つづけてアウグスティヌスは説いている。私は、私が知ることについて、まさにその知るというはたらきにかんしては、欺かれることがない。「私は、私が存在することを知るように、私が知ることを知るからである」(同)。
徹底した懐疑論、すべてを疑う懐疑主義に対して反論する方法は、ただひとつであれ、確実なものを挙げることである。しかるに、「じぶんが疑っていることを知っているすべてのひとは真なるものを知っている。その者は知っているものにかんして確信している。だから真なるものについて、確信しているのである de vero igitur certus est」(『真の宗教』三九/七三節)。ひとが疑うなら、そのひとは確実であろうとしている。「疑うなら、考えている」。私は生き、意志し、知り、想起し、思考し、判断する。「もしこの精神のはたらきが存在しないならば、なにものについてであれ、疑うことすらできないはずである」(『三位一体論』第十巻第十章)。人間の精神のはたらき自体が存在することは不可疑である。そもそも「きみが存在しないなら、きみは誤ることもありえないであろう」(『自由意志論』第二巻第三章)。(end174)
のちにデカルトが、欺く強力な霊の存在を想定しながら、「かれが私を欺くなら、私は存在する sum, si me fallit」と語る。デカルトによれば、したがって、「私は存在する」という命題は、それが言いあらわされ、また精神によって把握されるそのつど、「必然的に真なるものである necessario esse verum」(『省察』二、第三段落)。――両者の類似は、デカルトの時代から、メルセンヌやアルノーによって、すでに指摘されていた。けれども、両者のほんとうの関係、時を隔てた、より本質的なつながりが問題になるのは、このさきからである。
(熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、174~175; 第11章「神という真理 きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る ――アウグスティヌス」)
- きょうもまた正午まえの離床。さいきんは滞在がだいたい八時間くらいになってきている。いぜん、七時間台で安定したのだが、なぜまたややながくなっているのか。こめかみを揉んでからおきあがり、背伸びをして、水場に行ってきてから瞑想をおこなった。一六分かそこら。身体的な意味でなにもしないという状態はもうかなり実現できているつもりなのだけれど、精神的な意味でぜんぜんなにもしないという状態をつくることのむずかしさがそこであらわになってくる。精神的な意味でなにもしないというのは、なにもおもわないかんがえない状態を達成するということではなく(そんなことは不可能である)、精神のうごきやはたらきを一方向にかためようとしないというか、操作の瞬間を完全に排して、牧場で羊を自由にうろつかせあそばせるがごとく放置するということで、それをこそまさしく放念というべきではないのか。ただこれは困難である。すぐさま理解されるように、操作を排そうという考慮が生じた時点で、それが操作であるからだ。だからここにも逆説的な能動性アポリアがあるわけだけれど、肉体のレベルだと「なにもしないようにする」ではなくて端的に「なにもしない」がわりとできるようになったつもりなのだが、意識の面はなかなかそうもいかない。
- きょうの天気は曇りだが、この真昼は明るいほうに寄った曇りで、ほんのかすかに陽の手触りもないではなかった。鳥たちが声のかけらを浜辺にくだけた貝殻のように散乱させていた。上階へ行き、カレーをいただく。(……)のお父さんが来て、(……)のマンションだかアパートだかの管理人のしごとがあるがどうかと知らせてくれたらしい。そのとき父親は出かけていたので、帰ってきていまはなしを聞きに行っていると。だからお父さんは、(……)の爺さんの家に来ているのだろう。新聞からは例によって国際面の、中国関連とミャンマー関連の記事を読んだ。中国は習近平への個人崇拝がつよまっているといういつもの話題。陝西省の役人が、習近平の思想は二一世紀のマルクス主義だとか礼賛したらしいのだが、共産党は党規約で中国の同志を偉大なるマルクスやレーニンと同等の存在としては扱わないと明記しているらしく、だからこの役人の発言はその禁を破ったそういうレベルでの礼賛ではないかという。中国は毛沢東の暴走への反省から集団指導体制を取ってきたのだが、いまの習近平でそれが完全に無効化されており、江沢民だかもわりとそれを肯定していて、さまざまな国難が積もっているからそれを打開するためには一個人への権力集中もやむをえないというのがおおむね指導層の共通理解のようだ。ただ政府内ではいってみれば忖度が横行しており、習近平の感情を害したり都合が悪かったりする情報は報告されなくなっているという。アメリカがそのあたり、どうやってなのか、情報をながして調査したらしいのだが、悪い情報はほぼ伝わっていなかったと。だから事態や情勢の正確な把握ができない習近平が行けるとおもって無思慮に台湾を攻撃しないか、という懸念が米国の関係者内にはあるらしい。
- ミャンマーは国軍統治下でコロナウイルスの感染が増えており、ワクチン接種もすすんでいないという情報。一回目でも接種をおこなった国民は、たしか一パーセントそこそこしかいないと書かれていなかったか? 一〇パーセントの記憶ちがいか? いわゆる「不服従運動」で医療従事者がボイコットして機能していない病院もけっこうあるらしく、人材は不足しているし、市民のほうも行ってもきちんと受けられるのかなという不安もあり、またそもそも国軍が情報をぜんぜん開示しないからなにもわからない、という声も聞かれているようだ。
- 食器と風呂をあらって、カルピスを一杯つくって下階へ。ウェブを見たあと、きのうのことをすこしだけ書いて完成。ただ、投稿するには読書メモを記さねばならず、書抜きはデスクでないとできないが、立位でやるので脚がけっこう疲れるから、先にマッサージすることに。それで書見。蓮實重彦『夏目漱石論』(講談社文芸文庫、二〇一二年)を読みすすめ、三時まえまでに本篇は読み終えた。あとはあとがきや松浦理英子の解説的な文章など。そのあときのうの記事にメモ的抜書きをしてブログに投稿し、きょうのこともここまで書き記せば三時四〇分にいたっている。
- 出勤まえに腹を満たしておくために、食事を用意しにいった。カレーは夜にゆずり、きのうの天麩羅とシーチキンのサラダがあまっていたので白米とともにそれらを盆に乗せ、自室に持ち帰ってきた。そうして食べながら(……)さんのブログを読む。六月二三日に『双生』の詳細な自己解題というか自作にたいする読みがある。「非人称的な語り手は、『亜人』においてもそうだったように『双生』においても、しばしばエピソードの意味づけを促す役割を担っているが、その意味づけの根拠は薄く、そのわりには「まとめあげ」(物語化)を急く、そういう意味で、一種の信用できない語り手のようなものである」とあって、そういうことだったのかとおもった。そういうとらえかたはこちらのなかにまったくなかった。のちに読んだ二四日付の記事にも、「補足をするならば、『双生』では、「比喩や象徴をたぐりよせながら隠された意味の露呈に立ち会おうとする思考の運動」そのものもまた書きつけられている(もちろん、信用できないものであり、かつ、それ自体がひとつの「表層」として)」、「『双生』は、くりかえしになるが、やはりその共鳴をうながす(方向づけ、意味づけ、まとめあげ、物語化しようとする)思考の運動そのものも書き入れている、そこがちょっとクリティカルだと思う(そういう意味で、一種のメタフィクションだといってもいい)。ただ問題は、そのような(信用できない)「思考の運動そのもの」が、ものすごくベタに、作家であるこちらの意図として受け入れられてしまいかねない点だろう(それだと作品が単なる隠喩に堕す、つまり、「影の推移」が「固定」されてしまう)」と、説明がくわえられている。
- この作品の語り手の信用できなさというか、話者が故意に嘘をついたり読者を誘導しようとしているとまでは言えないとしても、その地位の不完全さや話者がくりだす意味づけのうたがわしさをあらわすごくちいさな傍証として、さいしょの一文があるのではないか。つまりそこでは、「その晩年、(……)彼の唇は追憶の光に薄くひらかれ、恍惚とした震えを浮かべたという」というふうに、文が「という」でむすばれているからである。「という」は、伝聞のしるしである。したがって話者は、この作品でかたられるできごとを直接見聞きしたり知ったりしたわけではなく、じぶんいがいのなにものかから受け取って知っている、ということになる。だからこの物語は、おそらくはすでにいちど、あるいはそれ以上の回数、かたられているのだ。『双生』のページを埋めていることばたちは、又聞きならぬ、いわば又語りというべきものであり、「という」と言っているからには語り手と物語のあいだにはひとつの距離が明確にさしはさまれている。だから、話者が必要なことをすべて知っていなかったり、物語に疑問をいだいたり、それを語りながらみずから解釈しようとしたりしても、不思議なことはない。
- ほか、「このように、「双生」は原則として、手法の自己言及に対してはけっこう禁欲的だったと思う」、「その禁欲に、まさに手法上の対比的なペアということになるのだが、「解釈」や「意味付け」をうながす、偽物の自己言及——信用できない語り手によるエピソードのまとめあげ(意味付け-物語化)——の多用という別の手法を重ねた。じぶんの知るかぎり、この二つの規則を同居させた小説というのは、ほぼないと思う(もしかしたら横田創の『埋葬』はそのような小説かもしれないが)」とのこと。
- また、「ついでにいえば、軍隊生活の中身についてもかなり書き割り的に——序盤の山間の暮らしと同様、細部の具体性を捨象して——処理しているのだが、これについては一時期葛藤があった。つまり、戦争ないしは軍隊というものを意図して類型的に描くというのは、いくらなんでも道徳的にどうなんだろうという思いがあった。ただ、その後、戦争関連の資料を読んだり、また聞き書きのメモなど読み返したりしているうちに、ベタでわかりやすいわれわれのイメージする軍隊生活というものが、フィクションでもなんでもないまごうことなき事実そのものだったという感を得るにいたり、それを一種の免罪符とすることにした」とあったが、すくなくともこちらにかぎっては、軍隊生活全般は措いても、136から138の埋葬場面の記述はとても良かった。いぜんにも触れたが、あそこの記述は即座に石原吉郎とプリーモ・レーヴィに接続されたので、じぶんにあってはそういう経路で、非常にまっすぐにリアリズム的なリアリティをかんじさせるものだった。まあその接続先の現実ももちろん、テクストを通して得た「現実」ではあるわけだが。具体的に言うなら、137にある「無名にして無数の死」ということばは石原吉郎の「確認されない死のなかで――強制収容所における一人の死」とあきらかにひびきかわすものだし、138に書きつけられた「人間であることにつきまとうあの激しい恥辱」とおそらくはほとんどおなじものをまごうことなき現実の体験として、おなじ「恥辱」という語をもちいながらプリーモ・レーヴィが書いているのはいぜんも引いたとおりだ。
ジェノサイド(大量殺戮)という言葉は、私にはついに理解できない言葉である。ただ、この言葉のおそろしさだけは実感できる。ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死[﹅8]がないということが、私にはおそろしいのだ。人間が被害においてついに自立できず、ただ集団であるにすぎないときは、その死においても自立することなく、集団のままであるだろう。死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。
(柴崎聰編『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、二〇一六年、3; 「確認されない死のなかで――強制収容所における一人の死」)
彼らはあいさつもせず、笑いもしなかった。彼らは憐れみ以外に、訳の分からないためらいにも押しつぶされているようだった。それが彼らの口をつぐませ、目を陰うつな(end15)光景に釘付けにしていた。それは私たちがよく知っていたのと同じ恥辱感だった。選別の後に、そして非道な行為を見たり、体験するたびに、私たちが落ち込んだ、あの恥辱感だった。それはドイツ人が知らない恥辱感だった。正しいものが、他人の犯した罪を前にして感じる恥辱感で、その存在自体が良心を責めさいなんだ。世界の事物の秩序の中にそれが取り返しのつかない形で持ち込まれ、自分の善意はほとんど無に等しく、世界の秩序を守るのに何の役にも立たなかった、という考えが良心を苦しめたのだ。
(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『休戦』岩波文庫(赤717-1)、二〇一〇年、15~16)
- 「ちなみに、海岸での穴掘り、山奥の集落での徴集と玉音放送の勘違い、終戦後の上官に対するお礼参り、戦死したはずの夫の帰還などは、すべて祖父や京都の老人らから直接聞いた史実なのだが、それらのエピソードの配置の仕方ゆえだろう、汽船の徴集という完全な作り事のほうがむしろリアリティのあるように感じられる気がする。それがちょっと面白い」とのことで、こういう「史実」を聞いているあたりがやはり(……)さんの強みである。
- あと、終わりにかんしては、「しかしなによりも驚いたのは、これは(……)くんと(……)さんに共通する感想であるが、クライマックスを高く評価してくれていることだった。率直にいって、めちゃくちゃ意外だった(「えー!」と声をあげてしまったくらい)。こちらの印象としてはむしろ、クライマックスだけがやや安易に流れてしまったような、若干置きにいってしまっているような、そういう悔しさが最初から最後までずっとあったのだ」、「たぶん大半の読者はこのクライマックスでしらけるだろうなと思っていたし、もっというなら(……)くんにも(……)さんにもあそこはどうなんだと批判されるに違いないと事前に覚悟もしていたのだった(そしてその批判を先取りして、事前に若干凹んでいたくらいだった)」とあって、そう言われればたしかにそうだなあという気もするのだけれど、やはり読み手はそれまでに、みちすじが見いだせない迷宮のなかでうろうろ戸惑いながらともかくすすんできたみたいなかんじになっているとおもうので、あそこの集束によるカタルシスというのはあったのではないか(それを「出口」と言ってしまうととたんにつまらなくなるが)。こちらとしては、そこにくさいかんじはなかった。ただ、「もっと遠くまでいけるだろうと、もっとぶん投げることができるはずだろうと、ずっとそう考えていた」と(……)さんが言っているのもわかる気がして、なんとなくの憶測にすぎないのだが、たぶんこの作品の終え方としては、いまのようなかんじで、ことによるとわかりやすすぎるのではないかというくらいに集束を演出するか、それかほんとうにばーんとぶん投げてスコーンと見事にひらかれたかたちで切断するか、そのふたつしかなかったのではないか。そして、後者を実現できれば、このうえなく鮮やかではげしい、もっとすごい作品になっていたのではないか、と(……)さんがおもっているとしたら、それはわかるような気がする。現物をまだ読んでいないのでまちがっているかもしれないのだけれど、そのばあいには、古井由吉が『山躁賦』についてみずから言っているような意味での作品、そういう意味での傑作になっていたのではないか。
古井 (……)言語に関しては表現そのものが表現ではないんじゃないか、表現したときにこぼれ落ちるものがしょせん表現じゃないか。絞りに絞って空を切るときの一つの勢いとか運動、それにかけるよりほかないんだね。ところが空を切るときの力動を出すにはかなりきっしり詰めていかなきゃならない。詰めるだけで力尽きた小説もありましてね。僕の場合、それが大半じゃないかと思うんだけど。空を切る動きまで見せてないんじゃないかと。
松浦 ミーハー的な興味でお伺いすると、空を切る運動がいちばん鮮やかに定着できたとご自分で思っていらっしゃるのは……。
古井 『山躁賦』ですね。あのときはむちゃくちゃに振り回したんだね。振り回しただけでもけっこう迫力は出たと思いますけど。それでも肝心なところで見事に空を切ったという自負はあります。(……)
(古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』講談社、2007年、82~84; 「「私」と「言語」の間で」; 「ルプレザンタシオン」1992年春をもとに改稿、『小説家の帰還 古井由吉対談集』に収録)
- あと、まえに(……)さんの小説は複層的で畸型的な迷宮を建築しているようなものなのではないかみたいな推測を書いたことがあったのをおもいだしたのだが、それは一年前にちょうど(……)さん本人と通話したとき(二〇二〇年五月二八日)のことで、このときに『双生』についても多少はなしを聞いたとおもうのでそういう予測がついたのだろうけれど、いま読みかえしてみるとけっこうただしく言えている気がする。「そして人が迷宮に入ったときに取るべきふさわしい振舞いというのは、言うまでもなくそのなかをたださまようということである」などと言われると、しまった、そうだった、という気がされて、じぶんは十分にふさわしくさまよえていなかったぞ、というおもいになる。
話を少し戻して、(……)さんが言っていた比喩を重ね合わせていくと最終的には機械になっていくというイメージに触れると、これについてこちらはまだあまり実感的に理解できていないのだが、次のようなことなのだろうかとひとまず考えた。ある記述とある記述が表面的な外観としては異なっていても、意味合いとしてはテーマ的に通じるということはもちろんいくらでもある。ただそれらの個々の記述は、具体的な記述として違いがある以上、比喩的意味としても完全に同一の状態には還元されないはずである。つまり、当然の話だが個々の比喩にはそれぞれ意味の射程があり、純化されない夾雑的な余白がそこにはつきまとっているはずで、その比喩もしくは意味の形は完璧に一致するということはない。とすれば、それらを織り重ねていくと、そこには明確な形態には分類されえない不定形の星雲図のようなものがだんだんと形成されていくはずではないか。アメーバのようなイメージで捉えてもいるのだけれど、この織り重ねは単に平面的な領域の広がりには終わらず立体方向に展開していくものでもあると思われ、すなわちそこには複数の層が生じることになる。そのような平面 - 水平方向と立体 - 垂直方向の二領域において、個々の要素であり部品である具体的な記述が対応させられ結びつけられていくことによって、いつしか得体の知れない特異な構造の機械にも似た建造物が姿を現すに至る、とたぶんそんな感じなのではないか。これを言い換えれば(……)さんは意味の迷宮を建築しているということであり、すると続けて思い当たるのは当然、彼の文体自体が「迷宮的」と称されることで――そもそも『亜人』とか『囀りとつまずき』などの文体を「迷宮的」という形容で最初に言い表したのは、たしかほかでもないこちらではなかったかという気がするのだが――つまり彼は表層に現出しているそれ自体迷宮的な文体のなかにさらに複雑怪奇な経路を張りめぐらせることでより一層迷宮的な意味の建造物を構築しているということになるわけで、とすれば三宅誰男という作家の一特性として〈建築家〉であるということがもしかしたら言えるのかもしれないが、ただ重要なのはおそらくこの建築物が、例えば序列とかヒエラルキーとかいったわかりやすい系列構造を持っているのではなくて、(迷宮であるからには当然のことだけれど)まさしく奇怪な機械としての不定形の容貌に収まるという点、少なくともそれが目指されているという点だろうと思われ、それは現実の建造物としては例えばフランスの郵便配達夫シュヴァルが拵えた宮殿のような、シュールレアリスム的と言っても良いような形態を成しているのではないだろうか。とは言えそれはおそらく充分に正確なイメージではなく、と言うのはシュヴァルの宮殿は外観からしてたぶんわりと変な感じなのだろうと思うのだけれど、(……)さんの小説はけっこう普通に物語としても読めるようになっているからである。まあ文体的に取っつきにくいということはあるかもしれないが、表面上、物語としての結構はきちんと確保されている。だから(……)さんの作品を建築物に喩えるとすれば、外から見ると比較的普通と言うか、単純に格好良く壮麗でそんなに突飛なものには見えないのだけれど、いざなかに入ってみると実は機械的な迷宮のようになっていると、そういうことになるのではないか。で、この迷宮にはおそらく入口と出口が、すなわち始まりと終わりがない。もしくは、それはどこにでもある。どこからでも入れるしどこからでも出られるということで、なおかつその迷宮内部は常に機械的に駆動し続けており、人がそのなかに入るたびに前回と比べて様相や経路が変異しているみたいな、実際にそれが実現されているのかどうかはわからないが企図としてはそういうものが目指されているのではないか。そして人が迷宮に入ったときに取るべきふさわしい振舞いというのは、言うまでもなくそのなかをたださまようということである。『亜人』冒頭の言葉を借りれば、この迷宮には「こぞってこちらのあとをつけるうすぎたない追いはぎども」(9)が至るところに潜んでいるわけだが、そこに足を踏み入れた者はこの盗賊たちに襲われてひとつところに囚われてしまうのを避けるため、彼らの追跡から逃げ惑いつづけなければならない。
- あと、こちらのブログから蓮實重彦『夏目漱石論』の記述が引かれていたのであらためて読んだのだが、「それには、表面に揺れ動く影の推移を固定しようと望んではならない。それをどこまでも繁茂させ、たえず変容する複雑な網状組織に仕立てあげること。そして一瞬ごとに変化するその網の目の模様が、あるとき自分自身の顔の輪郭と一致する瞬間を待つことである」というあたり、瞑想中の視界の描写のようだな、とちょっとおもった。瞑想で目を閉ざしていると、眼裏の視界にはいわゆる丹光というかたちで「表面に揺れ動く影の推移」が絶え間なく生じるわけだし、それは「複雑な網状組織」とすら言えないほど、はなはだしく不定形に「変容」しつづけるもので、それらはしばしば、「自分自身の顔の輪郭」ではないにしても、影もしくは光のままなにかのかたちに「一致」したり、あるいはその向こうからというかそれにかさなるようにしてもっと明確な画像が浮かび上がってくることもある。まあこれはたんにここの文章がそういう現象に似ていたというだけのことなのだけれど、それとはまたべつの意味で、蓮實重彦の方法論とか彼が書いていることは、ヴィパッサナー瞑想の原理とあきらかに同調しているとおもう。絶え間のない不断の現在に一致して自己を変容するとか、世界にむかって目一杯おのれをおしひろげて存在と対象がともに消滅した透明さにいたる、みたいなことを書いているので。そのあたり、テクストにたいする姿勢ともっと広範な意味での世界認識のありかたとの関連として、哲学的な考察をすることもできるのだろう。
- ものを食べたあとは食器をかたづけにいき、その後、身支度。歯磨きをしてワイシャツとスラックスのすがたになってからまたブログを読んだ。そうして余裕を持って出勤へ。出るときに玄関で父親と出くわし、道に出てあるきだすと家のそとの水道で手をあらっていた父親が傘持った、と声をかけてきたが、ふりむいて、持ってないとかえし、いいだろうとはらってもどらなかった。空はたしかにわりあい雲のにごったくもりである。水気のおおい空気のなかにマスクをとおして草のにおいを嗅いだのは、林縁の石段のうえがちょっと刈られたらしい。時間にかなり余裕をもって出たので、気楽にかるい足取りでてくてくあるいていく。上り坂の出口付近の道脇も、草木が茂っていた右側の壁がすっかり刈られて、すっきりとしたようなまずしいようなすがたになっていた。横断歩道がちょうど青だったがいそがずだらだら見送り、ボタンを押してつぎでわたる。駅にはなぜかひとがけっこういた。ベンチも埋まっていたし、さきのほうに行ってもめずらしく何人か立っている。そのあいだにくわわって立ち尽くしていると、カラスが一羽、視界の端からあらわれて、羽ばたきの音をあらわにひびかせながら宙を横切り、正面の段上にある梅の木に至った。緑と裸枝の色とがまばらな、曇り空のもとでやや暗さをまとったようなその梢でしばらくすごしたカラスは、来たのとおなじ道をそのままもどるような軌跡でまた飛んで、視界のそとに去っていった。森のほうからは鳥が定期的に声を上げ、周囲にはほかにも鳥声がぴちゃぴちゃばら撒かれており、なにか鈍くて地味な虫の声が通低音として弱く持続しているが、大気はしずかで、だからカラスの羽ばたきがあきらかにきわだつ。見上げれば一面は雲だが西方面はまだしも白さにすくわれており、しかし東側には煤の色のつよいひろがりが侵食的に垂れこめて、下端にかろうじて白さをまもっているくらいだ。正面の先にある丘をおおいつくしている樹々はもうどれも緑を密に充実させており、差異はその濃淡とわずかばかりの明暗のみで、それもおなじ色階が拡散せずに一定の範囲で横にまとまっているから、全体としてととのった緑の斉一性が達成されている。そのあしもとに濃褐色のおおい家が一軒ひかえているのは、まあ絵画的と言えば言ってもよい光景なのだろう。
- 電車内もけっこう混んでいた。移動し、職場へ。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- 帰るころには雨が降っていたので傘を借りた。駅にはいるとまたもやひとがおおい。なぜかわからないが。ベンチが埋まっていて座れなかったのだ。すぐに電車が来たので車内で席について休んだが。最寄りに着くと雨はそこそこ降っているので借りてきた青傘をひらき、自販機でコーラを買って駅を抜け、坂へ。くだって平らな道をいけば、頭上に木があるかないかで雨の音があきらかに変化するのでちょっとおもしろい。なにもないところでは傘の全体に拡散するような、ある種じゅくじゅくしたような、卯の花腐しということばがあるが植物や果実を腐らせるようなそんなかんじの音響なのだが、梢のしたにはいるとある意味葉叢で粒が漉されるというか寄り集められて大きくされるからとたんに音がしぼられてちいさい範囲をバチバチ打つ点状のものになる。路上のアスファルトはところによって完全な黒さののっぺらぼうに沈み磨かれ、街灯の白光がそのうえをとぎれとぎれにながく渡っている。
- 帰宅すると休息。一〇時過ぎまで。たしか蓮實重彦『夏目漱石論』(講談社文芸文庫、二〇一二年)を読んだはず。食事はカレーや天麩羅の残りなど。夕刊で、米軍がシリアとイラク国境付近の親イラン組織の基地を空爆したという報があった。あと、蘋果日報の論説委員だったひとが逮捕されたとも。食べ終えると入浴し、もどったのはたぶん一一時半くらいか? そこからはだいたいきょうの記事をつづっていたとおもう。そうして以下へ。
- いま、午前二時。きょうの日記を書き足したあと、(……)さんのブログを二五日から最新の二七日分まで読んだのだが、二五日付に以下のような説明。「この「子」とは、あくまでも作品の諸テーマや諸論理の結節点のようなもの」とか、なるほど、なるほど、というかんじ。後半の、「鏡の間」的「乱反射」のこころみについて読むに、やはりロラン・バルトや、またデリダならびにいわゆる脱構築派以後の作品なのだな、とおもう。ほんとうは文学作品って、ぜんぶそうなのかもしれないが。文学や、ことによるとテクストすべてが本質的にはそうだというのが、たぶんデリダやポール・ド・マンの洞察だったのだとおもうが。
『双生』についてもう少しだけ補足。この作品の「謎」は、「真相」が前提としてある「謎」ではなく、「謎」という象徴的身分そのものであることが重要(それが「(どちらがおもてでどちらが裏かわからない)間諜」のテーマとも連結する)。具体的な例をひとつ出すと、フランチスカの子が誰の子であるのか、そのような「真相」など存在しない。この「子」とは、あくまでも作品の諸テーマや諸論理の結節点のようなものでしかない。たとえば、「奇跡」のテーマに連なるものとしての処女懐胎をここに見てとることはたやすい。すると、そこから連鎖して神学的構図(三位一体)が呼び出されることになるし、また処女懐胎における〈父〉の不在を精神分析的に解釈された図式も参照されることになる(これらの図式は、最序盤で語られた彼と片割れのエピソード——「たがいがたがいの似姿である」という記述や母(語)の不在——を補助線として強化されるだろう)。また、「子」には、隠れ里の小僧の裏返し(ペア)としての身分も重ねられている。その場合、連れ子を子として引き受ける隠れ里の彼と、実子——とされるもの——を認知することのできない彼というペアも連鎖的に成立する。また、「子」を子として認めることのできない彼と彼の子として当然のように取り扱うひとびとの構図(彼と世界の対立関係でもある)は、片割れの存在を覚えている彼と片割れの存在を忘れている彼以外のひとびとという序盤の構図の反転した反復でもあり、しかるがゆえに、「子」は片割れとも鏡像的なペアをなすことにもなる(そしてこの読み筋はクライマックスの幻視を補助線とすることになるだろう)。さらにこの「子」の身分自体が、父とは生物学的次元ではなく、認知-信を経由した象徴的次元であるという論理を経由することで、つまり、子をみずからの子と認めることによってはじめてひとは父となることができるというその子の先行性において、子とは子ではなくむしろ父であるという反転を遂げうるものとしてある(この反転はもちろん、「子」が彼に投げかける最後の言葉を補助線とするだろう)。また、秘密の吐露-告白の対象として、「子」はフランチスカともペアをなすし、そこに汽船で会話を交わす異彩の大隊長を加えることもできる(そして「告白」の場には、常に「声」のテーマがつきものであることが理解されるだろう)。「子」の象徴的位置づけとして比較的わかりやすいのはこのあたりになると思うのだが、ただこのような多義性を登場人物にもたせることが『双生』の狙いというわけではない。むしろ重要なのは、「子」のみならず多義的な人物らがおりなす関係の乱反射こそが核なのであり、たとえば「子」を処女懐胎の産物として仮止めした場合、その仮止め-代入によってほかの人物・エピソード・記述が——鏡像関係をベースとして——連鎖して別の意味を新たにやどしはじめることになり、別の意味を新たにやどしはじめたそれらを起点として、さらにほかの人物・エピソード・記述が連鎖して別の意味を新たにやどしはじめることになる——そのように象徴的身分に分裂に分裂を重ねて同一性を追うことのいちじるしく困難になっていくさまが(読み手はそこで「眩暈」をおぼえるだろう)、本体なき分身(間諜)らの乱反射であり、迷宮であり水路であり壕であり、鏡の間——ブルース・リーが『燃えよドラゴン』でラスボスと闘うシーン!——である。
- そのあとは『夏目漱石論』の年譜を読むなど。ながいのでそんなにちゃんと読むつもりはなかったのだが、意外とおもしろくてけっきょくこの翌日までかけてすべて読んでしまった。
- 279: 「「不可思議に奥行のある画から、精出して、その奥行だけを落して、普通の画に美禰子を描き直している」のだ。この印象の正しさに注目しよう。女は、奥へ背後へと逃れて身を隠すのではなく、表層に厚みもなく浮上することで三四郎と別れをつげる。彼女は、遠ざかるのではなく、絵画として距離を廃棄し、表面という別のものになるのだ」
- 285: 「比喩を介してしか顕在化されることのない内面の構図など、それがどれほど当人にとって切実なものであろうと、文学を脅やかすには至らない程よい小波瀾しか惹起することがないだろう。『こゝろ』を心理小説として読んだ場合の驚くべき退屈さは、そのことによって説明しうるだろう。『こゝろ』で徐々に明らかにされてゆく内面の傷など、文学を退屈な日常の多少とも手のこんだ反映だぐらいにしか信じられぬ怠惰な感性しか刺激することはあるまい」
- 286: 「折りかさなるようなリズムで実現される模倣の執拗さにおいて、『こゝろ』ははじめて感動的な小説となる。感動的な [﹅4] 、というのは文学にあってはいささか不気味なという意味に解すべきものだ」
- 288: 「というのも、徹頭徹尾言葉でしか書かれていない一篇の小説が、それを書いた当の小説家を模倣したり反復したりすることなど、ありはしないからである。模倣も反復も、それは人間にのみ許された特権にほかならず、言葉に認めうる資質であろうはずがない」
- 288: 「「作家」とは、「作品」に酷似しえた人間のみに捧げられる名称である」
- 288~289: 「「作品」をもっともよく模倣し反復しえた小説家が「作家」たりうるのである。その意味では、あらゆる読者もまた(end288)「作品」の「作家」たる資格を小説家と共有している」
- 290: 「小説家の現実の体験史の上で明治四十三年に位置づけられる「修善寺の大患」が漱石に二箇月に及ぶ横臥の姿勢を強いたとき、『三四郎』はすでに書かれており、『こゝろ』はまだ書かれていないといった編年史的な事実はさして重要でない。というのも、漱石的「作品」とは、非=時間的な言葉の戯れであるからだ」
- 290: 「とにかくここで真に驚くべきことがらは、「大患」を記述する物語としての『思ひ出す事など』が、ほとんど破廉恥なまでに漱石的「作品」に似ているという事実であろう。「平凡で低調な個人の病中に於ける述懐と叙事に過ぎない」という『思ひ出す事など』には、これまで漱石的「作品」の意義深い細部を構成するものとして語られてきたもろもろの主題が、無秩序ながら、秩序を欠いたもののみが持つ絶対的な存在感でちりばめられているのである」
- 300: 『思ひ出す事など』: 「何事もない、又何物もないこの大空は、その静かな影を傾むけて悉く余の心に映じた。そうして余の心にも何事もなかった、又何物もなかった。透明な二つのものがぴたりと合った。合って自分に残るのは、縹渺とでも形容して可い気分であった」
- 305: 「この葬儀を演ずることによって、「作家」は、ちょうど修善寺の透明な空と横臥の姿勢でそれを眺める漱石自身の透明さとがたがいの透明さを反映しあったように、「作品」とぴたりと一致しながら姿を消し、文学的な贖罪を完成するのだ。それは、「作家」が「作品」を読みおえたことのしるしでもある。だから「作家」とは、「作品」を読むことによって「作品」とともにみずからを消滅させる存在にほかならぬのだ。そしてこの消滅こそが、文学における遭遇の至上形態なのである。希薄な表層と表層とがたがいの希薄さを反映しつつ透明さの域に達すること」
- 306: 「読むとは、この希薄なる表層におのれの影をなげかけ、それを能うかぎり透明なものとすることであるはずなのに、人は、文学的な体験をありとあらゆる濃密さで飾りたてずにはいられない。だが濃密さとは、他なるものの介入を排除することでのみ維持される反動的な、しかもその反動性を曖昧に他者と共有しもするきわめて無邪気な執拗さにほかならない」
- 307: 「濃密な影と影とがとり交わす対話など、所詮は変容に背を向け、自分と世界とがひたすら自分と世界であり続けよと願うものの醜悪な延命策にすぎぬはずでありながら、いま、この濃密な対話ばかりが文学の前景を蔽いつくしている」
- 307: 「匿名という名の希薄な透明さ、その透明な空間へと拡散しつつ記憶を失うことこそが読むこと [﹅4] にほかならない。その意味で、読むこともまた「第二の葬式」というべきものだ」
- 307~308: 「「文学」とは、意味の磁場ではなく、変容の実践でなければならない。人は、自分でなくなるために「文学」を読むの(end307)だ。自分の顔、自分の記憶への郷愁をたち、誰でもなくなるために思いきり自分自身を希薄化させ、言葉とともにあたりに拡散させねばならない」