2021/4/25, Sun.

 〈プチブルジョワ〉。この述語は、いかなる主語にも張り付いてしまう可能性がある。この災難をだれも逃れられない(当然だ。本だけでなくフランス文化全体がそれを経由しているのだから)。労働者にも、管理職、教師、反体制学生、活動家、友人のXやYにも、そしてわたしにも、もちろん〈ある程度のプチブルジョワ的なところがある〉のだ。これは質量 - 部分冠詞である。ところで、可動性があって、突然に心をかき乱すという同じ性格をみせる別の対象語があり、理論的な言説のなかでは、たんなる部分冠詞のように存在している。それは「テクスト」である。しかじかの作品は「テクスト」であるとは言えないが、作品のなかには〈ある程度の「テクスト」がある〉ということだけ(end216)は言える。このように〈テクスト〉と〈プチブルジョワ〉は、後者は有害で、前者は胸躍るものであるものの、どちらもおなじひとつの汎用的実質のかたちをとっている。両者とも、おなじ言説機能をもっているのだ。何にでも汎用できる価値操作子という機能を。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、216~217; 「部分冠詞(Partitif)」)



  • 一一時四四分に離床した。九時頃から覚醒があったおぼえがあるが、どうもいつもと比べて寝起きが悪かった。頭が重く、なかなか目がひらかず、意識やからだに対して全方位的な圧迫感があるというか。それで熱でも出たのか、コロナウイルスにかかったのか、と思ったが、起床する頃には特に問題もなくなっていた。瞑想はサボって上階へ。両親は山梨に行っているらしく不在。午後、雨が降るかもとあったが、たしかに新聞の天気予報でも午後に一部雨のマークがあった。天気も晴れ晴れしくなく、どちらかと言えば淀みの感触がある。卵を焼いて米の最後の余りに乗せて簡易な食事。新聞からは、上野景文というひとへのインタビュー。元バチカン駐在大使だったらしく、「文明論考家」などという大層な肩書きを名乗っていた。アメリカの分断といま呼ばれているものは、啓蒙思想以来の新思想・新文明とそれ以前の旧文明との対立で、前者は主に沿岸部、後者は内陸部で勢力を占めているわけだが、これはアメリカにおいては昔からずっとあり、そのときによって共和党民主党に大まかには代表されるそれぞれの思潮のどちらかが優勢になってきたものであり、だから米国はもともとひとつにまとまっていたわけではないからあらためて「分断」というのは間違っている、みたいなことを言っていた。で、啓蒙思想以来の新思想というのも言ってみれば一種宗教化しており、だから「啓蒙思想教」のようなもので、そのバリエーションとしては「自由教」とか「民主主義教」とか「ライシテ教」とかがあると。政治思想を政治的宗教としてとらえる見方は多くあるだろうし、それにある程度の根拠も有効性も確かさもあるには違いないと思うが、ただなんかなあ、みたいな感じもある。たとえば「ライシテ教」にかんして言えば、ライシテというのはフランスにおいて金科玉条になっている政教分離原則、公の領域から宗教的要素を排斥しようという原理なわけだけれど、これを「教」として措定すると、宗教性を徹底して排除しようとする宗教、というややこしい規定になる。まあ実際そういうところはあると思うのだけれど、世俗主義もひとつの宗教もしくは宗教性であると言って、なんか概念規定として有効なのかな? という疑問をおぼえないでもない。「宗教」とはべつの言葉で考えたほうが良いのでは? と。だからたとえばルジャンドルなんかは「ドグマ」とか言っているわけだろうし。あと、このひとは、日本は万物に霊が宿るというアニミズムの国で、だから言わば超多神教です、とも言っていたのだけれど、これも一般的に受け入れられている見方だが、なんか本当に確かなのかなあというか、古来の宗教観念として確かだとしても、そんなに断言的にくくれるかなあというか、現代社会を考える視座としていまだに有効なのかなあ、というか、現代日本人の心性を考える上でどこまでそういう要素が残っているのかなあ、という漠然とした疑念が生じる。このひとは一九九四年にレヴィ=ストロースと一時間ほど話したらしく、そのとき彼は、欧州人は色眼鏡でものを見るから困る、日本人はmatter of fact approachにすぐれている、と言っていたと言い、欧州キリスト教文化が唯一神を第一 - 最終原理に措いた演繹優勢 - イデオロギー先行文明だというのはたぶんそうなのではないかと思うが、ひるがえって日本とか東洋とか呼ばれる地域のひとびとが、matter of fact approach、すなわち帰納的な物事のとらえ方や処理の仕方にすぐれているかというと、そうか? という気もする。こちらは小説だとか文学だとかが好きな人間として、基本的に帰納支持者なので、そうであったら良いなとは思うのだが、実際にそうかというとどうもそうは思えないのだが。あとは、フランスのライシテ的な「宗教たたき」は中国がウイグルのひとびとにやっていることとどこかで似ているように感じられて気がかりだ、みたいなことも言われていたが、この点はちょっとなるほどと思った。フランス人にそう言ったらたぶんめちゃくちゃ怒り狂うと思うし、拙速な類比はできないだろうが。このひとに言わせれば、中国は啓蒙思想をおいしいところだけつまみ食いする、そもそも共産主義啓蒙思想から生まれた鬼子というか、異質な傍流みたいなものだ、ということ。ただそれも、「共産主義」と現在の中国の体制がどこまでおなじものとして見なされるか、というのも疑問だが。
  • あとこれを読んでいるあいだに金井美恵子のエッセイ・コレクション3を読んで知った「『風流夢譚』事件」のことを思い出したのだけれど、つまりこの件って、シャルリー・エブドの事件とだいたいおなじことなのではないかと思ったのだ。いまさらだが。金井の本を読んでいるあいだは、全然そのことに思い至らなかった。シャルリー・エブド、という単語を思い出しすらしなかった。で、こちらはシャルリー・エブドの件にかんしては、ムハンマド風刺画の再掲載について、表現の自由金科玉条にしてなされた愚行だと思っていたというか、あのタイミングでおなじ風刺画をもう一度掲載すればそれへの反発でふたたびテロが起こることは誰の目にもあきらかなのだし実際そうなったのだから、再掲載はするべきではなかったし、すくなくとも、表現の自由を主張したりそれについて問うにしても、おなじ絵をそのまま載せるのではなくてべつのかたちを取るべきだったと思っていたのだけれど、これは金井美恵子がボロクソに言っていた島田雅彦の立場とだいたいおなじ意見ではないかと思ったのだ。しかもこちらは金井美恵子の文を読んでいるときは、どちらかといえば金井の言い分のほうにかたむきをおぼえていた。島田雅彦の意見というのは、「「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが、出版によって起こり得る事態を想定しなかったことは責められる」と、島田雅彦は書いた」という金井のエッセイの長いタイトルに集約されているわけで、こういう立場で彼は彼自身の『美しい魂』という小説の出版をひかえたということらしいのだが、これは上に書いたシャルリー・エブドの件でこちらが思ったこととだいたいおなじだろう。だいたいおなじというか、路線としてはおなじくくりだろう。金井はそれに対して、「真面目な話、書かれた小説によってひきおこされる「テロ」が、まさしくそれが「出版」されたことによっておこったことを責めるのは本末転倒で、『風流夢譚』とは、どういう小説なのか、なぜそれが「不敬」とされたのかについて、島田は書いてみたほうがいいと思うのだけれども」(474)と書いていて、ここを読んだときこちらはたしかにそうだなと思ったのだった。だからこの二つのおそらく類同的な問題にかんしてこちらの考えもしくは意見は、矛盾している。それはひとつには、こちらが一応シャルリー・エブド事件について、むろんメディアを通してではあるが同時代的に接していること、現代の世相のなかにいてその雰囲気を感じていること、それに対して「『風流夢譚』事件」にかんしては文字でしか知らず、その当時の社会や世界の雰囲気を当然だが体感していない、という事情がおそらくある。あとは、小説なり風刺画なりが「出版」や公表されたことと、テロの発生とが因果関係的に直接的に密なのか、ということが論点になるだろう。シャルリー・エブドの再掲載の件にかんしては、ここがもう実にスムーズに直結しているようにこちらには思われたわけだ。何しろ一度、もう起こっているわけだし、もう一度掲載すればそれはあからさまな挑発として機能して、もう一度おなじ反応を呼び起こしてもう一度おなじような事件が起こることは誰にでも想像がつくと思われた。ただ金井の先の474の言い分は、たぶん、「出版」自体が問題なのではなくて、「『風流夢譚』事件」が起こったのは、その小説の内容がそれだけの影響力を持っていたからだ、ということなのではないか。それに対して島田雅彦の小説にはそれほどの力はないだろうと。だから、いや、お前の作品に、(この現代日本で)テロを誘発するほどの力なんかあるわけねえだろ、過剰な自粛だろ、と言っている、ということではないのだろうか。もっとも金井は『美しい魂』もその前作の『彗星の住人』も読んでいないと明言しているのだが、「右翼だか圧力団体だかについての知識も、ジャーナリズムに書かれたものをわずかに知るばかりなのだから、〈皇太子妃をモデルにしたとの噂がありますが(噂というよりも、〈これ読めば不二子が誰かぐらい一発でわかるだろう〉と思って書いていた、と、島田自身が言っているわけだが)、私は改稿に当たって、不二子という名のヒロインが雅子妃と同定されないよう万全の注意を払いました〉という小説が、あらゆる予測をした場合とはいえ、「テロ」の対象になるのかどうか、何しろ『彗星の住人』も読んでいないのだし、ふうーん、そんなもんかねえ、としか言いようがないのだが」(475)と言っているのはそういうことだろう。こう考えてくると、べつにこちらの二種類の反応は矛盾していないのかもしれない。
  • ともかくその一記事を読むと食器を片づけ、風呂へ。マットが漂白されてあったのでシャワーで水をたくさんかけて薬剤を流す。そうして浴槽も洗い、済むと茶を持って帰室。コンピューターを前にしてLINEを覗き、投稿を確認。今日は本当は「(……)」の連中と通話することになっていたのだが、日記もあまりすすんでいないし、あと水曜日のためにTo The Lighthouseの翻訳をやっておかないとやばそうだというわけで、欠席させてもらうことに。(……)
  • それでベッドに身投げして、ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)を読みはじめたのが二時頃だったはず。その前、一時半頃に、天気があまり良くなくて空気と空が灰色に濁っていたし、雨が降らないとしても出していても乾かないように思われたので、洗濯物を仕舞いに行った。書見は「一方通行路」をすすめる。アフォリズム的断章集で、こういうのってやっぱり特有のリズムがあるなと思った。退屈と言えばそう思えるような部分もあるが、そのすぐ次にちょっと気の利いた一言がそれだけの断章として出てきたりもする。内容としてはだいたい夢のイメージと、旅をして見た各地の都市の様子などと、現代社会もしくは現代文明批判みたいな感じか。文の性質上論考、という感じのものでなく、たぶん日本語の随想、という言葉で言うのが似つかわしいのでは? という感触もしくは雰囲気のものだと思われ、ベンヤミンの文章のなかではわりとゆるいほうのものにあたるのではないか。ほかに『ベンヤミン・コレクション1』しか読んだことがないし、それもずいぶん前だからわからんが。
  • 三時過ぎくらいまで読んだか。そう、三時一〇分から、起き抜けに瞑想をサボったので、ここでおこなったのだった。実に良い。自足的な停止感。窓をあけて外空間を流れる風の音を聞いているだけでわりと気持ちが良い。二八分くらい座った。これほど長く座るのは珍しいが、本当はやはり三〇分くらい座りたい。べつにそのときどきの気分で良いわけだけれど。
  • それから今日のことを書きはじめたが、新聞記事についてとそのあとの「『風流夢譚』事件」やシャルリー・エブド関連にかかずらって時間がかかってしまい、そこまで書いただけでもう五時を越えてしまったので上階へ。帰ってきた母親が台所で煮物をやっている。こちらは米を磨いでアイロン掛け。シャツやエプロンや母親のジーンズなど。自分のワイシャツをようやく処理できた。テレビは『笑点』。大喜利の前の前半のコーナーにオール阪神・巨人が出ていた。久しぶりに目にしたが、巨人のほうが髪が全部白くなっていた。ただ、顔つきは特に変わったようには見えず、白髪になったからといって老いぼれたという印象はない。漫才はもう大御所だから芸としての型が完全にできあがって整っていて、二者のリズムが実になめらかにスムーズに安定しており、まったく淀みなく流れている。わざとらしさもない。漫才について評せるほどに漫才とかお笑いを見てきていないが、ここ数年ごくたまにテレビでそのたぐいを見かけると、だいたいどれもわざとらしい気がする。
  • 大喜利コーナーも多少見た。林家木久扇とか、失礼だがもうだいぶ老いさらばえたような印象で、特に目もととかその気味が強い。アイロン掛けを終えるとワイシャツを下に運んだり、ゴミを持ってきたり、屈伸をしたり。米があと七分くらいで炊けるようだったが、いったん自室に帰って今日のことを加筆。そうして六時半にいたると夕食に行った。天麩羅の余りや、筍や鶏肉を入れた筑前煮や、サラダ。新聞を読む。書評欄を見た。昼間にもちょっと見たが、橋本五郎山崎正和のたぶん最後の本だと思うがそれを取り上げていたり、また尾崎真理子が篠田桃紅のこれも最後らしく『これでおしまい』というのを紹介していたり。この「これでおしまい」というのはなぜか良いタイトル、良い文言だなと思った。篠田桃紅というひとは書家もしくは美術家らしく、このあいだ一〇七歳で亡くなったという報を見てこちらははじめて知ったのだが、尾崎真理子は小島信夫の連載小説の画を頼むときに当時八〇代の相手とはじめて知り合ったらしく、「極上の文章家」で大正から昭和初期あたりの生活について綴ったエッセイなどすばらしいとあったので気になる。白洲正子幸田文みたいな、なんかこういう品のあるような女性の生活に根ざしたこまやかなエッセイの系譜みたいなものがあるのではないかという気が勝手にしていて、それこそ『枕草子』からはじまる日本女性の随筆的伝統という史観に毒された大雑把すぎる考えかもしれないが、ともかくそういう方面の文も気になる。ほか、中島隆博はジェフリー・S・ローゼンタールとかいうひとの『それは単なる偶然です』みたいな、正確な文言を忘れたが、Knock on Woodという原題の統計学についての本を紹介しており、苅部直は山本剛だったか山口剛みたいな名前のひとの、『権力分立論の系譜』だったか、これも正確なタイトルを忘れたがそういう感じの本を取り上げて褒めていた。面白そうだったのだが、この著者のひとは一九八八年生まれとあったからこちらと二つしか変わらないわけですごいものだ。三権分立の考えを最初に公にしたのはモンテスキューだというのが教科書的知識として流通しているが、実際に『法の精神』をひもといてみると権力分散はともかく立法・行政・司法の三権分立を明確に提示してはいないらしく、それはその後の議論のなかで定着していったのだと言う。いわく、英国で政府の方針に反対した議員を罷免するという議論のなかで立法府からの司法権の独立という考えが出てきて、さらにインド植民地にかんする話のなかで司法はそのほかの権力からの命令を拒否できる、という議論があらわれ、そして合衆国憲法によってそれらが制度化されて根づいたという経緯になっているらしい。だからフランス、イギリス、インド、アメリカ、とまさしく海をまたいで国際的に資料を博捜し、現代世界の基盤をなしている思想の成立と定着を周到に跡づけた力作、というような評価だった。
  • そのあと一面にもどってASEAN首脳会議の件。ミン・アウン・フライン・ミャンマー国軍司令官が参加して、ASEANから派遣される特使を受け入れる方針だとか、国軍はASEANに調和的に関与していくみたいなことを述べたらしい。そうは言っても弾圧と殺害はやめないだろう。あと、昨年一一月の選挙に「不正」があったという主張をくり返してクーデターの正当化を図ったと。とにかく不正不正と言い続ければ勝てるという世界になってしまった。おなじく一面から二面にかけてあった白石隆の寄稿もASEAN周辺を扱っており、まず日米豪印四か国(クアッド)の会議が三月一二日だかにはじめてあったという話題からはじまり、中国はこれを対中包囲網だと言っているがそれは誤りで、中国中心の秩序をつくりたいなら内陸方面はひらかれている、この四か国の目的は、インド太平洋地域を自由でひらかれたものに維持し、南太平洋での中国の強引な現状変更の試みに対処することであると述べ、そもそもインド太平洋という用語は二〇一〇年に当時のインドネシアの、なんといったか、ユドヨノ、みたいな名前だったと思うのだけれど、その大統領がはじめて口にした言葉で、当時はASEANに中国も含めてほかの国々を巻きこみ関与させようとしていて、そういうときに「インド太平洋」という枠組みを提示すれば東南アジアの地理的中心性は誰の目にもあきらかになるからそういう目論見があったらしいのだけれど、しかしその後ASEAN内部で断絶が生まれた、それは中国と領域問題を抱えている国とそうでない国があるからで、くわえて経済発展によって国民たちがさらなる生活向上を期待したことと経済面での中国依存が原因でASEANはうまく機能しなくなった、とそのあたりまで読んだところで飯を食い終えたので終了した。
  • 食後はたしか下の記事を読んだはず。

2020年11月8日にミャンマーで実施された総選挙は、アウンサンスーチー氏が率いる与党・国民民主連盟(NLD)が全体の8割を超える議席を獲得して圧勝した。これにより国軍最高司令官が選挙を経ずに任命する軍人議員を含めても、NLDが連邦議会において単独過半数を占めることになった。順調にいけば、2021年3月に第2次スーチー政権が誕生する。

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NLD勝利の最大の要因が、スーチー氏の国民人気にあることは間違いない。選挙監視を実施しているNGO「信頼できる選挙のための人民同盟」(PACE)が2020年8月上旬に行った調査によると、国家顧問(スーチー氏)を信頼すると回答した人の割合はビルマ族が多い7管区において84%、少数民族が多い7州においても60%であり、この数字は他のいずれの政治制度(連邦議会、管区・州議会、国軍、裁判所など)に対するものよりも高い。もちろん、管区と州ではスーチー氏への信頼度に差はある。しかし、例えば、政党に対する信頼度は管区で41%、州では31%、少数民族武装勢力に対する信頼度は管区で19%、州でも29%にとどまっている。州においても政党や少数民族武装勢力は、スーチー氏や大統領に比べてそもそも信頼されていなかったのである。

しかし、スーチー氏の人気だけで前回を上回る議席を獲得することはできない。半世紀ぶりの民主政権の誕生を賭けた前回総選挙におけるスーチー支持の熱気は、今回を上回るものであったからである。筆者は今回NLD政権が根強い支持を受けたのは、経済成長を背景にした地元住民の生活水準の向上があったためと考えている。

一般に、スーチー政権下でミャンマー経済は減速したといわれる。しかし、別稿でも論じたように(※1: 「アウンサンスーチー政権下の経済成果と総選挙への影響」(IDEスクエア)2020年11月、available at https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2020/ISQ202020_034.html?media=pc(https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2020/ISQ202020_034.html?media=pc%E3%80%82))、土地バブルがはじけたヤンゴンマンダレーでの景況感の悪化に比べて、地方都市や農村部での景気の悪化はそれほど大きなものではなかった。例えば、スーチー政権下での経済減速の証拠としてしばしば外国投資の認可額の減少が指摘されるが、そもそも地方に外国投資は来ていなかった。

われわれは国内総生産GDP)成長率やヤンゴンの実業家・外資企業へのインタビューをみて経済動向を判断するが、多くの国民は身の回りの生活環境・水準を軍政時代と比較して判断する。軍政時代、電気は電線で来るものではなく、バッテリーを持って市場へ買いに行くものであった。

したがって、バッテリーで動く電化製品しか利用できなかった。今では農村でも電化率は55%になっているし、オフ・グリッドの電源もある。当時、携帯電話やオートバイは村人の手の届くものではなかったが、今やそうしたものも頑張ればローンで買える。少数民族村では軍政当局に農地の存在を知られるのを嫌がったが、今は農業銀行から営農資金を借りるために、政府に農地を登記してもらいたがっている。

先のPACEの調査によれば「郡(タウンシップ)の状況は良くなっている」と回答した人の割合は、19 年の44%から20 年には56%に上昇している。管区の方が州に比べて、良くなっていると回答した人の割合は高いが、その差は数%に過ぎない。良くなっていると答えた理由は、政府サービスの改善が58%、経済と所得の向上が40%、インフラ整備が26%であった。しばしば話題になる連邦制の実現を理由に挙げる人は6%しかいなかった。

一般の人々にとっては、連邦制の実現のような政治課題よりも、身近な生活水準の向上の方が重要であった。スーチー政権下において、少数民族州は徐々にではあるが発展していたと考えられる。成長をもたらすのがNLDであれば、政権を担わない少数民族政党に投票するよりも、勝ち馬に乗ったほうが得策であると考える有権者がでてくるのは当然であろう。

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しかし、大敗した国軍系の野党・連邦団結発展党(USDP)は選挙に不正があったとして、国軍の協力の下で選挙をやり直すべきであると訴えた。ここで注目すべきはUSDPがわざわざ「国軍の協力の下で」と付け加えている点である。米国の大統領選挙でも明らかになったように、民主主義においては選挙結果に基づいた新政府の樹立を誰が保障するのかが問題となる。ミャンマーにおいてそれを保障するのは、事実上国軍である。国軍が選挙結果を認めることではじめて、それに基づいた政府が樹立される。実際、国軍はNLDが最初に大勝した1990年総選挙を認めなかったという前歴がある。

2020年総選挙の当日、ミンアウンフライン国軍最高司令官は選挙結果を尊重すると発言した。しかし、NLDの大勝が明らかになるにつれ、選挙不正があった可能性があるとして、NLDや選挙管理委員会をけん制する発言をするようになった。これはUSDPの2回の大敗を受け、国軍がUSDPを頼りにできないことがはっきりしたことが背景にある。実際、1990年総選挙を通じて国軍はビルマ社会主義計画党の後継政党である国民統一党(NUP)に政権移譲を試みたが、NUPが総選挙で大敗したことにより挫折した経験がある。USDPもNUPと同じ運命をたどるであろうことが、今回はっきりした。

こうなると、国軍が頼りにできるのは、国軍の自律と国政関与を規定する2008年憲法しかない。国軍の国政関与のロジックは政党政治(party politics)が混乱したとき、国軍が国民全体の利益を代表する国民政治(national politics)を行うというものである。

In the days before the coup, the military declared that more than eight million cases of potential voting fraud had been uncovered relating to the 8 November election.

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Independent observers agree there may have been significant errors in the voter rolls, but no evidence that people actually committed electoral fraud has been presented.

The commission has also pushed back, saying there is no evidence to support the army's claims.

The US-based Carter Center, which had more than 40 observers visiting polling stations on election day itself, said voting had taken place "without major irregularities being reported by mission observers".

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The army claims these lists reveal instances where it is possible the same person could have voted more than once - by being registered in different places.

However, the national election commission says this would not have been possible because there were effective safeguards in place.

"These persons could not cast their votes many times in a single day," it said in a statement, pointing to the indelible ink administered to voters' fingers, which lasts at least a week.

Indelible ink is used in many elections around the world, and in Myanmar was provided by the United Nations and Japan.

The dye contains silver nitrate which stains the skin on exposure to sunlight and is described as "resistant to attempts to remove it using water, soap, liquids, home-cleansing, detergents, bleaching product, alcohol, acetone or other organic solvents".

The election commission also pointed to strict Covid-19 travel restrictions, which would have made it particularly hard to vote in multiple locations.

These restrictions may also have distorted the lists in some areas, with voters registering outside their usual locality, unable to return home.

Myanmar begin implementing restrictions on travel as Covid cases began to increase in the second half of 2020.

This, says one local election monitoring group, Phan Tee Eain, may have resulted in "inflated" lists in some areas because "they couldn't go back due to Covid".

It could have meant names appearing more than once on the overall voter lists. But there is no evidence that this led to deliberate acts of multiple voting.

  • ストレッチを多少したのち、九時半頃に風呂に行った。入浴のあとはほぼTo The Lighthouseの翻訳しかしなかったはず。これにずいぶん手間がかかって、一〇時半くらいからはじめたと思うのだが、結局夜食を取りながら二時半かそのくらいまで費やされたはず。今回のところは難しかった。まあいつも難しいのだけれど。良い日本語がなかなか出てこなかった。

How then did it work out, all this? How did one judge people, think of them? How did one add up this and that and conclude that it was liking one felt, or disliking? And to those words, what meaning attached, after all? Standing now, apparently transfixed, by the pear tree, impressions poured in upon her of those two men, and to follow her thought was like following a voice which speaks too quickly to be taken down by one's pencil, and the voice was her own voice saying without prompting undeniable, everlasting, contradictory things, so that even the fissures and humps on the bark of the pear tree were irrevocably fixed there for eternity. You have greatness, she continued, but Mr. Ramsay has none of it. He is petty, selfish, vain, egotistical; he is spoilt; he is a tyrant; he wears Mrs. Ramsay to death; but he has what you (she addressed Mr. Bankes) have not; a fiery unworldliness; he knows nothing about trifles; he loves dogs and his children. He has eight. You have none.(……)


 それじゃあ、何が正解なんだろう、こういうことって? どうやってひとはひとを判断し、評価するのか? あれこれ考え合わせて、私はこのひとが好きなんだ、嫌いなんだ、って、そんなの、どうやって決められるっていうんだろう? それに、好きとか嫌いとかっていう言葉には、結局どんな意味があるのか? はたから見てもわかるくらい、思いにつらぬかれて梨の木のそばに立ちつくしている彼女に向かって、二人の男性の印象がどっと降り注いできた。そうすると、自分の思考を追いかけるのは、喋るのが速すぎて鉛筆でも書き留められないひとつの声を追うような感じになってきて、その声は確かに彼女自身の声なのだけれど、それが勝手に、否定しがたい、いつ終わるとも知れない、しかも矛盾ばかりのことを色々言い立てるので、梨の木の表面にできた割れ目やこぶですら、変えようがなく固く永遠にそこに定着してしまったもののように思えるのだった。あなたには偉大なものがあります、と彼女は続けた、でも、ラムジーさんにはちっとも。あの方は心が狭くてわがままだし、うぬぼれも強くて自己中心的です。甘やかされた子ども、暴君で、夫人を死にそうなくらいくたくたにしてしまう。だけど、あのひとにはあなたにないものもありますね(と彼女はバンクス氏に語りかけた)。燃え盛る炎みたいに、激しく超然としたところが。俗世間のつまらないことは何一つ知らず、犬と子どもたちを可愛がっているばかり。何しろ八人もいますからね。でもあなたにはひとりもいない。

  • あらためて自由間接話法というのがよくわからんというか、冒頭のHow then did it work out, all this?は岩波文庫を参考にする限りLilyの独白だから現在時制の言い方で訳さなければならないのだけれど、普通に逐語訳するなら、「それではそれはどのように解けたのだろうか、このすべては?」という感じになるわけだ。自由間接話法というのは、She thought thatとかが省略されてその中身だけが残っているかたち、という風に一般に説明されると思うのだけれど、ここではもろに疑問文になっているわけで、その理解に当てはまらない。How then does it work out, all this?とはじめから現在時制で書かれていればこれは話が簡単で、Lilyの心中の声をそのまま地の文に借りるようにして記している、ということになる。そのときは語り手がLilyと完全に一致することになるわけだ。ただ、ここではdidを使って過去形になっているから、話者がLilyと完全には一致せず、語りと人物とのあいだで距離が保たれながら、しかし同時に完全に分離しているわけでもなく、語りとLilyの心中独白がなかば混ざるような感じになっている、ということではないのか。だから訳文も、完全にLilyの台詞みたいにはせず、かといって地の文の口調にもせず、その中間あたりを狙うのが良いかなというわけで上のようになった。
  • 三時五三分に消灯就寝。