2019/7/18, Thu.

 どんなにあなたが絶望をかさねても
 どんなに尨大な希望がきらめいても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 どんな小鳥が どんなトカゲや鳩が
 廃墟にささやかな住居をつくっても
 どんな旗が俄かに高々とひるがえっても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 あやまちを物指としてあやまちを測る
 それが人間ひとりひとりの あなたの智恵だ
 モスクワには雪がふる エジプトの砂が焼ける
 港を出る船はふたたび港に入るだろうか
 船は積荷をおろす ボーキサイト
 硫黄を ウラニウムを ミサイルを
 仲仕たちは風の匂いと賃金を受け取る
 港から空へ 空から山へ 地下鉄へ 湖へ
 生き残った人たちの悲しい報告が伝わる
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は!
 ふたたび戦争 かさねて戦争 又しても戦争
 この火事と憲法 拡声器と権力の長さを
 あなたはどんな方法で測るのですか
 銀行家は分厚い刷りもののページを繰る
 経営者はふるえる指で電話のダイヤルをまわす
 警官はやにわに駆け寄り棍棒をふりおろす
 政治家は車を下りて灰皿に灰をおとす
 そのときあなたは裏町を歩いているだろう
 天気はきのうのつづき あなたの心もきのうそのまま
 俄かに晴れもせず 雨もふらないだろう
 恋人たちは相変わらず人目を避け
 白い商売人や黒い野心家が
 せわしげに行き来するだろう
 そのときピアノの
 音が流れてくるのを
 あなたはふしぎに思いますか
 裏庭の
 瓦礫のなかに
 だれかが捨てていったピアノ
 そのまわりをかこむ若者たち
 かれらの髪はよごれ 頬骨は高く
 肘には擦り傷 靴には泥
 わずかに耳だけが寒さに赤い
 あなたはかれらに近寄り
 とつぜん親しい顔を見分けるだろう
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は
 けれどもかれらが耳かたむける音楽は
 百五十年の昔に生れた男がつくった
 その男同様 かれらの血管には紛れもない血が流れ
 モスクワの雪と
 エジプトの砂が
 かれらの夢なのだ そしてほかならぬその夢のために
 かれらは不信と絶望と倦怠の世界をこわそうとする
 してみればあなたはかれらの友だちではないのですか
 街角を誰かが走って行く
 いちばん若い伝令がわたしたちに伝える
 この世界はすこしもすこしも変っていないと
 だが
 みじかい音楽のために
 わたしたちの心は鼓動をとりもどすと
 この地球では
 足よりも手よりも先に
 心が踊り始めるのがならわしだ
 伝令は走り去った
 過去の軍勢が押し寄せてくる
 いっぽんの
 攻撃の指が
 ピアノの鍵盤にふれ
 あなたはピアノを囲む円陣に加わる。
 (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、170~175; 「ショパン」; 「8 モスクワの雪とエジプトの砂」; 『頭脳の戦争』より)


 何度も目覚めながらも一二時二〇分までぐずぐずと床に留まる。夢をいくつも見たがもう覚えていない。起きられたのは上階で母親が帰ってきた気配が立ったからである。部屋を抜けて階段を上がり、洗濯物をベランダに出している母親におかえりと言う。料理教室で食事を作ってきた。そのほかに前日の残り物の野菜炒めや天麩羅を温め、卓に。食す。テレビは『サラメシ』。母親は素麺を食っていた。料理教室の先生が高いものばかり食べているようでそれを自慢してくるとか何とか話す。何か上から目線みたい、と前々から言っているところだ。母親が作ってきた弁当のうち、ゴーヤの炒め物だけ食べて、そのほかのものも食し、抗鬱剤を服用すると使った食器を洗った。それからトイレに行って排泄し、そののち風呂場。風呂桶をブラシで擦って洗う。頭のなかには、FISHMANS "君だけがダイヤモンド"が繰り返しリピートされる。風呂を洗い終えると浴室を出て下階へ。自室に入ってコンピューターを点け、Evernoteなど準備する。Twitterにアクセスするとまたインターフェースが新しい版に変わっていた。何なのかよくわからない。京都アニメーションで放火との報。それから前日の記録を付けると日記を書き出し、書くこともそうなかったので僅か六分ほどでここまで綴っている。音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』。楽な仕事だ。
 Twitterをしばらく眺めたあと、ベッドに移って読書。ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』を新しく読み出した。ポピュリストは、反エリート主義者であることに加えて、常に反多元主義者であると。彼らはまた「真の○○」の一員ではないと見做した人々と対決を続けて、「唯一真正な人民」なるものを統一しようとすると。彼らが代表すると主張する「真の人民」の外にいる国民、要するに反対派は、「真の人民」の民主主義的な意志に反するものとして排除される。従って分断は彼らの恐れるところではなく、むしろ望むところなのだが、選挙演説中に反対派の抗議を受けて、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放った際の安倍晋三の振舞いも、こうしたポピュリスト的な態度に当て嵌まるのではないか。先の言葉は換言すれば、「お前たちは私が代表する真の人民ではない」ということになるだろう。この点、演説中にドナルド・トランプ支持者に乱入されても、人々に落着くように呼びかけて、アメリカは言論の自由を尊重する、彼の意見に敬意を払おうと言って鷹揚に対処したバラク・オバマの「余裕」とは雲泥の差があると言って良いだろう。
 一時間ほど読んでいるあいだ、外では近所の草刈りの機械の音が響いており、それとは別にまた、時鳥の鳴きも頻りに聞こえた。三時を迎えて上階へ。食事。先ほど食った母親が作ってきた弁当の残り。シラスご飯である。暑いね、蒸し暑いねと母親頻りに言う。ゆで卵とヨーグルトも食い終わると弁当の入っていたパックを洗って下階へ下り、歯磨き。それからFISHMANS『Oh! Mountain』を"感謝(驚)"から流しはじめて着替え。そうして三時三三分から「記憶」記事を少々音読。七分のみ。それで三時四〇分に達すると、コンピューターをシャットダウンし、荷物をまとめて上階へ。選挙通知の葉書をリュックサックに入れる。勤務後に図書館に行って期日前投票をしてくるつもりだったのだ。裏面の期日前投票をするのに必要な記入欄は、先ほど食事を取る前に、あるいは取ったあとだったかもしれないが、どちらでも良いのだが、ともかく記入しておいた。
 そうして出発。今日は歩いて行くのではなくて最寄り駅からの電車を取ることに。雨が降っていたので黒傘をひらく。西へ。蟬の声。白く薄く拡散して空間に網のように伸び広がるような声色である。ニイニイゼミだろうか? あまり強い、激しい、という感じは受けない。坂道に入って上っていく。駅に着くと、蒸し暑さのために肌に汗が湧いて、ワイシャツや肌着やスラックスの裏の脚まで汗だくになり、捲った袖から露出した腕の上には汗の水玉模様が生まれる。屋根の下で手帳を取り出し眺める。じきに電車やって来た。雨のなか、閉じて縛った傘をもう一度ひらくのが面倒だったので、屋根の外には出ず、ホームの先には行かず、その場から電車に乗る。車内は涼しい。冷たいくらいの空調。扉際で手帳眺めて青梅駅に着くと降り、ホームを移動して階段を下りる。そうして職場へ。
 今日は一時限のみ、相手は二人とも小学生である。初顔合わせの(……)さん(小六・国語)が中学受験用のテキストを扱っていたので、授業準備はそれの予習に費やされた。もう一人の相手は(……)さん(小四・算数)。彼女は半分の四五分。それも授業の初めから半分ではなく、後半の四五分なので、前半は(……)さんとマンツーマンでの授業となった。彼女が文章を読んだり問題を解いたりして暇な時間は中学三年の夏期講習用の国語のテキストの文章を読んでいた。(……)さんはどのような子供か――まだ一回当たっただけなので掴みきれないが、わりあい真面目ではある。中学受験をしようというのだから当然である。どちらかと言えば大人しい方だが、質問には問題なく答えてくれるし、自分からわからないところはわからないと言って聞いてもくれる。あまり笑い顔は見えなかったが、まあこちらという人間に慣れていけばまた違ってくるだろう。それに対して(……)さんはいつもニコニコしているようなタイプの子供である。今日扱ったのは掛け算。ゼロがいくつもついている掛け算の筆算のやり方を学んだ。特に問題はないと思う。
 授業後、片付けを済ませると、(……)さんがもう一人、友達の子とはしゃぎあって騒いでいる。「(……)ちゃん」と呼ばれている子で、名前は確か(……)さんである。この子はいつも教室の入口から見て奥の方の席で自習か何かしていて、そのうちに母親が迎えに来る。昨日、出勤しようと歩いている途中、まだ街道に出ていない段階で、つまりT田さんの宅の前あたりで、この子らしき少女がてくてく歩いているのとすれ違ったのだが、家がこちらの方なのかもしれない。(……)さんが二人のやんちゃな少女の騒ぎに巻き込まれていて、授業中だから静かに、とか言っているのだけれど、それで聞く子供ではない。その後ろに近寄り、苦笑しながらお疲れ様ですと声を掛けた。すると二人の少女が、もう帰るの? 早すぎ! とか言ったあと、(……)さんがバイバーイ、バイバーイ、と手を振ってくれた。実にあどけなく、非常に可愛らしい。心和む。それで、二人とも静かにしてねと一応残して職場をあとにした。
 駅に入って乗車。手帳を見ながら河辺まで乗る。降りてエスカレーターを上がり、改札を抜けると券売機に寄ってSUICAに五〇〇〇円チャージ。そうして高架歩廊に出て、雨はもう降っていなかったので傘は差さずに渡り、図書館のビルに入るとリュックサックから選挙通知葉書を取り出した。こちらの前にやはり期日前投票をしようとした婦人が、入口のところに立っている婦人と知り合いだったらしく、久しぶり、とか甲高い声で交わして、子供がどうのとか話していた。そのあとから続いて入り、葉書を職員に差し出す。まず第一のチェック係がいて、その人が葉書の両面を何やら眺めたあと、さらに受付に提出。その人も両面を確かめたあと横の、コンピューターを前にした職員に渡して、そうして最後に待ち構えた女性が、コンピューター前の男性から葉書を受け取って、黄色い投票用紙とともに渡してくる。東京都選挙区です、候補者の名前を書いてくださいと言ってくる。それで記入台に寄る。選挙区の投票と比例代表の投票と、二回に分けて投票するのだが、そのシステムを理解していない人がなかにはいて、戸惑いながら職員に説明を受けて誘導されていた。こちらは、立憲民主党の塩村あやか候補にするか山岸一生候補にするか迷ったのだけれど、結局後者に投票することに。新聞記者として蓄えてきたであろう経験や知見を活かしてほしいという気持ちと、何となくではあるが彼の方が苦戦するのではないかという気がしたのだ。根拠は薄弱なのだが、塩村氏の都議という経歴の方が広く買われるのではないかと何となく思ったのだ。それともやはり、彼女の方が女性だという理由で苦戦するのだろうか? わからない。ともかく、もう投票は済ませてしまった。そうして部屋の角、書記台の列のあいだに座っている男性にもう一度葉書を差し出し、比例代表の投票用紙を受け取る。これも山本太郎のれいわ新選組に投票してみたいような気持ちがまったくないではなかったのだが、しかしあの俄な盛り上がりからは未だクールに距離を取ることにして、やはり無難に立憲民主党の名を書いた。それで退出。ゲートをくぐって図書館に入って、カウンターにCDと本二冊を返却。そうしてCDの棚へ。新着には目ぼしいものはなし。その後、ジャズの棚、ロック/ポップスの棚と見るが、物凄く借りたいというほどのものは特に見つからなかったので――Robert Glasperの新バンドの音源を借りたいのだが、借りられているのか見つからない――何も借りないことに。そうして階段を上がって上へ。新着図書を確認したあと、政治学の棚に行き、先日は見つからなかった仲正昌樹『悪と全体主義』を今日は見つけたが、取ってめくってなかを覗いてみると思ったよりも惹かれなかったので借りないことに。それから哲学の棚を見に行って、ここもちょっと見分するが、図書館の本よりも家に持っている積み本を読むべきだろうとの思いに苛まれ、やはり今日は何も借りないことに。そうして席へ就く。コンピューターを取り出し、ハンカチで埃を拭き取ってから起動させ、六時四九分から日記を書き出した。適当に、さらさらと書き進めているのだが、それでも三〇分以上、掛かるものである。
 それから谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』の書抜きを始めたのだが、二箇所抜いただけですぐに止めた。八時の閉館までにおそらく終わらないだろうとの見込みが立ったためだった。加えて、書架をもう少し眺めたい気持ちもあったので書抜きは中断して、コンピューターを仕舞い、席を立った。フロアを横切っていき、文庫の棚の前に立つ。次の読書会の課題書であるルドルフ・ヘスアウシュヴィッツ収容所』の所在を確認したあと、先ほど何も借りないという決意を固めたはずだったのだが、それを早々に翻し、アウシュヴィッツ関連の文学作品でも借りてみるかと海外文学の棚を見分した。『アウシュヴィッツの囚人写真家』とかがあったが、決めきれないうちに、検索機でどのような著作があるかタイトル一覧を目にしてみようと思いつき、機械に寄ってタッチパネルに触れ、「あうしゅゔぃっつ」と入力した。それで出てきた一覧のなかに、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』の名前があって、ああそうだった、これも読みたいものだったと思いだしたのでそれを借りることに。『アウシュヴィッツは終わらない』の改訂版である。そうして歴史学の棚に行き、ドイツの区画から同書を見つけ出した。近くにあったティモシー・スナイダー『ブラックアース』なども読みたいものである。それから貸出機で一冊、手続きを済ませてリュックサックに本を入れ、退館へ。
 駅に渡る。掲示板を見ると、青梅行きはもうすぐ来るところで、奥多摩行きへの接続はその一本あとである。改札をくぐってエスカレーターを下り、喉が渇いていたのでまたコーラでも飲むかというわけで自販機に近寄り、一三〇円の二八〇ミリリットルのボトルを買った。ホームにいた人々は、ちょうどやってきた立川行きに大方乗って去って行った。人の捌けたホームでベンチの端に座り、コーラを開けて口にした。飲み終わらないうちに青梅行きがやって来たので乗り、席の端に就いて揺られながら引き続き炭酸飲料を飲み続けた。東青梅に着いているあいだに飲み干すと、ポケットから手帳を取り出して眺める。そうして青梅着、降りると雨が降っていた。雨粒を受けながら歩き、自販機横のダストボックスに空のボトルを捨て、ホームの屋根の下へ。奥多摩行きはまだ来ていなかったが、待合室の壁の前で待っているうちにまもなくやって来たので、乗り込み、三人掛けに腰掛けた。手帳を見ながら到着を待つ。
 到着。降りる。雨はまだ降っている。小雨だが。屋根の下に入り、階段通路。頭上の蛍光灯に向かって大きな羽虫が飛び回っている。そのなかを抜けていき、駅舎を出ると傘を差した。そうして横断歩道を渡って木の間の坂道へ。帰路を辿る。
 帰宅すると母親は既に風呂に入ったあとだった。時刻は八時半前。ワイシャツを脱いで洗面所の籠のなかに入れておき、下階へ。着替えて食事へ行く。炒飯と、あと何だったか……濃い色の味噌汁。それから素麺のサラダだ。そんな物々を食べる。テレビは『モニタリング』。どうでも良い、実にくだらない番組である。目を向けず、新聞をひらいてそちらの記事に目を落としたが、何を読んだのかは覚えていないので意味がない。どうにかしてもっと記憶力が向上されないものか? 食後、抗鬱剤を飲み、食器を洗って、風呂は帰ってきた父親が入っていたので一旦下階へ下りた。コンピューターを点け、だらだら過ごしながら風呂の番が来るのを待ち、出た気配が伝わってくると上階へ。入浴。出てくるとパンツ一丁で自室へ戻り、一〇時から書抜き。三〇分で谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』を終わらせる。音楽はDonny Hathaway『These Songs For You, Live!』を流して時折り口ずさんでいた。それから日課の記録に一時間ほどの間が空いているが、このあいだには詩を作っていたのだ。二つ作成。

 蟬が鳴き出した
 たった一匹で
 白く淡く
 薄っぺらに拡散し
 水っぽく光を孕む霧のような声
 天気は小雨
 もやもやと 酷く蒸し暑くて
 肌には汗の水玉模様
 やりきれないな この初夏の
 匂い立つような暖気のなかで
 僕はまた 眠ってしまい
 枕を湿らせながら
 銀河色の空の兎になった夢を見る

 二〇一九年日本の初夏の
 蒸し暑い真夜中零時零分に
 僕は詩になる
 それは君のためさ

 水銀色のまっすぐな光を帯びた
 雨雲の向こうの朧月のさらに彼方で

 体温と雨と鼓動が
 ぴったり同期して
 僕ら 馬鹿みたいに燥ぎ さざめきながら遊んだね

 二〇一九年日本の梅雨の
 重苦しく閉鎖した夜零時零分に
 僕は詩になる
 それは君のためさ

 カップに注がれたコーヒーに混ざった
 ミルクの膜にひらいた穴のなかで

 鴉一匹さえも正視できない
 あんまり真っ赤な太陽の光を想いながら
 僕ら この闇夜のなかに囚われ憩う

 二〇一九年日本の初夏
 やりきれない砂漠のような零時零分に
 君と詩になる
 それは僕の夢さ

 エメラルド色のサイダー瓶をいっぱいに満たした
 涙の泡[あぶく]に宿る光点のなかで

 僕という現象は
 熱と電気と空っぽな心の交感作用
 まるで白痴の垂らした涎の一粒みたいなもの
 こうしていつも真夜中に起き出しては
 押し殺した呻き声を上げずにいられない

 まあ大したものではない。手慰みの域を越えないものだ。岩田宏とか石原吉郎とかはどうしてああも鮮烈な言葉を綴ることが出来るのだろうか。まったく凄い。今こちらは詩を作ると言って、大体時間を掛けずに一時間かそこらでさっと作ってしまうので、もっと何日も掛けて推敲する経験を得た方が良いのかもしれない。
 それから、Mさんのブログを読む。今日ではなくて昨日読んだ記事に書かれていたと思うが、「イニシエダンジョン」を朝の九時までぶっ続けでやっていたという報告には笑った。完全に中毒患者である。その後、星浩冷めたピザ? 凡人・小渕首相のしたたかな実像 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(9)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019013100007.html)を読む。現在の自公連立の原点を作ったのが小渕恵三首相だったと。彼は創価学会の会長か誰かお偉方と同級生で、繋がりがあったらしい。インターネット記事を読んだあとは、ベッドに移ってヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』を読み出した。「リベラル」とか「ポピュリズム」というのは、アメリカとヨーロッパでは意味が違ってくると。北米では「リベラル」というのは「社会民主主義的」という意味を表し、「ポピュリズム」はその非妥協的な形態を含意する一方、ヨーロッパにおいてはポピュリズムリベラリズムと結び付けられることは決してない。リベラリズムとはこちらでは、多元主義の尊重であったり、抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)を含んだ民主主義を表すとのこと。
 三時半前まで読んだのだが、最後の方は例によって意識を失っていたような気がする。よく覚えていないのだが。よく覚えていないというそのことが意識が曖昧だった事実を証している気がする。あとそうだ、途中で、歯磨きをしたにもかかわらず、腹が減ったので「どん兵衛」の鴨出汁蕎麦を食った。一時半頃だったと思う。そうして三時半まで読み、手帳に読書時間を記録して、就寝。


・作文
 13:06 - 13:12 = 6分
 18:49 - 19:24 = 35分
 計: 41分

・読書
 13:51 - 14:56 = 1時間5分
 15:33 - 15:40 = 7分
 19:27 - 19:35 = 8分
 22:03 - 22:35 = 32分
 23:37 - 23:53 = 16分
 24:17 - 24:40 = 23分
 24:43 - 27:23 = 2時間40分
 計: 5時間11分

  • ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』: 2 - 33
  • 「記憶」: 12 - 16
  • 谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』新潮社、二〇一七年、書抜き
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-07-15「停電の合間にかわす目配せと列車が通る間のささやき」; 2019-07-16「かたむけたグラスのような横顔のあなたが酒を断る仕草」
  • 星浩冷めたピザ? 凡人・小渕首相のしたたかな実像 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(9)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019013100007.html

・睡眠
 3:30 - 12:20 = 8時間50分

・音楽