2021/3/9, Tue.

 演劇(切り取られた場所である舞台)とは、〈ウェヌスの優美さ〉の場そのもの、すなわち、(プシュケとその灯りによって)見つめられ照らされているエロスの場そのものである。脇役や端役でも、その人物に欲望を感じさせるための何らかのモチーフを表わしさえできれば、舞台全体が救われるのである(そのモチーフは倒錯的かもしれない。美しさではなく、身体の細部や、声のきめ、息のしかた、いくぶん不器用なところにさえ結びついているかもしれない)。演劇のエロティックな機能は、付随的なものではない。なぜなら、あらゆる具象芸術(映画や絵画)のなかで演劇だけが、身体を表象するのではなく、身体をあたえるからである。演劇の身体は、偶発的であると同時に本質的である。本質的であるというのは、観客は身体を所有することができないからだ(憧憬による欲望という威光によって身体は賛美されるのである)。偶発的であるというのは、身体を所有することができるかもしれないからである。というのは、一瞬だけ狂気に陥れば(あなたにもありうることである)、舞台の上に駆け上がって、欲望するものにふれることができるからだ。それとは逆に、映画のほうは、そもそもの必然性によって、行為にうつることなど問題外だ。映像は、見せられている身体の〈どうしようもない〉不在なのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、114; 「エロスと演劇(Éros et le théâtre)」)



  • 一〇時半過ぎに現世に舞い戻ると、二度寝に取りこまれないように膝を立てて、からだの感覚をととのえるためにじっとしていたが、それでちょっとまどろみ、一一時を越えた。枕をどかして頭を左右にごろごろやって、首もとをほぐしてから起床。一一時半前だった。水場に行って顔を洗い、用を足したあと、今日はさっそくかなり念入りにうがいをやっておく。そうしてもどると瞑想。一一時三七分から五七分まで。よろしい。現在にとどまる感覚がわかってきた。思念と意識は絶えず浮遊して漂流的にそれていくのだが、それをつかまえてもとの位置にもどすのがすばやくなってきた。べつにそれたまま遊ばせていても良いのだが。瞑想をしてじっとしていると、デカルトのコギトがいかにも観念論的な思弁に思えてくる。はなはだしい頭でっかち、ということ。彼は思考すること、とりわけ疑いをいだくことを主体の存在根拠に据えたわけだけれど、そんなことを思弁的に構築しなければ主体の基盤を確立できなかったという点で、欧州の思想的伝統は、それはそれでめちゃくちゃかたよったものだと思う。瞑想をやっているとわりと体感的にわかるようになるが、主体的存在における後天的二次的属性やいわゆるアイデンティティのたぐいを仮に取り払ったとして、そのあとに自己の存在を根拠づける中核的要素として残るのはあきらかに呼吸の動きである。そこではもしかしたら、もはや「自己」とは言えないのかもしれないが、ともかく存在あるいは生物としてはそうなる。デカルトとか、観念論者の方面からすると、それは経験的事実を絶対化した素朴な身体的経験論で、身体の感覚など信用できない、デカルトがまさしく言ったようにそれは悪しき霊だか神だかなんだかによってわれわれに注入された幻覚なのかもしれないのだから、ということになるのだろうけれど、おそらくはプラトン以来の、この経験性と形而下の世界を軽視する潮流というのはどうにかならないものかな? と思う。言っていることはわかるのだけれど、うーん、みたいな。サンスクリット語ではbe動詞にあたる語は呼吸をするという意味だったと聞いたことがあるし、とすればそこではまさしく吐息と存在、すなわち(そこに/ここに)あることはひとしく結ばれていたわけだ。そのあたりの思考を発掘できないかなあという感じ。「存在」としての領分と、「主体」や「自己」としての領分はまた違ってくるのかもしれないが。
  • 上階へ。居間は無人。ジャージに着替えながら南の窓外を見ると、最初のうちは(……)さんの宅の魚を模した幟も死体になっており、首を吊られたようにだらりと垂れ下がっていたので風はないのかと見えたが、実際そうでもなくて、まもなく流れが生まれたようで魚は左右に振れながら持ち上がりはじめたし、窓の右下に覗いている白梅の、満開と言って良いだろう厚みに達した梢の白もふるふる揺らぎだした。背後で電話が鳴ったのですぐに出たところ、こちらが声を出す前に切れたので怪訝に思った。再着信もない。食事を用意しながら考えるに、家にひとがいるかどうかを確認したかったのか? と思った。そうするとなんだか犯罪的な、良からぬ意図の気配がしてくるが。実際今日は両親とも不在で、こちらが出なければ我が家は無人と判断されていたはず。
  • 食事はうどんや大根の葉の炒め物など。新聞は文化面を読む。東日本大震災から一〇年を期した記事。御厨貴開沼博の言が紹介されていた。後者のひとはたしか東浩紀のゲンロンから本を出していなかったか。『新復興論』というやつを。と思っていま検索したのだけれど、そうではなかった、ゲンロンから『新復興論』を出していたのは小松理虔というひとだった。たしかに、このひとは大学に属している人間ではなく(開沼博立命館大学の准教授とあった)、ずっと地域で活動してきたひとという話だったはずだ。なぜこの二人をまちがえたのかは不明。開沼氏は最近、福島第一原発内のさまざまな音を収録したCDを発表したと言う。そこで発生している具体的な物音や、そこで実際に働き生きている人間の実在性を感じてもらうことで、ひとびとの価値観や思いこみを揺さぶり、震災および原発事故の「ひとごと化」の進行に抵抗する、というような試みらしい。
  • その左側には、色川武大の電子全集全二三巻が完結したという報告があり、妻の孝子というひとの言葉が載せられていた。二人はもともといとこだったらしく、孝子さんが二〇代のときに親戚の結婚式で再会し、その後自宅にまねかれて天麩羅を振る舞われた。そのときに色川が何かを振り払うような仕草を見せたので聞けば、ナルコレプシーで幻覚や幻聴とたたかいながら暮らしていることを知らされたと。それで、このひとはあと二、三年くらいですぐに死んでしまいそうな感じがするし、一緒にいてあげようと思っていたところ、しばらくしてから色川に、俺は女性と一緒になろうと思ったことはないが、でも俺と一緒になる気はないか、と言われて連れ合いになったらしい。色川武大の話題は最近わりと見かける気がする。晩年の『狂人日記』は、孝子さんの言によれば命を削って書いているという感じがあったらしく、このひとはこれで絶対に文学賞を取ると確信していたとおり、読売文学賞を受賞した。おくられた単行本には「最愛の妻へ 狂人より」という書きこみがなされていたという。その『狂人日記』のすぐあと、色川は岩手県一関市で急逝した。
  • 食器をかたして風呂も洗う。風呂の蓋がまたちょっとぬるぬるしていたし、表面もカサカサした汚れがついていたのでこすっておいた。浴槽も洗うと室と洗面所を抜け、緑茶を用意。一杯目のエキスが出るのを待つあいだ、開脚したり背伸びしたりしてからだを伸ばす。そうして下階の自室に帰ると、Notionを準備。記事の冒頭に引用するロラン・バルトの文章が、EvernoteからNotionにコピーしたときに一行空きなどが反映されず、レイアウトがちょっと変わっていたのだが、それを直した範囲が尽きたので、Evernoteにアクセスして大雑把に読み返しながらまたいくつか構成を直す。ついでに過去の書き抜きも読み返して「記憶」ノートに追加しておこうと思い、「小説・戯曲(海外)」カテゴリの一番昔から見ていった。村上春樹訳のレイモンド・チャンドラーなど読んでいるが、いま読むとどうということもない、どうでも良いような部分を写したりしている。ダニエル・アラルコンも、全然見るべきところを見られていない感じ。いま読めば違うだろう。二〇一三年の三月頭あたりに、ニコルソン・ベイカー岸本佐知子訳『中二階』を読んでいるけれど、どうもこのあたりからこまかい描写というものに惹きつけられはじめたのではないか? という気がした。ニコルソン・ベイカーという名前を知ったのはネットサーフィンをしていた途中で、どこかのブログだったと思うのだけれど、小学生の息子か娘が学校で作文を書いたところ、先生にはもっと要点を絞って言いたいことをまとめなさいと言われたらしいが、自分が読んでみると、そのときあったことをこまごまと順番に全部書いていて、ニコルソン・ベイカーみたいでいいじゃんと思った、というような話があって、それで興味を持ったのだった。この『中二階』の書き出しは以下。それまでに読んだ作品や、それらからの書き抜きと比べると、やはり違うタイプの小説だと思う。

 一時少し前、私は黒い表紙のペンギンのペーパーバックと、上にレシートをホチキスで留めた「CVSファーマシー」の白い小さな紙袋を手に、会社のあるビルのロビーに入ると、エスカレーターの方向へ曲がった。エスカレーターは、私のオフィスがある中二階に通じていた。並んで身を起こし、中間の重みを支える支柱も桁もなく自立してフロアを結ぶ、二つの積分記号(∫)だ。よく晴れた日には、今日のように、複雑に交錯するロビーの巨大な大理石やガラスが、束の間、さらに勾配の急な光のエスカレーターを作り出した。真ん中より少し上で本物と交差した光のエスカレーターは、ブラシ地の金属のサイド・パネルに当たって細かい針を散らしたように輝き、かすかにでこぼこしながら上っていく黒いゴムの手すりの一本一本に細長いハイライトをつけ、それがまるでうねりながら回転するLPの縁に置かれたラジアン角の光沢のように見えた。
 (ニコルソン・ベイカー岸本佐知子訳『中二階』(白水社、1994年)、3; 書き出し)

  • 書き抜きを見て思い出したが、この作品はマックス・ヴェーバーばりに註をやたら活用してそこで長々と話を展開する小説で、ミシン目技術とかを称賛したり、メタ的に註というシステムそのものへの偏愛を語ったりして、大仰なユーモラスさがあってけっこう面白かった。下の、トイレで萎縮したときの対処法も面白いし、こちらもわりと公共の場で小便を出すのに時間がかかるタイプだったから、この想像は一時期実践していたことがある。

 私は窮地に追い込まれた。顔が熱くなるのがわかった。他のみんなは、会社のトイレで輸尿管を緩めることを全く苦にしていないようだった。なかには隣どうして平気で会話を続けるのさえいる。しかし、隣の人間の頭めがけて放水するイメージを思い描くというテクニックを開発する以前は、起こ(end114)る見込みのないことを待ってじっと〈エルジャー〉という文字を睨んでいる時間は、私にとってほとんど拷問に等しい辛さだった。どうしようもなくせっぱ詰まったときでさえ、もしそこに先客がいようものなら、もうそれだけで私の膀胱の中のお荷物は、臆病で聞きわけのない小さな筋肉に足止めを食らってしまう。すると私はしかたなく、し終わったようなふりをして咳払いを一つし、前のチャックを上げ、自己嫌悪にまみれてトイレを後にする。きっと隣の男は、自分の便器にとうとうと毒素を(end115)鳴り響かせながら、こう思うに違いない――"待てよ、いま出てった奴、全然音をさせなかったぞ。しばらくあそこに突っ立って、小便をするふりだけして、水を流して出ていったんだ! なんて気味の悪い奴! きっと、少しおかしいんだ"。そして私はしばらくしてはち切れそうな膀胱をかかえてこっそり舞い戻り、個室に入って顔が見えないように中腰になり、やっと誰はばかることなく放出するのだった。そんなことが四十五回ほどもあった後のある晩、映画が終わった後の映画館のひどく混みあった洗面所で、ついに私は一つのトリックを編み出した。誰かが隣の便器に来て立ち、その男の鼻息が耳元に迫り、すでに何度も証明済みの、彼の公共の場で排尿する能力というものがひしひしと感じられる、するととたんにあの小さな筋肉が、ヤドカリが殻の奥に引っ込むように縮こまりはじめるのがわかる、とその瞬間、くるりと体の向きを変え、顔色ひとつ変えずにその男の横顔めがけて放出するさまを頭の中で思い描いてみるのだ。勢いよく噴出する流れが男の髪に、まるで芝生に水をやるときにノズルの水圧を強くしすぎたみたいな揺れ動く分け目を作る。顔に大きな×印を描いてやる。男は腕を上げてしぶきを防ぎ、口に入らないようにぷっぷっと息を吐く。そして言う、"ちょっと? 何してるんだ? ヘイ! プッ、プッ、プッ"。これは効いた。以来私は困難な状況におちいると――たとえば両脇に同僚がやってきて、やあとこちらに声をかけてから自信たっぷりにやり始めたときなど、ほんの少し想像力をかき立てて、どちらか一人が恐怖に見ひらいた目の玉めがけて放尿するところを思い浮かべるのだった。
 (114~116)

  • その後、(……)さんのブログを覗くと、「ROCKIN'ON」について書かれていたが、そういえば自分はROCKIN'ONって一度も読んだことがないなと思った。それに限らず、音楽雑誌というものをあまり読む人種ではなかった。音楽だけでなく、雑誌全般そうだが。音楽雑誌でこちらがそれなりに読んだのは、『ヤング・ギター』誌と、あと『ジャズライフ』くらい。『ギター・マガジン』はたまにというくらいで、買ってはいなかった。『ヤング・ギター』はそこそこ買っていたはず。これはハードロック/ヘヴィメタル方面に傾斜した雑誌で、いわゆるギター・ヒーローを表紙に据えて打ち出す感じのもの。こちらが読んでいた高校生当時だと、Paul Gilbertとか、George Lynchとか、そのへんのひとたちが表紙になっていたし、たまにはJimmy PageとかRichie Blackmoreとか当時すでにレジェンドとして扱われていた往年のひとびとも登場していたのではないか。若いところだと、Children Of BodomのAlexi Laihoなんかが若手のエースとしてけっこう取り上げられていたおぼえがある。Alexi Laihoっていま何やってんだろうと思ってWikipediaを見たところ、昨年の末に亡くなっていたのでおどろいた。『ジャズライフ』誌もけっこう世話になって、ジャズに触れはじめて最初の頃はこの雑誌で色々学んだ。ジャズ雑誌だとほかに『スウィング・ジャーナル』とか、あともうひとつくらい大御所の雑誌があったと思うのだけれど、そちらのほうは全然読んだことがない。なぜか興味を持たなかった。なんかつねに過去の名盤とか名プレイヤーとかを特集して、選者を複数そろえてきておのおののおすすめを紹介しているようなイメージ。『ジャズライフ』はもっと新しくて表紙の雰囲気なんかもフレッシュというか、たぶんとっつきやすかったのだろう。いまホームページで最新号を見てみると、表紙は小林香織なのでキャッチーなフュージョン方面のひとだけれど、新作を出してインタビューされているのが、Emmet Cohen、Shai Maestro、Grethen Parlatoの三人で、いいじゃん、と思った。日本のジャズの動向も紹介されているようだし、「モダン・ジャズ再入門」のコーナーではGeorge Colemanの"There Is No Greater Love"のソロが分析されているらしい。たぶん、Miles Davisの『Four & More』の最後に入っているやつだろう。目配りがひろくて、良い雑誌じゃないか?
  • そうして、便所に行って腹を軽くしてきたあと、一時二〇分から今日のことを記述して、ここまでで二時四〇分にいたった。
  • この日のことであとよくおぼえているのは、夕食時のことくらい。タイムリーなことに、夕刊にちょうど小松理虔が出ていたので読む。復興活動を「ふまじめに」やることを呼びかけているらしい。というのは、震災後、まじめで正しい復興のあり方を考えれば考えるほど、地元のひとびとのあいだで対立と分断が深まったからと。自身としても、東京の大学生が東北に来てくれたときに、空気中の放射線量は大丈夫なのかと口にしたのが気に入らず、東京の学生は不勉強だ、最低限の知識は学んできてほしいとTwitterでつぶやいたところ、どうして興味を持ってわざわざ来てくれたひとを許せず、締め出すようなまねをするんですかとリプライが来て、それで自分が狭量で良くなかったなと反省したという。そういうもろもろがあって、「当事者」ではなくてもうすこしハードルの低く、ゆるいかかわり方を受け容れることのできる「共事者」という概念を思いつき、いまはその「共事者」を増やすことを目指してがんばっている。それも、復興支援をことさら前面に出すというよりも、うまい飯があって興味深く魅力的な場所があれば、おのずとひとは来るだろうというスタンスでやっているらしい。「当事者」的占有に閉鎖していくのではなくて、「共事者」に向けてひらいていくという姿勢は、東浩紀が『ゲンロン0』とかで語っていると思われる誤配と偶然の哲学と軌を一にしているので、それもあってゲンロンから『新復興論』が出たのだろう。
  • テレビは『世界街歩き』。プラハ。カルル橋とか、モルダウもしくはヴルタヴァとか、対岸に望まれるオレンジっぽい屋根の街並みとかが映るのを、これがカフカが生きていた街かと思って少々ながめた。川の岸辺というか、水に接した低い砂地までカメラは降りていって、そのあたりは木蔭になっており、閑静ななかで白鳥がたくさんくつろいでいるのに女児と母親の連れが餌をあげていた。
  • (……)
  • 一一時。(……)さんのブログを読む。最新の三月八日。冒頭は以下。やはり基本的には帰納的でなければ、徹底して臨機応変で、絶えず修正 - 調整的でなければならないのでは? と思った。演繹を逃れることなどできるわけがないのだけれど(上の文だって、「徹底して」というところに強固な演繹性が埋めこまれている)、どちらかと言えばやはり帰納を重視するべきではないのか、と。

 「古典的」(精神医学的)な臨床とは反対に、精神分析臨床は精神疾患を分類するのではなく、ケースバイケースで組み立てる。精神分析臨床は、それぞれの主体のもっとも内密なもの、その主体に固有の享楽するモードを目指すのであり、いかなる分類を用いたとしても症例を満足に説明することはできない。たしかに、フロイトラカンも、無視することができないものとして構造を参照していた(それは、臨床家はたとえば症例が強迫神経症なのかパラノイア精神病なのかを知らねばならないからである)。しかし、それは単に分析的ディスクールのなかで症例の議論ができるように症例を構築するためでしかない、ということを彼らは明確に述べていた。ミレールにとって、症例を構築することは、症例に論理的座標軸を与えることを意味する。論理的座標軸とは、症状の形式的外被とファンタスムの論理のことである。症例の構築は、分析的ディスクールの進展に寄与するために、そして、精神分析家の共同体が歴史的区分に応じた臨床の変化を摑むために必要不可欠である。実際、様々な症状は同じ形式をまとっているわけではなく、ある時代の社会政治的な文脈に従った形をとるということが知られている。いまだにヒステリー性神経症は存在するのではあるが(それはある種の主体にとっての取りうる方策として常に存在している)、精神病院に収容された、シャルコーの意味でのヒステリーはほとんど見られなくなっている。症状は時代によって形を変える。そのため、精神分析は永続的な探究をつづけるのであり、また、科学として成立しているディスクールのように閉じられたものにはならないのである。
 (ニコラ・フルリー/松本卓也訳『現実界に向かって ジャック=アラン・ミレール入門』 p.79-80)

  • ほか、下。

今日づけの記事をここまで書いた。そろそろ届いているかもしれないと思って郵便受けをのぞいてみると、予想通り『(……)』が届いていた。しかし気分がいまひとつ盛り上がらない。たぶん授業モードに移行してしまったのだろう。しかしこれはこれで良い気分転換だといえるかもしれない。少なくとも麻痺ったあたまを解きほぐすきっかけになる。もう何度も書いているが、二十代のころは全然そんなふうに考えることができなかった。いかに読み書き以外の時間を生活から締め出すか、そのためには何ができるか、それしか考えていなかったのが、仕事は仕事で悪くないなどとまさかこんなにも生温いことを平気で口にしてしまえるような人間になるとは! 二十代のころのじぶんは、その種の発言その種の発想というのを、自分のやりたいことだけで生活を組み立てることのできない人間が自己正当化するための腐った方便でしかないと唾棄していたわけだが、うーん、やっぱり(……)で働いた経験が大きかったのかもしれない、あそこで章がひとつ切り替わったとはいえるかもしれない。(……)が潰れたあと、同じようなワンオペ体制のアルバイトを見つけてそこで働いていれば、たぶん、その後中国生きの誘いがあってものらなかったんではないかと思う。転職というものは、それが以前とはまったく異なる業界や環境であれば余計にそうであるのだが、予測を超える出来事(現実的なもの)に身を晒す機会にもなるわけで、それは当然ストレスであるし、もっといえば大小さまざまな外傷をもたらしさえもするのだが、その外傷を(オープンダイアローグ的に?)言語化=物語化し、つまり、それを含む象徴体系を再構成することで、予測するものとしての主体の、いわゆる「器」が大きくなるということはいえるかもしれないが、しかしこれは「成長」のイデオロギーを暗黙の前提とした見立てであるという意味で危険であるので、ありがちな処理であるが、ここはやはり「成長」ではない、たんなる「変化」を推す方向で考えを進めることにしたい。

  • 「予測を超える出来事(現実的なもの)に身を晒す機会にもなるわけで、それは当然ストレスであるし、もっといえば大小さまざまな外傷をもたらしさえもするのだが、その外傷を(オープンダイアローグ的に?)言語化=物語化し、つまり、それを含む象徴体系を再構成することで、予測するものとしての主体の、いわゆる「器」が大きくなるということはいえるかもしれない」というのは、まさしくこちらがパニック障害において体験したことだなと思った。パニック障害の最初の発作など、「予測を超える出来事」の最たるもの、完璧な実例で、それまでの生であんなことはもちろん経験したことがなかったし、人間にあのような事態が起こるという認識もすこしもなかったから、「予測」などできるわけがない、完全無欠なまでの不意打ちだった。しかも苦痛の度合いが非常に大きかったものだから、それは当然、はなはだしい「外傷」になったわけで、べつにもう問題があるわけではないが、ただ、その余波から完全に逃れきったとはいまだに言えない。というか、その「余波から完全に逃れき」ることなど不可能なわけで、あのような大きな「外傷」をきっかけにして主体は真実、不可逆的に変性・変成してしまうので、それによってぐちゃぐちゃに乱された存在の組成のあり方を、「言語化=物語化」することで、その「外傷」をもふくみこんだ新たな自己認識および「象徴体系を再構成」していかなければならないということだ。それはたとえば、みずからの体験した症状を「パニック障害」という病名のもとに名指し、自認し、それを受け容れることであり(こちらははじめ、パニック障害という疾患の存在を知らなかったので、気づかないうちに風邪を引いていて体調が急激に悪くなったのだろうと思っていた。これはいまから思うとブラックユーモア的な意味で非常に滑稽だが、本当の話だ)、自分の思考傾向を相対化して理解し、「かたより」とされるものを修正しようとすることであり(認知療法)、数年前にも記したが、パニック障害経験を通して得た自己観察力のおかげでものを感じ記述する能力が養われた、という風に肯定的な意味づけをでっちあげることで苦難を中和することであり(物語化)、そういったもろもろの経緯を通して、たしかに主体としての「「器」が大きく」なり、苦しいことを受け止めながら耐える抵抗的弾力性、言ってみれば受難(passion)の能力が身についたということは、言えるには言える。ちなみにこちらは、わりと「「成長」のイデオロギーを暗黙の前提とし」ているタイプの人間である。つまり、色々節操なしに取りこんでいけばいくほど、自己が面白く拡張されていくだろうと思っている人種で、要するに主体における進歩史観論者なのだけれど、もちろんそこに疑問がないわけではない。たしかに色々節操なしに取りこんでいけば、色々な装飾や意匠は増えていくだろうけれど、それが果たして主体としての「成長」とか「進歩」と呼ぶべきものになるのかどうかわからないし。芯の部分、根本が、もしそういうものがあるとして、変わるのかいなか疑わしいようでもあるし。「「成長」のイデオロギー」の嫌なところは、「外傷」とか苦難を得ることで人間はことによると「成長」できるかもしれない、という論理が、人間が「成長」するためにはかならず苦難や苦労を経験しなければならないから、お前は苦労をしていくべきである、という論理に変換され、他者に強制的に押しつけられるかたちであっという間に蔓延していくことだ。
  • ベッドでの休息を終えたあと、トイレに行って尿を捨てながら瞑想をやろうという気になったので、もどると枕の上に座った。一時三九分から。かなり良かった。すくなくとも瞑想のあいだに限って言えば、マジで能動性を解体しはじめているかもしれない。たぶんずっと昔から禅宗の坊さんとかある種の道の実践者とかがみんな言っていると思うのだけれど、難しいのはやはり自然体であるということで、それは思うに能動性を排除するということであり、能動性を排除しながら同時に「能動性を排除しよう」という能動性をも回避しなければならない。つまり、「能動性を排除しよう」と思ったり意識したりすることなく、しかし実状としては能動性のない状態が実現されていなければならない。そういう感覚がなんとなくわかったような気がした。油断するとというか、ともすればすぐに精神に力がこもって集中をはじめようとするのだが。つまり、意識が力む。一点集中型の強い志向性を追求するのはおそらく正しい道ではない。どちらかと言えば拡散型が重要だと思うのだけれど、拡散しすぎて散漫になるというのもさまにならない。そのあいだのちょうどよいバランスをとらえられるようになってきた気がする。コツというのは変わらず、じっと停まって動かないということに尽きるのだけれど、肉体だけでなく、以前と比べると精神の揺動すらも、停めることはむろん不可能だが、動きを小さくできるようになった気がする。ポイントとしては、やはり待つというか、ただ受け止める、ということなのだ。受け止めることと受け容れることとの違いがわかってきた。というか、そのあいだの境が世上あまりきちんと区分されておらず、それらが一緒になって直通し、即座に接続されてしまうひとが多いということがわかってきた。大事なのはともかくも、ひとまず受け止めることである。しかしおそらく、まずきちんと受け止めることができないか、反対に、受け止めることが即座に受け容れることになってしまうひとが多いと思われる。
  • ジョルジョ・アガンベンが『アウシュヴィッツの残りのもの』のなかで、受容性と受動性という概念を区別して、受動性には受難=情熱、すなわちpassionの要素がふくまれていて、いわばみずからの受容性に情熱的になっている状態を受動性と定義しよう、みたいなことを言っており、そこをはじめて読んだときから、瞑想のときのあり方はだいたいこういう感じだなと思っていた。ただ、「情熱的」という言葉を使ってしまうと、そこに強い能動的志向性のニュアンスが生まれてくるので、いまのこちらの考えとはちょっと違うが。瞑想中の状態は、イメージや印象としては、自分がある場になっているという感じで、そこに思念とか言語とか感覚とかがやって来ては去って、絶えず流れすぎていく。重要なのは、自分が先にあって場と化しているというより、ある場がそこにあって、それがたまたま自分だった、というような感覚だということ。ここの部分は、下にある(……)さんのブログからの引用を読んだあとで書いているのだけれど、最後の引用部にふくまれている、「主体は、シニフィアンのネットワークの内部において置換や横滑りを可能にする空白のマス目にほかならない」とか、「したがって主体は、存在するわけでもなければ、実態をもつわけでもなく、転位語[シフター]の機能においてそこにあるものにすぎない。主体は、代数学でいうゼロの位置を占めているものと考えることができる」とかいうのは、今日の瞑想中の感覚に、イメージとしてわりと近いような気がした。没我とか忘我とか脱我(エクスタシー)とか、宗教やスピリチュアルや神秘主義の方面ではよく言われるわけだけれど、たしかにそういう感じが生まれる一瞬、というか生まれていたことに気づく一瞬みたいなものがないではないなと思った。自分がどこにいるのかを忘れていたというか、そもそも自分が存在しているということを忘れていた、というような。ただ、それは没入というというと違うような気もして、メタ的な見地がまったくなくなったというわけでもないように思う。「私」が消えた、というのはそうかもしれないが、「私」が消えれば「世界」が残るかというとそうでもなく、「私でないもの」があってはじめて「私」が成立し、「私」が成立してはじめて「私でないもの」も定かになるのだから、「私」が消えれば「私でないもの」=「世界」も消えるというのが順当な論理である。より正確には、「私」も、「私でないもの」もそれとして成立しなくなる、「私」と「私でないもの」の境が消える、という言い方にどうしたってなってしまうのだけれど、ただこれはおそらく正確な言語ではないという直感的な確信がこちらにはある。主客合一は、胡散臭い。現実界との同化、主体成立以前の世界への回帰が、瞑想によって実現するということを、こちらは信じていない。仮にそれに類する事態がかなうとしても、そこで起こっていることはおそらく、理論的に考えられていることとはやや違う事態である。禅宗のひとびとは瞑想中の感覚や状態を詳細に記述してこなかったのだろうか? めちゃくちゃ膨大な蓄積がありそうなものだが。そういうドキュメントこそがいまこそ必要だ。
  • 瞑想を解くと二時二分だったから二三分座っていたのだけれど、二〇分そこそこの時間とは思えなかった。もっと長い時間を通過してきたような感じがした。
  • 赤いきつね」を食べながら、ふたたび(……)さんのブログ。一月一二日。冒頭は以下。「他なるものによって自己を代表していく無を刻まれた代理表象」。

 このことは言葉を換えれば、他なるものからやってきた言語を受け入れたがゆえに、主体は実体としてみずからの手で自己の存在を支えられなくなり、それを他者に委ねるよりほかなくなったことからも説明できる。つまり、言葉によって斜線を引かれてその存在を抹消された時、主体は他なるものによって自己を代表していく無を刻まれた代理表象となり、それ本来の位置を滑り落ちるとラカンはいう。
 こうして言語という他者の記号のうちに自己を表現するよりない主体は、みずからの欲望を新たに私の主人となった他者をとおして欲望することになる。主体は先送りされた未来で、その存在を可能性のうちに受け取る宙づりの代理表象となり、欠けたものとして欲望の対象を見失い、他者の欲望を経てそれを取り戻すよりほかに手段がなくなったのである。
 欲望とは決して私自身のあずかり知るところのものではない。主体は他者の欲望を欲望するというかたちで、はじめて自己の本質を永劫の未来に措定することができるようになったのである。
 (福原泰平『ラカン 鏡像段階』 p.192)

 カントは、人間の(感性によって得られる)経験はバラバラでまとまりがないものであり、それらの経験は「我思う(Ich denke)」、つまり「私が自分で考えている」という「自己意識(…)」――デカルトのコギトを引き継ぐ概念、いわば「カント版コギト」です――によって統一されなければならないと述べています。私たちの経験や思考の一貫性を支えるこの機能を、彼は「超越論的統覚」と名付けました。彼の説明を聞いてみましょう。

「私は考える〔Ich denke〕」が、私の表象のすべてにともなうことが可能でなければならない。そうでなければ、まったく思考されることのできないものが私に表象されることになるからである。〔…〕ある直観において与えられている多様な表象は、それが総じてひとつの自己意識にぞくするのでなければ、総体として私の表象であることにはならないだろうからである。〔…〕そうでなければ、じぶんに意識されている表象を有するのと、おなじだけさまざまに色づけられて、あいことなった自己を私はもつことになるだろう〔…〕。(カント 二〇一二、 一四四―一四八頁)

 パラフレーズしておきましょう。この推論は、次のような手順でなされています。カントは、人間の「正常」な認識は、頭のなかに湧き上がるあらゆる表象(言葉やイメージ)に「私のもの」というラベルが貼られることによって成立しているといっています。たとえば、〈私〉が頭のなかで考えた言葉や、〈私〉に生じた感情や空想は、すべて〈私〉が考えたもの(=私のもの)です。では、もし、「私のもの」というラベルが貼られていない表象があったとすれば、どうなるでしょう。そのとき、私の頭のなかで、誰か別の人が考え、話す――つまりは、幻聴や考想吹入のような自我障害が生じる――ことになり、さらには〈私〉そのものの精神が分裂することになってしまうにちがいありません。そして、ここからが重要なのですが、カントは、だとすれば狂気ではない私たち人間の「正常」な認識には、狂気を抑え込む「統覚」というメカニズムがアプリオリに備わっているはずである、と論を進めています。言い換えれば、カントは事実としてひとまず私たちが「正常」である、というまったくの偶然の事柄を、「統覚」というきわめて重要な概念の確固たる根拠にすりかえているのです。これは、まさにカントにおける狂気に対する防衛、狂気の隔離を示す記述にほかなりません。
 このような推論は、狂気を排除しているだけでなく、子どもをも排除しています。実際、ある時期までの子どもは、自分が頭のなかで考えていることはすべて親に知られていると思っていることが知られています(タウスク 一九九二)。つまり、子どもは自分の頭のなかにある表象が「私(だけ)のもの」とは思っておらず、「親のもの」でもあると思っています。自己と他者のあいだのバリアである自我境界(Ichgrenze)が出来上がるのはもう少しあとの話なのです。
 狂気――特に統合失調症――においては、自分の頭のなかで生まれた表象が本来もつはずの「自分が考えている」という自己意識がうしなわれ、自分の思考が他者の思考だと認識されるようになります。そのような体験は「他者の思考が自分に押し込まれた」という体験つまり考想吹入や、「自分の思考が盗まれた」という体験つまり考想奪取(いわゆる「サトラレ」)となるでしょう。このように、カント的な近代的主体は、自己と他者のあいだの明確な境界(自我境界)としての自己意識をアプリオリなものとして前提しているのですが、実際にはそれは崩れることがありうるし、そもそもみな子どものときにはそんなものは存在しなかったのです。カントの体系は、そのことを無視した上ではじめて成立することが可能なのです。
 (松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』p.143-145)

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工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義」より。


 母から子どもへの言語の伝達は、欲望(désir)の伝達でもある。人間はきわめて未発達な状態で生まれてくるがゆえに、母=〈他者〉の世話なくしては生命を維持できない。それゆえ、母が何を考え、何を望んでいるのかは、子どもにとって死活問題である。そして、この問いを解く手がかりは、母の話す言葉にこそ求められる。母の欲望を問うことと言葉を獲得することは、子どもが主体となるプロセスのふたつの側面なのだ。重要なのは、このプロセスのなかで、子ども自身の欲望、主体としての欲望が立ち上がってくるという点である。母は何をいわんとしているのか、母は何を望んでいるのかという母の欲望の謎に向き合って試行錯誤することそのものが、子どもの言葉と欲望のベースを作っていく。
 欲望が成立するときに働くこうしたメカニズムは、子どもに限らず、広く認められる。というより、言葉を話す者の欲望は、必ず何らかのかたちで、このメカニズムにもとづいている。ラカンはこれを、「人間の欲望とは〈他者〉の欲望である」と定式化した。私たちの欲望は、あくまでも、私たちにとって決定的に重要な誰かの欲望との出会いの結果=効果として生まれる。だから、私たちが望むことのうちには、必ず、〈他者〉に望まれるような存在、〈他者〉にとって何らかの価値を備えた存在でありたいという根源的な欲望が潜んでいる。
 〈他者〉の機能を担うのは、必ずしも特定の個人とはかぎらない。より一般的に、社会を〈他者〉ととらえることもできるだろう。たしかに私たちは、自分が属している社会が自分に求めている(と想定される)役割を多かれ少なかれ推し量ろうとするし、それに何らかのかたちで応えようとする。これは自己形成に不可欠なプロセスだ。だから、私たちが人生のなかで行う選択の数々には、自分でそれを意識せずとも、大なり小なり〈他者〉の欲望が反映されている。〈他者〉から自分に向けられるメッセージへの応答の努力が、私たちの社会的人格を作るのだといってもよい。
 だが、このメッセージがときとして呪縛のように機能することもある。この呪縛は、例えば社会通念としての「道徳」というかたちで力を振るうかもしれないし、性別にかんする固定観念として私たちの私的領域に土足で踏み込んでくるかもしれない。こうした〈他者〉の欲望に従わなければ自分に存在価値はなくなってしまうと――無意識的に――信じ込み、この強迫的な信念が強い不安や罪責感を生み出すケースも多々ある。
 問題は、〈他者〉が私に望み、与える役割と、私自身の欲望とが、いつも一致するとはかぎらないということである。というより、そこには必然的に齟齬や不調和がつきまとう。個人が他の誰でもないそのひとである以上、個人と〈他者〉のあいだにはおのずとギャップが生じるからだ。そのため、「人間の欲望とは〈他者〉の欲望である」というテーゼを真剣に受け取るならば、このような齟齬や不調和と向き合うことこそが、社会的存在としての人間の生が抱える本質的な課題のひとつとなる。もちろんこれは、精神分析の臨床的課題でもある。この課題のもたらす葛藤が最もはっきり現われるのは、私たちが〈他者〉に対して自分を丸ごと明け渡してしまいそうになる瞬間である。これは、主体が自己消失にかぎりなく接近する契機にほかならない。
 このような契機を受け止め、切り抜けるために必要なのは、〈他者〉との関係を引き受けたうえで(言葉を話す以上それはどうやってもなくなりはしないから)、自分の主体としての欲望、すなわち肩書きや役割には決して汲み尽くせない、固有名のように替えのきかない欲望を作ってゆくことだ。それは、「自分がどうあるべきか」という根本的な問いに確固たる「正解」があって、その正解は〈他者〉のみが与えてくれる、というファンタジーから抜け出すことでもある。あるとき自分に宿った〈他者〉の欲望を、本当の意味で自分のものにできるかどうかは、そのひと自身にかかっている。

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 ラカンデカルト読解の中心的なモチーフは、まさにこのようなケースとしてコギトの成立を考える、というところにある。前回触れたように、ラカンの考えでは、「私は存在する」というコギトの確信をもたらす「私は考える」は、まさにそれを「言う」ことによってはじめて意味をなすのであり、デカルトはその点を見逃していた。コギトとはひとつの発話(parole)、すなわち言語の効果にほかならない。そして、裏を返せばそれは、コギトには必然的に、語り損ねられたものが、つまり何らかの喪失がつきまとっている、ということを意味する。どういうことか。
 例えば、「私は〇〇である」という発話について考えてみよう。この発話の主語は、「私」という一人称の代名詞である。当たり前だが、この「私」という言葉は、それを発する人物自身ではなく、あくまでもその代理として言語の領域に送り込まれる。これは、見方を変えれば、ひとが「私」という言葉を発するそのたびに、そのひとの「存在」そのものが言葉の織り成す「意味」の世界から締め出される、ということだ。言語は、発話者を交換可能な言葉のひとつに切り詰めることで、話す主体を生み出す。これが話す主体の本質をなす逆説である。
 言語のもたらすこうした事態を、ラカンは「主体の分裂」と呼んだ。話す主体とは、言葉が産み出す「意味」の次元と、そこで失われる「存在」の次元とに分裂した主体である。主体の分裂は、例えば「言表内容(énoncé)」の主語と「言表行為(énonciation)」の主体の分裂として現れる。これは、平たくいえば、言葉の意味内容とその言葉を発する行為そのものとのズレのことである。ラカンの考えでは、この分裂は言語をめぐる古今の考察のなかにしばしば見いだされるものの、正確にとらえられてはこなかった。例えば、自己言及にかんする古典的なパラドクスは、まさにこの分裂から生じる。コギトを論じるなかでラカンは、「嘘つきのパラドクス」を引き合いに出してくる。
 「私は嘘をつく」という発話は、真か偽か。これを真とみなすということは、この言表行為の主体が本当のことを言っているものと受け取るということだ。そうすると、「嘘をつく」という言表内容と矛盾する。反対に、これを偽とみなし、この言表そのものが嘘である、つまりこの言表行為の主体がじつは正直者であると考えてみても、やはり言表内容とのあいだに矛盾が生じる。つまり、真と偽どちらの判断を選んでも、その判断を否定する結論に至り着くことになる。
 だが、よく知られたこのパラドクスを額面どおりに受け取るだけで満足するわけにはいかない。実際ラカンは、ここにひとつのアンチノミー(二律背反)を見て取る「あまりに形式的な論理学的思考」を馬鹿げたものだと揶揄して憚らない。ラカンにいわせれば、この種の形式主義の盲点は、まさに「主体の分裂」を見過ごしていることにある。

「私は嘘をつく」と言われて、「君が『私は嘘をつく』と言うとき、君は真実を語っているのだから、嘘はついていない」と答えるのは、まったくもって愚かなことだ。「私は嘘をつく」という言表がそのパラドクスにもかかわらず完全に有効であることは、まったくあきらかである。事実、この言表している「私」、すなわち言表行為の「私」は、言表内容の「私」、すなわち言表内容のなかで主体を指し示しているシフターと同じものではない。

 簡単にいえば、うえのパラドクスは名ばかりである。むしろそれは、言語は主体を分裂させる――だから言表内容の次元と言表行為には必然的に不一致が生じる――というひとつの事実とみなされるべきだ。では、この事実を見過ごすとは、具体的にどういうことなのか。それは、一言でいえば、話す主体の欲望を見過ごすということである。ラカンによれば、欲望は言表行為の次元に位置づけられる。ひとが何かを話すとき、その話の内容とともにつねに問題となるのは、その話をすることで、そのひとが本当のところ何を言いたいのか、何を望んでいるのか、ということだ。

  • 「母の欲望を問うことと言葉を獲得することは、子どもが主体となるプロセスのふたつの側面なのだ。重要なのは、このプロセスのなかで、子ども自身の欲望、主体としての欲望が立ち上がってくるという点である。母は何をいわんとしているのか、母は何を望んでいるのかという母の欲望の謎に向き合って試行錯誤することそのものが、子どもの言葉と欲望のベースを作っていく」というのは、なるほどという感じ。
  • ラカンの考えでは、「私は存在する」というコギトの確信をもたらす「私は考える」は、まさにそれを「言う」ことによってはじめて意味をなすのであり、デカルトはその点を見逃していた。コギトとはひとつの発話(parole)、すなわち言語の効果にほかならない」というのは、このあいだ、いつの記事だったか忘れたが、こちらがデカルトからの引用を読んで思い、書きつけたことと軌を一にしており、やっぱり二〇世紀以降の連中はデカルトをそういう風に読み直しているのだなと思った。
  • 「主体の分裂は、例えば「言表内容(énoncé)」の主語と「言表行為(énonciation)」の主体の分裂として現れる」というのはJ・L・オースティンのいわゆる行為遂行的言語の議論や、ポール・ド・マンの思考などにつながってくるのではないか。
  • ラカンも読んでみたい。フランス語で読めたら、きっと日本語で読むよりもなおさら、すごく面白いんだろうが。たしかバーバラ・ジョンソンは、ラカンマラルメ以降、二〇世紀のフランス語の書き手のなかで比肩するものを持たない、もっとも厳密な統辞法の実践者であると書いていたし、彼は若い頃から文学も大好きで、ジョイスにはまっていたと聞いたこともある。
  • 最後に下。

 そのため、私たちはミレールとともに、主体を代理表象するシニフィアンは、それと同時に主体を取り逃がし、主体をそれ自体として含まない、と結論づけることができる。ラカン的な主体は、存在欠如なのである。これこそが、フロイトが無意識のなかに照らし出した、あの欲望の主体である。主体は、私たちが言語のなかに埋め込まれていることの結果として理解されるべきである。私たちは、主体を、生物学的個人や理解する主体から区別しなければならない。主体は認識の次元のものではないのである。主体は言語の効果ではあるが、言語は鏡のような方法で主体を反射することはできず、いわば、主体を含むことができない。同じ考えから、主体は自分自身に属するものではないと言うこともできよう。つまり、主体は外 - 在 ek-siste する(自分自身の外部に位置する)。主体は言語の外部にとどまり、分割され、疎外を被っている。実際、言語は、互いに結合しあう、あるいは置換可能なひと揃いのシニフィアンによって機能し、意味作用の効果をうみだす。ついでに言えば、このことは有名なラカンの主体の定義に新たな光をあたえてくれる。横滑り glissement や圧縮 condensation であろうと、換喩 métonymie や隠喩 métaphore であろうと、ひとつのシニフィアンが他のシニフィアンと組みあわされるときには、意味作用が生産される。主体は、シニフィアンのネットワークの内部において置換や横滑りを可能にする空白のマス目にほかならない。まとめるなら、それゆえラカンは主体を「ひとつのシニフィアンが他のシニフィアンに対して代理表象するもの」として定義しているのである。したがって主体は、存在するわけでもなければ、実態をもつわけでもなく、転位語[シフター]の機能においてそこにあるものにすぎない。主体は、代数学でいうゼロの位置を占めているものと考えることができる。それは単なる「欠如の場所を占めるもの tenant-lieu d'un manque」の位置であり、私たちはその位置に「空白のマス目」というメタファーを認めることができる。
 (ニコラ・フルリー/松本卓也訳『現実界に向かって ジャック=アラン・ミレール入門』 p.45-47)