2021/3/20, Sat.

 彼の仕事全体は、明らかに、記号の道徳性を対象としている(〈道徳性〉とは〈道徳〉ではない)。
 この道徳性のなかにしばしば現れるテーマとして、意味のふるえがあり、それは二重の場をもっている。その最初の状態においては、まず「自然なもの」が揺れ動きはじめ、なにかを意味しはじめる(相対的、歴史的、慣用表現的なものになりはじめる)。そして、〈自明のことである〉という(嫌悪すべき)幻想がはげて、くずれ落ちる。言語機械が始動する。「自然」は、抑圧されて眠っていた社会性全体に身ぶるいする。わたしは、さまざまな文章の「自然らしさ」を前にして驚く。ヘーゲル古代ギリシア人が「自然」を前にして驚き、そこに意味のふるえを聞きとったように。しかしながら、意味の読み取りというこの最初の状態においては、事物は「真の」意味(「歴史」的な意味)のほうへ進んでゆくのだが、ところがそれにたいして、ほとんど矛盾するように、ほかの場所でべつの価値が答えるのである。意味は、無 - 意味のなかに消え去るまえに、なお身ぶるいをする。〈いくぶんかの意味はある〉のだ。だがその意味が「とらえられる」ことはない。意味は軽やかな興奮に身ぶるいしながら、流れつづける。社会性の理想状態は、つぎのように表明される。すなわち、巨大で永続的なざわめきが無数の意味を生き生きとさせ、それらの意味は、破裂し、ぱちぱちと音をたて、閃光を(end139)放つが、その最終的なかたちが、シニフィエによって嘆かわしくも重くなった記号になることは決してない、というものだ。これは幸福ではあるが不可能なテーマである。というのは、理想的にふるえつづける意味は、堅固な意味(「ドクサ」という意味)や無能な意味(解放を盲信する人たちがあたえる意味)によって、情け容赦なく取り込まれてしまうからである。
 (このようなふるえを表現する形式が、「テクスト」や意味形成性であり、そしておそらくは「中性」なのであろう。)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、139~140; 「意味のふるえ(Le frisson du sens)」)



  • 一一時半起床。四時半就床だったのでちょうど七時間ほど。そのとき夢を見ていた。集団のなかにいて、タブレット電子書籍を閲覧するシステムの使い方を試しているみたいな感じだったのだが、こちらひとりだけがうまく扱えず、まわりから顰蹙を買うというような内容。集団には統率者的な人間が二人いて、ひとりはわりと年嵩の、紳士的な雰囲気の、ことによると漫画でよくある執事的な外見だったかもしれない男性で、もうひとりは若い女性。で、こちらは若い女性のタブレットを借りるか何かして操作していたようなのだが、ログアウトの仕方が全然わからなかった。というか、画面のなかでどこにログアウトがあるのか全然見つけられなかったのだ。というのも、画面に映る像がめちゃくちゃ拡大されていて、しかもそれを適正な倍率にもどそうとしてもすぐにまた拡大されてしまうみたいな状態で、だから一ページのなかで映せる領域がかなり狭く、探索範囲が非常にひろくなっていたからである。それなのにこの女性はちっともログアウトの場所を教えてくれず、むしろ冷徹に見下してくるみたいな調子で、そのとき我々一団は自宅の近所にある公団前にならんでおり、これからその公営団地に入って何かをする段取りになっているようだったのだが、こちらがぐずぐずしているので一向に次の仕事に移れないという状況で、ほかのひとびともこちらに対して苛立っているようだった。あるいは、そういう描写はなかったかもしれないが、夢のなかの自分が自意識によってそう思っていた。ログアウトは結局、ページでいうと最上部のほう、タイトルがある位置すなわちヘッダーの下の、左右で言えば中央からちょっとずれたあたりにめちゃくちゃ小さい文字で書かれてあった。こういう、自分以外の周囲の他者全員から、ある種の迫害を受けるみたいな夢を見ることがときどきある。
  • その夢のせいだったわけではないと思うが、起きたとき、布団と寝間着の下でからだが熱くなっており、汗をたくさん肌に帯びていた。春分だからまあ空気も温かいので、相応のことか。起き上がって水場に行き、用を足したりうがいをしたりして帰還。そして瞑想。一一時四五分から一二時一三分まで、けっこう長めに座った。はじめたときは心身の輪郭がちょっと揺動しているような感じがあったのだが、すぐに落ち着いて、しかもつねになくなめらかに肌がまとまったようだった。姿勢もおのずと、さほどの苦労なくさだまり、そのあとも大きく乱れることがない。途中、梅の木にヒヨドリが来たらしく、張りのある大きな声をつらねて聞かせた。最初は気配が何もなかったので気づかなかったのだが父親も外にいたようで、土を踏むたぐいの音が小さく立ち、またちょっと呼びかけるような声も出していたので、猫がいたか、あるいは鳥が近くまで来たかで声をかけていたのではないか。父親の気配はその後、室内に入ってきて上階に移った。
  • 瞑想を終えると部屋を抜け、洗面所でまたうがいをした。そうして上階へ。父親はすでに飯を食って炬燵テーブルの上で胡座をかきながらテレビを見ている。NHKの、『生活笑百科』みたいなタイトルのあれ。「四角い仁鶴がま~るくおさめまっせ」のキャッチフレーズのとおり、以前は笑福亭仁鶴が司会をやっていたのだが、今日見ると違うひとだった。笑福亭仁鶴はもう亡くなったのだったか? 相談員の顔ぶれも変わっていて、上沼恵美子がいなくなっていた。辻本なんとかいうひとはそのまま。ゲストの女性は二〇歳くらいの女優のひとだったのだけれど、まったく知らないし、顔もはじめて見た。名前も忘れたというかきちんと確認しなかった。
  • 菜っ葉をシーチキンと炒めたもの、および昨日の味噌汁と白米で食事。新聞の国際面には、「イスラム国」もしくはISISの元戦闘員が二人、インタビューにこたえたという記事があったのでそれを読んだ。ひとりはイラクのモスル出身の四一歳のひとで、スンニ派の家に生まれ、サダム・フセインスンニ派政権がたおれたあとシーア派が勢力を握ったことで迫害を受け、それで敵愾心を燃やし、ISISに参加したと言う。ただ実際戦って領土を獲得し組織の統治を見るなかで、住民の生活をこまかく管理して、すこしでも批判的なことを言えば即座に鞭打ちを課すようなやり方に疑問をいだいたと。女性の外出禁止にかんしても、自分のコーランの解釈とは違う、と言う。それで組織を離れていまはトルコのパン屋ではたらき、難民支援金みたいなものも受けつつ四人の子どもを養っているが、シーア派に対する恨みや反抗心は消えておらず、おだやかな生活が続くのが一番良いと思いながらも、必要になればまた戦うとのこと。もうひとりはトルコ出身の二〇歳くらいのひとで、子どものときから家庭の誰よりも敬虔な信仰者だったが、学校では友だちがいなかったという。それでISISに興味を持ち、八か月でイスラーム法学方面の書を八〇冊読んで勉強し、一四歳のときだったかに家族にも黙ってシリアに渡り、戦闘に参加した。その際、意見が対立した親族を殺したという。一六歳のときだったかにトルコにもどって拘束され、いま何をやっているとあったか忘れたが、ISISの教義に対する忠誠は衰えておらず、マジで世界のすべての国がISISのようになるべきだと思っている、と書かれてあった。記事の最後に、「空虚な生の助けになった過激思想がいまも頼りで」みたいな文言があって、これが本人の発言や心持ちや自己解釈を正確に伝えたものなのか不透明だが、そうだとすればここでもやはりまた実存なのか、と思った。「いまも頼りで」とあったとおり、過激思想がアイデンティティの根本と不可分に癒着しているから、それを失えば自分の世界の足場が崩壊してしまい、実存の危機が訪れることをおそらく察知しており、だからそれに執着して絶対に固守しようとする、ということだろう。一人目のひとも、「空虚」とは多少違うかもしれないが、迫害を受けていたわけだから疎外感のたぐいは大いに得ていたはずで、そういうところから極端に走るというダイナミズムが、わりと一般的に見られるようだ。
  • 食事を終えると食器と風呂を洗い、茶を持って帰室。Notionを準備して、今日はそれからさっそく前日の記事を書き足した。すぐに仕上げて投稿し、今日のこともここまで記すと、いま二時二〇分になっている。久しぶりに現在時に追いつけて、良いことだ。書抜きがとにかく溜まっていくばかりなので、なるべくすすめたい。後回しにしているとからだが疲れて結局やる気がなくなってしまうので、なるべく一日のはやいうちにやったほうが良い。
  • と、そう思いながらもまず肉体をほぐしたかったので、ベッドに移動して書見をした。ムージル古井由吉訳『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫、一九八七年)。四時頃まで読んだから一時間半くらいは読んでいたと思うのだけれど、抽象的でついていくのに骨の折れる文章になっているから、37までしかすすまなかった。ただ、以前読んだときの印象どおり、「愛の完成」は「静かなヴェロニカの誘惑」に比べるとまだわかりやすく、というか後者と比較すればかなりわかりやすいとすら言ってしまって良いかもしれない。心象に次ぐ心象ですこしずつ展開していくのでとらえづらいのだけれど、ことさら世俗的に、めちゃくちゃ平たく矮小化してしまえば、その心象や感情というのは、夫とともに愛を感じながら暮らしている今現在の生の幸福と、そこから離れてべつの暮らしをすること、もしくはべつの男性と結びつくことへの憧憬のあいだを行ったり来たりしているものだと思う。もっとも大まかな構図としては、その二つを両側に据えた幅のなかにおさまっているはず。「幸福」や「幸福感」という言葉がけっこうたくさん出てくるが、これはたぶん、場所によって異なった二種の幸福を指していると思われ、それが上に述べた二つの生のあり方に対応している。そのうち後者の、夫とは違う男性と結びつくあり方にかんしては、過去の生活が参照されていて、というのもクラウディネはいまの夫と出会う前はけっこう色々な男性と情事を重ねてきて、「身持ちの悪い」(18)暮らしをしていたらしいからだ。で、そういう心象や心理の、微妙ながら大きな揺れ動きをくり返すうちに、突如として啓示的な確信がおとずれ、「そのとき、彼女は何もかもひとつの運命のように感じ」(33)、そこで「自分の過去が、これからようやく起らなくてはならぬ何ごとかの、不完全な表現に見えて」(33)くる。だから姦通はあきらかに予告されており(そもそも作品の序盤、夫とともに家にいて話しているところからけっこう暗示されているが)、きわめて丁寧に、ここまでやらなくても良いだろうと思うほどに執拗な、ほとんど冗長なまでの筆致で筋道をつけられている。
  • 今現在の生における(それなりの?)充実や夫との結びつきから離れることを想像するというのは、いわゆる「可能性感覚」の主題の範疇であり、その点は27ページに明言されている。「クラウディネは幸福のさなかにあってもときおり、これはただの事実にすぎない、いやほとんど偶然にすぎない、という意識におそわれることがあった。おそらくもっと違った、遠く思いもおよばぬ生き方が、自分のために定められているにちがいない、と思った」。いまの生や世界が絶対的なものではなく、それ以外の可能性がいくらでもあったし、いまもあるということを感知する能力、というのが可能性感覚のもっとも一般的な定義ではないかと思うが、こちらとしてはこの小説を姦通小説というよりは、姦通というスキャンダラスで大きな形象にたくしてそれを扱った作品、という方向で読んでみたい気がする。ただ、姦通もしくは不貞が「夫との究極の結婚」(29)になるという逆説的発想がこの作品の軸になっているわけで、その論理と可能性感覚がどのようにつながっているのか、という点はまだよくわからない。
  • 書見を終えると「英語」を少々音読。目がもうかなり悪くなってきている。四時半まで音読すると、昨日と同様音楽を聞きながら死者になることに。ヘッドフォンをつけて仰向けになり、Ambrose Akinmusire, "Moment In Between The Rest (To Curve An Ache)", "Brooklyn (ODB)"(『A Rift In Decorum: Live At The Village Vanguard』)を流した。ディスク1の三曲目と四曲目にあたる。前者はけっこう良い感じの雰囲気。しずかで、淡い緑青色めいた抑制美がある。ただ、Akinmusireのプレイはやはりよくわからない。かなり繊細なコントロールをするタイプのプレイヤーではあるのだけれど、メロディがあまりはっきりしない上に、旋律外の音使い、つまり鳥が最大限に喉を張って叫ぼうとしながらも筋肉を張りすぎて叫べないみたいな最高音部のうめきとか、風がぐわっと激しく一瞬で吹き過ぎるようなブロウとかをしばしば取り入れてきて、それらがうまい効果を生んでいるのか、スタイルとして成功しているのかがこちらには判断がつかないのだ。ただ、こういう喋り方をするトランペットというのはいままであまりいなかったのでは? という気はする。フリーのほうだと全然いるのかもしれないが。四曲目の"Brooklyn (ODB)"は三曲目と比べるとやはり曲としてもよくわからん曲だし、この曲のあいだは意識がわりと溶解したのでよくおぼえていない。
  • 五時前で起き上がって上階へ。母親は一度帰ってきたのだがまた出かけていた。スリッパを新調しにいくとか。それで台所に入って食事の支度。米の残りはすくなく、肉を焼こうと思っても肉がない。冷凍に保存されているのがちょっと残っているくらいだ。冷蔵庫をのぞくとサーモンのブロックがあったので、おかずのメインはこれとして、あと汁物をこしらえ、こちらはうどんを煮込んで食えば良いのではないかと思った。ところがうどんもなかったので、かわりに素麺を食べることに。それでブナシメジと白菜を、素麺用のスープと普通の汁物の鍋とにそれぞれ分けて熱し、素麺のほうにはタマネギもくわえる。弱火でゆるゆる煮ているあいだに大根やニンジンやタマネギをスライスして生サラダを用意し、汁物は醬油と味醂を主にしてシンプルに味をつけた。フライパンを洗って素麺を茹でようというくらいで母親が帰ってきたのではなかったか。郵便物を取ろうと玄関を出るとちょうどいたのだが、彼女はまたすぐに石油を買うために発って行った。それでこちらは母親が買ってきた食材などを運んで冷蔵庫に入れたり整理したりしておき、それからフライパンで素麺をさっと茹で、鍋に投入。溶き卵も流して完成させると、石油を買ってきた母親に呼ばれたので、玄関を出て車の後部からポリタンクを持ち出し、胸の前にかかえながら勝手口へ。やたら重いし足もとも見えないので、階段を踏みながらバランスを崩さないように一歩一歩をさだかに稼いだ。それで箱のなかにおさめておくと、もどってもう食事。五時四五分くらいだったはず。みずからこしらえた品を食べ、また母親にサーモンを切り分けてもらったが、この魚がたいそう脂の乗ったうまい刺身で、質感が非常になめらかだし、わさび醬油で食べるわけだけれど醬油の味が引いたあとから魚自体の甘いような味わいが滲み出てきて、快楽的な品だった。ただ、脂がふんだんに乗っているからだろう、数切れ食ったところではやくも胃が重くなってくるのをあきらかに感じ、最後のほうは急転のすばやさでちょっと食傷気味になっていたので、もうすこしすくなくても満足できたと思う。煮込み素麺もうまくできていた。何の甘みなのか、白菜のものなのかわからないが、甘い風味が全体によく浸透していてうまかった。新聞からは、まず先ほどのISISについての記事の補足を見ると、ISISはシリアとイラクでいまだに一万人の人員を確保しており、アフリカ中部のほうでも勢力を伸ばしているらしく、また攻勢に出る機会を窺っているだろうとのこと。イスラーム法にもとづき直接利子を取らない金融ネットワークで一〇〇億円以上の資金を得ていると言う。そのほか、香港の民主派の主要団体である「民間人権陣線」が存続の危機だと。二〇一九年の逃亡犯条例抗議のときに一〇〇万人以上の参加者を見た大規模デモを主導したのがこの団体らしいが、当局が民陣を捜査しようとしているというシンガポール紙の報道を受けて、所属していた政党や団体が続々と脱退しているという。たぶん実際普通に捜査はしているのではないかと思うけれど、そうではなくて、この報道が中国側によるプロパガンダというか意図的な情報操作だったとしても、このように民主派の中心部の勢力を削減することに大いに成功しているわけで、中国にしてみればどちらにしても目論見どおりというわけだろう。あとはモスクワで米露中にパキスタンをくわえてアフガニスタン和平が話し合われたという報。アフガン政府とタリバンに双方歩み寄りをもとめ、和平に向けた計画を策定するよう促す声明を出すとのこと。パキスタンタリバンの後ろ盾になっているらしい。
  • 新聞を閉じ、ものも食べ終えて椅子に就いたまま一息ついていると、自分の座っている椅子やテーブルが奇妙に振動するのを感じたので、即座に地震だとつぶやいた。ソファに就いていた母親はわからなかったようだが、様子を窺っているとふたたび振動を感じ、そのあとでけっこう大きくなったので、確かに起こっていることが知れた。そこまで盛らないだろうと想いながら一応椅子から降りて床の上に座ったのだが、その頃にはもうほとんどやんでいた。最初に感知した時点でさっさと行動に移ったほうが本当は良いのだろうが、我が家の地域は地盤がけっこう固いらしく、いままで生きてきてさほど大きな揺れに見舞われたことがないので、どうしても危機感が足りずに様子見をしてしまう。こちらが地震だと口にし、大きめの揺れが来たあたりで母親がテレビをNHKに移していたが、発生は六時九分(現在時刻は六時一一分だった)、震源は東北で震度は五だと言った。津波はさしあたり一メートルと予測され、その予測が伝えられた時点で宮城県あたりの海岸にはもう達しているだろう、とのことだった。津波は突然高くなることがあるので、海の様子を見に行くことは絶対にしないでくださいとのこと。報道をちょっと見てから立ち上がって食器を洗い、料理に使った器具類も洗って片づけ、自室に下りる。そうして今日のことをここまで書き足した。七時四〇分に至ろうというところ。とにかく書抜きをしなければやばいのだが、打鍵しているとからだがこごって疲れるので休みたい欲求が湧いてなかなか書抜きに移れない。
  • ひとまず、腰の側面のあたりなどこごっていたので、柔軟をすることに。『Amos Lee』を流し、両腕を天に向けてかかげるようにして背伸びをしながら左右に傾いたり、上体をひねったりなどする。そのあとベッドに移って合蹠ほか。合蹠をすると左脚のなかがちょっと痛むのがいつまで経ってもなくならず、気にかかる。たぶん中学生の頃になったオスグッドとかの影響で、膝関節のつながり方が右よりもスムーズではないということではないか。一応、多少ほぐせば明確に痛くはなくなるのだが。それはそれとして合蹠はやはりとても良く、これをきちんとやるとからだの感じが大きく変わる。合蹠をするときは上体を前にたおし、腕を肘からベッドにつけた姿勢を取ることが多い。敬虔なイスラーム教徒も驚くくらいのレベルで長々とそうしてじっとひれ伏しているのだけれど、じきになぜか下半身よりも上体が、腕のあたりがかすかに振動してくるのが不思議だ。そのくらいやって姿勢を解くとめちゃくちゃすっきりする。合蹠と前屈は毎日しっかりやるようにしたい。
  • ストレッチ後、ようやく書抜き。とりあえずいま読んでいるムージルから抜いてしまうことに。三箇所。写したなかでとくに良い部分を下に。
  • 「彼女のまわりでは群衆が押しあい揉みあい、重くうねる汚水のように、彼女のからだをあちこちへ押しやった。起きぬけのひらききった蒼白い顔々に浮くさまざまな感情が暗い空間を漂っていくさまは、濁った水の表面に魚の卵が浮かぶのに似ていた」(20~21)
  • 「まるで彼女の前に究極の結びつきへの道がほの白み、もはや彼女を愛する人のもとへは導かず、さらに先へ、何ものにも守られず、せつないはるけさの、ものすべてが柔らかに枯れ凋 [しぼ] むその中へ、導いていくかのようだった」(28): 「せつないはるけさ」
  • 「どこやら二人がもはや存在しない、二人が音楽のようでしかなくなる、誰にも聞かれず何ものにもこだまされぬ音楽にひとしくなるところ」(29): 「誰にも聞かれず何ものにもこだまされぬ音楽」
  • 書抜きのあいだは、Lucky Dube『Captured Live』など流した。これを流すのもめちゃくちゃ久しぶり。このひとは南アフリカのレゲエ歌手なのだけれど、このアルバムはたしか何の情報もなしに、ただライブ盤だからというだけの理由で、ブックオフで見かけたのを適当に買ったはず。しかしそれがけっこう良くて、昔はそこそこ聞いていた。レゲエでこちらがそれなりに知っているのはBob MarleyとLucky Dubeのこのアルバムと、Freddie McGregorのやはりライブ盤くらい。底抜けにあかるい、いかにも南国的なサウンドで、コーラスなどもとてもきれいで、音楽だけ取れば頭空っぽになれそうな雰囲気だが、歌詞はけっこう政治的で、アパルトヘイト批判とかしている。最初の"Together As One"は、まずMCで、聖書を読むと我々は神の似像(image of God)としてつくられたとあるけれど、しかし神が何人だったのか、何の人種だったのか、白人だったのか黒人だったのか、有色人種だったのかインディアンだったのかは書かれていない、だから私がblack manを見るとき、私はimage of Godを見ている、私がwhite manを見るとき、私はimage of Godを見ている、私がIndianを見るとき、私はimage of Godを見ている、我々はみんなimages of Godだから、together as oneでなければならない、という調子で語られて、曲がはじまる。ほかの曲も、"Slave"とか、"Born To Suffer"とか、"Prisoner"とか、そういうタイトル。
  • ムージルの書抜きを終えると九時前だったので風呂へ。湯に浸かりながらこめかみを揉みほぐす。柔らかくなると静止。つい短歌を考えようとかしてしまうものだが、たぶん何も意図的には思考しようとせずに、そこにあるものと生じてくるものをただ受け止め続ける時間にしたほうが良いのだ。家の外で誰かが、怒鳴るまでは行かないけれど気色ばんで強い調子でまくし立てていた。最初はまた居間で父親が母親に対して怒っているのかとも思ったのだが、どうも声が外から聞こえるようだったし、その大きさも変化していったので、偶然の通行人だなとわかった。電話をしていたのかもしれない。やたらいらついている様子だった。
  • あと、新聞で訃報を見たのを忘れていたが、Herbie HancockのバンドのベースだったPaul Jacksonが亡くなったらしい。八五年あたりから日本に住んでいて、最近は千葉県で暮らしていたという。全然知らなかった。昨日だったか、James Levineが亡くなったという報も新聞で見かけた。どちらのひともきちんと聞いたことがないが。
  • 風呂を出ると母親が、キヨヒコって知ってる? と訊いてくる。なんのことやらわからないが、重松清の作品らしく、テレビに映っているのがそのドラマらしかった。父親は炬燵に入ったまま顔を前に垂れ下げて意識を失っていた。こちらはランチパックを温めて自室に持って帰り、食いながらウェブをちょっと見たあと、ここまで今日の記述を書き足した。一〇時半。さらに書抜きをしたい。あとTo The Lighthouseもできればすこしでも触れたいのだが。日々、ちゃんと仕事をしなければ。
  • そういうわけで、熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)を書き抜いたものの、日記の加筆時から立位でいたため、一箇所だけで脚が疲れてしまい、やむなくベッドへ。Marcos Valle『Samba '68』をヘッドフォンで聞きながらまた休む。冒頭の"The Answer"は良い。実に小気味よく爽やかで、コーラスのつけ方も良い。#2 "Crickets Sing For Anamaria"も、このメロディのかたちで言葉をはめたのは面白い。無理やりな感もないではないが、英語でうたっているのに英語に聞こえないようなリズムになっている。#3 "So Nice (Summer Samba)"も良かった。これはたしか有名な曲だった気がする。ジャズのほうのひとも取り上げていたような。その次くらいからだんだん意識が弱くなっていき、その後の曲についてはよくおぼえていない。ときおり浮上しながらも半夢みたいな状態になっていたようで、最後まで音楽が流れて終わってもすぐには気づかず、ちょっと経ってから、あ、終わってたのかと音がなくなっているのを認識したような具合。
  • それからふたたびちょっと脚を伸ばしたのだけれど、前屈をするに、先ほど伸ばしたのにもう脚の裏がまた固くなっていて抵抗するのはいったいなんなのか? とはいえすぐにやわらぐから、もっと習慣づければきっとだんだん柔らかい方向に癖がついていくのではないか。合蹠もまたやった。それから歯を磨いたはず。そしてその後、ふたたび書抜き。熊野純彦の新書から三箇所を書き写し、それで今日はムージルも合わせれば計七箇所写したことになるから、最近ではがんばったほうだ。ここまで記事を加筆するといまは一時直前になっている。
  • あとひとつ、夕食時に、(……)ちゃんがアナフィラキシーショックみたいなものになったという話を母親から知らされた。(……)さんが食べていた松の実を分けてもらって食べていたところ、舌が痛いとか喉が痛いとか吐き気とか発疹とかがつぎつぎにはじまり、みるみるうちに体調が悪くなって救急車を呼んだのだという。ただ、電話口で対応してくれた医者が、家にある薬を飲ませてみてと言い(それが何の薬だったのかは不明だが)、したがって服用させたところけっこう落ち着いて、救急車が来た頃には残っているのは吐き気くらいでわりと回復していたので搬送はされなかったとのこと。とにかく大事にいたらなくて良かった。その後アレルギーの検査をして、いま結果待ちだという。(……)さんは『世界仰天ニュース』でアナフィラキシーショックの特集を見たことがあったので、これはそうじゃないかとすぐに気づいて対応できたらしい。