2020/2/23, Sun.

 要するに、ナチズムの起源はドイツ固有の社会的・経済的構造にはじめから存在したわけではなく、第一次世界大戦とその敗北という大きな混乱の結果生まれたものだと考えられる。しかしながら、ナチズムは現代ヨーロッパ史における長期的な課題、すなわち人種主義の顕現であるとともに、その極致でもある。人間を「人種」によって分類し、これらの「人種」は人間的な価値階層のなかで序列化しうるという信仰は、一九一四年の大戦勃発よりはるか以前に形作られ、広範囲にわたる支持を得ていた。それゆえ、ナチズムがドイツのみならず、一九世紀ヨーロッパで広く流布していた思想や信仰の表出であることを理解しておかねばならない。しかしドイツに固有の特徴も見られる。それは世界有数の工業国において、幼稚な人種イデオロギーに鼓舞された暴力的な政治結社が権力を掌握し、想像を絶する規模の戦争を起こしえたという点だ。これまで明らかにされてきた史上もっとも恐ろしい人種主義をナチズムが強制できたのは、この事実のためである。
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、5; 「序論」)



  • 一〇時に覚醒。ベッド上に射しこんだ陽射しの熱さ及び厚さが印象に残っている。午前一〇時の陽光はかなり勢力の強いもので活気があり、到底直視できない目映さが顔の左半分を刺激的に温めてくれるその圧力が心地良かった。空は低みに雲がほんの小さく、点々と付与されていたものの、それを除けば青を満杯に注がれていた。
  • LINEを見ると、TとKくんは一時にTD家を訪れる予定だと言う。こちらは日記があまりに溜まっているのでTD家訪問は欠席するが、K夫妻が夜にどこかで夕食を取るのならその席から参加しても良いかもしれない、ただ二人とも新婚旅行のハワイから帰国したばかりで疲れているだろうから無理でなく、と送っておいた。
  • 新聞によれば、一一〇〇万の人口を抱える武漢市の封鎖はより厳戒化されており、七一四八箇所ある集合住宅は完全封鎖の措置を取られている。つまり、特別な許可証がなければ出入りできず、買い物のための外出も許されず、食料や生活用品の入手は敷地の入口にやってくる配送の集団購入に頼らざるを得ないのだ。住民のストレスや閉塞感は相当なものだろう。病院の方も混乱と騒擾が続いているようであり、また、感染拡大防止のために情報工学的な「監視網」が中国全土で活用されていると言う。彼の国では高速列車を利用する際などには身分証のIDを提示しなければならないらしいのだが、そのデータをもとに当局が移動の履歴を追跡してきて、感染の疑いありと判断されると自宅謹慎などを命じられるということだ。さらにはこのIDを活用して自分が感染可能性の高い地域に行ったかどうかを調べるようなアプリも開発され、多くの人が利用しているらしく、そうした「監視網」を駆使して政府は国民の個人情報を丸裸にしている、と記事には述べられてあった。また一方、地方当局が中央政府の厳戒方針を過剰解釈して、家族麻雀の現場に踏み入って参加者を殴打したりとか、マスクをつけずに外出しようとした人を柱にくくりつけて罵倒したりとか、そういった事件も発生していると言う。
  • 過去の記事の読み返しのなかから引用――自らの日記及びゼーバルトの文章。ゼーバルトという人も確かな実力を持った作家と見受けられる。『土星の環』はまた読み返してみても良いだろうし、ほかの作品も勿論読んでみたい。なかでは『アウステルリッツ』が一番高名で評判が良いような印象を持っている。

 それでも目を閉じ続けて、八時二〇分になると自ずと覚醒が来た。また一日が始まってしまったか、という思いが少々あり、それはまたあの途切れなく続く思念の連鎖のなかに放り出されねばならない――と言うか、覚醒時から既に放り出されているわけだが――というような思いだった。呼吸をしながら寝床に留まって、時計が一秒を刻む音を聞いていても、時間がするすると流れ去って行き、気づけば一〇分なり一五分なりが経っている。我々は時の牢獄のなかに囚われているのだ、とこんなことを言っては格好付けが過ぎるが、それでも、大いなる時の流れとでも言うべきものがすべてを支配しており、自分自身の行動、思い、その存在さえもがその流れのなかで、そこから逃れようもなく、自動的に押し流され、過ぎ去って行く。例えば、寝床から起き上がろうと思った、あるいは心中にそのような言葉を作ったその意志、その言葉までもが、自分が作り出したものではなく、流れのなかで泡[あぶく]のように自動的に生じてきたもののように感じられるのだ。そのようにして、すべてはただ流れて行き、終末には死が待っているのだが、自分自身にとっての死というものが一体どういうものなのか、我々の誰も決して知ることはできない。
 (2018/2/23, Fri.)

 ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった。マイケルが運んできてくれたポットのお茶から、玩具の蒸気機関よろしくときどきぽうっと湯気が立ち昇る。動くものはそれだけだった。庭のむこうの草原に立っている柳すら、灰色の葉一枚揺れていない。私たちは荒寥とした音もないこの八月について話した。何週間も鳥の影ひとつ見えない、とマイケルが言った。なんだか世界ががらんどうになってしまったみたいだ。すべてが凋落の一歩手前にあって、雑草だけがあいかわらず伸びさかっている、巻きつき植物は灌木を絞め殺し、蕁麻[イラクサ]の黄色い根はいよいよ地中にはびこり、牛蒡は伸びて人間の頭ひとつ越え、褐色腐れとダニが蔓延し、そればかりか、言葉や文章をやっとの思いで連ねた紙まで、うどん粉病にかかったような手触りがする。何日も何週間もむなしく頭を悩ませ、習慣で書いているのか、自己顕示欲から書いているのか、それともほかに取り柄がないから書くのか、それとも生というものへの不思議の感からか、真実への愛からか、絶望からか憤激からか、問われても答えようがない。書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない。もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくなってしまうのではないか。だからきっと、精神が拵えたものが込み入れば込み入るほどに、それが認識の深まりだと勘違いしてしまうのだろう。その一方でわれわれは、測りがたさという、じつは生のゆくえを本当にさだめているものをけっして摑めないことを、ぼんやりと承知してはいるのだ。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、171~172)

  • この日は結局宵前から立川に出向き、K夫妻と夕食を共にした。店はCinema2の一階にある「CinemaCafe PIZZERIA BAR」だが、この店は二月いっぱいで閉店となったのでもはや存在しない。サラダや諸々のピザを食べながら二人のハワイ旅行の話などを聞く。店内のBGMとしては終始Queenの楽曲が流れていて、順番はランダムだったが、メジャーどころだけでなくかなりマイナーな方の曲も網羅していた。最初はカウンター席に就いていたのだが、後輩の結婚式の二次会に出向いていたTDが途中から合流して四人になったので、小さな丸いテーブルを囲んで水を飲みながら話を交わした。


・作文
 13:58 - 14:27 = 29分(23日)
 14:51 - 16:29 = 1時間38分(15日)
 計: 2時間7分

・読書
 13:10 - 13:57 = 47分(日記; ブログ)
 25:24 - 25:58 = 34分(バルト)
 計: 1時間21分

  • 2019/2/23, Sat.
  • 2014/6/25, Wed.
  • fuzkue「読書日記(168)」: 「フヅクエラジオ」
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-02-03「窓際のひかりに打たれ自失する私はかつて誰かであった」; 2020-02-04「逃げ水を追うのだ無駄であることを知れば知るほど私ははやく」
  • ロラン・バルト/藤本治訳『ミシュレ』: 76 - 88

・睡眠
 3:15 - 12:00 = 8時間45分

・音楽