実際、絶滅収容所とガス室建設の権威となったブラックをはじめとして、ベウゼツ、ソビブル、トレブリンカのガス室建設に携わり、ベウゼツ絶滅収容所長になったあと、ベウゼツ、ソビブル、トレブリンカの三絶滅収容所の監察官となったブラックの技術面の片腕のヴィルト、ソビブルおよびトレブリンカの絶滅収容所の所長になったハルトハイムの安楽死施設の責任者シュタングル、トレブリンカ絶滅収容所長となったブランデンブルクとベルンブルクの安楽死施設の責任者エベルル、さらに、ヘウムノ絶滅収容所を建設しその所長になったゾルダウの安楽死施設責任者ランゲなど、安楽死計画関係者の多くがそのまま東部の絶滅収容所に移され、ここでユダヤ人絶滅に関係することになるのである。
たとえば、T4作戦が最初からユダヤ人絶滅政策のテストであったと考えるような見方は、あまりにも「意図主義的」でありすぎるというべきであろう。上でみたように、T4作戦は必ずしもヒトラーが最初から意図していたわけではないのである。そこにはいわばヒトラーの寵愛を求めて相争う部下たちの「累積的急進化」のような事態があり、ヒトラーはこれに対応したにすぎないのである。ただ、それにしても、そこにヒトラーの決定が存在したことは厳然たる事実であり、しかも、より重要なことは、この決定はまさにヒトラーとナチズムの思想に合致していたということである。それは、人間の生命よりも能率を優先させる歯止めのない合理主義である。そして、のちに見るように、まさにそのような合理主義によって、ユダヤ人絶滅政策が実行されたのであり、そのためにT4作戦の経験が利用されるのである。
(栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、84~85)
八時頃から意識が浮上していた記憶がある。それでも睡眠時間が四時間ではさすがに厳しいだろうと思われたので休み続け、一〇時のアラームを受けて正式に起き上がった。携帯の鳴り響きを止めると、いつものようにベッドに戻ってしまったのだが、今日は意識の晴れ方が普段と違ったので、これは二度寝に陥ることはないなとわかっていた。重ねられた枕とクッションに凭れながら窓ガラスをすり抜けてくる陽の恩恵に浴しているうちに、肉体の感覚が整ってきたので、身体に掛けていた布団をめくってベッドを下りた。コンピューターを点け、各種ソフトを立ち上げておいてから、ダウンジャケットを持って上階へ、ジャージに着替えていると玄関から母親が現れて、行ってくるから、と言った。山梨の祖母が前日に脳梗塞で倒れたため、そちらまで出向き、現地にいる父親と合流するのだった。台所に入ると大鍋に野菜の入った暗い色のスープが作られてあり、それはどうも麺を入れて煮込むためのものらしかったが、こちらは昨晩の余りのお好み焼きのみを食べることにして、冷蔵庫から皿を出して電子レンジに突っこんだ。二分二〇秒を設定して加熱しているあいだに、洗面所に入って髪の毛を梳かし、大人しくさせる。そうしてお好み焼きが温まるとソースを掛けて卓に移り、新聞を手もとに寄せて記事を瞥見しながら、食物を箸で細かく千切って口に運んだ。国際面を見るとリビアの停戦交渉について述べられており、ベルリンでプーチンとメルケルが膝を突き合わせて話し合ったと言って写真まで載っていたが、リビア国内を二分している暫定政権とリビア国民軍のリーダー同士の対話は行われなかったと言う。そのほか文化面の、芥川賞の選考について証言された小さな記事も読んだ。島田雅彦の言によれば、受賞作なしもありうるかという低調ぶりで、古川真人と千葉雅也とあと一人木村何とか言う人の作品で最終投票を行ったが、八人の投票で古川氏が得た点数は全体の半分の四点。選考の場には重苦しい空気が流れ、結局一人が三角から丸に評価を改めて、何とか受賞が決定したとのことだった。
食事を終えると皿を持って席を立ったが、台所に行く前にポットを覗いてみると湯が少なかったため、薬缶から水を注ぎ足しておき、それから流しに移って使った皿と箸を洗った。その頃には母親は既に出発していたと思う。それから風呂場に行って浴槽を覗いてみると、残り水はまあ相応という感じだったが、二人しか入っていないから風呂は洗っても洗わなくてもどちらでも良いと言われていたので、面倒臭いからと洗わないことに決め、汲み出しポンプのみ取り出しておき、浴室をあとにした。そうして下階に帰る。LINEを見るとTDが、久しぶりにRainbowの"Kill The King"を聞いたのだが、ギターソロが大したことはやっていないのに格好良いと呟いていたので、それに触発されてyoutubeにアクセスし、一九七七年ミュンヘンでのライブ動画を視聴した。Ronnie James Dioの歌唱の隙や乱れのなさはやはり凄い。見終わるとLINEの方にも反応しておき、それから前日の日課記録を埋め、今日の日記も新規作成しておいてから緑茶を用意しに行った。注いでくると飲みながら早速日記を書きはじめ、ここまで記せば一一時一三分となっている。
前日の日記も書かなければならないし、それより以前、一八日の記録もまだまだ終わっていないのだが、ひとまず読み物に触れることにした。一年前の日記に引いておきたいような記述は特になかった。二〇一四年五月三〇日金曜日には、以下の歩行中の描写があった。この二〇一四年の自分の文章は勿論全然大したものではないのだが、今読み返してみると一つの口調のリズムのようなものが思ったよりもできあがっているように思われ、そこから何かしらの雰囲気が醸し出されていて、昔はあまりにも拙劣だと評価して一部削除してしまったけれど、意外と悪くないのかもしれない。
暑かった。西から照った陽ざしが肩や頭にたまった。脇のあたりに汗がにじむのがわかった。だけどふらふらしなかった。うしろに引き寄せられそうになる頭を腰がしっかりとどめていた。行く先の空は、ミルクを落としてなでて伸ばしたみたいに雲がさらさらと流れていた。駅のほうにまっすぐいかずに、図書館へ曲がった。踏み切りが閉まった。アパートの日かげに入って待った。小さい女の子は太陽を気にしないで踏み切りのそばで待った。そのうしろに日傘をさしたおばあさんが並んだ。電車が通ると、踏み切りのむこうにある図書館と踏み切りのこっち側の道が、くすんだ緑色の窓に包まれて重なって混ざったけれどまたすぐに分かれてしまった。窓ガラスはその先にあるものも映す鏡だった。急にあたりが暗くなった。西を見ると、蒸気みたいな巨大な雲がひとつだけふくれあがっていて、そのまわりの空はまったく濁りがなかった。
二〇一四年の記事をブログに投稿しておくと、fuzkue「読書日記」及びMさんのブログを読んだ。一月一二日付の記事には、工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」シリーズからの引用がたくさん付されてあった。そのなかから目に留まった部分を以下に列挙しておく。
ラカンにとって、主体とはなによりも「話す主体」である。まず主体がいて言語を用いるのではなく、言語があたかも環境のごとく存在し、この環境に身を投じることではじめてひとは主体となる。ラカンは、このような言語の場のことを〈他者〉(Autre)と呼ぶ。では、人間はどうやって〈他者〉の領域に入ってゆくのだろうか。ラカンはこれを、子どもと「母」の関係の問題として考える。ちなみに、ラカンのいう「母」は、必ずしも生物学的な母親を意味しない。重要なのは、母の位置を占める人物が子どもに先立って、言葉を話しているということだからだ。話す存在、自分に向けて言葉を投げかけてくる存在としての母と向き合う経験を通して、子どもは言語の世界に入ってゆく。母こそが子どもを言語へと導くのであり、このかぎりで、母は子どもにとって最初の〈他者〉である。
母の欲望が、彼女の言うことや告げること、彼女が意味として生じさせることのあちら側ないしこちら側に存在し、母の欲望が知られていないかぎりにおいて、まさしくこうした欠如の点で、主体の欲望は構成される。
母から子どもへの言語の伝達は、欲望(désir)の伝達でもある。人間はきわめて未発達な状態で生まれてくるがゆえに、母=〈他者〉の世話なくしては生命を維持できない。それゆえ、母が何を考え、何を望んでいるのかは、子どもにとって死活問題である。そして、この問いを解く手がかりは、母の話す言葉にこそ求められる。母の欲望を問うことと言葉を獲得することは、子どもが主体となるプロセスのふたつの側面なのだ。重要なのは、このプロセスのなかで、子ども自身の欲望、主体としての欲望が立ち上がってくるという点である。母は何をいわんとしているのか、母は何を望んでいるのかという母の欲望の謎に向き合って試行錯誤することそのものが、子どもの言葉と欲望のベースを作っていく。
欲望が成立するときに働くこうしたメカニズムは、子どもに限らず、広く認められる。というより、言葉を話す者の欲望は、必ず何らかのかたちで、このメカニズムにもとづいている。ラカンはこれを、「人間の欲望とは〈他者〉の欲望である」と定式化した。私たちの欲望は、あくまでも、私たちにとって決定的に重要な誰かの欲望との出会いの結果=効果として生まれる。だから、私たちが望むことのうちには、必ず、〈他者〉に望まれるような存在、〈他者〉にとって何らかの価値を備えた存在でありたいという根源的な欲望が潜んでいる。
(……)同じくメルセンヌ宛の書簡では、こう言われている――「神においては、望むこと、理解すること、創造することは同じひとつのことなのだから」。神が何かを望んだ瞬間、あるいは神が何かを理解した瞬間、現実はそのとおりに創造される。デカルトにとって真理とは、〈他者〉の欲望の産物以外の何ものでもなかった。
(……)デカルトにとって、何が真理であるかということは、そもそも人間に関与できる事柄ではない。それはどこまでいっても〈他者〉の欲望次第であって、有限な存在である人間にできるのは、〈他者〉があらかじめ決定したことをあとから追いかけるようにして、部分的に知ることだけである。つまり、「私はまだ知らない、しかし、〈他者〉はすでにそれを知っている」というのが、デカルト的な真理の探究の出発点だ。
では、精神分析において「すでに知っている〈他者〉」の役割を果たすのはいったい誰なのか。ラカンのいう〈他者〉の最も基本的な定義に立ち返れば、それは言語の場そのものだということになる。とはいえ、主体が自由連想を行って話すためには、当然のことながら、分析家が言葉の宛先となって話を聴かなくてはならない。つまり分析関係のなかでは、事実上、分析家こそが〈他者〉を代表している。むしろ、〈他者〉の仮の代理人というポジションに身を置くことが、ひとつの精神分析が始まるときの分析家の重要な役割である。このことを指して、ラカンは分析家のことを「主体の証人」、あるいは「真理の主」と呼んだりしている。
しかしこれは、分析家がデカルトの神のごとく何でも知っているとか、主体の無意識の内実を把握する特権を持つ、という話ではもちろんない。まったく反対である。うえで「仮の代理人」という言い方をしたのもそのためである。分析家は、主体の無意識と発話(パロール)のつながりを保証する〈他者〉の機能を、あくまでも仮初めに、肩代わりする。逆にいえば、分析家が〈他者〉の位置に身を置き続けることはできないし、またそうしてはならない。これはラカンの精神分析思想の最も重要なポイントのひとつだ。
ラカンがあえて「知の主体」(知っている主体)ではなく「知を“想定された”主体」という表現を用いている点は重要である。これは、「神こそが真理を知っている」というのがあくまでもコギトの側の「想定」である、ということを意味する。実際デカルトの議論のなかでも、神の存在証明や「永遠真理創造説」の主張は、もっぱらコギトの試行錯誤のみから導き出されており、それを外部から保証する審級は存在しない。神が本当のところ何を知っているのかよりも、その中身が何であれ、神は真理を知っているとコギトが想定すること自体のほうがじつは本質的なのだ。〈他者〉に対する知の想定はひとつの主体的行為であり、真理の探究に不可欠な一歩である。
ここまで足早に確認してきたフロイトの議論は、転移の現象的な側面、すなわちそこで現れる厄介な感情のもつれの意味や取り扱いをメイントピックとするものだといえる。これに対してラカンは、その議論を再構築しつつ、問題の現象を条件づける基本構造に焦点を当てる。この基本構造こそ、分析家が仮初めの〈他者〉となり、分析主体がこの〈他者〉に知を想定するというものである。ひるがえって、転移の解消は、この構造そのものが解体することによって果たされる。つまり、分析主体が分析家を〈他者〉とみなすことをやめ、自分の無意識について、自分以上に分析家のほうが何事かを知っていると考えるのをやめるとき、精神分析は終わりを迎える。
また、デカルトの「悪しき霊」の議論に関してこちらが気になるのは、おそらく特段の意味は持たないかもしれない、些末な部分なのだが、その「悪しき霊」「欺く神」に微妙に付与されている人間性のようなものである。つまり、工藤顕太の引用によると、『省察』中、第二省察の序盤においてデカルトは、「しかし、何か私の知らない、きわめて力強く、きわめて狡猾な欺き手が存在して、絶えず私を欺こうと技巧のかぎりを尽くしている」と述べているらしいのだが、そのなかの「技巧のかぎりを尽くしている」という表現に含まれる「努力」や「尽力」のニュアンスのことである。一月一〇日のMさんの日記冒頭に付されていた松本卓也の著作(『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』)のなかの引用では、「ある悪しき霊(genium aliquem malignum)で、しかも最高の力と狡知をもった霊が、あらゆる努力を傾注して私を欺こうとしている、と想定してみよう」というデカルトの記述が取り上げられていて、この点がもっとはっきりしている。「最高の力と狡知をもった霊」ならば、「あらゆる努力を傾注」する必要などまったくなく、まさしく赤子の手をひねるかのごとき最小の労力で、やすやすと「私」を完全に騙してみせるのではないかと思うのだが。まあ、こうした微妙なニュアンスは、どう考えても疑い得ない真理を確立しようとする「私」に課された困難を強調するためのレトリックの類だろうとも考えられるが、このような、ある面において「人間的」な性質を垣間見せる存在を、超自然的で超越的な「神」あるいは「霊」として措定してしまって良いのだろうかともちょっと思うわけだ。
自分の過去の日記や他人のブログを通過すると一時間以上が経過しており、時刻は一二時半だった。今日も昨日に引き続き、ベランダで書見をしながら陽を浴びることにした。さすがにたった一日で効能が出るとも思われないが、今朝の寝起きが良かったのはもしかすると前日に陽を浴びたためなのではないかという気もして、今日も日光浴をしてそれが睡眠の改善に繋がるのか測ってみようと思ったのだ。その点で効果がないとしても、単純に陽を浴びるというのは健康にも良さそうなので、晴れている日の習慣にするつもりである。そういうわけで、小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を持って階を上がり、ベランダに続くガラス戸の敷居を踏み越えた。一二時半で太陽は盛りの時刻、浮かんでいる位置は高いものの、予想よりも西の方に流れているような印象だった。それでも日向はベランダの床に広くひらき、そのなかに胡座を搔いて本をひらけば、ばたばたと羽音が聞こえて、正面の梅の樹が香るような紅色の蕾を枝いっぱいに散らしてビーズで飾られたようになっているその上に、雀が何匹か連れ立って現れ、間を置かず一羽、二羽と飛び立っていったそのあとに二羽が残って、並んできょろきょろと細かく体を振っているさまの、小さくいたいけで愛らしいものだった。見上げれば空は永劫に続く青さに占領されて開けっ広げにひらかれており、ダウンジャケットを着込んだ身に陽射しは熱いくらいだが、折々、熱が溜まってきた頃合いで風が揺らいで、涼気が光を中和し温度を調節してくれる。そうした環境のなかでラカンの診療記録を読み進め、四〇分経って一時を回った頃合いでそろそろ良かろうと尻を上げた。眩しい屋外で瞳をずっと光に触れさせていたので、室内に入ると辺りはぼんやりと暗んでおり、階段に掛かると視界に緑色の残影が発生して段の境が見えないくらいだった。それでも今まで何千回か何万回か下ってきた馴染みの階段だから危なげなく足を運んで、自室に帰ると運動をすることにした。the pillows『Once upon a time in the pillows』を流しはじめてまずは屈伸、次にベッドに乗って足裏を合わせたポーズで静止して、股関節を伸ばすとさらに今度は両足を前方に伸ばしてその指先を両手で掴み、やはりそのまま静止して脛や太腿の裏の筋を和らげた。次いで「コブラのポーズ」だが、先ほどの柔軟で、痛いというのとはちょっと違うものの骨盤がずれたかのような妙な感覚が腰に発生していたので、「コブラのポーズ」はあまり長く行わず、ベッドの上にうつ伏せになったり仰向けになったりして背の感覚がなくなるのを待った。それから「板のポーズ」を一度やってみると、腰や背の位相のずれは収まって、その辺りの稼働が随分と軽くなったように感じられたので、柔軟凄いなと感嘆した。「板のポーズ」はいくらも続けられない。休みを挟みつつ何度か行い、それから「舟のポーズ」に移行して、こちらも間歇的に繰り返し、音楽は九曲目の"FLAG STAR"が終わったところで切りとしてコンピューター前に移ると、三四分が経っていた。結構長く行ったものである。時刻は二時手前、"Please Mr. Lostman"を歌ったあと前日の日記を二〇分ほど書き足して、それから洗濯物を取りこみに行った。
洗濯物を取りこんだ際のことは覚えていないが、多分まだ陽は明るく照っていたはずで、眩しさが瞳を射ったのではないか。吊るされたものを室内に入れるとそのまま畳むこともしたはずである。それから食事を取ることにして、冷蔵庫から円型の容器に詰めこまれた素麺を取り出し、箸で少しずつ持ち上げて大鍋の汁のなかに投入していった。ほか、どこかのファミリーマートで買ったらしいカレーパンを電子レンジで温め、素麺が煮えると丼に盛って卓に運んだ。席に就いて麺を啜り出したが、味が薄かったのですぐに立ち、冷蔵庫から「創味」の麺つゆを持ってきて少量追加した。そうして飯を食っていると両親が帰ってきたので、思いの外に早かったなと思った。母親が玄関から呼んで、荷物を運んでくれと言うので腰を上げてそちらに行き、ケーキの箱と様々な品物の詰まった買い物袋を持って移動した。ケーキは祖母の九〇歳の誕生日のために用意したホールケーキなのだが、今回倒れるようなことになってしまい、当然ながら祝うも何もないので、持って帰ってきたのだということだった。こちらの誕生日が一月一四日なので、遅れ馳せながらその祝いとしてこじつけられなくもない。それで食後はそのショートケーキを母親に切ってもらい、彼女とともに頂いた。父親も食べていけば良いのにと母親は言ったが、彼はどこに行くのかすぐにまた家を発ったようだった。
下階に下りる際、習慣に沿って緑茶を用意したと思う。そうして飲みながら、記憶ノートをチェックしたようだ。そう、食事を取っている最中にも頭のなかで記憶ノートから学んだ知識を反芻していたのだった。その分も合わせて二頁目から六頁目までの内容を復習し、それからこの日の日記を綴って、四時を越えると出勤に向けて準備を始めた。まずは歯磨きである。廊下に出ると父親は既に帰ってきていて階段下の室で何やら作業をしていた。歯ブラシを取って口に突っこみ室に帰ると、小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を読みながら口内を綺麗にし、そうして口を濯ぐべくもう一度室を出て階段下に掛かると、父親が何やらこちらの方を見上げて、こちらも見返したのだが彼は何も言わず、妙な間のようなものが漂った。口を濯いできてから、中村佳穂『AINOU』を流して着替えである。今日は白いワイシャツに灰色の装いを取り、ジャケットまで身につけると出発まで少しでも日記を書いておこうというわけで、前日の記事を三五分間進めた。
そうして五時を越え、バッグに財布と携帯を入れ、手帳とペンはジャケットの内ポケットに、そしてコートとストールを持って階を上がった。融解的な薄闇に包まれた居間のなかで父親は炬燵に入って目を閉じており、母親は椅子に座っていた。目を覚ました父親が、今日仕事か、と言うので、ああと低く受けながら玄関に出てトイレに行き、戻ってくると父親は何やら電話をしていた。こちらはひとまず洗面所に入って泡石鹸を使って手を洗い、居間に戻ると電話はO.MDさんからのものだと知れて、祖母の容態を伝えるものだったのでこちらもソファの横に立ち尽くして、携帯から漏れ出てくる声と父親の応答を聞いた。祖母は脳梗塞によって言語的な領域が詰まってしまい、周囲の言うことがあまりよくわからなくなっているとのことだった。運動を司る部分には梗塞は及んでいないので、一応動くことはできるだろうが、一人で暮らしていくのは困難だろうから、山梨の宅に戻るのは無理だろうと言う。母親がたびたび、お祖母ちゃんが死んじゃったら、あの家どうするんだろうと懸念を漏らしていたものだが、まだ亡くなってはいないにしてもその懸念が現実のものとなったわけだ。この夜に聞いたことだったかそれとも前夜に聞いたことだったか忘れたが、山梨の家を維持していくにも、年間七〇万円もの固定資産税が掛かると言う。生きていくというのはまったく金が掛かるものである。
通話をしばらく聞いて、電車の時間が近づいてきたので、じゃあもう行くと言ってストールを巻き、発つ間際に母親に、どのようにして倒れたのかと前後の経緯を訊いた。MDさんが祖母に電話を掛けたところ、口調がしどろもどろのような感じになっていて、それで救急車を呼んだのだと言う。あるいはそこで放置されていればもはやこの世になかったかもしれないのだから、それは良かったねと応じて、こちらは出発した。道に出れば、空は雲の存在が一ミリも許容されない黄昏の褪せた青に晴れてひらいている。風があり、道に面した林は静かな響きを漏らし、公営住宅前に掛かれば背高く伸びてこちらの頭を越えた芒も、身を揺らしてかさかさと擦れ合う。視線が上り坂を辿った先の西の果てには微粒子が撒かれたような赤味が漂い、青さの攻勢を汀で辛うじて食い止めて、戦闘の最前線においては攻守の力が拮抗して空は色を失い、光の純粋さを体現したかのような無音の白を差し挟んでいたが、もう少しすれば赤い陣営のその決死の防衛も崩れ、空は端まで宵前の、ドームのなかに閉ざされたかのような淡青に支配されるはずである。山際の仄かな赤を見ながら歩いていると右方から音が聞こえたので目を振れば、Kさんが庭にいたのでこんちは、と声を投げた。振り向いたあちらは挨拶を返し、これから、と訊くのではいと応じて、行ってきますと残し、そのような簡単なやりとりを交わして過ぎた。
坂道に入って右方の樹々を見上げると、幹と幹のあいだの隙間を埋めて繋ぐ青色が実に均質で偏差なく、ローラーを走らせて隅から隅まで塗り尽くされたようだなと思われた。坂を上って駅前まで来ると、ホームに老人が一人、背を幾分曲げながらのろのろとした足取りで歩いているのが見えて、Nさんかと思ったが、通路を渡ってホームに入ってみるとさにあらず、この辺りでは見かけた覚えのない高年の、頬のいくらか垂れたような白人男性だった。しかし杖を突いてここまで歩いてきたようだから、多分近隣に住んでいるのだろう。
立ち尽くして瞑目のうちに寒風に耐えながら電車を待ち、やって来ると乗りこんで席に腰掛け、コートのポケットに両手を突っこんだ。白人男性はやはり歩くのがいくらか難儀なようで、ゆっくりと移動して向かいの席に就き、時折り引っかかるような咳を漏らしていた。青梅に着くと周囲の乗客が降り、新たな客が乗ってきて扉の閉まったそのあとから立って降車し、ホームを行けば前方には先ほどの白人が歩いている。そのあとをゆっくり行き、こちらが階段に掛かる頃、あちらは階段口の向こうにあるエレベーターに入って、ほとんど同時に地下の通路に下りた。曲がって通路を行き、階段を上るその後ろから、杖が地面をかつかつと突く間歇的な音が飛んでくるのを聞きながら、駅舎の出口に向かった。職場の前で、彼はどこに向かったのだろうと振り返ってみたが、その姿は見えなかった。
今日は二コマである。準備を行っていると、見かけたことのない人が一人、入ってきた。五〇代くらいだろうか、白いものの混じった灰色の髪はまだ豊富で、どことなく軽妙なような雰囲気を漂わせている男性だった。彼がロッカーに荷物を仕舞っているところに近づいて、ひとまずこんにちはと低く挨拶すると、同じ言とともによろしくお願いしますと返ったのでこちらも返事をし、本社の人だろうか、視察か何かだろうかと推測した。何となく、結構偉い地位にありそうな雰囲気を感じたのだった。ところが入口近くの方に行って室長に、こちらの方は、と棚の教材を見分している姿を示してみると、研修、と返る。その時点でもまだ、他教室の講師が何か研修をしに来たのだろうかという頭があったのだが、室長が電話を取ってしまったので本人に近寄り、Fと申しますと名を名乗りながら尋ねてみると、(……)と名乗った相手は、今日初めて、と軽く言うので、どうも新しく入る人らしかった。研修って何をするんだろうなと漏らしていると、電話を終えた室長がやって来て、動画を見てもらうのだと言う。それでコンピューターを用意し、サイトを立ち上げたところまでは良いが、ログインするためのIDがわからないので、すみませんがあとは室長に、と笑っていると、ボードについて質問された。応じて、生徒ごとにボードが用意されていて、そこに計画表などが保管されているのだと答えると、そうすると授業の記録とか共有事項とかもそこで管理されているのかと質問が続くので、昔はそうだったんですけれど、今は生徒たちが記録ノートを持っていて、そこに授業記録を書かせるようになっていますと返したところで室長がやって来たので、それ以上詳しい説明はしないままこちらは場を離れた。そうしたやりとりから察するに、どうもほかの学習塾会社で働いていたことのある人なのではないか。振舞いや口調もこなれたような、世慣れたような感じを湛えていたし、わりと世間をよく見て渡ってきた人間ではないかと推測される。
その後こちらは国語のテキストを読んだり、都立過去問の平成三〇年度の社会を確認したりして、授業に入った。一コマ目は(……)さん(中三・国語)に、(……)くん(中三・英語)。(……)さんに当たるのは二回目だと思う。愛想はあまりない子ではあるが、はい、はい、と返事はしてくれるし、質問を投げかけても黙ってしまうということもなく、室長からのプレゼントを渡した時には有難うございますときちんと礼も言ってくれた。授業途中で、本は読むんですか、と訊いてみると、読むと言う。素晴らしいですねと受けて、どんなものをと続ければ、角川文庫(しかし彼女はこれを、「かくがわぶんこ」と発音していた)とか、ライトノベルとかだと返る。それで小説の類は結構読み慣れているようだったが、しかし問題の方はそこまで凄くよくできるというわけでもなかった。システムに登録されている情報によれば、彼女には学習障害があると言うのだが、一体それがどのような類のものなのか、それ以上詳しいことは定かでない。室長からのプレゼントを差し上げたあと、こちらが席の前を離れると、何かうきうきと踊るような素振りを見せていたので、もしかしたら意外と内面的には感情豊かで、ダンスなど好きなのかもしれないと想像した。
(……)くんは長文読解。一緒に読みながら、表現や文法などを拾っていく。彼も知識がなかなか身についていかないので、難儀な生徒だ。しかしこの日は以前やった箇所を復習することもできたので、その点は良かった。と言って、あと一か月で試験本番が来てしまうので、あまり猶予はないわけだが。もっと早くから、復習を主とした方式を採用していれば良かった。記録ノートは色々と書いてくれて充実したが、本当はこの知識を長期記憶へと変換して維持させなければならないのだ。
二コマ目は(……)くん(中三・社会)と、(……)くん(中三・社会)。(……)くんは人権や、選挙制度や直接請求権などについて確認。基本問題、標準問題もよくできていて、問題はないのではないか。授業終わりに、あなたは何か好きなものはあるのと問うてみると、プラモデルを作るとのことだった。何の種類かと訊けば、ガンダムだと言う。いわゆるガンプラ、というやつかと応じた。父親の影響で好きになったらしいのだが、アニメの方は最近のものしか見ていないと言う。こちらもガンダムについて特段詳しいわけではないと言うか、むしろ全然何も知らないので、それ以上話題を掘り下げることができず、そういうもので息抜きしながら頑張って行きましょう、と凡庸に落とした。
(……)くんは都立入試の過去問である。事前に予習しておいた平成三〇年の問題を扱った。五〇分丸々取り組んでもらっては解説の時間がなくなると判断し、三〇分で実施。それでも大問五の二問目まで解けたので、時間は充分に足りるだろう。彼は今日の問題ではできる箇所とできない箇所の区別がはっきり出ており、世界地理に当たる大問二や歴史を取り上げた大問四が弱点のようだったので、それらについて説明をした。この生徒は以前はいつも疲労感が滲んだ様子をしていて、あまり突っこんだ指導をするのも嫌がられているのではないかと遠慮していたのだが、どうやらそういうわけでもないようだし、こと過去問に至ればなりふり構ってもいられないというわけで、今日は記録ノートにたくさんの知識を書いてもらった。授業終わりに、今日はたくさん書いてくれたから、疲れたね、と笑いかけ、過去問からも学べることがたくさんあると思うので、できるだけ吸収していってもらいたいと語りかけた時にも、まっすぐこちらを向いて話を聞く姿勢を見せてくれたので、多分それなりの信頼感は得ているのではないかと判断される。
そうして九時半前に退勤した。翌日は元々二コマだったはずが一コマで良いと言うので、有難い。職場を出ると駅に向かったが、モスバーガーの前にK.Rらしき若者が自転車に寄っていた。目を向けているとしかし、後ろを向いてしまい、イヤフォンもつけはじめたので、あちらでも多分こちらを同定しながら、関わるのを面倒臭く思ったのではないだろうか。その横を過ぎ、駅に入ってホームに上がると、奥多摩行きの最後尾の口がひらいていたので、そこに誘われるように乗りこんで、ボタンを押して扉を閉め、席に就いた。脚を組んで両手をポケットに入れた姿勢で、目を閉じて思念を遊泳させながら到着を待つ。
最寄り駅で降り、ホームを行くと、前方にずんぐりとした姿形の小太りの男性が歩いている。いつもこの時間に同じ席に乗っている人で、その行動はほとんど完全に習慣化されており、毎回見かけるたびに自販機に寄ってSUICAを使って何か飲み物を買っている。電車を降りたその瞬間から誰かと通話を始めるらしいのも常のことで、時折り相槌を打つように低く何かを呟いたり、引きつるような笑い声を漏らしたりしているのだが、あるいはあれは通話ではないのだろうか? 何かの放送とか配信とかを聞きながら、独り言を言ったり笑ったりしているのだろうか? わからないが、この日も階段を上がりながら、きぇひひひ、みたいな妙な笑い声を漏らしていた。階段通路の下りに掛かると途中で煙草に火をつけて、その後ろから行くと煙草の匂いが鼻に触れてきたが、それは結構悪くない香りだった。
駅舎を抜けて通りを渡ると東へ向かう。車道を縁取るように点々と設置されたカラーコーンの頭を彩る保安灯が、黄緑と赤の発光を道の上に小さく散らしているそのあいだを、魔力で織り成された皿のような襞のない二つ目を光らせながら、車たちが危なげなく滑るように走っていく。肉屋の隣から木の間の坂道に折れて、階段の幅が広いのでやや大股になりながらゆっくり行くと、先日は街灯に照らされて抹茶の粉を振りかけたようだと思った足もとの苔の色が、今日はその時ほどに鮮やかならず、くすんで古ぼけたような色合いに映って、蛇の肌を思った。階段が途切れて道が全面坂に変わっても歩幅を広くゆったりと下りていき、頭上を見上げれば樹々の影が覆いかぶさって伸しかかるようになっているそのあいだに、明るい星の輝きが一つ、垣間見えていた。
帰宅。父親はまだ帰っていなかった。あとで訊けば、自治会の新年会だかに出向いていたのだと言う。自室に戻って服を着替え、食事に上がった。夕食の主なおかずは豆苗を豚肉で巻いてソテーした料理だった。上には多分書き忘れたかと思うが、この昼に米を新しく磨いでおいたので、肉巻きをおかずに瑞々しい白米を食ったわけである。そのほかに確か、煮込んだ素麺や、その他の品もあったはずだが、詳細は忘れてしまった。ものを食っていると父親が帰ってきて、手にはビニール袋を二つ持っていて、一つは市指定の薄緑色の燃えるゴミの袋、もう一つは普通の白い袋で、後者からは貰ってきたと言う揚げ物が出てきたので、これはこちらが頂くことにした。もう一方のゴミ袋の方には、若布だか何だかが入っているらしく、メンマがどうとか言っていたのを聞くに多分若布とメンマを混ぜて炒めた料理でも入れられていたのではないかと思うが、いずれにせよそれは処分扱いになったらしく、父親は母親に、これ捨てといてと仕事を託す。母親は一挙に気色ばんで、袋に直接入れないで何か別の袋に入れてほしいとか、単純に臭いとか文句を言いながらもそれを勝手口の外にある保管箱の方に移していたが、そのあとで、ゴミを片づける人の身にもなってみろってんだ、とまた呪詛を漏らしていた。それはまあ確かにそうだなあとこちらは思った。思いながらも唐揚げだとかメンチカツだとか父親の貰ってきてくれた余り物を食い、素麺も啜って、風呂は帰ってきた父親が行ったので食後に食器を片づけると、緑茶を用意して我が窖に帰った。そうして一〇時四〇分から二〇分ほど、Ward Wilson, "Myth, Hiroshima and Fear: How we Overestimated the Usefulness of the Bomb"(https://www.cadmusjournal.org/article/issue-5/myth-hiroshima-and-fear-how-we-overestimated-usefulness-bomb)を読んでいる。
・vested: 既得の、定まった
・duress: 脅し
・out of habit: 習慣で、惰性で
・long overdue: 大幅に遅れている、大幅に過ぎている、機が熟しきっている
It is perhaps telling that the U.S. military has increasingly used smart bombs and drones in its wars and battles, but has never yet found a situation that required the use of nuclear weapons in nearly seventy years. Most military targets are building-sized or smaller. Why would you want to use a weapon that forces you to destroy a third of the city in order to destroy one building? It seems far more likely that nuclear weapons are messy, blundering, outmoded weapons than that they are magical weapons with the power to coerce enemies in almost any circumstances. There is no question that nuclear weapons are dangerous. Any use carries with it the possibility of escalation to a catastrophic all-out war. But there is a serious question as to whether nuclear weapons are particularly useful. Why would you ever keep technology that is very dangerous but not very useful?
さらに続けて綿野恵太「オルタナレフト論 第5回 大衆としてのネット右翼」(http://s-scrap.com/3491)にも目を通した。
文化人類学者の木村忠正はYahoo!ニュースのコメント投稿を分析するなかで、ネット世論の特徴を「非マイノリティポリティクス」と呼んでいる。「「非マイノリティ」とは「マジョリティ」だが、「マジョリティ」が「マジョリティ」として十分な利益を享受していないと感じている人々」[14]であり、「生活保護」「ベビーカー」「少年法(未成年の保護)」「LGBT」「沖縄」「中韓」「障害者」といった「従来のリベラル的マイノリティポリティクスに対して強烈な批判的、嘲笑的視線を投げかけ、社会的少数派や弱者に対するいら立ちを強く表明したり、愉快犯的にからかう」[15]存在である。いうまでもなく、「ネット右翼」のことである。
木村の分析が興味深いのは、「嫌中、嫌韓、反日、抗日など、政治的態度は強い感情と深く結びついており」、デモや書き込みといった行動に人々を駆り立てるのは「理性よりもむしろ直感的情動と考えた方が適切である」[16]として、ジョナサン・ハイトの道徳基盤理論を援用していることだ。ハイトがあげる「ケア/気概」「公正/欺瞞」「自由/抑圧」「忠誠/背信」「権威/転覆」「神聖/堕落」という6つの道徳基盤のうち、アメリカの保守派は6つの基盤にまんべんなく依拠するが、リベラルは「ケア/気概」「公正/欺瞞」「自由/抑圧」の3つしか依拠しない。リベラル派が劣勢に立たされる原因は、ひとびとの道徳的直観に訴えかけることができないからだとされる。木村によれば、日本の「ネット右翼」もアメリカの保守派と同様の傾向を示している。
この分析からわかるのは、大衆とは、階級や属性、生活様式のことではなく、知そのもののあり方である、ということだ。大衆と市民が対立するのは、そこで異なる認知システムが働いているからだ。前回も言及したように、二重過程理論でいえば、大衆は直観的・情動的、非言語的で自動的な認知システム(システム1)にしたがい、市民は言語的・合理的な判断をおこなう認知システム(システム2)を重視する。そして、「ネット右翼」の言説が大衆の支持を得るために、その情動をかき立てることを目的とするならば、彼らの言説に根拠がなく、単なるフェイクであり、論理的整合性を欠いていると批判したところで、なんの効果もないことは明らかだ。フェミニズムや歴史修正主義の問題において知識人が「ネット論客」にたいして啓蒙を試みても、その多くが無残な結果に終わるのはこのためである。
すると一一時一八分、風呂は父親に続いて母親が入ったのでまだ空いていなかったのだが、ここから作文を開始する一一時三四分までいくらか空白が挟まっており、これは何をやっていたのか定かでない。二〇日の文章を二〇分弱綴って、もう日付も変わる頃合いになってから入浴に向かった。三〇分ほど浸かって出てくると、ふたたび二〇日の日記を書き出して、一時間七分も費やしていながらまだ終えられていない。これは終盤の、ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』の文言を引いて註釈めいたものを付した箇所に力を注いでいたのだが、大した内容を綴れないくせに時間だけは一丁前に掛かるわけである。本当は、読書ノートに他人の文を書き写した際に感じたこと考えたことなども漏らさず記録するようにしたいのだが、それをあまり詳細にしているとこのように時間がいくらあっても足りないので、これは考え物である。一時四六分で作文を中断し、中村佳穂『AINOU』をヘッドフォンから流しだしながら、ベッドに乗って合蹠のポーズや前屈を行った。そのあと「コブラのポーズ」もやって背の筋を伸ばしておき、そうして時刻は午前二時を迎えるところとなった。
(……)二時一七分からふたたび二〇日の日記を書き出し、二時半に至ってようやく完成を見ることができた。それからこの夜もロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』のメモを取ったのだが、先ほども言ったように、これらに対して自らの印象や思考を付け加えるかどうか、それは考え物である。時間が相当に掛かるわりに内容としては全然鋭いものにはならず、むしろ自らの愚劣さを晒すことにしかならないのではないかと危惧される一方で、しかしそのようにして無理やりにでも自らに負担や負荷を掛けていかない限りは、思考の発展などあり得ないのではないかという気もするのだ。ひとまず今日のところは、書き写した文言をこのコンピューター上の日記にも、改めて引くだけは引いておくという選択を取ることにする。
「私は理解する、――プルーストの作品は、すくなくとも私にとって、リファレンスの作品であり、偏在する数学的普遍的秩序[マテシス]であり、あらゆる文学宇宙の曼荼羅[﹅3]である、と」(73)
「プルーストというのは、私にやって来るものだ。私が呼ぶものではない。それは〈権威〉ではない。ただ単に循環する思い出[﹅7]なのだ。そしてこれこそが間テクストだ、――限りないテクストの外では生きられないということ」(73)
「本は意味を生み出し、意味が人生を生み出す」(74)
「いかなる意味の生成[シニフィアンス]も(いかなる歓びも)、私は確信するが、マス・カルチャーからは生まれない(……)。というのは、このカルチャーのモデルはプチ・ブルジョアのものであるから」(79)
「歓びが幸運にもやって来るのは、絶対に新しいもの[﹅8]とともに、である。というのは、新しいものだけが意識を危うくする(覆す)からだ(簡単なことであろうか? まったくそうではない。九割方、新しいものとは新しさのステレオタイプでしかない)」(82)
「今日の社会の疎外から逃れるには、前方への逃走[﹅6]しか術がない」(83)
メモ書きを終えると時刻は三時、今夜はこの時点で眠気が結構満ちていたので、ここでこの夜を終結させることにしてベッドに移った。
・作文
10:54 - 11:13 = 19分(21日)
13:54 - 14:16 = 22分(20日)
15:23 - 16:07 = 44分(21日)
16:29 - 17:04 = 35分(20日)
23:34 - 23:52 = 18分(20日)
24:39 - 25:46 = 1時間7分(20日)
26:17 - 26:30 = 13分(20日)
計: 2時間38分
・読書
11:16 - 12:30 = 1時間14分(過去の日記; ブログ)
12:31 - 13:09 = 38分(小林)
15:00 - 15:22 = 22分(記憶ノート)
16:10 - 16:22 = 12分(小林)
22:42 - 23:04 = 22分(Wilson)
23:06 - 23:18 = 12分(綿野)
26:32 - 26:59 = 27分(バルト; メモ)
計: 2時間27分
- 2019/1/21, Mon.
- 2014/5/30, Fri.
- fuzkue「読書日記(166)」: 12月8日(日)
- 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-01-12「路地裏の美学をもちこむ学舎でおれは過ぎゆく盛夏であった」; 2020-01-13「階段を駆け下りていくきみはシンデレラではないことに気づいた」
- 小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』: 50 - 91
- 記憶ノート: 2 - 6
- Ward Wilson, "Myth, Hiroshima and Fear: How we Overestimated the Usefulness of the Bomb"(https://www.cadmusjournal.org/article/issue-5/myth-hiroshima-and-fear-how-we-overestimated-usefulness-bomb)
- 綿野恵太「オルタナレフト論 第5回 大衆としてのネット右翼」(http://s-scrap.com/3491)
- ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』: メモ: 73 - 83
・睡眠
4:00 - 10:00 = 6時間
・音楽
- the pillows『Once upon a time in the pillows』
- 中村佳穂『AINOU』