2021/5/2, Sun.

 彼は暴力には寛容になれなかった。この気持ちはたえず明らかになったが、自分でも不可解なままだった。とはいえ、この不寛容の理由は、つぎの側面に見出せるにちがいないと感じていた。すなわち、暴力はつねに〈舞台〉でおこなわれる、ということである。さまざまな行為のなかでもっとも他動詞的なもの(排除する、殺す、傷つける、打ち負かす、など)は、もっとも演劇的なものでもあったのだ。ようするに、彼がずっと抵抗している、意味にかんする醜聞のようなものだったのである(意味とはもともと行為に対立しているのではないだろうか)。(……)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、241; 「けんか(La scène)」)



  • 一一時二二分に離床。この日は二時から(……)と会うことになっていたので、本当はもうすこしはやく起きたかったのだが。二時に(……)だと具合のよい電車がなかったので、のちほどメールをおくって二時半集合にしてもらった。出発までのことはとくにおぼえていない。いつもどおりのルーティンをこなせばそれでもう一二時半ごろにはいたっていたはずで、だからあまりなにをやる時間もなかっただろうし、なにをやったかもおぼえていない。外出にむけて多少、体操とかストレッチとかをやった気がする。服装は薄手で色の淡いストライプのシャツに、いつものブルーグレーのズボン、そして濃紺のジャケット。気温がけっこう高いようだったのでジャケットを着ると暑いかなという気もしたが、モノレール下をあるくような話だったし、かえりはすずしいだろうとおもって。ブルーグレーのズボンがたぶんいまあるなかで一番体型にちかいボトムスで、以前はぴったりという感じだったのだが、ここ一年かそこらでなぜか痩せたので、いまはこれでも腹回りにかなり余裕が生まれてしまっている。あたらしい服もほしいが、入手しても着ていく機会がない。
  • 一時二五分ごろに余裕をもって出発。最初はリュックサックをもっていこうとおもったのだが、自室の外の廊下の鏡にうつしてみるとジャケットにリュックサックだとやはりなんかなあとおもわれたので、手持ちの鞄に変更。天気は不安定で、くもっていたかとおもいきや陽が射してきたり、一時は雨がすばやく散ったり、という感じだったが、面倒なので傘はもたなかった。道を西へ行き、公営住宅前に出ると陽射しがひろがって、正面からやってくるまぶしさのなかにつつまれ、当然だが身に触れる空気も暑くて汗ばむ。家を出てすぐのところから前方を老人がひとりあるいていたが、そのひとは十字路の先の小橋の途中でとまって路肩に寄って沢を見下ろすかなにかしていたようだ。こちらは折れて坂道へ。余裕があるのでゆっくりのぼっていく。また青紫色の小花が無数に散り伏していて、前に見たときよりも花片のかたちがあきらかに残っていたが、一定範囲にわたって本当に歩をすすめればかならず踏むほどたくさん散らばっているのにそのみなもとがわからないのは以前とおなじである。きょろきょろみあげるのだが、頭上のあかるい緑の木枝の先に紫の色がどこもまったくみとめられない。あれはなんの花なのか。それで例によっていま初夏に木に咲く紫色の花を検索してみたのだが、見たなかではライラックが一番ちかいような気がする。落ちた花びらはどれもしぼんだり丸まったり汚れたりしていたのでよくわからないが。あれがライラックすなわちリラだったのか? プルーストが『失われた時を求めて』のなかにリラについてもなんとか書いていなかったか? あの小説ではサンザシがいちばん特権的にあつかわれていたとおもうが。
  • のぼりきって最寄り駅へ。ホームにはけっこうひとがおおかった。階段を行くとこちらのうしろから、ハイキングに行ってきたらしい若いカップルもついてきて、降らなかったね、よかったね、などと話していた。ベンチもあいていないのでホームの先のほうへ。線路を越えて向かいの段の上に生えている梅の木をながめたり、線路に視線をおとしたり、なにをするでもなく待つ。電車がやってくると、なかはわりと混んでいた。緊急事態宣言下とはいえ、連休に入ったから山のほうに行ってきたひとがやはりおおいようだ。座れないし扉際もあいていないので、吊り革をつかんで目を閉じ揺られる。(……)につくと降りて乗り換え。一番前の車両へ。電車が来るとなかに、車椅子だったかベビーカーだったかよくみなかったが、降りるのがたいへんそうな乗り物をともなったひとがすわっているのが見えたので、邪魔にならないようにひとつ横の口にずれて乗る。乗るとすわって瞑目する。じきに発車。しばらく目をつぶっていたのだが、読書するかという気になり、もってきたベンヤミンをとりだしてひらく。しかしそうしてみると意外と眠い感覚があってあくびも出たので、やはりやすもうとおもってすぐにしまい、その後はまた瞑目のうちにやすらう。乗客はすくなかった。日曜日だったら普段はもっとおおいとおもうのだが、(……)で乗ってくるひとも三人くらいしかいなかったとおもうし、かなりスカスカだった。やはりみんなまじめに「自粛」しているのかもしれない。
  • (……)について降車。ちょっと背伸びをしてからあるきだし、階段をのぼって改札を出る。コンコースの人波もやはりすくなめで、余裕があるなという印象。壁画前の端のほうに行って、立ちつくして待つ。じきにそれらしい細長い人影を見分け、それがちかづいてくると(……)だと確認されたので待ち受け、ゆるいあいさつをかわす。さっそくあるきだしながら痩せた? ときくと、会ったひとだいたいみんなにいわれるという返答があったが、じっさい痩せたとおもう。ただでさえ相当に細かったのに、顔もからだもますます肉が減ったような印象。こちらよりも背が高いので、余計にそれが際立つ。体重はたぶん五〇キロないのではないか。脚などめちゃくちゃ細く見える。(……)の格好は、どんな模様だったかきちんと見なかったが、ドットだかストライプだか、ドットがあつまってストライプ風になっていたのか、こまかい模様の入った白っぽいシャツで、派手ではないが地味すぎるわけでもなく、チャラいところまではいかないがネアカな感じの人間が着ていそうな印象のもの。下はかなり色が褪せて古めかしいようになっている水色のジーンズで、靴は以前よく見たHysteric Glamourの真っ赤なやつではなく、大きめの、やや無骨といってもよいかもしれないくらいの白いスニーカーで、下端のほうに赤い色が小片としてアクセント的に入っていた。あとは片手に、たしか左手のほうだったとおもうが、ふたつくらい指輪をつけていた。中指と人差し指か、中指と薬指かのどちらかだったはず。
  • LUMINEは休業していた。地階の成城石井はやっているようだったが。モノレール下に行こうという話になっていたが、(……)はまだ飯を全然食っていないというので、ひとまずどこかで食べることに。天気はここでは雲がちで、電車に乗っているあいだ、(……)にとまったときなど、雨が降っていた時間もあった。(……)か(……)でも、扉がひらいたときに、陽に照らされて熱をもったアスファルトが雨に濡れたときに発するあの特有のにおいがつたわってきたので、目をひらかなくてもまだ降っているなとわかったのだ。ともかくどこか喫茶店でも行くかといいながらあるきだし、あっちか、あっちか、あっちのほうがすいてるんじゃないかと言って歩廊途中のエクセルシオールのほうに向かいはじめたところ、伊勢丹はどうもあいている様子で、レストランはこちら、というような掲示を(……)がみとめてかたむいたので、じゃあ伊勢丹に入るか、となった。レストランフロアなど一部だけ営業していたようだ。入り口をはいると店員がレストランに行きたい方はこちらへ、とエレベーターのほうにひとを誘導しており、エレベーター前にも客の動きを統御したり誘導したりする人員が二、三人いて、全員女性だったとおもうのだが、客の行きたい階を聞き取った彼女らのみちびきにしたがってひとびとはエレベーターに乗るのだ。もっともこのときは我々とあとひとりしかおらず、三人まとめて乗って高層階のレストランフロアへ。出たところにもひとり、ここは男性だったとおもうが誘導員がいた。伊勢丹はどこもだいたいわりと高いのだが、(……)は金をかせいでいるし問題ないだろうとおもってお前が食いたいもので良いというと、なんか軽いものがあるところがいいだろと、家で飯を食ってきたのでデザートか飲み物だけですますつもりだったこちらを慮った返答があり、とはいえどこでもデザートくらいはあるだろう。それでちょっとあるいた結果、あそこがひろめのレストランみたいなところだとこちらが指した「(……)」に入ることに。以前一度だけ、(……)くんと来たときに入ったのでおぼえているのだが。それで入店し、わりと恰幅のよい感じの男性にみちびかれて席へ。マスクを入れるための紙の小さな袋が提供され、(……)はすぐに外して入れていたが、こちらは一応まだつけておき、まあつけておいたって食べるときには外すわけだからどちらかが感染していたら普通におしまいだが、メニューを見るとデザートはけっこう売り切れていて、パフェが品切れだったのはたぶんフルーツの発注のあんばいがむずかしいということなのだろうか。コーヒーゼリーにアイスクリームがのった品にした。(……)は天麩羅つきの蕎麦。
  • コーヒーをちっとも飲みつけない人種だし味覚もとくにすぐれていないのでコーヒーの味もコーヒーゼリーのよしあしもわかるわけがないが、ほどよいほろ苦さでわりと品がよくてつつましい味だったような気がしないでもない。普通にうまかった。コーヒーゼリーめちゃくちゃひさしぶりに食ったわ、子どものときはよく食べてたけど、と口にしたが、じっさいコンビニとかスーパーで売っているだいたい三個セットの廉価なコーヒーゼリーを母親がよく買ってきていて、それは好きでよく食べていた。なつかしい。(……)は蕎麦を、ちょっと妙な食い方をしていたというか、すするのではなくて、たしか麺を口にふくむと箸を上下にこまかくいちいち運んですこしずつ口内にのぼらせていくような食い方をしていた記憶があり、たぶん汁が飛んでシャツが汚れるのをおそれたのではないか。あと、やつは天麩羅を残した。ナスとシシトウを残したのだが、たしか(……)は野菜をあまり食わない人種で、それで残したのだろう。この日だったか先日の電話のときだったかに、なにかの拍子に野菜食わないし、みたいな話になったときがあり、いや食えよ、野菜は食えよと笑った記憶がある。もったいないのでこちらがいただこうかなとおもったのだが、そのためには(……)がつかった汁をもちいねばならず、べつに他人が口をつけていようがこちらは気にしないのだが、現今の状況だとやはりちょっと気が引けるなというわけで、もったいないが残したままにすることに。まあ、くりかえしになるが、どちらかが感染していたらおなじ汁に口をつけなくとも、向かい合って話をしている時点でたぶんもう終わりなのだが。
  • 話のはじめに、なにはともあれ、おめでとうございますとあいさつをおくった。店長就任の件である。店は五月二〇日にオープンだという。(……)は(……)から一駅なので、電動自転車でも買ってチャリで通勤しようかなともちょっとかんがえているらしい。スタッフの顔ぶれなどはまだ全然知らないとのこと。電動自転車とか運動関連でいえば、年々やはりからだのおとろえを感じるようになってきている、という言があった。こちらはむしろ逆で、鬱状態に入っていた一年間をのぞけばここ数年は人生でもっとも体調の良い状態がつづいているし、いまはストレッチやマッサージや瞑想も習慣化されたからいままでになく安定している。(……)はいそがしいので、運動をする時間はやはりないと。せいぜい風呂上がりにストレッチをちょっとやるくらいだというので、これは話したひとみんなに言ってるんだけど、と笑いながら、例によって脹脛をとにかく揉めということをすすめておいた。仰向けになって片方の膝で片方の脹脛をぐりぐりやるのが楽で良い、俺は本を読むからそのあいだはずっとそうしていて、やっているとからだがとても楽になる、と。家でゴロゴロする時間はあるかときくと、めちゃくちゃあるし、なんだったら休日はだいたいベッドにいる、午後四時くらいまでいることすらある、いまはスマホがあればなんでも見られるからな、というので、そのついでにからだのメンテナンスをすればよいのだといっておいた。
  • こちらの仕事についても多少話したが、自分にとって目新しい情報ではないので、それをあらためて日記に記しておく気はおきない。この店にはあまり長居せず、(……)が飯を食い終わると喫茶店に行こうというのではやばやと席を立った。会計。こちらは一〇〇〇円を出す。(……)が二〇〇〇円を出して、釣りが四一〇円くらい、コーヒーゼリーはちょうど六〇〇円くらいだったのでその釣りをこちらがもらって精算はOK、それで店を去り、エレベーターまで行って下階にもどってビルを抜けた。喫茶店に行こうとはいったものの、ひとまず歩廊をとおってモノレール下の広場のほうへ。歩道橋に出たあたりでは陽射しが宙にとおっていてまぶしかった記憶がある。そう、歩道橋をわたって左に折れたところで光が正面になって、視界がまばゆく染まったはずだ。ところがそこからすこし行ってモノレール線路下広場におりかけたところで、なぜかとつぜん雨が散りはじめ、そこそこのいきおいだったのでひとまず階段をもどり歩廊にもうけられた屋根の下に避難した。モノレール線路に沿った広場は青々と濃い緑の葉をゆたかにかかえた樹々をならべながら視界のはるか奥までまっすぐつづいており、彼方にはむろん空がひかえていて、そこは青いし周囲の空気も暗くはないのだが、頭上はひろくかたちもあまりはっきりしない雲が大艦船のようにあらわれており、どうもその雲が雨を撒いているらしい。どうするか、喫茶店にいくか、それか傘を買ってくるか、と話しているあいだに雨は多少弱まったので、まあ降られたらしかたない、ちかくにコンビニもあるし、とりあえず行くかとまとまって、ふたたび地上におりたった。広場はそぞろあるきしているひとびとがけっこういる。昔と多少、景観の感じが変わったような気がしないでもないが、整備更新されたのだろうか? たしか卒業後になにかのときにあつまって、クソどうでもいいゲームをやったような記憶がある、と笑いながら話し、あと、卒業式のあとに(……)のキャンプ場に行ったが、そのときやった曲をここで練習したんだ、とも話したが、これはしかしこの序盤のことではなく、のちほどふたたび広場に出てあるきはじめたときのことだった。だがついでなのでここにもう記してしまうが、なんの曲かと問われたので、なんかたしかスピッツとかをやって、俺がギターで(……)とか(……)が歌い、あと(……)がもう一本弾いたんだよね、と言う。(……)は卒業式のあとのこのもよおしには参加していなかったらしく、俺はたしか(……)とどっか行ってたんだといった。(……)はたしかにいなかった気がするが、(……)はなんとなくいたような感じがないでもないのだが、たぶん気のせいなのだろう。ついでにおもいだして、そのとき(……)さんとなんかちょっといい雰囲気になったんだよね、と述べた。もうよくおぼえていないが、小屋から出て外気のなかで、ふたりでならんで柵だか石だかなんだったかに腰掛けて話した時間がたしかあって、そのとき空気がやや甘酸っぱいようなふうに色づいたおぼえがあるのだが。向こうは酔ってたから、と(……)にいう。こちらは優等生らしく法律を遵守して酒を飲まなかったのでむろん酔っていなかった。たしか好きな女子のタイプみたいなものをきかれて、なんとかこたえたら、じゃあわたしは? みたいなちいさなつぶやきがかえって、そのときちょうどだれかひとがきてうやむやになった、みたいな一幕だったような気がするのだが、あまりにもライトノベルとか青春漫画の一場面みたいな感じなので、本当にそんなことがあったのかあやしいようでもある。じっさいにあったとしても、(……)さん当人もそのことはおぼえていないだろう。話をあるきはじめてすぐのころにもどすと、広場の途中に「(……)」という店があるのは昔のままだが、その左隣にある店は認知していなかったし、はじめて見たような気がする。そしてその先に(……)なるものがあらわれて、こんなとこにこんなもんできてたのかよとおもい、そう口にもした。そこは美術館のみならず複合施設的なエリアになっているようで、そういえば(……)にあたらしいスペースができたときいていたがこれがそうかと言い合い、はいってみようとなった。階段そばにあるフロアマップ的細長い看板を見たところしかし、飯を食う店がおおいようで、服屋とかはなさそうだった。それでもエスカレーターをのぼってはいってみると、上は六本木とか恵比寿とかにあるようななんというのか、ビルにかこまれて都市的なひろいスペースの脇に店がいろいろあるみたいな感じで、べつに六本木とか恵比寿にかぎらずいまはどこでもモールとかこういうふうだろうし、そもそも六本木も恵比寿もほぼ行ったことがないのだけれど、この施設の回廊は植物が非常にふんだんに設置されととのえられており、まさしくあしらわれている、という感じでそこここに草木があつまっていて、だから都市的な平面の上に小庭園めいたレイヤーが一部かぶせられているような感じで、たしかこの施設全体の名前がグリーンなんとかだったはずなのでその名のとおり緑のおおさを売りにしているのだろう。(……)はしきりに、めっちゃいいじゃん、とつぶやいていた。おりおりに座れる屋根つきのスペースがあったり、屋根はついていないがやはりならんで座れる細長い座所があったり、あとちいさな池ももうけられていた。店は喫茶店的なもの、飯屋のたぐい、植物を売っているものといったところだが、なかに、「(……)」があるのを発見し、あ、あるじゃんといって店名を読み上げて、(……)に知らせた。吉祥寺にもある店でなかなかうまいと。そこから先はイベントスペースになっているらしく先ほどから女性ボーカルのキャッチーな音楽が聞こえてきており、ライブをやっているらしいなというわけで見にいってみようとすすむ。芝生のスペースを越えた先にホール風の建物があって、いくらか下り斜面になった客席の奥、建物の前で演奏がおこなわれており、コロナウイルス対策らしく柵がもうけられて客席から先には入れないようになっていて、その柵に沿ってひとびとがいくらかあつまって薄い横列をなしていた。そばの柵にはパフォーマーを知らせる紙が貼られてあって、(……)というひとが三時までで、そのあと(……)というひとが四時からやる予定になっていたが、現在三時半だったのでどちらなのかわからず、とはいえはやまるということもなさそうだからたぶん前者だろうと言い合い、あとで(……)が調べたところではやはりこのときやっていたのは(……)のほうだったようだ。編成がめずらしく、鍵盤にヴァイオリンにドラムの三人だった。ステージの両脇にはスタッフ控え場所みたいなスペースがあったのだけれど、そこはガラス張りでその向こうにいる人間の動きが見える。というか、よくかんがえたら、演奏の途中にスタッフが色々出入りしてなにか調整みたいなことをしていたので、このときやっていたのは(……)ではなく、四時からはじまる(……)の準備もしくはリハーサル的なやつだったのではないか? 不明。音楽はわりとキャッチーであかるいポップスという感じで、鍵盤のひとが弾きながら歌っていたはず。いくらも見ないうちにまた雨が降ってきたのでひとびとが続々と場をはなれていったし、我々も、避難しようといってもときたほうにもどり、屋根の下にはいった。
  • それでまあなんか喫茶店のたぐいにはいるかとなり、きた道をショップに沿ってひきかえすと、「(……)」という店が喫茶らしくやたら人気で、往路の際など何組かならんでいたくらいだったのだが、その隣の「(……)」という店に我々は入ることに。夜は飯屋らしいが、いまはカフェの時間だった。入ってアルコールを手にスプレーし、入り口そばに設置されている機械でもって体温をはかる。みずからの顔が映し出される四角い画面に顔の位置を合わせると自動で体温を知らせてくれる装置で、こちらは36.7度だった。あとで(……)が寒い寒いとしきりにいっていたので、シャツ一枚の軽装だからそれは普通に肌寒かっただろうが、さっきの体温何度だったときいてみたところ、35.9とかいっていたのでひくいな、と笑う。こちらも昔はそのくらいだったのだが、最近は36.5を越える平熱になっている。やはり昔はからだがととのっていなかったということなのだろう。こちらはその機械について、あんなのはじめて見たわともらすと、(……)は笑ったから普通によくあるもののようだが、最近はもう街に出ないからとこちらは山住まいの仙人みたいな言をつづけてほほえむ。
  • 入り口からすぐ右方の席にはいった。ジンジャーエール辛口一択。(……)は紅茶。こちらは入り口側のガラス壁を背にした位置取り。(……)はこちらの真向かいでなく、ひとつ横にずれてななめにあたる位置についた。こちらから見てすぐ右の壁にはマーク・ロスコの抽象画のパネルがかかっており、たしかNo. 6 - Violet, Green, Redみたいなタイトルだったはず。そのとおり、上からそれらの色の矩形平面を順番に、多少ひろさを変えながら塗っただけみたいな作品だった。検索してみるとまさしくそういうタイトルの絵で、英語版Wikipediaに記事もある。一九五一年作。〈In 2014, it became one of the most expensive paintings sold at auction.〉と書かれてあり、よりくわしくは、〈No.6 (Violet, Green and Red) is one of the works implicated in the infamous Bouvier Affair. It was privately bought for €140 million by Dmitry Rybolovlev in 2014.[2][3][4] Rybolovlev is thought to have bought the painting via the Swiss dealer, Bouvier. Rybolovlev learnt that Bouvier had actually bought the painting (rather than simply acting as a dealer) from Paiker H.B. for ~€80,000,000 before selling it on to Rybolovlev for €140,000,000.[5]〉とのこと。Bouvier Affairというのは、Yves Bouvierというスイスのアートディーラーが、客をだましてじっさいに入手したときの金額以上の金を請求していた、というような一連の事件らしい。一億四〇〇〇万ユーロとあるから、いまユーロは131円らしいので、日本円だと一八〇億円くらいということか。まあそういう感じのアート画像を装飾にもちいている店で、奥の壁にもいくらかあるようだったが遠くてよく見えず。雰囲気はわりとおちついた感じではあり、BGMもまあ洒落た感じのジャジーポップスみたいなものがながれていたとおもうが、一度、これ広瀬香美の"ロマンスの神様"をアレンジしたインストじゃね? とおもう旋律および進行の曲があって、あれはたぶんローズの音色だったとおもうのだが鍵盤が主になっていたけれど、本当に広瀬香美曲だったかはわからないしたぶんちがうだろう。ついでに時をもどって記しておくと、「(……)」のほうではChet Bakerの『Sings』にはいっている一曲がながれた時間があった。『Sings』にはいっている音源であったことはまちがいないが、たぶん話のほうに意識をとられたのだろう、なんの曲だったか確定的に認知できず。"I Fall In Love Too Easily"ではなかったかというおぼろげな感触がのこっているのだが、"I Fall In Love Too Easily"だったらまちがいなく同定できるだろうから、たぶんべつの曲だったのではないか。
  • あと、マーク・ロスコがかかっていたその壁の脇、(……)の真横にはわりと背の高い観葉植物があって、(……)はこれオジギソウかなとかいっていたがこちらにはわからない。それで飲み物をちびちび飲みつつ会話。最初のころではなくしばらく話してからだったが、連れ合いはどう、と漠然ときいたときがあった。どうとはとかえったので、前は家事をあまりやらないみたいなこといってたじゃん、と向けると、ああ、とあって、料理はめちゃくちゃうまくなった、という。いぜんは料理もレシピにしたがわず、調味料など目分量でてきとうにいれるかんじなので大雑把な味だったのだが、なにをきっかけとしたのだったかわすれたがあるときからレシピにきちんとそってやるようになり、味は格段によくなったと。ただ部屋の掃除はあいかわらずで、だせばだしっぱなし、ぬげばぬぎっぱなしが基本だと。向き不向きはあるのできちんとした掃除は俺がやろうとおもうが、ただ、できることは改善してもらいたい、ちょっとしたことだとおもうんだよね、そっちにいくならとおるついでに閉めとけばいいじゃん、それちょっとひろっておけばいいじゃん、っていう、と(……)は苦笑気味にもらした。気づいたときにすぐやっちゃうのがいちばんいいんだよね、とこちらは受ける。俺も最近はトイレで用を足したついでにちょっとだけ掃除するよ、俺はいまだに小便を立ってする人種だから((……)はもう完全に便器に座ってするスタイルになったらしい)、まあ本当は座ってやったほうがいいんだろうけど、なんか飛び散ってるっていうじゃん、見えないけど壁にさ、だから本当は座ってやったほうがいいんだけどまあ立ってるんだけど、そうすると便器がよごれるからそれはかならず拭くんだけど、そのときにほかの場所もちょっと拭いとくね、そうやってその都度すこしだけ余計にやっておけば、自然にきれいになるじゃん、っておもって、と話す。(……)としてはここで店長になるから、そろそろ結婚をかんがえているのだが、あいては結婚したあとは仕事をやめたいといっているらしい。連れ合いもおなじく不動産会社ではたらいており、企業はちがうものの店舗は(……)と(……)でまぢかだし、主な対象エリアもとうぜんかぶっていて、先日など客がかぶってすらいたという。家でも物件の話をよくするらしいが、そのあいての彼女は仕事をやめ、ペットを飼いたいといっていると。ペットとは犬のことらしい。それは(……)としてはあまり大手を振って賛同できないようだが、まあ、俺の仕事が軌道にのれば、やめてもらってもかまわない、ただそれであんまりなにもやらずにゴロゴロしてて、かえってきたら部屋が散らかったまま、みたいなのは最悪だから、そのあたりきちんと話さないといけないな、といっていた。(……)はどうも部屋内のことにかんしてはけっこう潔癖なほうのようだ。きちんときれいに片づいていないと落ち着かないのだろう。子どもはほしいといっているのかときくと、ほしいと明言されたことはないが、テレビ番組などをみて子どもができたら、というような話をすることがあるので、結婚すればつくるつもりでいるのだろうという。趣味はあるんだっけ? とたずねれば、それがないんだよなあ、とかえり、おそらくそのことも、仕事をやめたら無為にすごすのではないかという(……)の懸念をあとおししているのだろう。ただ、性格はおだやかなほうらしい。それでいて気の強い一面があるともいったが(そうでないと不動産の仕事などつとまらない、とのこと)、明確な趣味というほどのことはないものの、散歩がわりと好きなようで、(……)とともにぶらぶらあるくこともあるというので、それはいいなと受けて、それなら子どもの世話などは大丈夫じゃないかと述べる。そのとき性格はどうなのか、せっかちだったりすると、子どもにつきあえないじゃん、と話していたので。だから犬を飼えばその散歩が趣味になるのかな、と(……)はつぶやいていた。ただ動物をそだてるとか世話をするとかができるのかという点に一抹疑問もあるようで、というのは、いぜん鉢植えの植物を部屋に導入したことがあって、かんたんなものでふつうに種を植えて水をやっていればほぼ勝手にそだつようなもののはずだったのだが、ついぞ花が咲くまでにいたらなかったと。サボテンみたいな、もう最初からかたちをなしてるやつがいいんじゃないかとむけると、いまじっさいサボテンが部屋にあるが、それは世話をしてるのかどうかわからない、俺がたまに水をやっている、とのこと。(……)としては結婚の意志をかためながらもたぶん多少のためらいがのこっている雰囲気で、その点つくと、(……)はにやにやしながら、いやまあこないだちょっと火遊びっていうか、ともらすので、(……)はいぜんはわりとあそんでいてバレないように一日にふたりの女性といそいで会うようなこともあったので、まただれかと関係をもったということかとこちらは早合点して、おまえまだやってたの? と問うたのだが、そうではなく、同僚だか後輩だか、ひとりみのひとにつきあって「高級相席居酒屋」みたいな店にいって初対面の女性とたのしく話しただけだという。だからまあ、「火遊び」というほどのことではないのではないか。連れ合いには話していないらしいが。はじめて会う女の子と話すのはでもやっぱたのしいわ、という。まあそのくらいはいいんじゃない、そのあとべつの場所にいってないんなら、と述べると、やや食い気味に、いってないいってない、もういけないわ、というような返答があったので笑う。
  • 店内にはほかに若い男性ふたりの組とか、のちには複数のカップルとかがおり、われわれの左隣にはあとで高校生のカップルがあらわれて、剣道部らしかったのだが、男子のほうが去年の塾生だった(……)くんににていた気がしたものの、本人かどうか不明だしどちらでもよい。女子のほうはこちらの真横の席だったが顔を一度も見なかった。どうも女子のほうが先輩だったのではないかという印象がのこっているが、なにを根拠にそうおもったのかその情報はのこっていない。こちらは高校生のときはこんなそこそこ洒落たところでデートなどしたことはなかったし、デートのみならずそもそもこのような店に入ったこともなかった。彼らが去っていったあと、(……)は、いいなあ青春だなあみたいなことをもらしていた。ほか、一度、まだ入店して序盤のころに、スーツ姿の三人か四人の一団があらわれたのだが、それをつれてきたのが声のおおきくて威勢のよい感じの、恰幅もわりとよいほうの男性で、このひとがどうもこの店の店長だったような雰囲気で、だからたぶん「(……)」という名前なのだろうが、一団は店長の知り合いなのかなにかの顧客なのか、ともかくやや甲斐甲斐しいような調子で遇されていた。また一方、こちらからみてまっすぐ左の先、入り口をはいって左に折れたところにあるカウンター席にもひとり男性がいて、ずっとコンピューターを前にしてなにかカタカタ作業をしていたのだが、このひとも店長や店員の知り合いだったらしく、たびたび声をかけられており、なにかのサービスをするといわれたのだろうか、いや、いいですよ、悪いですよ、払いますよ、とか恐縮しているときがあった。われわれはそのなかでおりおり飲み物を口にはこびながらずっと雑談をつづけていただけなのだが、ほかには、高校の同級生についての話題があった。そこで(……)と最近通話することがあり、つい先日も話した、と明かすと、いぜんもきいたが、(……)が(彼は(……)なので)(……)への投票をたのむために電話をかけたとき、(……)は、すごく他人行儀なようすで、え、(……)さん? あ、はい……ええ、はい……そうですね……みたいな調子だったという。じっさい、先日(……)と電話したときにも、彼は(……)のことを「(……)さん」とさんづけで呼んでいたので、その点告げてこちらはけっこう笑ったのだが、たしか高校時代は(……)は彼に、「(……)」と下の名前でよばれていたはずである。え、(……)? だよね? 俺らもうちょい仲良かったとおもうんだけど、みたいな感想をいだかざるをえず、困惑した、というので、なんだろう、あれかな、やっぱ宗派上の問題かな、(……)勢力とは仲良くできないみたいな、とこちらは冗談をはいて笑いつつ、いやそんなことはねえだろうけど、とみずから否定してとりなしておいた。(……)は(……)さんとは呼ばれてない、ふつう? とくるので、俺はまあふつうだな、めっちゃ敬語ってわけでもないし(とはいえ、高校時代よりも(……)の口調は全体的に丁寧になった印象だが)、とかえす。たぶん「(……)さん」と呼ばれているとおもうが、これはさんづけとはいえ同級生らの一部がこちらを呼んでいた言い方であり、(……)もたしか当時からそう呼んでいたおぼえがあるから不思議ではない。どんなようすだった? と(……)は問うので、これこれこんなふうであると(……)のようすや生活を話すと、まあ元気ならいいや、みたいな言があって、(……)もおなじこといってたわ、元気にやってるならいいや、って、おまえも距離感がおなじになってんじゃん、他人じゃん、とこちらはまた笑う。
  • 高校時代の連中はいがいとFacebookで情報を発信している者がいるようで、誰が結婚した誰も結婚したと(……)は情報をよこしてくる。結婚した人間として名が挙がったのは、女子だと(……)と(……)と(……)さんと、あと(……)も結婚したといっていたか? 男子だと(……)。(……)が結婚したとは、という感じがないでもない。なぜかわからないが。べつに結婚しても不思議ではないのだが。Facebookに連れ合いとならんだ画像がのっており、「しかもあいてのひとがふつうに美人」、と(……)は評していたが、(……)自身はいくらか痩せたように見え、その点言及すると、まあやせるだろ、とかえるのは彼が役所((……))にいるからで、コロナウイルスの対応で心労はおおいだろう。(……)もすでに子があり、その子の写真もFacebookにあがっていて、それを(……)はめっちゃかわいい、といいつつ、いや元カノの子どもを俺がほめるのもなんか意味わからんけど、と自身つっこみながら見せてくれたが、たしかに目鼻立ちがしっかりしていて凛々しいような、きれいな子どもだった。ところで、(……)はたしかいぜん一度結婚したところがあまり幸福にはいかず離婚していたはずで、その点こちらが、(……)もよかったね、一度……といいかけたときが二回あったのだが、その二度とも(……)は、Facebookを見ながら、こちらの言にかぶせてほかのひとの情報にながれたのだけれど、べつにわざわざ(……)が意図的に(……)の話をガードしたとはおもえずただの偶然だとおもうのだが、元恋人(といっても高校時代とその後しばらくのことだが)ということもあってなにか無意識がはたらいているのか? とおもうようなタイミングだった。(……)は結婚したのだったかどうだかわすれたが、キャリアがすごくて優秀だと(……)は言及した。たしか中国に行っていたのではないかとおもったが、(……)がFacebookを見ていったところでは、大学卒業後は(……)にはいり、そのあと(……)にうつったとかで、そこで中国のほうにいっていていまは現地の、なんという役職だかわすれたがけっこう大したポジションについているらしい。彼女はこちらとおなじ大学だったが、在学中に会ったことはほぼない。学部がちがったからね、と(……)に告げる。たしか二度か三度、駅などでたまたま出くわしたことがあったはずだが、とくにながいやりとりをしたわけではない。(……)とはたしか入試当日も一緒に大学に行ったはずで、もうひとり、なぜだかわからないが「(……)」というあだ名で呼ばれていた(……)というクラスメイトの男子もともにいたはず。こちらはオープンキャンパスというものに興味がなかったので、入試当日まで大学には一度も足を踏み入れておらず、だから彼らにつれていってもらったようなものだ。たしかそのふたりがともにいて、午前の科目を終えて外に出てきたときに、どこかしらのベンチかなにかで昼飯も一緒に食ったような気がするのだが、詳細はなにもおぼえていない。(……)こと(……)くんは受かったのだったか落ちたのだったかわすれてしまった。落ちたのだったか? ところで大学入試のとき、こちらは最初の科目を受けている途中に気持ち悪くなって、なんとかやりすごして終えたあとつぎの科目では、気が入りすぎたんだなとおもって前かがみにしていた姿勢をやめて、ややあさく椅子に腰掛けつつ背を背もたれにつけて、ちょっとふんぞりかえるような偉そうな感じの体勢をとり、気持ちとしても、まあ受けてやるよ、というような不遜で偉そうな余裕綽々の心持ちをめざしたのだが、そうすると気持ち悪くならずにうまくいった。いまからかんがえるとしかし、あの時点ですでにパニック障害的な前兆があったのだなとおもう。あとからふりかえると、高校時代にも一度か二度、あったのだが。
  • あとの話でおぼえているのは(……)の職場の同僚のことくらいだが、これはなんだか面倒臭いのではぶく。ただ、もともと夜の街でやたらかせいでいたり、おもしろい経歴をもったひとがわりといるらしい。われわれが話していたのはけっこう思い出話とかがおおかったし、あいつも結婚したこいつも結婚した、マジか、みたいな調子で、(……)は俺らももう三一だ、ってかそろそろ三二だし、やべえな、あっというまに四〇になっちゃうな、などとおりおりもらしていたので、隣の高校生たちからすると、いかにもおっさん臭いようなことばかりを話しているときこえたのではないか。かといって完全におっさんになって結婚がめずらしくなくなっているわけでもない年代の、中途半端な歳上感というか。その高校生らがどんなことを話していたか、こちらは全然おぼえていないのだが。たぶんふつうに学校とか部活のことだったのだろうが。五時前、(……)がトイレに立ったあいだ、こちらはなにもせずぼけっと待っていたのだが、男性店員がちかづいてきて、五時でカフェタイムは終了になるので、飲み物を飲み終わってからでかまいませんので((……)の二杯目の紅茶がまだのこっていたのだ)会計をおねがいしますといってきたので了承し、五五〇円をもう出しておいて、(……)がもどってくるとそのことばをそのまま伝達して、金をわたして会計してくれとたのんだ。それで退店。雨はなくなっており、夕陽も多少ながれていたし、この先降りそうな気配もない。(……)は美容院に行くため五時半すぎの電車に乗るとのことだった。複合施設をあとにして、モノレール下の広場を端までそぞろあるく。そのときに卒業式後のキャンプ場の件などを話したのだ。風はたびたび走り、髪をかき乱すくらいけっこうつよく吹くこともあって軽装の(……)は寒かっただろうが、ジャケットをまとっているこちらにはすずしくて心地よい。広場端につくと車道をはさんで先にIKEAがある。そのあたりの日なたのなかで立ち止まって、しばらく立ちつくした。空はまだ雲があったとおもうが水色が増えており、彼方に陽の色もうつっていて、ちかくになんだかわからない白い骨組みだけのドームみたいな小オブジェがあって、そのあたりで幼子たちがわいわいたわむれており、IKEAのほうからかえってくるひとびともぞろぞろとつづき、われわれの目の前ではスケボーを練習している男がふたりいて、ひとりは若く、もうひとりはいくらか年嵩で、おそらく若いほうがおしえを受けているような雰囲気だったが、彼らがスケボーをガラガラ走らせているその前にはスケートボードは禁止との立ち看板があったのだけれど、ふたりはそれをまったく意に介さず堂々と行き来していたしそもそも監視の目があるわけでもない。そばの公衆トイレだけほかとくらべてやたら古めかしく映るのは、壁の大部分をツタのたぐいがめちゃくちゃに覆って占領しているためだ。(……)は、彼女がスケボーやりたいっていってんだよね、ともらした。できんのかな? 無理じゃね? というような調子だったが。打たれ強くなる、って友だちがいってたよ、と受けたが、これは(……)くんの言である。何度も何度も技をミスってときにはけがをするので、それでも負けねえぞという反骨精神がつくと。失敗したらふつうに骨折ったりするよね、と(……)。でもオリンピックの競技に、なるんだったかもうなったんだったか、なんかそんな話だよね、とこちら。
  • しばらく大気を浴びていたあと、そろそろもどるか、となって駅のほうにむけてあるきだした。広場の左側、つまりさきほどの複合施設とは反対側にも居酒屋とか飯屋とかがけっこう色々あって、このあたりはほぼ来たことがなかったので目新しい。風がおどるなかをあるいていき、俺は高島屋の本屋にいくからというわけで、歩廊にあがるまえ、ビルの一階側面口のところで礼を言い合いながらもあっさりとわかれた。去っていく後ろ姿をちょっと見送ってからビル内へ。この口からはいったのははじめてである。エスカレーターで六階へ。アルコールを手にスプレー。とりあえず目的のちくま文庫ギリシア悲劇集をもっておこうとおもって文庫のほうへ。書架にはいり、新着をざっとみると、講談社学術でたしかフィヒテについての本があったはず。たしかフィヒテだったとおもうのだが。ベンヤミンの本の註を読んだ記憶によれば、フィヒテベルリン大学ヘーゲルの前任だったとかで、学長もつとめていたとあったはず。そこをすぎて選書の棚のまえをとおりながらちょっと目をむける。選書にもなんかおもしろそうな思想のやつがあったはずだが、わすれた。たしか哲学史系のものというか、自然という観念が哲学の歴史のなかでどのようにあつかわれてきたかをたどる、みたいな本だった気がするのだが。けっこう厚かったような記憶。厚い選書でいうとカタリ派のやつがあって、あれもまえからちょっと気になっていてこのときも目を留めた。そのまま角までいって平凡社ライブラリー岩波現代文庫岩波文庫とチェックし、壁際をはなれて棚のあいだにはいって講談社文芸をみて(古井由吉の本がいくつか表紙をみせてピックアップされているほか、多和田葉子とか、三浦雅士が編纂したという石坂洋次郎とかいうひとの小説集があったが、これはいぜんから見かけている)、光文社古典新訳も瞥見したあとまた壁際のならびにもどって講談社学術。伊藤亜紗ヴァレリーのやつはちょっとほしい気はした。このひとは去年だかおととしくらいから名前をよくみかけるようになってきた印象だが、こちらがはじめて知ったのは平倉圭と対談していたどこかの記事だったはず。それから河出文庫の『フィネガンズ・ウェイク』をこのさいだからもう買っておこうとおもったのだが、Ⅰしかなかったので駄目だ。しかたがない。そうしてちくま学芸、ちくま文庫と推移。ギリシア悲劇集は、ソフォクレスの巻がなかった。ほかのものはいくつかあったのだが。しょうがねえとおもってとりあえず区画を出て、そのまま詩のほうへ。あまり目新しい印象はない。目にとまるのはだいたいいつもおなじ。堀江敏幸が編纂した宇佐見英治のやつとか。それでいえば絓秀実の、なんだったか『詩的舞台のモダニティ』みたいなタイトルの評論本をいつか読みたいとおもっていたのだが、なくなっていたようす。松浦寿輝の批評本もなにかあったはずだが、これも見当たらなかったとおもう。詩論のくくりのところに、たしか野沢協だか野崎協とかいうひとの全詩集があってちょっと気になりはした。実作のほうでは、いつも認知するのは、西脇順三郎とか松本圭二あたり。松本圭二著作集みたいなやつはとりあえず全部買っておこうとおもっているのだが、いつもすでにもっているのがなんだったかをわすれてしまって、購入にまでいたらない。いぜんもそれについて書いて、日記にいまもっているのはこの三冊だ、と記録しておいたおぼえがあるのだが、そうしておいてもわすれた。それから奥にむかっていき、壁際にずらりとならんでいる海外文学の棚。詩のところをまずみる。それから文学論のたぐい。ここに菅野昭正の本があり、まさか新著なのか? とおもったらそうで、出たばかりのもので、しかも過去の文章をあつめたものではなさそうだったので、もう九〇歳を越えているのにこれだけの新著出すとかやばいな、とおもった。小説作品とそれがもとになった映画を章ごとにとりあげて論じる、みたいなやつだったが、いま検索してみると、これは『すばる』に連載されていたシリーズの単行本化らしく、しかしこの連載がなされていたのが二〇一八年とかのようなので、その時点でも八八歳くらいなわけだからやはりすごい。その後、新着本を中心に見ていく。そんなに印象にのこるものはなかったはず。ただひとつ、『歌え、葬られぬものたちよ、歌え』みたいなタイトルのアメリカの小説があって、やたら格好良いタイトルだなとおもった。Sing, Unburied, Singという原題だったはず。黒人とか南部のことを題材にしたもののようだった。例によって検索するとジェスミン・ウォード/石川由美子訳で、作品社から出ている。いや、作品社という会社もおもしろそうな本をいろいろ出しているんだよな。装幀もどれもきれいだし。ここ一年くらいだと、たしかハイチかどこかの作家のものをふたつくらい出していたはず。このジェスミン・ウォードの小説はAmazonによれば全米図書賞を受賞したらしく、マーガレット・アトウッドが「胸が締めつけられる。ジェスミン・ウォードの最新作は、いまなお葬り去ることのできないアメリカの悪夢の心臓部を深くえぐる」といっており、ほか、「トニ・モリスンの『ビラヴド』を想起させる」とか、「まさしくフォークナーの領域だ」とかいう評言があるので、ある意味ではおそらく非常に正統的なアメリカ南部文学の後継者なのだろう。
  • それから思想のほうへ。書架の口の脇、棚の側面部には、『現代思想』とか、あとカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』などが置かれてあった。入るとあいかわらず一番最初にみすず書房の本がたくさんならんでいて、みてみるとラスキンのなんとかいうやつがあって読みたいなとおもったのだが、七〇〇〇円くらいしたのでとてもではないが買えない。ラスキンを読みたいのはプルーストの影響源だから。その横には、感情の哲学特集、みたいな区画がもうけられていた。なんとかいうそちらの方面の著作が発売された記念だという。ふりむいて新着も見ておき(フーコーの『性の歴史』の四巻目など)、なかのほうにすすんで主に各所の新着の、目の高さに表紙をみせておかれている本たちを中心に確認。フランツ・ファノンあたりの、まあいわゆるポストコロニアリズムということになるのだろうが、いわゆるポストコロニアリズムとかカルチュラル・スタディーズなるものは文学思想界隈だと評判がそんなによくなかったりもする印象があるのだが、それがなぜなのかはあまりよくは理解していないのだが、しかしそのあたりの、やはりできれば自伝的だったり伝記的だったり、要するに体験的なやつを読んでみたいなとおもっていて、だからフランツ・ファノンとかほしい気もしたのだけれどひとまず見送る。ただあと、この付近で、なんという題なのかわすれたのだが、たしか春陽堂ライブラリーとかいうシリーズの一冊があり、これが人種差別を広範にあつかったもので重要そうだったので買おうかなとおもっていたのだが結局わすれてしまった。ネットにたよるとこれは中村隆之『野蛮の言説』というやつだ。「3 植民地主義からホロコーストへ」という章があって、これは読まなければならないなとおもったのだった。この中村隆之というひとはカリブ海界隈をやっているらしく、エドゥアール・グリッサンについて書いているひとだ。『エドゥアール・グリッサン 〈全-世界〉のヴィジョン』というのは目に留めていた。あと、グリッサンの『フォークナー、ミシシッピ』と、『痕跡』も訳していて、どちらも当然目に留めていたし、『痕跡』は装幀がクールで格好良かったおぼえがある。あと、フランソワーズ・ヴェルジェス『ニグロとして生きる エメ・セゼールとの対話』というのも、このとき書架に見かけて買おうかなとちょっとおもったやつだ。
  • ほか、あまり哲学関連で印象にのこっているものはない。そんなにきちんと見なかったし。目的の品がなかったので、(……)のほうにも行ってみるかとおもって退出へ。一方で、(……)の(……)にひさしぶりにいって散財しようかなという意欲も湧いていたのだが、ひとまず(……)に向かうことにした。で、のちほど、(……)はいま何時までやっているのかわからないが緊急事態宣言を受けていればたぶん八時くらいだろうし、そうするといまから行っても時間がもうあまりないし、やはり余裕をもってじっくりみたいからべつの日にしようとかんがえてこの日はかえることに決断した。エスカレーターをおりていき、二階から出口へ。通路の途中が封鎖されていて奥にはいれないようになっており、衝立みたいなものが出入り口のほうまで通路にそってもうけられていた。それで歩廊に出て右折し、またビルにはいる。ここも(……)はやっていていつもどおりモダンジャズをながしていたが、(……)は閉鎖されており、(……)も七時までとあったはず。この時点で六時半前くらいだったはず。あがって踏み入ってさっさと文庫へ。ちくまを探していると、書架にかくれて姿は見えないが、おそらく大学生らしき女性ふたりの、新書どこ新書、あ、ここだ、みたいな声がきこえてきた。ちくま学芸、ちくま文庫、河出のならびを発見し、とりあえずちくま学芸を見て、ニーチェ全集の『このひとを見よ/自伝集』の巻をとってめくってみると、「なぜわたしはこれほどまでに利口なのか」みたいな題の章があって自尊ぶりに笑った。ジグムント・バウマンの『近代とホロコースト』が「完全版」という文字つきで出ており、これは地元の図書館に単行本があったはずだがまあ完全版となっているし手もとに置いておいてさっさと読むべきだろうとおもったので購入することに。ギリシア悲劇集のソフォクレスの巻もこちらにはあったので、その二冊を手にもって文学のほうにいき、詩をひやかし、壁際の海外文学へ。ここでなにかおもしろそうなものを見たような気もするのだがおもいだせない。(……)にくらべると(……)は全体にもはや規模がちいさくなってしまったものの、それもあってカテゴリ分けが厳密でなくいろいろ混ざっており、ロジェ・カイヨワの自伝みたいなものが、(……)だと哲学のほうにあったのだがここでは文学の棚にみられておもしろい。そののち、こちらでも思想のほうへ。エルンスト・ブロッホの『この時代の遺産』とかいうやつが棚の最上の端にあり、これはいぜんからみかけていたがこの日なぜか気になって、とってみてもおもしろそうなのだがやたら巨大な本で値段も張ったのでどうしようもない。エルンスト・ブロッホは『希望の原理』というやつも白水社のシリーズで何巻にもなっていたはずだし、いったいどうなっているんだ。でかい本でいえば、そういえば、小泉義之ともうひとり誰かが中心編者になったフーコーについての日本の研究者の文をあつめた論集みたいなものも平積みされていたのだが、これが一六〇〇〇円もしたので買えるわけがない。ざっと見分をおえると会計へ。店員は丁寧なかんじの男性。所作が特徴的。釣りを出すときなど、顔をちょっとしずめるようにして、手もとをよく注視しながら金をとっていたとおもう。仕事をきちんと気をつけてやろうという性分のひとなのではないか。
  • 金をはらって品をうけとり、エスカレーター前でバッグにおさめ、退出へ。このあたりで(……)行きを断念した。外に出て、駅方面へ。モノレール駅の下をくぐっていきながら右方に目をむけると、近間の建物の合間、彼方の空に去り際の夕陽の色が焼けついていて、雲もちかくて精妙な紫に付近が染まりながらひかりはあかく、極致的高温にまでたっしたマグマのようにして空に接着されている。抜けて駅前へ。家にかえってきちんと食卓について飯食うの面倒臭えし、どっかで食べていくか、それかコンビニで買ってどこか外で食うかもちかえるか、とおもったが、とりあえず駅舎内へ。LUMINEのなかの店はやっていないわけだが、入り口の前にはパンなどを売っているスタンドが出ている。母親になんか菓子のたぐいを買ってきてといわれていたのをおもいだしたので、GRANDUOのほうへ。GRANDUOもやってんのかなとおもったが、はいって掲示をみてみると「(……)」はやっているようだったので、フロアに踏み入り、手を消毒して奥へ。つくと見てまわり、東京會舘というメーカーのクッキーつめあわせを二袋と、抹茶チョコレートの八ツ橋を買う。ここにくるとだいたいいつも買っているのはこの二種だが。それで小さめの紙袋をバッグにくわえて提げながらもどり、途中で折れて改札内へ。ちょうど(……)行きが出そうなところだったので急ぎ、乗る。座れた。瞑目して休息。
  • 電車内と帰路でかんがえていたのは金をかせぐ方法というか、また例によって、(……)くんみたいに、オンラインでなんか小難しいような本を一緒に読むとか英語の小説を読むとかで金もらえねえかなとおもっていたのだが、それをこちらがやるとするとブログであいてもしくは顧客を募集をすることになるわけで、それに応募してきてくれるひとはこういう文章を読むわけだからかなり特殊な趣味の人間で、それはいいのだけれどこちらの文章やいとなみに好意的でなければ応募してこないだろうから、それって結局、要するにファン商売じゃん、とおもい、それはなんかいやだなとおもったのだった。あまりよろしくないこだわりなのだろうが、夜道をあるきながらかんがえたところ、やはりこの日記はなににもつながらないものでなければならない、というおもいをあらたにした。まえに何度かいっていた無償性ということで、金にもならないし知り合いもできないし名声もなにもえられないが、毎日これだけの文をかきつづけるという、そういう欲望といとなみと生のあり方があり、それはもちろん多数派ではないものの、人間がそうすることになんの不思議もなく、そういう人間は数からするとすくないとはいえいままでいくらでもいたしいまも現にいるし、これから先もつねにいつづけるだろうということを、こちらがそのひとりとして例証しなければならないだろう、ということ。ひとは、あまり知らないので。そういうことが現に、ふつうにあるのだということを。べつにこちらは、無意味であることが逆説的に意味や価値をもつ、みたいな、道教みたいな、芸術至上主義といわれそうなありがちな論理にそんなにつよく賛同するわけではないし、なににもならないけれどそれがゆえにやるのだという自己目的的純粋欲望みたいなロマン主義的なことを称揚したいわけでもないし、なにかになるならなるでよいし、自分のやることがなにになるかという可能性や判断はふつうにみきわめるべきだとおもうし、なにか目的をめざすいとなみはそれはそれでぜんぜんよいというか、そういういとなみと行動はもちろんなければならないとおもうのだけれど、ただ、ことこの日記にかぎっては、なるべくなににもつながらないものでなければならない、というおもいを捨てきれない。こちらがそれで外部的な利益をえてはならない、という。それを目的とはしていないとはいえ、やはりそうなると無償性がくずれるので。上の「芸術至上主義」的論理のあり方にぴったりそのままあてはまってしまうが。まあそれだったらそもそも公開しないほうがよいのかもしれないが、そこはそこでまたいわゆる投壜通信的なもくろみを捨てきれないところもある。あと単純に、この先いつまで書けるかわからないが、理想的には何十年にもわたる分量のこれだけの生の記述がインターネット上にころがっていたらそれはやっぱりおもしろいんじゃないか? ともおもうので。だからなににもつながらない、というのは、自分自身がそれによって直接的にむくわれてはならない、ということだろう。じっさいにはなにかをやればどうせなにかしらにはつながってしまうのだけれど、しかしすくなくとも直接的に金になったり自分が外部からなにかをえたりするのは、この文章のあり方ではない。したがって、PayPalとかを設置して投げ銭的にカンパをつのろうかなともちょっとかんがえたのだが、それもむろんやらない。この先、じっさいそんなこといってらんねえ、とにかく金をえなければ、ということになって気をかえるかもしれないが、いまのところはそのつもりでいる。
  • あと、金をかせぐのもそうなのだけれど、やはりおのれがやるべきだとおもいさだめた仕事にもとりくまなければならないな、というわけで、つまりさしあたっては、To The Lighthouseの翻訳を着実にすすめていかなければならないということだ。ぜんぜんとりくめないのだが。そもそもこの日記にかかずらってばかりなので。これをつづける一方で、そういう、日記以外の、みずからにとってただしく仕事というべきおこないにも時間を割いていかないと。日記は仕事ではない。第一の仕事、といったほうがよいのかもしれないが、作品とか、正式な文章を書く、という位置づけでやっているものではないので。To The Lighthouseももし翻訳を完成できたとして、金にする気は正直あまり起こらない。べつのブログをつくってそこにあげて終わりだろう。そもそも著作権の問題があるから、金にできるのかわからないし。著作権をいったら勝手に訳して公開した時点で終わりなのかもしれないが、Woolfの文章の著作権が、もうむかしの作家なので切れているのか、それともWoolf財団みたいなものがあってそこが権利を所有して管理しているのかなにもしらないのだが、個人的に訳して無料で公開して勝手に読んでもらうくらいはたぶんゆるされるだろう。岩波文庫御輿哲也訳もかなりよいので、正直あと三〇年か五〇年くらいはあれでべつによいとおもうし、文庫であれが読めるというのはすでにかなりすばらしいことだとおもうのだが、ただ、To The Lighthouseはこちらの感覚では非常にすばらしい小説で、やはりこの先も読まれつづけなければならない小説だとおもうので、日本語も無料でだれでも読めたほうがよい。一〇〇〇円ほどとはいえ、To The Lighthouseを日本語で読むのに金をはらわなければならないというこの世の状況は馬鹿げているとおもうので。こちらの翻訳がだれでも読む価値があるほどのものになるかどうかわからないが。自分でも訳したいという欲望はあるし、ともかくはやらなければならない。
  • (……)についたあと、この日は気力があったのであるこうとおもい、乗り換えをまたずに駅を出て夜道へ。あるいているあいだは上に書いたようなことを主にかんがえていた。夜の裏通りには風がたびたび走り、肌寒い瞬間もおりおりあり、線路の向こうの樹々がざわざわ騒いでいたりもして、どうも日中の雨の気がまだなごっているのか、これからまた降り出すか、とおもわれたものの、根拠はないがなんとなく、降るとしても今日はもうなくて明日以降ではないかともおもった。空はこのときはもう晴れていたよう。夜空の深い青みが見て取られ、月は見なかったとおもうが天球内はあかるく、雲が貼りついている箇所もみたおぼえがない。白猫はおらず。あゆみはなかなか鷹揚なものだった。やはり連休中で精神に余裕があるか。
  • かえったあとのことはあまりおぼえていない。日記をそこそこ書いてこの前日のぶんまで仕上げたのと、入管法改正についてしらべておこうとおもって、とりあえず行政側の言い分をまず読んでおこうと下のふたつのページを読んだことくらい。

〇 日本は,1981年に「難民の地位に関する条約」(難民条約),1982年に「難民の地位に関する議定書」に順次加入し,難民認定手続に必要な体制を整え,その後も必要な制度の見直しを行っているところです。

〇 当庁においては,日本にいる外国人から難民認定の申請があった場合には,難民であるか否かの審査を行い,難民と認定した場合,原則として定住者(※)の在留資格を許可するなど,難民条約に従った保護を与えています。
 (※)定住者は,いわゆる就労目的の在留資格と異なり,就労先や就労内容に制約はありません。

〇 また,難民と認定しなかった場合であっても,人道上の配慮を理由に日本への在留を特別に認めることもあります。

〇 なお,ここでいう「難民」とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見という難民条約で定められている5つの理由によって,迫害を受けるおそれがある外国人のことです。

 (1 日本の出入国在留管理制度の概略; (2)難民の認定)

     *

〇 日本に在留する外国人の中には,ごく一部ですが,他人名義の旅券を用いるなどして不法に日本に入国した人,就労許可がないのに就労(不法就労)している人,許可された在留期間を超えて不法に日本国内に滞在している人(※),日本の刑法等で定める様々な犯罪を行い,相当期間の実刑判決を受けて服役する人たちがいます。
 (※)これらの行為は,不法入国,不法残留,資格外活動などの入管法上の退去を強制する理由となるだけでなく,犯罪として処罰の対象にもなります。

〇 当庁においては,そのようなルールに違反した外国人を法令に基づいた手続によって強制的に国外に退去させることにより,外国人に日本のルールを守っていただくように努めています。

〇 強制的に国外に退去させるかどうかの判断に際しては,ルール違反の事実のほか,個々の外国人の様々な事情を慎重に考慮しており,例外的にではありますが,日本での定着性,家族状況等も考慮して,日本への在留を特別に許可する場合があります(在留特別許可)。

〇 その許可がされなかった外国人については,強制的に国外に退去させることになります。

 (1 日本の出入国在留管理制度の概略; (3)外国人の退去強制)

     *

〇 近年,日本に入国・在留する外国人の数の増加に伴い,許可された在留期間を超えて不法に日本国内に滞在している外国人(不法残留者)の数も増加に転じています。

〇 そのような外国人は,令和2年7月1日時点で,8万人余りいます。

(……)

〇 摘発された外国人の多くは,国外に退去していますが,中には,国外への退去が確定したにもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)もいます。

〇 そのような外国人は,令和2年12月末時点(速報値)で,3,000人余り存在しています。

 (2 改正の背景)

     *

〇 現在の出入国管理及び難民認定法入管法)の下では,国外への退去が確定したにもかかわらず退去を拒む外国人を強制的に国外に退去させる妨げとなっている事情があります。

〇 その結果,そのような外国人が後を絶たず,それが退去させるべき外国人の収容の長期化にもつながっています(送還忌避・長期収容問題)。

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性))

     *

〇 次のような事情が,退去を拒む外国人を強制的に国外に退去させる妨げとなっています。

(1) 難民認定手続中の者は送還が一律停止
   現在の入管法では,難民認定手続中の外国人は,申請の回数や理由等を問わず,また,重大犯罪を犯した者やテロリスト等であっても,日本から退去させることができません(送還停止効)。
   外国人のごく一部ですが,そのことに着目し,難民認定申請を繰り返すことによって,日本からの退去を回避しようとする外国人が存在します。

(2) 退去を拒む自国民の受取を拒否する国の存在
   退去を拒む外国人を強制的に退去させるときは,入国警備官が航空機に同乗して本国に連れて行き,その外国人を本国の政府に受け取ってもらう必要があります。
   しかし,ごく一部ですが,そのように退去を拒む自国民の受取を拒否する国があります。

(3) 送還妨害行為による航空機への搭乗拒否
   退去を拒む外国人のごく一部には,本国に送還するための航空機の中で暴れたり,大声を上げたりする人もいます。
   そのような外国人については,機長の指示により搭乗拒否されるため,退去させることが物理的に不可能になります。

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性); (1)問題点➀(送還忌避者への対応が困難))

     *

〇 現在の入管法では,国外に退去すべきことが確定した外国人については,原則として,退去までの間,当庁の収容施設に収容することになっています。

〇 そのような外国人が退去を拒み続け,かつ,強制的に国外に退去させる妨げとなっている事情((1)参照)が存在すると,収容が長期化する場合があります。

〇 この点に関し,現在の入管法では,収容されている外国人の収容を一定期間解く仮放免が許可される場合もあります。

〇 しかし,現在の入管法では,仮放免を許可するかどうかは,仮放免の請求の理由のほか,逃亡のおそれ,日本での犯罪歴の有無・内容等の様々な事情を考慮して判断されますので,収容された全ての外国人に仮放免を許可することができるわけではありません。

〇 収容に関しては,収容された外国人の一部が,自らの健康状態の悪化を理由とする仮放免の許可を受けることを目的として,食事をとることを拒むハンガーストライキに及ぶという問題が生じています。

〇 また,仮放免された外国人が逃亡する事案も相当数に上っています。
  令和2年12月末時点(速報値)で,日本からの退去が確定した後,仮放免中に逃亡して手配されている外国人は,400人余りいます。

(参考)
退去強制令書が発付されたにもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)
(令和2年12月末(速報値))
(1) 送還忌避者:約3,100人
(収容中:約250人,仮放免中:約2,440人,手配中:約420人)

(……)

 (3 現行入管法の問題点(入管法改正の必要性); (2)問題点➁(収容の長期化の問題が発生))

     *

〇 今回の改正法案では,3つの基本的な考え方(4参照)を実行に移すために,次のような様々な方策を講じることにしています。
 (1) 在留が認められない外国人を速やかに退去させる前提として,在留を認めるべき外国人かどうかを適切かつ速やかに見極めます。
  ● 在留特別許可の手続を一層適切なものにします。
   ・ 在留特別許可の申請手続を創設します。
   ・ 在留特別許可の判断に当たって考慮すべき事情等を法律に明記します。
   ・ 在留特別許可がされなかった場合は,その理由を通知します。
  ● 難民に準じて保護すべき外国人を保護する手続を設けます。
   ・ 難民条約上の難民ではないものの,難民に準じて保護すべき外国人を 「補完的保護対象者」として,難民と同様に日本での在留を認める手続を設けます。

(2) 在留が認められない外国人を速やかに退去させます。 
  ● 難民認定手続中の送還停止効に例外を設けます。 
   ・ 難民認定申請の回数や理由を問わず,また,重大犯罪を犯した者やテロリスト等であっても,一律に送還が停止される現在の入管法の規定を改め,一定の要件に当てはまる外国人については,難民認定手続中であっても日本から退去させることを可能にします。
  ● 退去を拒む外国人に退去等の行為を命令する制度を設けます。
   ・ 退去を拒む外国人のうち,送還が困難な一定の要件に当てはまる者に限って,定めた期限までに日本から退去することや,旅券の発給の申請等送還のために必要な行為をすることを命令し,その命令に違反した場合には処罰されることにします。
  ● 退去すべき外国人に自発的な出国を促すための措置を講じます。
   ・ 退去すべき外国人のうち一定の要件に当てはまる者については,日本からの退去後,再び日本に入国できるようになるまでの期間(上陸拒否期間)を短縮します。

(3) 収容の長期化を防ぎ,一層適切な処遇を実施します。 
  ● 収容に代わる監理措置の制度を設けます。
   ・ 原則として当庁の収容施設に収容することとしている現在の入管法の規定を改め,「監理人」による監理に付することで逃亡等を防止し,相当の期間にわたって収容しないで社会内で生活することを認める「監理措置」を設けます。
  ● 現在の仮放免の要件を見直します。
   ・ 監理措置の創設に伴い,現在の仮放免については,健康上,人道上等の理由により収容を一時的に解除する必要が生じた場合に許可することにします。
  ● 収容施設での一層適切な処遇を実施するための措置を講じます。
   ・ 収容されている外国人の権利・義務に関わるものなど,法律で定めることが適切と考えられる事項を法律で規定します。

 (5 入管法改正案の概要等; (1)入管法改正案の概要)

(1) 収容するか否かを裁判所が判断する仕組み
 ●  今回の入管法改正法案では,日本から退去すべき外国人を当庁の収容施設に収容するか,監理措置により収容しないで社会内で生活させるかは,その外国人の収容等を行う入国警備官とは別の官職である上級の入国審査官(主任審査官(※))が慎重に判断することとしています。
   (※)入国審査官である地方出入国在留管理局の局長,次長,支局長などです。
  ●  また,退去すべき外国人は,収容されることに不服があれば,行政訴訟を提起して,裁判所の判断を仰ぐことができます。

 (Q1 長期収容の問題を解決するには,収容するか否かを裁判所が判断する仕組みや収容期間の上限を設ければよいのではありませんか?)

     *

〇 「本国に帰ると生命の危険が生じる」などの事情を主張して,難民認定申請を行う人もいますが,日本の難民認定手続においては,難民認定申請をした外国人ごとに,個別の事情を考慮しながらその申請内容を審査し,難民条約の定義に基づき,難民に該当すると認められれば,難民と認定しています。
〇 また,難民認定手続においては,当庁による二段階の審査を経て難民かどうかを慎重に判断しています。
〇 具体的には,まず,難民に当たるかどうかに関する当庁職員(難民調査官)による調査を経た上で,難民の認定・不認定が判断されます。
  その判断に不服があれば,不服申立て(審査請求)を行い,改めて判断を受けることができます。
〇 難民認定手続において,難民の認定をしない処分がされ,これに対する不服申立てを行った場合,その不服申立て(審査請求)に対する判断は,必ず3名の「難民審査参与員」の意見を聴いて行うこととされています。
〇 難民審査参与員は,人格が高潔であって,公正な判断をすることができ,かつ,法律又は国際情勢に関する学識経験を有する者(※)の中から任命されています。
  また,難民審査参与員は,3人1組で審理を行って,意見を提出し,その意見は,不服申立てに対する法務大臣の裁決の際に尊重されています。
  (※)具体的には,(1)事実認定の経験豊富な法曹実務家,(2)地域情勢や国際問題に明るい元外交官・商社等海外勤務経験者・海外特派員経験者・国際政治学者・国連機関勤務経験者,(3)国際法・外国法・行政法等の分野の法律専門家などです。
〇 さらに,難民には当たらないとの判断に不服があれば,裁判所に訴えを提起した上でそのような事情を主張して,裁判所の判断を求めることもできます。
〇 これらの重層的な行政手続や司法審査手続があるにもかかわらず,これらの手続を経た結果,難民と判断されなかった外国人については,難民であると認めることが困難です。

〇 もっとも,現行法上,難民認定申請した者について条約上の難民とは認定できない場合であっても,本国情勢などを踏まえ,人道上の配慮が必要と認められる場合には,日本への在留を認めています。
〇 また,難民認定申請をしていない者についても,従来から個々の事案ごとに,在留を希望する理由,人道的な配慮の必要性などの諸般の事情(本国事情も含みます。),これらを総合的に勘案して在留を認めるべきものについては,在留特別許可をするなどしています。
〇 令和元年に,退去強制手続における違反審判において法務大臣に異議を申し出た者のうち,在留特別許可されたものは6割超,1,448件です。
〇 加えて,今回の法改正により,難民条約上の難民ではないものの,難民に準じて保護すべき外国人を「補完的保護対象者」として,難民と同様に日本での在留を認める手続を設けることとしています。

 (Q4 日本からの退去を拒む外国人は,本国に帰れない事情や日本にとどまらなければならない事情があるから,退去を拒んでいるのではありませんか?)

     *

〇 (1) [「難民認定手続中の者は送還が一律停止」] については,難民と認定されなかったにもかかわらず,同じような事情を主張し続けて難民認定申請を3回以上繰り返す外国人は,通常,難民として保護されるべき人には当たらない(申請時に難民と認定することが相当であることを示す資料が提出された場合を除きます。)と考えられます。
そこで,このような外国人については,今回の入管法改正法案により,送還停止効の例外として,難民認定手続中であっても日本からの強制的な退去を可能とすることとしました。

〇 (2) [「退去を拒む自国民の受取を拒否する国の存在」] 及び(3) [「送還妨害行為による航空機への搭乗拒否」] については,このような事情により,日本からの退去を拒み続ければ在留資格がないまま日本に滞在し続けられるという事態は見過ごせません。
  そこで,その外国人を翻意させて退去等を決意させるため,最終的な手段として,一定の期限までに日本から退去することを命令し,その命令に違反した場合は処罰されるという仕組みを設けることとしました。
   なお,当庁で把握している範囲では,例えば,アメリカ,フランス及びドイツについては,対象者にその国からの退去の義務を負わせ,その義務に違反した場合の罰則を設けているとのことです。

 (Q5 なぜ,日本からの退去を拒む外国人を退去させられないのですか?)

     *

〇 確かに,日本の難民認定率が欧米よりも低いと指摘されることがあります。
  しかし,大量の難民や避難民を生じさせる国との地理的要因などは,日本と欧米とでは大きく異なりますので,難民認定率のみを単純に比較するのは相当ではないと考えます。
  なお,韓国は,日本と同様,年間約1万件以上の難民認定申請を受けていますが,難民認定数は数十件~百数十件程度です。

〇 難民認定申請者数は,平成17年には約400人でしたが,平成22年に申請から6か月後に一律に就労を認める運用を始めたところ,申請者数は,平成22年(約1,200人)から平成29年(約2万人弱)の7年間で,約16倍に増加しました。

〇 そこで,平成30年に,こうした難民としての保護を求める本来の制度趣旨にそぐわない申請(濫用・誤用的な申請)の場合には在留や就労を認めないとする在留資格上の措置について,より厳格な運用を始めたところ,平成30年の申請者数(約1万人)は,平成29年から半減しました。

 (Q8 今回の入管法改正より先に,難民認定手続を出入国在留管理庁とは別の組織に行わせるなどして難民の保護を十分に行い,日本の低い難民認定率を諸外国並みに上げるべきではないのですか?)

  • 一一時五〇分。風呂をあがって洗面所から出ると居間では父親がソファについて脚を前になげだし炬燵テーブルの上に置きながら歯をみがいていたのだが、スマートフォンで音楽をかけているらしく太いサックスの回転がながれだしてきて、わりと色気のただよう感じのジャズバラードがはじまったのだけれど、これ聞いたことあるなとおもってすぐに、たしかCannonball Adderleyが御大Milesを後援にしてやった『Somethin' Else』の、四曲目か最後の曲ではなかったかとおもった。それでいま確認してみたところあたりで、五曲目の"Dancing In The Dark"だった。
  • 入管法関連の記事を検索してURLをいくつもメモしておいたが、こういう問題は、けっこう地方の新聞が社説で触れていたりするのだよな。