このように明確な目的性が要請してるのは、プロレスがまさしく観客の期待通りになるということである。豊かな経験を積んだ人間であるレスラーたちは、自然に発生した闘いの挿話を、観客がその神話学の驚異的な偉大なテーマから作り出すイメージのほうへ、完璧に転換することができる。レスラーは観客をいらいらさせたり、うんざりさせたりするかもしれないが、決して失望させることはない。なぜなら、レスラーは観客から期待されていることを、次々と記号を凝固させながらつねに徹底的にやり遂げて見せるからである。プロレスでは、何一つとして全面的に存在しないものはない。いかなる象徴も、いかなる暗示もない。すべてはあますところなく与えられる。その身振りは、影のなかに隠しているものは何もなく、すべてのよけいな意味を切り落とし、純粋で充実していて、〈自然〉のごとく欠けたところのない意味作用を、儀式ばったやりかたで観客に提示する。この誇張は、現実の完璧な理解可能性についての古くから伝わる民衆的なイメージにほかならない。したがって、プロレスの身振りによって再現されているのは、事物に対する理想的な理解力である。それは、日常の状況を構成している曖昧さから、つかのま離れて高みに立ち、つねに一義的な意味を持つ〈自然〉の、パノラマ的な視野に身を置いた人間が味わう、至福の境地なのだ。そこでは、諸々の記号は、障壁もなく、漏洩もなく、矛盾もないまま、結局は原因に連結しているのである。
(下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、21~22; 「プロレスする世界」; 初出: 『エスプリ』誌、一九五二年十月号)
- 一二時半起床。出勤まで一時間ほどしかない。
- 出勤路で坂道から川を見下ろす。ずいぶん久しぶりに視線を送った気がするが、秋や冬とはやはり色味が全然違って、ミルクが混ざったようなまろやかさや土の気配が消えており、青緑色が見るからに濃く鮮やかに溢れ、厳しいとすらちょっと言えそうな色合いだった。あれは何による変化なのだろう。
- 暑くていくらか頭が軋むくらいだったが、これはむしろ暑気よりも夜更かしのためかもしれない。裏道の途中で林のほうから鳥声が、ホトトギスの音が伝わってくる。距離があるようでやや控えめなその鳴きと交わって、ウグイスの声がもっと大きく、高らかに被さった。
- 職場。(……)くんの件について室長(この時点ではまだ(……)さんだった)と(……)さんに報告。経緯を説明したあと、理屈を使って詰めましたと笑えば(……)さんが、やっぱり理屈じゃないと駄目なんですかみたいなことを訊いてきたので、うーん、まあ、だってなんか、ちゃんとやれよ! みたいなことただ言っても、たぶん納得しないじゃないですか? 納得させないと駄目だと思うんで、とか何とか答えておいた。こちらの報告に対して(……)さんは、またそういうことがあったらぜひ教えてください、生徒の情報を得たいのでと言うので了承する。ところで室長によれば、(……)くんには何かの障害があるのだと言う。詳細は不明だが、ただ家では母親の言うことも全然聞かないような様子らしい。
- 今日の授業は(……)くん(小五・国算)ひとりが相手。そのおかげで丁寧に当たることができた。と言って、国語の読解問題はほとんど解説できなかったのだが。問題数がけっこう多くて最後まで解き終わらず、算数のための後ろ半分にも食いこんでしまった。もっと早めに切るべきだったのだ。
- 授業の途中から(……)さんが現れていた。この女児とは一年ほど前にはよく戯れていたものの、その後入る曜日が合わなくなってほとんど見なくなり、最近また顔を合わせるようになったけれど何となく冷淡みたいな雰囲気になっていて、笑顔も見せてくれなくなったので嫌われたのかな? と考えて残念に思っていたところ、そうでもなかったようで今日はたくさん交流できた。ゲームの話を聞く。家ではゲームをよくやっているらしく、特にNintendo Switchの『あつまれ どうぶつの森』をよく遊んでいるようだ。この『どうぶつの森』というゲームは名前だけは聞いたことがあり知っていたのだけれど――一体どこで知ったのかまったくわからないのだが――どういうゲームなのか内実は知らなかったので訊いてみれば、街づくりみたいな種類のものらしい。街づくりのゲームと言えばこちらなどはどうしても『シムシティ』を思い出してしまうものだが、たぶんどちらかと言えば『牧場物語』などに近いんじゃないか? 川を作れるんだよ、と言うので、やばいやん、神やんと笑った。川を流せるってことはさ、川を埋めることもできるわけでしょ? と訊くとうんと肯定が返るので、ふたたび神やんと言って笑う。ほかには島を拡張したり――つまり海を埋立てするということだろうか――とか、そういったゲームらしい。友だちのアバター(?)と通信して交流するみたいなことも言っていた。たぶん、互いの島を訪問して行き来するようなことができるのだろう。彼女の授業は次のコマだったのだけれど、それまでにまだ結構な時間があった。宿題は終わったらしく暇そうにしていたので、本とか持ってないの? と訊けば、学校に持ってっちゃいけないから、と言う(学校から直接、塾に来たのだ)。そうなの? と尋ねて、なんで? と続けると、なんでって……ふつうそうでしょ、と返るので、人間生まれて一〇年も経てばやすやすと「普通」の魔力に支配されるのだなあと思った。不思議なことではない。ただいずれにせよ、文字の本は全然読まないらしく、読むとしてももっぱら漫画のようだ。
- 四時半前に退勤。コンビニで飯を買って帰ろうかと思っていたが、電車まで思いのほかに時間がなかったので駅に入り、例によってコーラを買うと待合室の側壁を背に胃を濡らす。やってきた電車に乗っても座らずに扉際で外を眺めて到着を待ち、最寄りに至るとゆっくり抜けて坂に入った。地に散らかっている木くずや乾いた竹の葉が風に触れられてごく浅く跳ね、路面を擦ってかさかさ鳴りを生む。平路に出て行けば先日同様、公営住宅前で風が前から――東から――吹いて、この時間ならここはもう太陽が隠れて日なたがないのでわりと涼しい。左の斜面の一番下方、こちらの頭のすぐ上で、垂れ下がった葉の連なりがさらさら揺らいで響きを落とす。
- 帰り着くと書見。外出して働いてくれば何だかんだ疲労するので、まず脛や足の裏をほぐして肉体を軽くしないと活動しづらい。ロラン・バルト/花輪光訳『物語の構造分析』(みすず書房、一九七九年)の訳者あとがきを最後まで読んだ。花輪光という人はロラン・バルトを中心に記号学方面をずっと研究していたので観察がわりと正確で、参考に書き抜いておこうと思う整理もいくつかあった。訳者あとがきという種類の文章においては珍しいことだ。それから続けてロラン・バルト/沢崎浩平訳『S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析』(みすず書房、一九七三年)も読みはじめたが、まもなく六時を越えたので食事の支度へ。
- 米を磨いで炊く。鶏肉のかたまりがあったので例によってそれを炒めるのだが、タマネギは半端な使いかけが一つと紫のものが一つしかなかった。素麺を煮込む気でもいたので後者はそちらに入れ、前者を鶏肉と合わせることに。そうして調理を済ませるとひとりではやばやと食事。そのうちに母親が帰ってきて仕事の話を聞かされた。詳述は面倒なのでいくつかのことだけ記録しておくが、まず所長が偉そうな人間らしい。椅子だったかテーブルだったか何かしらの道具を別の場所に移動させておかなかったことを高圧的に叱られて、こんなの当たり前でしょ、みたいなことを言われたと言う。また、乱暴な子どもが壁に強く投げつけたボールが跳ね返って職員の女性の目に当たり、周辺がちょっと腫れるような事態が起こったところ、所長は彼女に大丈夫かと声を掛けながらも、前からもともとそんな感じの顔だったから、みたいなことを言ったらしい。本人としては冗談なのだろうが、言われたほうは良い気がするわけがないだろう。その他諸々、普段から基本的に圧迫的な人物のようで、高圧性をひとまず措いてもぶっきらぼうで愛想がなくいつもブスッとしているような感じだと言い、職員はみんな陰で、ムカつくよね、みんなで辞めてやろうかなどと話しているらしい。
- また、所にいるあいだの子どもたちの様子を短く記して保護者に報告する日報みたいなものがあり、母親がある子について、宿題をよく頑張っていて偉いと思いましたとか書いたところ所長は、全然遊びながらやってたでしょ、と文句をつけてきたと言う。母親の見るところではその子はいつも遊びの誘惑にも逸れずに宿題に励んでいるし、母親個人としては子どもは「褒めて伸ばす」方針で行きたいらしいのだが、所長は児童らを褒めることはあまりないようだ。加えてその子の母親が、なぜなのか不明だが自分の子どもを褒められると気分を害して怒る人間なのだと言う。珍しい人物ではないか? 何だろう、甘やかしては駄目でとにかく厳しくしないといけないと考えていて、褒めるということはすなわち甘やかすことだとでも思いこんでいるのだろうか。
- Nさんへ返信。
(……)
・作文
20:49 - 20:54 = 5分(メッセージ)
26:28 - 26:53 = 25分(6月8日)
計: 30分
・読書
13:15 - 13:33 = 18分(バルト: 163 - 169)
17:08 - 17:55 = 47分(バルト: 196 - 219)
17:57 - 18:07 = 10分(バルト: 5 - 6)
21:07 - 21:51 = 44分(英語 / 記憶)
22:24 - 23:52 = 1時間28分(バルト: 6 - 14)
26:53 - 28:35 = 1時間43分(バルト: 14 - 19)
計: 5時間10分
- ロラン・バルト/花輪光訳『物語の構造分析』(みすず書房、一九七九年): 163 - 169, 196 - 219(読了)
- ロラン・バルト/沢崎浩平訳『S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析』(みすず書房、一九七三年): 5 - 19
- 「英語」: 126 - 152
- 「記憶」: 36 - 43
・音楽
- Art Blakey Quintet『A Night At Birdland』