じつは、『存在と時間』では、死に特別な役割が託されている。死は決意の体験であり、「死に向かう存在」の名のもとに、おそらくはハイデガーの倫理学の究極の意図を体現している。というのも、人間は、おしゃべり、あいまいさ、散漫からなる日常の非本来性のうちに、つねにすでに、なによりも先んじて投げこまれているが、ここで生じる「決意」のもとで、その非本来性は本来性に変容するからである。そして、つねに他の者たちのものであり、本当の意味で現前することはけっしてない匿名的な死が、もっとも本来的で究極的な可能性に変じるからである。この可能性は、なにか特定の内容をもつわけではなく、あるべきものや実現すべきものを人間に提示するわけではない。反対に、死は、可能性として考えられるかぎり、絶対的に空虚であり、特定のいかなる輝かしい名ももたない。それは、ただ単にあらゆる行動とあらゆる実存の不可能性の可能性[﹅22]である。しかし、まさにこのために、死に向かう存在のうちで、この不可能性とこの空虚を根本から体験するものである決意は、いかなる不決断からも解放され、はじめて完全にみずからの非本来性を自分本来のものとする。いいかえれば、実存の果てしない不可能性を体験することは、人間が世人の世界に踏み迷うことから解放されて、自分自身に自分本来の事実的な実存を可能にしてやる方法なのである。
したがって、ブレーメンの講演におけるアウシュヴィッツのありようは、なおさら意味深いものとなる。この観点からすれば、収容所は、死をもっとも本来的で究極的な可能性、不可能なものの可能性として体験することが不可能な場所ということになるだろう。すなわち、自分本来のものでないものが自分本来のものとならない場所、非本来的なものによる事実的な支配が転覆されることも例外を生むこともない場所である。このため、収容所では(この哲学者によれば、技術の無条件の勝利の時代における他のすべてのものにおいてそうであるように)、死の存在は阻まれており、人間は死ぬのではなく、死体として生産されるのである。
しかしながら、本来の死を本来のものでない死から峻別したリルケのモデルの影響がここではこの哲学者を矛盾におとしいれていないかどうか、問うてみてもよいだろう。じっさい、ハイデガーの倫理学においては、自己性と本来性は、非本来的な日常性よりも上に浮かんでいるもの、現実の領域の上位にあるイデアの領域ではない。それらは「非本来的なものを別の様態のもとでとらえたもの」にほかならず、そのとらえ方のもとで手に入るのは実存の事実的な可能性にすぎない。ハイデガーがたびたび言及するヘルダーリンの原理によれば、「危機のあるところでこそ、救うものが育つ」。すなわち、まさに収容所の極限状況においてこそ、本来化と救いが可能となるはずなのである。
したがって、アウシュヴィッツで死の体験が阻まれるのは、本来的な決意の可能性そのものをあやうくするような別の理由、かくてはハイデガーの倫理学の土台そのものを揺るがすような別の理由によるのにちがいない。じっさい、収容所は、自分本来のものと自分本来のものでないもの、可能なものと不可能なもののあらゆる区別がまったくなくなる場所である。というのも、ここでは、自分本来のものの唯一の内容は自分本来のものでないものであるという原理が立証されるのは、まさしく、自分本来のものでないものの唯一の内容は自分本来のものであるという逆の原理によってであるからである。そして、死に向かう存在において、人間が非本来的なものを自分本来のものにするのと同じように、収容所においては、収容者たちは日常的かつ匿名的に死に[﹅11]向かって実存する。自分本来のものでないものの本来性は、もはや可能ではない。というのも、自分本来のものでないものは、すでに自分本来のものをすっかり担っていたからであり、人間は、いかなる瞬間にも、事実的にみずからの死に向かって生きているからである。このことが意味するのは、アウシュヴィッツでは、死と単なる落命、死ぬことと「一掃されること」を区別することはもはやできないということである。アメリーは、ハイデガーのことを念頭に置きながら、こう書いている。「解放されたときには、死ぬことについて考えることを強いられることなく、死ぬことに苦しめられることなく、死について考えることができる」(Améry, J., Un intellettuale a Auschwitz, Bollati Boringhieri, Torino 1987(orig. Jenseits von Schuld und Sühne. Bewältigungsversuche eines Überwältigten, F. Klett, Stuttgart 1977; 池内紀訳『罪と罰の彼岸』法政大学出版局、1984年), p.51)。収容所では、これは不可能である。それは、アメリーが示唆しているように見えるのとはちがって、死にざま(フェノールの注射による死、ガス室による死、殴打による死)について考えていると、死そのものについて考えることがそっちのけになるからではない。死についての思惟がすでに物質的に実現されていたところ、死が「些末で、決まりきったお役所仕事のようで、日常的」(Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991, p.120)であるところでは、死と死ぬこと、死ぬことと死にざま、死と死体の製造は、識別できないものとなるからである。
(ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、98~100)
- 眠りに就いてから一時近くになって覚めるまでやはりなんの印象も残っていないというか、夢の記憶もにおいもないし、乱れなくぎゅっと詰まった無の空間のなかを息継ぎもせずにくぐり抜けてきた、という感じがある。今日の天気は雨。といってこのときにはすでに止んでいたようだが、外は煙っぽい白さで、窓を閉め切っていても暑くはない。寝床で身体を指圧したりもぞもぞうごめいたりして肉をほぐしてから上階に行った。
- 母親は昨晩、明日は父親と一緒に映画に行くとか言っていたのだが、訊いてみると映画行きは取りやめたらしい。雨降りのためか? しかしのちほど、(たぶん母親ひとりで)リサイクルショップに行くつもりだということが知られた。今日は食事の前に風呂を洗っておき、それからエネルギーを摂取。食べるものは炒め物をアヒージョ風にしたものと米と即席の味噌汁。新聞を読みながら食し、皿を洗うと緑茶を用意する。そのとき窓の隙間から聞こえた音響からして、雨がふたたび降り出したようだった。下階にもどってから廊下の途中の窓を覗いてみれば、たしかに落ちて拡散するものがあり、ただしあまりはっきりと硬い雨でなく、粉っぽいような種類のものである。
(……)
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(……)
- 音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』。最高、すなわちもっとも高い。#4 "夜の想い"とか#5 "エヴリデイ・エヴリナイト"とか、#8 "感謝(驚)"とか、思わず作業(打鍵)の手を止めて歌ってしまう。
- あと、先日Bill StewartでAmazon Musicを検索した際に見つけたさかいゆうという人の作品をメモ記事に移しておいた。『Yu Are Something』というアルバムに、John Scofield、Steve Swallow、Bill Stewartのトリオが客演しているようで、たぶんシンガーソングライター系の人だと思うのだけれど、この三人にバックアップされて歌えるとかどんな化け物やねんという感じだ。
- 二時半から日記を書きはじめて、昨日のことを綴っているうちに四時を回ってしまい、今日は土曜日で電車がいつもよりはやくなるのでもういくらも時がない。2020/9/11, Fri.をインターネットに投稿すればベッドで脚をほぐす間もないので、FISHMANS『空中キャンプ』の流れているなかで屈伸をしたり合蹠を行ったりと下半身を伸ばしておいた。そうして着替え。バックに流れるのは"新しい人"。それを最後まで聞いてアルバムが終わると出発へ。
- さほどの勢いでないが雨が続いていたので傘をひらいて道を行く。Sさん宅の前では雨のためだろう、強いピンク色のサルスベリがまたたくさん散って粗い点描をなしており、そこを抜ければミミズが一匹、水にふやけて崩れかけながら死んでいた。坂に入って上っていくあいだ、なぜかムージルの「合一」の二篇のことを思い出し、あれもまた読まなくてはなあという気になった。なんだかんだ言ってもとんでもない仕事であることは間違いないわけで、あそこにあるものを確かに見極めなければならないだろう。ムージルの仕事のなかでもひとつの方向においての極限に至っている文章のはずで、あれを引き受ける人間が古井由吉やごく一部の研究者以外にもやはり誰かいなければならない。
- 駅に就くとベンチには先客がいたのでホーム先に行き、乗車して扉際でマスクをつける。車内の記憶が全然なく、何をしていたのかわからない。窓外を眺めていた記憶もないし、かといって車内の様子を観察していた覚えも蘇ってこない。首を揉んでいたのだろうか。ともかく降りると駅を抜けて職場へ。
- (……)マネージャーが来ており、挨拶をして教室のレイアウト変更について説明を受ける。今日の午前中や昼で棚や座席やものの配置をけっこう変えて、講師が集まって準備や作業をする用のテーブルを設けたり、個々の生徒の資料や授業に必要な書類の管理をファイル形式に整理したりしてくれたのだ。まずもって以前は配置の関係上入口から授業の様子が見通しにくく、講師側としても、働いている途中にドアが開いてもいちいちちょっと出ていかなくては誰が来たのか確認できないという面倒臭さがあったのだが、そのあたり解消されて、入口からまっすぐ正面に席が置かれて視線が通るようになり、空間が明るくひらいたような印象で良い感じだった。
- 今日は(……)くん(中二・英語)という生徒の体験授業を任されていた。準備することもさほどなく、中学三年生の模試の結果を読んだりなどしていると、新しく入った高校生が(……)さんの同級生だったらしく、自習席にいる彼のところに(……)先生の授業を受けていた(……)さんがやって来て受験について聞き、いままで何してたの? もう九月なのわかってんの? とか何だかんだと忠告的に世話を焼いていたので、かあちゃんかよ、と思わず突っこんで笑ってしまった。あとで話しかけてみたところこの男子高校生は(……)くんという名前で、(……)大学の小論文対策をしておりどう書けば良いかと困っていたので多少助言を与えておいた。のちほど(……)さんが言っていたところでは内部生らしい。
- それで(……)くんの授業。この中学生はStussyのシャツを着ていた。礼儀はそなえているのだが、あまり反応がはっきりしないようなところがあるというか、ちょっと特徴的なリズムを持っているような印象。とはいえコミュニケーションに大きな難はない。序盤にいくらか話を聞くと、勉強は全体に好きではなく特に英語は苦手だが、理科は好きでそのなかでもとりわけ物質分野に小学生の頃から興味があると言う。ただなぜ面白いのかと訊いても、その点はわからない様子だった。まあ面白ければ理由などなんだって良いので、とても良いですねと称賛しておき、さらに勉強以外に好きなことはあるかと訊くと、ミステリーやホラーの小説を読むのが好きだと言う。理科は好きだけれど、科学系の本などは読まないと言うので残念。中学生時点で物語以外のそういった本に手を出している子どもというのはやはり少ないのだろうし、こちら自身のことを考えても中学生の頃などは新書というジャンルの存在すら知らなかった。講談社ブルーバックスとか、理数系が好きな子どもなら面白いものがたくさんあるだろうと思うが。またこの生徒は塾のすぐ近くに住んでいるにもかかわらずなぜか(……)にある(……)まで通っていて、その点なぜなのか訊いてみてほしいと(……)さんに言われていたのだが、何か事情があるのと直截に問うてみても、いや、べつにないですと返るのみで判然としない。しかし普通に行くならば、地域的条件からして(……)に通っているはずなのだ。理由が何もないということはない気がするのだが、何か言いたくないことがあるのかもしれないと思ったので、これは生徒本人に訊くよりも機会のあるときに保護者に尋ねたほうが良いだろうと判断し、それ以上は踏みこまなかった。(……)さんに与えられた事前情報によれば彼は小学生のころ(……)に通っていたらしく、したがって中学受験をしたと思われる。それに失敗したために、事情を知る友だちのいる近くの学校には行きづらかったということではないかというのが(……)さんの推測で、まあそういうこともあるかもしれないし、特にそれを示唆する情報や意味素は得ていないがいじめを受けていたということも可能性としては考えうる。ちなみに(……)はいま全校で五〇人も生徒がおらず、彼の学年は十何人かだと言う。
- 授業に特段の問題はない。教科書を読み、ワークで文法問題を多少やった。授業のあいだに手書きで簡易な報告文書を作り、授業後には面談のためにやって来た父親と顔を合わせて多少次第を説明しておいた。教科書を読んでみるとけっこうよく訳せるので意味の面はあまり問題なさそうだが、文法面について訊いてみるとわからないということがままあったので、そちらの知識を身につけて、英文をどう書くか、並べ替え問題でどういう順序にすれば良いかといったことを理解していけると良いのではないか、というような内容だ。父親は落ち着いた感じで穏やかそうな人だった。(……)くん本人は、こちらが今日の授業のやり方はどうでした? などと訊いてみてもあまり反応が明確でなく、父親のほうを向いてどう言えば良いのか答えを頼るような場面も見られたので、まだいくらか自我が淡いというか、精神的自己確立というものがやや定かでないのかもしれない。
- そのあとは模試の結果を写真に撮影したりなんだりして、授業時間が終わったあとは(……)さんとともに(……)先生の報告を聞いたり。そのあいだに写真撮影は(……)先生がこなしてくれたのでありがたい。小論文をやっていた(……)くんはさっそく月曜日から授業が入っていて(……)先生が当たっているのだが、そこで何をやれば良いか話すなどして今日も帰りは遅くなり、八時四五分ごろ退勤した。駅に入ってみれば土曜日なので電車の時間がいつもと違っていてあと一分しかない。これはもう駄目だなと努力する前から諦めて、降車客の流れてくる通路を歩いていくと、上り階段の途中で電車が発ったので実際走れば間に合ったのだが、しかし走るのは好きではないのでこれで良い。ホームに出るとたまにはスナック菓子でも食うかというわけで細長いポテトチップスを二種類買い、コーラも買って飲みつつ書見した。ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)である。
- 電車が来てもすぐには動かず外のベンチで読書を続け、あと三分くらいになってから乗りこんだ。最寄りに着いて駅を抜ければモミジの葉っぱがいくらか地面に伏しているが、色はあまり赤くはなくて、ビスケットじみた茶色である。雨は降っていたが淡いので、傘を差さずに帰路を行った。
- 帰り着くと安息の地であるベッドに帰還して一一時一五分まで休み、その後カキフライや餃子、お好み焼き風の料理や味噌汁などで食事。風呂のなかでは久しぶりに湯に包まれながら静止した。やはり瞑想的な、まったく何の行動もせずからだを動かさずにただ知覚と思念のみの存在になる時間が欲しい。しかし風呂だとじきに意識に眠気が混ざってきて思考が腐った林檎のように崩れ、半分夢みたいなイメージの展開がはじまってしまう。
- 自室にもどると緑茶を飲みながらポテトチップスを食い、その後も怠けて、三時半からようやく活動をはじめた。書抜きである。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)および二か月以上も前の新聞記事。それでもう四時一五分に至ってしまったのでほかにいくらもできることはないが、この日のことを多少記述し、届かない範囲はメモにしておいた。途中でなぜか高校の同級生のS.Tのことを思い出して、インターネットで検索した。というのも以前Nに聞いた話では、彼はいまだに音楽活動をしていて何やら作品もリリースしたとかいう話だったのだ。実際、(……)というデュオらしいユニットの作品がAmazonで売られているのが出てきて、そこにSの名前もあり、さらには(……)というソロプロジェクトもやっているようで、Sは何でもデンマークに渡っていたらしく、そのあいだに宅録ではじめたのがこの(……)らしい。なかなか悪くない名前をつける。(……)のほうのライブの動画が出てきたのでちょっと見てみたが、アンニュイと形容されそうな風味もある静かで抑制的なポップスという感じで、高校のときに体育館(我が高校では「アリーナ」と呼ばれていたが)の舞台上で頑張って歌ったり(たしかHi-Standardの"はじめてのチュウ"とかやってはいなかったか)、卒業イベントでもIと二人で、何の曲だったか忘れたがアコギデュオとして弾き語っていたSが、一〇余年を経たあともこうしてギターを持ちそれを鳴らしながら人前で歌っているのを見ると、わりと感慨深いものはある。
- 五時前からSonny Rollins, "A Night In Tunisia"(『A Night At The Village Vanguard』: D1#1)とMal Waldron, "Left Alone"(『Left Alone』: #1)を聞いたが、さすがにこんな時間だとやはり眠気が混入してあまり明晰には聞こえない。前者はDonald BaileyとPete La Rocaとのトリオなのだが、Pete La Rocaってこんなに叩く人だったのかという印象で、といってほかに彼が叩いている作品なんてJoe Hendersonの『Page One』くらいしか聞いたことはないと思うけれど、もっと控えめなドラマーだというイメージを持っていたところ、だいぶバシバシ突っこんでくるじゃんという感じだった。これだったらもうひとりのドラマーであるElvin Jonesに通じるところすらあるじゃんと思ったのだが、それは言いすぎというかあまりに大雑把すぎるかもしれない。Rollinsは絶好調という感じで、闊達極まりなく、淀みというものがほとんど一瞬もないのではないか。Mal Waldronのほうは、このスタイルで聞かせるというか、(ある意味で)歌い、聴者を掴もうとするというのもやはりすごいというか変な方向を取ったなあという印象。
- そのあとジョナサン・カラーを少々読んで就寝。
・読み書き
14:33 - 16:11 = 1時間38分(2020/9/12, Sat. / 2020/9/11, Fri.)
20:53 - 21:25 = 32分(カラー: 192 - 202)
27:34 - 28:14 = 40分(バルト/新聞)
28:21 - 28:53 = 32分(2020/9/12, Sat.)
29:09 - 29:35 = 26分(カラー: 186 - 196)
計: 3時間48分
- 作文: 2020/9/12, Sat. / 2020/9/11, Fri.
- ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年): 192 - 202
- 石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年): 186 - 189(書抜き)
- 読売新聞2020年(令和2年)6月29日(月曜日)朝刊: 7面(書抜き)
・音楽
28:53 - 29:09 = 16分
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- FISHMANS『ORANGE』
- FISHMANS『空中キャンプ』
- Mal Waldron『Left Alone』
- Sonny Rollins『A Night At The Village Vanguard』(Disc 1)
- Sonny Rollins, "A Night In Tunisia"(『A Night At The Village Vanguard』: D1#1)
- Mal Waldron, "Left Alone"(『Left Alone』: #1)