2021/6/21, Mon.

 ストア学派といえば、「アパテイア」(無感動)の理想が挙げられる。ひとは欲情や憤怒の虜となってはならない。そればかりではない。同情や後悔にとらわれてもならない。アパテイアは、戦場を宿とするアウレリウスにとって、ただの説教ではない。「波が絶えず砕ける岩のようでなければならない。岩は立っている。そのまわりでやがて波は静かにやすらう」(『自省録』第四章四九節)。「すべては宇宙の自然にしたがっている」からだ。「そして、まもなく、きみはなにものでもなくなり、どこにもいなくなる」(第八章五節)。「まるで一万年生きるかのように行動してはならない」(第四章十七節)。それでは、どのように生きるべきなのか。(end131)

あたかも、きみがすでに死者であるかのように、現在の瞬間が、きみの生の最期の瞬間であるかのように、自然にしたがって生きよ。(第七章五六節)

 現在こそが永遠である。現在が永遠であるならば、「もっとも長い生も、もっとも短い生も等価である」(第二章十四節)。みずからは戦場に生きざるをえなかった哲人皇帝が、おそらくはじぶんのためだけに書きつけたこのことばは、深い諦念とふしぎな慰めに満ちている。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、131~132; 第8章「生と死の技法 今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように ――ストア派の哲学者群像」)



  • 九時まえから覚めていたのだが、起床をつかめずに覚醒と寝過ごしをくりかえし、最終的に一一時二〇分ごろに床をはなれた。昨晩はふだんよりややはやめに寝たのだが、起床時間はいつもと変わらない。九時ごろにはカーテンのあかるみからして晴れていたとおもうし、空の青さをちょっと見かけたようなおぼえもあるのだが、正午まえには雲がおおくなっていて、陽射しは薄れていた。水場に行ってきてからきょうも瞑想。起き抜けだとやはりからだがかたく、背などとくにすわっていることにたいする抵抗がある。それで一四分ほどしかすわれない。一一時五〇分できりあげてうえへ。両親は(……)さんの告別式に出向いているので居間は無人。うがいなどしたあと、ハムエッグを焼いて食事。食べながらいつものように新聞をひらく。国際面からふたつ、香港の記事とミャンマーの記事を読む。香港では、海外にのがれた民主派が運営しているサイトが接続遮断されたと。羅冠聡というなまえだったとおもうが、もと立法会議員だったそのひとが中心となって英国にのがれたあと情報発信のために運営していたサイトで、共産党の独裁を終わらせるしか自由への道はない、みたいな文言が書かれてあったので、国家安全維持法違反とみなされたのだろうと。国家安全維持法では、外国勢力と結託していたり違反的な情報があるサイトは、プロバイダーに接続遮断を要請できることになっており、それが実行されたしだい。
  • ミャンマーは状況が悪化の一途をたどっているということで、さいきんだと市民が独自に武装組織をつくって、親軍的な公務員を殺害する事件が起こっているという。六月一六日にはヤンゴンで、五月中にもマクヴェみたいななまえの都市で行政官が殺害されている。彼らは国軍に抵抗者の情報を知らせているとみなされて、殺されたと。五月の事件の実行者はたしか五人くらいで、武装組織のメンバーなのだが、この組織は、軍のクーデターによって追放された民主派が結成した国家統一政府だったか、なんとかいう対抗勢力の下部にある国民防衛軍だかの一部だと主張しているらしい。やらなきゃやられる状況だとはいえ、こういう動きを放置しておいたらまずいのでは? という気がするのだけれど、民主派の指導層が国民防衛軍をまとめることは現状無理で、だから各地の市民がそれぞれ組織をつくって独自の判断で行動している状況であり、それでこういう事件が起こるわけだ。また、民主派も、国軍の残虐な暴力から身をまもるために自衛は必要である、という声明を発表しており、現実、武装組織の動きを黙認するかまえのもよう。国軍側はもちろん、これはテロ行為だと断じており、各地の武装勢力の摘発など、弾圧をつよめる見込みで、だから情勢はますます泥沼化するはず。ところで武装組織メンバーの訓練には少数民族武装勢力が協力しているらしく、たとえば二〇一三年にタイでもよおされたミスコンみたいなもののミャンマー代表だった三二歳の女性が、ちかごろ少数民族勢力の根拠地で訓練に参加したという写真をSNSにアップし、いまこそ反撃の時だと呼びかけたという。
  • 一面のコロナウイルス関連の報も見た。緊急事態が沖縄を除いてきのうで解除されたわけだが、その後そのまま蔓延防止重点措置に移行しているからまあ状況としてはあまり変わらないわけだろう。ただ東京は緊急事態期間中から夜間外出は増えていて、二〇代三〇代のあいだでも再拡大の気配が見られるというから予断は許さない。まあそうなるわな、というかんじではある。緊急事態にはいって二週間で人出はもどってしまったらしいが、みんなもう慣れてきたというか、麻痺してもいるだろうし、そりゃそうだろうとおもう。飯屋もながく我慢を強いられているわけで、もう限界だという声も各所で上がっているだろう。政府としてはこの六月七月をとにかくなんとか乗り切って、ワクチンが普及すれば状況は空気は変わるとみこんでいるのだろうが、デルタ型の問題もあるしそううまく行くかどうか。オリンピックをもう一、二年、大胆に延期したほうが良かったのでは? という気がするのだが。そちらにかかずらっている余裕はないのでは? オリンピックはいちおう、二〇一一年以来の日本の復興の象徴という意味合いを課せられるとおもうのだけれど、ウイルスにまだまだ苦しめられて平常に復してなどいない現状、復興もクソもないというか、あきらかにその意味はそこなわれかすんでしまうわけだし、いまの状況だとやるほうも見るほうも大変であまり楽しくないのではないかともおもうし、コロナウイルスがほぼおさまってから正式に、安全できちんとしたかたちでおこなったほうが、震災のみならずウイルス災害をも乗り越えてわれわれはいまここに立っているのだという二重の復興・復活の意味合いも出るだろうから、そちらのほうが良いのでは? という気がするのだが。こういう情勢だからこそ実施して世を活気づけて、みたいな理屈はむろんわかるが、いまやるとしたら、上述のように、現状は日本復活などとは程遠いのだから、復興・復活をかかげたとしても現実との齟齬と乖離によってシラケムードが醸成されざるをえないだろうし、意味合いを多少ずらして、コロナウイルスに負けないようにがんばっていこう、みんなで乗り切ろう、みたいな盛り上げ方にせざるをえないはず。それはそれでやはり、シラけた反応をまねくのではないか。
  • ワクチン接種をおおくおこなう医療機関にたいして一一月末まで支援をおこなう、という報もあった。ある程度の量をこえて接種を継続する機関にたいしては、一回につきいくら、というかたちで財政支援を提供すると。たしか一回三〇〇〇円とかあった気がする。
  • 食器と風呂をあらって茶をつくり、帰室。LINEに返信したあときょうのことをここまでしるし、二時まえ。
  • おとといときのうの記事を書き終えて投稿すると、二時半を越えた。
  • それから出勤までは、三宅誰男『双生』(自主出版、二〇二一年)をあたまから再読しはじめたり、「知識」を音読したり。
  • 四時台の電車で勤務へ。いつもは五時過ぎのもので行っているのだが、この日は高校生の英語の予習をしたかったので。事前にコピーしておくのをわすれていて、家で確認することができなかったのだ。(……)
  • (……)
  • 退勤は九時まえ。(……)瞑目して休み、着くと降りて、扉口をすぎるときに(……)くんのほうに顔をむけるとあいても顔をあげていたので、手を挙げてあいさつ。南側の空に月明かりがあり、雲のなかをおよいでいるすがたのその推移がするするとはやく、雲はところどころ穴がうがたれていてこびりついた粘菌のような、いくらか毒々しいような網目状で、そこを洩れてくるひかりは白くあかるい。
  • 帰宅して夕食や風呂を終えたあと、きょうは勤務後にもかかわらず書抜きができた。よろしい。日記のよみかえしも二日分。
  • 書抜きの際は、diskunionのmale jazz vocalのカテゴリを見て知った木下航志『Wonderful World Kohshi Kishita Sings & Plays』という作品をAmazon Musicでながした。ほんとうはUlysses Owens Jr.の『Songs of Freedom』といって、Joni MitchellとAbbey LincolnとNina Simoneの曲をとりあげたらしいアルバム(Theo Bleckmann)などが参加しているを聞きたかったのだが、なかったので。木下航志というひとは全盲らしく、日本のStevie Wonderとかいわれているらしいのだが、歌はうまいしソウルフルで熱があるものの、冒頭の"You've Got A Friend"を聞いたときにはやや暑苦しいというか、この曲としては圧がつよすぎる歌い方ではないかとおもった。ただ、その後、#2 "夜明けの歌"や、#3 "Sometimes I Feel Like A Motherless Child"なんかはけっこう嵌まっているようにも聞こえた。"夜明けの歌"は日本の古い歌だからけっこう朗々としたかんじでもあるし、三曲目は黒人霊歌だからもともとわりとドロドロしているので、暑苦しくてもちからが籠もっているかんじが出てよい。このときは#7か#8まで聞いたが、いちばん良かったのは#5 "New York State of Mind"で、これは格好良かった。Billy Joelって、有名だから曲はいくつか知っているものの、なんだかんだちゃんと聞いたことがない。
  • 四首作成。

 朝露の底に舞い散る文字たちの声を聞きわけ食べる祝祭

 雲たちが歓喜の歌を合唱し夏は華やぐひかりの泉

 逝くひとをおくる声だけきらめいてただ八月の光のなかで

 うつくしき万古不易の自動機械太陽系よ戸惑いを知れ

(……)In a BuzzFeed report written earlier this year, Adam Morris recounts what he learned when he snuck into San Francisco’s Singularity University Global Summit:

I learned that through interplanetary colonization, explorers might acquire resources from other planets, which could meet all human energy needs on Earth … I was able to experience something that years of religious enthusiasm could never conjure: I got to feel what it was like to be surrounded by true believers in a cause that was only valued by an in-crowd, an ascendant elect. Circulating among them, I sensed the presence of that spirit that presides whenever so many ardent believers come together in its name. I could feel souls uplifted.

I’m not the first person to notice that the parallels between Biblical rapture and the technological Singularity are a bit uncanny. Much like Medieval Christians, the Singulitarians make a sharp dualistic distinction between the divine and the merely human — between AI “stuff” and non-AI “stuff” like organic biology and inanimate tools. Adherents are convinced that there will be a moment in the future when humanity is “saved” by a power that’s beyond our comprehension. But we must demonstrate our faith through good works. Singularity believers worship at the altar of their own technological prowess, praying that the AI will be benevolent when their soul is uploaded to Heaven.