2021/3/14, Sun.

 明らかに彼は、(兵役を免除されている、と言うように)〈意味を免除されている〉ような世界を思い描いている。それは『零度のエクリチュール』を書いたときに始まっており、そこでは「いかなる記号も存在しない」ことが夢見られている。そのあと、この夢は機会があるたびに何度も明示されてきた(前衛的なテクストや、日本、音楽、アレクサンドランなどについて)。
 おもしろいのは、世間一般の意見のなかにも、まさにこのような夢を述べるものがあるということだ。「ドクサ」もまた、意味を好ましく思っていないのである。ドクサから見ると、意味は、際限のない(止めることのできない)理解不可能性のようなものを人生に持ちこむという誤りを犯しているのだ。意味の侵入(それは知識人たちに責任がある)にたいして、ドクサは〈具体的なもの〉を対置(end120)させる。具体的なものは意味に抗うとみなされているのである。
 しかしながら、彼にとって重要なのは、意味 - 以前、すなわち世界や人生や事件の起源といった意味に先立つものを探し出すことではなく、むしろ意味 - 以後を想像することである。通過儀礼の道にそって進むように意味全体を通りぬけ、そうして意味を疲れ果てさせ、意味を免除するようにしなければならない。したがって、ふたつの戦術が必要となる。「ドクサ」にたいしては、意味を支持する主張をしなければならない。なぜなら、意味は「自然」ではなく「歴史」から生み出されるからだ。だが「学問(偏執病的な言述)」にたいしては、意味の消滅というユートピアをつよく主張せねばならないのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、120~121; 「意味の免除(L'exemtion de sens)」)



  • 起床は正午を過ぎることになった。やはりそれだけ疲労していたらしい。鼻のなかが砂っぽく乾いていたし、喉も相変わらずひりつきがあった。ただ、覚めて落ちてをくり返しているうち、正午に起き上がった頃にはけっこうましになっていたようだが。ベッドを離れて水場に行き、父親に挨拶をかけてから洗顔とうがいと用足し。「アレグラFX」を持ってくるのを忘れたので一度部屋にもどって一錠を前歯のあいだにはさみ、上階へ上がると服用。母親に挨拶してジャージに着替える。今日は快晴、あかるくあたたかな好天である。食事はお好み焼き。しかしその前にまたうがいをやっておく。そうしてものを食べながら新聞をさらい、書評欄の入り口にあったサルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』の紹介を読んだ。デビュー作らしい。政治的歴史的主題とストーリーの魅力が高度に合わさっているとの評価。紹介者は小沢自然というような名前だった。名字が小沢だったか自信がないが、名前が自然だったのは珍しくて印象的だったからまちがいないと思う。インド独立の日の真夜中から一日以内だったか、一定の範囲内に生まれた一〇〇一人の人間には全員なんらかの超能力がそなわっているという設定を持っているらしく、それだけ取ると漫画的なようでもあるし、たしかに面白そう。書評欄本面にも面白そうな本がいくつかあった。岸見一郎が出した哲学の入門書みたいなものの記事もさっと読む。岸見一郎という名前はどこかで見たなと思ったが、アドラーをやっているひとだというから、そちら方面の書名で見かけたのだろう。ほか、安藤礼二の『熊楠』という本の紹介もあった。評者は尾崎真理子。これはまだ読んでいない。書評欄の右隣にはなんとかいう歴史家のインタビューもあったのでこれも読みたい。
  • 食事を終えて、台所の食器乾燥機を片づけると、父親が置いていったものも合わせて洗う。それから風呂洗い。そうして茶を持って帰室。Notionを準備したのち、今日もまた一服しながら英文記事を読んだ。下の二つ。

An inspirational 106 year old Royal Voluntary Service volunteer who has devoted 95 years of her life to volunteering and does a good deed every day is the winner of a new award, Prime Minister David Cameron has announced.

Betty Lowe, who lives in Salford, joined the Girls Guides in 1919 and was a guiding leader in Salford. Betty has also been a Royal Voluntary Service volunteer for over 40 years and she still volunteers every week in the Royal Voluntary Service café at Salford Royal Hospital, welcoming people with cups of tea and coffee.

Betty is the latest recipient of a Point of Light award, which recognises outstanding individual volunteers, people who are making a change in their community and inspiring others. Each day, someone, somewhere in the country is selected to receive the award to celebrate their remarkable achievements.

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Betty is the 134th winner of the new Points of Light award which has been developed in partnership with the hugely successful Points of Light programme in the USA and was first established by President George H W Bush. Over 5,000 US Points of Light have been awarded and both President George H W Bush and President Barack Obama have publicly supported the partnership with Points of Light UK which honours shining examples of volunteering across the country.

The idea of slow violence can be traced back to the 1960s, though it wasn't called that back then. In 1969, the Norwegian sociologist Johan Galtung – known as the **["father of peace studies"](https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-3-642-32481-9_1)** – argued that violence could be enacted by more than fists or weapons. Violence, he argued, could also **[be "structural".](https://www.jstor.org/stable/422690)**

For Galtung, this kind of violence happens when a society causes harm to its citizens and their property, often invisibly, through social or health inequalities, racism, sexism or another systemic means. The victims have foreshortened lives, and have suffered both bodily and psychologically. But while the impact is tangible, the blame is harder to pin down.

"Personal violence *shows*," Galtung wrote. "[It] represents change and dynamism – not only ripples on waves, but waves on otherwise tranquil waters. Structural violence is silent, it does not show – it is essentially static, it *is* the tranquil waters. In a static society, personal violence will be registered, whereas structural violence may be seen as about as natural as the air around us."

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This year marks a decade since the environmentalist and literary scholar Rob Nixon of Princeton University coined the term "slow violence". Like Galtung, he described a kind of violence that was structural, but he was the first to point out that it could also be experienced over many years, possibly even generations. It occurs "gradually and out of sight, a violence of delayed destruction that is dispersed across time and space, an attritional violence that is typically not viewed as violence at all," he wrote.

According to Nixon, slow violence can be found embedded within the "slowly unfolding environmental catastrophes" of long-term pollution, climate change or nuclear fallout. But it can also describe many kinds of harm that affect individuals and communities at a pace too slow to assign blame.

Like fast violence, people still suffer or even die, but the protagonists of the act are diffuse and often outside the reach of prosecution. Some of the blame might lie with an entire industry subtly polluting an ecosystem legally and collectively, while some blame may lie with a government policy written in a distant capital years before. The point is that slow violence does not always have a clear perpetrator.

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Davies [geographer Thom Davies of the University of Nottingham, UK] studies what he describes as "toxic geographies" where such harm is clear to see. These places might be a refugee camp, a village embedded on a landfill, or the zone around Chernobyl. In 2019, he looked specifically at the case of "cancer alley" alongside the Mississippi River in Louisiana. This is one of the US's most polluted regions, and he found that the concept of slow violence provided a new lens to describe what he observed there.

"As you drive along the concrete interstates that rise above the swamps and bayous of south Louisiana, a metallic assemblage of catalytic crackers, reformers, visbreakers, and fractionating columns dot the horizon," Davies wrote in a **[journal article](https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/2399654419841063)** describing his ethnographic studies in the region. "The lower course of the Mississippi River hosts the densest cluster of chemical facilities in the Western Hemisphere."

In the nearby rural settlement of Freetown, Davies interviewed people about their experiences living so close to this industrial landscape. He describes how one resident, called Daisy (not her real name), has observed changes to her community playing out over years. "For seven decades she has witnessed the slow accumulation of pollution gradually impact the local area: the invasive chemical smells, the gossiped-accounts of elevated cancer rates, and the vegetation in her garden wilting where once it thrived. At times, she explained, ‘the air is so full with gas you can hardly breathe'."

In cancer alley, the residents are often low-income black Americans. Freetown was once part of the Pedescleaux-Landry sugar plantation and was founded by former slaves. Daisy's family bought their land in the late 1800s. "It was beautiful to live here before they started putting those tanks and things," she told Davies. "It really was. It really was a nice place to live. Everything was all healthy."

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A key point about this category of harm is that it is rooted in inequality. When Galtung was writing in the 1960s, he pointed out that such violence represented a curtailing of *potential*, where somebody is prevented from living a better life. The point is that it affects some, but not all, communities. Those with more privilege can escape it.

  • 途中、排便するために上階に上がったときに、小さいおにぎりをつくってきて腹にくわえた。英語のリーディングに一時間ほどで満足して二時半を過ぎると、コンピューターをデスクにもどしてちょっと柔軟。おにぎりを食べたばかりで横にはなれないので、開脚とか背伸びとかをおこなってからだを伸ばす。そうして三時前から、いくらか声を出すかと思って「英語」の音読をはじめた。『Solo Monk』とともに二四分読んで切り上げると、それからそのまま今日のこともここまで記して三時半を回ったところ。起き抜けはからだの感じが、なんだか風邪を引いたような雰囲気だったのだが、いまは問題なくまとまっている。鼻水も出ないし、喉もひっかかりが完全になくなったわけではないが問題はない。
  • 夕食後、カステラを二切れ食ってから、ウィリアム・フォークナ―/藤平育子訳『アブサロム、アブサロム!(上)』(岩波文庫、二〇一一年)をメモ。291に、「柔らかい綿にくるまった無傷の繭がいくつもの段階を通り抜けていくような、お蚕ぐるみの育ち」とあり、「お蚕ぐるみ」という言い方をはじめて知った。検索してみると、普通にある表現らしい。「箱入り娘」という意味だろうと思っていたが、「上から下まで絹物を身にまとうこと。ぜいたくな生活をいう」とのことなので、重なり合いながらもニュアンスは微妙に違うようだ。「世間知らず」の含意はそこまで強くはないのかもしれない。
  • この日はあと読書会のことくらい。八時半からだったか。課題書はウィリアム・フォークナ―/藤平育子訳『アブサロム、アブサロム!(上)』(岩波文庫、二〇一一年)。ZOOMにつないで最初のほうは、(……)くんがヒップホップを紹介してくれて、Big Ghost LtdというやつとWestside Gunnという名前を知った。(……)くんによると最近のヒップホップはあまりビートを強調しないやり方になってきていて、アンビエントとか映画音楽みたいなトラックでラップをするものがけっこう多いという。(……)さんがあらわれなかったのでしばらく雑談しながら待っていたのだが、来ないようだったのでフォークナーについて話しはじめた。(……)さんが選んだ課題書なので、彼にまず話してもらったが、文体がやはり読みにくいというか、骨が折れるもので、この厚さにしてはかなり読むのに苦労したという印象だったよう。こちらは上巻がほぼすべて回想的な語りになっているのはよくやったなと思いましたとか言ったり、下巻はこういう感じらしいですよと訳者解説から得た情報をつたえる。白眉としては冒頭の描写と、二六二ページ以下の数ページが良かったと言っておいた。(……)くんがその場で原文を検索して共有してくれたのだが、冒頭を見ると、カンマが全然ないまま長い文が続いていて、ああこういう感じなのかと思った。Virginia Woolfとはリズム感が全然違うが(Woolfはもっとカンマをこまかくはさんでリズムをつくることが多い)、これはこれで英文で読むのは相当に大変そうだなと思った。冒頭でローザ・コールドフィールドの家の室内の描写があって、そこがいつも閉ざされたままで、季節は九月なのだが太陽が熱くて埃が舞って乾いており、みたいな感じだったと思うのだけれど、英語の文体としてもこれだと息苦しいような、窒息的な感覚をあたえるのではないかと思って、そのあたり対応させたのかもしれませんねと述べた。実際、日記にも何度か触れているけれど、ローザ・コールドフィールドの語りは執拗で、錯綜的で、込み入っており、決して風通しの良いものではない。この上巻の語り手はそのローザと、もうひとり、聞き手クエンティンの父親であるミスター・コンプソンの二人なのだが、コールドフィールドは一応詩人としての顔も持っていて、それに似つかわしく言葉遣いもけっこう抽象的だったり曖昧だったりすることが多かったと思う。その点でコールドフィールドのほうが読むのに骨が折れたのではないかと思ったのだが、(……)さんとしてはそのあたりに差はなかったというか、場合によってはコンプソン氏のほうが大変だったかもしれないという。というのは、ローザ・コールドフィールドは、語り口はともかく内容としては彼女自身のことを彼女の視点でずっと語っているのに対して、コンプソン氏は複数の他人のことを語っているからで、そのあたりの視点の移り変わり、語りが向かう対象の変転についていくのが大変だった、ということのようだ。ミスター・コンプソンは、一応客観的なというか、第三者の立場からサトペン家のひとびとのことを語っているわけだけれど、その話がどこまで正確なのかというのは不透明で、彼の個人的な解釈らしきものも多分に忍びこんできているし、したがってどこまでが事実としてあって、どこからが想像や推測なのかというのがあまりはっきり区切られていない感じがする。これは下巻以降の筋書きを成り立たせるための下地でもあるのだろう。つまり、訳者解説によれば作品の終盤でクエンティンがハーバード大学のルームメイトと一緒にサトペン家の物語を再解釈する、という趣向になっているらしいので。事実と推測の境がある程度あやふやになっていないと、そういうことはしづらいだろう。したがってこの作品は、もっとも大きなところでは、サトペン家の物語を複数の人物がそれぞれの視点で語り、多層的あるいは多面的にべつの方向から語り直していく、という仕組みになっているはずだ。訳者あとがきによれば、それによってこの小説は単なる歴史小説を越えたものになっていると評価されるという。トニ・モリソンもフォークナーについてはそういう方向の評価をしているようだ。つまり、歴史学がつかみ取れない歴史の具体的な真実のようなものを、文学はときに拾い上げてあらわにしてしまうのだ、というような話。
  • 主題としては一番大きいのはやはり「南部」ということだろう。話しているうちに思ったのだけれど、アメリカにとって「南部」というのはやはり特別な領域で、というのも、単なるイメージにすぎないのだけれど、北部地域は「北部」としてひとくくりにされることはもはやないように思われるのに対して、「南部」はいまだに「南部」として厳然たるカテゴリーを形成している。アメリカ南部文学、なんていうものがひとつのジャンルとして確立しているくらいだし(フォークナーのほかにそこに属している作家としてこちらが知っているのはフラナリー・オコナーであり、最近だとコーマック・マッカーシーがたぶんもっとも著名なのだと思う)、(……)くんによれば、ヒップホップにも、EastsideとWestsideのほかに「South」があるが、Northはないという。だから「南部」というのはアメリカのひとびとやアメリカという国にとっていまだに非常に大きな概念で、そのなかにはむろん奴隷制南北戦争の歴史が本質的に浸透しているのだろうけれど、そのあたりの感覚の具体的な手触りをこちらは全然わかっていないなと思った。アメリカ国民ではないし、アメリカに行ったこともないので当然のことだが。ただ、日本においても、内戦は起こっていないにしても北海道と沖縄があるし、場合によっては大阪などもあるわけで、そのへんのひとびとの感覚もやはりこちらはわかっていない。
  • フォークナーに関連して思い出せるのはそのくらい。そのあとは雑談で、最初のうちはノーベル賞の受賞者一覧をみんなで見たりしていた。名前だけならもうわりと聞いたことがあるが、知らない名前もやはり多少ある。ギリシャの人が二人くらい受賞していたと思うがむろん知らないし、北欧などもそう。一〇〇年くらい前の受賞者とかもうほぼ忘れ去られているし。メーテルリンクとか、日本では『青い鳥』しか知られていないだろう。あとはせいぜい、クラシック好きのひとが『ペレアスとメリザンド』の原作者として知っているくらいではないか。こちらもちっとも読んだことがない。これらの作家のなかにも、また発掘され、読み返されるべきひとびとがいるのだろう。
  • 文学のあとは、漫画の話題に移った。たしかまずアニメの話があって、なぜアニメの話になったのかおぼえていないが、たぶん『エヴァンゲリオン』が完結したというところからだったのではないか。それで、(……)さんはアニメとか見ないんですか? と訊かれて、大学生のときはちょっと見てましたよ、とこたえたその流れだったのではないか。(……)くんが作品名をいくつか挙げてくれたなかに『化物語』があったので、あれは見たし、原作も読んだはずだと言うと、なんであれが人気になったのか全然わからない、僕は完全にキャラが可愛いからだけで見てましたと(……)くんは返した。彼は阿良々木月火が好きだったらしい。あれが流行ったのはまあ中二病的な流れなんじゃないですか、よくわかんないことをもっともらしく言うみたいな、そういうのに惹かれるひとが一定数いるでしょう、みたいなことを言うと、身も蓋もないですねと(……)さんが笑った。ただ、中二病的感性には実際そういうところはあるわけだ。なんか大きめの抽象的な概念をもてあそんで格好良いっぽいことを言いたい、みたいな。で、『涼宮ハルヒ』は脱力系主人公で斜に構えた少年青年の共感を誘いつつありと正統的なボーイ・ミーツ・ガールとして受け、『けいおん!』はいわゆる日常系の平和で優しい世界として一般まで膾炙し、それらに飽き足らない中二病的頭でっかち族が『化物語』を支持したのではないかと適当な仮説を述べた。前にも書いたことがあるが。ところで西尾維新は、堀江敏幸の対談集に名前が含まれているのを図書館の新着図書で見たことがある。と思ったのだが、いま検索してみると逆だった。堀江敏幸の対談集ではなくて、西尾維新の対談集で堀江敏幸の名前を見たのだ。
  • 阿良々木くんのモテ要素ってなんなんですか? と聞いてみると、いや、特にないですよねというこたえが返る。でもあの作品、わりとすぐにひとりを決めて付き合っちゃうじゃないですか、そのあたり珍しいですねと(……)くんが続けたのに、でも付き合ったあともモテてるじゃないですかと返せば、そう、そこがムカつくんですよと来るので笑う。アニメとかライトノベルとかの主人公はやたらとモテるわけだが、(……)くんに言わせれば、あれは全部モテたい男の妄想を書いてるだけですからね、というわけで、それこそ身も蓋もないけれど、実際ある程度そういうところはあると思う。彼にしてみれば、結局みんな主人公ってなんらかのかたちで選ばれた者だったり、血統がすごかったりする、ジャンプ漫画なんかも全部そうですよね、と。『ドラゴンボール』もそうだし、『ONE PIECE』もそう。ただ、その点だと『鬼滅の刃』は違ったらしい。主人公にそういう先天的なというか、バックグラウンド的特権性はあの作品では設定されていなかったらしい。そのあたりも受けた要因ではないかとのこと。そういう感じで漫画アニメライトノベル方面の男性主人公は一種の選民だったり、これといった理由もなくやたらモテたりするわけだが、そういう作品の主人公で、これならたしかにモテるなみたいな、同性から見ても魅力的だわみたいな、必然性があって納得できるモテ方をしているやつっているんですかねとこちらは問うた。二人は思い当たらないようだった。『Steins; Gate』の岡部倫太郎とかわりとそうなんではないかとこちらは思いついたが、二人は『Steins; Gate』は見ていないらしい。中二病のふりをした真面目なやつみたいな感じですよと適当に言っておいた。彼はわりと好感が持てる気がする。思い返してみるに、あの中二病も効いているわけだ、と思う。あのパロディによって、キャラクターとしての重さ真面目さ深刻さが中和されて、要するにいかにも物語的な言辞とか演出とかをストレートにやるのを避けられ、屈折させることができ、その結果見るほうも紋切型の臭みとかにうんざりせずに済むわけだ。そういう意味でまさしくひねりが入っている。もちろんひとによっては、あのパロディ自体が臭くて駄目だというひともいるだろうが。
  • そういう感じで漫画の話に行ったのだけれど、(……)くんが手塚治虫を読んでみたいと言ったあたりで『はだしのゲン』の名が挙がり、『はだしのゲン』がジャンプで連載されていたことをこちらはそこではじめて知って端的にビビった。『はだしのゲン』を載せる週刊少年誌ってやばくない? いまだったら絶対できないんではないか。ジャンプすげえな、と思った。それで『週刊少年ジャンプ』の歴代作品一覧を時系列順にリスト化したWikipediaの記事をみんなで見たのだけれど、二〇〇五年かそのくらいから知ってる名前がひとつもなくなると(……)くんは言い、こちらも同様だった。こちらが知っていて読んだこともある作品は、二〇〇二年か三年くらいで途絶えていたように思うのだが、考えてみれば当然で、こちらはそもそもジャンプを、またジャンプに限らず漫画雑誌を毎週読むたぐいの子どもでなかったし、漫画自体も単行本をさほど買ったわけでなく、友だちの家で読むかブックオフに行って立ち読みするくらいのものだったと思う。単行本をある程度買って持っていたのは『ONE PIECE』くらいだったのではないか。ほかに自分で買った漫画があったかどうか、マジで思い当たらない。『ドラゴンボール』はもともと家にあって、つまり兄が入手していたからすべて読んだはずだが。だから当時人気で有名だった作品を、ブックオフに行ったときに読む、という感じだったはず。実際、『SLAM DUNK』はそれで全部読んだおぼえがある。したがって、連載しているけれどあまりメジャーではないたぐいの作品は知らなかったわけで、だから見覚えがなくて当然なのだ。そして、何度か書いているけれど中学生になる頃にはライトノベルのほうに行っていたわけで、だから少年誌とか漫画雑誌というものにあまり触れてこなかったのだ。(……)くんは中学生くらいの当時からすでに、周囲の連中が知らないものを知って優越感に浸るという性向を発露していたようで、少年誌はだいたい全部読んで把握し、お前らまだそんなとこにいんの? と周りの有象無象どもを見下しながら青年誌のほうに行っていたらしい。こちらも音楽の方面でそういう感じはあった。また、古めのヤンキー漫画を掘っていたという。『ろくでなしブルース』? とこちらは思わず訊いたが、そうではなくて、『特攻 [ぶっこみ] の拓』というやつで、この漫画の鰐淵というキャラクターが有名らしく、たしかにどこかで聞いたことがあるような気がした。その場で画像を見せてもらったのだが、「"事故 [ジコ] "る奴 [ヤツ] は・・・・」「"不運 [ハードラック] "と踊 [ダンス]"っちまったんだよ・・・・ 」というセリフのコマがおそらく一番有名らしく、これもたしかに、2ちゃんねるのコラージュとかにあったような気がする。このコマはつっこみどころが多すぎて、まずリーダーが四つなのが斬新だし、ルビと通常の読み方の齟齬は言わずもがなだし、「踊」の字に付された二重引用符がなぜか後ろだけで前がないのも意味がわからない。
  • 思い出せることはその程度。会は一時くらいに終わったのだったか? 忘れた。そのほかは下の短歌のみ。
  • 風呂のなかとその後で以下の四つを作句。短歌をつくったのは久しぶり。記録を見ると、一月二一日以来だった。

薔薇の国の港に集う五線譜へ鴎ようたえ風の歴史を

灰になる短夜の下五百里でにわか仕込みの形代ごっこ

おぼえてるわたしもあなたもあの駅で行方不明のことのはだった

夜もすがら聖天の灯を見上げゆく網膜剝離の楽天家たち