2020/12/25, Fri.

 比喩操作、それが政治であるとするならば、マザーの時代を支配した最高のメタファーは「父」であった。父権制は、神権政治でいう敬虔をいちばん巧みに表象する比喩体系だ。これが、出発点である。しかし、一七世紀から一八世紀へ、中世的時代から啓蒙主義時代へ推移する転機にあって、マザーが感じていたのがこのような比喩そのものの危機であったとしても、おかしくはない。『キリスト教徒とその職業』(一七〇一年)において、彼は自分が父の計画した職業(calling)=神のお召し(calling)を受け容れてしまったことを告白しつつ、にも関わらず、親が子に職業を無理強いせぬこと、子には少なくとも「妥当な職業」を探してやることを望んでいる。この見解は、力点さえ変えればすぐにもフランクリンの見解と一致する、とブライトヴァイザーはいう。というのも、フランクリン自身〈ニュー・イングランド新報〉その他で主張したように、子はあくまで自分を意識して一人前に成長すべきものであり、親はその歩みを助長してやるべき存在であるからだ(一八七頁)。その意味で、植民地時代というそれ自体「父の時代」の代表者マザーが、アメリカ独立時代というそれ自体「子の時代」の代表者であるフランクリンによって修正されることになるのは、ほぼ運命的であった。
 マザー的な敬虔への従属からフランクリン的な自我への独立へ。この転換は、アメリカ史そのものの転換である。宗教者たることをアルファでありオメガとしたマザーは聖書こそ絶対と信じたが、印刷屋として出発しながら多様な職業を経ていくフランクリンにとって、むしろ世俗的な新聞こそ、大衆の声が多様に反映されると信ずるに足るテクストだった。アメリカの中世が一七世紀とするなら、アメリカにおける真のグーテンベルク革命は一八世紀といえる。自我を活字で表象するのではなく、活字が自我を形成するというメディア革命――それは、フランクリンの活字フェティシズムを待って初めて可能となる。グーテンベルクの活字発明は近代的自我の均質性が確保されていく過程を示唆したけれども、フランクリンはさらに紙幣の効用と個人の才能が交換価値となる社会を看破していた。のちに彼がマルクスウェーバーから引用されるゆえんであろう。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、129~130; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第三章「ポストモダンの倫理と新歴史主義の精神 ミッチェル・ブライトヴァイザー『コットン・マザーとベンジャミン・フランクリン』を読む」)



  • 窓ガラスがどんどん叩かれる音で夢から追放された。何か父親が呼んでいるらしいと思って上体を起こし、左手のカーテンをあけたが、そちらではなく、音の発生源は足もとのほう、ベランダに続く西側のガラス戸だった。そちらのカーテンをあけると父親が笑みでベランダに立っていて、玄関の鍵を開けてくれと言うのでうなずいて寝床を抜け出した。時刻はちょうど九時頃。鍵を持たずに歩きに行ったら母親がそれを知らずに玄関を閉めて出勤してしまったらしい。
  • 玄関を開けてもどってくるとまた寝床にもぐりこみ、最終的な起床はまたも正午直前。滞在はちょうど八時間ほど。よろしくはない。九時の時点で起きていれば良かったのだが、それだと睡眠も五時間だし心もとない。からだは以前に比べれば相当軽くなっているはずなのだがそれでも起きられないというのは、単純な意志もしくは意識の問題な気がしてきた。
  • 水場に行ってきてから瞑想。瞑想はやはり毎日起床直後にやるべきだ。からだの感覚がまとまり、さらさらとなめらかに液体質になって、ひとつながりに調う。ロラン・バルトが『ミシュレ』のなかで、ミシュレの偏愛的テーマとしてなめらかにつながった均質の世界というものを取り上げていて、布地のように、ある一点をつまみ上げれば世界のそのほかのすべてがそれに引かれて持ち上がってくる、みたいな比喩表現を書きつけていたおぼえがあるけれど、わりとそういう感じの円滑さ。これは毎日やるべきだ。起床後と就床前の習慣にしたいし昔はそうしていたのだけれど、就床前だとどうしても眠気がまさって形にならないので、それよりもいくらかはやい時刻か、日中にもう一回か二回できるよう目指すべきだろう。
  • 今日は風がある。瞑想中、ベランダの洗濯物が揺れる音か、あるいは家鳴りめいたものが何度か発生したし、窓外の遠くでうなるものの気配も感じられた。上階に行っても、東側の小窓から覗く旗がこまかくうねりまくっているのが見える。
  • 冷蔵庫に余っていた餃子をおかずに食事。新聞には、昨日(……)さんのブログでも読んだ中国南東部の電力供給停止の件が取り上げられていた。湖南省長沙ではビルのエレベーターが停まり、三〇階まで階段を上って出勤する人々が見られたらしい。オーストラリアとの関係悪化で豪州産石炭が入ってこなくなったからだとの観測があるようで、昨日の記事にもそれは触れられていた。ただ、(……)さんのブログに載っていた記事では、しかし二〇一九年の豪州産石炭の輸入量は全体のわずか三パーセントに過ぎない、と懐疑的なデータが紹介されていたのに対して、ここで読んだ読売新聞の記事では、石炭発電に用いる石炭のうち、六割だったか何割だったか忘れたけれどけっこうな割合が豪州産だと補強的なデータが載せられていた。
  • ほか、米国で黒人の人々がワクチンの摂取をためらっているとの報。人種差別と絡んだ医療不信が要因だと。Pew Reserch Centerの調査では、ワクチンを進んで摂取するという姿勢を示した黒人の人々は半数以下で、アジア系とかほかのエスニシティの人々に比べると圧倒的に低い。しかし全体でも、ワクチン接種に積極的な回答をしたのは六割に留まっているらしい。黒人と医療の歴史としては、アラバマ州で一九三二年から四〇年間、梅毒の研究がなされたときに、黒人の人々をわざと治療せずに「実験」したということがあったらしく、ある女性牧師によればその歴史は、集団的に「倫理的トラウマ」となっているとのこと。
  • 音読が三〇分もできなくてよろしくない。もっと睡眠を短くし、起床をはやめなければ。何しろ音読は夜中にはできないので。
  • ベッドでからだの各所をマッサージしながら授業の予習。「(……)」(社会)の入試実践編みたいな章を途中まで。あと、(……)の授業のために英語の「(……)」の最後のほう。しかしこれもすべては確認できず。
  • やはり脹脛を中心に脚を隅々までほぐすのが基本ではある。
  • 準備して三時四五分頃出発。道を行くと、南の山や川周辺の木々にはまだ温かみが触れて残っている。電線や、公営住宅の棟の上に立つ銀色のアンテナも、わずかばかり暖色に濡れている。空はけっこう濃い青さで、雲がいくつも湧いて混雑しており、ごちゃごちゃと汚れたような感じだが、あかるいはあかるい。公営住宅を越えた果て、山の天辺にならぶ木立を後ろから支えるようないだくような風にひろがっている一塊など見つめていると、わりとのどかな感が立つ。鳥の声も多く散っていた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 九時半で退勤。電車内では瞑目・静止。最寄り駅からの帰路、今夜は多少空気の流れがあり、坂道でも葉の落ちる音が聞かれた。月はだいぶ太ってきていて夜空はあかるく、青さが染み渡っている上に動物の群像めいた、原始時代の壁画に描かれた獣たちを思わせるような雲の散らばりがはっきり見え、その白も濃い。昨日一昨日と比べてより冷え冷えとしていた。マスクの裏にも冷たさが伝わってくる。
  • 帰宅すると翌日扱う(……)の過去問を見たりメルヴィルを読んだりしながら休身。一一時一五分くらいまで。働いてくると最低でも一時間は休んでからだをほぐさないといけない。
  • 母親がセブンイレブンで予約していたチキンなどで食事。ホールケーキも。「かまくら」と言う。最初鎌倉と変換していてなぜ鎌倉なのかと疑問に思っていたが、雪でつくるドームのほうのかまくらということだったのだ。苺のムースというかゼリーみたいなものが挟まっていて、普通に美味い。しかし際立った快楽とか多幸感とかをもたらすほどではない。べつに欲してもいないが。物語とポルノと甘味の三つは、主体の意志に関係なく欲動を煽って強引に快楽を生じさせるという点で同類ではないか。
  • 母親が、訊いてもいないのに職場のことを多少話してきた。今日はどうやらクリスマスパーティめいたことをやったらしい。それで重いテーブルをみんなして運んだのだが、若い男性の、けっこう太っていてからだが大きいらしい人がそれを全然手伝ってくれないと母親は文句を漏らしていた。女性陣(「おばちゃんたち」)が重そうに運んで目の前を過ぎていくのにまったく手を貸そうとしない、自分は子どもたちの相手をしているから、という感じなのだと。母親の言うことももっともだとは思うが、しかしそういう人はごく普通にいるわけである。手伝ってほしいなら手伝ってほしいと口に出して伝えなければ、相手だっていままでそういう習慣が(肉体的力の比較的すくない人が重いものを苦労して運ぶのをすすんで手伝うという習慣が)ないのだからみずから行動に移すことはない。すみませんが手伝ってくださいとその都度頼めば良いと、それだけの話としか思えないのだけれど、どうも母親はそういう風に頼むことにすら気後れを感じるらしい。その程度のことすら他人に言えないっていったいどういうことなのか? とこちらなどは思ってしまうのだけれど、たぶん相手の気持ちを損ねるのが嫌なのだろう。それはしかも、相手を不快にしたくないという他人に対する考慮のゆえなどではなく、とにかく他者との齟齬や対立や衝突を生みたくないという心性が、無自覚領域まで貫いて存在性をひたしきっているように見えるのだ。そこにあるのが恐怖なのか、主体を冒しつくして底まで拘束した不可視の集団的規律の根づきなのかよくわからないのだけれど、とにかく他者との対立を避けるということが自己目的化しているようにこちらには観察される。この自己去勢はなんなのか、こちらにはかなり不思議に感じられる。とはいえ数年か十数年前まではこちらも似たようなものだったのだろうとも思う。それに、たとえばこの日、職場で(……)さんがやや圧迫的ともこちらには思われる言動を取るのを見たわけだけれど、仮に彼女がもっとあからさまに、それはまずいだろうというような振舞いを取っていたとして、それは良くないんじゃないすか、と苦言を呈することがこちらにできるかというと、一応できるとは思うがたしかに多少の気後れは感じる。母親は上司に限らず、だいたいどんな他人に対してもそういう感じ方をしているのではないか。苦言を呈するとか文句を言う、ということがそれ自体としてほぼ常に回避されるべきことと規定されているのではないか。テーブルを運ぶのを手伝ってくださいというのは苦言の類ではまったくないと思うが、その程度の依頼でさえ母親には文句を言っているように思えるのではないだろうか。というか正確には、文句を言っているように相手から捉えられる、ということが回避したい対象なのかもしれない。男性同僚が子どもの世話をしているところに、テーブルを運んでほしいと伝えると、なんでからだが大きくて力があるのに運搬を私たち女性にまかせて自分は楽をしているの? という具合に暗黙裡に非難しているように受け取られるのを恐れているのではないか。そういう風に、すこしでも相手を批判するようなメッセージが含まれかねない発言を、みずから先んじて抑制してしまうのではないか。
  • 入浴するともう一時。この日の日記を書いて、一時四〇分で切り。翌日は朝からの労働のために六時には起きなければならなかったので。FISHMANS, "感謝(驚)"を聞いた。一応意識を落とさず聞けたが、言葉になるほどの際立った印象は残っていない。それからベッドにうつって柔軟をしたあと瞑想。やはりどうしても寝る前の瞑想は長くできない。二時七分で就寝。