2021/4/29, Thu.

 社会的言説やひどい社会的方言が集まる伏魔殿においては、二種類の傲慢さを、すなわちレトリック支配の恐るべき二形態を区別することにしよう。〈支配〉と〈勝利〉である。「ドクサ」は、勝ち誇(end231)ってはいない。支配することで満足しているのだ。ドクサはじわじわと広がって、ねばついてくる。合法的で自然な支配であり、「権力」の同意をうけて広がった、広範囲におよぶ覆いである。「普遍的な言説」であり、(何かについて)弁舌を「ふるう」というだけの事実のなかにすでに潜んでいる高慢さの形態である。だから、ドクサ的な言説とラジオ放送とのあいだには、本質的な類似性がある。たとえば、ポンピドゥーの死のとき、三日のあいだ〈それが流れ出て、拡散した〉のだった。逆に、戦闘的、革命的、あるいは(宗教が闘っていた時代における)宗教的な言葉づかいは、勝ち誇った言語である。それぞれの言述行為が、古代ふうの凱旋式になっているのだ。勝利者と敗れた敵とがつぎつぎと行進させられるのである。いろいろな政治体制について、それが(まだ)「勝利」したばかりの状況にあるのか、(すでに)「支配」している状況にあるのかによって、その体制を安定させる方法を判断し、その変化を明らかにすることができるだろう。たとえば、一七九三年の革命期の勝ち誇った態度が、どのようにして、どんなテンポで、どのような人物たちによって、すこしずつ落ち着き、広がったのか、そしてどのように「固まり」、(ブルジョワの言葉が)「支配」する状態に移行したのか、それを研究する必要があるだろう。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、231~232; 「支配と勝利(Le règne et le triomphe)」)



  • 一二時半過ぎまでとどまる。久しぶりに正午を越える寝坊となった。滞在も八時間半に渡る。今日から連休なのでまあ良い。大阪行きは結局断念されたので連休中はたぶんほぼ家にとどまってだらだら過ごすだろう。せいぜいちょっと(……)に出て書店に行くくらいか。読書会の次回の課題書であるちくま文庫ギリシア悲劇集も買っておきたいし。旅行の飛行機代金の払い戻しも無事なされた。緊急事態宣言を受けて航空会社が対応してくれたのだ。
  • 天気は曇りもしくは雨。上階へ行き、卵を焼いて米に乗せて食事。新聞の一面と国際面は昨日から「奔流デジタル」とかいう特集を組んでいて、「動揺する民主主義」という連載がなされている。今日の一面はイランでクラブハウスなるSNSが人気で、それを使って女性にスカーフの着用を義務付けるのは法的に正当か否か、みたいな議論がなされたと。テーマごとに仮想の「部屋」がつくられ、登録者に招待されることで参加できるらしい。これを政府が黙認しているのは政府自身もこのクラブハウスを使って政治的宣伝をおこなっているからで、ただほかの権威的諸国と同様、広告の効果と体制の安定性への影響を考量した上で、後者のほうがまさると判断されればTwitterFacebookのようにこれも禁止されるだろうという話で、それはそうなるだろう。ほか、春の叙勲で森進一が旭日章のたぐいをもらったとかあり、せっかくなので受賞者一覧をちょっとながめてみたところ、馬場あき子という歌人と、建築家の伊東豊雄と、あとアン・マクレランという作家の名があった。このアン・マクレランというひとはAmazonを見る限り、"Cherry Blossoms: The Official Book of the National Cherry Blossom Festival"とかいう著作をものしている模様。
  • 食事を終えて母親が放置していった皿と一緒に食器を洗い、風呂洗いも。茶を持って帰室。昨日(……)さんがくれたクッキーを食べつつ一服。それと同時に、今日は"Robert Walser Turned Small Lives Into Incredible Fiction: An excerpt from 'Walks with Walser,' a revealing new book about the legendary Swiss writer."(2017/4/1)(https://www.vice.com/en/article/yp9kjm/robert-walser-turned-small-lives-into-incredible-fiction(https://www.vice.com/en/article/yp9kjm/robert-walser-turned-small-lives-into-incredible-fiction))をまず読んだ。最近英文記事を読んでいなかったので。この記事も三回にわけてしまったが、ここで読了する。このあたりで雨がやや通る時間があり、パラパラ音が響いていたはず。そのあとKendrick Scott Oracle『Conviction』を流して「英語」を音読、そしてベッドでヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。今日は「都市の肖像」シリーズのマルセイユからはじまったが、この文章は良かった。モスクワのそれとは違って文学的な具体性がおりおりある。そのあとのやつもなかなか良く、「ドイツのひとびと」という書簡アンソロジーに入ってすこしのところまで。一七八三年から一八八三年までの作家などの書簡をベンヤミンが選んで註釈や解説をつけたもので、こんな仕事していたのかと思った。なかなか面白い。作家などの手紙というのはそれだけでわりと面白いが。最初に載っているのはツェルターといってゲーテの晩年の友人だった作曲家がゲーテの死(一八三二年の三月一五日)を知らされてヴァイマルの大臣に送ったもの。次のやつはリヒテンベルクという物理学者でアフォリズムの名手だというひとが、二〇歳くらい年下の、当時一三歳かそこらの少女を家に住まわせるようになり、何年か経ってついには正式な式は受けていないものの妻とみなすようになって周囲にもそのように公にしようと思っていたところでその女性が突然死んでしまった、という内容の報告。リヒテンベルクというひとはたしか『リヒテンベルクの雑記帳』とかいうものが邦訳で出ているはずで、以前書店で見かけてちょっと気になっていた。いま検索するとたしかに、作品社から出ている。Amazonの紹介によれば、「ニーチェが「ドイツ散文の宝」と賞賛し、ホーフマンスタール、ウィトゲンシュタインフロイトベンヤミンブルトンら、二十世紀の思想や文学に巨大な足跡を残した人びとに多くの刺激を与え、エリアス・カネッティが「世界文学におけるもっとも豊かな書物」と呼んだドイツ・アフォリズム文学の嚆矢!」とある。やばくない?
  • 四時で中断。トイレに行ってきてから瞑想。窓を開けると雨で水気の豊かになった大気のなかに、煙のような余白的な暈をともなったヒヨドリの声が響いているのが即座に聞こえる。心地が良い。肌が気持ち良い。ある程度やって姿勢を解くと、そのまま臥位になって、深呼吸をくり返しながらまたしばらく止まっていた。四時五〇分頃になって起き上がり、今日のことをここまで記述すると五時一五分。
  • 上階へ。帰宅した母親は炬燵に入ってくつろいでいる。おかえりとかけて、麻婆豆腐をつくることに。また、冷凍の餃子が数個だけ残っていたことも思い出したので、それも焼くことにした。腹がたいそう減っていたのだが、あと前日の残りのサラダの小鉢やカボチャが少々冷蔵庫にあったので、麻婆豆腐をこしらえればこちらの食事はもうそれで良い。そういうわけで手を洗って、野菜室を覗けばキャベツがすこしだけ余っていたのでそれを芯の至近まで切り、小さな紫タマネギも半分余っていたのでさらにその半分をいただき、フライパンで炒める。炒めているあいだに豆腐二個を切り分けて皿に乗せ、電子レンジで加熱しておいた。そうして素をパウチから押し出し、豆腐もそこに加えて、多少味醂も足しておくとあとはしばらく沸騰させればOK。もうひとつのフライパンで餃子を焼く。合間に食器乾燥機の片づけなど。できると五時半過ぎだった。あとは汁物など、やるならやってくれと母親にまかせることにして、アイロン掛け。エプロンやハンカチ、ワイシャツを処理して、六時に達する前にもう食事に入った。ちょうどそのあたりで山梨に行っていた父親が帰宅。まもなく風呂に行った。食べながら新聞を読む。国際面の、「奔流デジタル」の続き。ベリングキャットについてなど。ベリングキャットというのは民間の調査会社なのだが、英国人の元ブロガーのひとがつくったらしく、このひとはリビア内戦で現地のひとがSNSなどに投稿した画像を調査し、当地の状況を分析するということをブログ上でやっていたようで、それが人権団体の目に留まったと。それでオランダ法人としてベリングキャットが創設され、いまスタッフは一八人だと言う。ずいぶんすくないんだなと思った。アレクセイ・ナワリヌイが毒殺されかかった件の調査もこの団体がしていて、ナワリヌイ自身も協力して政府の安全保障委員会書記の側近とかいうポジションの人間だと装って電話で計画に関連した人間と話し、相手は見事に騙されて計画の詳細を長々と語ったらしいのだが、その音声がベリングキャットによってインターネット上に公開されたのだという。すごい。ベリングキャットは各国のジャーナリストらに調査手法を教えるレクチャーなどもひらいており、資金はだいたいそれとか寄付でまかなっているらしい。
  • 食事を終えて皿を洗い、ポットの湯がとぼしくなっていたので薬缶で水をそそいでおき、帰室。(……)から昨日着信があって、夜にメールを送っておいたのだが、この日その返信が来ていてあとで電話して良いかというので一〇時半くらいで頼むと返しておいた。室に帰ってきてこのときはLINEをひらいて(……)に返信したりしたはず。それから茶をつくりに行って、もどってくると書抜き。Keith Jarrett Trio『Standards, Vol. 2』を最初流す。次に、男性ジャズボーカルを掘りたいと以前から思っているので、ディスクユニオンのそのカテゴリにアクセスして、適当にAmazon Musicで聞いてみることに。一番上にAl Smithという名があって全然知らないしなんの情報も記されていなかったのだが、このひとはEddie "Lockjaw" DavisやShirley Scottの参加を得て『Hear My Blues』というデビューアルバムを出したひとらしく、しかしもう一枚、『Midnight Special』というのを出しただけでどうもキャリアは終わってしまったようだ。Amazonにその二枚がひとつになったデータがあったのでそれを流す。いかにもソウルフルという感じの、熱のこもった歌手で、シャウトもたびたびあってわりと暑苦しい。路線としてはJimmy Witherspoonみたいな感じだが、Witherspoonはここまで暑くはないのではないか。シャウトとかしない印象だし。Eddie Lockjaw Davisってきちんと聞いたことがないのだけれど、ソロを聞くとトーンがざらついていて、楽器でありながらしわがれ声の人間が歌っているみたいなニュアンスがあって、さすがに大御所というか、なかなか良いなと思った。Miles Davisも自伝のなかで褒めていたようなおぼえがあるし。『Hear My Blues』はベースがWendell Marshallで、このひとはDuke Ellingtonのバンドに一時いたらしい。『Midnight Special』のほうはサックスはKing Curtisで、ギターがJimmy Leeとかいう知らないひとだったのだが、このギターはうまい。
  • その後、一〇時半から(……)と電話。変わりなくやっていると伝える。(……)のほうは知らないうちに(……)の店舗に移っており、くわえて来月から(……)に新しくオープンする店の店長に任命されていると。すごいものだ。まだ入社して三年かそこらしか経っていないはずなので、出世のペースとしては相当はやいほうのはず。ただ、(……)の店というのは営業成績トップの社員がいるところで、そいつをぶっ倒してやると意気込んで行ったものの、やはりどうしてもかなわないと、できるやつはちがうと思い知らされたらしい。どこがすごいのかと訊いてみると、特にすごく突出したところがあるわけではないのだが、皆がだんだんおろそかにしてしまうような基本的なことをしっかりやっているし、人柄も良く、仕事の効率も良いと。(……)はそのひとよりもはやく出勤し、また遅く帰っていたらしいのだが、それでも抜くことができなかったと。単純な話、たぶんこまかなところがとても丁寧なひとなのだろう。こまかくやるとその分手間と時間がかかるのが順当なはずだが、そのあたりはやはり優秀さ、要領の良さということなのだろうか。とはいえ(……)も店長をまかされるわけだから有望視されていることはまちがいないだろう。店ではコロナウイルス関連はどうなっているかとたずねてみると、むろん仕切りをもうけたりしているが、やはり対面で話したいという客が意外と多いから、普通に対面でやりとりをしていると。オンラインでの手続きというのも可能ではあるらしいが。客もどちらかといえば増えており、一番いそがしいくらいだという。コロナウイルスで収入が減って安い家に移るにせよ、あるいはテレワークに対応した住まいに変えるにせよ、やはり社会環境がだいぶ変わってしまったからそれにともなって引っ越すというひとが多いようだ。
  • 家は(……)のままだが、駅前のマンションにいたのがべつの駅前のマンションに移ったという。結婚した? と訊いてみると、まだだと。そろそろ言おうかな、とおもっていて、店長にもなるわけだから良いタイミングだとも感じているらしいが、ただ、本当に結婚して良いのかなというためらいも一抹あるような口ぶりだった。いやまあ、いいんだけどね、ととりなしてはいたが。(……)はもともとそれなりにあそんでいて、複数の女性と関係をもっていた時期もあったが、結局いまの相手ひとりにしぼり、しかしそのひとが家事などあまりやらず、俺が部屋の掃除をしたりもろもろやっていると不満を口にしていたのを聞いたおぼえがある。その後、変わっているかもしれないが。
  • あちらは休みが五月二日までだと言い、その二日に(……)で会うことに。モノレール下の広場に行きたいというので、良いではないかと同意する。飲み物でも買って野外で話せば、感染のリスクもそう高くはないだろう。歩くのも良い。こちらとしては本屋でちくま文庫ギリシア悲劇集を買いたかったので、街に出るのはちょうどよい。できれば図書館にも行って、リサイクル資料を見たいが。とおもっていまホームページを見てみたが、しかし緊急事態宣言の発出を受けて書架への立ち入りや貸出ができないとなっているので、そうするとリサイクル資料もたぶん出ていないだろうから、今回は見送ろう。
  • 一年前の記事を読み返し。椹木野衣が書いたジェフ・クーンズについての文章とか、岡崎乾二郎ボブ・ディランについて述べた記事とか、Dylan自身のノーベル賞受賞を受けての声明とか読んでいるので、「記憶」記事にいちいち引いておく。自分の文では、以下の一節が悪くない。

夜歩き。暗い大気は涼しく、ちょうど良いくらいの肌触り。右手北側に見上げた林の樹影の隙間に明かりがあって、初めは電灯かと思ったがまもなく、どうも月だなと見分けられた。随分と強くはっきりした明るさで、じっさい樹々が途切れると全貌をあらわし、空は日中からずっと変わらず雲を排して澄みきっているので、頼みの綱をなくした月はどうあがいても身を隠せない。昨日とおなじくまだ孤月、曲り月だが、前夜に比べて結構太くなった風に見えた。左を向けば公営住宅の棟の口で、煙草に憩うているらしい人の影があり、あたりからは虫のノイズが、電気機械のノイズと区別がつかないごとく無個性無色に乾いて詰まった翅の音[ね]が、道の途中にぴんと張られたテープのように差してくる。気温はだいぶ上がったらしい。

  • 二時半頃から、2020/1/7, Tue.を読み返し兼検閲。(……)二〇二〇年一月七日のこのあたりの記述は感情的で恥ずかしいので、検閲する。