証言のうちに証言不可能性のようなものがあることは、すでに指摘されていた。一九八三年、ジャン=フランソワ・リオタールの著作『ディフェラン〔文の抗争〕』があらわれた。それは、ガス室の存在を否定しようとする論者たちの最近の主張を皮肉まじりに取りあげて、そこにひとつの論理的パラドックスがあるのを確認することでもって始まっている。
言葉の能力をそなえた人間たちが、それがどういう状況であったのかをもうだれも報告することができないような状況に置かれていたことが知られるようになった。その大部分は、その時に死んでおり、生き残った者も、まれにしかそれについて話さない。たとえ話したとしても、かれらの証言は、この状況のうちの取るに足りない部分にしか触れていない。となると、この状況そのものが実在したのかどうかは、どうすればわかるというのだろう。報告者の想像力の産物ということはないのだろうか。その状況そのものが実在しなかったか、あるいは実在したとしても、その場合には報告者は死んだか沈黙しているはずであるから、報告者の証言はにせものであるか、のどちらかである。〔……〕ガス室を自分の目でじっさいに見たということが、それが実在すると語る権限を報告者に付与し、信じない者たちを納得させる条件であろう。しかし、報告者は、ガス室を見た瞬間にそれに殺されたことも証明しなければならないだろう。そして、それに殺されたことについての唯一認めうる証明は、死んだという事実によって提供される。しかし、死んだのであれば、それがガス室のせいであることを証言できない。(Lyotard, J.-F., Le Différend, Minuit, Paris 1983.(陸井四郎・小野康男・外山和子・森田亜紀訳『文の抗争』法政大学出版局、1989年), p.19)
その数年後、イェール大学でおこなわれた調査のさいにショシャナ・フェルマンとドーリー・ラウプはショアーの概念を「証人のいない事件」として練りあげた。そして一九八九年、この二人の著者のうちのひとり〔フェルマン〕が、この概念をクロード・ランズマンの映画〔『ショアー』(一九八五年)〕にたいするコメントの形でさらに発展させた。ショアーとは、二重の意味で証人のいない事件である。というのも、死の内側から証言できる人はおらず、声の消失のために声は存在しないがゆえに、ショアーについて内側から証言することは不可能であり、外側にいた者は、定義上、事件の現場から排除されているがゆえに、それについて外側から証言することも不可能だからである。
〔……〕外側から真実を語ること、証言することは、じつは不可能である。しかし、すでに検討したように、内側から証言することも不可能である。わたしが思うに、この映画全体の不可能な立場と証言の努力は、まさしく、もっぱら内側にいるわけでもなく、もっぱら外側にいるわけでもなく、逆説的なことに、外側にいると同時に内側にいる[﹅14]ということにある。この映画は、戦争中には存在しなかったし今日もなお存在しない橋を内側と外側のあいだにかけようとする。両者を接触させ、対話させるために。(Felman, S., À l'âge du témoignage: Shoah de C. Lanzmann, in AA.VV., Au sujet de Shoah, Belin, Paris 1990.(上野成利・崎山政毅・細見和之訳『声の回帰』太田出版、1995年), p.89)
この内と外のあいだの無区別な閾(あとで見るように、これは「橋」でもなければ「対話」でもない)こそは、証言の構造の理解に導くことができたかもしれないにもかかわらず、この著者が問い忘れているものである。反対に、わたしたちは、分析というよりも、歌の比喩に頼ることによって、論理的不可能性から美的可能性にいたる横すべりに立ち会わされることになるのだ。
この映画において証言の力を生み出し、この映画全般の力の源となっているものは、言葉ではなく、言葉と声のあいだの曖昧で人を困惑させるような関係、言葉、声、リズム、旋律、イメージ、文字、沈黙のあいだの相互作用である。証言はどれも、その言葉を越えて、その旋律を越えて、比類のない歌の上演のように、わたしたちに語りかけてくる。(p.139f)
歌という急場しのぎの解決策[デウス・エクス・マーキナー]によって証言のパラドックスを説明することは、証言を美学の対象にすることに等しい。これは、ランズマンがやらないように気をつけていたことである。詩も歌も、不可能な証言を救出しようとして介入することはできない。反対に、証言のほうこそが、もしできるとすれば、詩の可能性を基礎づけることができるのである。
(ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、42~45)
- 一〇時半ごろすでに覚めていたのだが、起床に至れず肉体の重みに苦しみながらたびたび意識を落とし、最終的に離床は一時半を迎えた。頭のほうに麻痺的な鈍重さがあってかなり淀んでいるような感じだったので、ここまで起きられなかったのは単なる疲労とか怠惰とかに加えて薬を飲んでいなかったこともあるかもしれないと考えて、セルトラリンを一粒服薬しておいた。前回の服薬は九月三日だったのでちょうど一週間ぶりということになる。
- やはり就寝と起床をもうすこし早い時間にずらしていかなければならないだろう。時々によって、いやもういいわ、自分の身体の導きに従うわと思ったり、やっぱりもうすこし(世間一般的に言われる)「規則正しい」生活にしなくてはと思ったりするのだが、最近はまた後者の思いに傾いてきている。いつまでものうのうと寝ているのではなくてもういくらかは早く起き、読み書きだけでなく家事などの面でも自分にできることを多少はやっていかねばならないと。
- 上階に行き、父親が作ってくれたというカレーを食す。なかなか美味かった。テレビはなんらかの映画で、兵士の格好をしたイスラームの信仰者がアッラーの語を口にしながら自爆テロを行うさまなどが見られたが、あとで新聞の番組欄を見たところ、これは『キングダム/見えざる敵』という作品だったらしい。Wikipediaによれば監督はピーター・バーグ。全然知らないが、制作にマイケル・マンという名があり、こちらの名前はなぜか知っている。ほかに見覚えのある名前はまったくない。
- かたわら新聞を読んだが、どうも精神が拡散気味というか、志向性が文字にうまく集束しないような感じがあった。食後は風呂を洗い、緑茶を持って帰室。コンピューターの起動やソフトの準備を待つあいだ、ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)を少々めくる。そうして今日もスピッツ『フェイクファー』を流したが、このアルバムもそろそろ飽きてきた。ウェブを瞥見したのちに歯磨きしながら2019/8/3, Sat.のみ読み、それから今日のことをここまで記録。
- 今日も勤務で五時過ぎには出る必要があった。時刻はすでに三時半前、外出前にはとにかく一時間くらいは脹脛をほぐして身体を軽くしておきたい。だからもうあまり猶予はないわけだが、それでも復読もしたかったので、FISHMANS『KING MASTER GEORGE』とともに「英語」及び「記憶」記事から文を音読した。とはいえ「記憶」のほうは面倒だったので一項目のみ(118番)、それも二回ではなく一回である。そうしてベッドに逃避。ウェブを回ってだらだらしたのち、三宅誰男『双生』(仮原稿)を一五分だけ読み進める。「~であった」という終止がやはり多いと思う。とりわけ、長々しい修飾のあとに「(名詞)であった」と締められるときに独特のうねりと集束感みたいな、ほかではあまり遭遇しないリズム(律動)がある気がする。
- FISHMANS "なんてったの"および"感謝(驚)"を流して一〇分だけ運動。「胎児のポーズ」を取って身を締めるように丸め、全身を和らげるのが良い。そのあと着替えて荷物を整えて上へ。母親が送っていこうかと言うが遠慮し、トイレで用を済ませてから出発。道を歩いているあいだに、今日のまどろみのなかで靴の欠ける夢を見たことを思い出した。現実にそうしているように靴べらを使って革靴を履いたのだが、足が収まったあとに見てみると靴の背というのかなんというのか、本でいうところの背にあたる部分、要するに踵に接する部位が上から欠けていることに気づいたのだった。踵を支えるために靴べらを差しこんだ際に、下に向かって圧をかけすぎて縁のあたりが破れたというか剝がれたというか割れたというか、ともかく損傷したような具合だったらしい。革靴の色は現実の明るい褐色とは違って真っ青だった、とそういう一断片があったのだが、昨日だかに見たギターのペグがひとつ取れた夢と合わせてこれらは「欠如」や「破損」のテーマである。となると通俗的想像力に沿うならば、これはこちらがなんらかの欠如感もしくは不満を抱えているとか、あるいは何か不安に思っていることがあるとか、そういう夢解釈になるのだろうけれど、夢というものがそんなにわかりやすい象徴的論理に従っているはずがなかろうと思う。
- 落日の陽射しはない。空気に粘りも摩擦感もなく、さらさらと肌に同化して馴染む調子だ。坂に折れるところでちょっと空を見やったのだが、こびりついた雲に囲まれかたどられた小さな青が、特に珍しい景色でないが印象的で、というのは、そこには実際上何も存在していないからこそ青さが明瞭にあらわれているのだが、色の均一さ一様さがあまりにもなめらかなために、その純然たる空白がかえって高密度の充実感覚をもたらすのだった。空に対して「湛える」という動詞を使うのはそういうことなのだろう。涼しげな空気だと思ったところが、よほどゆっくりでも坂を上っているうちにやはり汗が滲んでくるのを避けられない。上り坂を踏むというのは、どうしたって肉体が多くのエネルギーを使うのだろう。
- 駅の階段を行けば西空では無秩序な雲の縁がもう遠い陽を受けてほの明るんでいた。ベンチに就くとハンカチで首や腕や胸元を拭ってからメモをはじめた。電車内でも立ったまま続けて(……)に到着。今日も小学校の横の坂道を高校生らが下ってきており、昨日よりも人数が多くて八人か一〇人くらいはいたように見えたし、男子の姿もあったような気がする。いったいなぜあんなほうから現れるのか、何の理由や用事があるのか見当がつかない。
- 職場。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- 一〇時過ぎに退勤。駅に入ると電車に乗り、扉際で待つ。最寄りで降りたのち、帰路の記憶は特にない。帰ると母親は入浴中、父親はソファで歯磨きしており、テレビには「エイトブリッジ」とかいう芸人が映っていた。手を洗って自室に帰るとベッドで一時間弱休み、一一時半になって食事へ。夕飯はカレーの残りやスンドゥブなどである。新聞夕刊の音楽面を見ると、アルカトラズが三四年ぶりだったかで新作を出したといい、グラハム・ボネットがインタビューを受けていたが、グラハム・ボネットとかまだやってたのかよという感じだ。全然知らなかったが、二〇〇〇年くらいからアルカトラズとしてライブを続けていたらしい。新作にはChris Impelliterriとかが参加しているというが、さすがにYngwie Malmsteenは関わっていないようだ。Yngwieっていま何やってんの? Steve Vaiに話を持ちかけたら即座に六〇曲くらい聞かせてくれて、気に入った曲はどれでも使ってくれていいと言われたとBonnettは話しており、Steve Vaiのこの仕事ぶりと気前の良さはすごい。ハードロックに傾倒していた高校時代だかに読んだインタビューで、集中すると一日二日くらいは飲まず食わず眠らずでずっと仕事を続けると言っていた覚えがあるし、たしか『Real Illusions』を出した当時の「ヤングギター」誌のインタビューではないかと思うが、一時期は自分にしか理解できない言語で日記を書いていたとも語っていた記憶があって、わりと頭のおかしい方面の人間のようだ。紙面下部の小さな新譜紹介の端には碧海祐人という人が取り上げられており、ジャズ風味の混ざったシンガーソングライターだとかいう話で、石若駿が参加しているというのでちょっと気になる。Alan Hampton的な方向性か?
- 食後、入浴しながら職場で提案した講師アンケートの構成案を考える。作ってくださいよと言われたのには明確に嫌ですと断っておいたのだが、こんな感じでどうですかという骨組みを提示するくらいはやっても良い。それを参考にして実際の用紙作成は(……)さんにやってもらうというつもりだ。とりあえずアンケート本篇は三分野に分けたほうが良いかなと思っているが、質問の文をどういう文言にするかというのも考えてみるとなかなか難しいところだ。
- 室に帰ると茶を飲みながら(……)さんのブログを読んで、それから今日の日記を書いたのだけれど、身体が固くて集中できなかった。それを措いても最近はちっとも記事を完成させられていないし、溜まっている日の記述が全然解消できていないわけで、マジでやばいなというか、どうにかうまい方法を考えないとマジで一生記述が生に追いつかずにその距離がひらくばかりだなという感じ。そうは言っても急いで書きたくはないので、それなら書く内容を減らすしかないのだが、それもまた気は向かない。