2020/12/4, Fri.

 「盗まれた手紙」は「文学」と署名されている、とデリダは述べている。手紙の内容――〔本来〕われわれに見ることが許されている唯一のもの――は別のテクストの中にある、つまり、手紙の意味の場は手紙の中にではなく、それとは別の所にある。そうした意味のコンテクストは、そのコンテクストが欠如している状態――すなわち、テクストの外部に[﹅3]本来の出所(クレビヨンの『アトレウスとテュエステス』)を明示すること、および、手紙から手紙へ、テクストからテクストへ、兄弟から兄弟へという代替構造によって、テクストの内部で[﹅3]、外部[﹅2]と内部[﹅2]という表現が明確に定義できなくなっている状態――である、という意味でないとすれば、「文学」と署名されているとはいったいどういう意味であろうか。しかし、実際にその他のテクストを開いてみなければ、みずからに対する底知れなさという他者性の正確なあり方も、この物語の縁が単純な形で崩壊しているわけではないという状況も確認できないだろう。
 そこで、「図書(館)」をエクリチュールの記号[﹅2]というテーマ的な存在=現前に還元することを避けるため、書棚から幾冊かの書物を引き出し、その中身を見てみることにしよう。これはラカンデリダも採用していない方法だが、それがある意味で、いかに両者を包み込むかについては、すぐに明らかにされるだろう。
 何よりもまず、ポーの研究者たちによれば、デュパン[﹅4]という名前そのものが、ポーの内的な図書(館)に由来している。それは、『フランスの異彩を放つ当代人物たちのスケッチ集(*Sketches of Conspicuous Living Characters of France*)』(Philadelphia: Lea & Blanchard, 1841)と呼ばれる一冊の書物の頁から来ているのだ。因みに、ポーは最初のデュパン物が発表されたのと同じ月に、『グレイアムズ・マガジン』誌にその論評を寄せている。そして、このスケッチ集では、少数派のフランス人政治家、アンドレ=マリー=ジャン=ジャック・デュパン自身も、歩く図書館として描写されている。「彼の著作から判断すると、デュパンは完全なる歩く百科事典に違いない。ホメロスからルソー、聖書から民法法典、一二銅表法〔ローマ法における日常生活に最も重要な条文を短縮し、一二枚の板に刻んだもの〕からコーランまで、彼はあらゆるものを読み、あらゆるものを記憶している……」(*ibid*, p. 224)。つまり、探偵デュパンの「由来」は、多面的な読書家だという点にある。デュパンとは、デュパンの書き手〔ポー〕が、読み手としての書き手を描いた一冊の書物の中でその名前を読んだ、一人の読み手――すなわち、エクリチュールにおいては事実上、還元不可能なほど二重性を帯びたものとしてしか、その特質を記述できないような読み手なのだ。「彼は、政治的な肖像画家たちが最大限の対照を駆使して描き出すような人物である。彼は同じ絵の中で、大柄で小柄、勇敢で臆病、凡庸で高貴、無欲で貪欲、強情で従順、執拗で気紛れ、白で黒といった人間として描かれることになるだろう。つまり、何も分からないということだ」(*ibid*, p. 210)。さらに、書きとめられた二重のデュパンを描写する際、その媒体となるエクリチュール自体もまた二重である。それは、あるフランス人が書いた一連の文章の、ウォルシュ氏なる人物による翻訳のことだが、このフランス人の名は翻訳者にさえ知られておらず、自称「誰でもない者[﹅6](*homme de rien* / nobody)」(*ibid*, p. 2)と語られている。つまり、「誰でもない者」が、一連の文章を書いた原著者の固有名と化しているのだ [原注12: こうしたエクリチュールの中心紋化[﹅4]=入れ子構造化[﹅6]〔*mise en abyme*〕に対する最後のひとひねりとして、この書物のイェール大学所蔵写本には「L・L・ド・ロメニーによる」という語句が鉛筆書きされている。それは、タイトルの下に、細心の一九世紀的筆致で、当書の「出自補足[﹅4]〔*supplément d'origine*〕」として記されている。]。
 しかし、「盗まれた手紙」の最後の言葉を書いたのが、誰でもない者ではない[﹅4]ことは明らかである。それはむろん、ポーではない。クレビヨンである。デュパンの〈大臣〉宛の手紙が盗まれていたというコンテクストとして読むなら、クレビヨンの『アトレウスとテュエステス』には注目すべきものがある。それは単に、復讐の物語を最初の罪の対称的な反復として語っているからではなく、まさに盗まれた手紙を介してそれを語っているからだ。一通の手紙[﹅2]がアトレウス〈王〉に、彼への背信の大きさを伝え、彼の復讐の道具として役立つことになる。〈王〉自身がその手紙――亡くなる直前、〈王妃〉が愛人のテュエステスに書き送っていた手紙――を盗み取っていたのだ。その手紙は、誰もがアトレウスの息子だと信じていたプリステネスが、実は彼の弟テュエステスの息子であることを暴露する。アトレウスは、手紙およびその伝言を二〇年間秘密にしたあと、自身の本当の出生に気づいていないプリステネスに父親殺しを強要しようと計画する。この計画は、プリステネスが恋人テオダミア――プリステネスは、彼女が自分の姉妹であることを知らない――の父親殺害を拒んだために頓挫する。そこで、アトレウスは例の手紙を提示して、禁制の家族を再会させ、みずからの復讐をプリステネスの父親殺しから、テュエステスのインファントファジー〔infantophagy(自分の子供を食べること)〕に転換することを余儀なくされる。〈王〉を裏切る〈王妃〉、権力を目的に盗み取られる、裏切りを表象する手紙、最初の罪を再現する復讐行為とともに、結局はその受取人の手に戻る手紙――反復の物語としての「盗まれた手紙」は、それ自体が、そこから最後の言葉を盗み取っている物語の反復なのだ。反復強迫というフロイト的な「真実」は、単に物語の中[﹅2]だけで例証されているわけではない。それは物語によって[﹅4]も例証されている。物語は、それが伝える法そのものに従っている。物語は、それ自体の内容によって枠づけられているのだ。つまり、「盗まれた手紙」はもはや、それ自体の「原光景」を単純に反復しているのではない。それが反復しているのは、それに先立つ反復の物語にほかならない。「最後の言葉」は、「最初の言葉」の「非初発性〔nonfirstness〕」が反復される場を名指しているのだ。
 これは、参照の枠組みを盗まれた手紙の内部に折り重ねている唯一の例ではない。それよりもいくぶん隠されてはいるが、もう一つ別のほのめかしは、「奴こそは、人間〔男〕としてしかるべきことも、あるまじきことも、すべてやってのけるんだ」(Edgar Allan Poe, *The Great Tales and Poems of Edgar Allan Poe* (New York: Pocket Library, 1951), p. 201/エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人・黄金虫――ポー短編集Ⅱ ミステリー編』巽孝之訳、新潮文庫、二〇〇九年、八三頁)という〈大臣〉の描写に含まれている。この言葉は、野心的な妻に対するマクベスの不服――「男にふさわしいことは何でもするが、それ以上のことをする奴は男ではない」(第一幕第七場)――を反響させている。『マクベス』への言及は、〈大臣〉の描写に関するラカンの読みが、女性性に向けられていることを立証している。つまり、男としてあるまじきことをやってのけるのは、まさにマクベス夫人なのである。それに、マクベス夫人は最初に目撃される時、何をしているだろうか。手紙を読んでいるのだ。おそらく、盗まれた手紙ではないが、曖昧な運命の手紙と言ってよいだろう。それはマクベスを〈王〉の殺害に加担させるが、その後、〈王〉の地位につくマクベスもまた、殺害された〈王〉の運命を不可避的に共有することになるだろう。手紙に直面した〈王〉たちは、無傷ではいられないように見える。妻が彼の弟に宛てた手紙によって裏切られるアトレウス。マクベスマクベス夫人に宛てた手紙によって裏切られるダンカン。マクベス自身もまた、己の〈運命〉の手紙を読むことができるという自信によって裏切られる。そして、言うまでもなく、「盗まれた手紙」の〈王〉。彼の権力は、彼が自身を裏切る手紙の存在について認知すらしていないことによって裏切られているのだ。
 このようなテクストがともに提示している問題は無数〔legion〕である。男〔人間〕とは何か。子供の父親とは誰か。近親相姦と殺人と子供の死の関係とは何か。王とは何か。どうすれば、自身の運命の手紙を(end235)読むことができるのか。見ることとは何か。これらの物語が寄り集まる交差路は、それとは別の交差路で生じた物語、すなわち、オイディプス〈王〉の悲劇を指し示しているように思われる。つまり、次の一事を除いて、われわれはまた出発点に立ち戻ってしまったように思えるのだ。一事とは、もはや「盗まれた手紙」がオイディプスの物語を反復しているのではなく、オイディプスの物語が「盗まれた手紙」の底知れない内部から盗み取られたあらゆる手紙を反復している、ということである。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)、232~236; 「7 参照の枠組み ポー、ラカンデリダ」)



  • 一〇時半頃に覚醒した。睡眠は六時間ほどということになる。やはり不完全というか質が悪く短い時間であっても寝る前に瞑想をしたほうが良いような気がする。天気は快晴で光が顔まで通ってくる。昔とおなじように、起床直後の瞑想も習慣にしようと思った。そういうわけでこめかみをいくらかほぐして一〇時四五分に離床すると、顔を洗い用を足してきてから枕の上に座った。しかし胡座をかいているとすぐに脚がしびれてきそうだったので合蹠に変更して(次からは座る前に屈伸で脚の筋を伸ばしたほうが良い)、瞑目のうちに呼吸やからだの感覚を見る。陽射しはすぐ左手の窓から入って上半身の側面に触れる。意識がそこまで深まることはなかったが、身体の感覚はそれなりにまとまった。一〇時五四分から一一時一二分まで。
  • 上階へ。ストーブの上でフライパンが煮込まれているのは、カレーにするらしい。あとはルーを入れれば良いということなのでルーを探したのだが、少量しか見つからない。それでほうっておき、髪を梳かしたり先に風呂を洗ったりした。夏場は風呂場の窓のすりガラスにあかるい緑色が映っているのをよく見たものだが、いまはその勢力は、ないではないけれどずいぶん弱くなり、ガラスを開ければ陽射しの通ったなか道を縁取る石垣と林の接するあたりはすべて艶なく枯れた臙脂色になっており、触れればぱきぱき砕けそうな感触で、その足もとには落葉が溜まって道路の輪郭に淡褐色の線を添えている。
  • 出てくるとキャベツの炒め物やサラダを皿に盛り、完成したカレーも米にかけて食事を取った。昨日の夕刊に続きヴァレリー・ジスカールデスタンの訃報および評伝を読む。一九七四年から八一年の在任。そのあとはミッテランで、昨日の紙面ではたしか八一年から九七年在任とあった気がするのだけれど、ずいぶん長くないか? ジスカールデスタンはリスボン条約の基礎となった理念文書みたいなものを起草したらしいが、それが二〇〇四年くらいとあったはずで、九四歳で死去だから当時七八歳くらい、八〇手前でそういう仕事をしたというのはすごいなと思った。
  • 食後は皿洗いとアイロン掛け。最中、母親と働くということについてちょっと話す。義務的な労働をなるべく課せられずにみずからなすべきと見定めた仕事をがんばりたいというのがこちらだが、みずからなすべき仕事を見つけられない人間は、外部から義務的な労働を与えられて対価と承認を得ないと安心して生きられず、アイデンティティが労働と堅固にむすびついているもしくはそのなかに回収同化されているので、労働を失うと実存的な基盤がゆらいで不安や空虚を感じる。母親はあきらかにそういう種類の人間で、こういう人たちは義務的な労働にすがらないと生きていけない。ひるがえってこちらの主題は、いかに単独者としてよりさだかに立ちながら世界と対峙するか、ということだ。
  • 緑茶を用意して帰室。瞑想後、上階に上がるときにEvernoteからエクスポートしたHTMLファイルを一部(日記の分だけで、二三〇〇記事ほど)インポートさせておいたのだが、失敗していた。やはり数が多すぎるのか、それともべつの要因か。今日の記事をつくって準備し、ここまで記すと一時半前。今日は長めの労働。三時半頃には出なければならない。そして明日は久しぶりに朝から勤務で六時くらいには起きたいから、帰宅後も大した余裕はない。最悪だ。帰りたい。
  • この金曜日は労働だったが、もう一週間以上経ってしまったので労働中のことは蘇ってこない。(……)と(……)には当たったと思うが、そのほかのことはおぼえていない。帰路もその後のことも失念。深夜は日記を少々書いたあと、三時には消灯している。翌日が朝からの勤務だったためだ。


・読み書き
 12:42 - 13:25 = 43分(2020/12/4, Fri.)
 13:46 - 14:47 = 1時間1分(徳永: 306 - 329)
 15:39 - 15:46 = 7分(記憶)
 22:40 - 23:32 = 52分(徳永: 329 - 350)
 25:32 - 26:11 = 39分(2020/12/1, Tue.)
 計: 3時間22分

  • 2020/12/4, Fri. / 2020/12/1, Tue.
  • 徳永恂『ヴェニスのゲットーにて』(みすず書房、一九九七年): 306 - 350
  • 「記憶」: 213


・BGM


・音楽
 なし。