2020/11/20, Fri.

一方にバッド/クラガートという形而上的な葛藤、他方にヴィア艦長の読み。両者の対立を引き起こす根本的な要素は一語で要約できる。歴史である。純朴な読み手や皮肉な読み手は、言語に絶対的・無時間的・普遍的な法(動機づけられたものとしての記号、もしくは、恣意的なものとしての記号)の作用を押しつけようとする。一方、軍[﹅]法という問題が物語内に現れて、法をまさに歴史的現象として暴き出し、読みの行為すべての条件には、コンテクスト的不安定性という要素があることを強調する。恣意性と動機づけ、皮肉と字義性は、言語がそのあいだで恒常的に揺れ動く媒介変数だが、歴史的コンテクストだけが、それぞれの読み手に、両者がいかなる比率で感知されるかを決定する。(……)
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、173~174; 「6 メルヴィルの拳 『ビリー・バッド』の処刑」)



  • なんと、九時前に起床することに成功した。自分で信じられない。滞在はわずか四時間ほどとなったのだが、そのわりにはっきりと軽い頭で目覚めて、あれ、これ起きられるなと思ってそのままからだを持ち上げたのだ。水を飲む必要もなかった。一見して心身の感覚に乱れもなく、よくまとまっているのだが、しかしより覗いてみると奥のほうにやはりかすかな眠気の芽が窺えるようで、あとでまたちょっと休むかもしれない。窓外の空模様はここ数日の晴れがましさから一転して、仏頂面めいた完全な曇りだった。
  • 尿意がかさんでいたのでとりあえず便所に行って小便を排出し、もどるとドストエフスキー江川卓訳『悪霊(下)』(新潮文庫、一九七一年/二〇〇四年改版)を手に取りひらいた。起床直後から本を読む余裕のある生活、すばらしい。これが生だ。就寝前にもう解説の終盤まで読んでいたので残りは一〇ページ程度、年譜を飛ばさず仔細に読んで読了した。ドストエフスキーは一八二一年から一八八一年まで、ちょうど六〇年ほどの生涯で、父親はモスクワの病院の医者でありそこまで富裕者ではないにせよ土地持ちだったらしいのだが、彼は作家が一八歳のときに、持村の農民に恨みを買って「惨殺」されたと言う。ドストエフスキーは工兵学校に通い、卒業後は短いあいだ工兵として勤めていたが、仕事はジャガイモみたいに飽き飽きしたと言って専業作家の道に入り、第一作の『貧しき人々』が好評を持って受け入れられ、文壇にデビューする。この作品の原稿を読んで感動した親友二人が、朝の四時にドストエフスキーを叩き起こし、「新たなゴーゴリ」の誕生を祝福して当時の批評界の大物だったベリンスキーに紹介したと言う。その後なんとかいうフーリエ社会主義を奉ずる人のグループに接近し、秘密印刷所設置計画に関与した廉で逮捕され、シベリアに送られる。四年の刑期をつとめてもどってくると、獄舎の体験をもとにした『死の家の記録』などを発表してふたたび文学界に返り咲いた、という経緯らしい。生涯に二度ほど外国旅行に出ており、そのたびドイツかスイスあたりで賭博に耽って一文無しになったらしく、ツルゲーネフに金を借りているのが笑える。『悪霊』は一八七一年くらいの発表だからもうだいぶ生も押し詰まった時期の作品だ。七〇年代の後半くらいからは『作家の日記』というものを連載し、これは文字通りの日記ではなくて評論とか回想とか短篇とか色々混ぜて自由にやった文章らしいのだが、地元の図書館でドストエフスキー全集を覗いたときにちょっと気になっていた。この連載によって彼はさらに評判を高めることになったと言うのだが、すくなくとも日本では全然有名でないと思うのでそれはちょっと意外だ。『カラマーゾフの兄弟』が死の直前くらいに出された最後の作品だったというのもはじめて知った。おなじ頃、プーシキン記念像の除幕式で演説して聴衆に大変な感銘を与え、名声をいや増し高めたらしいが、そのすぐ数か月後に肺動脈だったか喉の動脈だったかの破裂で死ぬことになる。
  • 九時四〇分で読了するとコンピューターに寄って、Evernoteで今日の記事を準備しておき上階へ。母親がいた。父親は千葉に行くとか。もう十何年か前に自殺した兄の墓参りだろう。一年に二回くらいは行っていると思う。髪の毛を櫛付きドライヤーで梳かすと久しぶりにワックスを前髪につけてちょっと流しておき、昨日のスンドゥブの余りを温め、ハムエッグを焼いて食事。新聞は例によって国際面を見る。北部ティグレ州と政府軍の戦闘が続くエチオピアの状況に対して、ノーベル賞委員会が戦闘停止を呼びかける声明を出したと言う。エチオピアの首相だったか大統領だったか忘れたが、アビーなんとかみたいな名前の最高指導者に、昨年、エリトリアとの和平を成立させたことを理由にして平和賞を与えたためである。ほか、オーストラリア軍の一部兵士がアフガニスタンで行った蛮行について内部調査が終わり、警察当局にさらなる捜査がもとめられたとのこと。捕虜や民間人を(たとえば人を殺したことのない兵士を、殺人に慣れさせるという名目で)必要性なく殺害したケースがあったと言う。
  • 食器を片づけ、風呂を洗って緑茶を仕立てて帰室。今日のことをここまで記せば一一時半前だ。やはりだんだん眠くなってきた。あとでちょっと仮眠を取ったほうが良さそうだ。今日は四時頃からの労働。久しぶりに電車に乗らず徒歩で行こうかなと思っている。
  • 呼吸を意識し続けることで現在時にとどまるという方法論をおりにふれて述べているが、重要なのはむしろ呼吸よりもやはり停止することではないかという気がしてきた。からだの動きを停めるということだ。もちろん何かをやっているあいだ、からだのどこかしらは動いていることになるのでその部分は停められないが、それ以外の余計な動きをなるべくなくすということで、そのためには姿勢を基本的に不動状態に保つことが肝要になる。一語で言えば、やはり調身が大切なのだ。調身というのは禅語だと思うが、記憶が定かでないけれど南直哉の説明によればたしか、座禅のときに心がけることは、調身→調息→調心の順番ではなかったか? たしかまずは姿勢を一定に保つことをとにかく頑張る、みたいなことを言っていた気がする。そうするとおのずから呼吸も調ってきて、呼吸が調えばおのずから精神も落ち着いて静まっていく、ということではなかったか。
  • 宗教性(宗教的感情もしくは心性)と呼ばれるものの本質は、一個の自分よりもはるかに大きな存在や領域があることを実感し、それに対して敬意を覚えるということではないか。これが正しいとすれば、すくなくともその点では、いわゆる宗教も芸術も哲学も科学も根本的に違いはないと思う。要するに、概念的に超越と呼ばれる領域に対するなんらかの姿勢を提示しているという点は、それらすべてに共通しているはずである。すこし違う言い方をすれば、いま目の前に見えているものとはべつの、いま目の前に見えてはいない世界があるということをまざまざと知り、その探究に向けて駆り立てられる欲望ということで、すくなくとも西洋哲学は原初以来それをひたすら繰りかえしているのではないのか。プラトンがもちろん典型的だし、それ以前のタレスからしてすでにそうだろう。もっとも根本的な形では哲学や宗教や神話がそれを示してきたのだと思うが、この姿勢自体はあらゆる学問と知の営みが共有しているもののはずである。
  • 日記を書いたあと、ふたたびベッドに転がって、プラトン/久保勉訳『ソクラテスの弁明・クリトン』(岩波文庫、一九二七年初版/一九六四年・二〇〇七年改版)を読みだした。ほかには短歌(石井辰彦や藤原龍一郎与謝野晶子など)や、ショアー関連や、フーコーなども読みたいような気はしている。とにかくやはり、なんでも良いので毎日ガンガン読むことだ。『弁明』は、読んでいて気になることや思いつくことは色々あるが、それをいちいち記しておく気になるかは不明。というかいま書を離れて日記を書いていてもどのようなことが気になったのかあまりはっきりと思い出せず、したがって厚みを持った思考を生んではいなかったのだ。ソクラテスが例のデルフォイの神託を受けて智者とされる人々に会いに行き、そのことごとくが実は善美について何も知っていないくせにそのことを自覚していなかった、と有名なエピソードを語る部分まで読んで切り。
  • この日はたしか久しぶりに徒歩で出勤したのではなかったか。裏通りで騒がしい高校生らにたびたび追い抜かされて、高校生ってのはなんでみんなあんなに賑やかなんだろうなと思った。まあみんなではないのだけれど、けっこうな割合のやつらがほとんど狂ったかのようにはしゃぎまわっているのはいったいなんなのか。あの元気というか、何の理由も意味もない純粋な騒々しさというか、友人と一緒にいて楽しいというのはもちろんわかるが、何が彼ら彼女らをあそこまで駆り立てるのかが不可思議だ。あと喋り方もいかにも締まりがなくて弛緩していて、あの高校生とか一〇代後半くらいまでの男女に見られる感じというのはいったいなんなのか。しかもあれが程度に差はあれ、歳を取って世を知るにつれてだんだんと、おのずから陶冶されていくというか叩き上げられてくるわけだろう。しかしそういうこちらも、高校生の頃はもしかしてああいう締まりのない喋り方だったのだろうか? それはないか。そもそもあまり口を大きくひらかず、声が小さかったはずだし、もっとモゴモゴしていただろう。
  • もはやとうに花を終えて枝も伐られたサルスベリの裸木を見て、今年はこの道のサルスベリが咲いているのを全然見なかったなと思った。たぶん一回か、せいぜい二回ではないか。それだけ歩かずに電車に乗っていたということだ。ハクモクレンは大きな葉っぱの群れをだいたい黄色に染め上げて、そろそろ一気に落としそうな雰囲気だった。
  • 勤務中のことは記憶にない。働くのは面倒臭い。そういえばこの日の夜、風呂のなかでは久しぶりに塾講師なんていうクソみたいな仕事はやってらんねえと思った記憶がある。クソみたいなというか、学校教育と受験の制度が総体としてクソつまらんくだらない代物なので、それに寄生して成り立っている学習塾という業界も当然クソつまらん、すくなくともまるで非本質的なものということになる。それでもまあ多少のやりようはあるし、暗記めいたものであっても知識を伝達したり習得の手伝いをしたりすること自体は無意味ではないと思うが、それにしても職場のシステム上とても充分にはできないし、もうすこし良い場所があるのではないかという気がする。本当はこちらの性分として、家庭教師みたいな感じで一対一で詳しく丁寧にやるのが合っているのだろうと思う。ただそれにしたって学校教育に沿った教授では結局はつまらん。というか教育の本質なんて、第一段階としては本をたくさん読むような性向を育むということしかないのではないか? もちろん書物ばかりが大事なことではないが、何を楽しむにせよ何を知るにせよ考えるにせよ、やはり本というメディアをないがしろにはできないだろう。何よりも書物というものは言語で書かれているのだから。言語的能力がすべての基礎であるうんぬんは措いておいても、学校の教科書なんてこの世界の知と文化の蓄積からすればカスみたいな量の情報しか載っていないし、各事柄のほんの表面的な部分を寄せ集めてきてなんとか体裁を整えたものでしかないのだから、そんな知的栄養価の低いものをしこしこ頑張って覚えようとしていても仕方がない。それより自分で興味を抱いた本を一冊でも多く自分で読んだほうが良い。ジャンルなどなんでも良い。自分が読んでみたいと思った本が読むべき本だ。本を一緒に一文一文丁寧に読んで、気づいたこととか思い出したこととか考えたこととかを喋るだけで金がもらえる仕事ができたら良いのにと思う。それをやるには大学教授にでもならなければ難しいだろう。いずれにしても、なんかもっと割の良い、なおかつ自分でもくだらなさを感じないでいられる仕事があるのではないか? という気はする。そう言いながらもしかし、面倒臭いので調べたり実際に転職したりはしないのだろうが。とはいえこのままではどうにもならないので、すくなくとももうすこし金の稼げる仕事に移ったほうが良いのではないか。


・読み書き
 8:56 - 9:40 = 44分(ドストエフスキー: 748 - 758)
 10:43 - 11:47 = 1時間4分(2020/11/20, Fri.)
 11:52 - 12:51 = 59分(プラトン: 1 - 26)
 14:19 - 14:36 = 17分(英語)
 14:37 - 14:56 = 19分(記憶)
 15:14 - 15:22 = 8分(2020/11/20, Fri.)
 21:23 - 22:04 = 41分(プラトン: 26 - 29)
 24:15 - 25:39 = 1時間24分(2020/10/31, Sat.; 完成)
 計: 5時間36分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Santana『Moonflower』