2019/7/26, Fri.

 ところで、そのようなほとんど古典主義的な名文を動員しているものは、従来の〈見方〉を根本的に変更することを要求しているフーコーの〈視線〉である。フーコーは、哲学者の使命は「人が見ていながら見えていなかったものをはっきり見えるようにすること」にあるとして、そのためには「僅かに視点をずらすだけでよい」と述べるのを好んでいる。しかし、〈覆われたもの=見えないもの〉を露呈させるという形で立ち現われる〈真理=アレーテイア〉の探求という、伝統的に哲学が使命とすることを好んだ〈視線〉に対し、一見遙かに謙虚にも見えるこの選択は、しばしば、〈隠されたものの露呈〉以上に重大な変更を思考の作業にもたらすのであり、考え方の、その価値表の逆転を要求しさえもするのである。『性の歴史』の第一巻をなす『知への意志』において、フーコーは、性に基く衝動や行動、あるいは現象の歴史を分析するに当って、それを「禁止」や「検閲」という「抑圧」のメカニズムからではなく、「性行動・性現象の言説化を煽動する装置」という視座を選ぶのであるが、その際に、「抑圧の仮説」とフーコーが規定するもの、つまり通念的に主張されている「性の歴史」を一こま一こまひっくりかえして[﹅8]いくその手つきは、ほとんどスリリングですらあるのだ。
 (渡辺守章フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、11~12; 「フーコーの方法」)

     *

 (……)フーコーは、あまりにも身近かなものであるがゆえに詳しくは述べなかったのかも知れないが、このような民俗学の歴史主義からの自立は、言うまでもなくレヴィ=ストロースの方法論的選択であった。レヴィ=ストロースは、自らの構造人類学を確立するに当って、マルクス主義に代表される〈歴史の呪物崇拝〉を排し、〈時間〉の暴政から〈知〉を解き放とうとしたのであり、直線的な、しかも普遍的に通用すべき発展段階的史観という、西洋近代が作り上げた進化論の文明版から、自己の研究領域を切り離し、自立させるのは急務であったからだ。
 しかしフーコーにとって重要だと思われるのは、歴史を「不断の連続性の糸」として捉える態度と、「主体[シュジェ]としての意識」とは全く相関的だという点である。そのような「連続性」に基く歴史は、人間の周囲に、人間の言葉や仕草の周囲に、常に再構成されようと待ち構えている漠とした統合を編み出すことによって、意識にとってのアリバイとなるからである。そのような連続性の歴史は、物質的な決定力とか無意識の作用、あるいは制度や事物の中に忘れられている意図などを明らかにすることによって人間から奪い去ったものを、すぐさま一つの統合という形で人間に対し再現してくれるし、再び人間が、そういう人間の手を逃れていたすべての糸を取り返し、それらの死んだ活動のすべてを再活性化し、そうすることで、それらの至高の主体[シュジェ]となることを可能にするからである。こう考えれば、すでに半世紀この方、精神分析学が、言語学が、民族学が解体してしまった〈主体[シュジェ]〉というものの最後の拠り所がこのような〈連続性の歴史〉だったのであり、それに手をつけることが哲学者にとって許し難いものに映じたのも当然のことであった。
 (20~21; 「フーコーの方法」)


 珍しく、七時半頃に自ずと起床することに成功したのだが、結局あとでまた眠ることになる。上階へ行き、母親に挨拶して便所へ。放尿。戻ってきて台所に入ると、フライパンにはソーセージとジャガイモとインゲン豆が炒めてあったので、それらをよそり、さらに前夜の残り物である茄子の味噌汁も加熱して、鍋を傾けて残った量をすべて椀に注ぎ込んだ。そうして食事。母親も向かいで食事を取っている。医者に行こうかな、と口にした。その後図書館に行って仕事の時間まで過ごすつもりだと。それで食事を食べ終わると食器を洗ってから洗面所に入ったが、洗濯はまだ完了していないと言うので、下階に戻った。コンピューターを点けて前日の記録をつけ、この日の記事を作成し、その後八時一五分からベッドに移って書見を始めたが――プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』である――またもや途中で眠りに落ちてしまった。どうしようもない。何故にこうまで眠ってしまうのか? 気づくと一〇時半前。重い身体を引いて上階に行き、風呂を洗った。母親がカレーを作ったから食べて行けばと提案するが、時間ももうあまりなかったし、カレーは今ではなく夜に食べたいという気持ちが何となくしたので、断り、下階に戻って、Twitterを覗きながら歯を磨いた。それからまた上に上がり、階段脇の腰壁の上からボディ・シートを一枚取って肌を拭った。母親は、赤紫蘇ジュースを作ったからおばさんに分けてあげようと言って、外に出て隣家に行った。このあたりの気さくなところと言うか、わざわざ隣の家に分けてやるところは母親の良い性分だと思う。こちらは下階に下りるとワイシャツとスラックスを身に纏い、コンピューターをシャットダウンしてリュックサックに入れ、電源コードやマウスも同じくリュックサックに収めた。そのほか、図書館に返却したり書抜きをしたりする予定の本を何冊もリュックサックに詰め込み、そうして上階へ。時刻は一一時を過ぎたあたりだったと思う。母親に行ってくると告げて出ようとすると、熱中症予防のタブレットを持っていきなと言うので、一つだけ受け取って口に入れ、そうして玄関を抜けた。
 今日は晴れである。新聞の天気予報を見たところ、夕刻からは雨のマークになっていて、降水確率も七〇パーセントを記されてあったのに、傘を持たずに出てしまったがどうなることか。日向の道を西へ向けて歩いていると、後ろから自転車がやって来た。野球服姿の少年が乗っている。(……)兄弟のどちらかだなと思えば果たしてその通りで、通り過ぎざまにうす、と声を掛けて会釈してきたので、こんにちはと笑って返した。陽射しは分厚く重く、いかにも夏のそれである。坂に入って上って行くと、木洩れ陽を受けて路面に空いた光の穴の、頭上の緑の天蓋が大きく風に揺らされることで、路上のそれも絶えず振動し、震えて影と光の交錯を見せ、まるで足もとが水面と化したかのようだった。そのなかを上っていき、出口に掛かると、あたりの緑が光を受けて艶々としていて、強烈な太陽の下で空間の解像度が上がったかのようだった。美しい日と言っても良いだろう。
 横断歩道を渡って階段通路を辿り、ホームに入った。ベンチには先客が一人。今日は中年の男性だった。こちらもベンチに座り、手帳を取り出して読んだ。座っているあいだ分厚い風が吹き流れ、横から肌を涼めてくれる。線路を挟んだ向かいの石壁、敷地の縁では草々が風に震わされて明緑色が空間に散乱している。そのなかを雀が一匹、すっと宙を切って渡っていき、向かいの敷地の梅の梢に突っ込んでいった。空の際には雪原めいた雲も見え、陽は時折り陰って、すると巨大な雲の影が目の前の線路から遠くの丘まですべて覆って流れていき、その様子は空間全体の色が一挙に塗り直されるかのようだった。そして数秒も経たないうちに、雲が太陽の前を素早く過ぎていったのだろう、ふたたび陽が出てきてあたりは暖色に明るみ、また空間は塗り直されて元の色彩を回復するのだった。
 電車到着のアナウンスが入ると立ち上がってホームの先に向かった。電車に乗ると引き続き、扉際で手帳を見やる。塾の生徒の(……)さんが祖母らしき高年女性と一緒に席に就いていたが、その存在を認識すると、それのみでそれ以上視線はそちらに向けず、手帳を注視した。青梅に着くと乗り換え、すぐ向かいの車両に乗り込み、歩いて一つ車両を移って、席は空いていたけれど、二駅のみだからと扉際に立った。リュックサックを下ろしたり背負い直したりするのが面倒臭かったのだ。それで河辺に着くと手帳を仕舞い、すぐ目の前の階段からは上がらず、エスカレーターのある方の上り口に向かっていき、動く足場に乗せられて階を上がると改札を抜けた。そうして駅舎を抜けると、駅前ロータリーの中央で噴水が水を撒き散らしながら大きな音を立てている。ロータリーを回って家々のあいだに入り、隈なく日向の敷かれている道を、分厚い熱気を受けながら歩いて行って医者に向かった。
 ビルに入ると階段を上っていき、待合室に入ると先客は二、三人だった。ソファ席に寄って重いリュックサックをまず下ろし、財布を取り出してカウンターに寄るとこんにちはと挨拶をして、診察券と保険証を差し出した。すぐに職員が保険証の番号をカルテと突き合わせて確認するのでそれを待ち、返されたものを受け取って席に就いた。あとは呼ばれるまで手帳を眺めるのみである。クラシック音楽の薄く流れるなかで三〇分ほど過ごしただろうか。呼ばれたのは一二時二〇分かそこらだったと思う。受付の職員に呼ばれるとはいと答えて、部屋を鷹揚に横切り、診察室の扉を二回ノックしてなかに入り、こんにちはと挨拶をした。そうして革張りの椅子に腰掛けると、どうでしたか、今月の調子はといつも通り掛けられるので、まあ、問題なく、と受けた。そろそろ学校が夏休みに入って、忙しいんじゃないですかと言うので、そうですね、と笑みを返し、一日何時間くらいですかと訊かれるのには、三コマなので……六時間くらいですかねと答えた。医師は、三コマならまあ、それほどではないな、といった反応を見せたが、こちらからすると三コマでも充分に長い。そのほか、文章を書いたり音楽を聞いたりしていますねと言うので、はい、はい、と受けて、順調ですねと判断が下された。順調なので薬もこのままで行きましょうかと終わりかけたところで、減らしませんかと笑みとともに突っ込むと、医師は、良い調子なのであまり弄りたくはないのだが、と言い、減らしたいですかと柔和な笑みを浮かべる。なるべく早く減らしたいとは思っておりますとこちらも笑みで受けると、それではアリピプラゾール=エビリファイの朝の分を除いて、夜だけにしましょうかとなったので、わかりました、有難うございますと言って席を立った。そうして出入口の扉に近寄ったところで、失礼しますと言って再度頭を下げ、退出した。
 会計――一四三〇円――を払うとソファ席のリュックサックのところに戻り、領収書を折ってなかに入れ、手帳とお薬手帳、それに処方箋は手に持ったまま待合室を抜け、階段を下りて行った。ビルを出ると隣の薬局へ。入ると先客は一人だけで随分と空いていた。局員に処方箋とお薬手帳を差し出し、五六番の札、札と言うか紙だが、それを受け取って席へ。手帳を眺めているうちに呼ばれたのでリュックサックを背負ってカウンターに寄り、局員を相手に定型的なやりとりを交わして、金を支払った。二〇六〇円だったか? そうして退出し、重く厚い陽射しのなかを駅に向かう。朝にものを食って以来何も腹に入れておらず、そろそろ胃が空になってきていたので、血糖値も下がっていることだろうし、陽射しにやられてくらくらくるのではないかと危惧しながらも、歩を確かに進めて行った。駅舎に入ると通路を辿って反対側に出て、まず図書館へと渡り、入口脇のブックポストに三冊を返却した。それでリュックサックを少々軽くすると道を戻って、途中で階段に折れて小走りに下りていき、コンビニに入店した。オレンジ色の籠を持って店内を回り、濃いカルピスと、おにぎり二つ――シーチキンマヨネーズと鶏唐揚げマヨネーズ――と、ホイップドーナツを籠に入れた。本当はチョコレートの混ざったオールド・ファッション・ドーナツを食いたかったのだが、その品は売れてしまったのか、それとも生産を中止したのか、見当たらなかった。そうして会計。愛想の良い中年の女性店員を相手に五五三円を支払い、店を出ると、ふたたび階段を上った。階段を上っている途中、手摺を見ていると、矢印を付した「踊り場」とか「階段下り」といった表示とともに、点字が施されているのに気づいた。空は蒼穹に白雲が組み合わされていかにも夏の明るさである。図書館に入ると、飲食スペースのテーブルに寄って腰掛け、ビニール袋からまずカルピスを出して摂取した。それからおにぎりを食べ、ドーナツも最後に食べて、もう一度カルピスを飲むと席を立ち、ビニール袋をぐしゃぐしゃと丸めながら外に出て、階段を下りた。図書館の飲食スペースを使ったのは、コンビニ前のベンチが何故か撤去されていて、そこにはカラー・コーンが残っているのみになっていたからなのだが、ベンチがないにもかかわらずそのあたりに座ってたむろしている男たち――若者ではない、素性の知れないような風体の者たちだ――がいて、彼らのもとに女性警官が一人寄って何やら声を掛けていた。こちらがダストボックスにゴミを捨てていると、女性警官は男たちの元から離れてコンビニに入店していった。男たちは何だろう、酒盛りをしていたわけではないとは思うのだが、何かよくわからないけれどとにかく集まってたむろしていた。階段をふたたび戻り、図書館に入って、雑誌の棚から『現代思想』を取ってちょっとめくった。panpanyaが寄稿していた。そうして雑誌を戻すと今度はCDの棚に寄って新着を確認し、それから階段を上がって新着図書も確認したのち、書架のあいだを大窓際へ抜けて、空いている一席に入った。リュックサックからコンピューターを取り出し、電源とマウスを接続すると、ハンカチで画面やキーを拭いてから起動させ、カルピスをまたごくごくと飲んだあとに日記を書きはじめたのが一時過ぎだった。それから一時間半ほどでようやくここまで追いつくことが出来た。
 それから書抜き。大澤聡『教養主義リハビリテーション』から文言をひたすらに打鍵して写す。それで二時間ほどを費やした。時折りリュックサックからカルピスを取り出して口をつけ、ごくごくと喉を動かした。本当は席での飲食は禁止されているのだが、水分をちょっと摂るためにその都度わざわざテラスまで移動するのは面倒臭い。このくらいは図書館の職員の人も許容してくれるだろう。途中で大窓の遮光幕が上がって外の景色が露わになったが、曇ってはいるものの雨は降らなそうだった。大澤聡『教養主義リハビリテーション』のあとは、小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』を一箇所抜書きしたのだが、その頃にはもう五時が近くなっていた。乗るつもりの電車は五時一四分、その前に書架をちょっと眺めたかったので、同書の書抜きは一箇所のみで終いとし、コンピューターをシャットダウンし、リュックサックに本やコンピューターを仕舞って席を立った。それで書棚のあいだへ。数学の区画を見分した。続いて物理学の区画も。目当てと言うか、探していた本は二種類あって、一つは物理学者リチャード・ファインマン氏のエッセイ、もう一つは、この時点では著者名も著作名も思い出せなかったのだが、数学者小平邦彦氏のやはりエッセイである。どちらも、岩波現代文庫に入っているのを書店で見かけて興味を持っていたものだ。ファインマン氏の方は、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』といった一連のエッセイ・シリーズを出しており、小平氏の方は、『ボクは算数しか出来なかった』というやはり自伝的エッセイを出版している。それで次には文庫の棚の方に行き、岩波現代文庫の当該著作があるかどうか調べたのだったが、見当たらなかった。さらに検索機に寄って、この時点では著作名が正確に思い出せなかったので、「算数」というキーワードで蔵書検索したが、出てきた無数の結果に目を凝らしても、やはりそれらしい著作は見当たらない。現在、翌七月二七日の正午前にこの日記を綴っているわけだが、先ほど図書館のホームページで改めて「小平邦彦」で検索してみても、引っかかるのは昔に出版されたハードカバーのみで、岩波現代文庫のバージョンは所蔵していないのだった。仕方がない。読みたければ買うしかないわけだ。そうして検索機の前を離れて、そろそろ電車の時間も近づいていたので、退館に向かった。
 図書館を抜けると、手に持っていた『教養主義リハビリテーション』をブックポストに返却し――カウンターに返却しなかったのは職員と数語であってもやりとりを交わすのが煩わしかったためである――歩廊を駅へと渡る。眼下のロータリーではパトカーが一台停まって、屋根の上の赤いランプをぴかぴかと点滅させている。駅に入ると改札を抜けてエスカレーターに乗ってホームに下り、一号車の端の位置に立った。そうして手帳を眺めているうちに電車がやって来た。車内には車椅子に乗った男性が一人おり、降りようとしていたので、その脇を抜けて向かいの扉際に立ち、振り返って車椅子の男性が、駅員の用意した簡易的な板――車両出口と駅ホームのあいだの段差を無化するもの――の上を通り抜けて降りていくのを見つめた。そうして扉際に立ったまま、青梅に着くまで手帳を眺めて、到着するとすぐには降りずに――改札へと向かう人々の流れを避けるためである――ちょっと待ってから車両をあとにした。ホームを歩き、階段通路を行き、改札を抜けた。改札の外には数人の小さな子供と、祖母だろうか女性があって、どうも帰っていく孫を見送るような様子らしかった。その横を通り抜けて職場へ。
 授業開始まではわりと時間がある。準備は国語のテキストを読むのに大方は費やされた。タイム・カードを押しに入口近くに行った時、西空から太陽の光が照射されており、それが入口のガラス戸の上端を縁取って眩しかったので目を細めていると、室長も同じように眩しそうにしていた。と言うのは、ちょうど室長のデスクに向かって西陽が射し込んでいるところで、彼の額のあたりが暖色で染まっていたのだ。それでタイム・カードを押してから、今日は夕方から雨とか言っていましたけどねえ、と声を掛けると、雨、降りましたよ、との返答があった。(……)さんがチラシ配りに行った際に、ちょうど雨に降られてびしょ濡れになったのだと言う。それでだろうか、彼女はスーツの上着を脱いでシャツ姿になっていた。お疲れ様ですと苦笑で掛けながら彼女の後ろを通り過ぎ、準備に入った。
 今日は二コマ。一時限目は(……)さん(中三・国語)、(……)さん(高一・英語)、(……)くん(中三・英語)が相手。(……)さんに対する解説は今日は結構充実させられたように思う。ノートにも、逆説の接続詞によって生まれるマイナスのニュアンスについてや、文章中に二項対立の論旨展開が見られた場合は、大抵、どちらか一方の項がより高く評価されているのでその点を見分けるようにとのアドバイスなどを書き記してもらった。彼女はわりあいにやりやすい相手である。笑みも多い。(……)さんは休職前にも在籍していて、当たったことのあった相手だったので、昔、当たったことがあるんだけど……と最初に口にすると、覚えているという反応があったので、改めてよろしくお願いしますと挨拶した。現在高一なので、昔当たっていた頃はおそらく中学二年だった。お互いに歳を取ってしまいましたねえ、などと笑ったが、そのあとすぐに、そうでもないか、と執り成した。今日扱ったのは完了時制。現在・過去・未来完了のそれぞれを区別して上手く問題に対応させるのが難しいようだったが、授業態度は真面目で、ノートも充実させてくれたので、悪くはない。(……)くんも結構出来る方のようである。今日扱ったのは未来形の単元だったが、ミスはイージー・ミスの類がいくつかあるのみだった。ノートには、willの次は動詞の原形になること、freeといった形容詞を使う場合の動詞はbe動詞になること、の二点を記してもらった。彼も真面目な授業態度で、終わりの際など、大きな声で有難うございましたと挨拶してくれるのが美点だ。
 二コマ目は(……)くん(中一・国語)、(……)くん(中三・社会)、(……)さん(中二・英語)。(……)くんは、野球部の部活が大変なようで、大きな荷物を二つも持っており、ぐったりしていて表情にも覇気がなかった。国語は最初は宿題だった箇所を扱ったが、そののち、夏期講習用のテキストで演習に入った。しかし、残り時間が足りなくて解説まで至れず。(……)くんを相手にするのはわりと慣れてきたような気がする。無口で大人しい生徒であはるが、質問をすれば答えてくれるということもわかってきた。しかし、ノートの方はそれほど積極的には書いてくれないという印象。まあそれでも欄をいっぱいに埋めるくらいには記してくれているが、こちらの狙ったポイントとはずれたところを記すような感じだ。まあ良い。(……)さんは小六の時分にも何回か当たったような覚えがあるのだが、それには触れずによろしくお願いしますと挨拶した。今日扱ったのは一般動詞の過去形。問題はおおよそ解けているのだが、写し間違いなどの細かいミスがあって、それに気づかないあたり、少々不安ではある。
 退勤は九時半を過ぎてしまった。翌日の準備、と言うか、翌日当たる英語の範囲のプリントを、家で予習しようと思ってコピーしたりしていたためである。退勤すると、降りてきた人々の流れに逆行して駅に入り、通路を辿り、階段を上がってホームに出た。自販機に近寄り、一三〇円で二八〇ミリリットルのコカ・コーラを今日も買う。この時、今までで初めて、SUICAを使って飲み物を買うということを実行してみた。今まではいちいち硬貨を挿入して買っていたのだが、この日はリュックサックを背負っており、背中のそれを一度下ろして財布をわざわざ取り出さなければならないのが面倒臭かったのだ。それでSUICAを利用してみたのだが、確かに楽ではあるものの、どこか味気ないような感じもする。自分はアナログな人間なので、一枚ずつ硬貨を挿入していく手間のようなものを、愛していると言っては大袈裟に過ぎるが、その一手間の時間をやはり掛けたいような気がしないでもない。それでコーラを買うと木製のベンチに就いて、手帳を眺めながら電車が来るのを待った。三〇分ほど待つようだった。そのあいだには何本か電車が着き、降りてきた人々が目の前を横切っていく。一〇時を過ぎて奥多摩行きが到着すると車両に乗り込み、三人掛けに掛けて引き続き手帳に目を落とした。
 そうして最寄り駅に着くと、青梅駅奥多摩行きに乗った頃には雨がぱらついていて、電車に乗る際に屋根と車両のあいだにひらいた僅かな隙間から水が降り掛かってくるのも感じたのだが、最寄り駅に着いた頃には雨はほとんど止んでいた。羽虫が蛍光灯に繰り返し体当たりを仕掛けているなか、通路を抜けていき、駅舎を出ると横断歩道を渡った。すると、坂道の奥の方から一匹、カナカナの鳴き声が立って、こんな時間にと思って耳を張ったが、続く声はなくてあとは途切れた。薄暗いなかを足早に降りていって、平らな道に出ると、前方から湿り気を含んで生温いような風が流れてくる。雨粒の幽かにぱらつくなかを歩いて帰宅した。
 車はあったのだが家内に父親の気配はない。ということは、今日は金曜日でもあるし、どうも飲み会に行っているのではないか。ワイシャツを脱いで洗面所に寄ると、なかに母親が入っている気配があったので扉をノックした。良いよ、と言うので開けて、パジャマ姿の母親の脇で、籠に丸めたワイシャツとハンカチを入れておき、それから自室に下りるとスラックスも脱いで気軽な格好になり、リュックサックからコンピューターを取り出して机上に据えた。そうして上階へ。食事のメニューは、カレー、茄子のソテー、ワカメのふんだんに入ったスープなどである。上階に上がる頃には父親が帰ってきており、風呂に入っていた。やはり飲み会に行っていたらしい。こちらがものを食べる傍ら、テレビは最初、何かしらの恋愛ドラマを映していた。多分、『凪のお暇』というやつだと思う。黒木華――という名前だったと思うのだが――と、高橋一生。特段の関心はない。それが終わると母親が番組を変えて、『ドキュメント72時間』が映し出された。その頃には父親も風呂から出てきており、食卓の椅子に座って脚の先の方に何か薬を塗っていた。『ドキュメント72時間』の今日の舞台は新宿かどこかにあるらしいウィッグ店で、なかに八三歳の老婦人が出てきた。ウィッグをつけてお洒落をしていることもあって、八三歳には見えない若々しさだったが、それを受けてこちらは、俺も昨日、八三歳のおばあさんに話しかけられたと両親に話した。日記に書いたようなことを話し、五〇年もの年月のひらきがあったわけだが、我ながら上手く喋れたと思うとまとめると、酒を飲んできたらしい父親は、口数多く、感心するようにしていた。それから食器を洗って入浴へ。長くは浸からず、さっさと頭と身体を洗って出てくると、柿の種を一袋持って下階に戻った。そうしてTwitterを眺めたりしながらスナックを食い、零時過ぎから読書に入った。プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』である。九一頁から九二頁に掛けては、「最悪のものたちが、つまり最も適合したものたちが生き残った。最良のものたちはみな死んでしまった」とあるが、これは石原吉郎も引いていたフランクルの、「すなわち最もよき人びとは帰っては来なかった」という文言を当然踏まえているものだろう。「いわば人間でなくなることへのためらいから、さいごまで自由になることのできなかった人たちから淘汰がはじまったのである」(「強制された日常から」)という石原自身の言葉ともどこか響き交わすところがある。アウシュヴィッツでは、弱い仲間を助けたり、理不尽な殴打に反抗したりした人間、つまり優秀な人間は、「その優秀さにもかかわらず死んだのではなく、その優秀さのために死んだ」のだと言う。
 一時間ほど読書をしたあとに、読書時間を記録して、意識を失った。気づくと四時半頃だった。そのまま就床。


・作文
 13:08 - 14:35 = 1時間27分

・読書
 8:15 - ? = ?
 14:37 - 16:56 = 2時間19分
 24:06 - 25:05 = 59分
 計: 3時間18分

・睡眠
 ? - 7:25 = ?

・音楽