2019/11/10, Sun.

 しかし特に、とりわけ言えることは、私は自分の仕事からある習慣を身につけていた。それは様々に判断でき、人間的、あるいは非人間的と、思い通りに定義できるのだが、偶然が自分の前に運んで来た人間たちに、決して無関心な態度を取らないという習慣である。彼らは人間であったが、「標本」でもあり、閉ざされた封筒に入れられた見本であって、識別し、分析し、計量すべきであった。アウシュヴィッツが私の前に広げてみせた見本帳は、豊かで、多彩で、奇妙であった。それは友人と、敵と、中立者でできていたが、いずれにせよ私の好奇心の食物であった。何人かは当時もその後も、この私の好奇心を冷ややかに評価していた。その食物は確かに私の一部分を生き生きとさせるのに貢献していた。そしてその後私に、考え、本を作る材料を提供してくれた。前にも述べたように、私はそこで知識人であったかどうか分からない。おそらく圧力が弱まった時の、瞬間瞬間に、知識人であったのだろう。もし後に私が知識人になったのだとしたら、それは確かにそこで得た経験が助けになったのだった。もちろんこの「自然主義的な」態度は、化学だけから必ず得られるわけではないが、私個人の場合は、化学から得られたのだった。他方では、次のように主張しても皮肉には聞こえないだろう。私の場合には、リディア・ロルフィや他の多くの「幸運な」生き残りと同じように、ラーゲルは大学であった。それは私たちに、周囲を眺め、人間を評価することを教えてくれた。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、162~163)


 前夜に茶を飲んだためだろう、尿意がやたらと高まっていて、そのためにだろうが六時台あたりから何度も覚めていたようだ。夢で誰かの家の便所、その便所は便器などなくて、昔のような、壁に向かって用を足す形式のものだったのだが、そこで勢い良く放尿している場面もあって、その夢から抜け出したあとに漏らしていないだろうなと恐れられて思わず股間を探った時間があった。七時に至った頃合いで身体を起こし、コンピューターを点けて、尿意のために膨張していた局部が収まるのを待ってからトイレに行った。長々と尿を放って戻ってくると、前日の記事の日課の記録を完成させ、この日の記事も作成し、七時二〇分から早速、一一月八日の日記を書きはじめた。残っていたのはイタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』の感想のみである。打鍵しているあいだ、背後の窓から射しこんでくる光の、まだ太陽の位置が低いから足もとには溜まらず背中に直線的に当たってきて、渇いた身体に水を注いだ時と同じような温もりの充実を得た。三〇分ほどで八日の記事を完成させるとインターネットに放流し、さらに前日、九日の記事も続けて書き出した。こちらも三〇分ほどで音楽の感想を書き終えて、あと残るはやはり『トリエステの謝肉祭』の分析ということになったが、そこで一旦切って食事を取りに行くことにした。八時四〇分だった。上階に上がって母親に挨拶してからジャージに着替え、何かあるのかと訊けばエノキダケと菜っ葉を炒めたと言う。それなので台所に入ってフライパンの炒め物を皿に取り出し電子レンジへ、汁物も同じくエノキダケと菜っ葉を具にしたものがあったので火に掛けて、白米をよそって卓に運んだ。温まったものも持ってくると席に就き、新聞を引き寄せてものを食べはじめる。前日九日には天皇即位に際した祝賀が行われ、人気アイドルグループ嵐が歌を披露するという物凄まじく俗っぽい趣向があったらしく、また、今日は延期されていたパレードが行われると言う。めくって二面には香港情勢が伝えられており、民主派の議員三人が立法会条例に違反したとの廉で逮捕されたと言い、ほかにも四人、逮捕の手続きを取られている民主派議員がいるらしい。林鄭月娥行政長官と習近平国家主席の会談に伴う締付け強化の一環だろうとのことだ。それから書評欄までめくったが大して見もせずに頁を戻し、何という名前なのか忘れてしまったが五〇歳くらいの、ケンブリッジ大学の気鋭の歴史家のインタビュー記事を読んだ。ヒトラーが最も恐れていたのはソ連共産主義だというのが定説だが、私見ではそうではなくて英米の金融資本や自由経済だという意見を述べていた。
 そうして食事を終えると母親の分もまとめて食器を洗い、それから元祖父母の部屋にある布団を干してくれと彼女が言うので、仏間を通ってその先の室に出向き、敷布団を持ち上げてベランダに運んだ。もう一枚、同じようにベランダの柵に掛けておくと、ポットに水を足して下階の自室に帰り、ふたたび九日の記事を書き足して完成させ、ceroの音楽を流しながらインターネット上に投稿した。それから上階に行って緑茶を用意して戻り、今日の記事も書きはじめてここまで記せば一〇時前である。勤勉! 勤勉こそが自己を救う。
 間髪入れず、余計な時間を少しも使わずに読み物に入った。一年前の日記、二〇一四年の日記、fuzkueの「読書日記」と日課をこなし、さらにMさんのブログも読んで三〇分が経過したあと、英語のリーディングを始めた。Stanisław Aronson, "I survived the Warsaw ghetto. Here are the lessons I’d like to pass on"(https://www.theguardian.com/commentisfree/2018/sep/05/survived-warsaw-ghetto-wartime-lessons-extremism-europe)とLaurie Shrage, "Confronting Philosophy’s Anti-Semitism"(https://www.nytimes.com/2019/03/18/opinion/philosophy-anti-semitism.html)の二記事を読む。このくらいの難易度と分量の記事ならば、三〇分強で二つくらい読めるようになってきたようだ。以下の引用は前者の記事からのものである。

・few and far between: とても稀な
・cherish: 大事にする
・polygenetic: 多起源の
・immutable: 不変の、変えることのできない
・heteronomous: 他律的
・for that matter: ついでに言えば
・inscribe: 刻み込む、彫る
・piety: 信心深さ、敬虔さ

Third, do not underestimate the destructive power of lies. When the war broke out in 1939, my family fled east and settled for a couple of years in Soviet-occupied Lwów (now Lviv in western Ukraine). The city was full of refugees, and rumours were swirling about mass deportations to gulags in Siberia and Kazakhstan. To calm the situation, a Soviet official gave a speech declaring that the rumours were false – nowadays they would be called “fake news” – and that anyone spreading them would be arrested. Two days later, the deportations to the gulags began, with thousands sent to their deaths.

Those people and millions of others, including my immediate family, were killed by lies. My country and much of the continent was destroyed by lies. And now lies threaten not only the memory of those times, but also the achievements that have been made since. Today’s generation doesn’t have the luxury of being able to argue that it was never warned or did not understand the consequences of where lies will take you.

 それから次の読み物に移る前に、今日もまた澄み渡った快晴でこんなに天気が良いのだし、図書館にCDを返却しに出掛けようかなという気持ちが兆したので、借りているCDの情報をEvernoteに記事を作って記録しておくことにした。確かその際に、Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』をBGMとして流しはじめたのだったと思う。Shai Maestro『The Dream Thief』、『Sarah Vaughan』、Joshua Redman『Still Dreaming』の三枚の、曲目や作曲者やレコーディングの日付やエンジニアなどをいちいち打ちこんでいき、終えると一一時二〇分、今度は琉球新報の「沖縄基地の虚実」シリーズを二つさっと読んでこのシリーズの記事はすべて消化し、さらに「投票に行かない人を非難するのはやめましょう、と政治学者が語る理由」(https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yoshida-toru)と、野田邦弘「私はなぜ文化庁委員を辞めたのか【上】 あいちトリエンナーレへの補助金不交付は問題だらけだ」(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019102300006.html)も通過した。図書館に行こうかという考えは薄れて、と言うのも出掛けるとまた書くことが増えて、それで読書の時間が減ってしまうからだが、それでも好天のもと澄明な空気のなかを歩きたいという気持ちはあったので、飯を食ったあと散歩に出るかと折衷案を採用することにした。それで部屋を出て上階に行き、食事としてはレトルトのカレーがまだ一つ残っていたのでそれを食べることにして、フライパンに水を注いで火に掛け、戸棚から取り出したレトルトパウチを放りこんだ。加熱を待っているあいだはまたものを読むことにして、不用心にも火を離れて下階に下り、森功次「「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67828)を読んだ。いや、その前にまず、翌日が燃えるゴミの日だから、部屋のゴミを上階に運んできて台所のゴミ箱に合流させたのだった。

 (……)私が本稿でまず指摘したいのは、たとえ「解釈に正解はない」とか「解釈は自由」などと言えるとしても、だからといって「あなたの見方が常に正解」ということにはならない、という点だ。

 (……)作品解釈が「何でもあり」になるわけではない。解釈には、作品全体を整合的に読み解けるものであるべきだ、とか、より良い作品理解を目指すものであるべきだ、といった基本的なルールがある。作品の一部だけを取り出して自分勝手な妄想を繰り広げても、それは恣意的な解釈にしかならない。

 とはいえ、ここで私が言いたいのは、作者の意図どおりに作品を読まねばならない、ということではない。芸術の領域では作者の意図を超えて作品を見る「解釈の自由」が、ある程度容認されている。
 「お前が何を思いながら作っていようが知ったことか」「私はお前が思いつきもしなかった評価軸を勝手に当てはめ、好きなように称賛・批判するのだ」。芸術の場では、こうした暴力的な失礼さがある程度認められているのである。これはある意味で驚くべきことだ。芸術以外の場でこのような「失礼さ」がまかり通っているところはほとんどない(あるとしても、たいていは「芸術的」な見方が受け継がれている領域だ)。
 だがこの失礼さの容認も、出し手と読み手、お互いの敬意の上に成立するものだということを忘れてはならない。自由に意味を読み込む、とか、作者本人には思いもよらない解釈を持ち込む、といったやり口が許されるのは、あくまでそのベースに相互理解と尊重があるからだ。
 この枠から外れる、リスペクトを欠いた解釈は、悪意ある解釈にしかならない。作品や作者に最低限の敬意も払わない者は、「自由な解釈ゲーム」を始めるためのスタートラインに立てていないのである。悪意ある表面的な解釈は、たんに間違っているだけでなく、言葉どおりの意味での「失礼な」解釈として批判されねばならない[注4: ここで述べた論点は、以前他のところでも述べたものだ(森功次「失礼な観賞」『エスティーク』Vol.1, pp.72-76.)]。

 今回、作品を恣意的に読んで政治的な主張につなげた人たちは、一方では「成果物を作り手から切り離して読み解く」というふるまい(これは非常に近代芸術的と言える)をしつつ、その一方で「芸術業界の小難しいルールなんて知るか!」と文句を言い、さらに気に入らないところがあると、いったんは視界から消したはずの作者や展示者を呼び戻して攻撃している。
 これは一見複雑な立場だ。ある面では、「文脈から切り離された対象を自由に読み解きましょう」という極端な芸術観を採用しているだけのようにも見えるが、その一方で、より良い解釈を目指すとか、より良い鑑賞経験を目指すといった、芸術文化を支える態度はほとんど見られない。こうした態度にはおそらく「わがままな消費者」という理解が一番ぴったりくる。だからこそ、気にくわない作品を見たときに「税金返せ」といった発言が出るのだろう。

 意見の多様性はそれだけでは価値がない。重要なのは、多様な意見から議論や検討が起こり、より豊かで、より強靭な考え方につながることだ。そのためのきっかけを作ることは、現代芸術に求められる役割の一つですらある。反論があれば、論争すればいい。適切な論争は文化の成熟にとって必要なことだ。恐れるべきは、「芸術の自由」というお題目の下に批判を避ける空気がはびこり、ただ声の大きい主張と、根拠不透明な権力行使が跋扈する状態である。

 一〇分余りで上の記事を読み通すとTwitterにもリンクを投稿しておき、コピー&ペーストでEvernoteの方にも写しておいて、そうしてカレーを食べに行った。台所に入ると水は具合良く沸騰していて、加熱は充分そうだった。湯のなかから袋を取り出すと鋏を使って切り開け、大皿によそった米の上に流し掛けて、その一品のみを卓に運んで、新聞も読まずテレビも点けずに食事を取った。南の窓際には玄関に飾られてあった縫いぐるみの類が並べて置かれ、陽を浴びていた。さて、早々とカレーライスを食べ終え、使った皿とスプーンも洗うと、早速散歩に出るかというわけで下階に下り、鍵をポケットに入れてまた上がったところ、買い物に出掛けていた母親がちょうど帰ってきた。仏間に入って靴下を履いているところに、いるの? と声が届くので返事をして出ていき、母親が買ってきたものを運んで冷蔵庫に入れた。果物ゼリーがやたらたくさんあって、何個か袋に取り分けられていたのは、Y田さんと言って近所のお婆さんが亡くなったので線香を上げに行く際に差し上げるものらしかった。もう二つあった日用品や図書館の本の袋も居間に運んでおき、そうして散歩に行ってくると告げて玄関を出た。出ると家の前に落葉が散らかっているのが目についたので、いくらか掃除しておくかと竹箒を手に取り、温かな陽射しのなかで地面を掃いて、葉っぱを一所に集めていった。片づけたのは駐車場上のスペースのみ、道路の方や道路と駐車場のあいだに挟まれた砂利の領域は面倒臭いので放っておき、集めた落葉を塵取りに入れて、林の縁に捨てに行った。そうして道具を元の場所に戻しておくと、道に出て歩きはじめた。降り注ぐ眩しさに目を細めながらアスファルトの上を行き、Hさんの奥さんが自家の前で垣根に上体を突っこんで葉っぱを切り整えるか何かしていたのでこんにちはと挨拶を掛けて過ぎ、時折り右手で額に廂を拵えながらさらに眩しさのなかを進むと、向かい風が渡ってくるが冷たさが尖ることはなく、肌に当たる空気は滑らか、風は長くも続かず収まれば大気はほとんど静止しながら安らいでいる。風があまり湧かない道だなと思いながら坂を上っていけば、道端の林が近くなって日蔭に差し掛かるちょっと前からまた吹いたが、それもすぐに止んで穏和さが戻る。一軒の石塀の上、草が種々生えたその下をくぐり抜けるようにして、鳩が一羽、鳴きもせず飛び立ちもせず端の狭い道をゆっくり渡っていた。
 道に虫の音は乏しく鳥の鳴きが勝って、鵯らしく浅瀬で水を跳ね返すようにぴよぴよ鳴いたり時に強く声を張ったりしているなかに、雲の一片もなく消え去ってどこまでも澄明な青空から陽射しはまともに送りつけられ、温みのなかを曲がり角まで来れば濃緑の草が葉のことごとくに宝石を象嵌されたように無数の白さを照り放っていた。表通りでは信号が変わって歩行者に青が示されていたが、足を速めずに見送って横断歩道の前で止まれば、目の前を左右に車が次々と流れ過ぎ、そのさまが路肩の鏡に小さく映りこんで現れては消え、小道からはバイクが一台出てきたその反対からは男性が一人ゆっくり歩いて向かいに信号待ちで止まって、これから進もうという裏道の方では白い蝶が二匹、求め合うようにして戯れ舞っている、と続々と視界のなかに生起していく知覚刺激の交錯に、この世界は何て複雑なんだろうと思った。この動きの複層性、情報の豊富さ、と思いながら横断歩道を渡って、細道に入れば脇の一軒には、アサガオらしき凛々しい青の花が壁に蔓を垂らしていくつも咲き、道の先では白や黄の蝶が飛び回っていて実に牧歌的である。斜面に沿って吹いてくる風を身体の前に受けつつ、三月か四月か春頃、まだ仕事に復帰していなかった時期にもこうしてこの場所で、向かい風に晒されながら歩き、そのことを日記に書きつけたなと思い返して墓の傍を行く。
 保育園まで来ると園庭には家族連れがあって、幼い女児の声が響いていた。陽の渡った道の空気は汗ばむくらいに温もって、正面の丘はまだまだ緑を留めており、その上に広がる空は飲むことのできそうな青一色に均されて、それを背景にして鴉が滑らかに渡っていき、何とも典型的な風景だなと思いながら行けば、脇の家ではベランダに出た婦人が洗濯物を干していたり、別の一軒には布団が干されてあったり、さらに道の奥ではちょうど電車がやって来てするする流れていって、この風景、とまた思った。いかにも平凡で何でもないような風景なのだが、それを見て吸いこまれるようにして、そこから情報を隈なく汲み取ることにこうも熱中している自分とは一体何なのだろう? 鴉が何匹も鳴き交わし、その声が空中に響き渡っていた。
 駅を過ぎ、街道に出れば行き過ぎる車の走行音が耳を占める。そのなかを東に歩いて、肉屋の傍まで来ればちょうど良く車の通りが収まったので道を渡り、木の間の坂道に入った。落葉の量が明らかに増えており、避けようと思っても避けられないくらいに道は埋まっていて、別に避けるつもりもないので踏み崩して軽く小気味好い音を立てながら下りていき、家の傍に出ればまた穏和な光が身を浸す。石塀の上の林の外縁から生き物の動く音が立っているのに気づいて足を止め、見上げた。草葉の重なり合いに隠れてほとんど見えないが、隙間から僅かに覗いた鳥の体に、色を変えた葉っぱに紛れるようにオレンジがかったような色味が見えたので、多分ジョウビタキか何かではなかったか。しばらく見上げていたが、がさがさいってはいても姿が見えないので諦めて家に戻った。
 室内に入ると自室から急須と湯呑みを持ってきて、緑茶を用意して下りて、noteの方で頂いたコメントに返信をしておくと、この日の日記を書き足しはじめた。一時一五分だった。打鍵に耽っていると母親がベランダに現れて、吊るしておいたコートをベッドの上に置いたので廊下に運んでおき、干されてあった布団も入れはじめたので自分の掛布団を受け取った。それから、上階に干した布団も入れてくれと声が掛かったので日記を中断して階を上がり、ベランダの洗濯物を取りこんでいって、最後に柵に掛けられた敷布団を抱え上げ、元祖父母の部屋に運んだ。もう一つも運んでおくと、ソファの背の上に放置された洗濯物を畳みはじめた。まずは寝間着をそれぞれ整理し、それからタオルを畳むあいだ、ニュースは新天皇即位の祝賀やパレードについて伝えていて、嵐が歌を歌った祝いの式が終わったあとに皇居付近に留まって、防寒着や寝袋を用意し翌日のパレード見物のための場所取りをするという人々の様子が映されて、なるほどこういう人たちがいるのだなと思った。そこまでの労を掛けながらもそれでいておそらく、特に熱狂的な愛国主義者、天皇制支持者というわけでもないのだろう。アイドルの追っかけをするのに近いものが、もしかしたらあるのだろうか。
 洗濯物を畳み終えるとタオルを洗面所に運んでおき、自室に帰ってここまで書き足し、二時三七分を迎えた。
 Tに贈る予定の中村佳穂の『AINOU』を、プレゼントするのに自分で聞かないのも変だろうというわけでAmazonでデータで購入し、それを流しながら 對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』の書抜きを始めた。「レーマー裁判」におけるフリッツ・バウアーの、一時間にも及んだという論告を全文読んでみたくて、ドイツ語は読めないが英語でインターネットに転がってでもいないかと思って、「論告」という語が英語で何と言うのか調べ、"Fritz Bauer closing argument"で検索したのだがやはり出てこないので諦めるほかはなかった。書抜きを終えると次に手帳の学習を始めたのだが、BGMとして流していた中村佳穂の音楽にたびたび耳が行って、なかなか学習が進まなかった。#5 "永い言い訳"、#9 "アイアム主人公"、#10 "忘れっぽい天使"あたりが素晴らしいのではないか。そのなかでも"忘れっぽい天使"は特に、あたかも七〇年代のソウルのバラードのような風格があって、名曲の匂いがぷんぷん漂っている。音楽が終わるとようやく集中して学習を進めることができて、リチャード・ベッセル『ナチスの戦争』や栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策』から引いた情報については、多分大方覚えられたと思う。
 手帳の学習を終えると一旦上階に行き、母親に、クリーニング屋に行くついでに図書館まで行ってくれと頼んだ。先ほど、山梨の祖母宅に行っている父親から寿司と天麩羅を食ったという写真が届いたのを見せてもらったのだが、それで我々も寿司が食いたくなり、クリーニングを取りにいくついでに買ってくれば良いという話になっていたのだった。それなのでついでに図書館にも寄ってもらってCDを返却し、また借りることにしたのだったが、市長選のあれはまだやってないかなと母親は言う。期日前投票のことである。それで青梅市長選が一七日に迫っていることを思い出し、まあどうせ現職の浜中啓一の再選となるだろうが、一応情報を収集しなくてはということでEvernoteにその旨メモしておき、ちょっと検索してみたところ、立候補者は二人、現職のほかに宮崎太郎と言ったか、そんな名前の四〇歳くらいの人が出るらしかった。それで書き忘れていたのを思い出したが、散歩の途中、駅を過ぎた傍に掲示板があってそこにこの二人のポスターが並んでいたのを見かけたのだった。また、そこを過ぎて歩いているあいだには、街道を行く車に混ざってヘルメットを被った自転車乗りが何人か通るのを見て、自分が暮らして見慣れたこの侘びた情景が、彼らにあっては異郷のものとして、長い道中のあいだに次々に過ぎ去っていく通過点として映るのだな、こちらが慣れない街に出向いた時の遠くに来たというあの感覚が、今、彼らのなかに生じているのだろうなと、そのような感慨を催しもしたのだった。
 それから音楽を聞きはじめた。初めにBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"All Of You (take 2)"。このテイクではPaul Motianは確か最初から最後まで、概ね二拍四拍を踏んでオーソドックスなサポートに徹しているという記憶を持っていたが、改めて聞いてみると序盤のうちは、そのようにビートを固めたパートと、もう少し遊びを持たせたパートとを交互に行き来するアプローチを披露していて、動きをやや崩した小節のあいだはやはりハイハットの踏み方など、一筋縄では行かない感じだった。演奏がやや活気づいてくると、足でのハイハットの刻みは記憶の通り、二拍四拍に固定される。ベースソロの裏でもそのアフター・ビートを維持しつつ、ブラシでスネアの音響を差し挟み、もう片方の手ではシンバルを刻むのだが、これも通常の、いわゆるツー・ツッツ・ツー・ツッツの感覚でなく、アクセントの付け方に定型に沿わず気まぐれな傾向があってやはり独特である。そのようなPaul Motianが、Bill EvansScott LaFaroのいわゆるインタープレイと呼ばれている交錯の土台を作っていることは間違いないが、それは堅固な基盤と言うよりは、何かふわふわとした雲のような、綿のような柔らかさがあるような気がする。
 次に、"Some Other Time"。柔和で綺麗な曲であり、Sweet & Lovelyな雰囲気がありながらも、序盤はこのトリオにしては尋常のバラード・プレイで、中盤あたりから聞き所が出てきたようだ。Scott LaFaroハーモニクスを織り混ぜ、また和音も奏でながらカウンター・メロディを提示して、対位法的アプローチを完全にものにしていることを証明してみせる。
 それから、Bill Evans Trio『On Green Dolphin Street』より、"My Heart Stood Still"。Paul ChambersPhilly Joe Jonesの一糸乱れぬ一体感は流石である――録音の観点から行くと、Chambersがやや引っこみ気味かとも思うが。Philly Joeも注意して聞いてみると、シンバル・レガートの打ち方を多少変化させてはいるものの、それでも二拍四拍のビート感はきっちりと保たれており、枠組みのなかに整然と嵌まっている。彼のスタイルと比較することで、Paul Motianのアクセントの置き方が特異だということがよくわかるものだ。Evansはお得意の、最高音を段々と上方に移しながら短い下降を連続させる技や、ちょっとArt Tatumを思わせるような豪勢な駆け上がり・駆け下りのフレーズなど、結構多彩なアプローチを見せていて快活であり、この曲の演奏では躊躇もほとんど感じさせず、休符の間も整っていて、『On Green Dolphin Street』のなかでも多分一番まとまっているのではないか。
 続いて、タイトル曲である"On Green Dolphin Street"を聞く。テンポはさして速くなく、ちょっともったりとしたような雰囲気が漂っている。Evansのソロは最初からほとんど全篇ブロック・コードで通されていて、このような手法はあまり耳にしないもので少々驚きではある。単音で弾き広げるよりも、おそらくかえって難しいのではないか。高度な技術力が必要なのは間違いないと思う。ただしかし、演者当人にとっての難易はともかく、聞く方からすればコードではあまり速弾きもできないからいくらか地味に聞こえるのは否めないし、ちょっと奇を衒った感じもないではない。ChambersとPhilly Joeもそれぞれソロを披露しているが、まあ尋常の出来というところで、表題曲のわりにそこまで聞き所が豊富かと言うと、やや疑問かもしれない。
 七曲目の"All Of You (take 1)"は一九六一年六月二五日のライブと同じ音源なので聞かずに省略して、このアルバムの白眉は個人的には、五曲目の"My Heart Stood Still"か冒頭の"You And The Night And The Music"かなと思った。そういうわけでその"You And The Night And The Music"をもう一度聞いてみることにした。イントロのドラムからテーマへの入りは、これから始まるぞというような雰囲気があってなかなか良いと思う。Evansのソロは中盤までは結構乗っていて、よく歌っていると思うのだが、後半に息切れと言うか、失速感らしきものが少々生まれ、やはり自分の演奏に完全には没入しきれていないような印象を受ける。フレーズに迷ったのか、朴訥な風になった直後に低音部から高音部まで駆け上るのも、綺羅びやかではあるものの、ちょっと取ってつけたような感じがした。そういうわけで、やはり個人的な白眉は"My Heart Stood Still"だと判定を下す。
 音楽を聞き終えると五時頃だったはずで、そこからこの日の日記を書き足した。五時半頃に出掛けようという話になっていたので、三〇分ほど打鍵して――と言うかその前に、まず服を着替えたのではなかったか? 格好は青灰色のズボンに秋冬用の白いシャツ、その上に今日の昼間干しておいたモッズコートを羽織るつもりだった。それで五時半を過ぎると、モッズコートを身につけてバッグも持って上階に行ったところが、『笑点』が始まったからこれを見てからにしようと母親が言うので了承し、もう少し日記を書くことにした。その際に、モッズコートでは暑いよと言われた記憶がある。しかし空腹が極まっていたためか室内にいてさえ結構肌寒いような調子だったので、意に介さず上着を羽織ったまま自室に戻り、Bill Evans Trioの音楽を聞いた感想を綴った。
 そうして六時前に至って切りの良いところまで綴れたので、感想のなかから"All Of You (take 2)"を聞いた時の一段落をTwitterに投稿しておき、そうしてふたたび階を上がって、そろそろ行こうと告げた。母親は着ていたカーディガンか何かを脱いで、薄手らしきコートを着込んだ。玄関に行くとそれからトイレに入ったりしてまだ時間がちょっと掛かりそうだったので、こちらは先に外に出た。六時にもなればもはや宵である。暗黒の大気のなかにささやかな虫の音が浮かび、空を見上げれば昼間から変わらず雲はないようで金属的な澄明さに均されているなかに、月はないかと思って家壁の角を過ぎれば、もう満月にかなり近いものが高みに皓々と照っていた。やはり結構寒かったので、家の前をうろうろと歩き回りながら母親を待ち、彼女が出てきて車が発進すると助手席に乗りこんだ。Every Little Thingの音楽が掛かっていた。
 街道を行き、青梅駅近くまで来ると、横断歩道を渡ってきた灰髪の高年女性に目を留めた母親が、あれ、Iくんのお母さんじゃないと言う。Iというのはこちらの小中の同級生である。小走りに通りを渡ったその女性の髪がすべて灰色に染まっているのに対して母親は、何だかねえ、みたいな感じで苦笑してみせ、その後街道を進んでいくあいだも、近藤サトとか芸能人がやっていると格好良いけど、ますます年取ってるように見えちゃうよね、年寄りこそお洒落しないとね、などと運転の合間に話すのに、うるせえなこいつ、本人の好きにさせろよ、とこちらは思った。俺に同意を求めるんじゃねえ、と思いながらしかし口にはせず、黙って聞き流し、その後もそんな調子で母親の喋ることにほとんど相槌も打たずに右から左へと通過させていき、河辺駅が近くなったところで、車をどこに停めるかという問題が持ち上がった。いや、そうではなかった。まず先にクリーニング屋に行ったのだった。だから西分の踏切りを渡った先で左折して、暗い道を吹上方面へ向かったのだったが、その際に現市長の浜中啓一の選挙カーが現れたのを目にしてこちらはそれに言及し、市長が何やったかなんてわからねえよと漏らせば、母親は笑って、そりゃ誰もわからないよとよくわからない受け方をした。しかし一つには、浜中氏の任期中に行われたこととしては、市民会館の新施設への建替えがある。新しくできた文化センターには一度も入ったことがないのでわからないが、聞けばこの新施設のホールは平土間式になっていて、雛壇式だった市民会館のホールに比べて使い勝手が悪く、音響も全然駄目だという話である。このことについてはこの車中でもこれより以前に話に出ていて、と言うのは母親が、先日祭りの袢纏のデザイン案を持ってきたAくん――兄の幼馴染――に言及して、彼は「S青梅」というオーケストラの指揮者を務めているのだが、その彼が言うにはやはり音響の質は以前の市民会館と比べて格段に落ちたと言っているとのことだった。あとはまあ、共産党の人々などが訴えるところでは、青梅市には児童館がないということが一つにはあるし、あとコミュニティバスも走っていないし、「市民の憩いの場」である各地センターの類も多数廃止されてしまったという点も挙げられる。そういうわけでまあ一応こちらは似非リベラルと言うか、どちらかと言えばそちら方面の志向を持ってもいるし、三九歳と言うからかなり若いけれど、宮崎太郎氏の方に投票してみようかなとは思っている。しかしどうせ浜中啓一現市長が再選することになるだろうとは見込んでいるが。母親が言うには、父親は自治会長なので、折に市長と懇談だとか言って出掛けているらしく、それではやはり浜中氏の方に投票しないわけには行かないだろうなとこちらは受けた。
 それで吹上のクリーニング屋に着いて店の前に止め、母親がワイシャツなどを受け取りに行っているあいだは何をするでもなく目を閉じて待ち、戻ってくるとそこから河辺へ走った。それで河辺駅手前で駐車場所の問題が持ち上がったのだが、図書館に滞在するのはCDを返してまた借りるだけだから一〇分か一五分かそこらで済むだろうし、どこかそのあたりの裏路地にでも路上駐車しようというつもりで母親はいたのだけれど、この時こちらは携帯電話を持ってきていなかったので、万が一警察などがやって来て移動しなければならなくなった場合に連絡を取れない。それで迷いながらも結局、母親が、そう言えばストッキングを買いたかったんだなどと無理矢理用事を生み出すような感じで、西友のなかに停めることに決まった。そうして西友のビルに向かってみれば、駐車場に入っていく通路入口のゲートが開放されており、何でも機械が故障しているとかで無料開放中なのだと言う。そんなことあるのかと思いながら坂を上っていき、駐車場に車を停めるとこちらは先に下りてビル内に入り、階段をゆっくり足音をあまり立てずに下っていった。一階に着くと入口から出て、寒風の流れるなかを図書館へ向かう。通りの向かいのコンビニはまだ改装中で、白いシートに囲まれている。何だかよくわからない、たこ焼きか何かを宣伝する歌を流す車が通り過ぎていった。
 図書館に入るとCD三枚に、今日書抜きを終えた對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』を返却し、CDの区画に寄った。ジャズの棚を見る前に文芸誌のコーナーにちょっとだけ寄り、『文學界』から蓮實重彦ジョン・フォード論を瞥見したが、正直本格的にきちんと読もうというほどの気持ちはない。それからジャズの区画に行き、並ぶ作品たちを見分して、まず一枚、Marc RibotのYoung Philadelphiansとかいうバンドの、東京でのライブ音源を借りることにした。Mary Halvorsonが参加していて、この人はフリー・ジャズとかアヴァンギャルド方面で知られた人だったはずで、ちょっと興味があったのだ。引き続き棚を見ると井上陽介『GOOD TIME』という作品をさらに見つけて、この人は大西順子のトリオなどにも起用されている、日本ジャズシーンの第一線で活躍しているベーシストである。これも借りることに決め、さらにその大西順子も、セクステットでやった『XII』という最新作らしきものが発見されたのでこれで三枚決まった。その後もしかし一応棚を調べていると、James Francies『Flight』というBlue Noteから出ている作品を見つけたのだが、これにMike Morenoや、何とChris Potterが参加していることが判明し、こんな田舎町の図書館でChris Potterの名前を目にするとはBlue Noteなかなかやるやん、という感じなのだが、それでMarc Ribotのバンドを今回は見送って替わりにこちらの作品を借りることにした。
 三枚を自動貸出機で貸出手続きし、それから一応新着図書も見ておくことにして階を上がった。宇野邦一訳のサミュエル・ベケットマロウン死す』が入荷されていた。実にありがたいことである。それを確認して退館に向かい、階段を下りて下の道に出て、通りを行けばここの街路樹のハナミズキはくすんだ紅に染まった葉をもう大方散らして、菌糸のように分かれた裸の枝が暗い空気を背景に浮かんでいる。西友に戻り、階段を上っていると途中のフロアから母親が現れたので、ちょうど良かったと声を掛けた。彼女はここでもう寿司の類を買ってしまったらしい。それから車に戻り、小僧寿しに行こうというわけで発車し、ビルを下りて道路に出て、北へと進んだ。そうして小僧寿しの前に停め、母親とともに店内に入る。手巻き寿司が食いたかったのだが、もう売れてしまったのか、手巻きは一本もなかった。それで一二貫の入った握りを食うことにしてそれを保持し、そのほか母親が、ロールケーキを食いたいようだったので二つ取り、あとはやはり母親の希望でガリを買うことにした。それで会計へ、会計を担当してくれた女性店員は、Sという名前だったのだが、顔はマスクで隠し髪も留めて帽子を被っているものの、目元に何か見覚えがあって、どうも過去の生徒ではないかと思われた。休職前の年に担当していた子のなかにいたような気がするのだが、彼女がSというよくある名前だったかどうかは覚えていない。それでもそのことについて尋ねるようなことはせず、店員と客としての分を弁えたコミュニケーションを恙無くこなし、さらに唐揚げ弁当も注文することになったので五個入りのものを所望し、一五〇〇円少々を支払って弁当ができるのを待った。母親は先に車に戻り、こちらは待合席の前に立ち尽くし、ぼんやりしながら待ったが、唐揚げはわりと時間が掛かるらしく、あとから来た客の品の方が先に用意されたので、それを機に席に座ると、まもなくこちらの品物もできあがった。それでカウンターに寄り、箸と醤油はいくつおつけしますかと訊かれたのに二つずつと答え、二個の袋に分けられた品物を受け取って、礼を言って退店し、車に戻った。そうして帰途へ。道中、特段のことはなかったと思う。また母親が何だかんだを喋っていたはずだが、内容は覚えていない。
 家の前に車が停められると荷物を持って先に下り、玄関の鍵を開けてなかに入って、居間の卓上に袋を置いておくと自室に帰った。時刻は七時半頃ではなかったか。いい加減空腹が極まっていたので、自室に帰って着替えるとすぐにまた上がって、食事の用意をした。メニューは寿司にワカメや菜っ葉や豆腐の味噌汁、若布菜というワカメ風の菜っ葉のお浸しが少量、ほか里芋と鶏肉の煮物と生キャベツのサラダである。唐揚げ弁当は五個の唐揚げを三個と二個で分け合い、米はこちらが全部頂いた。味噌汁に甘さがあってなかなか美味だったのでおかわりし、その際に母親の分もよそってやった。そうしてものを食べているあいだ、母親は山梨の祖母のことを口にして、あの広い家に一人で住んでいるんじゃ寂しいよねえ、みたいなことを言った。また、彼女が地味な格好ばかりしているのを取り上げて、もっとお洒落すれば良いのにと言うのだが、こちらはやはり、そんなの個人の好きにさせろよと思って多少反論した。母親は、相手が自分の親だったら口を出すけれど、自分は山梨の祖母に対しては嫁の身分だから余計なことは言わない、と言う。まあそれで良かろうと落としたあと、母親はさらに、祖母の老年の一人暮らしに話を戻して、お前だって私たちがいなくなったあと、この家に一人で住むのは嫌でしょ、と訊くのだが、こちらはそれに対して、そんなもの、選んでいられるような身分ではないのだと答えた。自分にとってはとにかく死ぬまで毎日文を書き続けること、この生を一日も漏らさず記録し続けることこそが重要なのであって、そのためには大きな金を稼いでいるような暇などなく、端的に言って自分が稼げるのはおそらくせいぜい月一〇万くらいが限界なのだから、どこにどのように住むかなど、選り好みしていられる立場ではない。だからこの家を遺してくれるというならそれは大層ありがたい話で、広い家に一人で住むのが嫌だとかそんな贅沢なことは言っていられる身分ではなく、ものがあるならあるものを利用しなければならない。とにかくどんな生活をしようと読み書きだけは止めてはいけない、死ぬまでずっと続けなければいけない、それができればほかに欲しいものはないと、そのような覚悟を持って生きていかねばならないと自分に言い聞かせるように宣言した。だからこの家も利用できるならすれば良いが、しかし現実、固定資産税を払えるほどの経済的収入を将来得られるかどうか、それすら覚束ないので、状況によってはどこかボロいアパートに入らなければならないことになるかもしれない。あるいは志を同じくする者たちとシェアハウスをするとか、そういう方向になってくるのではないかと見通しを述べた。しかしこの家に残るとすると、スーパーが歩いていけるほどの近くにないので買い物は困難だなと問題を挙げた。すると母親は、千ヶ瀬のマルフジに向けてバスが出ているから、それに乗って行くようじゃない、お年寄りと一緒に、と言うので、お年寄りって、その頃には俺も年寄りだとこちらは返した。
 とにかく死ぬまで日記を書き続ける、自分はもう二度とこの日々の記録を途切れさせることはないと、その覚悟と決意と信念が重要だ。この文章が金になるならそれは勿論ありがたいし願ってもないことだが、しかし現実、おそらく自分の文章はそれほど多くの需要を生めるものではなく、多分金にもならないし、金になるとしてもそんなことは二の次だ。今は父親が健在で経済的に我が家を支えてくれており、自分も親元でのうのうと暮らすことを許されているから良いものの、父親が死んだあとどのようにして生計を立て人生を切りひらいていくか、それが問題なのだが、その時に文筆で身を立てようなどということはおそらく考えない方が良い。繰り返しになるがとにかく死ぬまで一日も欠かさず続けること、それが最重要の事柄なのであって、金にすることで文章が書きにくくなるのだったら、その選択肢は選ばない。どうにか文章を続け、なおかつそれ意外の手段で生計を立てられるような方策が見つからないかと願うのだが。
 食事を終えると皿を洗って入浴に行った。湯に浸かって思念を巡らせていると、「神経が焼き切れるほどのスピードで」というフレーズが何だか急に思いつかれたので、久しぶりに短歌でも作るかという気持ちになって引き続き頭を回していると、断片的なものではあるが、他人の言葉に頼らなくとも意外と出てきて、ある程度考えたところで風呂を上がった。そうして下階の自室に戻り、短歌を完成させようとしたのだが、あまり上手く浮かんでこないので、先に今日借りてきたCD三枚をインポートし、その情報をEvernoteに記録してしまうことにした。それでコンピューターにCDを読みこませている傍ら打鍵して、曲目や録音情報やエンジニアの名前などを写し、それが終わるとまた短歌を考えだして、コンピューターの前で椅子に座ってテーブルに肘を突き、目を閉じて頭のなかで言葉を蠢かせた結果、以下の五つが拵えられた。

 神経が焼き切れるほどのスピードであなたを抉るそれが愛だよ
 雪山の遭難者みたく微笑んで私よ凍れ開闢を待て
 脳髄のボルトを外し星を見ればここは楽園エヴァが不在の
 悪夢呼ぶ熱より甘いさよならで唇塞ぐ聞こえぬように
 同胞よ俺を許すなせめてただ墓穴を掘ろう来世のために

 それぞれTwitterに投稿しておいたあと、その時点で一〇時くらいだったかと思うのだが、ふたたび音楽を聞くことにした。今日借りてきたJames Francies『Flight』を早速聞いてみようと思ったのだ。二〇一八年の作品だが、録音日時は明記されていない。まず一曲目の"Leaps"。一聴してみて、序盤はどのような感想を持てば良いのか、こちらのなかに評価基準や語彙が見つからないような感じだったのだが、曲が進むにつれていくらかの印象が湧いてきた。冒頭には一部軽い変拍子が入っており、多分、四拍子のなかに八分の六か何かが含まれていたように思ったのだが、その後は一応、通常の四拍子として聞けるようになったので、この妙な崩しは必要だったのかどうかいまいちよくわからない。楽曲は、明快でわかりやすいテーマ・メロディが提示されたあとにその構成に準じてメンバー間でソロを回していくという伝統的なスタイルではなく、ギターとキーボードによるものだろうか、浮遊的なテクスチャーが常に背景に敷かれていて、曖昧で色彩豊かな夢のような質感が醸し出されている。ソロはないのだろうかと思っていたところで、ギターのMike Morenoが弾きはじめた。流麗ではあるものの、これはあまり強い印象も覚えずに聞き過ごしてしまったが、次にリーダーのFranciesがピアノソロを聞かせて、それがなかなか鮮烈な音使いではあった。ただ、ピアノの音色がやけにきゃらきゃらしていると言うか、そんな擬態語で言い表したいような感触なのだが、これは何か加工されているのだろうか。
 二曲目は、"Reciprocal"である。一曲目の彩り豊かな抽象画めいた浮遊感から一転してハードな感じだが、ソロに入るまでがやはり結構長い。拍子は頭で数えていないのでよくわからないが、一定の範囲を単位にして曲構成が次々と変わっていくタイプの複雑な楽曲で、ソロのあいだもそうだった。最初はChris Potterのサックスソロなのだが、彼はどこにいても全然ぶれないと言うか、音色も高音部での張り方もいつもの通りで、込み入った曲の上を事も無げに乗って渡っていく。次に展開されたJoel Rossというヴィブラフォンのソロでは、ソロの方よりも伴奏のドラムの方に耳が行ってしまった。ドラムはJeremy Duttonという人で、相当に手数が多く多彩で、何をやっているのかはよくわからないものの、非常に高度な技量を備えているのは明らかである。闘争的と言うか、ほとんど威嚇的とでも言いたいような叩きぶりで、上手いのはわかるけれどしかし、叩けるだけ叩けば良いってもんでもないだろうとちょっと言いたくもなる暴れぶりだ。このようなバトル的なドラムがしかし、現代の最先端のシーンの流行りなのだろうか? その後はピアノのソロで、先ほど言ったように曲中で構成や拍子がどんどん変わっていくにもかかわらず、それを全然乱さずに演じているメンバーたちは流石ではあるのだけれど、ちょっとプログレッシヴに、小難しく作りすぎているような気もしないではなかった。聞き終えたあとに原田和典のライナー・ノーツを読んでみたところ、この曲は八分の二一拍子だということだった。
 三曲目、"Sway"。凛とした美しさを持ったテーマ・メロディがあって、先の二曲と比べると取りつきやすい感じがした。ちょっとKendrick Scott Oracleを連想させるような雰囲気も感じられたのだが、そう言えばあそこのギターも確かMike Morenoだったはずだ。しかし、ソロに入ってくるとまた譜割りが何だかよくわからなくなって、フォー・ビートをやっていると思っていたら急に途切れて、複雑になってくる。しかし頭で譜割りを数えて把握しようとすると音楽の本質を見失ってしまうと言うか、単純によく集中できないので、耳を流れに任せた。ドラムがやはり縦横無尽に叩きまくっているために、音像がちょっとごちゃごちゃしすぎているのではないか、情報量が多くなりすぎて濁っているのではないかというような気もした。
 メモを取りながら音楽を三曲聞くと一一時、そこからイタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』を読みはじめ、一時を回った頃合いまで二時間ほど読んで、睡気に耐えかねて就床した。


・作文
 7:20 - 7:52 = 32分(8日)
 8:07 - 8:40 = 33分(9日)
 9:05 - 9:21 = 16分(9日)
 9:38 - 9:53 = 15分(10日)
 13:15 - 14:09 = 54分(10日)
 14:22 - 14:37 = 15分(10日)
 17:09 - 17:34 = 25分(10日)
 17:37 - 17:51 = 14分(10日)
 計: 3時間24分

・読書
 9:54 - 10:24 = 30分
 10:24 - 10:59 = 35分
 11:20 - 11:41 = 21分
 11:45 - 11:56 = 11分
 14:52 - 15:15 = 23分
 15:18 - 15:50 = 32分
 23:05 - 25:04 = 1時間59分
 計: 4時間31分

・睡眠
 2:40 - 7:00 = 4時間20分

・音楽

  • Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』
  • 中村佳穂『AINOU』
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 2)", "Some Other Time"
  • Bill Evans Trio, "My Heart Stood Still", "On Green Dolphin Street", "You And The Night And The Music"(『On Green Dolphin Street』: #5,6,1)
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • James Francies, "Leaps", "Reciprocal", "Sway"(『Flight』: #1,2,3)