2020/3/26, Thu.

 前線に話を戻すと、大きな軍事的岐路は、ヴォルガ川沿いに一九キロに広がるスターリングラードにあった。スターリングラードでは、八月末および九月にドイツ軍が攻撃を開始してから、一一月二三日にドイツ軍が包囲され、一九四三年一月三一日に最終的にフリードリヒ・パウルス元帥が降伏するまで(スターリングラード北部に孤立していたもうひとつのドイツ軍は二月二日まで持ちこたえた)、五ヵ月以上にわたり激しい攻防戦が繰り広げられた。信じられないほど残酷で血なまぐさいこの戦いは、厳寒のなか市街戦が行われて終わった。
 一九二五年にソヴィエトの独裁者にちなんで命名されたこの都市の占領をヒトラーは非常に重視しており、ドイツ第六軍が包囲され、全滅や捕囚を免れるには西への突破しか道がなくなっても退却を許さず、そのときに決断すれば凍え飢えた何万もの負傷者の一部は助かっただろうに、けっして降伏も許さなかった。ヒトラーが以前に(ホルム、デミャンスク、そしてもちろんモスクワで)正当性を証明していた、部隊を踏みとどまらせ最後まで戦わせるという戦術も、今回は悲劇的結末を迎えた。第一次世界大戦塹壕戦の経験者にして「歴史上もっと偉大な軍の戦略家」は、スターリングラードで包囲された軍が手遅れにならないうちに街から脱出する許可を与えなかったのである。それにより、この国防軍最悪の敗北において一〇万人を超えるドイツ人兵士の運命が確定した。スターリングラードで包囲されたドイツ第六軍の総勢三〇万の兵士のうち、空軍によって運び出された負傷者は三万人から四万五〇〇〇人で、半分が戦死あるいは凍死し、一〇万人以上がロシア人に降伏している。そのうち捕虜生活を生き延びてドイツに帰国したのはわずか六〇〇〇人ほどにすぎない。
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、178~179)



  • 明け方、午前五時もの遅きに至って薄れかけた暁闇のなかでようやく床に就いたのだが、そのわりに一〇時半に起床することができたので、悪くない具合ではある。一〇時のアラームで覚めたあと、一点の雲も混ざっていない快晴の空から送りつけられてくる濃密な陽射しを心地良く顔に浴びながら意識を定かに整えたのだった。
  • 東京都は、一日で新たに四一人もの感染者が増えたことを受けて、週末には外出を自粛するように都民に要請したとのこと。
  • 熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波新書、二〇〇六年)を早々と読了した。昨日読みはじめたばかりなので、僅か二日間で二六〇頁ほどを一挙に平らげたことになる。さすがは熊野純彦ということなのか、新書という簡便な形式上、どうしても簡略的な概説に留まらざるを得ないわけだけれど、それでもなかなかに面白く読めて、様々な論点が明快に整理されてうまくまとまっていたように思われる。興味を惹かれる箇所は数多くあった。
  • 続いて、小林康夫編『UTCP叢書1 いま、哲学とはなにか』(未來社、二〇〇六年)を読み出す。東京大学大学院総合文化研究科「共生のための国際哲学交流センター(UTCP)」の活動に今まで参加した日本内外の様々な研究者に、「いま、哲学とはなにか?」というテーマで書いてもらった応答文を集めた書物である。仏教学者の末木文美士が一九四九年生まれでもうよほど大御所なのだということを初めて知った。この人の名前はこちらの情報圏のなかでは近年――おそらくはここ二、三年のうちだろうか――見かけはじめたばかりだったので、何となく、新たに頭角を現してきた若い世代の学者なのかなと思っていたのだ。この本もこの一日で一気に一七〇頁ほど読み進めることができた。
  • Jackson Browne『Solo Acoustic, Vol. 1』を久々に流す。終盤で"Take It Easy"をやっているが、何と言っても爽やかにからりと乾いて軽快な良曲だ。Browneのように、アコースティック・ギターで弾き語りできるようになりたい。
  • 二時半頃、昼食へ。テレビは『ミヤネ屋』を映して新型コロナウイルス関連の情勢を伝える。北海道では緊急事態宣言とやらが出されたらしい。世界各国でも続々と非常事態宣言の類が発令されているようで、米国の首都ワシントンでは企業活動の大半が停止されると言う。正直なところ、塾ももう一か月くらい休みにしてくれないかなと思うところだ。働きたくない。ひたすら本を読んで暮らしたい。
  • いわゆるワイドショーのコメンテーター――などと不相応な役職名を冠される芸能人たち――の話しぶりというものは、実に独断的で悪辣である。彼らは、ロラン・バルトが「ディスクールを聞かせること」という言葉で呼んだ様相を恥ずかしいまでの典型性で見事に体現しており、そこにおいては、言語や発話という人間の行為にしつこい汚れのように粘りついてやまない権力性があまりにも無抵抗に、ほとんどまったき形で慎みなく露呈されている。
  • 夕刊――G7の外相会合がまとまらず、共同声明を出せなかったのだが、それは、米国が新型コロナウイルスを「武漢ウイルス」という言葉で表現することに固執して譲らなかったためなのだと言う。何と愚かなのだろう? あまりにも度し難い、測り知れないほどの壊滅的な思慮のなさ。会合後の記者会見でも、ポンペオ米国務長官は憚ることなくその言葉を用いたと言う。醜悪で、愚昧で、浅はかなこと極まりない。


・作文
 15:08 - 15:27 = 19分(26日)
 15:27 - 15:45 = 18分(24日)
 15:46 - 15:50 = 4分(25日)
 15:50 - 16:23 = 33分(15日)
 26:11 - 26:21 = 10分(17日)
 計: 1時間24分

・読書
 11:06 - 12:35 = 1時間29分(熊野)
 13:04 - 13:46 = 42分(「記憶」)
 13:46 - 14:02 = 16分(「英語」)
 14:02 - 14:23 = 21分(「記憶」)
 16:37 - 16:50 = 13分(小林編)
 16:55 - 17:10 = 15分(小林編)
 22:31 - 22:57 = 26分(小林編)
 23:35 - 24:01 = 26分(小林編)
 24:37 - 26:06 = 1時間29分(小林編)
 27:07 - 28:01 = 54分(高橋; 書抜き)
 28:11 - 28:42 = 31分(小林編)
 計: 7時間2分

  • 熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』: 174 - 257(読了)
  • 「記憶」: 99 - 111
  • 「英語」: 1 - 20
  • 小林康夫編『UTCP叢書1 いま、哲学とはなにか』: 7 - 174
  • 高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、書抜き

・睡眠
 4:55 - 10:30 = 5時間35分

・音楽