2020/12/30, Wed.

 たとえば、詩人が詩論を書く。詩論の形式を採って、美学的尺度について書く。これは、めずらしいことではない。前世紀にはポウの「詩の原理」(一八五〇年、死後発表)が人間の認識能力を「純粋知性」「審美眼」「倫理意識」の三つに区分し、詩は何よりも美を扱うがゆえに、審美眼[テイスト]によってのみ創作されるべきジャンルであることを明言したし、今世紀に入るとT・S・エリオットが「伝統と個人の才能」(一九一九年)の中で、文学的伝統を通時的に歴史を成すものではなく共時的に同時併存する秩序と見なし、加うるに作家は自己の個性を主張するより個性を滅却すべき存在と定めている。そして、ポウは名詩「大鴉」で、エリオットは名詩『荒地』で、それぞれの美学を実現してみせている。そこに、何ら倫理的解釈の介在する余地はないように見える。
 ただし、この美学には死角が潜む。というのも、ポウが詩作に審美眼を「義務」づけたり、エリオットが詩人に個性滅却を「要求」したりするそれぞれの判断自体は、審美眼どころかまちがいなく一定の倫理観によって構成されているのだから。端的にして皮肉な事実というべきだろうか。振り返ってみれば、なるほど一九世紀前半、アメリカが物心両面におけるヨーロッパからの独立を完遂しようと躍起になっていた当時、ポウほどにその批評の中で文学的独立を「強要した」作家もいなかったし、二〇世紀前半、現代文学が物心両面における前世紀からの独立を達成しようと尽力していた当時、エリオットほどにその批評の中で芸術的進歩を「理念化した」作家もいなかった。作品の美学を主張すればするほど、その主張行為そのものが、美学的どころか倫理的になっていくのを回避することはできない。
 (巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)、146; 第二部「現在批評のカリキュラム」; 第五章「善悪の長い午後 トビン・シーバース『批評の倫理学』を読む」)



  • 正午の起床。睡眠は八時間強。連休に入ったからまあこれでも良いが、より勤勉な状態を目指したい。洗面所に行って顔を洗うとともにうがいをして、トイレで用も足すともどって瞑想。一二時三分から二七分まで座る。からだの感覚をもっとよく見たい。
  • 上階へ。着替えていると買い物に行っていた両親がちょうど帰宅した。キムチ鍋が残っていたが無視して、やはり余り物の大根の味噌汁と豆腐を食べることに。米はもうほとんどなかったので母親が鍋に入れておじやにしていた。新聞を読みながら食事。国家安全維持法施行後の香港の状況をまとめたみたいな記事や、那覇軍港跡地が空港と一体的に運用される方針との記事、またいわゆる従軍慰安婦問題をめぐる日韓関係の要約および現況みたいな記事を読んだ。那覇軍港というのは現在ある那覇空港の近くから北、浦添沖という場所に移される予定らしく、その跡地は活用価値が高そうということでたぶん商業的にも目をつけられているのだと思うし、アジア人材育成センターというものもつくられる方針だという。
  • 食器乾燥機のなかを片づけて皿を洗うと風呂洗いも。排水溝カバーを綺麗にしておいた。出ると帰室してNotionを用意。まずここまで記述。脚が冷たいのでさっさとほぐしたい。
  • Kan Sanoという人がソロピアノアルバムを選んですすめる記事(https://focussound.jp/select/2013/06/kan-sano.html(https://focussound.jp/select/2013/06/kan-sano.html))を先日検索で見つけていたのだが、馴染みのない作はここにメモしておく。Glenn Gouldではバッハのほかに、『Brahms: Ballades, Rhapsodies & Intermezzi』が挙げられている。武満徹『ピアノ作品集』も。ここで紹介されているのは、ピーター・ゼルキンという人が演奏したアルバムのようだ。ほかに福間洸太朗という人も武満徹曲の独奏作品をつくっているようだし、高橋アキもやっているようだ。Frederic Mompouという人はまったく知らなかった。『Mompou plays Mompou』という自作自演が紹介されている。
  • 今日はなんとなく先に音楽を聞いた。というか、Monkのソロピアノをきちんと聞きたかったのだ。それで『Thelonious Alone In San Francisco』から五曲目の"You Took The Words Right Out Of My Heart"を聞いたのだけれど、これはとても良い。曲の情報があまり出てこなかったのだが、Ralph Raingerが作曲、Leo Robinが作詞らしく、この二人の名前は見たことがある。Wikipediaを見る限りでは"Easy Living"や"If I Should Lose You"が彼らの仕事らしいので、たぶんこの二曲にまつわって見たのだろう。"Easy Living"は色々な人がやっているし、後者はKeith Jarrett Trioがたしか『Standards, Vol. 1』が『Vol. 2』のどちらかでやっていた気がする。"You Took The Words Right Out Of My Heart"はBenny Goodmanも取り上げていたようなので、けっこう古い曲だろう。『Thelonious Alone In San Francisco』は一九五九年の一〇月二一日二二日で録音されている。Fugazi Hallという施設で、観衆は入れずにライブ録音されたようだ。
  • この独演がかなり良くて、昨日Monkの独奏にはぎこちなさみたいなものが感じられてそこが好きだと書いたのだけれど、聞きながら、それは要するに、雄弁さが一瞬もないということなのだろうと思った。朴訥、とまで言ってしまって良いのかはわからないが、語り口はわりと訥々としたものだと思うし、絶対に饒舌にならない柔弱さ、正しい印象かどうか自信がないが、ほとんど〈弱々しさ〉とまで言ってしまいたくなるその慎みがおそらくこちらの琴線を揺らすポイントである。見世物性が、まったくないというのはもちろん不可能としても、かなり希薄だと感じられ、そのあたりは昨日も書いた日常的なピアノの相という印象に通ずるだろう。ピアノでもって呼吸をしている感がある。すばらしいと言うほかない。
  • Monkにかんしては、ライブハウスで演奏をするときにいつも妻に電話をかけて独奏を聞かせ、聞こえたか? どうだった? みたいなことを話すというエピソードが印象に残っていて、Wikipediaあたりで読んだのだろうかと思ってこのとき検索しているうちに、そうか、ジェフ・ダイヤー/村上春樹訳『バット・ビューティフル』に書かれてあったのだとわかった。それでEvernoteに保存してある書抜き記録を探り、見つけたのが以下の文章である。あまりにロマンティックではあるが、正直に言って、このエピソードはめちゃくちゃ好きである。

 「無の歳月(un-years)」とネリーは呼んだ。しかしその歳月は、モンクが「ファイブ・スポット」のハウス・ピアニストとして迎えられたときに終わりを告げた。人々が聴きに来てくれる限り、また自分でそうしたいと望む限り、好きなだけそこで演奏してもかまわない、と彼は言われた。ネリーはほとんど毎晩、店にやってきた。彼女がいないと、彼は落ち着きをなくし、緊張し、曲と曲とのあいだにとんでもなく長い間を置いた。ときどき演奏を中断して家に電話をかけ、ネリーに「変わりはないか」と尋ねた。電話口に向かってもぞもぞと、愛の優しいメロディーであると彼女の耳には聴き取れる声音をもらした。受話器を外しっぱなしにしてピアノの前に戻り、彼女のために演奏し、それがそのまま聞こえるようにした。曲が終わるとまた席を立ち、電話に硬貨を追加した。
 ――聴いてるか、ネリー?
 ――とても美しいわ、セロニアス。
 ――うん、うん、そして彼は受話器を、ごく当たり前のものを手にしているみたいにまじまじと見つめていた。
 (ジェフ・ダイヤー/村上春樹訳『バット・ビューティフル』(新潮社、二〇一一年)、53)

  • Monkのソロ演奏を聞いていると、ときどき、打音のはじめの本当に短い一瞬のみ音がかすかに濁っているみたいなところがあるのだけれど、あれはどういうことなのか? 半音で衝突させているところもあるとは思うのだが、そこまで大きな濁りでなくて、本当に一瞬だけ、みたいな箇所が聞かれると思うのだ。あれがタッチのなせる業なのか? つまり、打鍵の強さによって一瞬だけ弦が通常以上にたわんで音程がほんのわずか揺らぐとか、そういうことなのか?
  • 続いてトラック九の、"There's Danger In Your Eyes, Cherie (take 2)"も聞いた。この曲はタイトルが好きだが、このアルバム以外で取り上げている例を知らない。Wikipediaを見る限り、作者のクレジットは、Meskillという人と、Harry Richmanという人と、Pete Wendlingという人になっている。このHarry Richmanというエンターテイナーが一九三〇年に歌ったのがどうも初出のようだ。
  • "You Took The Words Right Out Of Your Heart"をほかにどこかで見たことがあった気がしたのだが、Paul Motianがトリオで、『At The Village Vanguard』でやっていることが判明したのでそれも聞いた。Joe LovanoとBill Frisellとのトリオ。サックス・ギター・ドラムで、ドラムがこういう感じで空間を区切るというより下布を敷くみたいな感じで基部をつくる演奏というのも珍しいのではないか。いまは色々あるだろうが、昔はMotianくらいしかやっていなかったのではないか。Joe Lovanoというサックスの良さがいまだにわかっていないのだけれど、John ColtraneもしくはMichael Brecker風にブロウしたり最高音方面でシャウトしたりしても激しさが出ない、強くならず圧を生まないというのはすごいのかもしれない。
  • 最後にBill Evans Trio, "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#5)。ここでのBill Evansはとにかくとてつもない。隙がない。完璧。ひとつの恒星になっている。即興でこんな風に弾けるというのが理解できない。LaFaroもあらためてソロを聞くとずいぶん綺麗だ。乱れなくうまく整ってよく歌っている。彼の場合はソロよりもバッキングのほうが奔放に聞こえる。
  • 音楽を聞いて満足したあとはベッドで書見。一時間四〇分ほど。一〇〇分読んで五〇ページすすんだから、だいたい時間の半分くらいだ。今日読んだところはわりと書き抜こうと思う部分が多かった。最近ではそこまで大したことのない箇所でもとりあえず書き抜こうという気持ちなので、いきおい数は多くなる。読書ノートにメモしておきながらいままで写しておくのを忘れていた言葉遣いなどをここで記録しておく。
  • まず上巻。157に「残酷なる豺狼の世間」という言い方が出てくる。「豺狼」というのが初見なのだが、これは山犬と狼だといい、象徴的には残酷で欲深く、むごたらしいさまを言うらしい。「豺狼路に当たれりいずくんぞ狐狸を問わん」という成句表現があるようだ。典拠は「後漢書」張綱伝という。「やまいぬとおおかみが行く手にいるときに、どうして狐や狸を問題にしていられようか。大悪人が重要な地位にいて権力を振るっている場合、その下の小悪人より、大悪人をこそ除かなければならないことのたとえ」とのこと。
  • 461には、美しい白馬について「光彩陸離」という形容がある。「陸離」というのはちょっと良い。「光がきらきらと入り乱れて輝くさま」らしい。そのまま読めば、光の輝きが陸を離れて燦然と宙にきらめく様子がイメージされる。陸、すなわち大地を、平常の世界とか俗界とか浮世とかと取れば、尋常の領分から浮かび上がり離れるほどすばらしいということになり、天上に向かう超越的な志向のニュアンスが出てくる。
  • 471には「そくそくと」。銀河を見ていると、「宇宙の芯が抜けたような空しさと、虚 [うつろ] なる無限の広がりがそくそくと伝わってきて」とある。漢字だと「惻惻」。「悲しみいたむさま。身にしみていたましく感じるさま」らしい。この字を使った言葉としては、「惻隠」が思い出される。
  • 618では鯨の巨大さに「雄渾」が用いられている。初見。「雄大で勢いのよいこと。書画・詩文などがよどみなく堂々としていること」と。「渾」の字は「渾然」や「渾沌」で馴染んでいるから、混じり合う的な意味なのかと思ったが、ほかに、「水がわき出て盛んに流れるさま」を指すらしい。水の湧出によく使う「こんこんと」という表現が、ひとつにはこの漢字であらわされるようだ。
  • 下巻。68に「魂 [こころ] して」という表記が出てきて、これはなかなか珍しい。意外と思いつかない。
  • 99には太陽の比喩として「睡蓮という宇宙花」とあるのだが、なぜ太陽がとりわけ睡蓮にたとえられているのか、それはちょっと疑問だった。何か文化的背景があるのか? と思ったところ、古代エジプトでは太陽の象徴とされていたらしい。Wikipediaいわく、「The ancient Egyptians revered the Nile water lilies, which were known as lotuses. The lotus motif is a frequent feature of temple column architecture. In Egypt, the lotus, rising from the bottom mud to unfold its petals to the sun, suggested the glory of the sun's own emergence from the primaeval slime. It was a metaphor of creation. It was a symbol of the fertility gods and goddesses as well as a symbol of the upper Nile as the giver of life. [15: Tresidder, jack (1997). The Hutchinson Dictionary of Symbols. London: Duncan Baird Publishers. p. 126. ISBN 1-85986-059-1.]」とのこと。そもそもスイレンが英語でNymphaeaといわれることもはじめて知ったのだが、これはあきらかにファンタジー的ゲームなどによく出てくる小妖精、ニンフとの関連がある。おなじくWikipediaによれば、「The genus name is from the Greek νυμφαία, nymphaia and the Latin nymphaea, which mean "water lily" and were inspired by the nymphs of Greek and Latin mythology.」ということらしい。ちなみにエジプト神話だと、ネフェルトゥムという神の一体が睡蓮を象徴的に担っており、「睡蓮はヘルモポリスの創世神話では、エジプト神話での原初の水ヌンから立ち上がって花びらを開いたが、その花の中にタマオシコガネを収めていた。タマオシコガネが姿を変えたのがネフェルトゥムだとされている[3: ヴェロニカ・イオンズ『エジプト神話』酒井傳六訳、青土社、1991年(新装版)、62頁]。睡蓮はまた、その花の中に太陽を生み出したといわれている[3]」ということだ。
  • これは余談で、上の箇所で良かったのは「宇宙花」という言い方のほうだ。いずれ自分でも使いたい気はする。
  • 表現としてメモしておきたいのはいまのところそのくらい。あとは柱上で修行した隠修士みたいな人間として、聖スティリテースという名前が出てきて気になっていたのだが、これをそのまま検索にかけても結果が一件もない。それでとりあえず「柱上行者」で調べてみると、正確には「柱頭行者」という訳が一般的に定着しているようだが、そのなかで一番著名なシメオンという人がこのスティリテースのことらしい(Simeon Stylitesという表記がある)。そもそもstyliteという語自体が、英語だと「登塔者」を指すようだ。ギリシア語由来で、pillar dwellerの意らしい。だからシメオンのStylitesはいわば称号ということだろうが、面白いのが、最初の聖シメオンはSimeon Stylites the Elderと呼ばれ、そのほかの後継者や同種の人間として、Simeon Stylites the Younger、Simeon Stylites III、Symeon Stylites of Lesbosなどがいるらしい。ビビるわ。
  • 四時過ぎまでメルヴィルを読んで、はやばやと食事の支度へ。父親が勝手口の扉を外して付近を拭き掃除していた。それなので台所には外気が入りこんできて冷たいが、意に介さずに汁物の調理をすすめる。なんとなく豚汁みたいなものでもつくれば良かろうという気になっていた。米はちょうど母親が磨いでくれたところだった。大根・ニンジン・ゴボウ・タマネギなどなどを切り分け、白鍋でさっさと炒めはじめる。火が通ると注水。それで煮はじめ、合間にアイロン掛け。母親に、いま煮ているから灰汁が出たら取ってくれと言っておいた。今日は調理にしてもアイロン掛けにしてもかなりゆっくりと落ち着いてからだを動かすことができた感があった。道元が食事も修行だみたいなことを言っているらしく、臨済はどうか知らないがすくなくとも曹洞宗の行者はなるべく音を出さずにしずかにものを食べなければならないと聞いたことがあるのだけれど、そういう言い分もわからないではない。生活のすべての瞬間が一種の修行であり鍛錬であるというのは。それがいわゆる悟りを目指す行程なのか、それともそこからは離れた副次的なものなのかは知らないが、己の身体を意識し、その動きを感覚・観察・統御し洗練させるというのは、こちらの理解では要するに自己と一致するための訓練なのだ。いわゆる「あくがれ」の状態を多少なりとも抑えるということ。いま流通している言葉でいえば、マインドフルネスにほかならない。なぜ自己と一致することがかくも重要視されるのかといえば、自己自身と分離され、みずからとのあいだに齟齬や対立や葛藤を生み(こちらの考えではそれが人間存在の常態である)、和解的に調和を保てない状態とは端的な苦しみだからである。多かれ少なかれ自己から離れていることが人の常なのだとすれば、釈迦が言った一切皆苦とはそういう意味でもあるのかもしれない。
  • アイロン掛けのあとは豚肉のこま切れとピーマンとネギを炒め、塩胡椒で味をつけて、するとちょうど米が炊けたのでもう食事にすることにした。五時半過ぎだったと思う。新聞を読みつつエネルギーを補給。ジョー・バイデンが、国防総省の高官が政権以降を妨害していると非難したらしい。あと、韓国では軍事境界線を越えて北朝鮮側に反北のビラを撒くことを禁じる法律が成立したとか。北を挑発して攻撃などを招いてはならないということらしいが、六月だかに金与正が談話を出しておなじことをもとめていたと言い、だから韓国内ではあまりにも北におもねっているという批判があるようだ。
  • 食後、ねぐらに帰ると昨日の記事を記述。一時間で仕上がった。いまだいたい通常の記事は一時間半から二時間くらい、長いものでも三時間くらいで仕上がるようになってきているので、わりと良いペースだ。そのまま投稿し、音読をしようと思っていたのだが、先に今日聞いたMonkのことを書いておきたいと思って綴りだし、八時前まで時間を使ってしまった。したがって音読は一時間しかできず。本当はもっとやるべきである。音読中は今日も五キロのダンベルを持った。あきらかに、持ち上げた状態で腕を保つのが楽になってきている。音読中にできるトレーニングやストレッチの類をもっと開発したい。
  • 九時にいたると入浴へ。風呂の前に便所に入ったところ、小窓の向こうから激しい風の音が響いている。なかに水音めいたものも聞こえるのだけれど、それがすでに降り出した雨粒の叩きつけられる音なのか、それとも落葉が地を擦る音なのか判別がつかない。風呂に行ったあとも窓外から暴力的な風の音が間歇的に寄せ、静寂のなかから遠く響きがはじまり、加速度的に吹きせまってくるときは本当に、外が水で覆われていて波がすばやく駆けてくるような音響。しかしおさまるとしずかなので、おそらくまだ雨ははじまっていないようだ。
  • 出ると一〇時頃。母親からもらったポテトチップスの少量をつまみながら、Evernoteに保存されてある書抜きのうち、日本の詩のものを一番古いものから読み返していった。音読用の「詩」という記事をつくるためである。最初は大岡昇平編の、岩波文庫の『中原中也詩集』。二〇一三年三月終わりの日付になっている。もう八年近く前になる。そう考えるとちょっとビビる。文学に惹かれて以来、詩というものを自覚的に読んだのがこれがはじめてだったはずで、それなので全然大したことのないような箇所ばかり書き写している。審美眼がまだ話になっていない。しかしそれに続く四月に読んでいる長田宏『世界はうつくしいと』、茨木のり子『対話』、現代詩文庫の『征矢泰子詩集』からはそれぞれ音読ノートに入れておくかという言葉が見つかった。征矢泰子など大層久しぶりに読み返したもので、この人の作風はセンチメンタリズムが過ぎると言えばそのとおりなのだが、透明で綺麗でけがれなく傷心的なセンチメンタリズムとして、これはこれで良いのではないか、なかなか結構なものなのではないかと思う。
  • 歯を磨きながら『征矢泰子詩集』の途中まで読むと、今日の日記の続きを記述。ここまで記せばちょうど日付が変わって大晦日となった。
  • そういえば、Woolf会は年末ということもあってか今回は休みとなった。来週こちらが翻訳担当だったのだが、当日一月六日は朝から晩まで勤務で帰りが遅くなるし、そもそも参加する気力が残されているかあやしく、誰かに担当を替わってもらわなければならないと思っていたところなのでちょうど良かった。
  • からだがこごっており、また目の周辺もよどんで重くなっていたのでベッドで書見。メルヴィルを読みすすめる。このあいだの会で(……)くんも言っていたが、『白鯨』の話者イシュメールはなんでもかんでもやたらと一般化したがる性質で、鯨や捕鯨の営みにまつわることを人間社会や人生一般に差し向け当てはめて格言じみたことをおりおり吐いている。その一般化の理路が独特なことが多く、詭弁めいているのだが、人を煙に巻いて困惑させるタイプの詭弁というよりは力技で強引に跳躍して穴を越えてしまうような種類の道のつくり方で、本気で言っているのか冗談なのかよくわからないような滑稽味が感じられる。一方で、けっこう鋭いことを洞察している箇所もままあるが、今日読んだ部分のなかにも鯨と照らし合わせて、そのありようを適用・応用して人間を考えるみたいなところがあり、この小説では基本的に、鯨や海といった自然領域は人間社会の方向に転用され、つまりは人間的意味へと回収されてとらえられていると思う。だからおそらくこの作品では、もしくはイシュメールにとっては、自然が自然として、なまの他者としてごろりと立ちあらわれてくるというよりは、無数の豊饒な意味がはち切れんばかりに詰まった宝物世界として現前しているはずで、その意味群をもっとも総合的に要約する言葉はたぶん「学び」ではないか。イシュメールにとって、海と鯨と捕鯨とは知と学びの源泉である。実際、どこだったか忘れたけれどどこかの章の末尾で、海あるいは捕鯨船は俺にとってハーバード大学であり、イェール大学だったのだという断言を彼は書きつけていた。
  • そのように考える一方で、自然が「なまの他者としてごろりと立ちあらわれてくる」ような側面もまたふくまれているのではないかという気もする。それは普通に行くなら鯨の威容とかその激しさとか、海で起こる尋常でない事柄の恐怖とか人知を超えたような甚だしさとか、そういった方向からとらえることになるのだろうけれど、そういう、人間が己の手前勝手な都合に合わせて見る「自然」を超脱した、もっとおどろおどろしく不気味で馴致不可能な過剰としての〈自然〉、みたいな流れで行くと、あまり面白くなるようには思えない。他者的自然を「悲劇」とのかかわりで考えたほうが良いような気がするのだけれど、しかしそれも結局上のような論法に収束していくのだろうか?
  • 一時過ぎまで読んだあと、夜食を用意しにいく。母親はテレビを点けたままソファで寝ていた。コンビニの冷凍の手羽中を温め、米と一緒に持ち帰って食う。合間、(……)さんのブログの一二月二五日の記事を読んだ。全然知らないのだが、『鬼滅の刃』のなんとかいう一キャラと自身の顔を置き換えたクソコラを作成しており、それが、(……)さんのハゲ面がとち狂ったような変顔をしている阿呆なものだったので、声を出さないようにしながらクソ笑った。(……)さんが頭髪を消滅させて以来、彼の容貌をしっかり目にするのはこれがはじめてではないか? 以前東京に来たとき、すなわち二〇一九年の二月もたぶんもう毛はなくなっていたはずだが、あのときはずっと帽子をかぶっていてハゲ面を目にしたおぼえはない。本当に綺麗なスキンヘッドになっている。
  • 今日は明確に遊んだ時間はほぼないし、家事もそこそここなしたし、読み書きは現時点でも七時間を越えているし、かなり勤勉にやったと言って良いだろう。ただいかんせん起床が遅かった。もっと良くできる。それにやれていないことも色々ある。瞑想は一日に二回時間を取るべきだし、書抜きもすすめないとまずい。日記の読み返しも他人のブログもそう。音楽を聞けたのはとても良かった。
  • 二時半から熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)の書抜き。Nina SimoneNina Simone Sings The Blues』がBGM。書抜きも本当に日々やっていかないとまずい。これなど、三月に詠み終わった本だぞ。机の上に読了本がうず高く塔をなしている。
  • Nina SimoneNina Simone Sings The Blues』はなかなか良い。#3 "In The Dark"、#6 "Backlash Blues"、#9 "Since I Fell For You"あたりが良い。#7 "I Want A Little Sugar In My Bowl"はとても良い曲だが、聞き流した感じでは、一九七四年のライブに入っている音源のほうがはるかに良いような気がする。きちんと聞いてみなければわからないが。Wikipedia記事を参照したところ、"In The Dark"はLil Greenという人の曲で、彼女は四〇年代に活躍したリズム&ブルースの歌手らしい。"Backlash Blues"はLangston Hughesが詞を書いたと言う。Simoneと友人だったらしい。"Since I Fell For You"はBrad Mehldauが『Blues & Ballads』で取り上げていた。
  • 書抜きを二箇所済ませると、寝る前にまた音楽を聞くことに。Jesse van Ruller & Bert van den Brink, "Amsterdam", "Good Bait"(『In Pursuit』: #6, #7)。しかしやはり遅い時間だと意識が濁る。"Amsterdam"は五拍子の曲で、印象がタイトルに引きずられている感はあるが、都市的な優美さみたいなものをおぼえたというか、冒頭付近のコードワークが凛としていて、異国の街路のような風景や空気感が喚起されるところはあった。Jesse van Rullerという人はずいぶん端正なギターだなと思う。音を埋めて流麗につらねるとき、リズムがきわめて正確できちんと区切られている感じがあるし、流れ方もよどみない。"Good Bait"のほうはよくおぼえていないが、Bert van den Brinkがソロの途中で、ロックギターでいうところのラン奏法みたいな反復をやっていて、そこが目覚ましかった。"Love For Sale"のソロの最初でやっているのもその類と言って良いだろうが、彼はたまにこういう感じで鮮烈な、はっとさせるような弾き方をはさんできて、その使い所とバランスが非常にうまい。それにしてもこのときのフレージングには聞き覚えがあったのだが、何かの引用だったのだろうか?
  • 音楽を聞くと三時一一分で消灯。はやくできており、なかなかよろしい。すぐには床に就かず、まず柔軟をして、それから瞑想もした。しかしやはり長くは座っていられず、一〇分のみで三時三三分に就床。