2020/2/6, Thu.

 それから私たちは食事の度ごとにそれとなく四方山のことなどをはなすようになったが、顔つきや口つきを全く動かすことなしに言葉を吐くということは妙なもので、「言葉」というものが全然発声者とは関わりなく、それぞれ游離して、明らかに空間における別個の存在物と感ぜられた。私は、私と小間使がとり交す言葉のすべてが、眼にこそ見えないが、眼に映るあらゆる物象と同様に、あれらの転生宗教家連が信ずる如くそれぞれ命を持ってたゆとうていると思われた。――と考えれば何もそんな顔つきで会話を交える私たちの場合に限らず、宇宙間のあらゆる音響がそれぞれ別個の命あるものと信ぜられるのだが。
 (牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』岩波文庫、一九九〇年、168; 「天狗洞食客記」)


 南の空に照り輝く太陽の光を肌や瞳に吸収しながらもそれを起床に繋げることができず、肉体の重みを如実に感じてうんうん苦しみながら一二時二〇分頃まで布団に包まれていた。外では風が結構勢いを持っているようで、素早い空気の流れが家壁にぶつかったり上階の洗濯物を揺らしたりして、生み出された振動が自室にまで伝わってきていた。ようやく布団をめくって身体を解放することに成功すると、コンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げておき、そのあいだにベッドに戻って「子供のポーズ」や「胎児のポーズ」を行った。それからコンピューターに寄ってTwitterやslackなどを眺め――後者には昨晩のこちらのコメントに対し、TDから早速の返信があり、2Aから2Bへの移行感は現状のままで充分だと思う、と記されていた――、そうしてダウンジャケットを持って上階に行った。寝間着からジャージに着替えて台所に入り、大鍋には前夜の野菜スープが残っているが、炊飯器には米がもうほとんどないのでどうしようかと思いつつ、ひとまず鍋を火に掛けていると、料理教室に行っていた母親が帰ってきた。玄関からこちらを呼ぶので行ってみると、作ってきた弁当の包みを渡してくれたので、有難く都合が良い。それで調理台の前に戻って包みをひらいてみると、プラスチックパックにサンドウィッチが入っていたのでこれを食べることにした。椀によそった汁物とともにサンドウィッチを食卓に運び、椅子に座って新聞の朝刊を見やりながらものを食いはじめた。サンドウィッチのパンはやや歯応えのある固めのもので、あいだにはトマトや卵、レタスやハムなどが挟まれ、マスタードが少量塗られていた。新聞の一面からはドナルド・トランプの一般教書演説についてとか、横浜港沖で停泊している「ダイヤモンド・プリンセス」号で少なくとも一〇名の新型肺炎感染者が見つかったという記事とかを読む。母親は帰ってきてからまたすぐに石油を買いに出かけていた。食事の終盤、おかわりした野菜スープをあと少しで飲み干すというところで帰宅してふたたびこちらを呼んだので、いるよと答えておいてスープをすべて平らげてから、腹の温みを感じながら玄関に出た。石油を運んでくれと言うのに了承し、裸足にサンダル履きで外に出ると、快晴で日向は屈託なくひらいているものの、やはり風が冷え冷えとしていた。前日の予報では最高気温は五度とか伝えられ、今冬一番の寒さではないかなどと予測されていた。母親の軽自動車の後部に載せられた赤いポリタンクを片手で持ち上げ、ひとまず座席の上に置いてから改めて両腕でしっかり抱えこみ、勝手口の外にある燃料保管箱へと運んでいった。ここでも階段の途中で一度ポリタンクを地面に下ろし、それから片手で提げるような形にして箱のなかの空いたスペースに入れこんだ。そうして蓋を閉めて留め具を嵌めておき、室内に戻ると食器を洗って風呂場に行き、浴槽を擦り洗って出てくると電気ポットに水を足しておいてから自室に帰った。時刻は一時過ぎだった。こちらのイメージに応じてわざわざフレーズ案を拵えてくれたTDを労ってLINEの方にメッセージを送っておき、ついでに、皆と会った一月二九日の記事は三四〇〇〇字強を数えた、あるいは今までで最長かもしれんと自分の日記に言及しておいた。それからベランダで日光浴をしようというわけで、腕時計と――携帯電話は充電中だったので――ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』の本を持って上階に上がり、洗濯物を既に取り払われて空間がすっきりとひらいたなかに矩形の日向が敷かれて明るんでいるベランダに胡座を搔いた。風が時折り走って隣家の垣根を騒がせたり、家屋をがたがた揺らしたりしていたが、陽のなかにいれば思ったよりも大気の質感は冷たくはなく、肌を過ぎるものが鋭く固化することはほとんどなかった。正面の畑の斜面から伸び立った梅の樹は枝の至るところに紅色の蕾を埋めこみ、まだ裸のその梢に雀の群れが渡ってきて、いかにも気ままそうに屈託なく、しかし我が物顔には陥らないささやかさで、自分たちの領域を自由に行き交い枝を啄んでいたが、何を察知したのかある瞬間に一斉に飛び立って、鳴き声を落としながら薄褐色の筋として宙を流れていった。
 書見を始めたのは一時九分で、頁が跳ね返す光の眩しさに目を細めながら――あるいは早くも花粉が染みてくるのか、瞳にひりつくような感覚をいくらか覚えながら――読書を進めて、一時五〇分に至ったところで室内に戻った。なかに入ってまもないうちは、目が屋外で白光に触れ続けていたその名残で視界が緑色に曇り、階段を下る足もとも段が見分けられないほどに曖昧化する。それでも危なげなく下っていき、自室から急須と湯呑みを持って居間に引き返してくると、録画しておいたものだろう、テレビには『家、ついて行ってイイですか』が映されており、埼玉県は深谷市の成人式の様子が流れていて、鼻に掛かったような排気音のバイクで突っこんでくるやんちゃな新成人の姿などが見られた。こちらはトイレに行って糞を垂れてから緑茶を用意し、塒に帰ると過去の日記の読み返しを始めた。一年前の二〇一九年二月六日はMさんの来京中であり、彼とHさんとともに荻窪ささま書店を訪れて散財している。この当時の日記は文を定かに形成しようという意識はなく、文章の質などはうっちゃって駄弁るような感じで一筆書き的に書き流されており、それなので長いわりに感覚に引っかかるような記述は見つからなかった。最近ではまた一文一文をわりとしっかり形作るような書き方になっており、各文の流れ方、そのリズムを掴むよう心掛け、結構時間を掛けて日記を書いているのだが、だからと言って根詰めて無闇に疲労するような感覚はない。自ずとそういった書き方をしたくなったのだ。しかし、それだと当然書き流しに比べてかなりの時間を要するから、現状、一月三〇日以降の日記は仕上げられておらず、テクスト中の自分が一向に現在時に追いつくことができないという問題も持ち上がってくる。
 続いて、二〇一四年六月一三日金曜日の日記を読んだ。本文中に興味深い部分は皆無だったが、書抜きされていた蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』の以下の発言が、以前も引いたような気がするけれど、やはり示唆的に思われた。「ふと風に吹かれたときに、より官能的なものを覚えるというような」、「精神や肉体の一部を特権化せずに全身で外界と触れたときにおぼえるような喜び」。蓮實重彦は『表象の奈落』に収録されていたロラン・バルト追悼の文においても、バルトの特質としてこのような感覚性を、すなわち、自らの一部を特権的に突出させるのではなくて存在を断片化することによって実現する複数的な〈触れ合い〉の能力を――それを蓮實は確か、世界や記号に対する「いたわり」の姿勢として換言していたように思うが――論じていた覚えがある。こちらとしてもやはり、そのような種類の世界との関係の仕方に惹かれるものだし、ある種の爽やかな自己解体(〈ほどけ〉)と言うか、〈主体の溶解〉めいた様相を具現化するような文章的パフォーマンスを演じていけたらと願っている。

蓮實 僕は理論化するつもりはないんですけれども、実感からして、何が男性的な文章であるかということは分かっている。女性が書こうが男性が書こうが、社会が必要としており、その必要性に意識的に、あるいは無意識に応じている文章はすべて男性的なんです。だから、エクリチュールは女性的だといったデリダの視点をとることはしません。それは、肉体的な性差があからさまに露呈される性器で相手と交わろうとする姿勢で書かれたものも、作者の性別をこえて男性的な文章です。その性器至上主義を文学と名づけることも可能でしょう。他と接するための特権的な場所があり、それは知性であったり、分析力であったり、あるいは感性であったりするかもしれないけれども、その特権的な場所においてのみ世界と交わろうとする文章はいずれも男性的なものです。
 それに対して女性的なエクリチュールというのがあるだろうか。僕はないと思う。文章の男性性を批判する文章の女性性などあるはずがない。こうした男性的な言説の絶対的な優位に対して対置できるようなものは、特権的な場所を自分の中につくらずに世界に交わるという姿勢だけです。接吻的でもいいけど、いわば「性器なき性交」といったような体験に似たものだけが、女性的だからではなく、男性/女性の対立を無化することができる。ふと風に吹かれたときに、より官能的なものを覚えるというような――これは日光を浴びるといったことでも何でもいいんだけれども――精神や肉体の一部を特権化せずに全身で外界と触れたときにおぼえるような喜びといった文章体験があって、これは男性的でも女性的でもなく、性を超えたというか、むしろ、より正確には性を視界に浮上させまいとする少なくとも性器中心主義的ではないエクリチュール、それだけが男性社会に特有の支配的な言説に対立し得るのです。
 (蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』日本文芸社、1994年、401~402; 「羞いのセクシュアリティ」聞き手=渡部直己

 二〇一四年の日記を読み終えブログに投稿したあと、一月二九日の日記中の、「ハマスホイとデンマーク絵画」展を観た感想の部分を無意味に読み返してしまった。そうして三時を越えてからこの日の日記を記述しはじめ、ちょうど一時間を費やしてここまで至っている。
 腹が完璧に空っぽになっていた。それで上階に行き、腹減ったと漏らすと、母親も、ね、と同意を返してきた。カップラーメンを食うことにして玄関の戸棚に向かい、「カップスター」のカレーうどん味を取り出して湯を注ぎ、下階に持っていくとfuzkueの「読書日記」を読みながら麺を啜った。続いてMさんのブログ――一月三〇日の記事に以下の引用部が含まれていたのだが、最後の「おもてで草でも喰ってろ!」の罵倒にはさすがに笑う。これは確か、当時彼が原書で読んでいたCarson MuCullersの何とかいう小説に出てきた表現ではなかったか。

会場をあとにしたが、家に帰りたくはなかった。のどが渇いていたし足が棒になっていたので、とにかくコーヒーでも飲んでいったん休憩しようとおもい、それでみやこめっせから通路を一本渡った北側にあるロームシアターだったか、そこにTSUTAYAが気合をいれて展開している蔦屋書店とスタバの合体しているフロアがあるのでそこにいくことにしたのだけれども、蔦屋書店はクソで、ソムリエみたいな制服を身につけたバイトの数がやたらと多いわりにはとりあつかわれている書籍はヴィレッジヴァンガードとほとんど変わらないみたいな痛々しいならびであって、というほどじっくり見たわけでもないのだけれどもなんとなくそんな空気を感じたのでクソだなとおもいすぐにあとにして、スタバも馬鹿みたいに混んでいたのでそりゃゴールデンウィークの京都だもんなとあきらめてみやこめっせのほうにもどったのであるけれども、しかしロームシアターにいたひとたちはみなはなやかで、つまり若くておしゃれでキラキラしていて、すなわち陽で、それにたいしてみやこめっせ古本まつりの会場にいたひとたちはといえば、まず年寄りで、若いのがいたとおもえばみんな寝間着に毛のはえたようなださい格好で、ことごとく無表情で、とどのつまりは陰で、なんだろうこれは、なんでこんなことになってしまうのか、クソみたいにしょうもない本ばっかならべているろくでもない店先になぜキラキラした若者が集まり、掘り出し物がいたるところにあるディープな現場にはくっせえよぼよぼの年寄りばかりが集まるのか、ゴミみたいな図書館経営をして叩かれまくっているような会社がせいいっぱい背伸びしてこしらえた結果ヴィレヴァンとほとんど変わりありまへんわみたいな蔵書ラインナップになってしまったという死ぬほどだっさいセンスの本屋にどうしていまどきの若者たちがあれほどあつまってしまうのか、なぜこっちにこないのか、おまえらほんとにそれでいいのか、いいっていうんだったらそれでいい、おまえらはバカだ、おもてで草でも喰ってろ!

 ほか、木澤佐登志「失われた未来を求めて」の第五回「マーク・フィッシャーと再魔術化する世界」から引かれた記述では、以下の部分が興味深かった。

「脱魔術化」(Entzauberung/disenchantment)とは、よく知られるように、ドイツの社会学マックス・ウェーバーの代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下『プロ倫』)の中に登場する概念である。これは誤解されがちなのだが、「脱魔術化」は「脱宗教化」を意味しない。少なくともウェーバーの文脈では、「脱魔術化」とは「宗教を徹底的に合理化して、魂の救済のために最も合理的な行為をする」、つまり救済の徹底的な合理化を意味する8。さらに付け加えておけば、この「脱魔術化」のプロセスは、必ずしも近代に特有の現象ではなく、紀元前の古代ユダヤ教にまで遡ることができる、西洋世界に連綿と流れる精神史上のプロセスであった。たとえば、ユダヤ思想の律法の伝統は、アニミズムや呪術的信仰の根絶をその基盤としていた。ウェーバーによれば、この古代ユダヤに端を発する信仰の呪術からの解放のプロセスは、一六世紀以降のピューリタニズム(とりわけカルヴァン派)によって頂点に達した、という。カルヴァン派は、いっさいの宗教的儀礼は魂の救済に役立たないと考えた。というのも、彼らの唱える「二重予定説」によれば、神はあらかじめ救う人間を決めており、人間の側はその決定を変えることも、うかがい知ることもできないとされたからである。その意味で、カルヴァン派にとって、神とは「慈悲の神」ではなく「裁く神」であり、あたかも専制君主のような「隠れたる神」として理解された。カルヴァン派は、それまでのカトリックと異なり、教会や聖礼典による救済すらも破棄した、という点で「脱魔術化」の完成形とウェーバーによって目されたのだった。

 四時四五分まで読み物に触れ、その後はひたすら七時過ぎまで日記作成に邁進した。母親には予め、今日は飯の支度はしないと言っておいた――忙しいので、と。一時間強で五日の事柄を記録し、さらに一時間強で三〇日の記事を完成させ、それをブログ投稿したあとこごった肉体をほぐすために運動に移行した。BGMはthe pillows『Rock stock & too smoking the pillows』。「猫のポーズ」から始めて諸々の姿勢を取っていき、最後の方で脚や脛のマッサージを挟みながら「舟のポーズ」や「板のポーズ」で体幹を刺激した。腰上げあるいは「橋のポーズ」も久しぶりにやったものの、これはやはりやらない方が良いのだろうか? 腰が余計に反ってしまうだろうか、それとも背中に筋肉をつけるためにやった方が良いのだろうか?
 七時五一分まで身体を温めてから上階に行き、先に入浴すると母親に告げると、さっき食べたもんねと言われた。それで洗面所に入り、裸になって鏡に自らの身体を映してみた。自分の肉体をまじまじと観察することなどこれまでなかったが、横から映した図を見ると、やはり腰、背骨の付け根のあたりがかなり反っている様子で薄くなっており、実に貧弱で不格好である。
 それから風呂に入り、湯のなかでまた意識を曖昧に混濁させ、出てくると既に八時四〇分くらいだったのではないか。食事は肉と茸のソテーに米、生姜の利いた野菜スープにほうれん草のお浸しである。それぞれ卓に並べて食事を始めながら夕刊に目を落とすと、ドナルド・トランプの弾劾裁判は無罪に終わったと言う。事前の予測通りである。共和党からはミット・ロムニーただ一人が造反して大統領の有罪に投票したとのことだった。ほか、横浜沖に停泊して検査中のクルーズ船からは新たに一〇人の感染が発覚したと言う。
 食後、緑茶を用意して下階に帰り、飲みながらTDにLINEを返した。一月二九日の記事の美術展の感想が「見事だった」と称賛を貰ったので、それを受けていくらか長い文言を綴って送ったのだ。そうしてその後、九時半から三一日の日記に取りかかった。文を作成しているうちに、段々頭の内が濁りこごってくるような、言葉の感覚が鈍重になってくるような気配を得ずにはいられなかった。疲労のためか後頭部にも痛みが差して、これはかなり厳しい、きつい仕事だなと思った。既に今日は四時間を作文に費やしている。それでもまだまだ、この六日当日は除くとしても、三一日から五日までの分が書けていない。これは――毎日の生を隈なく記録するというのは――かなりの骨折り仕事だぞ、と今更ながらに強く実感した。記録が実際の生の流れに追いつかなくなってきているのだ。一筆書きのような、言わば書き殴りモードに移行するべきなのでは? しかし、どうもそういう気になれず、歩みを丁寧に、着実に進めていきたいという気持ちがある。しかしそれだと、記述上の生と現実の生身の生の時間とがどんどん離れ、隔てられ、乖離していくのではないか。
 ともあれコンピューターの動作速度も落ちてきたし、ひとまず一度再起動することにした。そのあいだにこちらも文章から、言語から一時離れることができるわけだ。ベッドに移り、「胎児のポーズ」を取ったりして休んだあと、コンピューターの準備が整ってももう少し作文から距離を取ることにして、立川図書館で借りたCDをハードディスクへとインポートした。The Beatles『Live At The Hollywood Bowl』に、Christian Scott『Ruler Rebel』、そしてShai Maestro Trio『The Stone Skipper』である。後者二作は、曲目は辛うじてケースの裏側に見られるが、細かなパーソネルや録音情報が記載されていないのが困る。Christian Scottは日本語の解説だけが入っていて、その類の情報はまったくない。Shai Maestroの方はケース裏面の端に参加メンバーが記されてはあるものの、表記はアルファベットではなく、日本語の片仮名である。
 The Beach Boys『Pet Sounds』を聞きながらインポートを進めたが、"God Only Knows"は何だかんだ言ってもやはり凄い。インポート作業を終えると、翌日Mさんに本を送るつもりだったので、それに付属させるメッセージを作成することにした。そういうわけで手帳の一番最後の頁を破ろうとしたのだが、ミスして綺麗に切り取ることができなかったので途中で鋏を使い、罫線に沿ってなるべくまっすぐに紙を切った。そうしてボールペンでメッセージを綴る。先日、「火葬場の煙のごとくしめやかに詩を読む君の無言を愛す」という短歌を作ったが、これを一文字だけ変えて「火葬場の煙のごとくしめやかに書を読む君の無言を愛す」という文言を書きつけることにした――比喩と形容動詞のニュアンスが何となく不吉で陰気臭いが、まあ良いだろう。まずその一首を枡目いっぱいに大きめの字で二行に分けて書きつけ、その下にそれよりもほんの少しだけ小さい文字で、「身体と精神の調子にはいつもお気をつけ下さい。」「『双生』を楽しみに、また、ふたたびお目にかかれる日を心待ちにしております。」と記し、署名とともに日付も付しておいた。
 そうして書き物に復帰して、The Beatlesのライブ盤を聞きつつこの日のことをメモ書きした。その途中、腰痛に良いらしいので立位前屈を行ったが、これは実際かなり反り腰に効くのではないかという気がする。あとはやはり「猫のポーズ」、「子供のポーズ」、「胎児のポーズ」あたりが良いようだ。その後、五〇分を掛けて三一日の記事を完成し、ブログに投稿すると腹が減ったので夜食を用意しに行った。おにぎりである。上階に移動して明かりを点け、台所に入ると食器棚の上、炊飯器の傍らにラップを敷き、その上に白米をたくさん盛って塩と味の素を振ると、ラップをもう一枚掛けて封じた。それでかなり巨大なおにぎりを握って成型しながら下階へ戻り、もしゃもしゃと食べるあいだはインターネットを回っていたのではないか。さらに、巨大な米の塊を食ったにもかかわらず、加えてカップラーメンも食べることに決め、ふたたび上階に行って戸棚から醤油味の「カップスター」を取り出すと、湯を注いで塒に持ち帰り、よく搔き混ぜて啜りながら「保坂展人×若松英輔「いのちの政治学」 原発、いじめ、街並み、認知症……すべてを「いのち」の視点から見る」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019090400007.html)を読んだ。そうして時刻は二時過ぎである。
 その後、二時四〇分まで日課記録に空白があるのだが、またやる気が出ずに何かしらだらだらとしていたらしい。その時間に至るとまずはジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』のメモ書きを行い、抜書きが現在頁に追いつくとさらに書見の前線を進めた。そうしてあっという間に一時間が経って三時四〇分を迎えたので、切りとして消灯し、暗闇のなかで立位前屈をしたり「胎児のポーズ」を取ったりしてから就床した。


・作文
 15:06 - 16:06 = 1時間(6日)
 16:49 - 17:58 = 1時間9分(5日)
 18:00 - 19:04 = 1時間4分(30日)
 21:31 - 22:49 = 1時間18分(31日)
 23:49 - 24:24 = 35分(6日)
 24:25 - 25:14 = 49分(31日)
 計: 5時間55分

・読書
 13:09 - 13:50 = 41分(ウィリアムズ)
 14:12 - 14:44 = 32分(日記)
 16:17 - 16:45 = 28分(ブログ)
 25:53 - 26:06 = 13分(保坂・若松)
 26:40 - 27:41 = 1時間1分(ウィリアムズ)
 計: 2時間55分

・睡眠
 3:15 - 12:20 = 9時間5分

・音楽