2020/10/21, Wed.

 互いに似てはいないが、割れ目ではぴったり微細な点まで合うという容器の破片のイメージは、翻訳と原作の関係に一致するように思われるだろう。そうした関係では、翻訳は逐語的で正確であり、隅々まで原作に合致していると考えられている。しかし実際にベンヤミンが言おうとしているように思われることは、このようなことでは決してない。翻訳家の任務は、新たな言語で、原作に似ているテキストを生み出すこと(これがベンヤミンのイメージがもっている最もはっきりした意味であるように思われるが)ではない。むしろ翻訳家の任務は、原作の意味作用の有り様、つまりいかなる言語によるものであれ、すべての妥当な文章に潜んでいる「純粋言語」を原作がいかにその内部に記号化しているか、その様相を新しい言語によって具体化することである。これが、すべての言語が志向する非表現的な創造的な言葉である。(……)
 (J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年、170~171)



  • 一二時五〇分頃に確かな目覚めを得て意識が成型された。からだは比較的軽い。軽いというか、こごりはすくない。窓外ではモンゴルの平原じみた巨大な白雲が空を占めているが、水色の穴もあってそこまで暗くはない。一見するととてもその巨大構成物が動いているとは思えないのだが、しばらく目をはずしてからもう一度見たときには、地形がまったく変容しているのだからすごい。
  • 上階へ。母親は仕事。台所の調理台の上にカレードリアとソーセージのソテーがあり、鍋を覗けば煮込み素麺も。洗面所で髪を整えたあと、温めたそれらを卓に運び、新聞を読みながら食事。前夜、夕刊を見なかったので覗くと、「日本史アップデート」の連載は鎌倉仏教についてだった。新仏教と旧仏教が全体的に対立していたというのは不正確もしくは誤りで、中心 - 周縁の二重構造で捉えたほうが良いという話が主流になってきているらしい。そういう見方を主張する人として末木文美士が挙がっていた。参考文献には末木文美士岩波新書および角川選書の著作に、黒田俊雄という人の本、あと講談社現代新書の『鎌倉新仏教の誕生』みたいなやつと、ちくま学芸文庫の『鎌倉仏教』が紹介されてあった。
  • 末木文美士の本は、前者はたぶん『日本宗教史』か『日本思想史』(あるいは岩波新書ではなくて新潮新書の『現代仏教論』だったかもしれない)、それに『日本仏教入門』、黒田俊雄の著作は『日本中世の国家と宗教』だと思う。一九七五年のこの本で、「顕密体制論」だったか忘れたが、ともかく南都六宗と天台真言顕教密教鎌倉時代にもまだまだ中心的な勢力だったという説を提示した旨が記事中に記されていた。講談社現代新書のものは松尾剛次という人の著作。ちくま学芸は佐藤弘夫という人のものだろう。
  • それから今日の朝刊の国際面。いわゆるSwing Stateであるフロリダ州で高齢者のドナルド・トランプ離れが起こっているとのこと。コロナウイルスを軽視する発言に対して生命リスクの高い六五歳以上の人々が不信感を抱いているというが、そりゃそうだろうとしか言いようがない。ドナルド・トランプホワイトハウスから追い出したいと言って民主党の選対事務所に手伝いに来る共和党員もいるらしい。それでもやはり、民主党支持を公言することでサークルの集まりに呼ばれなくなるとか、夫にはバイデンに入れることを秘密にしておきたいとかいうこともあるようだ。個人主義の国アメリカでさえそうなのだ。まるでくだらない話だ。
  • ほか、引き続くタイのデモの話題や("Be Water"というブルース・リーの言葉を標語にして機動的なやり方に転換しているらしい――この文言はKendrick Scott Oracle『Conviction』の(たしか)八曲目でも題材にされているし、そのほかにあとひとつ、何かべつの機会で目にした記憶があるのだが、それがなんだったかは忘れてしまった)、米国が金と引き換えにスーダンのテロ国家指定を解除する方針だとか、米露の新STARTが合意間近の見通しだとかそういう話。食後、皿を洗って風呂も洗うと緑茶を支度。そういえば居間に上がってきたときに、先ほども書いたように雲がひろくてなんとなく不穏な天気だったので、洗濯物をもう入れてしまった。
  • 帰室してEvernoteを準備したりウェブをちょっと見たりしたあと、FISHMANS『Oh! Mountain』とともにここまで記述。現在三時なので、出るまであと二時間しかない。合蹠と座位前屈をやっておきたい。あとはやはり脹脛をほぐしたり、腰をほぐしたりする時間もほしい。日記は一〇月一九日以降が未完。現在当日から遡っていく方向と、溜まっている過去の記事の最古から進んでいく方向の二方向体制を取ろうと思っていたのだが、やはりここは原点回帰というわけで、前から順番に綴って仕上げていくのが良いのかもしれないと思いはじめた。つまり、一〇月二〇日→一〇月一九日といくのではなくて、一九日→二〇日と順々に完成させて投稿していくやり方だ。もともとずっとそうだったわけで、それがなぜかもっときちんとした文で書きたいとかいう欲求に惑わされて時間が多大にかかるようになったために破綻したのだ。このあたりで原初の習慣にもどっておくべきだろう。そして現在時まで記述を追いつかせることができたら、未記述の過去記事をやはり最古から片づけていく。
  • 一九日のことも記したあと、調身。いままで「運動」というカテゴリで時間を記録していたものを、「調身」とすることにした。たぶん禅の語彙だと思う。FISHMANSSuchmosをバックに柔軟を進め、今日のWoolf会で扱うTo The Lighthouseのページも岩波文庫と照らし合わせて確認する。"Under the influence of that extraordinary emotion(……)"というはじまり方の文があるのだが、ここを読んだときなぜか音調がとても良いように感じられた。また、Charles Tansleyには常に"little"がつきまとう。彼を馬鹿にしていた子どもたちだけでなく、彼に対する失礼は許さないと言っていたMrs Ramsayでさえも、"Odious little man"と独白している。
  • 五時前で切って食事へ。素麺の余り。電子レンジに入れたところでインターフォンが鳴ったので出れば、郵便局だと言う。少々お待ちくださいと受けて玄関に行き、母親宛の簡易書留を受け取った。定期健診の促しか何かだったと思う。そうして居間にもどって食事。新聞にはここ数日、渋沢・クローデル賞を受賞した著作の簡潔な紹介が載っていて、今日はジャンセニスムを通して見たフランスの政治と宗教みたいな本が取り上げられていたのだが、その小文のまとめとして、現代日本と無縁な話かと言えばそうでもない、という誘導に続けて一応著者本人の言葉として、ジャンセニスムの信奉者はカトリック教会の権威とみずからの内心のあいだで葛藤するさまが会社と己の意志のあいだで板挟みになるサラリーマンのようで、組織と個人の相克というものはいまの我々にとっても関係のあることだろう、みたいなことが述べられており、あまり釈然としない印象を得た。そういう風に抽象化・一般化すればだいたいどのようなことでも何かしらの意味で「現代」とか「日本」とか「我々」に繋げられると思うが、当然そこでは一七世紀フランスの状況が帯びていた紛うことなき具体性が大きく捨象されるわけで、しかし物事を知るにあたって面白いのは明らかにその具体性のほうだろう。そもそも何かを何かと(多くの場合、遠きを近きに)繋げたり、何かを何かに活かしたりすることばかりが意義として強調されるというか、そうできなければその物事や営みには価値がない(すくなくとも薄い)と判断される風潮にはもちろん馴染みづらい。重要な点において確かに繋がっており、応用可能性があると正確に判断されるならもちろん良いのだけれど、上のような抽象化を施して無理やり筋道をつけても、むしろその研究の持っていた価値や魅力が損なわれてしまうのではないかと思うのだが。一応はそのことの固有性とされるようなものがあるからこそ芸術であれ学問であれ何でも面白いわけだし、そこを突き詰めていった先に見えてくるものこそ、本当の一般性とか応用可能性とかいうものではないのか(これは、「個別的なものの頂点でこそ普遍的なものが花開く」(*1)というプルーストの言葉を繰り返しただけの思考である)。
  • ある物事がある一般性の例となるという精神の働きに関しても昔から不思議だと思っていて、言い換えればそれは帰納および演繹の成立条件ということであり、具体例と一般原則のあいだで変換・通行がなされるときに何が起こっているのか、どうしてそのようなことができてしまえるのかという疑問である。文学に触れはじめて一年くらいした時点で、たとえば小説作品の登場人物の行動を自分の模範としたり参考にしたりできるのはどうしてなのだろう、という疑問を持ちはじめたのだが、それがおそらくひとつの発端になっている。物語の主人公に共感したり、自分もこのようになりたいと憧れたり、こういう状況ではこう行動すれば良いのかという学びを得たり、そういったことはたぶんだいたい誰でもやっていると思うのだけれど、そこで参考源(参照先)となる小説作品というのは、まず第一に(物質的基盤としては)単なる文字(場合によっては音声)でしかなく、良くてせいぜい言語でしかなく、しかも第二にこの世界で現実に発生した物事ですらない(私小説や伝記の類、いわゆるノンフィクションはいったん措く)。その物事が起こるのを現実に目の当たりにしたわけでもないのに、ただの文字言語でしかないものをどうして一例として扱い、自分の行動の参考にできるのだろうか、というのが不思議だった。したがってここには、言語や(いわゆる)エクリチュール、また表象の問題が密接に関わっているが、その中核としておそらく帰納 - 演繹の精神的変換機能の問題が控えている。それはまたメタファーの問題でもあるはずだ。メタファーというか、象徴とかアレゴリーと言うべきなのかもしれず、またそうではないのかもしれないが、ともかくもひろく言って〈比喩〉の問題であることは確かだと思う。比喩の思考、すなわち比べることと譬えることができなければ、まず文学が成り立たないことは自明のはずだし、帰納 - 演繹も比較の認識がなければ成り立つはずがないのだから、〈比喩〉ができなければ科学が成立しないこともまた確かではないか? したがって、科学は文学と、あるいは修辞と、思考原理として不可避的に結びついているし、反対に文学もまた、帰納 - 演繹を欠いて成立するわけがないのだから、両者はいわば〈共犯関係〉にある。いわゆる科学にせよいわゆる文学にせよ、それらを成立させる基底のひとつとして〈比喩〉の思考があるはずなので、したがって脳科学的/生物人類学的に、人間種が〈比喩〉を思考できるようになったのはいつからなのか、という疑問が重要なものとして挙がってくるだろう。この点に関してはむかし中沢新一が、ゲンロンカフェでのトークイベントで(東浩紀と二人で話したときのものだったか、それとも浅田彰もまじえて鼎談したほうの動画だったか覚えていないが)、「メタファー」(という語を用いていたと思う)の発生が人類史において画期的な意味を持ったと言っていたのを覚えている。その詳細は忘れてしまったが、おそらく考古学的な研究の知見などから、「メタファー」という思考操作がいつごろ人間の脳に生まれたのかがだいたいわかってきている、とも言っていたような気がする。
  • 男性のジャズボーカル作品をディグりたいと思ったので、DiskUnionのJazz VocalカテゴリのなかからMaleのみ取り出したページをメモしておく(https://diskunion.net/jazz/ct/sub/0005)。
  • 最近コンピューターの動作がますます重くて非常に煩わしく、鬱陶しく、苛立ちが滲むときすらあり、やはりそろそろ新調しなければならないようだ。
  • FISHMANS "なんてったの"をバックに着替え、"Walkin'"を歌うと上階へ。居間のカーテンを閉め、バスタオルとマットを洗面所に片づけておくと、手指の皮膚ががさついているところに黄色のユースキンを塗って出発。
  • 黄昏時の薄闇に包まれた道に、向かいの家の窓もガラス戸も白く宙を切ったように浮かび、なかから笑い声もいくらか漏れてくる。西へ進めば空の果てでは、もはや陽の色というほどでないが辛うじて赤の感覚を窺えないこともないような白さが一抹、走っている。Sさんの宅の向かいあたりに大きな葉がいくつか落ちていたが、それはそこに生えた柿のものだ。あらわれた三日月は昨日よりも高く、笑みの糸目を縦に立てたように細く印されていた。KさんとYさんの宅のあいだに何か白い花がたくさん咲いていて、宵暗の道では形は定かならずただ白の色として固まるのみで種はわからない。明るいうちに見たとしてもわからないだろう。遠目にはコデマリの感覚に似ていたが、時季でないはずだし、おそらくはあのようにこまかな集合花でもない。
  • 最寄り駅で階段通路を上りながらいつもどおり空に目を放つ。頭上は水色がいっぱいのなかに雲の装飾的な散らばりも多少付与されて、あまりにありがちなイメージだが空を見上げているというよりは高所から海を見下ろしているような視界と映り、その紋切型の比喩がしかしこのときは妙にぴったりくるものとして実感された。仄暗いけれど澄んだ水色に多少明暗の推移もあり、雲の混ざりも寄与して一定でないグラデーションが見られて美しい。ニュアンスという言葉の意味が確かに体現されていた。
  • その後電車に乗って勤務へ。(……)
  • 帰宅後は一〇時過ぎからWoolf会。帰ってLINEを見るとUくんが、疲労で眠ってしまって訳出ができなかったと謝っていたので、岩波文庫を参照しながら意味を確認していくのではどうかと提案。それで本篇はそのように進んだ。この日の参加者はこちら、Uくん、MUさん、Kさん。扱った箇所は以下の部分で、こちらの持っているWordsworth Classicsの版だと10ページ。

 That was the view, she said, stopping, growing greyer-eyed, that her husband loved.
 She paused a moment. But now, she said, artists had come here. There indeed, only a few paces off, stood one of them, in Panama hat and yellow boots, seriously, softly, absorbedly, for all that he was watched by ten little boys, with an air of profound contentment on his round red face, gazing, and then, when he had gazed, dipping; imbuing the tip of his brush in some soft mound of green or pink. Since Mr Paunceforte had been there, three years before, all the pictures were like that she said, green and grey, with lemon-coloured sailing-boats, and pink women on the beach.

  • 意味としてわかりづらいということはあまりないと思う。ここまでですでにかなり難しい部分もけっこう通過してきたので、Woolfの平常の文ならまあこんなもんか、という感じにわりとなってきている。Uくんもそのあたり慣れてきたと言っていた。このまま一年くらい続けられれば、英語の小説ならだいたいどんなものでも臆せずに当たれるようになるだろう。
  • "growing greyer-eyed"というのは岩波文庫だと「目の灰色を募らせながら」という訳になっていて、「募る」などという語を使ったのはなかなか良い。些末な点だが文法的には"greyer-eyed"は形容詞だと思われるから、ここのgrowは自動詞という分類になるはずだ。だんだんとgreyer-eyedな状態になっていく、というようなニュアンスだろう。ほかにもたとえば"grow teary-eyed"で「涙目になる、目が潤む」という表現があるらしい。
  • "seriously, softly, absorbedly"なんてこんな風に"ly"の副詞を三つ連続させるというのも普通はあまり取らない書き方のような気がする。そのあたり音調の問題とも関わってくるだろうがそれはのちほど。"gazing, and then, when he had gazed, dipping;"の箇所は、こちらとしては岩波文庫の訳に多少異論がないでもない。御輿哲也の訳ではその前後はこうなっている。「彼はまるい赤ら顔に深い満足の色を浮かべたまま、しばらく風景を見つめては下を向き、緑やピンクの絵具の小山に筆の先を浸していた」。該当箇所は「しばらく風景を見つめては下を向き」という風に反復動作として短く処理されているのだけれど、それだと原文がわざわざカンマで区分しながら行為の推移を追っているそのリズムが充分に反映されないのではないかと思ったのだ。"gazing, and then, when he had gazed, dipping;"を逐語的に取れば、「(風景を)見つめて、それから、見つめ終えると、浸す」という感じになるだろう。つまり、描く対象をじっと観察し、充分に観察したと思ったら("when he had gazed"が過去完了形になっているので、「観察という行為を終結・完了させたとき」という意味に取れるはずだ)筆を絵具に触れさせて描写にかかるという行動の連鎖があり、それがわざわざ"and then"という挿入的接続を置いてゆっくりとしたリズムに区分されている。そのひとつひとつの部分をここではおのおの訳出し、〈一歩一歩進む〉ようなリズムを和訳にも多少盛り込んでおくべきではないかと思ったのだ(ついでに言えば、御輿訳の「下を向き」という言葉もどこから出てきたのか明確ではない)。
  • あと気になったのは、"all the pictures were like that she said"の"she said"の位置で、カンマもなしにこの箇所に"she said"が付け足されるというのは一般的にもあまりなさそうな印象だし、To The Lighthouseをここまで読んできても同様の書き方はたぶん出てこなかったと思う。一応一文全体を引いておくと、"Since Mr Paunceforte had been there, three years before, all the pictures were like that she said, green and grey, with lemon-coloured sailing-boats, and pink women on the beach"である。これだったらたとえば、"Since Mr Paunceforte had been there, three years before, she said, all the pictures were(……)"とでもして途中に挿入すれば良いような気がするのだが(これはこれでまた、"three years before"の前がわざわざカンマで区切られているのが不思議になってくるが。"Since Mr Paunceforte had been there three years before, she said, all the pictures were(……)"とすれば順当な収まり方になるし、ここまでWoolfもずっとこういう書き方をしていたように思う)。とはいえなぜこうなっているのかと問うてみても明確な答えが出るわけでなし、やはりWoolf個人のリズム感覚があったんでしょうねえというありがちな落とし所になった。そこから、英語の音律を感覚的に理解できるようになるために、英詩を読みたいという話が出た。Uくんが言い出したのだったかMUさんが言い出したのだったか忘れたが、二人とも口を合わせて英詩を読みたいと意欲を見せ、岩波文庫の『イギリス名詩選』を毎回すこしずつ読んでいくのはどうかと案が出された。話を聞いたときこちらは、原文と和訳が見開きで対照的に載っている英国詩人のシリーズのことだと思っていたのだが、そうではなくて一〇〇篇を選んで載せたアンソロジーがあるのだ。平井正穂という人の編訳。Woolf会なので趣旨からは外れてしまうが、そういうことをやるのも良いだろう。こちらも詩は読みたいし書きもしたいし、やはり言語表現を声に出して読むという習慣をつけるのも大事なことだと思う。
  • 英語の韻律法を勉強したいとかそういう話をしている最中に、MUさんが阿部公彦の本のなかにわかりやすい説明があったと紹介してくれた。『理想のリスニング』という著書からの紹介だったのだが、それについて話すMUさんの背景に映っているのは縦に長い本棚と衛生的な雰囲気の白壁で、ここは彼の自宅ではない。実はこの夜、武蔵小杉だったかで人身事故が起こったために電車が大幅に遅れ(一時間半とかそのくらいは回復しなかったはずだ)、それでMUさんは帰宅できないまま鉄道が復旧するのを待たざるを得なくなっていたのだが、画面を見て喫茶店などではなさそうだしどこに入ったのだろうと思っていたところ、勤務先の塾にもどってきたのだと言った。鍵を持っていたので無人の建物に入ることができたのだが、運良く鍵閉めを任せられるような立場で良かったものだ。
  • それでMUさんが紹介してくれたのは「弱強歩格」という音律の作り方で、要は短く弱い発音と長く強い発音を交互に配置するだけのことだが、その代表例として阿部公彦の本のなかで挙がっていた例が『マクベス』の一節だというので驚いた。劇の終盤で夫人の死を知らされたマクベスが虚無的な感慨を吐く台詞の部分なのだが、これはこちらも何年か前に原文で読んだときに、なんかわからんけどめっちゃリズム良くて格好良いなと気に入っていた一節だったのだ。むろん当時の自分に英語の音律などそう定かに感じ取れるはずがなかったし、それはいまも同様なのだが、しかしやはり代表例として挙がるくらいに有名な部分だったのだなと納得したのだった。以下の台詞である。新潮文庫福田恆存の訳も添えておくが、ここでは福田は格調高くてなかなか良い仕事をしていると思う。

MACBETH
She should have died hereafter;
There would have been a time for such a word.
To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.


マクベス あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。
 (シェイクスピア福田恆存訳『マクベス新潮文庫、1969年、単行本1961年、125~126; 5-5)

  • いまあらためて読んでみても格好良いと感じるが、今回気づいたところでは、"the last syllable of recorded time"なんていう言い方がやはりさすがだと思わされる。"syllable"の語である。その点、ここを単に「この世の終り」といって、非常に味気ない、ニュアンスの希薄な一般的な言い方に訳してしまったのはもったいない(その前に使われた「階[きざはし]」なんていう語の選びは悪くないのだが)。ところで、Joshua Redmanが『Walking Shadows』というバラードアルバムを出していたけれど、これはたぶんこの一節から取ったのではないだろうか(ちなみにStingの『...Nothing Like The Sun』もシェイクスピアソネットの一節がもとだったはずだ)。
  • そういう弱強歩格の話を聞いてこちらは、長音と短音が交互に組み合わせるというのは要するにジャズの方面でいうスウィングということだろう、と受けた。よく言われる話で、英語はそういう風にリズム的に波があるから、もともと言語としてジャズのスウィングビート(一拍をだいたい二対一くらいに分けて跳ねた感覚を生み出す演奏法で、いわゆるシャッフルと類似の概念だが、その区分割合は厳密に数値化されず場合によって微妙であり、またジャズにおいて「スウィング」という言葉はこの音楽を特徴づける大きな一要素として(時にはほとんどジャズの本質として)扱われる)に適合的で、したがってやはり英語でないとジャズを歌うことはできず、日本語や日本人の歌唱はどうしてもスウィングしない、とか語られることがあるわけだ。英語でないとどうのというのは普通に胡散臭い言い分だと思うが(ロックの方面でも、七〇年代あたりには日本語でロックはできない、いやできるとかいう議論があったはずだ)、とはいえ確かに英語のほうが声に出して読んでみても明らかにリズミカルだという点は、日々の音読の習慣で感じるところではある(だからといって即座に日本語でジャズはできないという話にはならないし、そもそもいまでは「ジャズ」の概念も音楽的にかなりひろくなっている)。そこからアメリカのポピュラーミュージックの話になって、Uくんは例によってヒップホップの人をいくつか挙げたが(そのなかにたしかNasというラッパーがいたような気がする)、こちらは、五〇年代あたりのジャズスタンダードなんか聞いていてもあのへんのポップスって歌詞としてもかなりレベルが高いですよと言い、Sarah Vaughanの"My Favorite Things"と"Everytime We Say Goodbye"をYouTubeから探してきてURLを貼った(『After hours』の一曲目と二曲目である)。本当のところ言語表現としての水準が高いのかどうかは、英語をさほど読みつけずその感覚を仔細に賞味できないこちらの能力からして断言はできないが、そうは言ってもジャズスタンダードというのはだいたいがもともとブロードウェイ劇の曲とかで、ブロードウェイ・ミュージカルというのはまったく知らないけれどたぶんアメリカ大衆文化の最良の部分のひとつなのではないかと思うし、こちらが触れた範囲では連中の実力というのはやはりなかなかすごい。加えて、上の音源でいうとSarah Vaughanの歌がうますぎて言葉のほうも表現として余計に迫ってくるというところがあるかもしれない。
  • あとDonny Hathawayの名がUくんの口から出たので、"Someday We'll All Be Free"、と返すと、UくんはこちらがDonny Hathawayを聞くとは思っていなかったらしく、なんで知ってるんですかと目を輝かせた。もちろん知っていますよとこちらは受けて、『These Songs For You, Live!』に入っている"Someday We'll All Be Free"が最高だと断言する。Uくんは"Little Ghetto Boy"を挙げるので、あれも最高だという言に全面的に同意し、後半の"Everything has got to get better"の合唱で泣くと言うのにも笑いながら言を合わせた。あれは普通に泣いてしまう。ところでいま、"Little Ghetto Boy"の作者ってDonny Hathaway本人なのかなと思って検索してみたところそうではなく、Edward Howardという人が詞を書き、Earl DeRouenという人が作曲したらしいのだが、このうち後者はHathawayのバンドのパーカッショニストだとすぐに判明した(『Live!』でも叩いており、"The Ghetto"でコンガソロをフィーチュアされているあの人だ)。ところが前者のEdward Howardなる人物の情報がほとんど出てこず、すくなくともHathawayの友人ではあったようだが、彼の仕事として歴史に残っているのはどうも"Little Ghetto Boy"と"Someday We'll All Be Free"と、あと"You And Me"という一曲のみのようだ。ちなみにその検索の過程でLalah Hathawayが(すなわちDonny Hathawayの娘が)"Little Ghetto Boy"をカバーしているライブ音源が存在していることが判明した。『Lalah Hathaway Live!』(https://music.amazon.co.jp/albums/B015SS70A6)である。しかもシングルとして、Terrace Martinがプロデュースし、Snoop DoggとRobert Glasperをフィーチュアした音源もあることがわかってさっそくYouTubeを探したところ、「Lalah Hathaway - Ghetto Boy feat. Snoop Dogg & Robert Glasper (MUSIC VIDEO)」(https://www.youtube.com/watch?v=y2yn6dk5zzE&ab_channel=TVLalah)が出てきたのでおそらくこれだろう。いま聞いてみたけれど、Snoop Doggのラップが良いものなのかどうかはヒップホップを聞きつけない自分にはわからない。Glasperのほうは、ピアノの和音に、あ、これはGlasperだなという確かな色がある。楽理的にどうなっているのかはまったくわからないが、聞けばすぐにわかるRobert Glasper特有のコード構成というものがどうもあるように思われる。あの淡い色合いに澄んだ感触の、端正で綺麗なテンションコードだ。
  • Uくんはこちらがおすすめしていた石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読んだらしかった。気取った感じがかなり強いのではないかと事前に予想していたところ、いざ当たってみれば思ったほどでなく、意想外に明晰でわかりやすいことを言っていた、というような感想だったと思う。いわゆる哲学的な、ごつごつとしたような難解さ、晦渋さとはたしかに違ったタイプの書き手だろう。ほかのテクストから取ってきた概念の濫用とか、特有の言葉遣い(いわゆる「ジャーゴン」)とか、ときおりある理路の見えにくさとか(それはやはり通常言うところの抽象性とか論理の飛躍とか複雑さとかとは違うような気がされ、バルトに独特の記述のつながり方があるのかもしれない――それはもしかしたら、「小説」などの論理に近いのではないか――修辞を媒介にした特有性?)、そういったものをクリアできれば、繊細に洗練された感性のありようを文として感味することのできる稀有な作家である。MUさんは、バルトは哲学書というよりは文学として読めると言った(そういう話をしているとき、なぜか我々はつたない英語で四苦八苦しながら会話していたのだが)。特にキャリア後半の三冊(『テクストの快楽』、『ロラン・バルトによるロラン・バルト』、『明るい部屋』――あと、『恋愛のディスクール』もそこに入れて良いのだろうが、こちらはまだそれを読んでいない)など、バルト自身の言葉を使えば「ロマネスク」なもの、ということになるのだろうけれど、同時に「エッセイ」と呼ばれるジャンルのひとつの方向性における貴重な達成と言っても良いだろう。
  • 途中、MUさんから、焦りを感じることはないですか、とか訊かれたときがあった。そういう質問ではなかったかもしれないが、Kさんとも一緒に、こちらの落ち着きぶりは羨ましい、みたいなことを言われたのだ(MUさんは、「焦る様子を全然見せてくれない」という言い方をしていた)。たしか、同世代の優秀な人や偉大な先人たちと比べて、自分が価値あることをやっていないように思われて焦燥に駆られる、というような話の流れだったと思う。Uくんはそのあたり、いまは大いなる準備期間だと思っているというか、たとえば物語で詳細に描かれることのない主人公の日々の努力の時間をいまやっていると捉えているらしかった。大英図書館(だったか?)に毎日出向いて勉強していたマルクスのようなイメージだろう。彼が心の底から敬愛しきっているニーチェなどは二四歳だかでバーゼル大学(だったと思うが)の教授になった化け物なのだけれど、それは例外としても偉大な連中が後世に残る仕事をしたのはだいたいが四〇代とかだから、そんなに焦ることはないと思っていると言っていた。こちらも昔は、ガルシア=マルケスが『百年の孤独』を書いたのは四十何歳で、とか調べたものだ。『百年の孤独』は一九六七年かそのくらいの作品だったと思うが、ガルシア=マルケスはたしか一九二七年くらいの生まれだった気がするので、たぶんちょうど四〇歳くらいで発表したのではないか。『族長の秋』はそれから八年後の一九七五年だったはずである。とはいえいずれにせよ、あの人は何歳のときにあれを書いていたのだから俺もその歳には……みたいな考え方はいまはまったくしなくなった。MUさんやKさんが優れた仕事をしなくてはという焦りを覚えるとか、他人と自分を比較しておそらく劣等感めいたものをいくらか覚えるとかいうのは、二人が属している(属してきた)業界やこれからの目標、という事情が多少なりとも関わっているだろう。つまり二人は大学という学究施設に所属しているわけで(MUさんはいまは離れているけれど、いずれはもどるつもりだったはずだ)、そこで生き抜いていこうと思ったらやはり他者に評価されるような仕事を着々と実行していかなければならない。二人が教授職などを目指しているのか(つまり大学に残って研究を続けるつもりでいるのか)、それとも博士課程まで学んだら何かべつの業界に移る予定なのか、未来の展望を知らないけれど、ともあれ実績がものをいう世界に所属している限り、しがらみは色々あるだろうし焦燥も感じるものだろう。周りには優秀な人材も多くいるのだろうし、またとりわけ二人においては学問とか研究とかが、これから先、生きていくことと密接に結びついてもいるのだろうから。その点、翻ってこちらの場合はそういう風に論文を書かなければいけない世界にはいないし、そもそもの生の基盤的目標もおのれの人生を一日ごとに死ぬまで記しつづけるというその一点に集約されるので、焦るもクソもないというか、読み書きをしながらただ死ぬまで生きれば良いだけなのだ。最終的にはそれができればそれで良いので、他者に評価される業績を達成するとか、偉大な作品をつくるとか、まあもしできるものならやりたいとは思うが、できなくてもべつに構わないしわりとどちらでも良い。とはいえ読み書きを続けながら独立的に生計を立てていくための方途はいまだ確かなものが見つかっておらず、その点についてはもうすこし焦ったほうが良いのだとは思うけれど。
  • 上と関連していわゆる承認欲求みたいな話題にもなって、承認されたい欲求はないのかと訊かれたのだったか、それともそういうものがなさそうと言われたのだったか忘れたが、僕も何年か前は普通に承認欲求ありましたよと語った。それこそなんか優秀な人と知り合いになりたいとか、こういう文学の話ができる相手がほしいなとか、自分の営みを評価してもらいたいとか、と。それだからたとえばTwitterをやっておよそどうでも良いことを呟いたりもしていたわけだし、それこそUくんと知り合いになった読書会にも出向いたわけだろう。しかしいつからかそういう気持ちはあまりなくなった。いつなくなったのかはわからないし、何かしらのきっかけがあったとも思われないし、どうしてなくなったのかもわからない。もっとも簡単な言い方をすれば、やはり読み書きを続けているうちに自分に自信がついたということになるのだろう。もうすこし凝った言い方をすれば、みずからの特異性を自覚して引き受けたということになるのではないか。ある人の特異性というのは、他人から見てもすばらしい性質とか独創的なオリジナリティのようなものだとは限らないと思う。「これは自分にしかできない」という唯一性の誇大妄想ではなく、「自分にはこれしかできない」という言明形式での、みずからの貧しさと矮小さと必然的な限定性を真っ向から受け入れる姿勢のようなものだろう。他人がどう評価しようが、未熟だろうが、つまらなかろうが無価値だろうがなんだろうが、最終的にはそれをやるしかない、という選択肢のなさではないか。それがみずからでみずからを承認するということであり、己を生きるということではないのか。それが理解できたら、あとはそれにしがみついて執念的にこだわるしかない。これを仏教の方面(だと思うのだが)では「虚仮の一念」と言う。ウィリアム・ブレイクも、典拠がなくて正確な文言がわからないのだが(Hさんがずっと昔にブログに書いていて知った覚えがある)、「愚者がみずからの愚かさに執着し続ければ、それはやがて聖性に至る」みたいなことを言っているらしい。そういう心持ちを持つことができれば、いわゆる承認欲求に振り回されることはなくなるだろう。それだけだとともすれば独りよがりの愚行になりかねないので、当然他者に対する視線と他者を取りこむ度量というものは必要だろうが、基底としては虚仮の一念的な心構えが確立されることが重要である。
  • とはいえ人間、いわゆる承認欲求のようなものを完全に死滅させることはできないと思うし、そうする必要もべつにないだろう。何かを書くにせよ歌うにせよ作るにせよ、そのときやはり、そのものを受け取り何かしらの承認を送り返してくれる存在が、具体的なものであれ観念的なものであれ想定されずにはいられない。自分の場合、観念的な「読者」(もしくは「受け手」)を措けば、それはおそらく、具体的な知人のなかではやはりどうしてもMさんだということになる。そのほか、以前にも話したことがあるし日記にも記したことがあると思うが、強いて言えばこちらが何かを送る先として想定されているのは、まだ見ぬ未来の読者ではなく、こちらが尊敬している先人たちである。むしろ彼ら彼女らしか挙がってこない。こちらの目は未来ではなくて、過去に向いている。そこで念頭にあるのはたとえばヴァージニア・ウルフであり、フランツ・カフカであり、マルセル・プルーストであるわけで、名前の巨大さが甚だしくて大変に身の程知らずなのだが、もっとも簡単に言って、彼ら彼女らが日々頑張って苦しみと愉しみを味わいながら言葉を書くという営みを引き受け、生きたのだから、俺も頑張ろうというだけのことだ。死の直前まで自作の校正を続けたカフカの行為に対して、誰かがこたえなければならないというロマン主義的で恐れ多い固定観念にすぎない(カフカのエピソードに関しては、マックス・ブロートの脚色があるのではないかという話も聞いたことがあるが)。正しくこたえられるかとか相応しくこたえられるかとかいうことは知ったことではないし、そんなことができるはずもないと思うが、こたえようとするだけのことはしても悪くはないだろう。そうするのはもちろん自分でなくても良いし、誰でも良いのだが、ともかく誰かがこたえなければならない、これは確実なことである。もしかしたらすでに誰かがこたえているのかもしれないが、そうだとしても、絶えずまた誰かがこたえつづけなければならない。
  • Uくんがこの日、スケボーを練習していた最中に遭遇した一体験についても語られた。Uくんはいつも土手かどこかでスケボーをやっているらしいのだが、今日は若者が(二、三人だったのか?)練習している彼に話しかけてきた。それでUくんは持ち前の社交性を発揮して色々聞いたり話したりしていたところが、ある時点で若者の反応が冷淡なものになり、最終的にはあしらわれるような感じで立ち去られたのだと言う。本人の予想では、若いな、若いなと何度も口にしたために歳上ぶっていると思われてウザがられたのではないかということ、また好きな音楽とか(ラッパーとか?)色々質問をしたので、面倒臭いおっさんだと思われたのではないかということだ。それでUくんは、世代間のギャップというか、俺も歳を取ったなという寂しさのようなものを感じたらしい。「おっさん」として嫌がられたのか、Uくん個人として嫌がられたのかわからないですよ、などとこちらは意地悪く言って笑ったのだが、MUさんとしても最近の若者は(という枕詞を使った時点でみずからが「おっさん」であることを証明してしまうのだが)自分の趣味とか好きなものについて突っこんで訊かれることを嫌がる、という印象があるようだった。好きなものについてあまりおおっぴらに語りたがらない、というようなことらしい。そのあたりこちらにはよくわからないのだが、Kさんも自分の体験として、好きなものについて熱く語ることがウザがられるという風潮を認識しているようだった。こちらにはそういう経験は思い当たらない。そもそもあまり自分の好きなものを周囲に声高に主張するということがなかったのだと思うが、中学時代にはS.H、高校時代にはバンド周りと、趣味を共有できる仲間がいてなんだかんだ言ってもわりと幸福な環境だったのかもしれない。高校二年のときに文化祭のステージでDeep Purpleの"Burn"をやったら、それまでハードロックなど聞かなかったクラスメイトの一部も興味を持ったということもあったし。思えば一年生のときも、文化祭で演奏をしてから(そのときやったのは"Highway Star"である)ようやくクラスに馴染んだような覚えがある。
  • どういう文脈だったのか忘れたが、MUさんが今日塾の現代文で教えた文章の話もあった。市川正弘という学者がおり、『名づけの精神史』という著作が有名らしく、たしかにこのタイトルはどこかで聞いたことがあるような気がする。早稲田大学だかの過去問でその人の文章が取り上げられていたところ(『名づけの精神史』から取ったものだったのかは不明だが)、生徒が全然わからないと言うので読んでみれば、うーん、という感じで釈然としない感覚を得たらしかった。言っていることはそんなに特殊なことではないのだが、書き方や文体というか、断言調の作法などがMUさんには気にかかったようだ。その場でMUさんがpdfファイルか何かを上げてくれたのを閲覧したUくんは、これは駄目だ、論理が繋がってない、下手くそ、と手厳しく批判していた。こちらも冒頭の二、三段落だけ読んでみたところ、こちらとしては、とりたてて際立った部分があるわけでないが、特に大きな問題はなさそうに思われたし、そんなに読みにくいということもなかったのだが。ただMUさんが気になったのはおそらく、物事を権威的に断言するという身振りが門外漢を遠ざけてしまうのではないか、という点なのだと推測する。事情にある程度通じている読者に対してならそれで良いが、外から来た相手にとっては、そういう調子が壁になって学問とか批評とかに興味を持つせっかくのチャンスを潰してしまうのではないかということを、生徒が苦戦しているのを見て感じたのだとこちらは理解している。そういう方面の基本的な作法として、文章ははっきりと言明して曖昧な言い方はしないという共通了解がたしかにあるはずで、それがときに鼻につくような権威性を帯びるということもあるだろう。こちらとして気になるのは、そういう作法にとらわれてというのかそれが行き過ぎてというのか、はっきりと確言できないはずのことを断言しているような文章である。文芸批評などにありがちなのだけれど、明らかに筆者個人の主観的な事柄でしかない要素や、ひとつの可能性でしかないはずのことをあたかも客観的に共有できる事実であるかのように断定しているのに出会ったときには、苛立ちを感じることがある。権威の蔭に隠れて、断言できないはずのことを無理やり断言して押し通し、不正確な記述を良しと放置するその姿勢のためである。そういうときにはきちんと、「私は~~だと思う」とか、「~~だと推測される」とか、「おそらく~~だろう」とか、曖昧で回りくどい言い方を〈正確に〉書いてほしいと思う。学問業界の作法として論文という形式でそういうことはたぶんやりづらいのだろうが、そもそも、ここまでは確かにわかるという領域とここから先はわからないという領域の境界線をはっきりと確定させて示すのがすべての学問に共通する基本的な仕事なのだから、観察行為と、そこから己が見て取ったことの記述(すなわち、意味の反映 - 表現)における正確性を欠いては、学問という営みは成り立たないはずだろう。主観を書いてはいけないというのではなく、主観はきちんと主観として書いてほしいという話だ。それがわかるということが前提になっていれば、文体が多少断言的になっていても特に問題はない。ところがなぜか言語形式的に、主観的な事柄を共有可能な事実のように記述しているという事態が、文学研究の書物においてもわりと見られる印象だ。そうした粗雑な基盤設定にもとづいた解釈などが、緊密な論理の連鎖と確かな説得力を持つはずもないだろう。
  • MUさんの話を聞いてあと、わからないことに対する姿勢というのがやはりどうしたって肝要になるよなあと思った。今更の話ではあるのだけれど、この世の多くの人間はおそらく、自分にとってわからないことに出会うとそれをつまらないと感じ、ときには無価値だと判定したり、挙句の果てには有害だと見なしたりすることもある。そういう態度を、「わからないけれど、なんか面白そう」という向き合い方に変えていくことが、社会全般的にどうしても重要になると思う(「わからないから、面白い」までにする必要はないと思う)。それを実現するのがたぶん教育という行為のひとつの理想なのだろうけれど、具体的にどうしたらそれができるかというのは全然わからない。ただこちら個人は、音楽にしても文学にしてもずっとそれでやってきたようなもので、とりわけAntonio Sanchezの『Live In New York At Jazz Standard』と、ガルシア=マルケスの『族長の秋』にはじめて触れたときの感覚はまさにそれだった。何をやっているのかまったくわからんけれど、これめちゃくちゃすごいな、ということ。それはやはり知的理解の能力というよりは、自分にとってのっぴきならない衝撃を感知する感性の問題、ということになってしまうのだろうか? もうひとつには、わからないことをわかりたいという欲望が発生するからこそ、学問だのなんだのという営みがいままで成り立ってきたわけである。したがって、すさまじくありふれた言い分になってしまうが、己のうちに発生した疑問を捨てずに突き詰める力を人々に養うということが、教育活動の枢要な目的になるはずだ(この点から見て、現代の中華人民共和国は最悪の国家である)。ただそのとき同時に、真に「わかる」などという事態はありえないのだということも理解させる必要があるだろう。ここまではわかる、ではこの先は? という言表を、知を持った人類は有史以来ずっと繰り返してきたのだと思う。人類が滅ぶまでそれが永遠に続くというのが、学問であり芸術である。真にわかることがありえないからといって、わかろうとする欲求や努力を捨てなければならないということにはならない。そうした反転的な発想は、〇/一〇〇の二分法が生み出した悪しき産物なのだが、現在の世にはこの悪しき二分法が大手を振って蔓延しているような印象を受ける。これはおそらく、物事はそれにしかるべき形で終結しなければならない、という物語的感性の問題でもある。なぜか多数の人々は物語の未完をひどく嫌い、作品というものは完結しなければならないと無根拠に思いこんでいるようだ。完結していない作品は面白くないし、読む気にならないという人も多いと思う。そんなわけがないだろう。作品は完結していなければ面白くないというのは、メタファーで言えば、自分が死なないと自分の生は面白いものにならないというのとおなじことである。もしくは、死期が確定的にわからないと生を生きる気にならない、ということだろうか? いずれにしてもこれは生と死の問題、とりわけ死の捉え方に連なるテーマだということになる。
  • 知的欲望で言えば、ギターとか音楽は独学が多いとかいう話題から、欲望を習うことはできるかできないかみたいな話になって(まさしく欲望することを教えることができるのか、というのがすべての教育活動の核心に位置している問いだろう)、そこでラカンの理論が多少触れられて、インターネット上にあった図表などが紹介されもしたのだが、精神分析関連のことはこちらにはよくもわからない。(……)
  • Woolf会について記録できるのはそのくらい。そのあとはシラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年)の書抜きをしたり、新聞記事を写したり、日記を書いたりしたようだ。
  • 62: フランツ: 「さあ、この包みをもって! このなかに、おまえのやることが、残らず書き込んである。それから、別の書類がある、どこを突いても疑いようのない証拠の書付だ――」: 父親を(カアルが死んだという偽報でもって)驚かせ、死に至らしめようという目論見は、ヘルマンが現れる直前、57ページではじめて思いついたはずなので、なぜ「包み」があらかじめ用意されていたのか、あるいはいつ用意したのかという疑問が出てくる。ここの台詞にあらわれている事前の計画性と、それ以前の場面描写とのあいだに矛盾が発生するわけである。リアリズム的観点で辻褄を合わせるならば、目論見を得て以降、ヘルマンとやりとりを交わしているあいだに用意をしたという理解になり、実際にこの劇を舞台で演じる際にはそういう演出を加えたほうが良いのかもしれない。だが、この矛盾は特に意味はないというか、たぶんそういうもの、というだけのことなのだと思う。シェイクスピアでもいきなり時間がめちゃくちゃ飛んで物理法則的には明らかに矛盾しているようなことがときどきあるのだけれど、おそらくそれとおなじようなことなのではないか。
  • 62: ヘルマン: 「たとえ弾丸が筒のなかへ逆もどりして、打ったやつの腹わたへ暴れ込むようなことがあっても、大丈夫です――」
  • 62~63: フランツ: 「獲物は、おまえのものだぞ、ヘルマン!――牛の仕事は、穀物の車を納屋のなかへ曳き込むことだ、あとは草でも食って我慢しろ。きさまには、牛小屋の掃除女が、ちょうどいい、アマリアどころか!」: フランツ: 悪党ぶり/二面性/自己中心性。
  • 63: アマリア、老モオルについて: 「眠っておいでだわ。(眠る老人のまえに立つ。)何というお美しさ、何という神々しさ! まるで絵にある聖者のお姿のような、この神々しさ――」: 意外。それまでの印象からのギャップ。
  • 64: 「あれの誕生日に、素馨[ジャスミン]の花の咲く四阿で、おまえがこれを描いたのだったな?」(老モオル): 「素馨」の「四阿」→金井美恵子カストロの尻』を想起。

 (……)薄っぺらな粗悪な紙を束ねた小説の残骸(と言っては、いかにも小説の内容について言及しているようなので、破片、あるいは、聞こえの良い言い方をすれば断片)のページに何枚か入っている優美な線描のさし絵の中に描いてある胡同の庭の四つの端がそりかえった屋根のある四阿[あずまや]――池の中央の島にあって、主人公の女と恋人は、そこで人目をしのんであいびきをする――に吊り下げられている絹地を張った小さなランタンにそっくりな朱色の塗りがはげ落ちて錆の浮いた残骸(女主人公は胡同の中の古い四合院と呼ばれる屋敷に住む若い第三夫人で、池と四阿の場所や位置関係を熟知しているから、先にそこへ行き、小さなランタンにあかりを点して恋人が来るための目じるしにするのだが、やがて、あかりは熱い吐息によって吹き消され、恋人は着ていたバーバリイの外套を脱いで床に敷き、横たわった若い第三夫人の細っそりした腰に腕――芸術家らしいので、たくましくはないかもしれないが、その男が彫刻家だったら、がっしりした体型だったかもしれない――を回してそっと抱き、スリットの入ったたった一枚の布を二つにたたんで作っただけなのに、無限のニュアンスを布地とそれをまとう肉体の特質が生み出す東洋のドレス、と物語の作者が描写する支那服の小さな布製の細工ボタンを外し裾を片側にたたむようにして脚を開き、池の上をカエルの鳴き声と晩春の微風が渡って小波がゆらめき、もちろん、庭のジャスミンの甘くかぐわしい香りが四阿の二人を新月の夜の部厚い柔らかな闇――屋敷の者たちは寝しずまっている――と一緒に包みこむのである)(……)
 (金井美恵子カストロの尻』(新潮社、二〇一七年)、148~149; 「「胡同の素馨」」)

  • 65: アマリア: 「死というものは、ほんのひと飛び、飛ぶようなものでございますわ、ちょうど人が、一つの考えから、もう一つのもっと美しい考えに移ってゆくように――」


・読み書き
 14:28 - 15:46 = 1時間18分(2020/10/21, Wed. / 2020/10/19, Mon.)
 21:16 - 21:42 = 26分(シラー: 59 - 67)
 28:06 - 28:32 = 26分(シラー: 書抜き / 新聞)
 28:45 - 29:38 = 53分(2020/10/19, Mon.)
 29:38 - 29:58 = 20分(シラー: 74)
 計: 3時間23分

  • 2020/10/21, Wed. / 2020/10/19, Mon.
  • シラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年): 59 - 74 / 書抜き: 20 - 21, 65
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月4日(土曜日)朝刊: 3面

・音楽