2020/2/18, Tue.

 (……)かれは、感覚をうしなう前の自分を演じているような気分に、ときどきなる。前の自分のほうがずっと、他人にたいして抑圧的にふるまっていたし、排他的だとわかっていたから、それすらすこし演じてしまうのだった。悪意を演じてしまうのだった。でもそんなことをくりかえしていたら、また死にたくなってしまうんじゃないか? あの夜の希死念慮に理由や根拠はなかった、後づけしようとおもえばいくらでもできてしまう、しかしあれはあたらしい「感慨」そのものだったとかれはおもっている。
 (町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、184; 「生きるからだ」)


 一〇時のアラームで覚醒し、起床を現実化した。それよりも前に一度覚めた時には空は青く満々と晴れ渡り、太陽が窓ガラスの左方に定かに灯っていた覚えがあったが、この時には雲がいくらか湧き出して、枕元に届く陽射しは薄く削減されていた。アラームを止めるとベッドに戻って「胎児のポーズ」を行い、しばらくしてから起き上がって上階に行く。居間には茶色のセーターを身につけた父親がおり、どこにだか知らないが出かけてくると言った。こちらは寝間着を脱いでジャージを纏い、食事の支度である。フライパンにはベーコンと隠元豆が炒められてあり、それとともに昨晩こちらが作ったスープも残っていて、米も新たに炊かれてあった。それぞれ用意して卓に運び、父親が出かけていったあとの居間で一人、新聞を見ながらものを食べる。新型肺炎関連で、医者を受診するに当たっての目安が厚労省から発表されたとの由である。風邪の症状や三七.五度以上の発熱が四日間以上続いたり、肉体の重苦しさや息苦しさがあったりするようだったら医療機関に掛かってほしいと言う。そのほか、二三日の天皇誕生日に予定されていた皇居での一般参賀が中止となり、東京マラソンも一般の人の参加は取り止めにするとの知らせがあった。
 食事を終えて食器を洗い、いっぱいに詰まった乾燥機の皿を片づけずその上に洗ったばかりのものを置いておくと、洗面所に入ってドライヤーの櫛で髪を撫でた。それから風呂洗いである。外は曇り気味のようで磨りガラスの向こうの空間は白いものの、空気はさほど暗くはなく、つるつるとしたタイルの壁に窓から浮遊してきた中性の光が掛かって仄かに明るんでいる。ブラシで浴槽を擦って水垢を落とし、風呂場を出てくると自室に帰ってコンピューターを点けた。システムにログインするとともに各種ソフトを立ち上げておき、急須と湯呑みを持って上階へ、緑茶を用意して電気ポットに水も補充しておいたあと、部屋に帰ってslackを覗くと、(……)が新しいミックス音源を上げていた。その20200218版と、そのほか20200216版に20200211版も聴き比べてみたところ、20200218版では20200216版に比べてベースのローカットをやや弱くしたらしく、従って0218版の方が音が籠るのが道理ではないかと思うのだが、こちらの耳には何故かローカットが強いはずの0216版の方がよりもこもこしているように聞こえたと言うか、音の輪郭がいくらか曖昧で光暈のような余白ができているように感じられて、一体何なのかよくわからない。また、0216版を聞くとギターの歪みの音色に、どこがどうとあまり具体的に説明できないのだが、ちょっと耳につくような感じがあった。粒立ちと言うかざらつきと言うか、質感がちょっと詰まっているように感じられ、もう少し滑らかな感触のトーンにならないものだろうかと思ったのだが、しかしどこの音域を上げるとか下げるとか、細かくどう直せば良いのかということはこちらには全然わからないので黙っていた。ギターのサウンドバランスを変えたのか否か不明だが、0218版だと0216版よりその点は気にならなくなっているような気がする。総合的に考えて最新の0218版が一番バランスが取れているのではないかと思われたし、(……)は一一時半には出かけるらしく、(……)もそれまでに間に合うようにとやりとりを繰り広げていて忙しそうだったので、こちらの気になった点は伝えずに音源を聞きながら成り行きを見守った。一一時半目前になって(……)が、(……)が上げた新しいボーカル――一五日に「(……)」で録ったもの――をミックスした音源を上げてくれたのでそれも聞いてみたところ、ボーカルはなかなか良くて、今までのなかでベストではないか。綺麗で澄みやかな感覚があり、諸所に応じて声色も多少変えて使い分けられている。特に1サビ冒頭の、決然としたようなまっすぐな歌唱が良かったのだが、ただ終盤の大サビに至ると、これは一五日の録音現場でも少々感じていたところだが、やはりちょっと疲れが見えると言うか、息切れしているような雰囲気が微かに聞き取られるような気がして、その点勿体ないとは思われた。
 一一時三八分からこの日のことをメモ書きあるいは下書きしはじめて、現在時刻に追いつくと一二時九分だった。そこから間髪入れずに前日、一七日のことも記録する。出来事を思い返し、大雑把な文言に移し替えていって、そうして一二時半頃に至ったところでslackをまた覗くと、(……)が"(……)"の最新のボーカルとオケをミックスしていたのでその音源も聞いた。何か調整を変えているのか何なのかこちらには全然わからないが、(……)本人が自分がミックスすると「しっとりした感じに仕上がる」と言っている通り、落着きのある音像になっているような気がした。(……)の音源の方が楽器やボーカルが各々分離して空間が広く使われているように感じられ、そのそれぞれが結構前面に押し出てくるように聞こえ、特に歌は明瞭に響いてニュアンスが如実に伝わってくる。全体的なバランスを考えると(……)のミックスくらいのサウンド構成の方が耳への馴染みが良いのかもしれないが、こちらとしては歌は(……)の音源くらいには聞かせたい気持ちがあった。ギターの粒立ちと言うか歪みの潰れ具合は気になるような気にならないような、よくわからなくなった。
 何度か繰り返して交互に音源を聞き、一時を越えたあたりで「(……)」の方にデータを送ったと(……)から報告があったので、ボーカルについて澄んでいて綺麗だとの評言を伝えておいた。そうして一五日の記憶を掘り起こし、画面上に文字として降誕させていく。およそ一時間のあいだそれを進めたあと、dbClifford『Recyclable』を流してベッドに移り、一曲目が流れるあいだじゅうずっと「胎児のポーズ」を保持した。それから「板のポーズ」を行うとまた「胎児のポーズ」に戻り、さらに立位前屈なども行って、という感じでしばらく身体を伸ばして温め、そうしてから食事を取るために上階に行った。
 母親は帰宅していた。テーブルの上には団子が置かれてあり、台所には鮭があったのでそれらを食べることにして、米をよそるとともに鮭を温めて食卓に就いた。塩気のやたらと強い魚の身を千切って米と一緒に食っていると、母親がさらにモヤシなどの入ったスープも温めて持ってきてくれた。「(……)」に行くのは四時前くらいで良いだろうと、日記を書く時間をなるべく取りたかったのでそう伝えると、父親は三時頃行くみたいなことを言っていたと言う。その父親はどこに行っているのか、一度帰ってきたようだがまた出かけてしまったらしい。食事を終えると食器を片づけて、緑茶を用意して下階に戻ってくると、温かい飲み物を湯呑みから啜りつつ、この日のことを現在時まで軽く記述しておいた。
 その後、四時前に出発した。両親とともに車に乗って、先日も伝えたことだが、(……)さんのおじさんは月曜日から検査入院だと言っていたと話す。坂の途中にある宅の前を通ると車庫に見慣れない車があったので、息子が来ているようだった。道中、街道に例の独語の老婆が歩いているのを母親が見つけて、あのおばさんがいると口にした。この人は何故か褐色の健康そうな脚を露出させた格好をいつもしているのだが、それを見て母親は、凄いね、女子高生だってタイツ履いてるのに、みたいなことを言っていた。
 (……)
 (……)
 そうして挨拶して退店し、車に戻るとまだ四時半である。職場には五時過ぎくらいに着けばちょうど良く、まだかなり早かったもののほかに行く場所もないのでもう出勤してしまうことにして、職場の傍まで送ってもらって両親と別れた。なかに入ると室長に早いと言われたので、用事があったんですけど、それが思いのほかに早く終わったんですよと笑いを返した。
 (……)
 退勤後、帰宅後のことはよくも覚えていないので割愛するが、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』のメモ書きだけは終わらせた。二四八頁に「時間の流れからはずれ」という文言がある。この小説にはたびたびこのように、時間の流れの外にある、というような表現や、距離もしくは分離・乖離のテーマが見られて、それもいくらか気になりはしたものの、何らかの意味体系を成していたのかどうかは不明である。