2020/10/17, Sat.

 構想(conception)という語と、「一般に知られている性格の諸特徴を孕んだ人物を作り出した」という表現と、自然発生的に創り出すペンのイメージに見え隠れしている性的メタファーが、何も考えずに早く書くのが一番よいと論じている引用の後の一節で、さらに明瞭なものとなっている。この一節を読むと読者は、フロイトが、書くことを無意識的に禁じられた性行為と同一視しているが故にものが書けない患者について語っている一節を思い浮かべるかもしれない。書くことも、性行為も、液の流れ出る円柱状のものを用いる点で類似しているのだ。トロロープのその一節を引用する。

 自分の作品が最も早く仕上がった時――非常に早く仕上がる時が時々あるのだが――、そのスピードは加熱圧搾によって達成される。その加熱圧搾は構想を生み出す際のものではなく、ストーリーを語る際の加熱圧搾である。私は一日に八頁ではなく、一六頁書いた。一週間のうち五日間働くのではなく、七日間働いた。……ふつう私はこの仕事を山のなかの静かな場所で行った――社交も、狩猟も、ホイストも、通常の家事労働もない場所であった。このようにしてでき上がった作品には、これまでに生み出したなかで最上の真実、最も気高い精神が込められていると私は確信している。このような時、私は心の中を、それまで扱ってきた登場人物で完全に満たすことができた。私は彼らの悲しみに泣き、彼らの愚かさを笑い、彼らの喜びに対し嬉しさで有頂天になりながら、ひとり岩場や森のなかをさまよい歩いた。私の心は私が創造したものに満たされた。そして、ペンを手にして座り、目の前の仲間をできるだけ早く動かすことが、唯一私の胸を躍らせるものとなった。

 この異様な内容の一節では、構想(conception)という語のなかに隠れている性的なメタファーが、多少なりともはっきりとしたものとなっている。これとともに、次の事実も明らかになっている。即ち、ひとり夢想に耽るトロロープの習慣は、これこれの労働時間をかけていくらいくらのページ数を製造するかで価値判断される小説を作ったり売ったりする職人芸に変わったわけだが、しかしそう変化したからといって、この夢想に耽ることの危険性からは決して逃れられていないということである。ここでトロロープが言っていることは、社会のなかの同じものを同じものと交換する回路の中に小説は安全に入っているという定義付けの試みに反するものである。登場人物を生み出すことは、むしろ自己-愛であり、自己-受胎の行為である。トロロープは、ペンを手に、自分の中に自分自身の創造物を宿す。彼は自分自身の中で自分自身を二重化し、登場人物と、登場人物の母体である創造的意識に変わる。そうやって彼は自分自身の中でと[「と」は原文ママ]男性、女性両方の役割を果たし、よく言うように、独力でやる(go it alone)。自己が、創造する自己が、自身の想像力、意識、「良心」(精神の自己-播種の力を表すトロロープのキーワードとしての良心)のみを基にして創り出した想像上の複数の自己になる。この自己-懐胎という「加熱圧搾」の結果は、高揚した感情である。彼の創造力はエクスタシーを生み出し、その中でトロロープは、言わば忘我の境地になる。彼は自分が作り上げた登場人物の、想像の上での涙、笑い、喜びによって、突然に泣き、笑い、嬉しがるのである。彼の登場人物の涙、笑い、喜びは、彼以外に権威はなく、彼以外に源はない。この奇妙な自己-受精という行為によって違法的に、あるいは非合理的に生まれたものが、小説のテクストなのだ。このまがい物の産物は、その後合法的な貨幣として通用する。それは流通し、すでに述べたように、トロロープにとって社会への同化という結果を引き起こす。これは、あたかも見破られないくらいに精巧に作られ、見たところ本物のような贋金を使って金持ちになったようなものである。そしてそれが出回ったとしても、相場全体にはごく僅かなインフレしか引き起こさないので気付かれることはない。トロロープは自分の小説の中に、他者という幻想を作り出すことで、他者のようになることができたように一見見えるが、しかし彼は以前と同じように孤独であり、疎外されていて、同化できていないのである。彼は公に受け入れられている価値基準によっては判断できない、孤立した、異種の人間のままである。彼の小説もまた、そうした価値基準で測ることができないが故に、トロロープ自身に密かに類似している。
 (J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年、128~130)



  • 午前中から二回くらい覚めていたと思うのだけれど、最終的な起床は一二時二五分。それでも久しぶりに一時台に入りこまないうちに起きられたので悪くない。やはり眠りに入る前に脹脛を柔らかくしておいたほうが良さそうだ。起き上がるとなぜかゴルフボールを踏みながら工藤庸子✕蓮實重彦『〈淫靡さ〉について』を読みはじめ、それで一時間くらい使ってしまったのだがこれは正式な読書ではないのでメモは取っていないし、日課記録にも反映されない。そういえば、夢を見た。と言って大して覚えていないが、Tが我が家にやってくる(遊びに来る)段があって、本当に来るのかと確信が持てないままなんだかまごまごしているうちに時間が経ち、家の前にいると母親が林のなかを下りてくる彼女の姿を見つけてこちらに教えた。Tは真っ赤な服を着ていたような気がする。こちらは寝間着だった。そのほか、(……)の住職がなぜか精神科医的なことをやっており、診てもらうことになっているという要素もあった。そう、それで医者に行く用事があったのだがそこにTが来ると言うので、電話をかけて予約を取り消そうかと思いながらもなんだか気が進まなくて躊躇しているうちに来客があったのだった。淡い目覚めのときには夢の内容をちょっと引きずっていて、受診に行くのが面倒臭いな、連絡など入れずにすっぽかしてしまおうかと思っていた。
  • 居間へ。両親とも不在。母親は知人と(……)に行くという話だったはず。父親は知らないが、のちほどクリーニングに出していた服を持って帰ってきた。食事はカレー。新聞を読みながら空っぽだった腹を埋め、皿洗いと風呂洗い。天気は雨降りで、風もあったらしく起きたときには窓ガラスに水滴がいくらか付着していた。
  • 室に帰ると茶を飲みながらまず2020/7/6, Mon.を綴る。三時一五分で完成。音楽はもちろんFISHMANS『Oh! Mountain』である。投稿する段に通知を流すためTwitterをひらいたところ、フランスで「シャルリー・エブド」が掲載した例の「風刺画」を授業中に生徒に見せた教師が首を切られて殺害されたという事件の報に接した。正確には、MDさんがリツイートしていた識者らしき人の、生徒の親のひとりが話している動画を紹介しながら内容をわずかに訳しているツイートを目にしたのだった。この保護者はたしかムスリムだったと思うのだけれど(と言いながらも自信がない)、被害者の教師はムスリムの生徒には「風刺画」を見たくなければ教室を出るようにとあらかじめ促していたと証言していたようだ。授業の主題は「表現の自由」。教師に差別的な意図はなかったと思う、ともこの保護者は述べていた記憶がある。
  • そういうわけでこの事件に関心を持ったのでGuardianに情報があるか見てみようと久々にアクセスすると、発生してまもない事件なのでまだひとつしか記事はない。それを読むことにし、ついでにドナルド・トランプ関連のニュースなどもメモしておいた。

President Emmanuel Macron has said France’s battle against Islamic terrorism is “existential” following the killing of a teacher after he showed his class caricatures of the prophet Muhammad from the satirical newspaper Charlie Hebdo.

Macron, who visited the site near a school in a Paris suburb, said the victim had been “assassinated” and that his killer sought to “attack the republic and its values”. “This is our battle and it is existential. They [terrorists] will not succeed … They will not divide us.”

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The victim was a 47-year-old history-geography professor – the subjects are taught together in France – but also gave the obligatory courses in “moral and civil education”. It was as part of these, and while talking about freedom of speech, that the professor showed pupils, aged 12 to 14, the caricatures. This sparked complaints from a number of parents and one family lodged a legal complaint.

The 18-year-old Moscow-born suspect is said to have shared photos of the attack on social media. Some reports said that he had Chechen roots. He was said to be a “perfect unknown” to the country’s intelligence service, but had a petty criminal record.

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After the contested lesson, an angry parent posted a video on YouTube complaining about the teacher. On Friday night, another parent posted below the video, defending the professor, writing: “I am a parent of a student at this college. The teacher just showed caricatures from Charlie Hebdo as part of a history lesson on freedom of expression. He asked the Muslim students to leave the classroom if they wished, out of respect … He was a great teacher. He tried to encourage the critical spirit of his students, always with respect and intelligence. This evening, I am sad, for my daughter, but also for teachers in France. Can we continue to teach without being afraid of being killed?”

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Macron, sombre and visibly moved, spoke briefly after visiting the college where the murdered professor worked. “One of our compatriots was assassinated today because he taught. He taught his students about freedom of expression, freedom to believe or not believe. It was a cowardly attack. He was the victim of a terrorist Islamist attack,” Macron said.

“This evening my thoughts are with all those close to him, with his family, with his colleagues at the college where we have seen the head teacher show courage in the last week. In the face of pressure [from parents], she did her job with remarkable duty.

“This evening I want to say to teachers all over France, we we are with them, the whole nation is with them today and tomorrow. We must protect them, defend them, allow them to do their job and educate the citizens of tomorrow.”

The education minister, Jean-Michel Blanquer, who was also expected at the scene, tweeted: “This evening, it was the republic that was attacked with this despicable killing of one of its servants, a teacher. My thoughts this evening are with his family. Our unity and our firmness are the only responses faced with the monstrosity of Islamic terrorism. We will deal with it.”

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In January 2015, Islamist terrorists Saïd and Chérif Kouachi gunned down 12 people in and around the Charlie Hebdo offices. The following day, gunman Amédy Coulibaly shot a policewoman dead and killed four Jewish people at the Hyper Cacher kosher supermarket. The Kouachi brothers and Coulibaly were killed in separate shoot-outs with police.

Joe Biden beat Donald Trump in their TV ratings battle from their duelling town hall events, figures showed Friday, while the president faced condemnation over his failure to disavow the QAnon conspiracy theory.

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Biden’s town hall on ABC averaged 13.9 million viewers, CNN reported, citing Nielsen, while Trump’s audience was about 13 million cross three channels. The president’s responses to questions about QAnon were drawing condemnation on Friday.

QAnon’s followers believe that Trump is trying to save the world from a cabal of satanic paedophiles that includes Democratic politicians and Hollywood celebrities. It has been linked to several violent acts since 2018 including at least one alleged murder.

The US president has praised QAnon adherents including a congressional candidate. At a televised “town hall” on Thursday, he repeatedly claimed to be ignorant of the movement, considered by the FBI as a potential domestic terror threat.

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The former vice-president conceded mistakes in a 1994 crime law that led to the mass incarceration of African Americans and promised to take a firm position on whether to expand the supreme court, saying people “do have a right to know where I stand. And they will have a right to know where I stand before they vote.”

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Much criticised for his handling of the Covid-19 pandemic, Trump claimed: “What we’ve done has been amazing, and we have done an amazing job, and it’s rounding the corner.” But more than 63,500 new cases were reported in the US on Thursday, the highest number since July.

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Biden holds a commanding lead over Trump in opinion polls and fundraising. Trump’s campaign, along with the Republican National Committee and related groups, raised $247.8m in September, well short of the $383m raised by Biden and the Democratic National Committee in the same period.

Recovered from the virus, Trump has entered a frenzied spell of campaign rallies in critical swing states but continues to show little message discipline. On Thursday he renewed his attacks against Gretchen Whitmer, branding the Democratic Michigan governor a “dictator” even as authorities announced charges against a 14th suspect in a plot to kidnap her.

Whitmer responded on Twitter: “One week after a plot to kidnap and murder me was revealed, the president renewed his attacks. Words matter. I am asking people of goodwill on both sides of the aisle – please, lower the heat of this dangerous rhetoric.”

  • 英文に触れたのは五時を回るあたりまで一時間ほど。久しぶりに英語を読むことができて良かったと思う。それから少々柔軟をしてのち、アイロン掛けをするために上階へ。母親が帰ってきていた。テレビは録画しておいたらしい『メレンゲの気持ち』を映している。あとで明らかになったのだが、今日の放送分である。それに目を向けながら炬燵テーブルの端に台を乗せてアイロン掛け。テーブル上では父親が何らかの申請書類みたいなものと難しぶった顔でにらめっこしている。年金関連のものだろうか? テレビにはなんとかいう男女の俳優がゲストで出ており、いわゆる「婚活」において書く自己紹介をあらかじめ作っておいたのをおのおの評価されていた。いかに相手からマイナスに思われないかという点が取り沙汰されて、戦略上は正しいことこの上ないし、「婚活」をする当人たちにしてみれば真剣極まりないと思うので当然の工夫だろうけれど、わりあいに薄っぺらいならわしという印象。そのあとはセブンイレブンファミリーマート・ローソンのコンビニ三社の冷凍食品およびスイーツが紹介された。こちらが普段利用するのはセブンイレブンのみだが、最近のコンビニの冷凍食品はたしかに美味い。近頃は買っていないけれど、手羽中とか炭火焼鳥とか普通にうまくてかなり満足できる。このときは牛の炭火焼き肉が紹介されていたので、今度買ってみようと思う。
  • アイロン掛けを済ませるともう食事。カレーの余りをいただくことにし、そのほかは小さな豆腐とキュウリだけでもう良い。豆腐には鰹節とネギを乗せて麺つゆを垂らす。キュウリは細く切り分けて麦味噌を添える。豚汁みたいなスープを母親が作っていてあと味噌を入れるところまで来ていたが、それはもらわなかった。新聞を読みながらものを食べるあいだ、テレビは『子連れ信兵衛』とかいう時代劇を映していて、高橋克典が主人公を務めていたが特に注視はしなかったのでどういう話だったのかわからない。主人公はわりといい加減な感じの雰囲気というか、気楽に飄々と生きているようなタイプらしく見えたが、同時に周囲からは頼られているようで、たぶん実は実力者で締めるときは真剣になって格好良く締めるという造形だったのではないか。新聞は夕刊には強い関心を惹く記事がほとんどなく、主に朝刊をいくらか読み足した。食後、チェックをつけたニュースを含むページだけ切り分けておく。たしかそのときテレビは『人生の楽園』という西田敏行がナレーションをしている番組に移っていて、埼玉県越生町(文字だけ記憶していて読み方がわからなかったのだが、検索したところ「おごせ」と読む)にあるなんとかいうパン屋が取り上げられていたのだけれど、店主らしき高年の女性、灰色の髪をした老婦人がずいぶんと穏やかな顔をしていて印象深かった。罪のまったくない顔というか、福々、というと違うのだが、何か周囲に静かな充足感を波及させそうな表情だ。髪色もあいまったのだろうが山梨の祖母のことを思い出した。やはりああいう顔をできたほうが良いのだろうなあ、と思う。なんとなくやはり鋭利なオーラみたいなものに憧れるところがあるのだけれど、あのような自足的で静かな穏和さを発散できたほうが周りの人間にとっても良いのではないかという気がする。
  • 皿を洗って帰室。緑茶を飲みつつ、先ほど英語の記事を読んだそのついでで、Andy Beckett, "Accelerationism: how a fringe philosophy predicted the future we live in"(2017/5/11)(https://www.theguardian.com/world/2017/may/11/accelerationism-how-a-fringe-philosophy-predicted-the-future-we-live-in)もいい加減読み終えてしまおうと思い、取り組んだ。Guardian誌のThe long readは面白い記事が色々あるのだが、いかんせん長い。いまのこちらの英語力ではだいぶ時間がかかる。しかし読了後はシリーズのページを遡って、またいくつも記事をメモしてしまった。The far rightというカテゴリも覗いて、そこからもいくらかメモ。中身はまだ見ていないのだけれど、タイトルを見る限り、アメリカではfar rightグループが各所で民主党州知事を誘拐する計画を目論んでいるらしく、マジでとんでもない国だなと思う。

Other members of the Warwick diaspora made less controversial accommodations with the modern world. Suzanne Livingston, a former CCRU member, joined the international branding agency Wolff Olins, and used PhD work she had done at Warwick on robotics and artificial intelligence to help technology corporations such as Sony and Ericsson. Steve Goodman set up the electronic music label Hyperdub in 2004, and began releasing skeletal, ominous dubstep records, by the lauded south London artist Burial among others, sometimes with accelerationist messages deep within. “It’s like an onion,” he says. “Our audience are welcome to peel off as many layers as they want – some will make their eyes water, so we don’t force feed.”

Between 2002 and 2014, Goodman also lectured in music culture at the University of East London (UEL), which, along with Goldsmiths College in south London, is a frequent employer of former CCRU members. “The Warwick lot are still a group of friends, devoted and loyal to each other,” says a former UEL colleague of Goodman’s. “That’s the good way of putting it. The other way is to say that the CCRU cult thing never stopped.”

Whether British accelerationism is a cult or not, Robin Mackay is at the centre of it. Besides publishing its key texts through Urbanomic, he has kept in touch with most of his former Warwick comrades, even Land, who he has known, and often defended, for 25 years. But Mackay is a less unsettling presence. Forty-three now, he has lived for a decade in a plain village in inland Cornwall. He met me at the nearest station, wearing a severe black shirt and playing complicated techno on his car stereo, with one of his children in the back.

In the living room of his half-renovated cottage, blinds down against the lovely spring day, Mackay talked about accelerationism and its serpentine history for hours, smoking throughout – an old CCRU habit – and blinking slowly between his long sentences, so deliberately and regularly you could see him thinking. Near the end, he said: “Accelerationism is a machine for countering pessimism. In considering untapped possibilities, you can feel less gloomy about the present.” Mackay said he had experienced periods of depression. His close friend, Mark Fisher, who also had depression, took his own life this January.

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Even the thinking of the arch-accelerationist Nick Land, who is 55 now, may be slowing down. Since 2013, he has become a guru for the US-based far-right movement neoreaction, or NRx as it often calls itself. Neoreactionaries believe in the replacement of modern nation-states, democracy and government bureaucracies by authoritarian city states, which on neoreaction blogs sound as much like idealised medieval kingdoms as they do modern enclaves such as Singapore.

In 2013, Land wrote a long online essay about the movement, titled with typical theatricality “The Dark Enlightenment”, which has become widely seen as one of neoreraction’s founding documents. Land argues now that neoreaction, like Trump and Brexit, is something that accelerationists should support, in order to hasten the end of the status quo. Yet the analyst of accelerationism Ray Brassier is unconvinced: “Nick Land has gone from arguing ‘Politics is dead’, 20 years ago, to this completely old-fashioned, standard reactionary stuff.” Neoreaction has a faith in technology and a following in Silicon Valley, but in other ways it seems a backward-looking cause for accelerationists to ally themselves with.

Without a dynamic capitalism to feed off, as Deleuze and Guattari had in the early 70s, and the Warwick philosophers had in the 90s, it may be that accelerationism just races up blind alleys. In his 2014 book about the movement, Malign Velocities, Benjamin Noys accuses it of offering “false” solutions to current technological and economic dilemmas. With accelerationism, he writes, a breakthrough to a better future is “always promised and always just out of reach”.

In 1970, the American writer Alvin Toffler, an exponent of accelerationism’s more playful intellectual cousin, futurology, published Future Shock, a book about the possibilities and dangers of new technology. Toffler predicted the imminent arrival of artificial intelligence, cryonics, cloning and robots working behind airline check-in desks. “The pace of change accelerates,” concluded a documentary version of the book, with a slightly hammy voiceover by Orson Welles. “We are living through one of the greatest revolutions in history – the birth of a new civilisation.”

  • Andy Beckettを読んだあとは久しぶりにアコギをいじった。隣室から持ってきて、最初は例によって適当にブルースで遊んでいたのだが、そのうちにFISHMANSの"いかれたBABY"の進行でも取っておくかとコンピューターの前へ。「聞々ハヤえもん」というソフトを使おうと思ったところが、なぜか音源ファイルがひらけない。古いソフトだからこのファイルの形式に対応していないのかなと思ってとりあえず最新版をダウンロードしたが、それでも再生ができない。検索してみると、ASIO4ALLをアンインストールすれば音が出るようになるとあったので、そのようにして解決。ひとまずスタジオ版ではなくて『Oh! Mountain』の音源に依拠したのだけれど、ベースはリフ的な感じで進行とぴったり合っているわけでないし、キーボードの和音も聞き取りづらくて二音くらいまでしかわからず苦労する。とはいえ最終的に、Em(7)→F#m7→Bm(7)→D / Em(7)→F#m7→D→D7という感じで行けば問題ないとわかった。これをもとにして多少変えても良いだろう。一周目の後半は、Bm→Bm on Aという感じにしたほうが良いかもしれない。二周目の最後もD on Cでルート音をセブンスにするとなかなか素敵になるように思う。ただ『Oh! Mountain』のイントロ部、歌が入ってくる前ではキーボードがEm→Bm→C#m→Dというような感じで進んでいるような気がして気になるのだが。正確には、二つ目はF#と(その上の)Dが聞き取れ、三つ目ではG#と(その上の)Eが聞き取られる。このG#が明らかにくせ者である。Bmのキーで考えると長六度の音になるわけで、すなわちドリアンモード特有の音だ。イントロのキーボードはB→D→E→F#という、完全にペンタトニックに沿った至極単純な推移でもってトップノートが上がっていくのだが、その三つ目でG#がたしかに聞こえたと思う。イントロと曲中では違うコードワークになっているのだろうか。
  • そのあと『男達の別れ』のほうも調べる。Amazon Musicからダウンロードするのが面倒臭かったので(たしかそれ用のソフトを使わなければダウンロードできないのだったと思う)、YouTubeを利用する。YouTubeはスペースで再生停止できるし、方向キーですこしだけ戻すも送るもできるので、意外と耳コピに向いている。『男達の別れ』の音源では冒頭で佐藤伸治が弾き語りをしているが、これは簡単で、GM7→A7を繰り返したあと、GM7→A7→Bm→Bm / GM7→A7→D→D7みたいな定番の感じでやっていたと思う。最後はGM7にもどって余韻を生んでから本篇へ。
  • 進行がわかるとそれに沿って適当に弾いて遊んだ。ここで適当に遊んでしまうのが所詮その程度というところで、本当に弾き語りをきちんとやるのだったら、ストロークのパターンとか、ポジションとか、こまかな装飾とか、アレンジとフレーズを定めなければならない。そのあたりはまあ追々、というところだ。普通に4ビートでウォーキングしてもわりとはまるような気はする。ただ、こちらはギター一本でウォーキングとコードを両方とも奏でるあの弾き方をできるほどの技量はない。ウォーキングで歌ったあとに、John Pizzarelliみたいな感じで声とユニゾンのソロをやればなんとなく格好良いんではないか。ただしそれができるほどの実力はまだない。
  • 一〇時前まで長く遊んだ。歯に食物の滓が付着しているのが煩わしかったので、歯磨きをしながらシラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年)をほんのすこしだけ読んだ。書見もやはりひとつひとつの文字と言葉をゆっくり丁寧に読んでいきたい。いわゆる「精読」をしたいわけではないのだけれど、しかし実際上、それとおなじことになるのだろう。単にすべての時間をより丁寧に受け取っていきたいというだけのことなのだが。そして、作品を読んでいて気づいたことや感じたことは馬鹿げたように些細なことでもやはりなるべく記録をしていきたいとも思うのだが、実際それはまさしく馬鹿げたように些細な事柄なので、いざ書くとなると記録するのも馬鹿げているような気がして書くのをやめてしまう、ということが往々にして起こるだろう。
  • そのあと今日のことを記述して、一一時ごろ風呂へ。居間に上がると寝間着姿で頭にタオルを巻いた母親だけ。下着を用意して浴室に。湯のなかでは首や肩や頭蓋をひたすら揉んだ。そのかたわら思ったのはふたたび丁寧にものを読みたいということで、本を読む人間というのはやはりたくさん何冊も読むとか、読み終わるとかいうことに囚われてしまいがちだと思うのだけれど、そんなことは本質的な問題ではないわけだ。一〇分とか五分とかしか読まなかったとしても、発生するものが発生するときはあるわけで、それをきちんと受け止められるような心身の姿勢を整えたいというだけだ。「読み終える」という観念はどちらかといえばやはり余計な気がする。蓮實重彦の言い分になってしまうけれど、本を(世界を)読み終わるという事態は、たぶん本質的には存在しないのだと思う。それは死が来るまでは生が決して終わらずにずっと続くということとおなじだが、そこまで考えたところで、生が必然的に終わるという捉え方も何かしら誤ったものなのではないかと思った。つまり通常は、死とはどんな生物にも避けられないまさしく運命であり、生が生である以上、生物が生物である以上、そこには必ず終わりが到来するという風に捉えられている。だからたとえばハイデガーなんかも、不可避かつ絶対的な死の運命性を直視し、それを我がものとして真正に引き受けることで人は生の本来性に目覚める、みたいなことを言ったわけだ(『存在と時間』はもちろん読んでいないので、かなり要約的で、粗雑で、俗流的ですらあるかもしれない理解になってしまっていると思うが)。しかしこのとき風呂のなかでは、死によって生が必ず終わるということではなくて、すくなくとも死が来るまでは生は決して終わらないという、この「終わらない」ことのほうに注目するべきなのではないかという反転的な考えが浮かんだ。「終わらない」ことのほうが、むしろ生の本来性なのではないか。死が訪れてくれば一応そこで生は終わったと見なされるわけだが、実はそこでも生は終わっていないのではないか。生とは本来的に終わらないものなのではないか。ただしそれは、人の記憶が死後も残るとか、その人が書いた文章や作ったものがのちの時代にも受容され続けるとか、ある営みが人の死後も受け継がれて時代を越えて続いていくとか、誰からも完全に忘れ去られるまで人は死んだとは言えないとか、はたまた輪廻転生の実在を本気で主張するとか、そういうことではない。そういったこととはまるで違った事柄や論理として、おそらく生の終わらなさを考えなければならない。だがそれがどういうことなのか、まるでわからない。ただすくなくとも、これは同時に世界自体の存在論へとつながっているはずで、つまり、最終的な起源なるものは存在しない(存在しなかった)のではないか、という考えと結びついているような気がする。この世界そのものに起源があったという発想が、こちらにとってはどこかしら疑わしい。常識的にはいわゆるビッグバンとかいう現象でこの宇宙が誕生したとかいう話になっているわけだけれど、そもそも世界の誕生と宇宙の誕生が同一のものかは不明だし、純粋な無の状態から何かが生まれるという想定自体がこちらにとってはしっくりこない(ビッグバン理論でも原初が「無」だったとは言っていないのかもしれないが)。それよりは、世界はそもそものはじめから(もちろん今現在とはまったくべつの様相で)ずっとあったと考えたほうが、こちらの感覚ではよほど納得できる。そう考えたとき、世界ははじめからあったし、それ以来ずっとあったし、これからもずっとある、ということになると思うのだが、これはおそらくパルメニデスの捉え方である。つまり、この世に「無」は絶対に存在せず、「有」もしくは「存在」しかない、「ある」が「ある」のみ、ということだろう。終わらないことが生の本来性なのだという発想は、おそらくこのことと何かしら関わっている。
  • 風呂を出ると鏡の前で髪を乾かし、保湿液を両手に塗っておく。洗面所を出るとストーブの前(気温が下がってきたので、数日前から石油ストーブが使われはじめた)に干されたタオルなどを畳んでおき、下階へ。部屋にもどって今日のことをここまで記述した。すると一時四〇分。夕食が六時だったから当然の道理として腹が減っている。豚汁を食おうかと思っている。今日は五時ちょうどくらいには消灯したいと思っているので、残り時間はあと三時間強だ。
  • どこかのタイミングで、大西順子『Musical Moments』の最終曲である"So Long Eric - Mood Indigo - Do Nothin' Till You Hear From Me"を聞きながら背を伸ばしたりしたのだけれど、一六分二〇秒に及ぶこのライブ演奏が、以前からそう思っていたけれどやはり名演で、文句なしにすばらしい。冒頭のテーマからして、このあととてもすばらしい演奏が繰り広げられるだろうと予感させるような熱が籠っている。大西順子のピアノは、名演と呼ぶべきジャズがどれもそうであるように、流れるものがおのずから溢れ出てくるという感じの闊達さに満ち満ちている。まさしく霊感を帯びたとしか言いようのない、何かが降りているかのような開放性とよどみのなさである。ベースはReginald Veal、ドラムはHerlin Rileyという馴染みのトリオで、この二人が弾いていればまあリズムが悪くなるわけがないのだが、それにしても、そんなに気張ったことはやっていないように思うのに、強く弾力的で、うねるように快楽的で、三者の呼吸に隙間がない。

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腹が減ったので豚汁を電子レンジで加熱して部屋に持ってきて、それを食ったあとはさらに緑茶も用意した。ポットから急須に湯を注いで茶を作っているあいだ家内に動きはなく、居間にあるのも時計の針の打音のみで、外では遠く、おそらく川の先からパトカーのサイレンがうっすら渡ってくるが、それは静寂を乱しはせずむしろ助ける。すばらしい。この明晰極まりない、鏡のような静寂が夜だ。その底から音楽がはじまりそうな、生まれてきそうな静けさ。こうでなければならない。

  • そのあとは、書抜きや作文、書見など、色々とやりたいことはあったはずなのに、なぜかひたすら怠けてしまって何にも取り組めなかった。消灯も目標の五時をはるか過ぎて五時四三分になってしまった。だらだらしながらも脇腹やら背やら腰やら首やらを指圧していたのだが、やはりおりにふれてマッサージで肉をほぐすことは必要だ。たぶんストレッチで筋を伸ばすだけでも揉みほぐすだけでも駄目で、両方やらないと恒常的なからだのなめらかさは整わないのだと思う。ベッドに転がると今日も膝を使って脹脛をひたすら刺激し続け、だいぶ柔らかくなったところで布団をかぶって眠りに向かった。


・読み書き
 14:25 - 15:16 = 51分(2020/7/6, Mon.)
 16:08 - 17:05 = 57分(Willsher / Smith)
 18:40 - 19:16 = 36分(Beckett)
 21:57 - 22:06 = 9分(シラー: 47 - 49)
 22:18 - 22:58 = 40分(2020/10/17, Sat.)
 24:04 - 25:56 = 1時間52分(2020/10/17, Sat.)
 計: 5時間5分

・音楽