2021/3/23, Tue.

 イデオロギーとは、繰りかえされて〈成り立つ - 固くなる〉ものである(固くなるというこの動詞によって、イデオロギーシニフィアンの領域から身をひくことになる)。したがって、イデオロギーの分析(すなわち反 - イデオロギー的分析)にしても、(分析をただ正当化しようとする態度で有効性を〈その場で〉主張したりすると)繰りかえされて、固くなってゆき、その結果、分析自体がイデオロギー的なものになってしまうのだ。(end150)

 どうすべきか。ひとつの解決法が可能だ。〈美学〉である。ブレヒトにおいては、イデオロギー批判は〈直接的に〉なされることはない(さもなければ、批判はまたもやしつこくて同語反復的で攻撃的な言述を生みだしていたことだろう)。ブレヒトによる批判は、美学的な中継を介してなされる。反 - イデオロギーは、虚構のもとに忍びこむのである。まったく写実主義的ではなく、〈正確である〉虚構に。おそらくそれこそが、わたしたちの社会における美学の役割なのだろう。すなわち、〈間接的で他動詞的〉な言述のための規則をしめすことである(そのような言述は、言語活動を変化させることができるが、その支配力や良心をひけらかすことはない)。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、150~151; 「イデオロギーと美学(Idéologies et esthétique)」)



  • 一一時覚醒。いつもどおり。陽を浴びながらこめかみを揉みほぐし、頭も左右に転がす。今日は喉のまわりも揉んでおいた。音読をまたよくやるようになっているので。太陽の位置がだんだん高くなってきているように思われた。顔に光を受け取りにくい。
  • 一一時二五分頃離床。今日は(……)さんと(……)さんが彼岸の墓参りに来て、そのあと我が家で食事を取るということだった。一一時に待ち合わせと言っていたので、帰ってくるのはだいたい正午過ぎあたりだろうと思っていたが、先にジャージに着替えておくことに。それで上階に行って着替え、客を招くからと居間がすっきり片づけられていたので、そのなかに寝間着があっては具合が悪かろうと自室に持ち帰った。そうして瞑想。正午前まで一五分おこなった。まあまあ。とりたてて印象は残っていない。そろそろ一五分くらいだろうと思って目をあけるとまさしくぴったりだった。
  • 寿司を買ってきてくれるはずだったのでそれを待ってまだ何も食わず、さっそく「英語」記事を音読しながら時を過ごす。なるべく小さい声で喉に負担をかけずに読むのが吉。力を抜けばおのずとゆっくり、区切って読むことにもなる。一二時半くらいに人の気配が上階に生まれたので、中断して便所で排泄してから上がっていく。二人に挨拶。それで母親とともに食卓を用意。(……)さんが唐揚げを買ってきてくれていた。また、あとでいただいたがプリンとクリームの挟まったスポンジケーキのたぐいも買ってきてくれ、(……)さんのほうもあれはガレットと言えば良いのか、と思っていま検索したがたぶん違う。普通にパイと言うべきか、フルーツやソースがあしらわれた焼き菓子のたぐいを買ってきてくれていた。「ALL FREE」とビールの缶が用意されていたが二人ともあまり飲みたがらず、最初の乾杯のときにちょっと飲んだのみ。こちらはサイダー。それで食事。寿司と鶏肉とサラダを貪る。サラダははじめの一皿はこちらが皆の分を取り分けた。
  • 話題はおのおのの家での家事仕事の大変さ煩わしさや、(……)など。定年になって男が家にいるようになると本当に時間がない、といつもながらの母親の愚痴。(……)家でも同様らしく、(……)ちゃんはまだ定年ではないが帰りは五時とかそのくらいではやいし、そうすると(……)さんに勤務がある日などは帰ってきてから休む間もなく飯の支度などしなければならないと。土日はさらにはやく、子どもらももうそれぞれのことをやっていて((……)はそもそも家を出て恋人と同棲しているし)、話し相手がおらずやることもないと四時くらいにははやくも風呂に入ってしまうのだと言う。それで、風呂が冷めるともったいないから誰かはやく入れと言うのだが、いや、さすがにはやいよねえ、四時じゃあまだ、もし誰か来たらどうしようなんて思っちゃうし、と(……)さんは話していた。ただ最近(……)ちゃんは酒を飲まない日をつくっているらしい。肝臓の数値など一応気にしているようだ。(……)ちゃんが飲まない日ができたなんてすごいじゃん、とこちらはからかい混ぜっ返す。
  • (……)
  • (……)こちらとしてはここ数年、塾生にやんちゃだったり騒がしかったりする生徒が全然いないので、全体的に子どもが以前よりもおとなしくなっているという印象を得ているのだが。その話の流れで、子どもらの性質を左右する一番の要因は、家庭で親と話しているかどうかだというようなことを(……)さんは言い、こちらも同意して、一番やりづらいのはやっぱり何かを言ってもあまり反応が返ってこない相手だねと受けた。(……)の予備校でもそういう話があるらしく、大学受験をしようというのに何かを訊いても本人がこたえず全部親がかわりに喋ってしまう、みたいなことがわりと多いと言う。あと、いまはSNSもあるから、いじめとかあっても、携帯のなかで起こってることまで、こっちは正直わからないじゃない? と(……)さん。(……)さんはそれに応じて、便利な世の中だけどこわいよねえ、全然顔も知らないひとと知り合って、会ってみたら犯罪に巻きこまれたり、と実に昔のひとらしいことを言うが、まあそういったこともたしかにある。子供たちはみんな、たしかにおとなしいはおとなしいんですけど、かえってわかんないですよね、一見真面目にというか、まあ普通にやってて、こっちの指示にも従ってくれるんだけど、腹のなかでどう思ってるかってところまで、なかなかこまかくは見えないですよね、とこちらは落とした。
  • 食後、ちょっと近所を散歩しようという話になっていたので、天気もわりと良かったし、こちらも歩きたかったし、せっかく二人が来てくれたので時間をともにしておこうと思い、自分も行くと申し出た。べつにジャージのままでも良かったのだが、せっかく外を歩くし、もうすこし洒落た格好に着替えますよというわけで適当な服をよそおい、家を出たのが二時くらいだったのか? (……)さんは室内では淡い紅梅色みたいな色味のチュニック的な服装で、襟を縁取るようにして模造真珠的な小さな飾りが添えられているというか、白い点で装飾されているようなトップスであり、首には薄物のスカーフを巻いていた。外で上着を着ると、その上着はジャケット的な感じのやつで、色は黄茶に寄った煉瓦色とでもいうか地味なものだったが、下もおなじ色合いのズボンを履いていたからそこそこきちんとした格好に見えた。(……)さんのほうの服装はおぼえていない。普通にカジュアルなやつだったはず。ここは誰それの家だよねえ、ここは誰それで、あのひとはまだ住んでるの? とか通りかかる宅についていちいち話しながら陽のもとをすすみ、十字路で折れて川の方面へ。そちらに行くのは大層久しぶりである。川に直接下りるのではなくて(……)に向かったが、そこに入るのも数年ぶり。ハクモクレンやら何やらが咲いており、手入れの老人がしゃがんで作業しているのに、母親や女性陣は、こんにちは、ちょっと見させてください、と大きな声で挨拶をする。園内は石の足場が多いのだが、(……)さんはその上を危なげなくひょいひょい歩いていき、段差になっているところに止まって片足を上の段に乗せ、上下でまたぐような姿勢でかろやかにたたずんでみせたので、いまもう七五歳くらいだと思うのだがそれにしちゃあずいぶん足腰が強いなと思って、足腰がしっかりしてますねとかけると、いやいやそうでもないよと謙遜があり、でもいまはジムは駄目なんでしょう? コロナウイルスで、と訊けば、大丈夫なのだと言う。それで運動しに行っているらしいから、その賜物というわけだ。でも、歩くのがやっぱりだんだん遅くなってきてね、はやく歩けなくなってるね、などと言うのを聞きながら園の端のほうに移動し、そこからは眼下に川の流れが見下ろされ、女性三人は、子どもの頃にはよく泳いで遊んだもんだ、そうすると向こうの寺のお坊さんが手振ってくれたりなんかしてねえ、お姉ちゃん(というのはこちらの母親のことだが)なんか顔が丸かったから、流れてるとなんかボールが浮かんでるような感じで、大きな岩があってそこから飛び降りることができれば高学年のしるし、みたいな風だったねえ、と思い出話を展開する。振り向いた先には紫色の花をいっぱいに咲かせた低木があったのだが、これはそのままムラサキツツジというものらしい。近くに行って花に顔を寄せてみると、たしかにツツジのうからのかたちをしていた。
  • そんな感じでまわって、庭園をあとに。この頃には陽が陰っていて、風が少々冷たいようだった。川の入り口まで行きつつも河原には下りず、上の道をそのまま脇に入ってすすむ。途中で陽射しが復活して、道端に咲いているツバキなのかなんなのか花の香りもただよってきて、あたたかな空気が気安く牧歌的である。裏道を上がって坂の途中に合流する手前で、(……)(小中の同級生)のおじいさんが戸口に出て何かを洗っているところに出くわした。母親が、妹と叔母さんが来てるのよ、と説明する。(……)のじいさんはもう九〇を越えていて、一度リウマチで死にかけたという話だからあまりはっきりした調子ではなかったが、何か洗い物ができるくらいだからからだも動いているようだったし、そこそこ元気なように見えた。坂に出てから、もどってちょっと言葉を交わそうかとも思ったが、結局実行せず。上っていき、帰宅。家に入る前に、(……)さんは散歩はよくするんですかと訊いてみると、どれくらいの頻度かわからないが、一時間くらい、川べりを歩くと言う。景色が良いから、と。良いですね、一時間なら運動にもなりますねとこちらは応じながら家に入る。
  • それで二人が買ってきてくれた菓子のたぐいを賞味。風呂を洗うのを忘れていたので、その前に洗っておいた。このときは母親にまかせたが、茶をついだりサラダを取り分けたり食べ物を運んだりとこちらが働いていることについて(……)さんは、偉いねえ、ああやってお母さんの手伝いをして、なかなかできないよ、いまの若い人じゃ、と褒めてくれるのだが、こちらとしては普通に自分のやるべきことだと思って動いているわけである。しかし「お母さんの手伝い」などと言われて、むやみに褒められるあたり、(……)さんにとってみればこちらはいつまで経っても子どもというわけだろう。生まれたときから知られているので不思議でないが。
  • そうして三時半頃においとまとなったのだったか? その前に母親が、(……)さんと(……)ちゃんが結婚した頃の古い写真が発掘されていたのを持ってきてながめた時間があった。どれもだいたい写真屋で撮った正式なものである。まだおさない(……)と(……)がかしこまって直立しながら緊張のためか目がずれたような変な顔をしている後ろに生まれてまもない(……)を抱いた(……)さんと(……)ちゃんが立っているやつを(……)さんは携帯で撮影し、LINEのグループにあげていた。こちらも初々しい夫婦の写真を見て、まだ猫かぶってるころだなと冗談でからかう。二人の結婚式で親戚連中が一同に介している記念写真もあり、端のほうにおさない兄が写っているのだがこちらの姿はないので、これはまだこちらという存在がこの世に出現していない頃のものだ。(……)のじいさんが(……)さんという名前だったのを、知らなかったわけではないと思うがほぼ忘れていたので再認識した。(……)のじいさんはいつだったか忘れたが、そんなに子どもの頃ではなかったような気がするのだが、あまり会う回数がないうちに亡くなったので、こちらのなかに記憶が全然残っていない。おばあさんのほうはよくおぼえていて顔も人間の調子もすぐに出てくるのだが。(……)さんがめちゃくちゃ太っていたので笑った。一〇〇キロくらいありそうな体型ではなかったか? 二人が結婚したのはこちらが生まれる直前だと思うので、三二、三年前あたりか。八〇年代の末くらいだろう。あと、兄夫婦が(……)で結婚したときの写真もあって、ずいぶん立派な黒塗りの、額というか折りたたみ式のパレルゴンに入っており、家族で撮った写真と来てくれたひとびとみんなで撮った写真にはもちろんこちらの姿もあるわけだが、いまよりも顔が細い。不健康な鋭さだ。しかも家族で撮ったものに写っているほうは、カメラマンに笑ってと言われて失敗したらしく、口角の片方だけが妙に持ち上がっている怪しいような笑みになっていて、恥ずかしい写真がこの世に残ってしまったなという感じ。たぶん表情筋の柔軟性が足りなかったのだろう。全員集合のほうは神社の大門みたいなものの前にならんでいるのだが、陽射しがまぶしい三月末だったのでみんな輝きを正面から受けて目を細めがちの表情になっている。そんななかでも(……)が持ち前の屈託のなさで爽やかな笑顔を呈していたので、さすがの好青年ぶりだと思った。
  • 外に出て、母親の車に乗って去っていく二人に挨拶し、手を振って見送り。車が坂を上がりはじめてカーブの向こうに消えるまで一応見送っていた。そうしてなかにもどるとテーブル上に残っていたカップやらもろもろを片づけ、台所で洗い、卓上をきれいにしておいてから自室へ。音読をしたのだったか? それか昨日の記事を書いたのだったか。忘れたが、いずれにせよ五時過ぎで食事の支度へ。大根の葉とベーコンと冷凍のコーンとホタテを混ぜたソテーをこしらえ、その後アイロン掛け。すると父親が帰宅。すぐに風呂へ。仕事を終えたこちらは下階にもどる。音読したのはたぶんこのときだろう。それから七時過ぎあたりからムージル古井由吉訳『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫、一九八七年)を読みだしたのだが、なぜかめちゃくちゃ眠かったので大して読まないうちに本を置き、薄布団を腹のあたりまでかけて目を閉じた。こんなに眠いのは久しぶりだというほどに眠かった。それでしばらく休み、八時頃食事へ。食べながら夕刊。なんとか敬之という経営学のひとのインタビューがあった。伊藤だったか? と思ったが、検索してみると、伊丹敬之という名前だった。国際大学学長。国際大学などという大学があるのをはじめて知った。日本の復活、みたいな題の新書を文春新書で出したらしい。コロナウイルスで悲観せずに、危機のあとを乗り切るための色々な力が日本にはあるんではないか、みたいな話をしている模様。労働生産性の低さが日本について言われるが、それはたとえば町のレストランみたいな小さな店でもこまやかで質の高いサービスを提供しているからで、アメリカの話を例にすると売上と労働生産性が高いデパートがあるがそこは店員をひとりか少数で回しており、数値上生産性は高くなるが客はみんなレジで待たされている、だから労働生産性というのを仮にサービスの質の高さという観点で考えるならば、日本のそれは世界一だと話していた。そういう、他者のことを慮る姿勢、本来「美しい」はずの言葉で言えばいわゆる「忖度」の文化は、しかしともすれば同調圧力を生む「迎合」になってしまいませんか、と記者が質問したのに対し、伊丹氏は同意しつつ、個の確立がやはり重要だと思うと受け、昔の日本の職人なんかはここだけはどうしても絶対に譲れないという最終ラインのこだわりがあった、そういう個としての芯は持たなければならない、それで言うとしかし、インテリ層のほうがむしろ欧米から入ってきた借り物の動向に流されて右往左往しているように見えて心配だ、というようなことを言っていた。最後のほうでは、自分は昔、社長がそもそも経営のことをわかっていない馬鹿だから会社が良くならないんだみたいな論文を書いて嫌われたと言い、そのときに経営者から、下の人間が育っていないんだから仕方がないと言われたのに対し、優秀な若手や女性を積極的に登用しなければならないはずの幹部層の意識がそもそも低いからその下のひとびとも育たないのではないか、だったらそういった幹部らにはやめてもらって、これから成長の伸びしろがたくさんある新しい人材を確保していくべきだろう、と反論した、と語っていた。厳しいですね、と記者が苦笑気味だったのに、頭のなかを変えようってのが無理なひとがいつまでも居座ってるんだったら、ひとそのものを変えちゃったほうが良いでしょう、などとこたえていた。
  • 食事を終えると洗い物をして、墓参に来た二人が買ってきてくれた甘味と茶を運んで帰室。食いながら一服したあと、また音読。九時になって風呂に上がったが、母親が、三〇分で出てくれと言うので、それだと短いからあとでと譲り、下の流れに。
  • 九時頃から、熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)の書抜き。203にフランク王国カール大帝の次のような言葉。「正しく生きることによって神に嘉せられようと欲する者たちは、正しく話すことによっても、神に嘉せられることを怠ってはならない」(「学問振興にかんする書簡」)
  • 熊野純彦の新書の書抜きはようやく終わった。で、机の上に書抜きを待っている本たちを積んでいたのだが、こちらは本を読むときカバーを外す習慣なので、これらの書物たちもカバーを外されたままでいたところ、これを戻そうと思い、カバーを乱雑に突っこんであったところから取ってひとつひとつ装わせていき、机もひろくするかというわけで単行本はベッドのそばに移動させ、文庫本は兄の部屋の棚に置いておいた。これでかなりすっきりした。書抜きはそんなにすぐには終わらないので、べつの場所に置いておいても問題ない。その時点で一〇時頃かもう過ぎていたと思うが、母親はまだ出ない気配だったので、ベッド縁で今日のことを記述。一一時にいたってようやく母親は風呂を上がった。なぜかわからないがずいぶん長く入っていたようだ。それで風呂に行き、こちらも浸かりながら瞑目して心身を休める。入浴中、換気扇をあまりつけないタイプなのだけれど、つけたほうがその音で居間のほうからひとの気配がつたわりにくくなるので良いかもしれない。束子で腹や胸などよく擦る。
  • 一一時四五分頃に上がったのではないか。それから今日のことをまた綴っていまは一時半を過ぎたところだが、二時間近くいっぺんに記したという感じがなくて、そんなに書いていたかとちょっと意外なようだ。
  • そのあとムージル。また思ったこと観察したことはあるが、いまは書くのが面倒臭いのでのちに記す気になれば書く。このときは眠気もなく、はっきりと読めたのでそこそこすすんだ。そうは言ってもやはり遅々としているが。書見後しばらく遊んで、四時二〇分に消灯。