2019/10/24, Thu.

 繰り返しになるが、国家の植民地化、大衆恩顧主義、差別的法治主義は、歴史上の多くの場面で見られる現象である。しかし、ポピュリスト体制のもとでは、それらは公然と、また怪しいところだが、汚れのない道徳的な良心に支えられて、実践される。それゆえまた、腐敗としか言えないことが暴露されても、期待されたほどポピュリスト指導者の評判が落ちないといった奇妙な現象も生じる。ハイダー自由党やイタリアの北部同盟は、彼らが長らく批判していた伝統的エリートよりも、はるかにひどく腐敗していることが判明した。けれども、どちらの政党もいまだに力を維持している(いまや北部同盟は、イタリアにおける主要な右翼の野党としてベルルスコーニの政党に取って代わるほどである)。自ら「国民の男(Milletin Adam)」と公言するエルドアンは、腐敗スキャンダルによっても無傷のままである。ポピュリストを支持する人びとの認識では、腐敗や依怙贔屓も、非道徳的で異質な「彼ら」のためでなく、道徳的で勤勉な「われわれ」のために追求されたものと見える限り、さしたる問題ではないのだ。それゆえ、リベラルが、自らの課題はポピュリストの信用を傷つけるために腐敗を暴露することのみだと考えるのは、純真過ぎる期待である。彼らはまた、広範なマジョリティに向けて、ポピュリストの腐敗は何の恩恵も生み出さないこと、そして、民主的アカウンタビリティの欠如、官僚制の機能不全、法の支配の没落が、長期的には人民――その全て――を傷つけることを示さなければならないのである。
 (ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』岩波書店、二〇一七年、61~62)


 一一時二〇分まで混迷に苦しんだ。外は快晴の昨日から一転して、今日もまた純白を隅まで塗り込められた曇天である。窓を開けて眠っていたが結構寒かったようで、鼻水やくしゃみがたくさん出た。何かファンタジー的な漫画を読んでいるような夢を見た覚えが幽かにあるのだが、詳細は忘れてしまった。そこそこに面白い設定だったような気がする。一一時二〇分に至ると寝床を抜け出してコンピューターを点け、ティッシュを取って鼻のなかを掃除したり鼻水を排出したりしながら起動を待ち、それからTwitterを覗いて、それだけで一旦上階に上がった。母親はちょうど畑に出ているところのようだった。洗面所に入って顔を洗うとともに髪を梳かし整え、それからトイレに行って膀胱から尿を排出した。台所にはピンク色のスチーム・ケースが置かれてあり、なかを覗いてみるとジャガイモが蒸されてあったので、それをつまみ食いしながら食事の準備をした。キャベツとワカメの入った味噌汁に、電子レンジで加熱した鮭である。米もよそって三品を卓に運び、新聞を読みながら食っていると母親が階段を上がってきた。大根の葉か小松菜か何か取ってきたらしく、虫がたくさんいて嫌だったと漏らし、台所に移ると取ってきたものを洗いながら、口に入れるまでが大変だと呟いていた。こちらは新聞の一面から、昨夜の夕刊でも触れたが、英国のEU離脱が月末になされるには難しい情勢になったことを確認し、めくって二面からは香港で「逃亡犯条例」が正式に撤回を宣言されたとの報を見た。鮭をおかずにして白米を貪り、三品とも平らげると台所に移って皿洗い、母親はソファに座って、映画『ジョーカー』を見に行きたいと言って、二時四五分からの会に行って良いかなとか漏らすので、水音で発言がよく聞こえなかったこともあって、好きにしろよと適当に答えた。それから風呂場に行って、浴槽の栓を抜いて水を流し出しているあいだは目を閉じて、肩をぐるぐる回したり首をゆっくり回したりして待ち――首の左側の筋が何だか固まっていて、頭を右に傾けると逆側に引っ張られるような感触があった――水がなくなるとなかに入ってブラシで壁と床を擦った。シャワーで流して蓋と栓を元に戻して出てくると自室に戻り、薄暗いので早くも電灯を点け、開いていた窓を閉めてから急須と湯呑みを持って上階に引き返して、緑茶を支度した。急須と湯呑みをそれぞれ左右の手に持って塒に帰り、LINEにアクセスするとT田から、彼の書いた『Steins; Gate』の二次創作小説の冒頭、岡部倫太郎と椎名まゆりの会話の場面を昨夜読ませてもらったのだが、それについて、「「稚拙さに身震いがした」とか日記に書いていいよ」と送られてきていたので、「何言ってんだよ笑」と返したあとに、会話は必然性と余剰とのバランスが難しいなと私見を送っておいた。そうして "渚のカンパリソーダ"を歌いながら前日の記事の日課記録を完成させ、この日の記事も作成し、歌い終えると早速日記に取り掛かった。この日の記事をここまで記して、一二時二三分。
 続いて間髪入れず、一年前の日記を読みはじめた。例によって本文はほとんど書かれていない。従って、読む対象は実質的には記事上部に付されているカロリン・エムケ『憎しみに抗って』からの書抜きとなる。「行為を――その行為を成す人をではなく――見つめ、批判することこそが、行為者が自身の行為から距離を取ること、自身を変えることを可能にする」(カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年、47)と言う。また、以下の考察も重要だと思われる。

 この狩りと進路妨害において興味深いのは、危険であるとされる対象に近づきたいという欲求だ。写真と映像に撮影されたのは二台の異なるバスである。(……)確かなのは、バスの進路を妨害した者は皆、明らかに争いを望んでいた[﹅5]ということだ。難民を恐れているはずの者たちが、その難民を避けて[﹅3]はいないのだ。難民たちは嫌悪され、避けられたのではなく、まさにその逆だった――すなわち、彼らはわざわざ探し出され、争いの場に引っ張り出された。抗議する者たちの決定的な動機が(彼らが主張するように)不安や懸念だったのなら、彼らは難民たちに近づこうとはしなかったはずだ。不安でいっぱいの人間は、危険な対象とのあいだにできるかぎり大きな距離を取ろうとするものだ。だが憎しみは逆に、その対象を避けたり、対象から距離を置いたりすることができない。憎しみにとっては、その対象は手の届く距離にいて、「破滅させる」ことができなくてはならないのだ。
 (50)

 その次に、二〇一四年一月二五日。この日はAくん及びKくんとの読書会の日であるらしい。課題書はフランツ・カフカ『城』。この時読んだのは今読んでいる原田義人訳とは違う池内紀訳の白水Uブックス版だろうが、これ以来『城』は読んでいなかったはずだから、訳が違うとは言え今回読んでいるのは五年と九か月ぶりということになる。「非決定性の文学、みたいなことを言った」とあるが、今も不確定性の煉獄などということを言っているので、昔から読みがあまり変化していないのではないか。
 その後、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログ、Sさんのブログと通過してから、「週刊読書人」の記事を読もうというわけで、全篇が公開された菅谷憲興のインタビュー、「菅谷憲興氏ロングインタビュー 世界文学の前衛/中心で ギュスターヴ・フローベールブヴァールとペキュシェ』新訳をめぐって(作品社)」(https://dokushojin.com/article.html?i=6086)に至った。以下、引用を並べる。『ブヴァールとペキュシェ』は是非とも読まなければならない。

菅谷   社会学的にはいろいろ説明できると思います。当時は官僚制、役所社会がはじまる時期だった。そこでは、ただひたすら文書を書き写す仕事があり、周囲からの嘲笑の対象にもなっていた。ところで、同じ一九世紀の前半に流行った文芸ジャンルに、「生理学もの」というものがあります。バルザックの『結婚の生理学』が特に有名ですが、まるで動物の種を分析するように、人間の職業やタイプを分析、カテゴライズしていく。要するに、カリカチュア文学です。書記についても、バルザックが『役人の生理学』の中で扱っていますが、フローベールも若い頃、『博物学の一課――書記属』という作品を書いています。書記というのは、近代社会が生み出した珍種であるというわけです。この小品を直接の起源として、『ブヴァールとペキュシェ』に発展していくのですが、今言ったように、同時代の世界文学のひとつの潮流として、「書記もの」があった。ゴーゴリメルヴィル、他にも自身役人だったホフマンやモーパッサンの作品にも書記が出てきます。ただ、フローベールの場合、作中人物たちが筆耕の仕事をやめたあと、今度は本を読み学んだことについて、身体を使って書き写していく。つまり自ら実践するということです。それが物語になっていく。そういう意味では、メルヴィルの『バートルビー』と正反対です。あれは「I prefer not to」(やらない方が好ましい)と言いながら、いわばサボタージュの論理を徹底して、そのまま死に至るまで衰弱していく男の話です。逆にブヴァールとペキュシェは、ひたすら不可解なエネルギーをもって、どんなものにでも取り組んでいくけれども、その過剰さゆえに周囲の共同体とことごとく衝突する。

菅谷   もう一度繰り返しますが、引用集とは言葉のネットワークです。それに比べて、一巻はどうか。登場人物の二人は、普通のリアリズム小説と違って、心理的な厚みを備えていません。ただひたすら知が通過していく場になっている。しかし、それを身体で表現する場面があります。モリエールラシーヌの戯曲を演じてみせる場面の滑稽さ。言葉が二人の身体を一回通過することによって、あの絶妙の可笑しみが出てくる。仕草やジェスチャーの面白さ、これは小説の基本であり、『ブヴァールとペキュシェ』の場合は、作中人物の身振りが知の言説の真理性を解体していくわけです。
引用集というコンセプト自体は、画期的なものだと思います。でも実際にイタリアの研究者が第二巻のありうべき姿の復元を試みているのですが、僕のような専門家でさえ、なかなか通読するのはきつい。ただ引用、つまりコピーが、ある種の政治性をおびていたであろうことには注意が必要かもしれません。というのも、コピーの空間は原則的に平等であり、すべてがひとしなみに扱われる。ヒエラルキーなしにすべての言葉を横並びにしていくので、なにひとつ特権的な真理の言説としてみなされない。逆説的ではあるけれど、まさしく民主主義的な空間である。

 そして次には、「<沖縄基地の虚実7>専用施設、米軍に「特権」 地元の事故調査も制限」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-244950.html)。

 1994年2月24日。嘉手納基地爆音訴訟で那覇地裁は、騒音被害への賠償は認めたものの、米軍機の深夜・早朝の飛行差し止めを求める住民の訴えを棄却した。この判断は第2次嘉手納爆音訴訟や米軍普天間飛行場の爆音訴訟でも継承されてきた。たとえ日本国内だとしても、日本側には米軍機の離着陸を制限することができないとする司法判断を示したことになる。
 米軍に対する法的な特別扱いが如実に表れたのが、2014年5月と15年7月の厚木基地騒音訴訟の判決だ。横浜地裁と東京高裁は、米軍が管理権を有し、自衛隊が共用する厚木基地について、自衛隊機の夜間・早朝の飛行を禁止した一方、同時間帯の騒音の大部分を占める米軍機の飛行差し止め請求は退けた。同じ軍用機の飛行という行為だが、主体が自衛隊か米軍かで司法の制限に違いが出るねじれを生じさせた。

 それから緑茶をおかわりするために急須と湯呑みを持ち、空になったティッシュ箱も小脇に抱えて部屋を出た。上がっていくと、雨が降ってきたと母親は言い、卓上には兄夫婦が持ってきてくれた「ハルヴァ」という菓子がラップに包まれてあった。チョコレートケーキみたいな感じのもので、ティッシュ箱をひらいて潰して戸棚のなかの紙袋に片付け、便所で用を足してきてから一切れ食ってみると、実に濃厚で甘ったるい味だった。それから茶葉を流し台に捨てて、急須のなかに一杯目の湯を注ぐと、湯に浸された葉がひらいて味と色を湧出するのを待つあいだに台所に行き、おにぎりを作った。「クレラップ」を一枚敷いたその上にしゃもじでもって白米を乗せ、「味道楽」の振りかけを撒くと上にもう一枚ラップを掛けて持ち上げる。握るとやはり非常に熱くて、手指がちょっと痛いくらいだった。それをジャージの上着のポケットに入れておき、急須から湯呑みに緑茶を注ぎ、急須のなかにさらに湯を加えていっぱいにしておいてから下階に下りた。そうしておにぎりを食いながら、先ほど「沖縄基地の虚実」を読んだ際、画面右端のランキングに出てきた「沖縄県の請求を却下 辺野古関与取り消し訴訟」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1012984.html)という報道を読む。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、沖縄県の埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決の取り消しを求め、沖縄県が国を相手に7月に提起した「関与取り消し訴訟」の判決が23日午後、福岡高裁那覇支部(大久保正道裁判長)で言い渡された。大久保裁判長は県の請求を却下した。
 (……)
 国と地方自治体が対等だとする地方自治法では、地方自治体の判断に国が介入する「関与」に地方自治体が不服がある場合、関与の取り消しを求める訴訟を提起できる。一方で、行審法による裁決は関与に該当しないとされている。
 (……)
 国は裁決は適法か違法かに関わらず「国の関与」に当たらないなどとして、県の請求は却下するべきだと訴えた。行審法を利用したことについては、法的には一般私人と同じ立場で埋め立て承認の撤回を受けたとして、適法性を主張した。
 (……)
 9月18日に高裁那覇支部であった関与取り消し訴訟の第1回口頭弁論で玉城知事は「国の機関が私人になりすまし、国民しか利用できない行政不服審査制度を用いて地方公共団体の決定を覆すことができれば、真の地方自治は保障されない」と意見陳述した。

 さらに続けて、木澤佐登志「失われた未来を求めて 第二回 資本主義リアリズムの起源、アジェンデの見果てぬ夢」(http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/kizawa/02.html)にもアクセスした。

 1973年9月11日のこの日、すなわちチリ・クーデターが発生したこの日、チリの首都サンティアゴの大通りを戦車が横切り、低空飛行のホーカーハンターが政府機関の建物に爆撃を加えていった。対地攻撃機の発生させるソニックブームの振動は市内の家々の窓ガラスを粉々に砕き割った。
 やがて炎上するモネダ宮殿から、赤い布に覆われたアジェンデ大統領の死体が運び出された。この日、民主的選挙によって成立した初の社会主義政権が終わりを告げ、代わりにピノチェトによる軍事独裁体制が始まった。

 制御(コントロール)はエントロピーに抗う。エントロピーは無秩序、不確実性、劣化、情報の喪失の尺度である。情報はノイズの海に解体四散していき、物質は熱を奪い去られ死の冷却へと進行する。この不可逆と思われるプロセスを止めたり逆転させるには、制御が必要となる。そして、サイバネティクスにおいて「制御」の核となるのがフィードバックの理論である。
 ウィーナーの定義によれば、フィードバックとは「過去の実行結果によって未来の動作を調整できるという性質」とされる。フィードバックは「負のフィードバック」と「正のフィードバック」に分けられる。前者の例としては、部屋の温度を一定に保つエアコンの自動調節機能、あるいは人間の自律神経系における体温の自動調節メカニズムなどが挙げられる。それは安定と均衡であり、エントロピーに逆らうプロセス、いわば恒常性(ホメオスタシス)のプロセスである。一方、「正のフィードバック」はそれとは逆のプロセス、加算と解体のプロセスであり、例えば地球温暖化がこのプロセスに当てはまるだろう。また、ニック・ランドは資本主義を惑星規模の「正のフィードバック」のプロセスとして定義してみせた。だが、ウィーナーが重視したのはあくまでも前者の「負のフィードバック」であり、それは後継のサイバネティシャンたちにも受け継がれている。

 アジェンデ政権は、チリにおける経済基盤を変えることで、国家内で構築された合法的かつ民主的なフレームワークの内部でチリを社会主義へ漸進的に移行することができると信じていた。その際に重視されたのが集中化と非集中化の間のバランスであった。ソ連型のトップダウン専制による全体主義を退け、上からの改革を伴いながらも個々の自律性(=個人の自由)はできるだけ保たれるような構造がそこでは求められた。
 奇しくも、1950年以降、ビーアは人間の神経系システムと外的環境の変化との間の恒常性をビジネスなどの組織体のシステムに援用する経営サイバネティクス、言い換えれば個々の構成要素の自律性を犠牲にすることなく企業の安定性を確実にするにはどうすればいいのか、というテーマの仕事を続けていた。すなわち、アジェンデ政権の問題意識とビーアの経営サイバネティクスは驚くほど相性が良いように見えた[6: “Cybernetic Revolutionaries: Technology and Politics in Allende's Chile”,Eden Medina]。

 ビーアは、システムにおける安定的な状態の達成を、英国におけるサイバネティシャンの祖といえるアシュビーに倣って「ホメオスタシス」と呼んでいる。それは、自身の動的な自己制御を通して外的環境における不安定要素や壊乱要素に対する耐性、言い換えれば環境に対する自己適応性を備えた系であることを意味する。ホメオスタシスへの到達は、いかなるシステム(機械、生物、社会)の生存にとっても決定的に重要であるとビーアは主張する。というのも、支配を通じた制御(コントロール)よりも、ホメオスタシスを通じた制御(コントロール)のほうが、システムに対してより多くの柔軟性と適応性を付与するからである[9: “Cybernetic Revolutionaries: Technology and Politics in Allende's Chile”,Eden Medina]。

 軍事力による破壊とショックと混乱。その一瞬の真空状態に突如現れたのがシカゴ・ボーイズ、そして新自由主義だった。1975年3月、経済学者ミルトン・フリードマンがチリの混乱した経済状態を立て直すためにシカゴからチリにやってきた。イギリスのサイバネティシャンと異なり、フリードマンがこの国にやってきたのは、チリを新自由主義の実験場にするためであった。フリードマンは銃でみずから命を絶ったアジェンデに代わり大統領の座に就いたピノチェト将軍と会談を行い、当時のチリを見舞っていた天井知らずのインフレーションを治めるための処方箋を提示した。すなわち、徹底した民営化、規制緩和財政支出の削減の三本柱である。チリの軍事政権は、フリードマンの提言に従って、「いかなる犠牲を払ってでも」インフレを阻止する、と宣言した。政府は公共支出を27%削減し、500近くの国有企業および銀行を民営化し、貿易障壁を取り除き、余分な札束を燃やした。結果、1973年から83年までの間に工業分野で17万7千の失業者が出た[16: 『マネーの進化史』ニーアル・ファーガソン、仙名 紀 (翻訳)][17: 『ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン、 幾島 幸子 (翻訳), 村上 由見子 (翻訳)]。

 フリードマンが「ショック療法」と呼んでみせた新自由主義の実験は、実は1950年代からすでに種が密かに蒔かれていた。サンティアゴにあるチリ・カトリック大学との交換プログラムによって、チリの若き経済学徒たちが最初にシカゴ大学に送られたのは1956年のこと。1957年から1970年までの間に約千人のチリ人学生がシカゴ大学で大学院レベルの教育を受けた。このプログラムの対象はほどなくチリだけでなくラテンアメリカ全域の学生へと拡大されたが、この拡大に伴う資金はアメリカのフォード財団からの助成金によって賄われた[20: 『ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン、 幾島 幸子 (翻訳), 村上 由見子 (翻訳)]。
 シカゴ大学で反ケインズ主義的な新自由主義経済学を叩き込まれたチリ人学生らは、母国に帰国すると、明確に反アジェンデ政権的なスタンスを採るようになる。彼ら、すなわちシカゴ・ボーイズは、クーデター後のピノチェト軍事政権下において重要な役割を果たすようになる。ピノチェト政権の財務大臣で、のちに経済の「スーパー大臣」と呼ばれたホルヘ・カウアス、後任の財務大臣セルヒオ・デ・カストロ、労働大臣でのちに中央銀行総裁になったミゲル・カスト等々、シカゴ大学で学んだ少なくとも十人以上のフリードマンの歩兵たちが政府の要職に就いた[21: 『マネーの進化史』ニーアル・ファーガソン、仙名 紀 (翻訳)] 。福祉制度は解体され、年金制度や健康保険は民間企業に委託された。のちにレーガン政権とサッチャー政権に受け継がれることになる福祉に対する反動と市場原理主義は、ここチリで始まった。そして、チリはその最初の実験場でもあった。サッチャーはのちに「この道しかない(There is no alternative)」と言った。だが覚えておこう、資本主義リアリズムは、ナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」と呼ぶ、軍事クーデターによって引き起こされた一時的な混沌とショック、その麻痺的な空白状態のもとで半ば暴力的にもたらされたという事実を。未来に対する「オルタナティブ」は、テクノロジーによる社会民主主義の夢は、暴力によって、砲弾と爆撃によって奪われたのだ。
 現在の私たちを取り巻く、この変えることのできないと思われている強固な「経済的現実」は、よって少しも自然法則のようなものも価値中立的なものも含んでいない。それはどこまでも人為的なイデオロギー的仮構であり、その始原にある根源的な「暴力」を覆い隠している。

 あいだ、音楽はBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)を久しぶりに流していた。やはりこの世紀の名盤は毎日、飯を食うようにして流し、それがあるのが自分の生活にとって自然であるような存在にしなければならない。
 そうして次に、英文記事のリーディングである。引き続き、Guardianの"The Long Read"シリーズから、Andy Beckett, "The new left economics: how a network of thinkers is transforming capitalism"(https://www.theguardian.com/news/2019/jun/25/the-new-left-economics-how-a-network-of-thinkers-is-transforming-capitalism)を読み進める。途中で、Gar Alperovitzという経済学者の名前が登場する。メリーランド大学においてDemocracy Collaborativeという組織を立ち上げ、言わば草の根的な経済活動の民主化ボトムアップ化に取り組んでいる人物として紹介されているのだが、こちらの記憶ではこの人は、米国の原爆投下が日本を降伏に導いたという「神話」に疑義が呈されることになった動向の、その初期の頃に大きな寄与をした人物だったはずだ。Ward Wilson, "The Bomb Didn’t Beat Japan … Stalin Did"(https://foreignpolicy.com/2013/05/30/the-bomb-didnt-beat-japan-stalin-did/#)に名前が出てきていて記憶していたのだが、六〇年代に原爆神話解体を試みた人物と同じ名前が、現代の新たな経済政策の文脈で登場してくるとはとても予想していなかった。こういうことがあるから世の中というものは面白い。

・even-handed: 公正な
・make it through: 何とか切り抜ける
・demotion: 左遷、降格
・lean year: 凶作の年、不況の年
・doggedly: 忍耐強く、粘り強く、頑固に
・fringe: 縁; 二次的な、非主流派の
・chain retailer: チェーンストア小売業
・hydroponic: 水耕の
・blunt: 率直な、単刀直入の; 無遠慮な
・deputy leader: 副リーダー
・intrusive: 押し付けがましい
・domineer: 独裁的に支配する
・reverently: 恭しく
・foretaste: 味見; 予兆、前触れ
・refurbish: 改装する
・procure: 調達する

 英文を三〇分間読んで切りを付けると、音楽は最終曲の"Solar"に入っていたので、演奏の終盤にしばらく耳を寄せた。以前も書いたことがあってありきたりな整理の仕方だけれど、この六一年のBill Evans Trioにおいて、Evansの演奏からは必然性を体現するピアノという感触が強く香り立ち、それに対してベースのScott LaFaroの音運びは非必然性の自由を象徴しているかのように思われる。そして、幾分わかり易すぎる図式になるが、Paul Motianのドラムが彼らの必然性と非必然性のあいだを跨って橋を掛けているような印象を受ける。Bill Evansの奏で出す音はまるで予め作り込まれ正確に記憶されたフレーズをなぞっているかのように明快であり、あまりにも明晰であるために一方ではある種の「機械」を思わせるような耳触りなのだが、他方ではこの上なく人間的で、ヒューマニスティックな温かみにも満ちている。翻ってLaFaroには、率直に言って、お前、こんなところでいきなり高音部に上がってアルペジオを散らす必要はないだろう、と突っ込みたくなるような過剰とも言える融通無碍さがある。そして、Motianは時に堅実なビートを整然と刻み、時に気まぐれに音を抜いて流れを脱臼させることによって、両者の関係を調整し、取り持っているように感じられるのだ。
 そんなことを考えながらトイレに行って放尿した。母親は結局、出掛けたのか否かわからない。上階に気配があるようなないような、曖昧な様子だった。部屋に戻ってくるとFISHMANS『Oh! Mountain』を流しだし、体操をすることにした。体操と言って簡単なもので、屈伸をしたり前後左右に開脚して脚の筋や股関節をほぐすだけのことである。そうしながら目を閉じてFISHMANSに耳を寄せると、ベースがやはりとても気持ち良く弾力的で、この人のベースはなかなか凄いのではないか。音楽を聞きながら僅か六分間だけ身体をほぐしたが、それだけでも結構肉体の感触が軽くなるものだ。それでFISHMANSのベースは何という人だったかと検索を掛けると、柏原譲という人物で、現在はPolarisというバンドを組んでいるらしく興味を持ったので、『Oh! Mountain』を一旦停めて、その音源を聞いた。光と影 / PolarisOfficial Music Video】(https://www.youtube.com/watch?v=dwfGl4ZwIZw)というもので、なかなか悪くなく、ベースの音は確かにあの人だなという感じである。こういうポップ・ソングをこちらも作ってみたい。
 さらにYoutubePolaris - Home (2002) (Full Album)(https://www.youtube.com/watch?v=JwAzhcC3YyQ)を流しながらこの日の日記を綴りだし、四五分ほどでここまで記せば四時前に至っている。合間はSkypeで、久しぶりにYさんとメッセージを交わした。大学に提出したレポートの審査に通ったと言う。
 続けて前日の日記に取り掛かったのだが、合間に鼻水が出て仕方がなく、たびたびティッシュを取って鼻をかんだり、穴に突っ込んで垂れてくる鼻水を抑えたりしなければならない有り様である。くしゃみも頻発するのだが、風邪を引いたというような感じでもない。Polaris『Home』が最後まで流れると、一旦上階の様子を見に行ってみることにした。それで部屋を出て階段を上がると、母親は静かにソファに就いてタブレットを見ており、結局映画には行かなかったらしい。鼻水がめっちゃ出るんだけどと訴えると、父親もそうだと言う。アレルギーかなと母親は言ったが、原因は知れない。こちらは五時になったらカップヌードルを食べると宣言しておき、電気ポットに水を足してから階段を下り、室に帰るとFISHMANS『Oh! Mountain』を流しだしてふたたび日記に取り掛かった。
 五時過ぎまで前日の記事を進めたあと、上階へ行き、居間の天井の電灯を点け、カーテンを閉ざした。(……)母親は台所にて、大根の葉を豚肉で巻いた塊をフライパンで焼いている。こちらは玄関の戸棚から醤油味のカップヌードルを取り出し、卓の隅で電気ポットから湯を注ぎ、席に就いて夕刊を引き寄せた。一面には日韓の首相同士が会談をしたと伝えられている。韓国の首相というのは李洛淵という人で、知日派らしい。めくって三面では、米国がトルコへの経済制裁を解除したと述べられている。その記事を読んでから、カップヌードルを食いながら次に朝刊を手もとに置き、ひらいた。三面の下の広告は、『妻のトリセツ』の人が今度は『夫のトリセツ』という本も出したらしく、その宣伝が載せられてあるなかに、前著は四〇万部も売れているとの情報があって、名前も覚えていないこの著者の人が以前テレビに出ていた時の様子では、脳科学や生物学、認知心理学の方面からして実証的なのか怪しいいかにもステレオタイプ的な女性像を撒き散らすばかりというのがこちらの印象で、それだから著書の方も胡散臭いような類のものだろうとこちらは決めつけており、そんな本が四〇万部も売れるとは世も末だなと嘆かざるを得ないが、フェニミズム団体などは女性一人ひとりの個人性を捨象して月並みな枠に押し込めるような著者の振舞いに怒ったりはしないのだろうか? とは言え、著作自体を読んでいないから本当のところはそこまでいかがわしい本なのかもわからず、きちんとした批判をするのだったらテクストそのものに当たらなければならないだろう。勿論こちらはそんな仕事をするつもりはないが――しかしそういう務めも、本当は誰かが果たさなければならない重要なものではあるのだろう。その他、磯崎新の回顧展が故郷の大分で行われるとの報。
 鼻水とくしゃみが続いており、身体も何となく平衡感覚が乱れていると言うか、変な感じだった。オレンジジュースを飲まないかと母親が訊く。先日Mちゃんが飲んでいったその残りである。どちらでも良いと受けると飲んでほしいらしくコップに用意してくれたので、ゆで卵とともに受け取って腹に入れた。食後、カップヌードルの容器を洗って潰し、燃えるゴミの箱に突っ込み、箸とコップを洗うと仏間で靴下を履いて下階へ下りた。Charles Mingus『Epitaph』のディスク二が流れるなかでメモを取り、それから歯磨き、口内を掃除するあいだは傍らインターネット記事に当たることにして、三浦瑠麗「G20でも脚光。どうなるトランプ政権の中国外交」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019061100001.html)をひらいた。

 この[ドナルド・トランプが二〇一六年に行った初の本格的な外交]演説の最大の特徴は、アメリカに対する脅威として、「米国経済の相対的な競争力の低下」を重視している点です。アメリカの超大国の地位は、圧倒的な経済力という基盤があって初めて成立するものであるという見方を、正面から論じている。NAFTA北米自由貿易協定)やTPP(環太平洋経済連携協定)についての懐疑的な姿勢も、経済的な競争力の観点で語られています。
 中国との関係も、最も重要なのは経済的な競争関係であると言い切っている。歴代政権のように、人権問題について指摘してみたり、軍事的脅威について言ってみたりという、ある意味腰の定まらない対応ではなく、本質は経済的な覇権にあると直截的に指摘しています。

 まず、共和党内で主流だったのは、中国との経済関係を重視し、中国との関係を継続することで、中国が国際社会のルールを守るような存在へと導くという発想です。これは、基本的に歴代の共和党政権において、主流の考え方だと言っていい。ウォールストリート的というべきか、産業界寄りの発想です。
 おそらく、ゴールドマンサックス出身で、映画関連のファイナンス等でキャリアを築いたムニューチン財務長官は、この種の発想に近かったのではないかと思います。実際、対中交渉において財務省が弱腰すぎるというのが米政権内でも問題となっているようですから。
 共和党内におけるもうひとつの考え方は、共産党一党独裁によって運営される中国に国際社会のルールを守るつもりはなく、短期的に守っているようなふりをしたとしても、それは方便に過ぎず、本質的にはアメリカの覇権を終わらせようとしている脅威であるという発想です。安保重視、覇権重視の考え方と言っていいと思います。対中強硬派として知られる、ナバロ大統領補佐官がこの陣営の典型的な存在でしょう。

 ファーウェイが「戦略的企業」であること、組織ぐるみで産業スパイ的な行動を繰り返してきたことは周知の事実です。ですから、ファーウェイへの強硬策はある程度織り込みずみ。にもかかわらず、世界中が驚いているのは、アメリカが自国のみならず日本や欧州などの同盟国に、思いのほか強い圧力をかけている点です。当然ながら、この動きの延長線上に何があるのか、世界中が疑問を持ち始めています。
 (……三段落省略……)
 ロシア、中央アジア、中東欧、東南アジア、アフリカ、いずれの地域においても、経済のことを考えると、アメリカよりも中国の方が重要だという国家はいくらでも存在します。国家としてはアメリカを選ばざるを得ない日本でさえ、個別の企業のレベルでは中国の取引先のほうが重要だという例は多い。
 戦後の日本は、貿易国家・通商国家として、アメリカが築き上げた自由貿易体制のなかで、繁栄を謳歌(おうか)してきました。ですから、日本の貿易政策の重要な要素は、アメリカとアジアの市場の間で選択を迫られるような事態はなんとしても避ける、というものでした。このシナリオが恐ろしいのは、まさに、日本を含む様々な国や企業に、そのような選択を迫るものだからです。

 歯を磨いたあとは洗面所に行って口を濯ぎ、便所に入って糞を垂れると、戻って着替えである。音楽は『Epitaph』から"Ballad (In Other Words, I Am Three)"が掛かっている。白のワイシャツを纏い、スラックスは真っ黒のものを選び、廊下に出てグレーのネクタイを首に巻いているあいだ、熱情的なサックスのソロを聞く。ネクタイは鼠色の地に、なかを青く塗られた四角形と、ピンクっぽい色の点が交互に散っている柄のものである。それからベストを羽織って着替え終わると時刻は六時一〇分、二三日の日記を進めることにした。
 二〇分余り打鍵に邁進し、六時半過ぎで書き終えるとインターネットに投稿した。また、Twitterに出勤路の描写も投稿したのだが、発表しながら自分で、やたら長いこともあってか反応も全然ないし、多分読まれていないのではないか、どうもこれは需要がないのではないかという疑念が兆す。しかしともかく投稿しておき、それでバッグを持って上階に行き、出発である。玄関を出て虚空に手を差し伸べると、手指に触れるものがあって、雨がまだやや降っているとわかる。それで玄関内の収納から黒傘を取って出ると、母親が郵便物を取りについてきた。ポストを覗けばなかにあるのは葉書が一つ、それを渡して道に出て、ちょっと歩いて坂に入ると、左の林からは乏しい虫声が、右の下方、闇のなかからは高く強い川音が、頭上からは傘を打つ雨音がそれぞれ響いて交錯し、干渉し合うが、溶け合わず分離を保っている。鼻水は一応、収まったようだ。目を落としながら宵闇に包まれた坂を上っていると、途中で前を、一瞬で何か横切るものがあって、視線を下向けていたために良く見えず、ガードレールの下をくぐっていったその残像しかほとんど見えなかったのだが、どうも猫か何かの類ではないか。ガードレールの外は下り斜面になっていて、その茂みからがさがさという音が立っていたが、街灯は届かず姿は見えない。坂を抜けると街道の一角に設置された街灯の、周りは皆、白なのに、そこだけオレンジ色の灯が、シャワーのように放射状に降っているのが木影を透かして覗いて、薄闇の空気が赤味がかっているのがいかにも夜らしい。
 街道まで来て視線を上げれば、車や街灯が生み出す光の円あるいは球の、あるものは闇を割って滑り、あるものは宙に固まりながら、こちらの歩みと視点の流れにも応じて時々刻々と配置を変えていくさまに思わず目を奪われていた。雨はもうほとんど消えたようで、傘を前に倒しても肌に明確に当たってもこないが、それでも一応頭上に戻して北側の歩道を行っていると、道路上には信号の青緑色が垂れていて、路面の水気に混ざって伸ばされ遠くから這ってくるその色の、しかしすぐ近くまで繋がっているので遠近が曖昧で、光源が何十メートルも先にあるとは思われず、そのあいだの距離が平面化されて均されたかのようにも見える。車の流れが途切れても、今日は虫の声が、やはり雨だと勢力が弱まるようで、あまり差し入ってこない。
 歩を進めればじきに信号も近くなって、その浸潤は目の前に落ちているのだが、化学的な緑色を踏もうと近づくごとにしかし足には捉えられずに光は先へと退いていき、それでついに追いつけないまま気がつけば光源の下を越していて、するとまた前方遠くから、次の信号の青緑色が垂れてきている。折れて裏通りに入れば道の奥から車が現れ、それは視覚に忠実に言うならば車というより、皓々と照る二つの光球と地に反映して引き伸ばされるその分身でしかなく、車体は闇に包まれて見えず、その様子を眺めていると梶井基次郎の記述を想起した。確か「冬の蠅」の内にあったはずだが、林道か何かのなかを歩いていると、不意に後ろから車がやって来て暗闇を割ったと言い、そこで車のライトによって地に転がる小石の影が歯のように浮かび上がったと、そんな比喩を使うのも素晴らしい着目だが、この時思い出したのはその後の表現、光によって闇を払いながら車が走っているというより巨大な闇そのものが前へ前へぐいぐいと押し入っていくかのように見えたと、そのような記述があったはずだと頭に降りてきたのだった。全集から該当の箇所を引いておこう。

 突然私の後ろから風のやうな音が起つた。さつと流れて來る光りのなかへ道の上の小石が齒のやうな影を立てた。一臺の自動車が、それを避けてゐる私には一顧の注意も拂はずに走り過ぎて行つた。しばらく私はぼんやりしてゐた。自動車はやがて谿襞を廻つた向ふの道へ姿をあらはした。しかしそれは自動車が走つてゐるといふより、ヘツドライトをつけた大きな闇が前へ前へ押寄せていくかのやうに見えるのであつた。それが夢のやうに消えてしまふとまたあたりは寒い闇に包まれ、空腹した私が暗い情熱に溢れて道を踏んでゐた。
 (『梶井基次郎全集 第一巻』筑摩書房、一九九九年、177; 「冬の蠅」)

 歩く足が自ずと白線に沿っていき、時折りくしゃみが湧いてくる。雨は相変わらず弱々しいようで、裏通りにいるあいだ、傘の表面を打つ雨音も聞いた覚えがない。時折り自転車や対向者があるものの、互いに距離を置いてすれ違い、顔も見ず、視線を向けたとしても暗くて視認できず、無干渉を貫きながら歩いていると、前から白い猫が現れた。青い鈴を首につけており、おそらくその音が耳に入って目を上げたのだろう。夏を迎えて暑気のために徒歩での通勤を止める前、春頃によく遭遇し戯れていたその猫だと思う。こちらの前で猫は横に折れて道端の段に上がり、近づいていけば渋いような鳴き声を上げるのに、手を伸ばして背中をさすってやった。体毛はあまり濡れておらず、手指に水気もほとんど残らない。しゃがみこんで体を撫でたり、また立ち上がって首もとに手をやってくすぐったりとしばらく戯れたあと別れたが、名残惜しくて振り返り振り返り猫の様子を見やりながら道の先を行った。
 虫の音の乏しく弱々しくて、塀のなかに木々がいっぱいに設えられた旧家の前を通ってもほとんど聞こえず、車が来ればまったく耳に届かなくなる。せいぜい聞こえるのは蟋蟀の類のみで、アオマツムシの凛々とした声は今夜はない。青梅坂の手前で傘を閉じ、渡ると右手に傘、左手にバッグと持ち替えて、まもなくもう必要なさそうだなと傘を紐で縛った。空は灰色とも黒とも墨色とも何とも言えず、月並みだがいかにも無表情な、何の積極的な意味をも引出すことのできない空虚さに全面塗られて、裏路地に今日は当然、子供の声や姿はない。駅前まで至ればさすがに多少は人通りがあって、ロータリーに入る前、裏通りの出口に現れた人を、四人と、何故か自ずと数えている己がいる。入れば銀杏の葉が足もとに散乱しており、大方薄黄色と若い緑が混ざった装いのなかに、炙られたように茶色く汚れたものも一部見られた。横断歩道を渡って反対側の道にも銀杏が植えられているのだが、何故かこちらでは落葉の散らばりが少なく、掃除されているのだろうかと思った。
 職場に入って室長に挨拶すると、昨日大変だったでしょと来る。中一コンビのことだなと思い当たって、自分は良いけれど周りが迷惑するのでと言おうとしたところが、マネージャーがどうとか続く。良く聞こえなかったのでスリッパに履き替えてから訊くと、昨日はエリアミーティングか何かがあったのだろう、そこで各教室の様子を映したらしい。教室内にはカメラが設置されているのだが、どこにあるのかそれもこちらは良く知らない。それでこちらの働く姿がマネージャーや各教室長の前で流されたと言うので、それはちょっと、嫌ですねと笑ったが、ほかの教室の様子の方がもっと酷かったようで、さすがF先生ですと褒められた。
 それから奥のスペースに行き、ロッカーに荷物を入れると既に準備を始める時間だったので、入口傍でタイムカードを押し、作業に入った。今日の相手は(……)さん(中三・英語)と(……)くん(中二・英語)、後者は初顔合わせである。準備を済ませると例によって席に就いてメモを取り、チャイムが鳴ると中断して入口で生徒の見送り及び出迎えをした。(……)さんが教室を退出する際に、振り返らなかった。一応、さよならという声には頷いていたようだし、その前に目も合わせて頷きあったので、特に意味はないのだろうけれど――それにしても彼女は、芯の強そうな目をしている。
 そうして授業に入る。冒頭、(……)くんに初めまして、よろしくお願い致しますと挨拶をした。何だかぼんやりとしたような表情の子だが、しかし授業を進めるうちに見たところではその実結構出来るようで、単語テストは勉強していないと言うので英作文のみを課したが文法は覚えていたし、後半、教科書本文の訳を取った時にもわからない箇所はほとんどなかった。ちょうど今日、授業でやったところだと言ったが、この分では学校の授業も結構しっかり聞いているようだと判断された。ノートもたくさん書いてくれたし、なかなか良いのではないか。
 (……)さんは久しぶりに当たったが、この女子は実に大人しく、声の小さくて寡黙な子である。それだから、実際はどうだか知れないが、気が弱いのではないかという気がしてしまって、何でもないような言動にもストレスを感じているのではないかと案じて、なるべく振舞いが圧迫的にならないように気をつける。例えば質問をしたあとは答えが返ってくるまでに結構時間が掛かるのでそのあいだをしっかり待ったり、答えられなさそうな様子を感知したらより噛み砕いたり、といったことである。勿論これは誰と当たっても取るべき基本の振舞い方だが、彼女の場合はそれをよりゆっくりと丁寧に行うように、自ずと意識がそのように働く。あるいは気にしすぎなのかもしれない。別にそんなに気の弱い子ではなくて、ストレスも大して感じていないのかもしれない。実際、以前はなかなか上手い質問がしづらくて、相手の反応も引き出しにくかったのだが、今日は結構色々と質問を向けることが出来、向こうもわりあいに答えてくれたようで、途中は淡い笑みも見せていた。長いこと当たっていなかったけれど、段々こちらという講師のやり方に慣れてきたのかもしれない。今日扱ったのはLesson5のUSE Readという長文の単元及び分詞である。前置修飾と後置修飾の違いについて確認して、ノートにも記してもらった。結構良い調子だったのではないかと思うが、しかし授業前にテスト結果の記録を見たところ、前回の一学期末の英語の点数が二三点だったのが何とも言えない。自分のペースで少しずつ、地道に伸びていってほしいとは思う。
 それで授業が終了するとまた入口で生徒の見送りをしたのだが、その時に(……)が、まっすぐ向かい合って目を合わせながらさよなら、と言ってきた。そんな振舞いを取るような真面目な生徒ではないので、怪訝さが転じて思わず笑ってしまったが、どういう意味合いなのか不明である。片付けを済ませたあと、まだ授業を受けて残っていた(……)さんのところへ行った。傍らに立つと、平方完成が出来るようになったと言う。おそらく二次方程式の範囲ではないかと思うが、それは中学校で習う技術ではないか? 彼女は高校二年生である。しかしその点には突っ込まず、真面目になった、と訊いてみると、結構真面目になったよね、と彼女は授業を担当していた(……)先生に同意を求める。それから続けて、丸くなった、ともう一つ質問を振ると、(……)、と一人称の代わりに下の名前を口にして、自分のことかと確認するのでそうだと言えば、太ったんだよねという言が返ってきたので、そういう意味じゃねえよ、と笑った。先生もでしょと続けてくるのに、確かに俺も太ったけれど、そういう意味じゃねえよと再度突っ込み、ああ、性格のこと、と問うのに、昔は尖ってたでしょ、イケイケだったでしょと訊けば(……)先生が、そういうところは変わってないかなと代弁して話は落ちた。それでお疲れさまですと二人に挨拶を掛けて出口へ向かうと、室長が明日もよろしくお願いしますと言ってきたので、はい、と端的な返事で受けた。明日はマネージャーが来るらしいが、しかしこちらが来る頃にはもういなくなっているだろうとのことだった。それで入口の扉を開け、お疲れさまですと挨拶をすると、自分も帰りに向かって入口付近に来ていた(……)さんもお疲れさまですと返していた。やはりいくらか丸く、大人しくなったのではないか。一年、二年経って一〇代も半ばに入ればそうなるものか。
 コンビニへ向かった。出勤前にカップヌードルを食べたので、自分で食ったものくらいは自分で補充しようかと買い足すつもりだったのだ。傘を入口の箱に立てて入店し、籠を一つ取ると、まずポテトチップスを二種入れた。カップヌードルの方は日清のポピュラーなものを三種類取って、それで会計に向かった。支払いの相手は中年の女性店員、結構感じの良い人である。九六八円を払い、礼を言って退店し、ビニール袋とバッグと傘をすべて右手にまとめて提げ、駅に入ってホームに上がると奥多摩行きの最後尾から乗り込んだ。歩いて、最後尾の車両だが席は前の方に位置取って、腰掛けると荷物は横に置いておき、発車まで僅か三分程度しかなかったが、それでもメモを取るかと手帳を出した。最寄り駅まで手帳に書きつけをして、降りると西から向かい風が流れるそのなかを歩みながら、この風、と思って、肌を撫でる柔らかな感触から生じる恍惚を待ち受けるようになったものの、感覚が垂直的に高まることはなく、水平的に流れほどけていって、しかしこの風のなかに、自分が失われていくような、そういう瞬間が人生にはきっとあるのだろうなと考えた。コーラを飲んでいくことにして、自販機で購入すればベンチ前には若い男性が一人、何故か立ったままで携帯を見ている。荷物をベンチに置こうとすると誰が置いたものかティッシュが二枚丸まって転がっており、濡れているそれを掴んでどかすと、荷物を置いて座った。男性はじきに去っていった。こちらはコーラをちびちび口に運びながら書きつけをするあいだ、風が流れて肌寒いくらいだった。そのうちにまた別の男性、こちらも若くて茶髪に眼鏡の人が来たので、立川行きの時間が近いのだろうかと思い、コーラを飲み終えるとペットボトルを捨てるために立った。ベンチに就いていた男性の前を通る際、彼は足を引いた。空のペットボトルを捨てると荷物を持って駅を抜け、通りを渡って坂道を下りていきながら、Sさんのことが頭に浮かんで、彼の老いに対するこだわり、執着を思いながら行けば、そのうちに急いでいるようだなと気づいて足を緩めて、脇のガードレールの先の闇の底から沢音が今日も高く立つなか、それにしてもこともなく一日が過ぎていくなと、こうして明け暮れを繰り返していずれ死ぬわけだ、この世から消滅するわけだ、いや、本当に消滅するかどうかは知れないが、少なくとも世界との交渉はなくなるようだと思った。坂を抜けて行けば濡れたアスファルトが滑らかに光っているのに、女人の背中のようなという比喩を昔当てたなと思い出し、歩むあいだ、電灯の光を受けて微細な凹凸のなかに粒になった白さが宿ってさざめく周りを、水溜まりの黒鏡や暗い影が差し込まれて縁取るのを見て、この明暗、この白黒の対比、交雑、これだけで芸術ではないか、と思った。雨の日のアスファルトというものは美しい。梶井基次郎が現代に生きていたら、この光景を瑞々しく描いてくれたことだろう。
 帰宅すると玄関の戸棚に買ってきたカップヌードルを入れておき、そうして居間に入って母親に挨拶すると階段を下る。階段口の前には板状の段ボールが置かれていたが、これは毎年、階段の下から立ち昇ってくる冷気を防ぐために設置されているものである。自室へ入るとコンピューターを点け、各種ソフトのアイコンをクリックして立ち上がるのを待つあいだに服を脱ぎ、それからTwitterを眺めたが出掛ける前に投稿した記述に対する反応はやはりなく、まあそれでも良い、垂れ流していこうではないかと払った。それで立ったまま今日のことをメモ書きして、現在時に追いつくと一〇時四〇分に至ろうとしていたということは、メモをするだけで四〇分も掛かったわけだ。
 上階へ行くと父親がお帰りと言うので、ただいまと答えたが、あとで考えてみればこの日父親と交わした言葉はこの二語のみである。ワイシャツを洗面所の籠に入れていると、こちらがメモを取っていて食事に上がるのが遅くなったのに、カップヌードルを食べたからお腹が減っていないのと母親が訊くので、そんなことはないと否定し、台所で大根の葉を豚肉で巻いた料理を四切れ取って電子レンジに入れた。肉巻きの周りには何かねばねばしたものがくっついていたが、これは片栗粉を入れすぎたらしい。そのほか野菜のスープを火に掛けて米をよそり、生サラダは小さなトングで掴んで大皿に盛り、笊に残った分はパックに入れて冷蔵庫に仕舞っておいた。品物をそれぞれ運び、最後に温まった汁物を椀によそって卓に就き、食事を始めながら新聞を引き寄せ、米国の大統領弾劾制度について解説した記事を読む。弾劾の仕組みとしては、下院が訴追権限を持っており、訴追条項というものを作って一つずつ審議し、過半数で可決されれば上院で有罪無罪を決めるという手続きになっているらしい。言い換えれば上院には罷免権限があるということで、その際の可決条件は出席議員の三分の二以上である。今次のウクライナ疑惑についての流れも記されてあったので手短に追っておくと、まず、ジョー・バイデン前副大統領がウクライナ検事総長だったかを辞めさせるよう働きかけたという点が一つあり、それはガス会社に勤めていた息子を守るためだったのではないかとドナルド・トランプは主張しているのだが、それでトランプはウクライナのゼレンスキー大統領に、軍事支援を見返りにしてバイデンについて調査するよう求めたと言い、その働きかけが二〇二〇年の大統領選で自分の対抗馬になるかもしれない候補を失墜させるためだったのではないかという疑惑を生んでいるとのことだ。しかしこれは、民主党はなかなか厳しいのではないかとこちらは思った。問題となっているのはバイデンを貶める目的があったかどうかというトランプの意図の点だから、よほど決定的な証拠が出てこない限りは何とでも言い逃れできてしまうのではないだろうか。それを措いても、トランプが実際に罷免される可能性は低いようだ。定数四三五の下院では民主党が多数派なので訴追は通るだろうが、定数一〇〇の上院では民主党は確か四七議席ほどしか占めていないらしく、三分の二の罷免条件を満たすには加えて二〇以上の賛成者が必要だからだ。そのほか、米国の歴史上で弾劾訴追された大統領はこれまでに三人いると言ってそれぞれの事件が簡単にまとめられていた。最初はアンドリュー・ジャクソンで、次にリチャード・ニクソンが、礼のウォーターゲート事件で訴追されており、彼は罷免が確定される前に自ら辞めたらしく、米国の大統領で任期途中に自分で辞任したのは彼だけだと言う。三人目にビル・クリントンが、部下の女性と性的関係を持ってそれを偽証しようとした件で訴追されたと言い、今回ドナルド・トランプが訴追されれば四人目になるということだ。
 テレビは『カンブリア宮殿』を流していた。新聞を読んでいてあまり見なかったけれど、番組の最後に提示される村上龍のまとめのコメントが、ちょっと聞いた限りでは実に薄っぺらいと言うか、毒にも薬にもならないような感じで鈍く、村上龍はこんな仕事をしていて楽しいのだろうか、自分自身で満足できるのだろうかと疑問を抱いた。サラダはいつものようにレタスにキャベツに人参などが入ったもので、摩り下ろしオニオンドレッシングを掛けて食い、スープも玉ねぎ、豚肉、大根、牛蒡などはいつも通りだが、モヤシとコーンが入っているのが少々珍しかった。食べ終えると汁物をもう一杯おかわりし、それも平らげてしまうとセルトラリンとアリピプラゾールを服用して皿を洗った。それから台布巾で卓を拭き、フライパンに余っていた肉巻きを小皿に取って、ラップを掛けて冷蔵庫に入れておくと入浴に向かった。
 風呂場に入ると窓を開ける。沢の音が響き、虫の声はそれに紛れてほとんど消滅している。湯はぬるく、水位も低かったので身体を水平に寝かせて辛うじて浸からせ、食事中に新聞で読んだ米国大統領弾劾の仕組みについて思い返した。それで長くは浸からずに出て、身体を洗うために石鹸を使っているとふと、ガルシア=マルケス百年の孤独』のなかの美少女レメディオスのことを思い出した。彼女が風呂場で石鹸――「シャボン」――を泡立てて身体を洗っているところに男が忍び込んできて、天井から落ちて死んでしまうのだったか、確かそんなシーンがあったのだ。加えて、Mさんがこのレメディオスについて、まったく必然性のない退場の仕方をしていてかえって面白いと評していたのも思い出し、さらに、Bill Frisellがライブ盤『Lookout For Hope』のなかで"Remedios The Beauty"という曲をやっていたのも次々と思い出して、それで、また『百年の孤独』を読んでみても良いかもしれない、今ならまた色々なことに気づけるかもなと思いながら風呂を上がった。身体を拭き、髪を乾かして洗面所から出ると、父親は多分歯を磨いていたと思うが、まだ起きてテレビを前にしていた。こちらは部屋から急須と湯呑みを持ってくると、テレビのニュースでは量子コンピューターの開発の報が流れて、一万年だったか一万時間だったか忘れてしまったけれど、人間だったらそれくらいは掛かる計算を新開発のコンピューターは三分余りで終わらせたと、Googleの社員だかがそういう論文を発表したらしい。まったく意味のわからない、思考の追いつかない領域だ。様々な利点、応用の仕方が勿論あるわけだが、実用化された暁には、どれほど精巧に作り込んだ暗号でも破られてしまう危険性が生まれると、そうした懸念を背後に聞きながら緑茶を持って階段を下り、部屋で買ってきたポテトチップスを食い茶を飲みながら、 辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読んだ。湯呑みを干すと読書ノートに気になったところを引用しておき、いくらかコメントも付すということをやっていると、そのうちに零時一八分に達していて、便所に行って膀胱を軽くしてきてからヘッドフォンをつけ、Charles Mingus『Let My Children Hear Music』を耳に流し込みながらメモを取った。それで零時四四分に至った。
 そうして、リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』の書抜きである。かたかたと打鍵を続けて、切りを付けると音楽が最終曲だったのでインターネットを回りながら聞き、その後、一時半からふたたびカフカを読みはじめた。オルガの滔々と止めどない、うねりながら流れていく語り。四時直前まで読み進めて、就床した。


・作文
 12:06 - 12:23 = 17分
 15:03 - 16:12 = 1時間9分
 16:15 - 17:16 = 1時間1分
 18:12 - 18:32 = 20分
 計: 2時間47分

・読書
 12:23 - 13:26 = 1時間3分
 13:35 - 14:41 = 1時間6分
 17:48 - 18:02 = 14分
 23:31 - 24:18 = 47分
 24:50 - 25:16 = 26分
 25:29 - 27:56 = 2時間27分
 計: 6時間3分

・睡眠
 1:10 - 11:20 = 10時間10分

・音楽