2020/9/3, Thu.

 一九八三年、エイナウディ出版社はレーヴィにカフカの『審判』の翻訳を求めた。『審判』については無数の解釈がおこなわれているが、いずれも、それの政治的予言としての性格(絶対悪としての現代の官僚機構)、あるいは神学的な性格(裁判所は知られぬ神とされる)、あるいは伝記的な性格(有罪宣告はカフカが苦しんでいた病のこととされる)を強調している。法律がもっぱら裁判の形で登場しているこの本に法律の本性についての深い洞察が含まれていることは、ほとんど指摘されていない。法律の本性は、ここでは、一般に考えられているような道徳規範というより、判決、ひいては裁判なのである。しかし、法律の――あらゆる法律の――本質が裁判であるのなら、あらゆる法律(およびそれに汚染されている道徳)は裁判の法律(および裁判の道徳)にすぎないのなら、法律の執行も違反も、無罪も有罪も、遵法も不従順も、どれも同じことであり、意味を失ってしまう。「裁判所はおまえになにも望んでいない。おまえが来るときは迎え入れ、おまえが去るときは去るがままにする」。法律の究極の目標は判決を産出することであるが、判決は罰するつもりも報いるつもりもない。正義をおこなうつもりも真理を確保するつもりもない。判決そのものが目的なのであり、言われてきたように、このことに、それの神秘、裁判の神秘がある。
 判決のこの自己言及的な本性から導き出すことのできる帰結のひとつは――じっさいにもイタリアのさる偉大な法律家〔サルヴァトーレ・サッタ〕は導き出しているのであるが――、刑罰は判決から生まれるのではなく、判決そのものが刑罰であるというものである。「刑罰をともなわない判決はない(nullum judicium sine pœna)」。「むしろ、あらゆる刑罰は判決のなかにあるといってもよいであろうし、禁固や処刑といった刑罰の行為は、いわば判決の延長としてのみ重要であるといってもよいであろう(「処刑する(giustiziare〔「判決(giustizia)」から派生した語〕)」という言葉を考えてみていただきたい)」(Satta, S., Il mistero del processo, Adelphi, Milano 1994., p.26)。しかし、このことは、「無罪の判決は裁判の誤りを告白することである」ということ、「だれもが内的には無実である」ということ、しかしまた唯一本当に無実なのは「無罪放免される者ではなく、裁判のない生活に入った者である」ということをも意味する(ibid., p.27)。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、18~19)



  • またしても一時半まで滞在してしまった。八時台に一度覚めており、さすがに三時間ではまずいだろうと睡眠の継続を選んだのだが、そのあとまったく覚醒せずに正午を越えてしまうとは。天気は曇りで、空気はわりと蒸し暑い感触だった。首や眼窩などを揉んでから起き上がって上階へ。ABC-MARTで購入した革靴を持っていき、髪の繕いやうがいなどを済ませてから玄関に置いておく。食事は桜の酢漬けか何かが混ざったご飯に、ゴーヤやタマネギの味噌汁に、前日の肉じゃが。新聞一面には菅義偉自民党総裁選に出馬することを正式に表明したとの報があったが、正直全然興味が湧かない。文化面には長尺の映画が意外と人気を呼んでいるみたいな記事があり、きちんと読んでいないが、王兵[ワン・ビン]『死霊魂』とタル・ベーラ『サタンタンゴ』(一九九四年)の名が挙がっていた。後者は先日、Woolf会でKさんにおすすめされた人である。両方とも七時間とか九時間とかそのくらいあるらしい。それだけ長い作品を映画館で一気に見るというのもけっこうな体験だろう。
  • 食後、風呂洗い。ミンミンゼミの声がまた盛んに響いており、窓外に見える道の脇で石垣上に垂れ下がった林の枝葉は多少揺れてはいるものの、風の流れは大してなさそうだ。浴槽を擦って洗うと蕎麦茶を用意して室に帰り、スピッツ『フェイクファー』を今日も流してEvernoteを準備するとまずこの日のことを記述した。蕎麦茶を飲むあいだに、なんとなくそろそろかなと思って服薬しておいた。
  • それからすこしのあいだ、一昨日すなわち2020/9/1, Tue.の記事を進め、三時四〇分を過ぎるとベッドで脹脛をほぐすことに。寝床に転がる前に屈伸をしたが、尾骶骨の痛みは昨日よりはだいぶ和らいできたようだ。臥位になって脚をほぐしたり首を揉んだりしながら一時間休んだのち、四時五〇分で支度へ。FISHMANS "感謝(驚)"を流して服を着替えると、一昨日買ったバッグを紙袋から取り出して手荷物を入れた。そうして上階へ行き、靴べらを使って新品の革靴に足を収めれば出発である。
  • はじめのうちは指の関節の出っ張りが靴内部の天井に当たる感じがあって大丈夫かと思ったのだが、三分も歩かないうちすぐに馴染んできたようだった。駅に着くころには足と靴がぴったりうまく嵌まるような感覚ができあがっており、これはなかなか良い買い物をしたのではと思われた。道中、Sさんの宅の前あたり、すなわちTさんの家の横の林付近にサルスベリの花びらが散って濃く鮮やかなピンク色を路上に点灯させていたのだが、見上げても源となる木が見当たらない。空気に陽の感触はないけれど、南のほうでは青さがあらわれていて、その上を弱い衝撃波のような薄雲が曖昧なすじをなして漂っていた。
  • 坂道にはツクツクホウシの声が相変わらず忙しなく立ち重なっている。抜けて駅の階段に至れば西空が見えて落日の位置も明らかとなるが、今日は雲がその前に座しており、さほど厚いようにも見えないけれど光をやすやす通過させるほど甘く薄弱なものでもなく、地上に日向を生むことを許さない。時間にいくらか余裕があったので、久しぶりにホームの先のほうに向かった。そうしてやって来た電車に乗り、扉際でマスクをつけて、首の横を指圧しながら到着を待つ。車内にはやはり山帰りらしい若者たちの姿があった。
  • 青梅で降りると駅を抜け、モスバーガーの前にずいぶんたくさん散らかっている落葉の上を踏み越えて職場へ。今日は(……)さん(中三・英語)と(……)くん(中二・英語)を担当、そこに急遽(……)くん(中三・英語)も加わった。(……)さんは志望を私立単願に変えたらしく、いまのところは(……)が一番気になっているようだ。それで内申点の補助として英検を受けるということで、本人が持っている過去問を使ってその対策を行った。本当は文章読解をしたかったのだが、文法や語彙の選択問題のみで終了。
  • (……)くんはいつもどおり。ただ今日は教科書を読んだあと、そのなかから二文ピックアップして二回ずつ書いてもらうというプロセスを取り入れた。これは(……)くんに限らず、生徒たちにはおりにふれてやってもらったほうが良いかもしれない。そういうわけで(……)のほうも、ワークで間違えた三つの問いの英文を二回ずつ書いてもらった。間違えたところを説明・確認し、文を書かせていくらか印象づける、さらに宿題でももう一度やってきてもらう、という風にすれば、そこそこ頭に入るのではないか。
  • 今回はなぜか模試の成績が送られてくるのが遅いらしく、結果が来るのを待たずに生徒たちに己の点数を突きつけたいということで、コピーを取ってあるので採点をしてほしいと言われていた。それで授業後は社会の答案に丸つけをしていったのだが、全部終わらせるのは面倒臭かったので、大して片づかなかったけれど八時半で退勤にした。記述問題にはときおりコメントを付しておいたのだが、外様大名を説明する問いで(……)さんが、関ヶ原の戦い織田信長と一緒に戦い……みたいなことを書いていたので、関ヶ原の戦い(一六〇〇年)の時点では織田信長はもうこの世にいません、と註釈しておいた。
  • それで退勤し、駅に入ってコーラを買うとベンチに就いて身体を潤す。線路の先の暗闇から秋虫の音が絶えず発生し、あたりいっぱいに満ちている。コーラを飲み干すとホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を取り出し、乗車してからも読み続けて到着を待った。降りるとホーム上に風が湧いていて、東西に流れて前から身体に当たってくるそれの柔らかで涼しく、吹いてくるものの先を見やれば駅舎の上は真っ暗闇で、階段通路につけられている蛍光灯の白い破線を上端としてその外は無に切り落とされている。だからどうも曇りの暗夜らしいなと見たところが、ホームを進むうちに左方の南空には雲にいくらか浸食されてはいるものの、もうほとんど完成に近い満月があらわれた。往路よりも風は明らかに盛んになっていて、階段通路の出口に立った二本の旗も、海のなかの軟体生物のように身をくねらせている。
  • 足もとに映る枝葉の影が微細にふるえる坂道に、秋虫のアンサンブルが厚くなっていた。抜けて平らな道に出ると南にふたたび月がかかったが、それが先ほどよりも明白に小さく遠くなったように思われて、色も黄味が濃くなってバターめいている。たかだか数分でこんなに変わるはずがないと困惑しつつ、まるで別種の月がもうひとつあるかのように空に視線を走らせてしまったが、この世界には月はひとつと定まっている。いまようやく思い当たったのだけれど、最初に見たときには淡いとはいえ雲の向こうにあったので、黄味がいくらか薄れて白っぽい色になっており、また光が雲に宿って暈を作っていたためにサイズも大きく見えたのだろう。家のそばまで来ると空間の奥で鳴るものがあり、遠くから伝わってくる川のさざめきを思わせもしたが、それは林のなかで風が動いて生まれた響きが籠っているものらしかった。風は道には出てこず、林の外縁も揺らがない。
  • 帰宅すると部屋のベッドでいくらか休み、一〇時前に食事へ。夕刊には、米国がアフガニスタンでの米軍の戦争犯罪を調査するICCの調査官に対抗制裁を課すとの報。食事を終えると自室にもどり、今日のことを二〇分ほど記したところで風呂に行った。湯のなかでは各部の肉をほぐし、洗い場に出ると放置していた髭を剃って顔を整え、また束子で身体を丹念に擦り皮膚を和らげたのだが、上がったあとに鏡の前で頭を乾かしていると、手に触れる髪の毛が油を残している質感だったので、そこでようやく頭を洗うのを忘れたなと気がついた。身体を擦るほうに傾注しすぎてすっかり忘れていたらしい。久しぶりのことだ。以前もときおり、風呂のなかで考え事などに気を取られてまったく意識を向けず自動的に行為を済ませ、今日のように出て髪に触れてから洗うのを忘れたのに気づくということがあった。
  • 出て帰室するとほぼ零時。今日のことをふたたび綴り、一時を越えたところで身体が固まったので寝床に移って書見。ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)を読む。これは「A」の課題書で、その会合は明後日の五日に迫っているのだが、正直それまでに読みきれるかどうか不分明だ。二時二〇分まで読んだのち、豆腐と味噌汁とキュウリを用意してきて食いながらMさんのブログを三日分読んだ。五月五日から七日まで。
  • その後、三時半から書抜き、バルトおよび新聞記事である。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』。
  • 151: 「反 - イデオロギーは、虚構のもとに忍びこむのである。まったく写実主義的ではなく、〈正確である〉虚構に。おそらくそれこそが、わたしたちの社会における美学の役割なのだろう。すなわち、〈間接的で他動詞的〉な言述のための規則をしめすことである(そのような言述は、言語活動を変化させることができるが、その支配力や良心をひけらかすことはない)」

On the night of March 11, 1972, thousands of Black Americans from around the country — Democrats, Republicans, socialists and nationalists alike — packed into a high school gymnasium in Gary, Ind., for the first National Black Political Convention. The room brimmed with tension, as the high ideals of Black separatists were set to clash with the pragmatism of elected officials. A congressman was booed and jeered at. The NAACP denounced the convention for excluding white people. Shirley Chisholm, the first Black major-party presidential candidate, boycotted the event because the conveners couldn’t decide whether to endorse her campaign.

Then the Rev. Jesse Jackson, a close ally of the Rev. Martin Luther King Jr., took the stage. The assassinations of King and Malcolm X in the previous decade had delivered a tragic blow to the civil rights movement, and Jackson had come to Gary hoping to unify the community with a bold call.

“I don’t want to be the gray shadow of a white elephant or the gray shadow of a white donkey,” he said at the convention. “I am a Black man, and I want a Black party.”


・読み書き
 15:01 - 15:44 = 43分(2020/9/3, Thu. / 2020/9/1, Tue.)
 20:40 - 20:58 = 18分(ホフマンスタール: 190 - 195)
 22:34 - 22:56 = 22分(2020/9/3, Thu.)
 24:10 - 24:59 = 49分(2020/9/3, Thu.)
 25:11 - 26:22 = 1時間11分(ホフマンスタール: 195 - 216)
 26:35 - 26:58 = 23分(ブログ)
 27:30 - 28:12 = 42分(バルト/新聞)
 28:17 - 28:37 = 20分(Rodriguez)
 計: 4時間48分

・音楽