2021/3/13, Sat.

 (フーリエふうの)ユートピア。もはや差異しかなくなり、その結果、異なっていることがもはや(end117)排除しあうことにはならない、といった世界である。

 サン=シュルピス教会のなかを歩いていて、偶然に結婚式が終わろうとするところに出くわし、彼は排除されている気分をあじわう。いったいなぜ、このような気分の悪化が生じたのか。儀式的で宗教的、夫婦にかんすることでプチブルジョワ的という、見せ物のなかでももっとも愚劣なもののせいで、なぜ気分が悪化したりするのか(盛大な結婚式でもなかったというのに)。結婚式に出くわすという偶然によって、あらゆる象徴的なものが積み重なってきて身体に譲歩を強いるという、あの希有な瞬間がもたらされていたのである。彼は、自分が対象となっている役割のすべてを一気に引き受けさせられていたのだ。あたかも、突然に、排除という存在そのものが、つまり凝縮して固くなった存在が、彼にぶつけられたかのようだった。というのは、このできごとが彼に見せつけた単純な排除のうえに、さらには最悪の隔離作用もくわえられていたからである。彼自身の言語という隔たりである。彼は、自分の心の動揺を、動揺のコードそのものにおいて引き受けること、すなわち動揺を〈表現する〉ことができなかった。彼は、排除されている以上に〈分離されている〉と感じていた。つねに〈目撃者〉の位置に追いやられていたのである。目撃者の言述とは、よく知られているように、分離のコードにしたがうことしかできないものだ。叙述的、説明的、異議申し立てふう、あるいは皮肉なものになりはしても、〈抒情的〉にはならないし、パトスと調和したものにはならない。彼は、パトスの外に自分の位置を見つけねばならないのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、117~118; 「排除(L'exclusion)」)



  • 八時のアラームで覚めたものの、消灯が四時一五分だからさすがにすぐには起き上がれない。意識も混濁気味。だましだまし二度寝に落ちないようにしながらより定かな覚醒を待ち、こめかみを揉んだりしたあと八時五〇分に起床した。喉がひりつくような感じがあった。鼻のなかも変な感じだったので、花粉にやられたものか、あるいは夜ふかしのためか。
  • 上階へ行くと母親はすでに出ており居間は無人。台所に膳が用意されてあったが、それは父親用のもののようだったので冷蔵庫を覗き、取り分けられてあったナポリタンをレンジで温める。その前やのちほどになっても、うがいを何度もやって喉をましにしようとしたが、炎症が起こっているようだからすぐには根本的には治らない。幸い、それほどひどくはない。すごく気になるというほどではない。
  • 食事を取りながら新聞。ミャンマーではNLDの党員を中心にして、先月頭のクーデターの四日後くらいに臨時政府がつくられていたらしく、それと国連との、また協力的な少数民族勢力との連携が活発化しているとか。国軍側はそういう動きに対して、国家に対して戦争をしかける「大逆罪」にあたると非難し、党員を拘束したり、その結果死にいたらしめたりしているらしい。ほか、アンドリュー・クオモ・ニューヨーク州知事が議会によって弾劾審査にかけられると。失策を隠すために老人ホームでの死者数を過少に報告していたのではないかという疑惑にくわえて、元側近などの女性六人がセクハラを訴えたと言う。クオモ知事は民主党所属だが、おなじ民主党の議員も六〇人くらい集まって辞任をもとめる声明か何か出したとか。
  • 食器を洗い、風呂も洗って下階へ。今日は昼前から会議で、わざわざ(……)まで出向かなければならない。一〇時半の電車で行くので、もう何をする時間もほとんどなかった。Notionの準備だけはしておき、歯を磨いたあとだったか前だったか、九時四三分から瞑想。わりとよろしい感じだったと思う。五七分まで座り、身支度をととのえる。その頃には父親が起きていた。寝ていたとは思わず、はやくからどこか出かけたのかと思っていたのだが、ゆっくり休んでいたようだ。居間に上がると起き抜けのしょぼくれたような顔でいたので、行ってくると挨拶し、用を足したりしてから出発。
  • 雨降りの日である。傘を差して道へ。バッグを普通に取っ手で持っていると濡れてしまうので、下面に手のひらをかけて脇にかかえるようにして行く。それでも普通に濡れてしまったが。空気はけっこう寒かったのではなかったか。ほかに歩く者の姿はない。坂の下から十字路へ上がってきた車があって、曲がりかけたと思ったらちょっとバックでもどり、停まったところをなかからひとり降りてきて、角の自販機で飲み物を買っていた。こちらは上り坂に折れるが、すると足もと、道の脇のほうには落ち葉や枝についたままの葉っぱが水流に集められたようでたくさん溜まっていて、濡れた色が濃くあざやかになり、ニスを塗ったようなつやつやとした褐色を放っていた。
  • 駅。階段を行きながら左方、西を見やる。近間の家並みと林の景色のなかに、紅梅の濃いピンクがひともと差しこまれてあざやかに目を惹くのがこころにくい。向きを変えてホームに下りながら北側の丘のほうを見ても、雨線に煙る大気のなかに梅の木はそこここで白と薄紅の囲い地をつつみもうけ、丘の木々も濡れたためにやはり色が、雨煙によっておだやかにされながらも同時にくっきり浮かび出ており、おのおのつねになくあきらかで、赤味がかったような茶色を見るに、まるで秋のような色だなと思った。ホームに降りると屋根の下をすぐに抜け、雨のなかにふたたび踏み入って先のほうで立ち止まる。風は大きくはない。向かいの段に立つ白梅の、振り乱した髪のようにばらけた枝ぶりと白の奥に建設中の家が一軒あるが、それをかこんでかかっているブルーシートも大して波打つわけでない。ただ弱いものの流れはあって、西から来たそれがからだに触れると、じわじわと染みこむようにして寒気が肌身をつたっていく。
  • 乗って、扉際で待機。着くと降りてすぐ向かいに乗り換え、着席して瞑目。休む。途中目をひらいたときに靴が砂利で汚れているように見えたので、ティッシュを取り出して拭いたのだが、それは土や微石がついていたわけではなく、雨粒で濡れた痕だった。靴も母親が言うとおり、もうずいぶんボロい見た目になってきている。なぜかわからないのだが、買ってからすぐに足先のほうに擦れたあとがついてしまったのだ。それを措いてもけっこうくたびれた感じ。そんなに履きつぶしていないのだが。
  • その後は瞑目して安らぐ。(……)で降車。上り、トイレを探したところ多目的トイレしかなく、なんとなく気が引けたので改札を出る。たしか下に公衆トイレがあっただろうと階段を下りてロータリー前を曲がると、やはり左右にひらいて下る階段のそのあいだを埋めるようにしてトイレがあったので、そこに入った。用を足し、すぐそばの(……)へ。以前来たときとは反対側の場所に移転していた。ビルに入って、エスカレーターを使わずに階段で四階まで上がっていく。
  • コツコツ靴音を響かせながら上っていき、教室の入り口の手前で止まり、傘を傘立てに置くと、一応コートを脱いで多少はらっておいた。それで扉があいたままになっていた入り口をくぐる(……)。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • それで退出。帰路のことはもうおぼえていないし割愛して、一気に自宅まで飛ぶ。飯に何を食ったかも忘れた。(……)さんがドーナツをくれたので、食後に一服しながらそれをいただいたはず。
  • あとこの日にあった主な出来事は、夜の会議くらい。昼も会議、夜も会議だ。職場での夜の会議は七時四五分からで、たしか徒歩で行ったはずだがそのあいだのことをちっともおぼえていない。実にもったいないことだ。ともかくはやめに、七時前くらいに出向き、会議の準備をした。(……)
  • (……)
  • (……)そうして、一〇時四〇分くらいの電車で(……)とともに帰った。最寄り駅で別れ、帰路をたどるが、このあいだのこともやはりおぼえていない。この日のあとのことも記憶がない。下の日記の読み返しと、詩をすこしだけいじったことくらい。
  • 日記読み返し。2020/3/12, Thu.には、「夕刊。WHOが今次の新型コロナウイルス騒動について「パンデミック」を宣言したとのこと。また、米国は英国を除く欧州からの入国を三〇日間禁止するという強力な措置に出たと言う。ヨーロッパではとりわけイタリアが感染拡大の中心地となっているようで感染者数は一万人を越え、先般には北部ロンバルディア州が封鎖されたところだ。騒動の発端となった中国では蔓延は段々終息に向かいはじめているのだろうか、感染者数は八万人を越えたあたりで増加に歯止めが掛かっているようだ」との記述。翌一三日には、「風呂のなかでは昔に作ろうとしていた小説――仮題『(……)』――のことを久しぶりに思い出した。世界を知覚する語りの主体がほとんど実体的なものとして存在せず、人間的な性質を剝奪された希薄で透明な幽霊であるかのような、もしくは単なるまなざしや感覚的機能の束に過ぎないかのような、そんな風な印象を与える断片形式の柔らかな作品にしたいと漠然と考えている(……)」とある。
  • 詩の改稿後は以下。改稿前は最下段に記録してある。まだ完成ではない。二連目をもうすこし膨らませなければならないだろう。終わりもべつの言葉にしたい。一連目は一応こんなところで良いような気がする。

 (……)