2021/1/23, Sat.

 自由時間が取れた初めての日曜日に、私はとまどいを全身に感じながら、できる限り誠実で、釣り合いが取れ、品位のある返事を書こうとし始めた。下書きを書いてみた。私は実験室に入れてくれた礼を述べ、敵を許し、おそらく愛する準備はできているが、それは改悛の確実なしるしを見せた時、つまり敵であることを止めた時に限る、と言明した。逆の場合、敵であり続け、苦しみを作り出す意志に固執する時は、もちろん許すべきではない。そのものを立ち直らせようと努め、そのものと議論することはできるが(そうすべきである!)、そのものを許すのではなく、裁くのが私たちの義務となる。ミュラーが暗黙のうちに尋ねてきた、彼の行動についての判断に関しては、彼が行なったとしていることよりも、はるかに勇気あふれる行為を私たちに対してなしとげた、二人の同僚のドイツ人の実例を慎重に引用するに留めた。すべての人が英雄として生まれるわけではなく、すべての人が彼のように正直で無気力である世界なら、彼の行動も認められるかもしれないが、そうした世界は現実にはありえない。現実には武装集団が存在し、アウシュヴィッツを作り、正直で無気力な人たちはその地ならしをしたのだった。だからこそアウシュヴィッツに対して、すべてのドイツ人が、そして人類全体が責任があり、アウシュヴィッツ以降は無気力であることは正当化できないのである。(……)
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、339~340; 「20 ヴァナディウム」)



  • 一二時半頃まで寝坊。しまった。久方ぶりの雨降りだった。
  • いつもどおりの行程を済ませて帰室してからも、まずボールを踏みつつ書見。飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩文集』(白水社、二〇一二年)。のちに書抜くためのページメモだけ取っていて、気になった部分を記しておく読書ノートのほうへのメモを全然取れておらず、さっさともどって取ろうと思っているのだが、なぜかやる気にならない。ゲオルク・ビューヒナー賞受賞時の講演である「子午線」を読みすすめる。芸術や詩について。言っていることは、わからないでもないという箇所もあるものの、全体を通して深いところまではよくわからない。
  • 二時台後半からは日記。ちょうど二時間ほど。二〇日の分を完成させることができた。それでもう五時が近かったが、というかたしか投稿するうちに五時に至ったのだが、からだが疲労していたのでベッドに移ってしばし休身。どうもやはり背、とりわけ肩甲骨の付け根とかそのあいだをやわらげるのが難しい。一応両腕をうしろに伸ばすストレッチをすれば多少はほぐれて一時は保つのだが、時間が経つと反動的にまたこごってくる。あと、合蹠は重要で効力抜群だが、合蹠だけをやっていても脚に負担が大きいというか、合蹠は脚をたたむほうの刺激の仕方になるわけで、それだけでなく脚を伸ばすほうの柔軟もやらないと傷める可能性があるなと思った。脚の、とりわけ裏側の筋を伸ばすには、おそらく、ベッドの上に片足を乗せて(普通に足先を置いて)伸ばすやり方が簡単で良いと思う。あとは前後方向への開脚。
  • To The Lighthouseを読みながらちょっと休んだあと、上階へ。ほうれん草を絞って切る。そしてアイロン掛け。済むと腹は減っていたがいったん帰室し、ストレッチをおこなった。そうして六時二〇分を過ぎて食事へ。新聞は、夕刊の文化面をまず読んだ。宇野重規講談社現代新書で出した新著、たしか『民主主義とは何か』みたいなタイトルだったと思うが、それが人気で売れ行きが良いらしい。民主主義の歴史を古代ギリシアからあらためて教科書的にたどり、なおかつ宇野当人の視点や知見も盛りこんでいると。直接民主制と代議制民主主義はまったく違うものだという差異が強調されていたりするらしい。民主主義という思想や制度は二五〇〇年前の誕生時から絶えず疑いと不信の目にさらされてきたとも記事には言及されており、たしかにそれを考えると現在の価値低下も特に目新しいものではないとも言えるのかもしれない。ずっと昔は民主主義なんていうものは衆愚政治に堕すのが落ちで、教育も財産もない連中に政治的権利をあたえるなんてとんでもないという考え方が支配的だったわけだし。思想原理としてはともかく、現在のような大衆化された民主主義というか、いわゆる近代的な国家制度としての民主主義が整備されたのも、ここ一五〇年だか二〇〇年だかの期間に過ぎないのだから、それはまだまったく未完成のもので、これから順次アップデートされていくだろうというようなことも語られていた。長い歴史を考えると民主主義的価値が強固に共有され普及した二次大戦後の状況がむしろ例外ということになるけれど、宇野は、第二次世界大戦の惨禍を経ても民主主義が生き残り力を持ったことにむしろ希望を見たい、と言っていたと思う。
  • 宇野の記事の左側は、東京都江戸美術館だったか、そんなような名前の、両国にあるという美術館でひらかれている和宮関連の展覧会について。和宮というとこちらの記憶に浮かんでくるのは、いつだったかのNHK大河ドラマ堀北真希がそれを演じていたことで、おそらく宮尾登美子原作の『篤姫』のときだったのではないか。篤姫宮崎あおいが演じていたはずで、彼女が嫁いだ一三代将軍徳川家定堺雅人がわりと頭のおかしい感じの、無害な狂人という風なキャラクターを演じていた。西郷隆盛役を小澤征悦がやっていたおぼえもあり、こちらがはじめて小澤征悦を目にしたのがたぶんこのドラマだったと思う。和宮が嫁いだ先の一四代将軍家茂が誰だったかはおぼえていない。展覧会では和宮が実際に使っていた道具の類とか、家茂と交わされた書簡とかが展示されていると言う。家茂という人はたしかその後最後の将軍となる慶喜と比較されて、若いけれど実に優秀ということで(いや、優秀だったのは慶喜のほうで、家茂は血筋がより正統に近いということだったか?)一四代に選ばれたはずで、たしかその対立にも南紀派となんとか派とかいって名前がついていて、高校日本史で学んだおぼえがあるが、もう忘れてしまった。家茂が長州征討のあいだに若くして病死したということはおぼえていたが、記事を読むと二一歳とあったので、そんなに若かったのかと思った。書簡から判断される限りでは、和宮との仲は良好だったらしい。和宮はその後、まさしく公武合体の象徴らしく、朝廷と幕府のあいだのつなぎ役として活動したらしく、江戸城無血開城の際にもいくらか寄与したとかいうことだ。
  • あと、夕刊のほうだったか朝刊のほうだったか忘れたが、一面に、中国全人代が海警局により大きな権限を付与する法案を可決したという知らせがあった。領海(と中国が主張する領域の)内に入った外国船を退去させもしくは排除するための国内法的基盤が整えられたということで、尖閣諸島周辺で日本の公船や漁船が追い払われたり、最悪の場合は攻撃を受けたりする可能性がより濃厚になったわけだろう。それなので、今日、すなわちこの翌日である二四日の昼に、テレビのニュースで日本の岸なんとかいう防衛大臣と新任のオースティン米国防長官が電話会談したと見かけたが、そこでも尖閣諸島日米安全保障条約第五条の適用範囲内であるということが再確認として明言されたわけだろう。岸という人は岸信夫という名前で、容易に予想されたことだが岸信介の孫であり、つまり安倍晋三実弟らしい。Wikipediaによると、「東京都に安倍晋太郎・洋子夫婦の三男として生まれた(現在の本籍は山口県熊毛郡田布施町)。長兄は、安倍寛信、次兄は晋三。生後間もなく母・洋子の実家、岸家の信和・仲子夫婦に養子として迎えられた。夫婦に子供ができず、信和自身が小児麻痺を抱えて政治活動が困難だったことに伴う縁組だった [3: 野上忠興著『気骨 安倍晋三のDNA』62頁] 」、「晋三と実の兄弟であることは知らずに育った。晋三との関係を知ったのは大学進学に際し戸籍謄本を取り寄せたときで、岸は「大学入学前だったと記憶するが、提出書類として必要な戸籍謄本を取り寄せて見ると『養子』とあった。見た瞬間アレッて思いました。そのときのショックは、それは大変なものがあった。それからひと月ほど『何で教えてくれなかったんだ』という思いもあって、頭のなかが一種錯乱状態に陥りました」と言っている [6: 野上忠興著『気骨 安倍晋三のDNA』63頁] 。信夫の政界入りに兄の晋三は賛成ではなかったとされる [5: “中国を驚かせた菅義偉首相の絶妙な閣僚人事”. JBPRESS. 日本ビジネスプレス. (2020年9月24日) 2020年9月24日閲覧。] 」とのこと。中国の動向にもどると、正確な文言を忘れたが、ことによると公海上でも取り締まりをおこなうのではないかというような言葉が法案にはふくまれていたらしく、外交筋は危惧をおぼえているようだ。
  • 食後は自室にかえって、以下の合唱祭関連の部分を先に書いた。
  • 今日、二〇日の記事を書いていて黒人霊歌二曲を聞くとともに、LINEで(……)と(……)に、高校三年のときの課題曲をおぼえていないかと訊いてみたのだが、合唱祭のCDを見てくれた(……)のおかげで、"火の山の子守唄"という曲だった。新実徳英という作曲家の手になるもので、作詞はなんと谷川雁である。谷川雁が作詞した曲を高校の合唱祭で課題曲に取り上げるとは、強硬な右派の人間からはそれだけでも日教組だ! と言われてしまいそうではないか? 谷川雁Wikipedia記事によれば、「1989年、作曲家新実徳英と共作で合唱曲「白いうた 青いうた」の制作を開始。これは「曲先」「塡詞」と言われる、曲が先で詩を後から当てはめるという合唱曲では珍しい手法で作られた。このことにより新実徳英は自由に世界中のスタイルの曲を書くことができ、それらの様々な曲に谷川雁が見事に対応する詩をあてることで他に類例をみない合唱曲集が生まれ、その後鎌倉や鹿児島で毎年この合唱曲集だけを歌うフェスティバルが開かれるほどに愛されることとなった」とのこと。新実徳英のほうで作品リストを見てみると、このひとも川崎洋とか谷川俊太郎とか、金子光晴とか吉原幸子とか、長田弘とか、面白いところでは『梁塵秘抄』など取り上げているが、なかに和合亮一の名が多く見られるのが二〇日の記事に名を記したひとびととすこしだけ毛色の違うところだ。で、肝心の曲はといえば、検索すると一番はじめにこれ(https://www.youtube.com/watch?v=wMFHJpZgLRM(https://www.youtube.com/watch?v=wMFHJpZgLRM))が出てくる。聞いてみるとしかし、こちらの記憶に引っかかっていた半音下降的な妙な推移の難所が見当たらない。たぶん、B部のはじめにあたる「火の山のふもと ナルコユリ咲く」のあたりにそれがあったような気がするのだが、おそらくこの動画で歌っているのはまだ幼い女児たちなので、難しいところは簡単にしてあるのではないか。あるいは、もともとこの曲は女声合唱曲としてつくられたようなので、我が高校でやったのが(ことによると音楽教師(……)の手による?)独自のアレンジだったという可能性もある。我が高校は共学だったので、当然ながら、女声二パート男性二パートの計四パートで歌っていたのだ。それでさらに音源を探ってみると、「都立高校 火の山の子守唄」(https://www.youtube.com/watch?v=u1ruPuUpE4w&ab_channel=n6292(https://www.youtube.com/watch?v=u1ruPuUpE4w&ab_channel=n6292))というものに行き当たった。このアレンジがそのままこちらが歌ったものとおなじかどうかはわからないが、B部はこんな感じの複雑さだったし、B部に入る直前の最低音の1度→7度(→B部の最初で6度)という推移はたしかに存在した。タイトルには「都立高校」としか記されていないが、もしかしたらこの音源はまさしく我が高校のどれかのクラスが歌ったものなのかもしれない。というのも、この音源を上げているひとのチャンネルを見てみると、「都立高校 44羽の紅すずめ」(https://www.youtube.com/watch?v=_qgEF3UzuNA&ab_channel=n6292(https://www.youtube.com/watch?v=_qgEF3UzuNA&ab_channel=n6292))という合唱もまた投稿されているからだ。東京都ひろしと言えども、"火の山の子守唄"と"44わのべにすずめ"を合唱祭で両方やった学校は、あの年の我々くらいしかないのではないかと思うのだが。上の"44羽の紅すずめ"は、高校生だから当然だが、さほど質の高いものではない。たぶんこちらが聞いて優勝を確信とともに納得した当時の三年A組の合唱も、こんな感じのものだったのだろう。しかしくりかえしになるが、高校の合唱祭で、すなわち合唱部などの活動としてではなく、ごく普通の一クラスがこの曲を、ともかくも最初から最後まで歌って成立させてみせたというのは、それだけでわりとすごいことだと思う。
  • 合唱というのはとてもすばらしい文化である。こちらが高校のイベントで一番好きだったのはまちがいなく合唱祭だった。文化祭や体育祭などどうでも良い。自分で舞台に立って歌うのは、緊張するし、あまり得意ではなかったが。一年のときは不真面目だったので練習にもあまり参加しなかったが、二年になる頃にはたゆまぬギターの訓練によって音感がついていて、練習中にあいつがずれているなとか、あそこがこれくらい低いなとかがよくわかるようになっていたので、それで面白くなったのだ。合唱祭だけは、正直、もう一度やっても良い。
  • その後、九時が近かったので音読。またしても「英語」だ。「記憶」のほうを一向に読めない。九時一〇分まで四〇分間。それから入浴へ。
  • そういえば思い出したのだが、三日前の水曜日にWoolf会で、(……)くんが伊藤銀次『DEADLY DRIVE』から"こぬか雨"を流して、これがかなり良かった。七〇年代にキリンジがいたらこうだっただろうという印象で、声や歌い方までふくめてかなり近かったと思う。キリンジの二人はたぶん普通にこのあたりの音楽をたくさん聞いて、多くの部分を踏まえているのではないか。伊藤銀次というひとについて何も知らなかったのだけれど、大滝詠一まわりの人間で、山下達郎シュガー・ベイブに参加したり、その二人とナイアガラ・トライアングルというユニットを組んだりしている。ナイアガラ・トライアングルというのは、その二期もしくは二枚目に佐野元春が参加していて、何かの拍子に佐野元春の名前が出たので、彼って最初は大滝詠一とやってたんですよねとこちらが口にしたところから伊藤銀次に流れたのではないか。佐野元春大滝詠一もこちらは全然聞いたことがないが、何か月か前に原田知世が『SONGS』か何か忘れたが歌番組に出ていて、そこで"A面で恋をして"というナイアガラ・トライアングルの曲を歌っていたので、それではじめてそういう曲やユニットがあったことを知った次第だ。伊藤銀次 "こぬか雨"はかなり良かったので、七〇年代八〇年代の日本のシティポップというのか、そういう方面も掘っていきたい。
  • 風呂のなかでは雨の音を聞いていた。雨はまだ降り続いており、聞いていると窓の外でゆるやかに、間を置いて波打って、近く迫りまたひかえめに遠のいていく。激しいというほどではないが、網の目のこまかそうな響きで、ほとんど縞模様になるくらい隙間を空けずに隣接した格子のイメージが湧く。出て帰還すると、木曜日、二一日の記事を短く足して完成。Miles Davis QuintetRelaxin'』を流していたのだが、これがやはり良くて、片手間でなくてきちんと聞きたいと思ったので最初にもどし、"If I Were A Bell"、"You're My Everything"、"I Could Write A Book"と三曲連続で聞いた。このアルバムは、あるいはいわゆるマラソンセッション全体を通してそうなのかもしれないが、Paul Chambersの働きがすばらしい。五〇年代のジャズにおけるフォービートとして、手本と言うほかない演奏をくり出している。この三曲だったら特に最後の"I Could Write A Book"が、Philly Joe Jonesとも合わせてすばらしく、おそらくPaul Chambersがここではほんのすこしだけ先んじるようにして刻んでいるのではないかという気がするのだが、それがなければこの曲の明快な軽快さはなかったと思うし、"If I Were A Bell"でもピアノソロに入った途端に存在感がぐっとせり上がってくる。管楽器がなくなり、Red Garlandは例のしずかに転がす類のやや甘やかな弾き方をしているので、おのずとリズムの比重が高くなって際立つのだ。Garlandのタッチもしくはトーンとしては、"I Could Write A Book"のソロが一番うまく行っているかもしれない。絨毯の上を猫が歩いているみたいなやわらかな感触になっており、細部によっては、地にゆっくりと降り落ちてきた雪がすぐに溶けてなくなるようにして、ほとんど聞こえないくらいの音で消えていく。Garlandがそういう弾き方をしているのは、ボスであるMilesが当時Ahmad Jamalを気に入っていて、いいか? Jamalみたいにやれ、と言い聞かせていたからだとおよく耳にする。『Relaxin'』での演奏が御大のお気に召したのかわからないし、Ahmad Jamalのトリオとはやはり違うのではないかという気もするが、これはこれでひとつの形として成功しているようにも思う。つまり、ピアノが出しゃばらずに抑制と謙譲の美学を保持することによってリズムの心地よさが底から浮かび上がってくる、という意味では。ところでJohn Coltraneだが、この五六年時点の彼はまだ覚醒していないので、"If I Were A Bell"のソロではやはりぎこちなく、台詞回しも思うようにできていない感じがあるし、音を高める際にも目的地まで到達しきっていない、という事態が観察される。ただ、二曲目三曲目のソロはいままで思っていたよりもよく吹けていて、特に"You're My Everything"のほうは文句なく綺麗に歌えているように聞こえた。この段階でも、John Coltraneのメロディセンスというか、旋律のつくり方は悪くなくて、きちんと吹ければ良い歌い方になっていることはままあるし、ぎこちなくても、そういう風に歌いたいのね、というのはけっこう見えて、その姿勢自体はわりと買いたい気持ちになる。あと、トーンはもうここですでにほぼColtraneだなという感じがした。テナーにしてはややトレブリーな、あまりふくよかではない、中間的な音色というか。テナーサックスの音色としては、もしかするとColtraneは、トーンだけで見ると地味な、半端な位置にいるのかもしれない。RollinsとかBen WebsterとかColeman Hawkinsみたいな低音派でもないし、Lester Young - Stan Getzの流れほどに繊細で気体的な軽やかさにも行っていないし。ただ、すこしだけトレブリーなあの感じ、というのもそれはそれで特徴的な気もするのだが。三曲のなかで一番好きなのは、バラードの"You're My Everything"かもしれない。Red Garlandが弾きはじめたイントロを御大に制されてブロックコードに変え、それを受けてPhilly Joeもさっそくシンバルをロールしてかすかに添えだし、テーマに入る直前に一瞬ブレイクを置いたあとGarlandが四分三連の和音でしずかに下降していってトランペットのメロディ、という導入からして、風格と言うほかないようなものが漂っている。Milesのミュートによるバラードプレイは「卵の殻の上を歩くような」と評されたらしいが、うまく言ったものだなあと思う。ここでもそういうひんやりと繊細な歌唱が確立されていて、くわえて彼の場合はときおり、音の先端でトーンがかすかなざらつきを帯びる瞬間があるのだが、その擦過感は官能的である。つまり、エロい。
  • 三曲聞いたあと、一一時過ぎから日記に復帰。一時間綴って前日、二二日の分を仕上げた。するとからだが疲れたのでベッドに転がってツェランを読む。一時を回るまで読んでからカップ蕎麦を用意してきてエネルギーを補給。ウェブをちょっと見て怠けたあと、二時からまた日記。今日のことを途中まで記した。そうして二時四五分で切ってコンピューターを沈黙に追いやり、ふたたび飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩文集』(白水社、二〇一二年)を読みすすめた。もう本篇は終わって解説に入っている。読書ノートへのメモを取りたい。三時五〇分まで臥位で読み、消灯・就寝。