美学とは、その形式が原因と目的から離れて、充分な価値をもつ体系を作り上げてゆくさまを見るという技術であるから、これほど政治に逆らうものがあるだろうか。さて、彼は美学的な反応をすることをやめられなかった。彼が賛同する政治的行動においても、その行動がとっている形式で、彼がときには醜悪または滑稽だと思う形式(粘りけのある形式)を〈見る〉ことなしにはいられなかった。そういうわけで、彼は脅しにはとりわけ不寛容であるから(その深層の理由は何だろうか)、国家の政治に見ていたのは、とくに脅しなのであった。脅しの人質がつねにおなじ形式のもとで増加してゆ(end256 / 257は図版)くと、彼はいっそう場違いな美学的感情によって、人質をとるという操作の機械的な性質にうんざりしてしまうのだった。人質操作は、いかなる反復もが被る不評に陥った。〈またか、もううんざりだ〉と。それは、良い歌のなかに現れるしつこいリフレーンのようであり、美しい人の顔に現れる痙攣のようであった。こういうわけで彼は、形式や言葉づかいや反復を〈見る〉という倒錯的な傾向のせいで、すこしずつ〈悪しき政治的主体〉になっていったのである。
(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、256~258; 「悪しき政治的主体(Un mauvais sujet politique)」)
- 八時のアラームでつつがなく覚醒し、二度寝におちいることもなし。よろしい。しばらく脹脛をもんでからおきあがる。瞑想もおこなうことができた。この日は一一時から職場で他教室とのオンライン会議があり、あいだに生徒面談をはさんで夜は夜でまた会議。そのため、休憩がわりとあったとはいえ一日中職場にいてはたらくことになり、こんなに勤務先に滞在していたのははじめてだとおもう。出発前に「英語」の音読をいくらかこなしたが、帰宅後はやはりつかれてたいしたことはできず。David Robson, "Why arrogance is dangerously contagious"(2020/9/29)(https://www.bbc.com/worklife/article/20200923-why-arrogance-is-dangerously-contagious(https://www.bbc.com/worklife/article/20200923-why-arrogance-is-dangerously-contagious))をよんだくらい。めずらしく文をかくこともしなかったが、この日にかぎっては致し方あるまい。毎日かならず読み書きしなければならないという強迫観念はもはやすてた。
- 往路はそれなりに暑かったはず。陽射しも多少あったか? 日中は曇り気味だったとおもうが。それでも気温は高かったが。最寄り駅にひとがおおかったはず。土曜日なので。
- 職場にむかい、一一時から(……)会議。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)退勤したのは一〇時四〇分ごろだったはず。徒歩をとった。道中はだいたい会議のことをおもいかえしたり、(……)先生の印象をかんがえたりしていたとおもう。帰宅後はたいしたことをしなかったはず。とくにおぼえていない。