2021/8/16, Mon.

 「意味とは他者の顔のことである」(227/313)と、レヴィナスはいう。ことばとはまず〈顔〉なのである。あるいは、「ことば(parole)は、見つめている私を見つめる顔のうちですでに萌している」(100/142)。「顔はかたる。顔の〈あらわれ〉はすでに言説である」(61/86)。――なぜだろうか。なぜ〈顔〉なのだろうか。レヴィナスのテクストのうちに(end90)明確で一義的な回答は存在しない。これまでのところ、立ちいった解釈もまた存在しない。すこし考えてみよう。
 たんに立方体であるもの [﹅2] がマッチ箱という意味をもち、それ自体としては鉄と木ぎれの連結にすぎないもの [﹅2] が、そのもの以上の [﹅3] あるものとしてはハンマーである。つまり、〈もの〉がたんにそのもの以上のあるもの [﹅4] であることが、〈もの〉が意味をもつ [﹅5] ということであり、もの以上の〈あるもの〉がその〈もの〉の意味 [﹅2] である。そうであるとするならば、意味とは一般に、存在者が存在することの余剰であり、ある〈もの〉が意味をもつとは、存在者そのものからのずれ [﹅2] を前提することがらではないだろうか。
 だからまた、〈もの〉の「裸形」といわれることがらが、つねに両義的となるのではないか。〈もの〉は一方では、装飾を欠き剝き出しの機能だけをあらわに [﹅4] しているとき裸形であるといわれる。たとえば「裸の壁(les murs nus)、寒々しい風景(les paysages nus)」といわれる場合がそうである。〈もの〉は他方、機能が欠け、あるいは喪われて [﹅4] いるとき、裸形のものである。壊れて道端にうちすてられた機械が寒々とした [﹅5] すがたをさらし、本体から取りはずされた部品が裸である [﹅4] ようにである。後者の意味でのもの [﹅2] の裸形とは「その目的にたいする存在の余剰」、つまりもはや使い目のない余りもの [﹅4] であるということにほかならない(71/100 f.)。
 機能を露出していることも、それを欠如させていることも、しかしいうまでもなく、(end91)〈私〉の目からみて、あるいは〈ひと〉の視点からして、ということであるにすぎない。〈もの〉の存在には、ほんらいどのような〈余剰〉もありえない。およそ、世界には余計なもの [﹅5] などいっさい存在しないのではないだろうか。逆にいえば、ほんとうに裸のもの [﹅4] 、世界の裸形 [﹅5] は、それ自体としてはいかなる意味ももってはいないのではないか。裸形の世界、すべての意味を剝落させたあるがままの世界に、たんに人間が耐えきれないだけのことなのではないだろうか [註73] 。だからこそ、たとえば難破したアリスティッポスは、ひとけのない荒涼とした海岸になお人間の足跡をもとめ、意味をもとめたのであるとおもわれる(vestigium hominis video)(カントの第三批判・第六四節による [註74] )。それは、「身体の両義性が意識 [﹅2] である」(178/249)ことの、つまり、意識とは身体という〈もの〉からのずれ [﹅2] であり、「身体の身体性の繰り延べ」(179/250)であることの、さけがたい帰結である。意識とはいわば、そのつど裸形の世界のなかで意味を探究せざるをえない〈反省的判断力〉なのである。

 (註73): むろん、ひとは裸形の世界を見ることも、それに触れることもできない。私が目にするもの、手で触れるものは、すべて意味に浸されている。山肌はごつごつとした手ざわりを見せ [﹅7] 、樹々が葉をすりあわせる音はざわめき [﹅4] に聞こえてしまう。とはいえ、たとえば、あるいは大地震、あるいは大火災の翌朝、人間のいとなみのほとんどが引き裂かれたあとに、無残なすがたを曝しているかにみえる世界が、そのものとしてはすこしも「無残」ではありえないこと、世界の表面がほんのちょっとかたちをかえ、世界がわずかに「もとにもどった」にすぎないことに、ひとはときとして気づいてしまうようにおもわれる。そうした光景に遭遇した私にはどれほど切実な経験であろうと、世界は私とはかかわりなく、いつでもみずからとぴったり重なりあって存在しつづけている。世界の裸形には意味がないとは、たんにそのことのいいかえであるにすぎない。
 (註74): I. Kant, Gesammelte Schriften Bd. 5, Akademie-Ausgabe, S. 370.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、90~92; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • きのうは全体的に気分がかるくてわりと飄々としていたのだけれど、きょうは起床すぐあとから重たるいようで、倦怠の色が濃い。それはやっぱりきょうからまた毎日労働にでむかなければならないということが大きいのだろう。とにかく面倒臭い。
  • 天気はきょうも曇りもしくは雨。空はあまねく白い。いま三時半すぎで、先ほど出勤前にとひきわり納豆で米を食ったが、そのとき台所の勝手口があけはなされていて(父親が椅子をはこんできてそれにつきながら調理台のうえに乗せた電子レンジをゴシゴシ拭き掃除していた)、空気は白いものの雨は降っておらず、湧き上がるセミの声がけっこう盛んだった。このときもながれいってくるものはなかったし、食事中に南窓から山を見たかんじでも、風はなさそう。
  • きょうも「読みかえし」ノートとプルースト。倦怠がつよいためにかえってちからが抜けるというか、気張るかんじにならずにゆるくできていてそれはいいのだけれど、あまりほがらかな気分ではない。とにかくすべてが面倒臭いし、大げさにいえばどこかに逃げたい。プルーストはスワンがヴェルデュラン家から放逐されてひとつのフェイズの終わりが決定的となり、オデットともそう頻繁にあえなくなるので、見えない彼女の生活を想像して嫉妬がつのり、あたまのなかのイメージだけが膨張的に増大していって、あるときはオデットを下劣でどうしようもない女だとおもってにくむが、べつのあるときにはじぶんにたいする彼女のやさしいふるまいをおもいだして感謝の念がよみがえり、善良な女だとかんじいる、というふうにスワンが情緒不安定になってきている。もうすこし行くときのう「読みかえし」ノートで読んだ鈴木道彦訳のなかにあったように、こういう感情のはげしい揺動にがんじがらめにされて消耗し疲弊したスワンがじぶんかオデットの死を望むようになるはず。
  • 新聞はきょうは朝刊が休みなのできのうのものをまたひらいた。国際面に、韓国が北朝鮮工作員とつながりがあった国内スパイ四人を摘発したとの報。元労働団体の長とかで、いまは自主統一なんとか同志会みたいななまえの組織の長をやっているひとやそのまわりの人間らしい。韓国の国情院はもともとけっこうまえからこのひとたちをマークしていたらしく、北朝鮮工作員接触しているところもつかんでおり、家宅捜索でやりとりなどを記録したデータが出てきたのでまちがいないと。市民の反米感情をあおれとか、反日世論を利用して北朝鮮に有利な状況をつくれとか指令を受けていたらしい。韓国ではつい先ごろ南北連絡通話みたいな、わすれたが、南北融和のための定期連絡的なものが復活したばかりだったのに、このタイミングで摘発がなされたために南北融和・統一を目指す文在寅政権としては完全に水を差されたかっこうになったと。国情院のスパイにたいする捜査権限みたいなものがそのうち警察のほうに移る予定になっているらしく、ここでスパイをあげておいて一定の影響力を維持しようという思惑が国情院側にはあったのではないか、という観測も記されていた。
  • 帰宅後やすんでから零時をまわって飯を取ったが、夕刊を見るに一面でアフガニスタン首都カブール陥落、政権崩壊とおおきくつたえられていたので、マジかよ、すごいことになったなとおもった。時間の問題という印象はあったものの、こんなにはやいとはおもわなかった。タリバンの戦闘員が大統領府に侵攻してすみやかに制圧したらしく、ガニ大統領の執務室を占拠したといい、その執務室なのか、府内の一室に銃をたずさえた髭面の戦闘員たちがあつまって我が物顔に座ったり立ったりいるなかで、役人なのかなんなのかひとりだけワイシャツにスーツの格好の男性がなんともいえないような表情で立ってたたずんでいる写真が載せられてあった。アル・ジャジーラが制圧のようすを中継したらしい。ガニ大統領は飛行機で国外逃亡。行き先はウズベキスタンだとかタジキスタンだとか。カブールにタリバンがはいったあと戦闘はほとんど起こらなかったようすだといい、治安部隊が展開していたのだけれど彼らはほぼ投降するようなかんじでタリバンを止めず、事実上の「無血開城」になったとのことだった。この翌日の朝刊で読んだ情報もここにもう付加しておくと、二五歳のある治安部隊員は上官から、もうタリバンが勝つから戦っても無駄だ、抵抗するなという指示をあたえられて、その言にしたがい、銃などを黙って手渡したとのこと。そのひとは、みんな戦おうとしないのにじぶんだけ戦っても意味がない、と言っていた。アフガニスタン政府の治安部隊は三〇万人おり、タリバン側は一〇万人規模なのだけれど、じっさいにはそういうかんじで投降したりたたかわずに敗走したり積極的にタリバンを支持したりしたケースも多かったようで、それは兵隊だけでなく、場所によっては州知事が花束をわたしてタリバンをむかえて州都を明け渡す、というところもあったらしい。アフガニスタン政府の求心力が相当に低かったということだろうし、またつよい権力を得そうな側につこうとする、長いものに巻かれる式の魂胆をもった役人もたくさんいたということなのだとおもうが、住民らは女性の自由や娯楽などを制限したり逆らう市民を公開処刑したりしたかつての極端なイスラーム主義支配が復活しないかととうぜんおびえており、難民もすでに数多く出ているわけだし、またカブールの空港には国外脱出をこころみるひとびとが殺到して飛行機によじのぼるという騒ぎになったり、その騒動のなかで銃撃があって五人くらい死んだりしたという。タリバン側は国外に逃げる市民を止めはしないと言っており、また平和的な権力の移行を望むこと、そして住民の生活と安全を守らなければならないという意志を表明しているものの、果たして、と。バイデンは米軍撤退の意向を崩さず、米兵の臨時増派を六〇〇〇人に増やして大使館員も退避させようとしており、ほかイギリスなども同様に大使館を閉めるか縮小するかのうごきにむかっているようだが、そんななかロシアとトルコは駐在をつづける見込みで、この二国はおそらくタリバン政権を承認することになるのだろう。
  • 労働に出たのは五時過ぎ。ひさしぶりに道を歩く。雨はもう降っていなかったが黒傘を持った。公営住宅まえまで来ると(……)さんが宅敷地の入口まで出て草を取るかなにかしていたので、ちかづいてあいさつ。格好はジャージというかジャンパーみたいなかんじだったが、あたまには白いパナマ帽みたいな帽子をかぶっていて、その帽子はちょっと洒落ていなくもなく、わりと似合っていた。しかし顔には髭がまばらに生えていて、しゃがんだりちょっと歩を踏んだりするからだのうごきも緩慢で安定感にとぼしく、老いの印象は避けがたい。さっきまでちょっと降ってたけどいまはもう、こっちのほうではそんなに降らなくてよかったですねえ、と言ってくるので、西日本ではたいへんなことになってますもんね、と受けて別れる。
  • 坂道を行くにきょうは曇りで暑くもないどころかワイシャツだけだと涼しさがつよいようにおもえるくらいなのだけれど、カナカナが木の間からまだはげしく声を振り立てて、それが顔の左右に迫って耳をつらぬくので、おもいのほかにまだセミがのこって夏をひきとめているような印象だ。久方ぶりの労働でまた連日の勤務がはじまるというわけで、足取りに倦怠がやどるのは避けられないが、他方ではその倦怠感がかえってまあもうなんでもいいや、どうせ大したことでもないし、あまり気張らずてきとうにやろう、というあきらめのような鷹揚さにひるがえって、そのちからの抜けた投げやりの感が身を軽くしてすこし心地よい、という状態だった。それで坂も一歩一歩ぜんぜんちからをこめずにゆっくりのぼった。
  • 帰路を先につづると、この日はあるいた。もともとあるく気分になっていて、傘を持ったのもそのためである。夜空は全面雲に占められているので星はむろん見えないし乱れのない灰色の一様性につつまれているのだが、その色は硬いわけでもなく粘土というような停滞感でもなく、方角と高さによっては青味がほんのかすかながら透けてかんじられるような気もされ、浸透的なひろがりかただった。裏通りにはいってまもなくぱらぱら散るものがはじまり、その後帰宅までずっと散ってはいたようだが、降るという段階にまでいたらず、傘を差すほどのことではなかった。白猫は車の下に不在。裏道を往路とおなじくかなりだらだらあるきながら、きょうは道がながいとかんじられ、それはひさしぶりに外出してあるいたこともあろうし勤務の疲労が足を覆っていることもあろうが、その道のながさが苦ではなく、心境と齟齬を生まずに調和しており、こころおちつくようだった。しかしとりわけおちついたのは街道の終わりちかくで微風が生まれてそれに顔をなでられたときで、生活のなかでいちばんおちつき安息や自足をかんじる瞬間というのは、寒い季節はのぞくけれどそとをあるいていて風のながれに触れられるときではないかとおもう。
  • そういえば行きで(……)駅に降りたときにこちらの降りる口から電車に乗ってきたひとが(……)さんで、かなりひさしぶりに顔を合わせてあいさつしたが、金泥色とでもいうか鈍めの色と白さが混ざった髪の毛など見るに、ここでもやはり老いの印象があとにのこった。べつにまえとさして変わっていないとおもうのだが。そのあとホームや通路をあるきつつ、じぶんで気づかないにしても俺も老いているのだろうなあとあたまにめぐり、じぶんがもっと歳をとったときのことなどちょっとおもった。
  • (……)
  • 帰宅後は書き物できず。やはり労働があるとつかれてなかなかどうにもならない。
  • 500~501: 「彼はオデットの姿を見かけても、彼女がほかの男たちとともにしているたのしみをこっそりさぐるようなふりをして怒らせてはという心配から、長居をする勇気はなかった、そしてひとりさみしく帰宅して、不安を感じながら床につくのであったが――あたかもそれから数年後、コンブレーで、彼が私の家に晩餐にきた宵ごとに、私自身が不安を感じなくてはならなかったように――そうしたあいだ、彼にとっては、彼女のたのしみが、その結末を見とどけてこなかっただけに、無際限であるように思われるので(end500)あった」