一〇時二〇分起床。もっと早く起きられたはずだが、その時間まで身体が持ち上がらなかった。身を起こすと窓の外で雪が降っていて、結構な降り方で既に積もっていたので驚かされた。四月に雪が降るなどというのは何年ぶりだろうか。上階に行き、寝間着からジャージに着替えながら、しかし降雪のわりに冷え込みはそこまででもないなと思われた。台所に入り、冷蔵庫から昨夜の残り物、鶏肉と茸とコーンのソテーに、汁物を取り出す。ソテーは電子レンジに、汁物は焜炉の火に掛けて温め、米をよそって卓に就いた。母親は不在、車の有り無しを見ていないが、父親が今日退院するはずなので病院に行っているのかもしれない。新聞を瞥見しながら一人黙々とものを食べ――咀嚼している最中に、唇の裏側、左下を噛んでしまい、ちょっと傷をつけてしまった――抗鬱剤ほかを飲むと、食器を洗って下階に下りた。自室に戻ってコンピューターを立ち上げるとTwitterとnoteを確認し、それから日記を書き出したのが一一時過ぎである。ここまで綴って一一時二二分。
前日の記事をブログに投稿。noteにも投稿しておき、その後、正午前からMさんのブログを読みはじめた。流している音楽は今日も今日とてFISHMANS『Oh! Mountain』。メロディを口ずさみながら二日分を読み、続けてfuzkueの「読書日記(129)」も二日分、三月二三日土曜日まで。そうして「記憶」記事音読である。まず最新の五項目ほどを読んだあと、「記憶1」の方に戻って、四七番から五二番まで。三宅誰男『亜人』の、「生きるということは期せずして奏でられる音楽であった」との文言が含まれる一節は美しい。また、「週刊読書人」上に掲載されていた宮台真司ほかの鼎談から、ジョナサン・ハイトという道徳心理学者の説を援用した木村忠正『ハイブリッド・エスノグラフィー』の指摘を改めて手帳にメモした。ハイトによれば人間には六つの「感情の押しボタン」がある。弱者への配慮、公平への配慮、聖性への帰依、権威への忠誠、伝統の尊重、自由の尊重がそれだが、リベラルな人々はこのうち、聖性・権威・伝統といった集団尊重価値への反応が平均より極端に低いらしい。だから、仲間内の集団価値よりも普遍主義的な価値の方を尊重するリベラルは元々例外的な人間なのであり、特殊な条件がなければ彼らが多数派になることはない。戦後にリベラル的な価値が優勢になったのは、大戦への反省と資本主義の例外的期間が重なるという特殊条件があったためで、その期間に抑圧されていた人間の自然感情に従う多数派がバックラッシュしているのが現在の状況だろうとの議論だ。
「記憶」記事を読んで一時直前に至ったところで――音楽は途中からAntonio Sanchez『Three Times Three』を流していた――一旦上に上がった。母親が帰ってきていた。父親が今日退院なので、金を下ろしに行っていたのだと言う。食事はおじやと里芋があると言ったが、さほど腹が減っていなかったので、チョコチップメロンパンの半分だけを貰って下階に戻った。この頃には雪は既に雨に変わっていたと思う。メロンパンを食いながらコンピューターを前にし、その後、一時二〇分過ぎから読書を始めた。山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』である。まず昨晩読んだところを読み返しつつ、古代イスラエル人の歴史的推移についてや、旧約聖書のエピソードなどを断片的にメモした。それから新たな部分を、やはりメモを取りながら読み進める。「出エジプト」のもととなった出来事というのは、どうやら旧約聖書に記述されているような数十万人の民族単位の莫大なものではなかったらしいというのが、最新の学説のようである。イスラエル民族が外部から一団となってパレスチナに侵入したという証拠はなく、「イスラエル」はパレスチナの内部で漸進的に形成されたらしい。エジプト側の史料でも、前一三世紀頃に大量の奴隷が脱出したという記録は見当たらない。そこから推測されるに、おそらく「出エジプト」のもととなった出来事というのは、エジプト側にとってみれば国家の記録に残す価値もないような些細な事件だったのだろうとのこと。
読み進めて『Three Times Three』も最後の"I Mean You"が終わり、切りの良い箇所まで進んだところで本を置き、読書時間を記録して上階に行った。風呂を洗わなくてはならなかったのだ。退院に関しては父親から連絡が入ったのちに向かうことになっているのだが、その連絡がいつまで経っても来ないと言う。足の包帯を外してきちんと歩けるかどうか確認してからだというが、もしかすると神経の接合などうまく行っておらず、入院が伸びる可能性も皆無ではないようだ。風呂を洗ってしまうと居間に戻り、炬燵テーブルの端にアイロン台を出して、シャツ二枚にアイロンを掛けた。そうして下階に戻ってくると日記をここまで書き足して二時五〇分。
三時を回った直後からふたたび山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。コンピューター前の椅子に就き、時折り手帳にメモを取りながら読み進めて一時間が経過した。上階に何の動きの気配もないところからして、父親からの連絡は一向に入ってこないようだ。一旦読書を中断して上階に確認しに行くと、母親はちょうどスマートフォンを弄ってLINEを見ていて、そこにこれもちょうど父親が退院OKが出たと送ってきたので、やはり行くようだと相成った。それで下階に戻り、手帳に読書時間を記録しておき、cero "Yellow Magus (Obscure)"が流れるなかで服を着替えた。誰に会うでもなし、ベージュのズボンに上は地味な黒っぽい紺色のシャツ、上着は雪が降って寒いのでさすがにモッズコートである。クラッチバッグに財布や携帯、本にcero『Obscure Ride』のCDを入れて上階へ、トイレに入って排尿したのち、母親とともに玄関を抜けた。傘を差さずに冷たい雨のなかに踏み出し、父親の真っ青な車の助手席に乗り込む。母親がケツメイシのCDをシステムに挿入しようとしていたが、乗車しているあいだずっとあのような音楽を聞かせられては堪らない、cero『Obscure Ride』のディスクを代わりに入れた。
道中、格段に興味深い出来事はない。時折りceroの音楽に合わせて口ずさみながら揺られた。車の上には雪がいくらか積もっていて、後部の窓の先がそれで見えないのを母親は不安がって、信号で停まった時などこちらに降りて雪を払うように促してくるのだが、赤信号が灯っている僅かなあいだにそんなにすぐぱっと動けるものでもなし、聞き入れずに車内に留まった。こちらは例によって、車のなかの空気と相性が悪くて道中少々気持ち悪さを感じていた。
四〇分かそこら走って高月整形へ到着。駐車場が空いておらず、母親はこちらに先に降りるように促してきたので、荷物を入れるための袋――あれは不織布というものだろうか?――を持って雨のなかに降り立った。医院に入り、受付の前を過ぎ、席に座って番を待っている人々のあいだ、廊下を通って階段に向かい、二階に上がった。階段口の脇に面会人が記入する用紙や首から下げる札が用意されているが、退院するのだし別に書かなくても良かろうと払って廊下に入ったところで、そう言えば病室が変わったのだったと思い出した。それでナースステーションに寄って窓を開けようとすると、この窓は鍵が掛かっていて動かなかったがなかの一人が出てきてくれたので、F.Yの病室を教えてほしいんですがと告げると、一〇号室、突き当たりを右に曲がって左側だという説明があった。礼を言ってその場を離れ、廊下を辿って室まで行くと既に身支度を整えた父親がいたので挨拶し、室内に入った。患部の左足はビニール袋で包まれており、歩き方はいくらかびっこを引くようなと言うか、やや覚束ない、ゆっくりとしたものだった。まとめてあった衣服や本など、こまごまとしたものを持ってきた袋に収め終わると、母親がやって来た。靴やスリッパもビニール袋に収めて、それで退室である。エレベーターの前まで行ったところで父親が母親に、ナースステーションに挨拶してきてくれと言う。それに従って母親は歩き出し、廊下の途中にいた看護師にお礼を言い、父親もやや距離を置いて礼の言葉を述べ、こちらも会釈をし、近寄ってきたナースにはありがとうございましたと頭を下げた。それで母親が戻ってくると、車椅子を運んでいるナースの一人と一緒にエレベーターに乗って一階に下り、下りたところで父親が荷物を車に積んできてしまえと言うので、彼を置いて母親と二人で医院の外に出た。冷たい雨が降り続いていた。母親が遠くに停めた車を回してくるのを待ち、やって来ると雨に打たれながら荷物を後部座席に積んで、医院のなかに戻ると父親は会計の番を待っている。座ればと勧められるのも意に介さずその傍らに立ち尽くしてこちらも待っていると母親がやって来て、売店に代金を払ってきてくれと父親が頼むので、母親のあとについてそちらに行った。売店の店員は穏和な感じの高年になりかかった女性だった。母親が代金を払ったあと、こまごまとした追加的な費用はここに含まれているのかと質問して、売店の人もわからずに受付に聞きに行ってまたちょっと待つ時間があったのだが、このあいだの経過は詳しく書くのが面倒臭いしどうでも良いことでもあるので割愛する。最終的に問題なく支払いを終えて、医院の外に出て、母親が車を回してきたのに乗り込んだ。今度は助手席は父親が取り、こちらは後部座席である。
そうして帰路へ。途中、コンビニにでも寄って唐揚げか何か買って帰ろうということになっていた。羽村の堰の桜を見ながら帰ろうかということでそちらのほうへと進路を取る。道中、格段のことはない。羽村の水路沿いに着くと、立ち並ぶ桜の木がどれも満開に、薄紅色に咲き乱れていたが、こちらの乗っている後部からは窓が曇っていてよく見えなかった。
車に乗っているあいだというのは動きがないから書くことが全然ない。河辺のセブンイレブンに寄った。動きづらい父親に代わってこちらは、青汁か何か注文したその代金を払うように言いつかって、用紙と五千円札一枚を貰って母親とともに店内に入る。すぐに空いていたレジに向かって、お願いしますと用紙を差し出した。店員は女性で、「C」さんという中国の人だった。最初ちょっと戸惑ったような風に見えたが、問題なく用紙を読み込んでくれて、こちらは五千円札で二千いくらかを支払い、釣りを貰うとそれをモッズコートの左のポケットに突っ込んで、礼を言って店内を回っていた母親と合流した。母親は甘辛い手羽先か何かを買いたかったらしいが、それはこの店舗には置いていないようだった。甘味を買っていくかと言うのでこちらはプリンを選び、サラダも買う予定だったものの、いざ棚を目の前にすると大根があるから良いかとなって、それで会計、こちらもレジに寄ってやはり外国人の男性店員に唐揚げ棒を三つ、と右手の指を立てて三の数を示しながら注文した。店員は、「M」という名前だった――何人だかわからない。何となくインドあたりの人かと思ったのだが、定かでない。彼はてきぱきとした動きで唐揚げ棒を三つ、細長い袋に入れ、その他の品物を一つのビニール袋に入れて母親に渡したあと、温かいものは分けますと言って唐揚げ棒三つの口をテープで留め、それらをもう一つの袋に入れてこちらに渡してくれたので、礼を言って受け取った。それから釣りを貰った際にも正面からありがとうございますと礼を言って退店すると母親が、偉いねえと漏らす。外国からやって来てああやってコンビニで働いて、と。確かに、コンビニの仕事というのはやることが様々あるし、客だってそう親切な人間ばかりでなくてスピードと正確性が求められるので、こちらなどにはとてもではないが出来ない、大変な仕事だと思うのだが、言葉にもそこまでは習熟していないであろう外国の人がそれをやるのだから凄いものだ。
そうして車内に戻り、父親に領収書と釣りを渡し、発車した。帰る道中、やはり格段のことはないが、父親の母親に対する当たりがやはり時に強くなるのがちょっと気には掛かった。父親はこちらが病気になって以来、こちらに対する接し方は穏やかで、何かと気を遣ってくれて有り難く、この日も帰宅して荷物を運び込んでいる際に、今日はありがとうと言葉を掛けてくれもしたのだが、母親に対しては彼女の言動の端々に突っかかって声を荒げることが折々あって、端から見ていると思春期の青年の反抗のようなのだが、もう少し母親に対しても穏やかに当たってほしいものだと思う。こちらに礼を言ってくれるのだから、同じように母親にも感謝の念を示すべきなのだ。
ともかく帰宅して、荷物を室内に運び込んだ。玄関に持っていった荷物をさらに居間へ、そこからさらに仏間へと移しておき、母親が外で駐車するのを見守ったあと――別にこちらに後ろを見てもらわなくとも、車のシステムで外壁までの距離はおおよそわかるはずなのだが――自室に戻って服を着替えた。そうして上階に行き、台所に入ると流し台の物受けに溜まった生ゴミを、シーフード・ミックスの空き袋に収める。物受けの底にこびりついたものも右手の指でつまみだして入れておき、袋の口を閉じると台所の隅に置いてある黄色いバケツに封じた。それから石鹸を使って手を洗い、茹でられていたモヤシを笊に上げるとともに、食器乾燥機のなかを片付ける。父親はテーブルの方でシャワーを浴びる準備をしていた。患部を濡らしてはいけないので、そこをラップで覆った上から袋に入れるのだ。こちらは台所に立ち、湯の沸いたフライパンにパスタを投入し、麺が柔らかくなるのを待った。母親が和えた野菜と合わせてサラダにするのだ。待っているあいだは手帳を持ってきて、メモしたことを復習していたのだが、父親が風呂に行く気配を見せたので、先回りして洗面所への扉をひらいておき、洗面所の片隅に置かれていた掃除機が邪魔臭いので躓かないようにと端に寄せておき、洗面所と風呂場の明かりを点けた。それからフライパンの前に戻って手帳をひらくのだが、母親が寒いだろうとストーブを洗面所に持ち込もうとするのに父親が、いらないって言ってるだろ、と声を荒げて、このあたりがやはりまるで反抗期の青年であるかのように映る。その後こちらは手帳を見ながらパスタが茹だるのを待ち、一方でカレー――書き忘れていたが、母親が三時頃、出かける前にカレーを既に拵えておいてくれたのだ――も加熱し、パスタが柔らかくなったところでそれを笊に上げておき、あとは母親に任せるかということで下階に下った。七時を回ったところだった。それからThe Band『The Last Waltz』を背景に日記を綴って現在八時直前だが、途中で画面の右下の時刻表示を見やった際に、七時五〇分に達しているのを見て、体感時間と時間の過ぎようが一致せず、もうこんなに経ったのかと驚いた。特段に興味深いことなどなかったはずなのに、いつの間にか四〇分だかそこらもの時間を掛けて綴っていたのだった。日記を書いていると時間が過ぎるのが早い。
食事を取るために部屋を出て上階へ行った。両親は既に食事を済ませていた。台所に入ってカレーを火に掛け、唐揚げ棒を袋に入れたまま電子レンジで加熱し、その他パスタサラダやスチームケースで加熱した南瓜である。卓に就いてものを食べる。父親は、包帯を巻いている患部の左足に履ける大型の靴下を求めているようで、こちらにももう伸びてしまったような靴下はないかと訊いてきたのだが、そう都合よく持ってはいない。母親は風呂敷でも巻いておけば良いじゃないと言って、布の小袋のようなものを持ってきていた。食事を済ませると八時半頃である。母親と分け合って甘味も食べて薬を飲み、食器を洗うと風呂に行った。それほど長くは浸からずに出てくるとすぐに自分の居場所である下階に帰る。
九時半から、「ダークウェブよりヤバい「普通のウェブ」」(https://ascii.jp/elem/000/001/832/1832059/)を読みはじめた。例によって興味深い部分に関しては手帳にメモを取りながら閲覧する。
── 新反動主義はどこから生まれたものなんですか?
もとはカーティス・ヤーヴィンというシリコンバレーのスタートアップ起業家が作った思想です。カーティス・ヤーヴィンはトロンというソフトウェア会社でユービットというソフトを作り、既存のクライアントサーバモデルによらないP2Pベースのインターネットプロトコルを開発していました。そこに出資していたのがピーター・ティールです。
ピーター・ティールは2009年、シンクタンク機関誌「カトーアンバウンド」に自身のリバタリアニズム観について書いていて、そこで「自由と民主主義が共存できるとはもはや信じていない」と言っている。同時期にカーティス・ヤーヴィンもブログで言論活動をしていて、彼が唱えていたアンチ民主主義の思想が新反動主義と呼ばれるようになる。
そして、彼らの思想を発展継承させたのが、ニック・ランドというイギリスの哲学者。彼が2012年にオンライン上で発表した文章が「暗黒啓蒙」です。
── 暗黒啓蒙はどんな内容なんでしょう。
第一章では、ピーター・ティールの「自由と民主主義は両立しない」というテーマから出発して「腐敗した民主主義からイグジット(脱出)する」というリバタリアンのプロジェクトとカーティス・ヤーヴィンの政治思想を紹介しています。海上に自治国家を作るプロジェクトにピーター・ティールも出資していますが、それらには明確な政治システムのビジョンがあるわけではなかった。そこで、イグジットした先のビジョンを見通していたのがカーティス・ヤーヴィンだというんですね。
ヤーヴィンがどういうことを言っているかというと、要するに「民主主義はすべてやめて国家は企業のように運営されるべきだ」というんです。君主のような人間がトップについて全部を切り盛りする。そういう都市国家を乱立させて別の都市国家に自由に移れるようにする。すると都市国家どうしが競争原理で発展するから、資本主義の原理で国家を運営すればいいんじゃないかと。
第二章以降では、カテドラル(大聖堂)という造語を導入してリベラル民主主義批判を始めます。民主主義はポピュリズムにまみれていて規制も激しく、リバタリアンからすればディストピアのようだ、今のような状況になったのはフランス革命の啓蒙思想に端を発していて、平和、平等、博愛といった伝統がピューリタンの思想に結びついて、いまなお教育機関や主流メディアにはびこっているというんですね。そういったエスタブリッシュメントが奉じるリベラル思想のネットワークを、カテドラルと名づけて批判しています。
── オルタナ右翼の人々が排他的な思想をもちながら、自分たちが同じ白人から排除されたら反発するという部分には矛盾も感じます。
排除されているからこそ白人というアイデンティティにしがみつくのかもしれません。ヨーロッパ発祥のアイデンティタリアニズムという、自分たちの人種や民族や文化を守るという白人ナショナリスト運動があります。それはもとをたどれば1980年代にリベラル左派がやっていたアイデンティティポリティクスの裏返とも言えます。黒人や同性愛者などのマイノリティがアイデンティティを主張する運動でしたが、いまや白人が白人であると主張するようになった状況です。
これについて、マーク・リラという政治思想学者は「左派のアイデンティティポリティクスの失敗がオルタナ右翼やドナルド・トランプを生んだ」と言っていますね。それぞれのアイデンティティを主張することで生まれたのは、連帯ではなく分断だけだった。リベラル左派は結局普遍的な価値観を生み出すことができなかったんだと。
そうして時刻は一〇時、ヘッドフォンでThe Band『The Last Waltz』を聞きながら書見に入った。川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』である。三〇分ほどそれを読んだのち、山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』に移る。一一時頃には音楽も終わって、ヘッドフォンを外し、ベッドに移って身体に布団を掛けながら引き続き読み進める。旧約聖書や歴史書に含まれている人名の調査からわかることだが、イスラエルおいて本来崇拝されていた神は「エル」というもので、ある時点でそこにヤハウェが伝えられてきてエルと習合・同一視されたらしい。
零時過ぎまで読み進めたあたりで、目もひりついてきて良い具合に眠気も差してきたので、零時一六分で切りとして本を置き、明かりを落とした。
・作文
11:07 - 11:22 = 15分
14:28 - 14:50 = 22分
19:07 - 19:57 = 50分
計: 1時間27分
・読書
11:52 - 12:56 = 1時間4分
13:24 - 14:12 = 48分
15:02 - 16:12 = 1時間10分
21:33 - 21:56 = 23分
21:59 - 24:16 = 2時間17分
計: 5時間42分
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-05「解体しそこねた愛の痕跡は日付も記名もない日記だ」; 2019-04-06「不時着の数だけ増えるものがあるそれが何なのかは分からない」
- fuzkue「読書日記(129)」: 3月23日(土)まで。
- 「記憶2」: 148 - 152
- 「記憶1」: 47 - 52
- 山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』: 68 - 148
- 「ダークウェブよりヤバい「普通のウェブ」」(https://ascii.jp/elem/000/001/832/1832059/)
- 川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』: 402 - 474
・睡眠
2:00 - 10:20 = 8時間20分
・音楽
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- Antonio Sanchez『Three Times Three』
- The Band『The Last Waltz』