2020/6/3, Wed.

 (……)空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂[もた]れ懸っていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出して、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾[と]くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃[こまや]かで殆んど霧を欺く位だから、隔たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の脊が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾と見える。深く罩[こ]める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 (夏目漱石草枕岩波文庫、一九九〇年改版、17)



  • 一二時一四分に離床。滞在は辛うじて八時間には達しなかった。空に雲が多く、飛沫をあげているものの、青さも見える。
  • かなり暑い、夏の空気感。二時頃に洗濯物を入れたついでに外へ出る。ゴミ出しに使ったケースを洗って干しておいてくれと母親の書き置きにあったのだ。それで家の前の水場でブラシを使って弱く丁寧に容器をこする。ケースは二つあり、そのほかにバケツ型のゴミ箱が一つあった。途中で車の停まる音がして振り向けば向かいの宅に人が降りたところで、(……)さんが運転していたので会釈を送った。
  • いままで読んだ本の書抜き記録を最初からすこし読み返した。面倒臭くてやっていなかったが、本当は全部くまなく読んで、重要なものは「記憶」記事にピックアップしていったほうが良いのだろう。そういうわけで、この日はサイモン・クリッチリー/佐藤透訳/野家啓一解説『ヨーロッパ大陸の哲学』(岩波書店、二〇〇四年)からいくつかの記述を「記憶」に追加した。二〇一二年二月の記録。当時は全然理解できていなかったと思うが、いま読み返してみると言っていることはだいたいわかる。成長したものだ。
  • 四時半過ぎに上へ行き、コンビニで買った冷凍の炭火焼鳥とともに米を食う。その後、歯を磨いたり着替えたりして支度を済ませ、今日は電車で行くことに。出発する頃には母親も帰宅しており、葉書を出してくれと言うので受け取った。山田養蜂場に対するアンケートのようなもの。ローヤルゼリーを買っているらしいが、効能のほどは知れない。道へ出れば風はさほど流れず空気は停まりがちで、六月からクールビズが許されたので今日はベストもはおらずネクタイもつけなかったが、それでも普通に蒸し暑い。頭上は一面覆われて白く褪せた曇天である。(……)さんの宅の入口にツツジがいくつも咲いており、ショッキングピンクのものと、もっと白っぽくて桜に近いような淡色の中心に濃い目の赤が灯っているものとある。家屋のほうに上っていく通路の途中にも彩りがあるが花はいくらか散り伏しており、そこから白い蝶が舞いだしてくる。
  • 坂を上って最寄り駅に至ると、駅前の横断歩道を渡った先の道端に低い段に乗った茂みがあってそこに何やら黄色の花が咲き群れていたのだが、その横で高年の男性が一人、ところどころ草をむしっていた。手入れなのか? としても、なぜその人がやっているのか? 格好は定年後で家にいて気ままに暮らしているような印象の気楽なもので、つまり仕事ではなさそうだ。むしる草の基準もよくわからず、意図が見えない。ともかくそこを過ぎて階段通路に入れば、見上げた空の雲蓋のなかに太陽が、わずかばかり赤味を帯びた姿で、あるいは漂白された橙色のおもむきで、ぼんやり溶けて映っている。ホームに下りてベンチに座るとここでは風が横向きに、すなわち東西方向にいくらか吹いてそこそこ涼しく、その風に乗って惑わされたように蝶が一匹、白く飛んでくる。向かいの段上、畑になっている敷地のほうには、たぶんスズメだと思うが小さな鳥が二羽、低く飛んで宙を滑っては曲線を生み、かなり細長い楕円を描く。太陽は数刻前とおなじく視界の左上に、君臨などと言うにはあまりに希薄な姿だけれど戴かれ、駅の通路を出たそのすぐ脇では老年ほどと見える女性二人が立ち話を交わしていた。
  • 来た電車に乗って扉際へ。車内でマスクをつけていないのは、見える範囲ではこちらだけだった。窓外を流れていく樹々の色を眺めつつ過ごしたのち、(……)で降りてホームを行くあいだも、マスクをつけていない人間はほかに一人しか見かけなかった。駅を出るとポストに寄って母親に頼まれた葉書を投函。
  • 職場。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 退勤。帰りは徒歩を取った。暑く、夏の宵の雰囲気で、電柱から湧き出す虫のノイズがかしましい。空は雲がかりだけれど青味もあり、東南の方角に、ちょうど往路で見た太陽とおなじように月が雲に呑まれて朧めき、色も似た感じで淡い橙色を放っているが、太陽よりもよほど小さくて梅の実みたいな姿である。「(……)」が営業再開していた。
  • 夕食時、『家、ついて行ってイイですか?』を眺める。ヤクルトスワローズファンの六二歳の男性が出ていてなかなか面白い。ヤクルトを応援するのに生のすべてをつぎこんでいるようで、住まいは二万円ほどの狭いアパート、食事は一日一食二〇円で済ませ、風呂は銭湯で三日に一度くらいだと言う。月収は一〇万円程度で、多くとも一四、五万だが、バスで各地に遠征し、最低でも年間九〇試合は応援に行く。部屋のなかはグッズでいっぱいに満たされており、壁はユニフォームなどで埋め尽くされていた。昔は結婚していて子供も三人いたと言う。連れ合いともヤクルト繋がりで、チアガールだったのを射止めて一緒になったが、応援活動にのめりこみすぎて家のローンが払えなくなったために別れざるを得なかった。ただその後も関係は良好で、現在も年に四、五回は会っており、子供もときおり野球の中継でテレビに映っていたよとか電話をくれるらしい。
  • 野球ファンとかその応援活動などについてこちらはもちろん何も知らないが、その男性によれば、昔は本気で応援をやろうなんていう人は大概ちょっとおかしいと言うか、要するに野球の応援なんてはまりこんだら家庭が壊れるというものだったと言う。例えば、前は東京の人間が全部やっていたから、と。つまり、いまは大阪での試合は大阪の人が、名古屋ドームでは名古屋の住民がという形で、各地に応援団が結成されているらしいのだが、昔はそうではなくて東京住まいの人が全国各地に出張って応援に従事していたということだ。昔みたいな家庭生活に戻りたいと思わないですかとスタッフが訊くと、戻るならこういう応援生活をやめなければならない、でも今のこの生活に満足してるから、金もないし苦しいは苦しいけど、好きなことやってんだから苦しいも何もないでしょ、と笑っていた。ただ、応援活動は六五歳で引退する予定だとも言う。その歳に達すれば年金をもらいはじめるわけだが、年金は老後の生活のための金であり、それを応援に、要するに「遊び」に使いたくないということで、実に潔いではないかとこちらはちょっと感嘆した。とても大したものだ。自らの生を捧げ捧げて家庭を分かつまでに至ったような行いを、「生きがい」だの「人生」だの「自分そのもの」だのと言わずに、単なる「遊び」だと、気負いも気取りもまったくなしに言い放ってみせるのも悪くない。
  • 五月九日の新聞記事をようやく日記に記録した。新聞は読むだけで一向にメモができないので、部屋に溜まっていく一方だ。バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇一六年)の書抜きもやっとできた。そのほか、奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年)を読了するために夜を更かして四時四六分に消灯。