2021/5/15, Sat.

 あらゆる仕事の交わるところに、おそらくは「演劇性」があるのだろう。実際に、ある種の演劇性を扱っていない彼のテクストはひとつもない。見せ物とは何にでも適用しうるカテゴリーであり、その形のもとで世界はながめられるのである。演劇性は、彼が書くもののなかに行きつ戻りつする、一見すると特殊なあらゆるテーマにかかわっている。コノテーション、ヒステリー、虚構、イマジネール、けんか、優雅さ、絵画、東洋、暴力、イデオロギー(ベーコンが「劇場のイドラ」と呼んだもの)などである。彼を魅きつけたのは、記号というよりは信号や誇示なのである。彼が望んだ学問は、記号学ではなく、〈信号論〉であった。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、269; 「演劇性(Le théâtre)」)



  • 今日は一一時から(……)で会議だったので、八時にアラームをしかけてあった。なぜかそれが鳴るまえ、七時半ごろにすでにさめる。しかしねむりがみじかいので、まだおきず、目を閉じたままアラームが鳴るのをまつ。鳴るとおきあがってとめ、しばらくこめかみや腰をもんだり、膝でふくらはぎをほぐしたり。八時二五分に離床。水場にいってきてから瞑想、一五分ほどすわったはず。鳥の声をきいていた。ちかくから、ヒヨドリの声と、もう一羽なんだかわからないリズムの鳥声がたっていて、ほぼおなじ場所にいるようだったので、たぶんそろって梅の木あたりにきていたのではないか。
  • 上階にいくと母親はすでに出勤して不在だった。でるときにタオルを入れてくれとある。洗面所で髪をとかし、食事は前夜の炒めものや味噌汁など。新聞でなにをよんだかというと、二面にパレスチナイスラエルの件があったのでそれをよんだはず。ただ情報としてはきのうBBCでよんだいがいのあたらしいことはほぼなかったはず。イスラエルはまだ侵攻してはいないが、境界付近にあつめた地上部隊からの砲撃を強化しているということだった。のちの夕食時に夕刊でよんだほうもここにかいてしまうが、ガザだけでなく西岸とヨルダンでも抗議運動がおこって警官隊だか治安部隊との衝突があると。朝刊か夕刊かわすれたが、たぶん朝刊だったとおもうが、ガザの病院の医者の言として、コロナウイルス医療崩壊していたところにたたかいがはじまって、治療がとてもでないがおいつかない、という憤りの声があった。きのうのBBCの記事にもふくまれていてちょっときになったが、レバノンからもロケット弾が三発うたれているらしい。BBCいわく海におちたようだが。ヒズボッラーか、といわれているもよう。ほか、国内だと入管法改正の件で与野党の協議が決裂したとあったはず。立憲民主党が一〇項目くらいの修正案をだして、与党は大筋でそれにおうじる方向で検討したらしいが、ただ立民がもとめている、名古屋入管で亡くなったスリランカ出身の女性の映像を公開するということには与党もしくは政府が同意せず、そこでおりあえなかったと。野党は当該委員会の義家弘介委員長の解任要求みたいなものをだして抵抗する方針。上川陽子法相への不信任決議案もだす方針とあったか。
  • 食器をあらい、風呂もあらって帰室。三時まえに床に就いて八時なのでやはりねむりがたりないかんじはあった。あたまがあつぼったいというか、額の奥にわだかまりがあるようなかんじというか。時刻はすでに九時半ごろだったはず。一〇時二〇分にはでる必要。会議で他教室のひとびととディスカッションをするのでマイクつきイヤフォンがあったほうがよいとか前回にいわれていて、まったく準備せずにきたのだが、なんか家のどっかでみかけたなという記憶があったのですくない残り時間を押してさがしてみたものの、みつからない。みつからなきゃしょうがねえというわけで歯磨きをし、すこしだけでも音読をやっておこうというわけで「英語」を一〇分少々よむ。そうして身支度。スーツにきがえてバッグをもち、上階へ。マスクを顔につけて出発したのが一〇時二〇分の直前くらい。
  • 雲がおおめで天気はあいまいではあるが、公営住宅前などひなたもあり、気温はたかくてなかなか暑い。風も厚くながれつづけており、道をいくあいだ、林からおおきな葉擦れのひびきがたえまなく発生している。坂道にはいっても同様。足もとには落ち葉があるが、緑の葉のなかにおりおり季節外れなように生命力にみちみちたリンゴのごとく真っ赤に染まったものがあって、あれはなんの葉なのか。最寄り駅につくと階段をいき、ホームへ。先のほうへ進行。ひとはほぼない。線路のレールのうえにカラスが一羽おりたって、ざらついた、しわがれたような声音をはなっており、そのあいだも風は吹きつづけていてカラスのそばでは下草が、ほそくてかるそうな浅緑の、カラスからみれば自分の体長よりも二、三倍たかいがわれわれからするとみおろすくらいの長さの草が海藻のようにゆれている。
  • 来た電車に乗り、席について瞑目。やすんで降り、乗り換え。また席について(……)までのあいだは休息。やはりそこそこねむりのたりない感。五時間程度では致し方ない。どうしたってやはり、七時間くらいは意識をうしなわないと心身がまとまらないようだ。生活習慣をもろもろの点でかえればまたちがうかもしれないが。(……)について降り、エスカレーターをのぼり、改札をぬける。改札の外、券売機の周辺では清掃がされており、よくみなかったがなにかしら機械めいたものが置かれているそばに老人がひとりなにをするでもなく待機しており、床は濡れていて、扇風機かなにかがあって風がかけられていたはず。掃除して乾かしているところ、ということだったのだろうか。その区画をよけつつあるき、改札をでて右、(……)のほうにいって右に折れて出て、目的地たる(……)はすぐそこである。ここでも陽射しが、そう厚くはないが降っていてそれなりに大気に熱がこもっていた。ロータリーの端をわたると(……)から若い女性がふたりでてきて、わりとスタイリッシュなかんじのひとびと。すれちがってこちらはビルのなかへ。(……)
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  • ビルを下りて駅へ。会議の途中で暑くなってジャケットを脱ぎ、ベストすがたになってワイシャツの袖もまくっていたのだが、そのまま上にジャケットをはおった格好で、まだ空気はけっこう暑かった。トイレに寄ってから駅内へ。ホームにおりて、あまりこない駅なのでどちらが東でどちらが西かぱっと把握しづらかったのだが、みきわめて東のほうにむかう。頭上に蛍光灯をその下に設置するような梁的な渡しがはしっているのだが、その上にハトがやたらたくさんいてちょっとビビった。そこなの? そこにいるの? みたいな。ホーム上をうろつくすがたはどこでもよく目にするが、この(……)駅では頭上にいて、その狭い空間でときおりバタバタやっている。糞をおとされてはかなわないのでさけながらいき、暑くて喉が乾いていたのでコーラでものもうかなと自販機のまえに立ったが、若い女性ふたりが来たのを機にはらってベンチへ。手帳にメモをとってもよかったのだが、目の前の空気があかるすぎて、といって空は雲なく晴れ渡っているわけでなくときおり日なたが消えることもあるのだけれど、風がとぎれることなくながれつづけて濃緑の木が色を吐くようにして身をゆらし、下草もたえまなくちいさく震えているその風景をつつむ大気の穏和さあかるさのために、こんな時間になにかをしてはもったいないなとおもってなにもしなかった。線路をこえたすぐむかいにはほそい通路があるのだが、その途中に中年女性がひとりとまっていて、携帯を片手にだれかをまっているようなそぶりで通路の先をながめていたが、じきにあるきはじめた。そばにはアパートがあって、煉瓦風の外壁は基本的には赤みがかっていくらか錆びた焦茶色というような色だがタイルによって多少差異があり、色の推移がうみだされているのだがその屋上の角にいま、ひくく置かれた竿に洗濯物を干しているらしきひとがあって、なんかめっちゃいいなとおもった。あそこにいると陽射しをさえぎるものがまったくなく、屋上はたぶん全面にわたってひかりに占領されているとおもうのだが、この土曜日の昼下がりにそこであかるさにつつまれていること、そういう場所があるということを。風はほんとうにとぎれる瞬間がなく、ざわめきとふるえはつねにあり、一度ベンチの背後からちかくの足もとになにかとんできて、みれば紙の時刻表で、こちらと母娘づれのあいだにおちて、こちらはそれをゴミというかだれの所有物でもなくただとんできたものだとおもいこんでぼんやりみていたのだが、そうではなく、おくれて初老の男性がゆっくりあらわれてきてひろっており、それ以上風にとばされないうちでよかった。電車がくると乗車して休息。
  • (……)着。おりる。飯を食っていくか帰ってから食うかまよっていたのだが、電車内でアナウンスされたつぎの乗り換えの時間がかなりあとだったので、それじゃあ帰ってから食うんではずいぶんおそくなるしその合間にいったん駅を出て飯を食っていったほうがよかろうとおもい、おりると駅をぬけた。といってしかしくうとして店は駅前の(……)くらいしかないわけで、店の前の看板のまえにたち、メニューをみつつ店内のようすにも目をむけるが、そこまで混んでいるわけではなくてふつうに空席はあるもののそこそこひとははいっていて、なんだかきがむかない。それで電車を待つにもながいし今日はあるいて帰って家でなんか食うかとおもったのだが、駅の前を再度とおりかかった際になかの電光掲示板をのぞいてみると、つぎの(……)行きはアナウンスされた時間よりけっこうはやくてあと二〇分くらいしかなかったので、乗務員がまちがえてふたつ先の時間を言ってしまったのだろうが、それなら待つわとなってふたたび駅内にはいった。ベンチでメモでもしていればよいとおもったのだがいってみればベンチはあまり空いていないので、しょうがねえとおもい、ともかく暑いし喉は渇いていたのでとりあえずなんか飲もうと自販機に寄って、コーラを飲もうかとおもっていたがコーラの二八〇ミリリットルのちいさなペットボトルがないので、三ツ矢サイダーのレモンとライムの風味が混ざったものらしく「レモナ」という実に安直な命名の品をひとつ買い、ベンチもあいていないし待合室も気が向かなかったから花壇縁にすわるかとおもってホームの先のほう、屋根のない範囲へとむかい、花壇などといえるほどおおきなものでないがひくい段で囲われたなかにパンジーなんかが生えている区画の縁に腰をおろした。それで飲み物をすこしずつ口にふくみ、胃におとす。空気はあいかわらずあかるい。とても晴れているというわけでもないのだが。やってきた電車からおりてきた親子があって、父親とまだおさない息子なのだけれど、ややハイキング的なかっこうで、息子はけっこう疲労しているようなようすで、花壇の角に寄っていたふたりのうち父親はちょっとまってなといいのこして場をはなれ、息子はそのあいだ花壇に腰掛けるのではなくて地べたに直接すわりながらぼんやり待っており、そのちかくでこちらもなにをするでもなくぼんやり水分をからだにとりこんでおり、しばらくしてかえってきた父親は自販機で買ったはずだがせんべいをもっていて、それを息子とわけあってくっていた。いちおう手帳をとりだしてメモしようとしたのだが、ここまでのこの日の記憶をおもいかえしてみてわざわざメモしておきたいとおもったことがらが、会議でまあそこそこうまくしゃべれたということと(……)駅での空気のあかるさのふたつしかなかったので、それいがいにも記憶をさぐってみたのだがメモっておきたいことがでてこなかったので、それだけメモしてあとは飲み物をのみ、それが空になるとなにもせずにいた。そうしてじきに(……)行きがくると移動して乗車。まもなく発車し、瞑目のうちに待つ。
  • 最寄り駅をでて坂道へ。風はあいかわらずつづいている。竹秋をむかえて黄色くなった竹の葉が、道の両側だけでなくそのあいだにも多数散ってすきまをすくなくしており、おりていくあいだも風のためにさらに降ってくるものがあるのだが、みれば頭上に一枚、蜘蛛の糸にひっかかっているようで空中にとどまったまますばやく回転しているものがあり、こまかくうねるそのようすが魚がおよいでいるようでもあるし、むしろ魚が食うゴカイ的なああいう餌が水のなかでうねうねしているそのさまにもにている。
  • 下の道にでてあるき、帰宅。父親が山梨からかえってきていた。ソファでねむっていたようで、ずいぶん疲労したようなようす。そのあとみかけても、ソファにこしかけたまま上体をかがめて顔を両手でおおっていてまるで生に絶望しきったような、鬱症状にさいなまれている人間のようなすがただったので、そんなにつかれているのか、気分がすぐれないのかなとおもっていたのだが、これはあとで母親がいうには山梨で洗面所のかたづけをしているときに腰を痛めたらしい。こちらは帰室して三〇分くらいやすんでからともあれ飯をくおうというわけであがり、冷凍のこまぎれになった手軽な豚肉をフライパンで焼いて丼の米のうえに乗せただけの手抜きなものをつくってもちかえって食ったのだが、その後すごしているうちにやはり眠りが足りなかったようで眠気が重くなってきて、しかたないから三〇分くらいやすんで家事にいこうとおもって臥位になったところがけっきょく七時半くらいまでベッドにとどまってしまい、飯の支度もアイロンかけもできなくて、母親も仕事をながくやってきてつかれていただろうに申し訳なかった。
  • そののちの時間もだいたいなまけたようで、読み物なんてこの日は「英語」しか記録されていない。一五日、この日当日の記述をいくらかしたようだが。