2021/4/28, Wed.

 言葉が観念をみちびいてゆくような言述はどれも、(価値的な判断からではなく)「詩的である」と言うことができる。もし、あなたが言葉の誘惑に屈するほど言葉を好きになれば、シニフィエを示すことや著述をおこなうことという掟から身を引くことになるだろう。そうなれば、文字どおり〈夢の〉言述となるのだ(わたしたちの夢は、目の前を通りすぎる言葉をつかまえて、そこから物語を作ることなのだから)。(わたしの考えだけでなく)わたしの身体そのものが、言葉に〈なじんで〉おり、いわば言葉によって作られているのかもしれない。今日、わたしは舌の上に、表皮剝離のように見える赤い斑点を見つける――しかも痛くないので、癌の症状ではないかと思う。だが、近くから見てみると、舌を覆っている白っぽい皮膜がすこしはがれた症状にすぎないとわかる。〈表皮剝離〉という、厳密ゆえに味わいのあるこの珍しい言葉を用いるために、このささやかな強迫観念的シナリオが作られたわけではない、とはわたしには断言できない。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、229; 「いかなる論理か(Quel raisonnement?)」)



  • 起床時のことは忘れた。新聞でこの日から「奔流デジタル」とかいう特集がはじまっていて、一面と国際面に載せられており、「動揺する民主主義」というテーマの記事なのだけれど、一面のほうで語られていたのはジンバブエの状況で、デジタル技術で益を得たのはもちろん反体制運動をする側だけでなく、政府の側もそれを活用して抗議者をピンポイントで摘発に来るようになったと。以前は集団でつかまえられて、牢屋で何日か過ごせばそれで終わりで釈放される、という大雑把な感じだったらしいのだが、もっと個で取り締まるやり方に変わってきているとのこと。ジンバブエはもともとムガベ大統領というひとがたしかずっと独裁的にやっていて、たしかけっこう前にめちゃくちゃなインフレを招いたのもジンバブエだったような気がするのだが、ムガベが死んでべつの指導者に変わったあともしかし本質は変わっておらず、抑圧的な体制が続いているようだ。国民のかなりの割合が貧困と言って良い生活水準らしく、しかし農村部など、電気も水道も引かれていないようなところでもスマートフォンはわりと皆持っているらしい。国際面のほうは中国について書かれてあり、武漢など都市では網格員という立場のひとが住民を受け持って管理していたと。要するに隣組的なもので、その網格員なる役職のひとが六〇〇人とか一〇〇〇人とかを担当して、相談にこたえたり、情報を提供したり、逆に情報をもらって上に報告したり、コロナウイルスで都市封鎖されていたときにはひとによってはかわりに買い出しをおこなったり、と働いていたらしい。それが専用のアプリのたぐいで連絡交換されていて、怪しい人間などがいたらすぐに党のほうに報告できるわけだ。マジで監視国家というか、市民たち自身の密告、チクりが横行して体制維持に大いに貢献するようになっているのだろう。人権派弁護士の家に訪問者があった、という情報も上がってくる、ともあったし。上がった情報はたしか警察のほうのビッグデータに集約される、ともあった気がする。それにしても、ひとりで六〇〇人とか一〇〇〇人とか担当するのはめちゃくちゃ大変ではないかと思うのだが。いくらアプリを使うと言っても。次々に相談が来たらとても回らないだろう。
  • 出勤までのあいだに特段のことはなし。家を発ったのは三時半過ぎ。あたりに鳥の声が散っているなかを急がず行く。眠たいというか、なぜか頭が重いような感じが多少あった。いますぐベッドに横になって何もせず呆けていたいような。しかしそうも行かないのでゆるく歩をすすめる。(……)さんの宅の前には、夜にここを通るとよく停まっているのだが、何者か不明の軽自動車。前方、小橋では、すぐそばの家に住んでいる外国人だったと思うが、板状の台車に乗せたものを沢のほうに次々投げ捨てているひとがいたのだけれど、何を捨てていたのか見えず。動きからしてそんなに重いものではなさそうだったので、掃除で集めた草とかか? 坂に折れると前から虫取り網みたいなものを持った子どもが来て、たぶん五歳から七歳のあいだくらいの歳だったと思うが、白人系の外貌をしている少年だったので、先ほどの異国のひとの息子だろう。すれ違って上っていき、余裕綽々で駅へ。ホームに入るとベンチに就いて脚を組み、瞑目して休む。寒くない。たしか陽はほぼなかった気がするが。わずかなあいだだけでも、目をつぶって止まっていればけっこう回復する。来た電車に乗っておなじように座席で休んで待ち、降りると駅を抜けて職場へ。頭の重さはわりと溶けていた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • もろもろやって退勤は八時四五分頃だったか? (……)
  • (……)それで挨拶して退勤。今日は徒歩ではなく電車で帰ることに。Woolf会もあるし、体力を温存しておきたかった。駅に入って電車に乗り、瞑目して休息。最寄りで降り、誰からも離れて一番うしろをゆるく行く。たしか例の、気温が高くなってくるとあらわれる、ジージーいって無個性な持続ノイズ風の虫の音が発生しはじめていたはず。ホームから線路を越えて表通りのほう、どこかの草から聞こえていたおぼえがある。その他の帰路の印象は特にない。やや肌寒かったか? 体内が空だったし。
  • 帰宅し、着替えてベッドで休息。一〇時頃に食事へ。寿司だった。小僧寿しの海鮮丼。もう品があまりなくて、あんまりいいのじゃなかったけど、と母親は言うが、全然かまわない。実際食っても、小僧寿しなど本当に良い寿司からすればパチモンみたいなものなのだろうが、かなりうまかった。感謝の念が湧くくらいのうまさだった。やはり胃が空だったし、からだから水もけっこう抜けていただろうから、そういう状態で食えばたいていのものはうまい。手巻きも食い、あと小僧寿しは近年唐揚げも売っていて、そのけっこう大きめの鶏肉も一切れ食べて、たいへん満足。食器を片づけて下階にもどり、隣室に移ってZOOMにつなげたのがちょうど一〇時半頃。この時点での出席者はまだ(……)くん、(……)さん、(……)さんだけで、のちに(……)さんが来て、さらにのちに(……)さんもあらわれた。あと、(……)さんもいっとき滞在。一時頃におもいきり良く去っていった。(……)さんと(……)さんは聴講だったから、実質(……)くんと二人でやるみたいなもので、もうすこし待ったほうが良いかとも思ったが、ともかくはじめることに。それでこの日はこちらが担当なので、英文を読み、訳文も読む。前回と前々回は前から逐語的に訳すフェイズを入れたが、今回それを挟むのは中ほどのやたら長くてわかりづらいところだけにして、あとは英文を読んでそのまま訳文に行った。訳した文章は二五日日曜日の記事に載せたので割愛。(……)くんからはわりと好評価をもらった。「あれこれ考え合わせて、私はこのひとが好きなんだ、嫌いなんだ、って、そんなの、どうやって決められるっていうんだろう?」の、「って、」という部分が良かった模様。
  • 本篇が終了すると、『イギリス名詩選』。(……)くんはこのイギリス詩を読むのにも飽きてきたようだが。かわりにWoolfのエッセイを読むのも良いのでは、と言っている。こちらはどちらでも良い。ともあれ、94番の、Ralph Hodgson, "Time, you old gipsy man"というやつを選んだ。前に大雑把に確認したときに、なかなか良い詩だと思っていたので。平易な言葉で、一行をどれもみじかく書いているが、内容としてもなんか良い感じだし、まさしく馬車でゴトゴト、安定的にすすむかのごとき、いわばエイトビートのリズム感がある気がする。インターネット上で拾った原文を以下に掲示

TIME, you old gipsy man,
Will you not stay,
Put up your caravan
Just for one day?

All things I'll give you
Will you be my guest,
Bells for your jennet
Of silver the best,
Goldsmiths shall beat you
A great golden ring,
Peacocks shall bow to you,
Little boys sing,
Oh, and sweet girls will
Festoon you with may.
Time, you old gipsy,
Why hasten away?

Last week in Babylon,
Last night in Rome,
Morning, and in the crush
Under Paul's dome;
Under Paul's dial
You tighten your rein—
Only a moment,
And off once again;
Off to some city
Now blind in the womb,
Off to another
Ere that's in the tomb.

Time, you old gipsy man,
Will you not stay,
Put up your caravan
Just for one day?

  • 三連目でぐっと時間の範囲が広大になって、古代バビロニアまで歴史をさかのぼり、そこからローマ帝国を経由しながら一気にぐあっと現在のロンドンにまで来るというダイナミズムが良いみたいなことを(……)くんが言い、その点はこちらも同感である。しかも一週間でそれがなされるわけだから。人間にとってははるか遠い時空の距離でも、時そのものにとってはたかだか一週間のことにすぎない、という風なたとえになっているわけだ。あと面白いのは、Off to some city/Now blind in the wombの言い方か。いまだ目も見えず子宮のなかにあって誕生を待っている未来の都市へ、ということで、cityにwombをあてるのが面白い。blindは註によればhiddenの意だといわれているのだが、普通に、胎児が生まれる前は目が見えない、もしくは目がないというイメージの重ね合わせとしてとらえても良いのではないか。
  • イギリス詩も読むと、そのあとは例によって雑談。こちらは(……)さんが来ていたので、聞きたいことがあって、と言い、生涯独身だったような女性の自伝とか伝記があったら知りたくて、と話した。このあいだ二葉亭四迷の『浮雲』を読んだらなかの台詞で、まさか尼さんじゃあるまいし、女が一生旦那ももたずに生きていけるもんかね、みたいな言葉があったのだが、しかし現実には江戸にも明治にもそういう女性は圧倒的少数派ではあれいたはずで、そういうひとの生とか考え方とかが語られている本があったら読みたい、と説明し、情報を乞うたが、やはりそんなにぱっと出てくるものではないようだ。(……)さんが一番に思いついたのは森茉莉だといい、森茉莉がどういう生涯だったかちっとも知らないのだが、そうかんがえるとたしかに、こちらは文学者のたぐいをなぜか排除してかんがえていたけれど、女性作家のエッセイとかを読むのが良いかもしれない、とおもった。まあできれば『浮雲』を読んで得た発端に合わせて、男性中心父権制社会のなかで独力で生きたようなひとのものが読めたほうが良いが、そこにめちゃくちゃこだわるつもりもないので、とりあえず女性作家の文章をいままでよりも意識してみたほうが良いかもしれない。実際、女性作家のものって全然読んでこなかったと思うし。あと(……)さんは『明治女性文学論』という本を画面越しに見せてくれ、また、彼女がいま書いている文章がそういう方面のものらしいので、(……)くんにうながされて、じゃあそれを今度おくります、と言ってくれた。
  • ほか、入管法の件やその抗議についてなど。(……)さんはこの日もデモに行っており、それで参加が一時過ぎくらいからになったのだった。当事者をまもるという意識が、メディアにも社会にもうすいのではないか、というような話がなされた。入管関連であれなんであれ、不条理な目にあわされている人間自身が声をあげてみずからの境遇や心情について語り、批判や告発をすることがあるわけだが、それはやはり非常なリスクをともなう行動でもあって、色々なところでバッシングを受けたり、ときには身の危険につながったりもするのだけれど、メディアの側はわりと言うだけ言わせておいてその後のフォローとかをせず、声を上げた人間をまもったりたすけたりするような環境構築もせず、それでいながらやはり当事者が語ることが大切だといってときにきわめて軽々しく「声」をもとめてくる、と。(……)そこから日本のジャーナリズム批判みたいな話が展開された。疑似中立というか、客観をよそおった事なかれ主義みたいな姿勢についてだったり、あと単純に記事や文章が面白くないということだったり。一応客観的とみなされる事実を伝えるのがマスメディアの役割であるという理解は一般的に共有されているとおもうのだけれど、それがかえって問題に踏みこめなかったり、価値判断をあまりにもしなさすぎるという姿勢につうじているのでは、と。New York Timesの名が挙がったが、海外の主要メディアは意見欄が充実していて、そのメディアとしての意見や態度や立場を明確に表明していると。New York Timesで言えばOp-Ed欄はたしかに充実しており寄稿者もいくらでもいるし、GuardianのComment is Freeを見てもそれは明白である。まずもってああいう場所で書いている人間の数が日本よりはるかに多い。Comment is Freeなんかは内容としても面白いものが多い。あと、記事に署名がないことと、出典をあまりこまかくあきらかにしないことが日本のメディアの問題点として挙げられた。紙の新聞を読んでいてもたしかに国際面の記事には特派員の名が記されているものの、政治など国内のニュースは基本的に無署名になっている。また、インターネットの記事を見るかぎりでは、海外メディアは文中にたくさんリンクを貼って、情報のソースとか、参考になるような情報とかをいくつも示している。だから、このひとめちゃくちゃ読んでるなというのがすぐにわかる、とこちらは応じた。あと日本の電子版の主要メディアでこちらが解せないのは、過去記事の検索が貧弱だというか、検索しても消えていることがよくあるし、いままでの記事をすべて集積したデータベースもない。New York Timesなどはマジで一〇〇年以上前の記事でも全部検索できたはず、とそういうと、日本の新聞もデータベースはあると言われたから実際にはあるらしいのだが、ただ有料だという。New York TimesはじめWashington Postであれなんであれ海外のメディアももうほぼ軒並み購読料が必要になっているのだが、それをかんがえるとBBCとGuardianはマジで偉大である。特にGuardianはマジでやばい。カテゴリ分けがめちゃくちゃこまかいし。あと(……)くんが言ったのだけれど、日本のメディアはいま直近で起こっていることを一応客観的に伝えはするけれど、その問題がどういう経緯を経てそこにいたっているのかということは充分には説明せず、情報をそういう広範囲の視野につなげるのが下手くそだと。それでいえばBBCは、たとえばいまだったらミャンマーがああいうことになっているけれど、ミャンマーがどうしてこういう状況になっているのか、という記事をかならず出しますね、まあわりと要約的ではあるけれど、それでも基本的な点を押さえたそういう記事を絶対につくって、それをミャンマー関連の記事には全部リンクするようにしていると思う、とこちらは受けた。
  • (……)
  • (……)
  • 結局終わったのはまた三時過ぎだったはず。(……)さんは(……)くんなどにいわせれば「できる人間」なので、早々に見切りをつけて去っていったのだけれど、我々はいつまで経っても話をやめることのできないさびしがりやというわけだ。こちらは(……)さんに申し訳なかったなと思い、ずっと発言せずにいたけれど、去りたいタイミングがあったのではないかと思って、終える前にその点言及したところ、いやいや、すごく勉強になりました、というような返答があった。それで通話を終え、それから入浴に行き、もどってくるとすぐに消灯して床に就いた。ちょうど四時だったはず。
  • あと、(……)くんはマンスフィールドを研究している、もしくはしていたひととやりとりをしているのだけれど、そのひとから紹介されて上田敏の訳詩をちょっと読んだらとても良かったと。上田敏といえば例のカール・ブッセの、山のあなたにうんぬんかんぬんというやつが有名なあれかとおもってそう口にすると、(……)くんが知ったのはロバート・ブラウニングという詩人のやつで、上田敏が訳した当該詩は『イギリス名詩選』のなかにも入っているのだけれど、簡潔な詩で、春の風景をうたって最後が「すべて世はこともなし」で終わるものであり、磯崎憲一郎が書くところの「世界の盤石さ」をおもわせるものだが、(……)くんはこれを読んだときに格好良いなとおもいつつどこかで聞いたことがあるぞともおもったところ、RHYMESTERがなんとかいう曲でこれをほぼそのまま引用していたもので、その曲を画面共有でちょっと聞かせてもらったが、ここで出てくるのかよとおもって笑ってしまった。ライムスターは(……)くんいわく全員早稲田大学出身らしく、やはりさすがだなとのこと。
  • 上田敏が訳した該当の詩文をWikipediaから引いておくと、「春の朝 [あした] 」というやつで、

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

  • 音調がほぼ全部五音でととのえられている。原文は下だが、The lark's on the wingを「揚雲雀なのりいで」と訳せるのは、たしかにこれはちょっと真似できないなという感じ。

The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn:
God's in his heaven—
All's right with the world!

  • このころの日本の詩の連中って中原中也にせよ上田にせよ堀口大學にせよやっぱりみんな外国の詩を訳しているよなとおもって、まあべつにみんなではないのだろうけれどそうおもってそのように口にした。中原は世代的にはもうすこしあとか。日本のいわゆる近代詩がどこからはじまったのか全然知らないのだけれど、おそらく小説とも似たようなかたちで、たぶん西洋の詩を訳すところからはじまったのだろうし、最初に誰がやったのかとかそのあたりの歴史も知りたいのだが。それまではたぶん日本で詩といえば、漢詩か和歌のことだったのだろうし。そうかんがえると、小説はともかくとしても、日本のいわゆる近代詩って、そのほぼ全体が、西洋のエクリチュールの影響のもとに包括されてしまうというか、ジャンル全体としてもうほぼ西洋由来ということになるのか。いまさらだが。まあ一応、小説で江戸以来の読本とか古典文学の要素とかが多少入ってはいるだろうように、和歌漢詩の要素がいくらか入ってもいるだろうが。しかし明治以前、それに先立って江戸期の蘭学とかの連中がすでにやっていたりしなかったのだろうか? やっていないはずがないとおもうのだが。普通に医学とか実学とか学術ばかりでなく、文学や物語のたぐいも入ってきて読んでいたのではないかとおもうし、読んだら訳して似たようなことをやってみようとおもう人間がいないわけがないだろう。