今では、ある人物を言葉で覆い尽くし、本の中で生き返らせるのは、見こみのない企てであることは分かっている。特にサンドロのような人物は。語るべきでも、記念碑を立てるべき人物でもなかった。彼は記念碑をあざ笑っていた。彼は徹頭徹尾行動の人で、それが終わってしまえば、何も残らなかった。まさに言葉以外は、何も。
(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、79; 「4 鉄」)
- 一一時半の起床になった。いつもどおりだ。滞在は八時間。本当はもうすこし減らしたいのだが、しかし考えてみれば、あまり長いとまたそれはそれでまずいけれど、睡眠を多く取って休むぶんにはそれだけからだが安らぐのだから、無理に意志的に短く起きようとしなくても良いのではないかと思った。日々心身を調えているうちに、無理なくおのずと睡眠の必要量が減ってくる、ということを目指したい。起き上がってベッド縁に腰掛け、両腕を背後に伸ばしたり首をかたむけたりして筋をやわらげたのち、瞑想。一一時四一分から五七分まで。悪くない身体の感触ではあった。しかし、もっとからだの内部にある存在の時間を減速させたい。
- 上階へ。母親はそろそろ働きに出るところ。天気は曖昧で退屈気な曇りなので洗濯物を入れたらしいのだが、こちらがジャージに着替えていると、なんかあかるくなってきたねと言ってタオルだけベランダにもどしていた。べつに晴れていないだろうとそのときは思ったのだが、それからすこしするとたしかに大気に陽の色が混ざりはじめたので、こちらも食後、肌着などを吊るしている円型ハンガーを出しておいた。食事は昨日のケンタッキーフライドチキンと米と味噌汁。鶏肉と白米をともに食いながら新聞を読む。国際面。香港で、台湾に渡ろうとした例の一二人のひとびとを援助した廉で、犯罪幇助として一一人ほどが逮捕されたと。なかに区議や、民主派の人々への支援で知られている黄国桐という弁護士が含まれているとのこと。米国については、二〇日の大統領就任式に向けて首都ワシントンが厳戒態勢を敷いているという旨。州兵は二万人動員される見込みだし(前回の就任式の際には八〇〇〇人だったという)、先日ドナルド・トランプの支持者が押し入った議会議事堂の周囲には二メートル以上の高さのフェンスが「何重にも」設置されたという。あとは韓国の記事。懲役二〇年の刑が確定した朴槿恵に対し、文在寅が恩赦をくだすかどうかが注目されていると。政権の主要敵である保守系野党勢力は朴槿恵にかんしては対立があるらしく、朴槿恵を支持した人々とその弾劾に賛成した人々と混じっているようで、恩赦によって彼らを分裂させることができるのではとの目論見も多少聞こえるらしい。年末に文在寅と会談した与党(「共に民主党」)代表の李洛淵 [イ・ナギョン] が年始に、朴槿恵ではなく李明博について、適切な時期に大統領に恩赦の判断を申し入れる、みたいなことを発言したといい、直前に会談していたわけなのでそれが文在寅の意向をほのめかしたものではないかと取られたらしい。しかし、支持層を考えると普通に恩赦などしないのでは? と思うのだが。実際世論調査だと、全体では朴槿恵への恩赦についての賛否は拮抗しているのだが、与党支持層では九割が反対と言っているようだし、文在寅政権自体が朴槿恵政権への反対運動のなかから生まれてきたようなもので、たとえばいわゆる従軍慰安婦問題にかんしてもそれはきわめて顕著にあらわれているのだから(前政権が日本とむすんだ協定を完全にくつがえして反故にしているわけだから)、ここで朴槿恵へ恩赦をくだしてしまえば、政権の中核的な支持層を大きく失って相当なダメージになるのではないかと思うのだが。
- 食後は皿と風呂を洗う。つい忘れてしまいがちだが、排水溝のカバーに集合して死んでいる毛を取り除いておいた。排水溝自体と床も多少擦っておき、自室に帰ると、いい加減にもう髪を切りたかったので、美容室に電話をかけた。来週の木曜日、二一日の一二時からと決まる。その前夜がWoolf会でまた夜更かししてしまう予感があり、起きられるかどうかやや不安だが、用事があれば起きられるというのがこちらのいままでの体質である。アラームをしかければなんとかなるだろう。
- LINEには(……)くんからメッセージ。昨日、Twitterやめたんですねと来ていたのにそうなのだとこたえてあったのだが、日記を読もうとしたらなくなっていたのでとさらに来ていたので、もうしずかにやろうと思いましたと言っておき、ちょうどWoolf会の日が最新なのでよかったら読んでくださいとURLを貼り、宣伝しておいた。
- それからここまで記述して一時半過ぎ。まずは何より、からだと肉を調えることだ。この三〇分はわりとしずかに、急がず書くことができた。
- 調身へ。合蹠・前屈・胎児・コブラを二セット。くわえて最後に左右開脚と背伸び。合蹠は主には股関節をやわらげるための姿勢とされているはずだが、脚の付け根の内側、すなわち股の至近の内腿の筋を伸ばすには、足先を持って前傾するのではなく、上体を立て気味にしたまま両脚に手を乗せて下へ押すような感じにしたほうが効果がある。もしくは、それでなくとも左右開脚をしたほうが良い。背伸びはごく単純に両手を直上に向けて掲げ伸ばした姿勢を保つだけで、ヨガで言うとこれはたぶん「太陽のポーズ」というやつに近いのだと思うが、結局肩こりとか首周辺の肉に一番きくのはこのきわめて単純な直線的伸張の運動ではないかという気がする。
- 四〇分くらい柔軟すると二時を越えているので洗濯物を取りこみに行った。陽はまだ出ていて、起きたときには雲が、明確な形をなさずぼんやり溶けこむようにして空の全体に白くはびこっていたのだが、いつかそれらの黴はおだやかな水流によって徐々に流されたように、不可視の掃除夫によって拭い取られたように、あるいは完全に溶け切って空のなかに吸収されたかのように消え去って、いまは牧歌的な弱い青さがあらわになっていた。タオルをさわるにやはり完全に乾いてはいないので、せめてもと室内に入れながらも陽の射しこむガラス戸の前に吊るしておく。西方面から来るその陽射しもいくらもしないうちに去ってしまうはずだが。
- 音読。ダンベルを持って腕の筋肉もあたためたかったのだが、ここでは脚を優先した。すなわち、足首あたりを持って背後に引っ張り上げた姿勢で文を読む。「英語」。最初のうちはかなりぎこちなかった。最近音読をしていなかったことにくわえ、舌先に軽い炎症ができているようで少々痛かったからだ。しかし次第になめらかに発語できるようになった。George SteinerがHadrian France-Lanordという学者のPaul Celan et Martin Heideggerという著作を評した記事など。題材も題材だし当たり前だが、Steinerの文章は、「英語」ノートに引かれているほかの文と比べると、読むのがあきらかに難しい。語彙にせよ一文の長さにせよ文構造にせよ負荷が大きい。
- 四時で上へ。小さな豆腐とモヤシのみ食べる。新聞からは予想外の電力需要の高まりによって供給がかなり逼迫しているという記事を読んだ。年末以来の日本海側地域での降雪によって関西電力の電気が足りなくなり、関東などから融通してもらったり災害時用の緊急発電車を三〇台くらい稼働させたりしたというのだが、電気って融通できるものなのか、どうやってやるのだろうと思った。まあそれは実際発電されたものが我が家にも届いているわけだから融通はできるのだろうけれど、ある会社の管区内からべつの会社の管区へと電気を移行させるというのはどういう仕組みや制度になっているのだろう。
- 食後、麻婆豆腐をつくった。「丸美屋」の黒いパッケージの辛口のもの。冷蔵庫を覗くとちょうどカットされた白菜もあったので、葉を二枚くらい取ってそれもくわえておく。こしらえ終えて下階にもどると四時半。歯磨きと着替えを済ませるとベストを身につけた仕事着姿でまた音読。今度は「記憶」。腕をあたためたかったのでダンベルを持ったが、ワイシャツを着たまま腕の筋肉に力を入れると肘のあたりなどシャツの通路の内側でちょっと引っかかりが生まれてやりづらいので、袖のボタンをはずして腕をまくった。二〇分のみ。ロラン・バルト/石川美子訳『零度のエクリチュール』からの書抜きなど。言っていることがわかるところとよくわからないところがわりと入り混じっている感じ。
- 五時。出発。寒くはない。からだの肉があたたまっているのを感じる。鼻先や唇は多少冷たいが(すなわちこのときはまだマスクをつけていなかったのだ)、それがからだの内を目指して下がってくるでもないし、肌もふるえない。今日は時間に余裕があったのでかなりゆっくりとした歩みで道をたどる。天気はまごうことなき曇りであたりはどこを取っても薄暗く、公営住宅の踊り場や側壁についたライトの白さや宙の色を見ているに、曇りというよりもほとんど雨が降っているような感覚もきざすが、もちろん濡れるわけではない。カラスが一匹、しずかに鳴いていた。
- 坂道もゆっくり一歩一歩上がっていく。今日も無音である。林の向こうで街道を走る車の音しか聞こえてこない。冬のことであらためて見れば木立は薄くなっており、隙間が生まれていてそこから車の動きも多少はうかがえる。出口に近づいたころ、しずけさが満ちた。周囲にだけでなく、みずからの内にも深く染みるようで、心身が明鏡じみてきて、歩が丹念なようになり、ところに頭上から葉音がはじまって、竹の葉房だと見なくともわかるが、見れば冬にもあかるい軽やかな緑がわずかしなっており、音はよほどかすかな、ささやきめいた漏れ方揺らぎ方で、微風がそこをつかのま通ったらしいが道のほうにまでは降りてこない。
- 最寄り駅の階段にかかって西の空を見上げればフェルトをつなぎ合わせてところどころほつれて失敗しながらもできあがったカバーのような雲が一面ひろくを覆い尽くして、その下の、山や木々との合間には覆われることを免れた、白に近い淡青のほそい領分がわずかに覗いているのだが、それが西陽を見送って暖色を失ったあとの空があらわになっているのか、それともそこもまたべつの雲に占められた層なのか、判断がつかない。
- この日は久しぶりに最寄り駅のベンチに就いて手帳にメモ書きした。左には白人の高年の人。おりおり見かけ、居合わせるがどのあたりに住んでいるのかは知らない。余裕を持って出たこちらよりも先にベンチにいたから、だいぶ余裕を持って来ている。脚がやや悪いようで杖を突いてゆっくり歩いているひとだ。この時間にわりといると思うが、どこに出かけているのかは知らない。(……)で降りてその先には行かず駅を出るようだが。
- 車内でも書き、着いてからも少々書いて、切りの良いところで立ち上がる。メモ書きは簡素に、圧縮して、あとで想起のよすがとなるような語をうまく記しておくのが良い。電車を降りると階段通路へ。ホームの先のほうに足もとが濡れている一所があり、濡れているのがわかったのはそこに、それよりもさらに遠くにある線路上の赤い信号灯がかすかに映りこんでいたからなのだが、雨が降ったわけでないのになぜあそこが濡れていたのか。
- 駅を出て裏通りを見通せば視線が建物を越えていった奥にそれらの隙間を満たしてひろがっている空は灰一色、灰というよりも鼠色か煤色か薄墨色というべき濃さに近いか、その背景に地味な色のマンションの輪郭線は溶け入るようになっている。勤務。(……)
- (……)
- (……)
- それで一〇時半過ぎに退勤。ここ最近では一番遅くなったし、疲労感もなかなかだ。駅に入って電車に乗り、休んでいるうちに最寄りに着くと降車。のろのろ帰路をたどる。帰り着くと手洗いうがいなどして休息。ゴルフボールを踏みながらハーマン・メルヴィル/千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を読んだ。基本的には、からだをほぐし調えること、日記を書くこと、本線の読書を進めること、音読をすることの四つが毎日の日課としてこなせれば良いのではないか。やりたいことはいくらでもあるが、その日にやらねばということを増やしすぎてもうまく行かない。ゆるくかまえて、現代の風潮に合わせて無理なく持続可能な習慣を確立していくべきだろう。最優先はとにかく調身である。あとは書き物をなるべく現在時に追いつけること。そして読書・音読以外に、その他のやるべきことをひとつでも触れられたらOK、というあたりが落とし所だろう。最悪触れられなくとも仕方はない。本線の読書ですすめる書物についてもメモや感想は、気分が乗ったらその日の記事に書いても良いが、けっこう時間がかかるので、書き物を現在時に追いつけることのほうを優先して、それができて余裕が生まれたら記しておくという方針が良いかもしれない。
- 一一時半で切って上階へ。麻婆豆腐などで食事。夕刊で、群馬県だったかにある国立ハンセン病治療院みたいな施設で発行されていた「高原」という文芸誌が惜しまれながら終刊をむかえたという記事を読んだ。藤田三四郎という自治会長もつとめた中心人物が死去してしまい、致し方ないと。また、昔は一二〇〇人だったか二〇〇〇人だかいた入所者も、いまは五三人にまで減っていて平均年齢も八八歳とあったと思う。この文芸誌からは一般文芸誌でも評価されるようなひとも輩出されたと言い、村越化石という俳人と、谺なんとかという詩人の名が挙がっていた。「村越化石」という名を見たときは、ちょっとおお、となり、なんかいいなと思った。「化石」とはなかなか思いつきそうで思いつかない名前のような気がする。ハンセン病と作家というと、北条民雄がたしかそうではなかったか? 川端康成が評価して世に知らせたひとだったはず。名前が思い出せなかったのでいまウェブに頼ったところ、この施設は群馬県草津にある「国立療養所栗生楽泉園」というものだった。谺なんとかというのは谺雄二というひと。『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』という本がみすず書房から出ているようだ。みすず書房という会社は本当に、面白そうな本しか出さない。みすず書房の本を見てすこしも興味を惹かれないということはほぼない。
- 零時を過ぎて入浴。あがって洗面所を出ると、居間のテーブルの前の椅子に母親がまだ残っていてうなだれて座りながらまどろんでおり、台所とシンク上のカウンターを通した先にそれを見た瞬間、異物の闖入というか、もう誰もいなくなっていると無意識に前提していたところに何かがあったため、一瞬、それが母親だとも認識できず、べつの知らない外部の人間か、あるいは何かの事物が侵入しているような錯覚が立って、すこしびくっとした。母親はこちらの気配を聞きつけて目のひらきのはっきりしない顔を起こした。彼女も翌日ははやく六時には起きるようだったのだが、すでに一時、起きられるかなと漏らしていた。
- こちらも翌日は朝からで、六時過ぎには起床する必要があったが、まあ四時間寝ればどうにかなるだろうと判断し、一時過ぎから二時までまたメルヴィルを読んだ。ゴルフボールを踏んだり、仰向けで脹脛をマッサージしたり、あるいはベッド上に辞書を使って文庫本をひらいたままに固定し、合蹠で前かがみになり太腿や股関節をほぐしながらと、色々調身しながら読む。就寝前はやはり本当はそういう風に、からだをいたわる習慣にしたほうが良いのだろう。瞑想はせずに消灯するとすぐに布団に入った。