた音楽で、結構力の入ったフルートソロが披露されていた)進めて、思いの外に結構書くことがあって二時間弱掛かり、現在はもう八時も近くなっている。
 ラーメン屋で食事を取ってから帰ることにした。机上を片付けてモッズコートを羽織り、リュックサックを背負ってグラスを持ち、返却台に片付けておくとそのままカウンターの前を横切って退店した。見上げれば夜空のなかに月の光が、雲に包まれて小さくぼんやりと、染みのようにして浮かんでいるので、やはり全面に雲が溶け込んで曇っているらしい。ロータリーの周りを回って行き、横断歩道で立ち止まった。左方、駅の方に視線をやれば、海の底を行き交う魚のように、タクシーたちが乗り場の周辺をゆっくりと動き、曲がっている。通りを渡って裏道のほうへ折れると、サラリーマンか大学生か何かの四人連れがおり(なかの一人はギターか何か、楽器を背負っているように見えたがどうだろうか)、そのなかの一人が恐竜の鳴き真似のような、あるいは端的に狂っているかのような奇声を発していた。彼に無言の視線を送りつけ、すれ違って「味源」に向かう。ビルに入って階段を上り、入店すると威勢の良い声が飛んでくる。醤油チャーシュー麺の食券を買い(一〇五〇円)、近寄ってきた店員にサービス券とともに渡して、割引と餃子とどちらにしますかと問われたのには餃子で、と相手の顔をまっすぐ見ながら答え、カウンターのちょうど角に当たる席に就いた。母親にラーメンを食ってくるとメールを送ったあと、水をコップに注いで、何をするでもなく食事が届くのを待つ。じきにラーメンがやってくると、まずスープを一口二口啜ってから器の外周に盛られたチャーシューを汁のなかに沈め、麺を掘り出して吸い込んだ。左隣の男性客は豚骨つけ麺というものを頼んでいた。こちらはつけ麺というジャンルはよく食わないものであるので、次回来た時には頼んでみても良いかもしれない。彼は食べながら机上に置いたスマートフォンを何やら操作しており、一向に食事が進まないのだった。途中でこちらの右方、カウンター席が折れたその向こうに就いた男性客もやはり豚骨つけ麺を注文しており、さらにそれにライスがついていた。彼もまた食べながら、イヤフォンをつけてスマートフォンで何かの動画を閲覧していたようで、どいつもこいつもただ食べるということができず、食事のあいだの僅かな時間でさえスマートフォンで何かをしなければ気が済まないようだ。そんななかでこちらは一人黙々とものを食べ、丼を傾けながら蓮華でスープもすくって結構飲むと、長居はせずに立ち上がってリュックサックを背負った。引き戸を開けたところでありがとうございましたの声が飛んできたので、外に出ながら振り向き、ごちそうさまでしたと答えて退店した。ビルを抜けて左に折れ、マクドナルドの前を過ぎ、駅前に出ると高架歩廊へ階段を上がる。写真を撮っている外国人の二人連れがいた。その傍を通り抜けて広場を渡り、駅舎に入ると分厚い人波のなかの一人と化して構内を進んで行き、改札をくぐって一番線へ下りた。一号車に乗って扉際に立ち、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』を取り出して読む。道中、目立った事柄はなかった。河辺に着いて乗客がほとんどいなくなると座り、読み続け、青梅に着くと降りて乗り換え、八時五六分発の奥多摩行きに乗って、また扉際に就き、発車までの僅かな時間を過ごした。頁に目を落として到着を待ち、最寄り駅に着くと降りて、電灯の光のなかに入って手帳を取り出し、読書時間を記録する。そうして歩き出し、駅舎を抜けて、たまには違うルートを取るかということで坂道には入らず東に折れた。そうして車の隙をついて通りを南側に渡る。空はやはり全面曇っているようで星の姿は見えず、灰色に沈黙しているばかりのそのなかに、直上、綿の切れ端のような月の朧気な光が幽かに浮遊していた。暗い木の間の坂道を通って下りて行き、帰宅した。
 居間に入ると薬の袋を取り出して所定の位置に置いておき、それからねぐらに戻ってコンピューターを机上に据え、服を脱いだ。シャツに下はパンツのみの姿で上がって行き、入浴である。風呂に入っているあいだに特段印象深いことはなかったようだ。何を考えていたのかも覚えていないし、大したことは考えていない。出てくるとそろそろ一〇時も近い頃合いだったと思われる。一〇時五分から読書を始めている――川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(中)』である。Gary Thomas『Till We Have Faces』Pat Methenyが普段とは違って、やや尖ったようなプレイを見せている)をヘッドフォンで聞きながら、また今日買ってきたCDたちを早速インポートしながら読み進め、音楽が終わると洗ってもらってあったシーツを寝床に整え、ベッドに移って読み続け、一一時半を迎えると斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』にスイッチしたのだが、じきに立ってTwitterを覗いたりしているうちに何故か自分のブログにアクセスしてしまい、そこからキーワードのページにも飛んで何か良いブログはないかとの探索の旅に出てしまった。結局眼鏡に適うブログは見つからず、余計な時間を費やしてしまったのちに読書に戻って、二時前になると眠気が差してきたようだったので書見を切り上げ、明かりを落として床に伏した。


・作文
 10:50 - 11:10 = 20分
 12:45 - 12:56 = 11分
 17:58 - 19:45 = 1時間47分
 計: 2時間18分

・読書
 11:21 - 12:12 = 51分
 13:10 - 14:01 = 51分
 14:54 - 15:32 = 38分
 16:03 - 16:37 = 34分
 20:17 - 20:58 = 41分
 22:05 - 23:25 - 25:47 = (一時間減じて)2時間42分
 計: 6時間17分

  • 2016/7/3, Sun.
  • 「記憶」: 103 - 106; 74 - 81
  • 斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』: 48 - 134
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(中)』: 112 - 174

・睡眠
 2:00 - 10:00 = 8時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Gary Thomas『Till We Have Faces』