2020/10/26, Mon.

 ある意味で、批評的差異を生じさせることは、しかるべき批評すべての目標と言えるだろう。批評[﹅2]〔criticism〕という言葉はまさに、「分離する、あるいは選択する」、すなわち差異を生み出す〔differentiate〕ことを意味するギリシア語の動詞 krinein に由来している。批評家はテクスト間の差異を見積もるための基準を確立しようとするだけではなく、自身が読むそれぞれのテクスト内に無類に異なる何かを読み取り、そうすることで、他の批評家たちとは異なる自身の独自な差異を確立しようとするのだ。しかし、バルトがテクストの差異について語る時に意図していることはそれとはかなり異なっている。『S/Z』の最初の頁で彼はこう書いている。

こうした差異はもちろん、(文学的創造という神話的な視点に応じるような)何らかの満ち足りた確たる特性などではない。それは各テクストの個別性を示し、それに名を与え、署名し、花押し、それを完結させるものではない。それは逆に、止まることなく、無限のテクスト・言語活動・体系と連動する差異、すなわち、それぞれのテクストがその回帰であるような差異なのだ。(p. 9/五頁)

別言するなら、テクストの差異とはその唯一性、それ独自の同一性ではない。テクストがそれ自体と異なっていくという事態なのだ。そして、こうした差異は再読の行為においてしか感知されない。フロイトの表現を用いるなら、テクストの意味するエネルギーが反復のプロセスを通じて解き放たれるという事態だが、ここでの反復は同じものの回帰ではなく、違うものの回帰を意味している。換言するなら、差異は一つの同一性を別の同一性と区別するものではない。それはあいだの(あるいは、少なくとも別個の単位間の)差異ではなく、内部の差異なのだ。テクストの唯一的な同一性を構成するどころか、まさに同一性という概念を転覆するもの、テクストの諸部分や意味を総計し、総体的・総合的な全体に達する可能性を無限に繰り延べるものなのである。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、4~5; 「1 批評的差異 バルト/バルザック」)



  • 一一時半ごろ、出し抜けに覚醒。直前まで夢を見ていたのだが、その内容はすでに忘れたし、目覚めた時点からしてほぼ失われていた。今日もまた快晴。カーテンを開けて、すでに窓ガラスのだいぶ右方に偏っている太陽から顔に光を取りこむ。布団の下から抜け出したのは一一時三六分だった。コンピューターを点けておき、首の後ろを伸ばしたり、腕を前後に突き出して筋を和らげたりしてから上階へ。
  • 母親がいる。父親は会館に行っているとか。洗面所でうがいをしてから、風に煽られたように持ち上がっていた髪の毛を濡らして整え、炒飯などを用意して食事。新聞から核兵器禁止条約関連の話などを読む。「1000字でわかる」シリーズが帝国軍人を取り上げており、大木毅という人が書いていたが、これはたしか岩波新書の『独ソ戦』の著者ではなかったか? と思っていま確認するとやはりそうだった。
  • 皿と風呂を洗うと緑茶を支度。母親は仕事に行った。こちらは昨日の歩行で脚や肩がいまだに固く疲労している。特に、首の右側の筋がなぜか痛い。帰室すると茶を飲みながらゴルフボールを踏んで足裏をほぐす。途中、一時を過ぎたころに父親が帰ってきた気配が階上に生じた。一時半までからだをメンテナンスすると、デスクに就いてここまで記述。
  • それから一〇月二一日のことも記述し、二時を越えると洗濯物を取りこみに行った。ベランダに出るとじりじりというほどの強さもなくて柔らかく肌に乗る陽射しがたいそう気持ち良く、やはりいくらかでも日向ぼっこをしたくなったので、室内ではなくベランダの床に溜まった淡い光のなかでタオルや衣服をたたんだ。集合ハンガーからタオルを取る際に、揺れた金属製の洗濯挟みが陽射しを弾く。あぐらをかいて心地良い温もりに浸っていると、精神安定剤を飲みはじめてまだ何年も経っていなかった頃のことを思い出す。安定剤の効力がまだ心身として感覚できていた頃は、春など薬を飲んで陽光の下を歩いているとそれだけでなんとも言えない恍惚感を味わっていたものだ。今日の陽射しも、恍惚とまでは行かないがかなり安穏としたものだった。服をたたんでいると、埃というか繊維の微細な屑のようなものがほろほろ立ちあらわれて、宙に逃げていく。風がときおりゆるく湧いて、肌の上の微熱をつかの間散らし、涼しさで中和してくれる。空の青さははっきりと濃く、明晰で、雲の白さも固体的にしっかり詰まったものである。
  • タオルや足ふきマットを洗面所に運んでおくと階段を下り、両親の寝室を通って下のベランダにも出た。そして干された布団を取りこんでおくと帰室。三時まで書いてから休むかと二一日分を進め、それから今日のこともまたついでに記しておこうとここまで綴ったので、結局いま三時二〇分に至ってしまっている。
  • (……)さんのブログを読んだ。五月二九日と三〇日。中国の学生から届いたメッセージのなかに、「木津川昭夫という詩人の「六月」という詩作品」が紹介されていたと言うが、こちらは全然知らない名前だったのでメモしておいた。いまWikipediaを見たところでは、北海道出身の人で(岩田宏と同様)一九九七年に小熊秀雄賞を受賞している(小熊秀雄岩田宏が敬愛していた詩人)。色々な同人誌に参加したようだが、そのなかに「文芸首都」の名前がある。これはたしか中上健次津島佑子が参加していたやつではなかったか? と思って検索を続けると、やはりそうだった。そのほかジジェクの引用。

 少なくともこれが今日の、つまり「ポスト・イデオロギー的」とみずから称している時代における、信仰の支配的な状況だと思われる。ニールス・ボーアは、「神はサイコロを振らない」と言ったアインシュタインに対し、的確な答を返した(「何をすべきかを神に命令するな」)が、彼はまた、物神崇拝的な信仰否認がいかにしてイデオロギー的に機能するかについての完璧な例を提供してくれる。ボーアの家の扉には蹄鉄が付いていた。それを見た訪問者は驚いて、自分が蹄鉄が幸福を呼ぶなどという迷信を信じていないと言った。ボーアはすぐに言い返した。「私だって信じていません。それでも蹄鉄を付けてあるのは、信じていなくても効力があると聞いたからです」。おそらくこれが、生活と世界の中心的カテゴリーとして「文化」が浮上してきた理由である。宗教に関していえば、われわれはもはや「本気で信じて」はおらず、自分が属している共同体の「ライフスタイル」への敬意の一部として、たんに(さまざまな)宗教的儀式や行動に従っているにすぎない(たとえば、信仰をもたないユダヤ人が「伝統に敬意を表するため」にユダヤの伝統的料理規則に従う)。「本気で信じてはいない。たんに私の文化の一部なのだ」というのが、われわれの時代の特徴である、遠ざけられた信仰の一般的な姿勢であろう。「文化」とは、われわれが本気で信じず、真剣に考えずに実践していることすべてを指す名称である。だからこそわれわれは原理主義的な信者たちを、本気で信じている「野蛮人」だ、反文化的だ、文化への脅威だとして軽蔑するのだ。
 どうやらわれわれがここで論じているのは、ずっと昔にブレーズ・パスカルが描き出した現象のようだ。パスカルは、信仰を持ちたいのに信仰への飛躍がどうしてもできない非信者への助言の中で、こう述べている。「跪いて祈り、信じているかのように行動しなさい。そうすれば信仰は自然にやってくるだろう」。あるいは、現代の「断酒会」はもっと簡潔にこう言っている。「できるふりをしろ。できるようになるまで」。しかし今日、文化的ライフスタイルへの忠誠心から、われわれはパスカルの論理を逆転する。「あなたは自分が本気すぎる、信じすぎると思うのですね。自分の信心が生々しく直接的すぎるために息苦しいのですね。それなら跪いて、信じているかのように行動しなさい。そうすれば信仰を追い払うことができるでしょう。もはや自分で信じる必要はないのです。あなたの信仰は祈りの行為へと対象化されたからです」。つまり、自分の信仰を大事にするためにではなく、信仰が侵入してくるのを追い払い、一息つくスペースを確保するために跪くのだとしたらどうだろう。信じる――媒介なしに直接に信じる――という苦しい重荷を、儀式を実践することによって誰か他人に押しつけてしまえばいいのだ。
 (スラヴォイ・ジジェク鈴木晶訳『ラカンはこう読め!』より「相互受動的な主体――マニ車を回すラカン」p.58-62)

  • あと、「おもては小雨。傘をさしたまま車道の真ん中を後ろ歩きしてくるジジイがいて、新手のUMAかと思った。時代が時代なら新種のもののけとして人口に膾炙したことだろう。ジジイはこちらの存在に気づいても奇行を続行した。年寄りは自意識が完全に死滅しているので羞恥心などという俗っぽい感情をおぼえることがない。無敵なのだ」という記述に笑いを禁じ得なかった。「新種のもののけ」という言葉選びは笑う。
  • この日のことはほとんどメモされていないので、ほかに思い出せることはあまりない。習慣としてペットボトルに水を用意しておき、就床前に飲むようにしようと決めたのがひとつ。出勤路では最寄り駅から見上げた西空が澄んでおり、きんと音が鳴るかのごとく張っているようなライトブルーで、濃く沈んだ雲の影がそこにいくらか散っていた。
  • 帰りの電車内では(……)と遭遇。「赤い公園」というバンドの、リーダーだかわからないがギターボーカルの人が先日若くして亡くなったのだが、(……)はこのバンドが好きでけっこう聞いていたらしく、ショックを受けたとのことだった。その音楽を聞いたことはまったくないが、訃報自体はこちらもTwitterのトレンドで見かけていた。たしか立川出身のバンドだと言っていたと思う。(……)いわく件のメンバーは「天才肌」の女性で、作詞も作曲も一手に手がけており、コロナウイルスの世相もあいまって色々と重圧や気の滅入ることがあったのではないかとのこと(正確な情報としてどうなっているのかは知らないが、つまり(……)はこの女性が自殺したと考えているということだ)。
  • どうせなので(……)の家のほうから帰ることにして雑談をしながらともに歩き、彼の家の前に着いてからもちょっと話した。すると(……)が、植物を育てているので見て行ってくれと言うので、隣の敷地を画す塀とのあいだの細い隙間に立ち入り、そこに雑多に置かれた鉢植えなどを見物した。(……)が植物を育てるのが好きだったとはまったく知らなかったが、けっこうな数があった。世話をしていると心なごむらしく、毎朝水をやってから仕事に行くと言う。なかなか良い趣味ではないか。土産としてハバネロを一粒持たせてくれたので、帰ったあとで母親に話し、冷蔵庫のなかに入れておいた。本当にめちゃくちゃ辛いから、料理に入れるのはほんのすこしだけで良いと(……)は力説していたのだけれど、後日使ったところではまったく辛くなかった。不可解。
  • この日はまた(……)からメールが届いていた。先日もらったメールに返信をせずに放置してしまい、忘れかけていたので、この翌日に謝って返事を送っておいた。


・読み書き
 13:34 - 14:10 = 36分(2020/10/26, Mon. / 2020/10/21, Wed.)
 14:36 - 15:20 = 44分(2020/10/21, Wed. / 2020/10/26, Mon.)
 15:22 - 15:56 = 44分(ブログ)
 16:38 - 17:01 = 23分(記憶 / 英語)
 28:15 - 28:28 = 13分(新聞)
 28:28 - 28:50 = 22分(2020/10/21, Wed.)
 28:51 - 29:12 = 21分(シラー: 104 - 111)
 計: 3時間(日記: 1時間42分)

  • 2020/10/26, Mon. / 2020/10/21, Wed.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-05-29「北国の暮らしの身ぶりを南国で演じ続ける役者のように」 / 2020-05-30「間に合わせの詩句で埋める奪われた名前の後に残る余白を」
  • 「記憶」: 164 - 165
  • 「英語」: 187 - 194
  • 読売新聞2020年(令和2年)7月5日(日曜日): 1面
  • シラー/久保栄訳『群盗』(岩波文庫、一九五八年): 104 - 111

・音楽