2021/3/3, Wed.

 『零度のエクリチュール』においては、(政治的な)ユートピアは、社会の普遍性という(素朴かもしれない)形態をまとっている。あたかもユートピアは、現在における悪のちょうど正反対のものでしかありえないかのようであり、あたかも分割にたいしては不分割で遅ればせに応じることしかできないかのようである。だがそのあとに、曖昧で困難にみちてはいるが、複数主義という哲学が現れてくる。画一化に反対して差異のほうに向かってゆく、ようするにフーリエ主義的な哲学である。するとユートピアは(ずっと維持されたまま)、きわめて細分化された社会を思い描くということになる。その分割はもはや社会的なものではなくなり、それゆえ対立を生むものではなくなるであろう。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、105; 「ユートピアは何の役に立つのか(A quoi sert l'utopie)」)



  • やはり九時台だったかに一度覚めたおぼえがあるが、今日はさすがに夜ふかしのあとですぐには起きられず。一〇時半頃に再度復帰したはず。仰向けのままで深呼吸をくり返したり、頭を左右に転がして首筋をやわらげたりする。陽射しは強く、熱いものだった。太陽光の刺激が肌に気持ち良い時季になってきている。一一時をまわって起きるとコンピューターを点けておき、今日は瞑想せずに上階へ。母親に挨拶。風がやたらと走って騒がしい日で、南窓の向こうを梅の白い花びらがつぎつぎと、虫か妖精にでもなったかのように、いくつも流れに惹かれて横にすばやく飛んでいく。顔を洗ったりうがいをしたりしたあと、野菜炒めやキャベツのスライスなどで食事。新聞からは香港の民主派四七人の公判について読んだ。一日の午前中から二日の未明までずっと続いたと。女性がひとり気絶したか何かで倒れ、その後も三人、救急車で運ばれたりして、たびたび休廷して異例の進行になったと。国際面の右側には「基礎からわかる中国共産党」みたいな特集が組まれていたので、あとで読むことに。今年の七月で結党から一〇〇年をむかえるためだ。
  • 皿を洗い、風呂も洗う。毎晩風呂に入ると、そこそこきちんと洗っているつもりなのに、浴槽の下端のほうがちょっとぬめったりしているので、今日は意識していつもより丹念に擦った。出ると自室へ。Notionで記事を作成して、正午過ぎから「英語」の音読に入る。そのあいだ、同時に、LINEで二六日の件について話がすすんでいた。キャンプに行こうという話になっており、「(……)」という施設を(……)が見つけてきてくれていたのだが、そこが楽器演奏はできないとかいうことで、しかし(……)が電話をして訊いてみるとOKだと言われたと。それなので二六日はそこに行くことになりそう。ただ、こちらが休み希望を出し忘れていて二六日は勤務になっており、それを変えて休日にしてもらえないかといま訊いているところなので行けるかまだわからないが。まだ間もあるし、職場に貢献もしているし、たぶん大丈夫だと思うが。
  • それで音読は一時間強。ベッドに移ってからだをほぐしながらウィリアム・フォークナ―/藤平育子訳『アブサロム、アブサロム!(上)』(岩波文庫、二〇一一年)を読む。天気は快晴。窓の向こうはあかるさの満ちた青空。フォークナーはⅡ章が終わり、Ⅲ章に入る。ミスター・コンプソンが息子のクエンティンに昔語りを続けている。このとき読んだなかではそれほどおどろく箇所はない。一箇所、Ⅲ章のはじまりで、ローザ・コールドフィールドの幼少期を語るくだりに、括弧とダッシュを多用して入り組んだような文構造になっているところがあり、そのかたちも負荷がかかってちょっとめずらしいようだったし、文章としてもすこし良い気がしたので、そこは書抜くことにしたが。一時間一五分読んで二時半過ぎ。三〇ページほど。
  • この日のこともたいがい忘れた。勤務がいつもよりはやくて、二時半過ぎでもう食事に行ったのだ。豆腐と味噌汁とヨーグルトを食べつつ、中国共産党創立から一〇〇年の新聞記事を読んだ。いずれ書き抜きしておくことにして、そのページだけ鋏で切り離して自室に持ち帰った。
  • 好天だったし歩いていくつもりだったのだが、意外と猶予がなかったので電車に心変わり。往路では、家のそばの林を構成している竹やらなにやらの無数の木々の立ち並びの向こう、西北方面に、もう落ちかけた太陽のあかるみを見た。黒くなった樹木らの一本一本の隙間も、金属を流しこんだようにつやによって占められている。空気はそこそこ冷たかった。そのなかで公営住宅の棟が頭から下まですべて丸ごと陽につつまれてあたたまっている。駅に着いてホームに入るとこちらもその陽射しにつつんでもらえて、風が冷たいは冷たいが、その感触を中和、もしくはそこまで行かないとしてもすくなくとも温もりを共存させてくれる。
  • 勤務のことも忘れた。(……)
  • 帰宅後はWoolf会。その前、帰ってきて休んでいるあいだに(……)さんのブログを読んだ。最新の三月二日と、一月一一日。三月二日に、昨年の記事からの引用。二〇二〇年当時に読んだときも面白いと思って引いた記憶があるが、これ正直めちゃくちゃ面白いと思う。この一段落は最初から最後まで通して、そのへんの小説よりもはるかに小説らしく、面白い。

団地で芝犬を連れた男性の姿をみかけた。母は車を停めた。助手席の窓をあけた。男性の顔を間近でみて、それがはじめて(……)ちゃんの飼い主であることに気づき、おどろいた。めちゃくちゃ老け込んでいた。(……)ちゃんの飼い主の男性といえば、もともと自衛隊に所属していたひとで、一年中日焼けしており、ムキムキで、このあたりではききなれない標準語で話してよく笑う(彼の出身は北海道なのだ)、快活な人物であるという印象だったのだが、いまや完全に老人であった。当然だ。記憶にあるのはこちらがまだ中高生だった時分の姿なのだ。芝犬は(……)ちゃんだった。(……)ちゃんは去年死んだのだという。(……)ちゃんの飼い主は老夫婦であるのだが、旦那さんは数年前に死亡、それでいまは奥さんが毎日散歩させているのだが、その奥さんも足が悪くなってきたらしく、そこで(……)ちゃんの飼い主――かつてこちらと弟は彼の笑い声を踏まえて「あっはっはっおじさん」と呼んでいた――が代理で散歩をしているところらしかった。あっはっはっおじさんは母よりひとまわり上、つまり、今年78歳らしかった。おもわず声をあげた。信じられなかった。(……)ちゃんが死んでからはどうもだめだとあっはっはっおじさんはいった。羊毛で愛犬のぬいぐるみを作ってくれる会社をネットで見つけた、それで藁にもすがる思いで生前の(……)ちゃんの写真を送った、ぬいぐるみはよくできている、寝室において毎日おはようおやすみと声をかけている、それでもやっぱり――とあっはっはっおじさんはいった。(……)ちゃんも老犬にみえた。年齢をたずねると、13歳だという返事があった。(……)ちゃんと(……)ちゃんと(……)さんのところの(……)は幼なじみでみんな仲良しだった、でもいま生きているのは(……)ちゃんだけだった。こちらの知っている(……)ちゃんと(……)は、このとき話題にあがっていた(……)ちゃんと(……)とは別の犬だった。母とあっはっはっおじさんは二代目(……)ちゃんと二代目(……)の話をしていたのだった。こちらはしかし二代目を知らない。こちらが知っているのサモエドの(……)ちゃんとハスキーの(……)だけだ。団地のひとたちはなぜか死んだ犬の名前を次の犬にそのままつける傾向がある。(……)だってそうだ。(……)の実家にいまいるのは二代目(……)だ。いや、その二代目(……)ももう死んだのだったか? (……)という名前はFF6の飛空挺にちなんで(……)がつけたものだ。母方の祖父も外で拾ってくる犬に毎回コロと名づけていたと聞いたことがある。この話は「(……)」の書き出しに使っている。団地の人間関係は犬にもとづいている。おたがいの名前は知らない。でもおたがいの飼い犬の名前は知っている。犬種も、年齢も、性格だって知っている。

また、立木康介『面白いほどよくわかるフロイト精神分析』の303ページでは幻想について触れられている。自我心理学と精神分析の違いについて触れられている箇所であるのだが、曰く、「(…)患者が自分の自我を分析家の自我へと同一化させるという自我心理学流の転移の決着のつけ方は、実は、無意識の幻想に蓋をすることにしかならない。精神分析は、それとはまったく逆の方向、すなわち、主体の存在欠如を穴埋めしている幻想を横断して、その欠如を引き受けることを主体に促すようなものでなくてはならない。ラカンは、そう考えたのです」と。ここで「幻想」のひとことが気にかかった。スラヴォイ・ジジェク鈴木晶訳『ラカンはこう読め!』でこの語に触れたときはその意味するところがまったく理解できなかったが、その後、樫村愛子ラカン社会学入門』を読み進める過程で、幻想というのはどうも失われた母子関係を埋め合わせする働きらしいとおしはかったのだった(この意味では、先に引いた立木康介の説明と辻褄が合うし、幻想の解体とはつまるところ去勢であるという理解にも当然なる)。
ところで、片岡一竹『疾風怒濤精神分析入門』の170ページには、幻想(ファンタスム)について、「〈もの〉を取り戻そうとする欲望の形」であるとしている。この〈もの〉は、「見せかけ」に対立するものとしての「現実界」に属するもの、すなわち、象徴不可能な域に属するものである(「〈もの〉の体験」が「原初的な満足体験」であり、その享楽を取り戻そうとするのが死の欲動であるというラカンの理路については、原初的な満足を〈母子〉の未分化状態とし、その未分化状態を目指す働き——それはとりもなおさず主体の死にほかならない——が死の欲動であるという読みを先日の記事で提示した)。つまり、幻想(ファンタスム)とは、原初的な満足(主体が主体化する以前の〈母子〉合一状態/象徴化による「存在欠如」を免れている状態)を手に入れようとする欲望のかたちであるということになる。ここでそのような原初的な満足のことをより端的に(未去勢の)「万能感」と言い換えてみてもいいだろう。
また、「象徴界現実界の境目」にあり「〈もの〉の残滓」であるとされる対象aを介して、主体と〈もの〉の間には結びつきができる。この結びつきを介して、主体は、「一定の満足感が得られるようになる」。つまり、幻想(ファンタスム)の機能は、「欲望を成立させるだけではな」く、「ある享楽の型(モード)を規定することでもあ」る(このある享楽がいわゆる「対象aの享楽」である)。この論理を先の「万能感」の代入に引っ張られるかたちでより簡潔に記しなおせば、幻想(ファンタム)とは、万能感をもとめる欲望を主体に惹起すると同時に、それを部分的に満たすものだということになる。フロイト -立木康介が「主体の存在欠如を穴埋めしている幻想」と書き記したのはこの意味だろう。「対象aという〈もの〉の残骸から、主体はある満足を汲み取」り(対象aの享楽)、そして「その汲み取り方の型を決めるのもの」が幻想(ファンタスム)である。

  • 「「〈もの〉の体験」が「原初的な満足体験」であり、その享楽を取り戻そうとするのが死の欲動であるというラカンの理路については、原初的な満足を〈母子〉の未分化状態とし、その未分化状態を目指す働き——それはとりもなおさず主体の死にほかならない——が死の欲動であるという読みを先日の記事で提示した」とあるが、このなかの、「未分化状態を目指す働き——それはとりもなおさず主体の死にほかならない——が死の欲動である」という点を取るなら、こちらが先月あたりにやたら感じていた主体の消滅と無に対する憧憬は、典型的に「死の欲動」だということになるだろう。
  • 上の引用に付されたコメントが以下。「幻想とは、主体が具体的にどのような対象を対象aとして見出すのか、あるいはなにを対象aの享楽として享楽するのか、それをさだめる物語(フィクション)のようなものである」という仮説的理解が示されているが、ロラン・バルトもそんな感じでファンタスムの語を用いていたようなおぼえがある。ただ彼の場合、もともとの用語の意味をかなり拡張したり転化させたりして使いがちだが。

幻想とは「主体の存在欠如を穴埋め」するものであり、「失われた母子関係を埋め合わせする働き」である。ただ、上に書かれているように、その「解体とはつまるところ去勢」であるとはちょっと言い切れないのではないかと思った。去勢を分析の最終目的地とみていた時代の精神分析であればそれでよかったのかもしれないが、享楽が問題になってくる段階になると、むしろひとは幻想なしでは生きることができないという観点が重視されることになるといえるはずだ。〈もの〉の享楽を取り戻そうとする(死の)欲動に憑かれている主体は、対象aの享楽によってもたらされる「一定の満足感」によって常にその欲動をなだめ、いなし、ぎりぎり制御している(ひるがえって欲望とは、欲動が満たされないようにそれを迂回させるものである)。幻想とは、主体が具体的にどのような対象を対象aとして見出すのか、あるいはなにを対象aの享楽として享楽するのか、それをさだめる物語(フィクション)のようなものである——と、ここまで言い切ってしまっていいのかどうかわからないが、ひとまずそのように理解しておきたい。

  • 下は一月一一日から。

(……)さんともひきつづきやりとり。先生にとって小説が本業で教師はバイトみたいなものですねというので、二十代後半からそういう意識が変わってきた、本を読むように他人と話し、絵画をみるように景色をながめ、音楽をきくように生活音に耳をかたむけることができるようになった、つまり、この世界そのものを一個の芸術作品とみなして対峙することができるようになった、だからいまは小説とそれ以外の仕事をそこまではっきり切り分けて考えているわけでもないと応じた。応じながら、これはいかにも凡庸で優等生的な返信だなと思った。結局「(……)」のころから考えが変わっていないんではないか? あのころさんざん書きつけたことをいまでもなぞっているだけというのはどうなのか? とはいえ、考えはたえず更新されるべきであるというのがじぶんにかつて取り憑いていた一種の強迫観念であったことを思えば、この不変不動もそれはそれで、それこそ良い「変化」といえるのかもしれない。くりかえしをおそれぬこと。おなじ事柄をおなじではない言葉で、声色で、抑揚で、文体で、言葉遣いで、とどのつまりは手を替え品を替え、くりかえし口にし、書きつづけること。

  • ここの最後に書きつけられている、「おなじ事柄をおなじではない言葉で、声色で、抑揚で、文体で、言葉遣いで、とどのつまりは手を替え品を替え、くりかえし口にし、書きつづけること」というやり方は、以下でロラン・バルトが述べている姿勢とちょうど反対のものだと思う。

 (……)愛の言葉をしつこく繰りかえして、弁証法的な解決を見つけようとする自分を想像してみる。すると、愛の呼びかけの言葉は、わたしがそれを繰りかえし言い、時をこえて日に日に言い続けても、言うたびに、新しい状態をふくむことになるだろうと思われる。アルゴー船の乗組員たちが、航海のあいだじゅう、船のあちこちの部品を変えながらも船名を変えることはなかったように、恋する主体はおなじ叫びをつうじて長い過程をなしとげようとする。本来の要求をすこしずつ弁証法的に発展させるが、しかし最初に口にしたときの興奮が色あせるわけではない。愛と言語の作業とはまさしく、おなじ文につねに新しい調子をあたえることだと考えられる。そうして、記号の形態は繰りかえされてもシニフィエはけっして繰りかえされることがないという驚くべき言語を作りだす。言語(と精神分析学)がわたしたちの情動すべてに刻みつける残酷な〈単純化〉にたいして、話者と恋する者がついに打ち勝つ、という言語を作りだすのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、167; 「言葉の作業(Le travail du mot)」)

きのうかおとつい考えたけれど書き忘れていたこと。対象aについてのじぶんなりの理解。対象aは合一(主体の死)を一瞬与えてくれるもの。象徴化(一般性)を逃れた出来事(特異性=傷)に触れることで、意味ではなく存在が瞬間的に満たされる。これは一種の快をもたらす。がしかし、その出来事が巨大な予測誤差をもたらす場合、快は不快に転じる(長すぎる死?)。それが享楽は快であると同時に不快でもあるということの意味であるという仮説。

     *

抜き書きがアホみたいにたまってきたので毎日少しずつ消化することに。まずはニコラ・フルリー/松本卓也訳『現実界に向かって ジャック=アラン・ミレール入門』。40頁。「ラカンシニフィアンを「他のシニフィアンに対して主体を」代理表象するものとして定義」しているとか、「主体は存在をもたず、どんな実体ももたないということを意味している。主体は、二つのシニフィアンのあいだの拍動運動の結果であり効果である。このように、シニフィアンが他のシニフィアンに対して主体を代理表象しているのである」とか、「それは、言表行為 énonciation の時間において、間欠的に表象されるものである。それはすぐれて拍動的なものである」とか、このあたりはどういうことなんだろうとたちどまった。特にシニフィアンとは他のシニフィアンに対して主体を代理表象するものであるという一節はラカン派の解説でかならずといってもいいほど出てくるフレーズなのだが、ここのところの理解があやふやになっている気がしてちょっと考えてみた。主体は象徴界に参入することで存在を失うかわりに意味を獲得する。これは乱暴に換言すれば、言語を獲得することで一般性を得るかわりに、特異的な自己への滞留を奪われるということである(これをサルトルふうに、即自的であることが禁じられ、対自的であることを余儀なくされると換言することもできる——ミレールは実際そういうふうに読み替えていたらしい)。存在=真理を失った主体は、失ったそれを追い求める(これが欲望)。欲望はしかし決して満たされることなく(存在=真理にはたどりつけず)、シニフィアンからシニフィアンへと換喩的に経めぐり続けることになる。あるシニフィアン(仮定的な存在=真理)にたどりついてもこれではないとなり、次のシニフィアン(仮定的な存在=真理)にたどりついてもやはりこれではないとなる。逆にいえば、その「でない」の部分にのみ存在=真理は姿を見せる(否定神学)。それがおそらく、シニフィアンとはほかのシニフィアンにたいして主体を代理表象するものであるという言葉の意味ということになる。作動する換喩(S2→S3→S4……)の、その「→」の推進力となる「(これ)ではない」のかたちで一瞬あらわになる存在=真理(S1?)。

     *

神経症者の自律妄想」という言葉が出てきたが、この考え方がとても面白い。まず神経症的主体の説明として「父の隠喩によって、神経症者は特権的な参照点を獲得し、この点を中心にしてさまざまな意味作用が配分されると同時にひとつの意味作用が神経症者に約束されます。神経症の主体が、父への依拠から手に入れたこの意味作用は、父の系譜から獲得されたものです」(23)とある。それに対して精神病的主体はそのような父を持たず、しかるがゆえにパラノイア的な妄想という手段によって父の機能を組織する必要があるとされる。ここまではラカン派の基礎的な理解だが、精神病的主体のそのような妄想(父なるものの構築)について、「神経症者の自律妄想にもこれと似たものが認められます」とカリガリスはいう。では、その自律妄想とは何かといえば、以下のように説明されている。「この妄想では、無意識の知の側で父の機能が禁圧されるために、主体は意味作用を系譜不在の中で作り上げなくてはならないのです。ですから、神経症者は自分が自分の父であるという隠喩の上に自らを基礎づけることになるのです。」「自律妄想は系譜不在妄想です。「私がすることは私自身の自由選択である。私は自由に選択することができる。私は自由にどんな選択をすることもできる」ということです。」(25)。これはまさしくアーレント的な意志にほかならない。「系譜不在」であることがそのまま「自由に選択することができる」という妄想につながる。そしてこのような自律妄想を、神経症的主体は免れえない。「あらゆる神経症者に共通な運命である自律妄想の中で、神経症者は自分が自分の父の位置にあるという隠喩の上に自らを基礎づけています。そこでは、まるで彼が自分自身の父であるかのようです」(25)。これを自由意志の不在を主張するものとして読むのはおそらくあやまりだろう。それよりも無限性を否定し有限性を主張するものとして、つまり、神経症的主体はあくまでも去勢のほどこされた主体であるという当然の事実を確認するものとして読むべきだろう。「意志」とは、「自律妄想」に過ぎない。

  • 最後の引用は、コンタルドカリガリス/小出浩之+西尾彰秦訳『妄想はなぜ必要か ラカン派の精神病臨床』への言及。かなりよくわかる。どれも面白いのだが、こうして読んでみると精神分析理論ってマジでなんでも説明できて、そこがむしろ胡散臭いというか、そんなに説明できちゃっていいの? という感じはある。
  • 一〇時半からWoolf会に参加。担当は先週に続き(……)さん。Yes. That was it. He finished. からはじまる一段落。William BankesがLily Briscoeに対してRamsayとの友情関係を語り終えて、湾のながめから離れて家にもどる場面。おてんば娘のCamが摘んでいた花をBankesにあげることを拒否し、それでBankesは一挙に切なく老けこんだ気分になっている。なぜかちょっと共感してしまうようなところがある。べつにこちらはそんなに歳を取っていないし、むしろまだ一応若者の部類に属する人間だと思うのだが。色々話されはしたが、いま特筆しておきたいことはない。
  • 『イギリス名詩選』も(……)さんが選んで、48番の、William Wordsworth, "Evening on Calais Beach"を読んだ。このアンソロジーは、なんか敬虔な詩がやたら多いなという印象。それで、もっと神を冒瀆するような詩はないんですかねと思わず罰当たりにつぶやいたが、昔はまあだいたいこんなものなのかもしれない。現代に近くなってくれば多少違うトーンもあるか。"If thou appear untouch'd by solemn thought / Thy nature is not therefore less divine;"(「よしんばお前がこの敬虔な想いに心をうたれなくても、/お前の魂が依然として聖らかであることに変わりはない」)という一節はなかなか良かった。翻訳で、「きよらか」の語を選び、「聖」の字をあてたのも良い仕事。
  • そのほか、雑談。小説の感想と、政治と文学または芸術の方向性的葛藤にかんしてなど。(……)
  • 政治と文学の葛藤というのは、(……)くんが最近丹生谷貴志の本を読んだらしく、そのなかに書かれていたことにアンビヴァレントな思いをいだいてしまうという導入からはじまった。LINEに画像を貼ってくれたのだけれど、丹生谷貴志は文学は「閑暇日」の産物であるというようなことを書いていて、何も「やることがない」という状態、目的意識とか方向的意味づけを欠いた場所からはじまる、みたいなことを言っており、なにかを絶対にやらなければならない、目的や意味ややるべきことを見つけなければならないというのはファシズムだと述べていた。(……)くんは、一方ではそういう言い分はとてもよくわかるのだけれど、他方では、さまざまな政治的問題や実存的苦難の存在を考えるに、暢気なものだと思ってしまう、と。こちらがその場で思ったところでは、丹生谷貴志は、現実に対して超然とした無関心を保つ非干渉主義を取れと言っているわけではなく、「やることがない」という無為とか空虚とかをそれとして見出し、そのなかで耐えるresilienceを持てないと、「やるべき」「やらなければならない」の大合唱に呑みこまれ、支配されて、向かうべきでない方向や場所に強制的に向かわされてしまうと警告しているのではないかという気がしたのだけれど、実際のところはその本をきちんと読んでみないとわからない。ただまあ、この本がたしか一九九九年くらいのもので、当時はまだ二〇〇一年九月一一日もむかえていないから世相としてもいまより多少は余裕があったのではないかという気がするし、「閑暇日」という言葉選びからして高踏的なニュアンスがにじむのは避けられないところだろう。そして、そういう言葉遣いはたぶん、いま現在の世ではどんどん許されないことになってきている。(……)くんは以前からおりおりこれとおなじ悩みを口にしており、そこで設定されている政治と文学の対立というのは、単純化と複雑化の対立、粗雑的要約化と固有的繊細化の対立と言っても良いだろうが、そのあいだのバランスをどうすんの? とか、この二律背反をうまく抜け出すか統合するか解体するいい方法はないの? というような問いにかんしては、こちらも回答など持ち合わせていないわけである。それで皆の話とか議論を聞きながら、大したことも言わず、ちっとも良い考えや言葉が思いつかず、ずっと聞くだけにとどまっていて、話をちょっと振られたときにも、いや、全然良い考えが思いつかないですよ、とこたえたのだけれど、結果としてはなんかむしろそれで良かったような気があとでした。「良い考え」とか、鋭い意見とか、有効な言葉とかを無理に言おうとしなかったのが良かった。そういう種類の言語を発したいという欲求を人間はけっこうおぼえるもので、べつにそれがいつでも悪いとは思わないし、それはそれで良いのだけれど、言ってみればそれは虚栄心のたぐいであって、「良い考え」を言おう、などというのはこちらとしてはおこがましい意思のように思われる。実際それが自分のなかから思い浮かんでくれば言えば良いが、そういう意思が先立って、それに引きずられるかたちで無理に言葉を発しようとするのは避けたい。何も言えないなら何も言えないで良いし、問題は問題として胸のうちに持って帰って個人的に考え続ければ良いのだ。
  • その後、(……)を聞き続け、あっという間に三時を越えてしまった。それなのでさすがにそろそろ風呂に行かなくてはということで礼を言って退出し、入浴してきてから三時五五分に消灯・就床。